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2005年に書いたお知らせ |
二〇〇五年六月ある日京都イシス(中央区麩屋町竹屋町上ル船屋町418、電話 075-254-5157、通常午後七時まで営業、定休日は月曜、石田加奈代表)に来てバターケース(さくら材)を買いました。イシスさま、傘を Terimakasi.(これは2005年現在の情報です、定休日などがその後少し変わっているので、電話などで確認してください) イタリー亭で、もとマラヤ大学留学生(長崎県派遣)Hiroko T. 氏と夕食を食べました。マレーシア研究とマカオ・香港研究の接点はまだいろいろな点にあるようです。 2005年7月15日、南アフリカ・ダーバンでの「ユネスコ世界遺産委員会」にて「マカオの歴史的建築群が建ち並ぶ一帯」を「世界遺産(文化遺産)」に登録することが決まりました。おめでとうございます。記念パーティーを計画しようと思います。 八月二四日から九月一日まで、九龍・タイパ島(マカオ)・ランマ島(香港の離島)などに滞在します。母校の香港中文大学崇基学院やマカオ大学・マカオアーカイブなどで学術交流と調査の予定です。マカオの新設カジノの視察。 *** フォーカス・チャーティングの勉強を始めました。看護学の一分野ですが、学生の学習・生活記録の教育活動への還元に使えそうです。川上千英子先生(日本フォーカスチャーティング協会代表)の本を読んでいます。要は、フォーカス・情報・実行・反応を適確に記載し、申し送ることです。Thanks Chiaki of 日産厚生会玉川病院。**** 八月二四日最終便にてNRTからHKGへ。 八月二五日は香港中文大学を訪問しました。崇基学院の黄慧貞副教授(アジア・キリスト教協議会議長)と景色の良い大学職員食堂にて昼食。日本研究系のリーン・中野副教授も同席しました。お二人とも、ジェンダー・スタディーの研究者です。この時崇基の研究室棟でばったり会った日本研究系主任の李活雄教授とは、実に二十四年ぶりの再会でした。香港中文大学は、わたくしが在学していた頃に比べると、建物が二倍くらいに増え、少し緑が少なくなったのが残念です。しかし、その教育・研究は非常に発展しており、「校友」の一人として誇りに思います。Wai Ching, thanks for taking me to the park of New Asia. I love it. この日はこのあと、セントラルの大会堂三階美心にて、CPPの元同僚たちと食事をしました。皆、意外なほど、変わっていませんでした。弁護士や図書館司書そしてカウンセラーなどとして香港社会で活躍しています。 夜遅くの船にてマカオへ。予約してあったタイパ・スクゥェアー・ホテルはどの地図にも載っていず不安でしたが、それもそのはず、できて四カ月しか経っていませんでした。中国語で駿景酒店。(詳しくは「マカオ・珠海おもしろ/最新情報」のページをご覧下さい。今後はマカオと珠海についてはそちらのページに書きます) マカオは九月二十五日の立法会選挙に向けたポスターと世界遺産登録を祝うポスター、そして東アジア大会(スポーツの)を盛り上げる掲示が多かったです。とりあえず、八月二十五日までの報告です。(2005.09.08) 八月二六日はマカオ大学の日本研究者野口一良教授と昼食ののち珠海に連れて行ってもらいました。入境手続きが簡略化され、スムーズ。珠海の書店(文華書城)の会員になって、向こう一年間、すべての書籍が一割引に。五十元の年会費はすぐに取り戻せました。地図なども買ったので。(詳しくは、「マカオ・珠海おもしろ/最新情報」欄に書きました)「小号」という珠海の女性詩人の第二詩集を買いました。珠海文学というものが生まれつつあるようです。夜は、ポウサダ・デ・サンティアゴにてポルトガル料理。湖北省出身の文さんとともに。 八月二七日、再び珠海に、日本人のKさんらとともに。夕方、香港電台(RTHK)の林潔賢プロデューサーとマカオのフェリーターミナルで合流し、タイパの「公鶏」にて食事。土曜の夜だったこともあり、三十分待ちでした。ダンウの赤とともに、青菜のスープや鰯。翌日はタイパのハウス・ミュージアムへ。ポルトガル各地の風土・民俗の紹介が出色でした。昼過ぎの「新渡輪」にて九龍へ。夜は、Lamma島の Concerto Inn に投宿。