2000年9月の日記
9月30日(土)[9月27日(水)の日記はすぐ下にあります]
今日はまた、セン『自由と経済開発』(以下『開発』と記す)第3章の続きである。9月27日の日記で書いたように、第3章「自由と正義の基礎」(p.59-p.98)では、以下の問題が論評されるのであった。
(1)価値判断のための情報ベースの重要性についての一般的問題
(2)社会倫理と正義に関するいくつかの標準的な理論、特に功利主義、自由至上主義(リバタリアニズム)、ロールズの正義論のそれぞれの情報ベースが適切かどうかについての特定の問題
今日は、(2)についてである。センは、それぞれの情報ベースが適切かどうかについて、まず功利主義から順に吟味していく。
なお、ここで訳語について先にふれておく。それは"well-being"と"welfare"である。『開発』(日本経済新聞社)では、"well-being"に「福利」、"welfare"に「福祉」という邦語がそれぞれつけられている。ただし「福利」という邦語は"well-being"だけについているとは限らず、他の箇所(『開発』p.64)では「効用」と訳される"utility"に「福利」という邦語が使われている場合もある(『開発』p.65)。
もっとも、"well-being"と"welfare"、および「福利」と「福祉」もほぼ同じ意味であると考えてよいだろう。そのような訳語の照合より問題であるのは、"well-being"や"welfare"、「福利」や「福祉」の内容がどのようなものであるか、ということである。また以下の読書メモをまとめるに当っては、訳語は『開発』通りに記載することにし、その後に原語をつけることで対応していくこととする。
センによれば、標準的な功利主義の情報ベースは、一定の状況下での効用(utility)の総和である。古典的なベンサム流の功利主義では、ある人にとっての「効用(utility)」は、当人の快楽(pleasure)あるいは幸福(happiness)を何らかの方法で計測したものである。そしてこの考え方は、各人の福利(well-being)に注意を払うということである。
(続きは明日以降)
9月27日(水)
今日は、センの『自由と経済開発』(以下『開発』と記す)第3章である。この章は、センの「自由」に対する考え方が出てくる重要なところである。
第3章「自由と正義の基礎」(p.59-p.98)では、以下の問題が論評される。
(1)価値判断のための情報ベースの重要性についての一般的問題
(2)社会倫理と正義に関するいくつかの標準的な理論、特に功利主義、自由至上主義(リバタリアニズム)、ロールズの正義論のそれぞれの情報ベースが適切かどうかについての特定の問題
センはこの論評を通して、個人の本質的な自由が重視される場合、功利主義、自由至上主義、ロールズの言う正義がそれぞれ用いている情報ベースには、明示的にせよ暗黙のうちにせよ深刻な欠陥があるとも論じる。なおセンによれば、自由とは、ある人間が価値あるものと判断することを行なうことのできる個人的な潜在能力(capability)という形での自由である(潜在能力については後に詳述される)。
まずは、(1)についてである。センによれば、価値判断のためのそれぞれのアプローチ(功利主義、自由至上主義、ロールズの正義論)は、それが基づく情報ベースによって大きく特徴づけられる可能性がある。その情報ベースとは、そのアプローチを用いて判断を下すときに必要な情報、そしてそのアプローチにおける直接的な評価の役割から「除外された」情報である。
例えば、功利主義的原則は最終的に効用にのみ依拠する。かりに動機として有益なものが多いに計算に入れられるとしても、最終的に物事の状況の評価、行為やルールの査定の唯一の適切な基礎とみなされるものは効用に関する情報である。古典的な功利主義では効用は快楽、幸福、満足と定義され、現代版の功利主義では欲望の達成、ある人が選択した行動の提示の一種とみなされる。
それに対して自由至上主義は、幸福や欲望の充足には直接的な関心は払わない。自由至上主義の情報ベースは、全面的にさまざまな種類の自由と権利から成り立っている。
センは以上のような議論をもとに、それぞれのアプローチの利点と限界を、その情報ベースの到達範囲と限界を調べることによって理解しようとする。そして、評価と政策形成に関連して通常用いられるそれぞれのアプローチで出合う問題を基に、正義についての別の考え方の輪郭を描こうとする。
(続きは明日以降)
9月28日(木)
今日は、何だか元気がない。おそらく、朝食を抜いたのと、血を採られたからであろう。今日は、仕事先の健康診断だったのである。そのために、今日は朝食も取ってはならなかったのだ。
