1971年(36年前)、初めての海外旅行
H19.9.18記
先日、2007年7月30日に亡くなった作家であり平和活動家である小田実の「何でも見てやろう」というベストセラーに刺激され世界一周貧乏旅行を計画したのが37年前の1970年の始めのこと。

河出書房新社 1969年5月31日
初版
写真は 1973年6月10日版 680円
大学生だった私は、今想い出しても頭が痛くなる、数学の“イプシロン”に悩まされ、1単位不足で学校に余分に通学する(世間では通常これを落第という)ことになった。1年間の時間の余裕がたっぷり出来てしまったので、これを利用して旅行の資金を稼ぐことにした。

イプシロン
〈ε〉数学で、零に近い任意の微少量
1970年3月15日(日)、大阪の吹田市で日本万国博覧会が華々しく開会した。会期183日の内3日だけ休んだだけで180日間、モーレツアルバイト。
財団法人 日本万国博覧会協会
昭和45年(1970年)3月15日発行 300円
私の場合、働いていた形態がちょっと複雑で、1社からは日給を定額で2,000円、もう1社から「スタンプ帳」を売った歩合給を頂いていた。たくさん人が入場するようになった7月頃以降は「スタンプ帳」が馬鹿売れで、歩合給ががっぽり。

日の出紙業株式会社 発行
500円
8月と9月は「スタンプ帳」の歩合給をくれる会社から、「スタンプ帳」が売れるのは、販売しているお前の努力ではなく、人が異常に入って勝手に売れるからだと変な理由をつけられて、本来なら歩合給を25万円程にもなるところを15万円ほどしかくれなくなったりした。今ならしかるべき所に「約束違反」と訴えているところだ。それでも、両社から合計で、6ヶ月で80万円以上、月平均15万円近く稼いだ。その頃の大卒初任給が約37,400円とネットの情報にあったので、若いサラリーマンの4倍くらいの稼ぎをしていたことになる。貯金できたのは70万円くらい。旅行準備と実際の旅行費用となった。
今まで、日本国内でさえもリュックサックで旅行などしたこともない者が、大きなリュックサックと何故かテンガロンハットをかぶり、ジーパン姿でいよいよ1971年3月25日に日本を出発することになった。
ここで、ざっと費用を見てみよう。
横浜 〜 シベリア鉄道経由 〜 フィンランドのヘルシンキまで 約10万円
モスクワ2泊、レニングラード(現サンクトペテルブルグ)1泊込み。
この頃は、今のように安い航空券がなく、船を除いてはヨーロッパへゆく
最安ルートがこのルートであった。片道切符。
3ヶ月有効ユーレイルパス
約4万円
今は2等車専用とか若者用とかがあるようだが、その頃は1等車が自由に
乗れるものだけであった。

旅費 900
USドル 約32万円
外貨持ち出し制限があり、ユーレイルパスの購入代金を含めて1,000
ドル
まで。まだ1USドルが360円の時代であった。
内緒で持ち出した現金(違反です) 10万円
合計 56万円
リュックサックの中身は
衣類・寝袋
スパイカメラのように小さい「ヤシカ・アトロン」という超小型カメラ

ハーフサイズカメラの「オリンパス・ペンFT」・交換レンズ・三脚
前年の紅白歌合戦を録音したカセットテープとカセットレコーダー
キャンプ用の食器・調理道具・10徳ナイフ(アーミーナイフ)
地図帳・クック時刻表(ユーレイルパス利用に不可欠)

国際運転免許証・国際学生証・ユースホステル会員証

国際電電(KDDI)クレジットカード・パスポート


1970年の1年は落第の1年で、資金稼ぎの1年。1971年は旅行のための大学を休学しての1年。大計画がいよいよ始まる。シベリア経由フィンランド入り、ヨーロッパからアメリカに渡り地球を一周して帰国するという約1年間の予定であった。現地の移動費、食費、宿泊費など日本まで帰ってくる費用は、上に書いた42万円ですべてをまかなう予定であった。365日を42万円、であるから移動を含めて1日1,000円ちょっとであるからかなりきつい。現地でアルバイトをするつもりはなかった。
せっかく行くのだからと、文才もないのに旅行記を書くのを思い立ち、厚顔無恥というか、出発前に、読売新聞社と海外旅行の月刊専門誌である「海外の旅」を出版していたマスレジャー研究所に手紙を送り、「旅行記を書いて現地から送るから、是非掲載して欲しい」と売り込んだ。どこの馬の骨ともわからない若者からの突然の手紙にも、両社からとりあえず「原稿を送ってくれたら検討する」旨の返事を頂いた。どういう経緯でそうなったかは忘れたが、「海外の旅」の出版社から連載していただく旨の連絡が旅行中の現地に届き、私の旅行記が5ヶ月ほど遅れの1970年9月号から始まった。原稿料も頂いた。400字詰め原稿用紙1枚が1,000円で、取り敢えず、へボ作家、の気分であった。
今読み返してみると、意味不明の所もあるので、一部に記号を入れたり句読点を追加したりして、分かるように補記した。さーー、懐かしの旅行がスタートだ。
足の向くまま (順次アップ予定)
1971年 9月号 本のとおりのシベリアルート
横浜 〜(船)〜 ナホトカ 〜(極東鉄道)〜 ハバロフスク
1971年10月号 汽車に揺られてソ連を通過
〜(シベリア鉄道)〜 レニングラード 〜(鉄道)〜 ヘルシンキ
1971年11月号 ヒッチで白夜の国へ
〜(ヒッチハイク)〜 ヨーロッパの最北端・ノースケープ目指し
1971年12月号 北国から暖かい南の国へ
〜(ユーレイルパスを使って鉄道で)〜 スペイン
1972年 1月号 わがイタリア万歳!
イタリアあちこち、ナポリ・リミニ・トリエステ・ベネチア・・・・・・
1972年 2月号 闘牛場のファンファーレ
スペイン・オランダ・ドイツ
1972年 3月号 パリにパリジェンヌに・・・そしてボク
オーストリア・スイス・パリ・ベルリン
1972年 4月号 スペイン番長 蚤の市に出店
マドリッドのユースホステルで番長を務め、そのあとアフリカへ
1972年 5月号 灯火管制、空港閉鎖、脱出
ギリシャ・トルコ・イラン・インド・そしてついに帰国
あとがき 2007.11.29
記 36年前を思い出しながら読み返して