とても良い宿で洪聖爺ビーチの真前。ARENA(Asian Regional Exchange for New Alternatives) の Agnes Khoo 総主事と食事をしました。(2005.09.12記) 八月二九日月曜日、Lamma島を朝八時半に出る船にてセントラルへ、そこで西安行き中国東方航空便(午後六時のMU204)にチェックイン。銅鑼湾の「香港ポスト」オフィスに向かいました。永井氏と打ち合わせ。その後、油麻地にて奈良大学の芹澤先生と待ち合わせをして、何文田の精進料理店にて食事をしました。ベトナム華人のことなどについていろいろご教示を受けました。午後、旺角の Hang Seng Bank と HSBC へ。それぞれの銀行の口座より資金を引き出していたら、空港に着くのが遅れて、西安ゆきに搭乗できませんでした。グラウンド・スタッフのMs Tam とターミナルを走りましたが、ゲートは無情にもクローズされてしまいました。一度「出境スタンプ」も押され、荷物も機内に入っていたので、このあとが大変でした。イミグレの取調室でエアライン職員と取り調べを受け、スタンプをキャンセルにしてもらい、荷物を戻してもらいました。結局、妻の弟の家(馬鞍山)に泊めてもらいました。おかげで、三〇日は「香港海防博物館」に行くことができました。三〇日の夜、西安に入り、翌日は「西安電子科技大学」(略称、「西電」)の田中里実先生に会いました。西安のことは日を改めて書きます。 2005.09.13 八月三一日午前中は大雁塔のある慈恩寺に行きました。ここの図書館には中国各地の仏教系の雑誌類が常置されていて、たくさんの比丘・比丘尼が勉強をしていました。 昼食を「西電」の田中里実先生といただきました。回民のレストランにて。この大学は中国の宇宙開発を担っています。ロシア風の旧校舎と現代風の新しい建物が混在するキャンパスは活気がありました。三年目に入った新設の日文系もこれから伸びるでしょう。田中先生、ありがとうございました。 九月一日午前中は、大清真寺(大モスク)を訪ねました。「アッサラーム・アライクム。イス・ミー・シオデ」と言うと、マレーシアかインドネシアから来たムスリムだと思われました。「香港から来た日本人だ」と言うと、「先週、香港のイマームとアホンが来た」とのこと。とても歓迎され、観光客立ち入り禁止の「内陣」に入れてもらいました。キリスト教徒とイスラーム教徒(そして、ユダヤ教徒も)の信じている神様は同一なので、アラビア語で簡単なお祈りをささげました。内陣には文化大革命中に紅衛兵に破壊された痕がありました。「歴史の証拠として修理せずに残してある」とのことでした。内陣一面に、上部にアラビア語でクルアーンの章句が、下部にその中国語による「解釈文」が彫られていました。歴代の中国王朝とこの地域のムスリムの「友好関係」を示す各時代の石碑が数多くありました。例えば、この地の「知府」が、朝廷から特別の「下賜金」をもらい、モスクを拡張した、という記録など。圧倒的な人口圧力を持つ漢族に囲まれて生きる回族や他のムスリム少数民族が、微妙な政治環境のなかで、王朝との協力関係を築いてきたことがわかりました。回族の方が話す「普通話」は発音が漢族のそれと少し異なり聞き取るのに最初は苦労しました。 九月二四日には京都の立命館大学でおこなわれる「日本語教育学会研究集会 -第7回-」に出席します。(2005.09.22) 9.24 学会の合間に「イシス」に寄りました。スタッフの宮島麻衣子さんが今年いっぱいでお辞めになるとのこと、残念です。ところで、宮島さんは彫金を習っており、10/13-18 まで、京都クラフトセンター(祇園町北側275)にて「わたしの夜店」展に出品するそうです。 日本語教育学会では、第二分科会の姜志鮮さん(阪大院)の報告「『持つ様式(TO HAVE)』と『ある様式(TO BE)』の日本語学習 〜韓国から来たある女性配偶者の語りから〜」が面白かったです。「学び」に対する哲学的な考察が喚起されました。 9/25 Sun. 澳門立法会の選挙で呉国昌氏ら民主派がかなりの票を得ました。詳しくは、「マカオ・珠海おもしろ/最新情報」に書きます。 ShienのSさん。動物占いありがとうございました。また、お願いします。 |
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