受付で用紙をもらってから、レントゲン検査→検尿→視力→体重→聴力→血圧→体重→内科検診→心電図検査→血液検査、という項目の健康診断を受けた。
だがしかし、だがしかし、血液検査ってあんなに血を採るものなのだろうか。脱脂綿でひじの裏側をこすり、注射針をさして、だんだん注射器の容器に血液がたまっていって、「もう終わるのかな」とか思っていたら、次から次へとその容器を取り替えていって、「おい、いつまで採ってるんだよ」などと思っているうちに、結局3本分も採られてしまった。おかげさまで、今日は一日ブルーであった。授業しているうちに、だんだん頭が痛くなってきたぐらいである(多分これは、ただの思い過ごし)。
・・・もちろん検査に必要なのだろうけど、それでも何か釈然としない。「それ、おれの血液なんだけど」とか言いそうになったぐらいである。せめて「これぐらい採りますよ」とか事前に言ってくれれば、こっちだってまだ心構えが出来るであろうものを。
血って、やっぱり「自分のもの」なのですね。しかし、ここでいう「自分のもの」という感覚も、結構いい加減なものだと思う。つまり、何を「自分のもの」と感じるのかというのは、「所有」の観点からよりもむしろ「日常性」の観点から見ていった方が、我々の実感にあっているような気がするのである。
「所有」というと、すぐに「どれが(どこまでが)自分のものなのか」という論争になってしまう。しかし、そこに「日常性」という概念を入れて考えてみる。すると、<自分の日常性を破る物事が出てきた際に、それと関連して意識される何か>が「自分のもの」である、と考えることが出来る。つまり、「自分のもの」である「もの」というのは、自分の失われた日常性を修復するために呼び出される「もの」のことであり、その「もの」は必ずしも実体を伴わなくてもよい。
例えば、「基本的人権」も実体を伴わないものであるが、「何か」が侵害された(されている)と感じたとき、その「何か」が「権利」として呼び出される。そして、もしもその「何か」が「権利」として法律の中で認められていないなら、その「何か」に応じた「権利」が創出される。だから「基本的人権」は、「規定されているもの」であると同時に「発見されるもの」でもある。
本当は、ここで立岩真也『私的所有論』(剄草書房)でも取り上げてもっと議論するところであるが、何せ今日は元気がない。だから、今日の日記はここでおしまいである。
9月25日(月)
今日は、センの『自由と経済開発』(以下『開発』と記す)第2章である。昨日はピアソンかと思ったら、今日はまたセン。われながら、気まぐれだ。しかし、毎日一つの本ばかり取り上げていると、読書メモをまとめる方もさすがに飽きる。だから、何時の間にかこんな感じになってしまうのは、私の感情的都合である。
さて、第2章「開発の目的と手段」(p.37-58)の冒頭では、開発のプロセスに対する正反対の態度・考え方が登場する。
@開発を「苛烈な」プロセスと見る態度
A開発を本質的に「優しい」プロセスと見る考え方
@においては、極貧者を保護するための社会的安全ネットを設けること、国民全体に社会サービスを提供すること、「時機尚早」の政治的、市民的権利や民主主義という「ぜいたく」は、開発のプロセスが十分な成果を生んだ後で始めて維持できるものなのであり、今現在必要なのは「厳しさと規律」だ、というものである。
センは、『開発』のアプローチはAに合致するところが多いという。これは開発を、人々が享受する真の自由を拡大させるプロセスと見ようとするものである。
センによれば、自由の拡大は、
(1)最初に目指されるべき目的
(2)開発の主要な手段
の二つの側面を持つ。これらはそれぞれ、
開発における自由の(1)「本質としての役割」
(2)「道具としての役割」
と呼ぶことが出来る。
自由の(1)「本質としての役割」は、人間の生活を豊かにするうえでの本質的な自由の重要さと関わる。本質的な自由には、飢餓、栄養失調、避けることの出来る病的状態や若死といった欠乏状態を回避することが出来る基本的な能力、識字や計算能力、政治的参加の享受、検閲のない言論等々と関係のある自由が含まれる。
したがってセンによれば、政治的な参加や異議申立てが「開発の助けになる」のか否かという問いそのものに、そもそも欠陥がある。なぜならその問いは、政治的な参加や異議申立てが開発そのものの構成部分である、というきわめて重要な理解を欠くものだからである。
開発のプロセスを人間の自由の向上を基準に判断するのなら、開発には自由を奪われている状態を解消することが含まれなくてはならない。当人が発言したり参加する自由に当面は関心を持たないとしても、これらに関して選択のない状態に留め置かれるのならば、やはり自由の剥奪と言わねばならない。
一方、自由の(2)手段としての役割は、いろいろの種類の権利、機会などがどのように開発の促進に寄与するかに関わる。そのような「道具としての自由」として、センは以下の5つを重視している。
(1)政治的自由…誰がどのような原理に基づいて統治するのかを人々が決定する機会
(2)経済的便宜…個々の人間が消費、生産、交換の目的で経済資源を活用するために享受する機会
(3)社会的機会…個々人がより良い暮らしを来るための本質的自由に影響を与える教育、保健などについて社会が整える体制
(4)透明性の保証…人々が情報公開を期待でき、そのもとで互いに取引をする自由
(5)保護の保障…社会的安全ネットの提供
9月24日(日)
今日は、高橋尚子の金メダルだけか・・・と思っていたら、あっという間の巨人優勝。巨人ファンの父親(巨人が負けると機嫌が悪くなる)も、さすがにご満悦。いや、めでたい、めでたい。
さて、またピアソン『曲がり角にきた福祉国家』(未来社)の続きである。今日から取り上げる第2章では、福祉国家(論)に反対の立場にある議論が取り上げられている。第2章の最初に登場するのは、ニュー・ライトである(p.82-98)。
ピアソンによれば、ニュー・ライトは、社会民主主義と福祉国家とをほとんど同一のものと見なし、他方で、社会民主主義と福祉国家が、道徳的自由や政治・経済的自由とは両立できないと批判し、それらの自由は、自由主義的資本主義においてのみ保障できる、と主張している。代表的な論客は、ミルトン・フリードマンとフリードリヒ・ハイエクである。以下が、ピアソンが彼らの主張をまとめた6項目の要約である。
1 福祉国家は非経済的である。
2 福祉国家は非生産的である。
3 福祉国家は非効率的である。
4 福祉国家は効果的ではない。
5 福祉国家は専制的である。
6 福祉国家は自由の否定である。
さらに、この内容を受けてピアソンがまとめたのが、以下のテーゼ5である。
テーゼ5:福祉国家は、福祉と自由を最大化する自由市場社会の基本原則に対する、不適切で無原則な侵害である。それは、自由、正義、および真の長期的な福祉に相反する。
ここで問題になっているのは、「自由」とは何かということである。しかしこの問題に関しては、現時点の私ではすぐに何か言うことは出来ない。今日は、いわゆるニュー・ライトの議論をこんなにコンパクトにまとめることが出来ただけで良しとしよう(その点でも、このピアソンの本は優れものだと思う)。
9月23日(土)
今日いつものように仕事にいくと(前にも書いたが私は塾講師をしている)、次から次へと電話が掛かってくる。そのほとんどが私宛ての電話で、出ると「今日は運動会で疲れてしまっているので、塾は休ませていただきます」という母親の言葉。結局、私の受け持ちクラスは半分以上の生徒が欠席した。今週末は、学校の運動会シーズンなのである。
・・・やっぱり何も思い出せない。勤務中も「そういえば、自分のときの運動会ってどんなだったっけ」と考えてみたのだが、その時もほとんど思い出せなかった。どうやらこれは、忙しかったからというのではなさそうである。
「運動会ってろくなことがなかった」というところまでは覚えているのだが、それが何だったのか、今となってはさっぱり覚えていない。さらに、ついこの間までしっかりと体に残っていたはずの「不快感」自身も、ほとんど蘇ってこない。
それよりも現在の私が気になっていたのは、「雨の中で生徒たちは風邪などひかなかっただろうか」ということであった。
今日は、運動会にとってはあいにくの雨だった。朝は降っていなかったのに、昼ごろからだんだんと降ってくるという、運動会を運営する側にとっては最悪の展開だったであろう。学校の先生の苦労が偲ばれる。いや、一番大変だったのはやはり生徒だったろう。なにせ、彼らはずぶ濡れになるまで校庭にいなければならなかったのだから。
子どもが雨で濡れたままになっているというのは、常識的に考えてもあまり良いことではない。しかし何せ「運動会」であるから、そんなに簡単には中止にならない。事実、運動会が終わった後にきちんと塾にやってきた生徒は、「全身ずぶ濡れになった」と言っていた。
そういう話を生徒としていると、やっぱり「残念だったね」と思うし、そう生徒にも言ってしまう。「そんな雨の中、どうして学校の先生は迅速に判断できないんだ」などと思うよりも、「せっかくの運動会なのに、雨が降って残念だったなあ」という感想の方が強くでてしまう。
子どもの頃は運動会が嫌いだったのに。そして、つい最近までその「嫌悪感」が体に残っていたはずなのに。
これは、「どんなに嫌なことでも、年を取ればいい思い出に変わっていく」というのではない。むしろ現在の私の実感は、「そんなこと、大したことではなかったのだ」というものである。そして大したことではないからこそ、どうせなら雨など降らずに済ませてほしかったのである。
つい先日、どこかの高校宛てに「文化祭を中止しろ」という脅迫文が送られる、という事件が発生した。これは私の個人的な想像なのだが、きっと送り主はその高校の現役の生徒か卒業生で、文化祭が嫌いなのだろう。別に説教を垂れる訳ではないのだが、その彼には、「そのうち忘れてしまうような小さなことで、犯罪者になってしまうのはつまらないことだ」と言ってあげたい。
「忘れる」ことが物事に対する最高の復讐である、と思うようになったのは、つい最近のことである。
「雨の日の運動会」ということで、つい思いついたことを長々と書いてしまった。たわ言だと思って、すぐに忘れてほしいものである。
9月22日(金)
今日から、セン『自由と経済開発』(日本経済新聞社)も取り上げる。これは、もうピアソンの本を取り上げないというのではない。ただこの日記で、他の本も同時に取り上げていきたいと思ったので、このようにしただけである。
まずは、序章「自由としての開発」である。ちなみに、この『自由と経済開発』(以下『開発』と表記)の原題は"Development
As Freedom"であり、序章のタイトルと同じである。
開発とは、人々が享受するさまざまの本質的自由を増大させるプロセスであると見ることが出来る。
この一文から、序章は始まる。そしてこの一文の実質的な内容を、センは以下の議論全体を通じて明確にしていく。センが上の一文において想定している「論敵」は、開発を、国民総生産(GNP)の成長・個人所得の上昇・工業化・技術進歩・社会的近代化などと同一視する狭い見方である。
センによれば、開発の目的は不自由の主要な原因を取り除くことである。不自由の主要な原因とは、貧困と圧政・経済的機会の乏しさと制度に由来する社会的窮乏・公的な施設の欠如・抑圧的国家の不寛容あるいは過剰行為などである。
ここでセンは、自由が、開発の過程にとって何よりも重要である理由を二つあげる。
(1)評価にかかわる理由−進歩の測定は、人々が持つ自由が強化されたかどうかを主たる基準に行われなければならない。
(2)効果にかかわる理由−開発の達成は人々の持つ自由な力(agency)に全面的に依存している。
ここでセンは、特に(2)について、「異なった種類の自由がお互いを強化するような連関」の意義への注意を読者に呼びかけている。そして、(2)で示されているような、(個人の)異なった種類の自由と社会開発の達成との関係が、『開発』全体のテーマであるとしている。
この後センは政治的自由と社会的自由と経済的自由とが互いに関連していることについて触れ、それらをもとにして開発を次のように位置づける。
開発とは相互に関連する本質的自由が一体となって拡大していくことである。
開発に対するこのような考え方が、経済的・社会的・政治的問題が一体となった総合的な開発の過程を考察するために、センが『開発』で採用するものである。
センによれば、この考え方は、開発で数多くの異なった制度が果たす枢要な役割を同時に認めることを可能にする。それらの制度には市場とそれに関する組織・政府と地方当局・政党と市民組織・教育施設と開かれた対話や討議(メディアとそのほかのコミュニケーションの手段の役割を含む)の機会などが含まれる。
9月21日(木)
昨日の日記は、曜日が間違っていた。昨日が水曜日で、今日が木曜日。といっても、実際は夜中に書いているので、日にちや曜日の感覚は結構いい加減である。
さて、ピアソン『曲がり角にきた福祉国家』第1章の続きである。第1章に出てくる「テーゼ3」および「テーゼ4」は、それぞれ以下の通りである。
テーゼ3:福祉国家は産業的・政治的動員の産物である。福祉国家はまた、資本主義の漸進的な変革を目的とする社会民主主義の政治的な計画の成功をあらわしている。
テーゼ4:福祉国家は、社会民主主義の政治的力と資本の経済的力との闘争の産物である。社会民主主義のヘゲモニーのもとで福祉国家がさらに発展すれば、資本主義から社会主義への漸進的な移行が可能となる。
この両者は、「政治」と「経済」(社会システム理論的にいうと、政治システムと経済システム)の関係について言及している点において共通している。
テーゼ3が想定しているのは、ケインズ主義的福祉国家=経済生活に対する政治的統制のシステムである。ピアソンによれば、以下のような社会民主主義が抱える問題に対しては、ケインズの「管理された資本主義」という提案が、簡にして要を得た解決策を与えている。
その社会民主主義が抱える問題とは、どのようにして経済を支配する私的資本と対立することなく、社会民主主義の広範な支持層のために改革を行ない、社会主義へむけての長期的な展望を持ち続けるか、というものである(p.56-58)。
一方テーゼ4が想定しているのは、「権力資源モデル」であり、それは先進資本主義社会における経済的な力の行使と政治的な力の行使とをはっきり区別することで、市場と政治とを対比的に扱う理論モデルである。そのモデルによれば、動員され使用される権力資源の種類は、市場の場合と政治の場合とでは、階級の結びつき方が異なる。
経済の領域においては、決定的な権力資源は資本財的資産をコントロールすることであり、その行使のメカニズムは(賃労働)契約であり、その主たる受益者は資本家階級である。政治の領域においては、権力は数の大きさから生じ、それは民主主義的過程を通じて動員され、「数の上で大きな集団」、特に組織された労働者階級に有利にはたらく傾向がある。
それゆえこのモデルに従えば、先進資本主義における(資本家団体と労働組合との間の)制度化された権力闘争は市場の論理と政治の論理との間の闘争ということとなり、市場と政治との緊張が社会的市民権や福祉国家の発展に反映されるということになる。そして福祉国家的な政策や制度の創出および促進は、資本主義から社会主義への漸進的移行のための効果的な戦略となり得るのである(p.60-62)。
以上のような議論は、確かに経済と政治との関係について言及している点で非常に興味深い。しかし、ここで想定されている「緊張」や「闘争」というのは、結局は広い意味での「経済的領域」の中でのものを指しているに過ぎないのではないだろうか。
このモデルでは経済的領域の代表者を「資本家」に置き、彼らをコントロールすることによって経済的領域をコントロールしようとしているが、経済的領域は「資本家」だけのものではない。それは、もっと包括的な社会現象である。したがって「経済を政治が統制する」というのは、ただ単に「経済的領域」内での議論ということになるのではないか、と私は考えるのである。なお、明日からはセンの議論も取り上げることとする。
9月20日(水)
おとといの日記は、ちゃんと転送できたようである。きのうは疲れて帰ってきたので(アルコールも入っていた)、とても日記を書くような状態ではなかった。だから、きのうの日記がないのは、ハード障害ではない。念のため。
さて、ピアソン『曲がり角にきた福祉国家』第1章の続きである。第1章に出てくる「テーゼ2」は、以下の通りである。
テーゼ2:福祉国家は、産業化という状況において、完全な市民権の獲得を目的として成功した、政治的組織化の産物である。
ピアソンはここで、福祉国家を考えるための方法としての「近代化アプローチ」というものを取り上げている。近代化アプローチとは、産業主義のテーゼに、政治的な視点を加えて考察する方法である。ピアソンによれば、この立場をもっとも明晰に述べたものとして、T・H・マーシャルの著作を挙げる。マーシャルは、イギリスの過去300年にわたる近代化過程を、市民権の全般的な拡大の過程と性格付けた。
マーシャルは三種類の権利−市民的権利、政治的権利、社会的権利−をそれぞれ「代表的な」歴史的区分とともに区別するが、それらの権利は、イギリスにおいて過去300年間にわたって積み重ねられ獲得されてきたものだとする。以下は、マーシャルの議論をマーシャル自身が表にしたものである。
市民的権利 政治的権利 社会的権利
指標となる時期 18世紀 19世紀 20世紀
中心となる原理 個人的自由 政治的自由 社会福祉
代表的実現手段 人身保護法、 投票権、 無償教育、
言論・思想・ 議会の改革、 年金、医療保険
信仰の自由、 議員への (福祉国家)
法的契約を 給与支払い
締結する自由
→ → → → 累 積 的 → → → →
このような説明によれば、福祉国家(の登場)は、市民権の拡大という、より広い意味での進歩の歴史の一部、言い換えれば「近代化」の歴史の一部として捉えられるのである(p.48-52)。
以上の議論は、「権利の拡大過程」を座標軸にしているところが確かに興味深い。そして以上のように作られた表は、確かに福祉国家を理解するための図式としては明確なものだと言えるだろう。
しかしこのようにだけ「権利」を捉えることは、結局のところ「国家」対「市民」という対立しか捉えられないのではないだろうか。そのような思考では、社会的相互行為の総体をそのまま「国家」として捉えてしまうことになることが懸念される。それでは、様々な社会関係を捉えることができないいのではないか、と私は考えるのである。
(続きは明日以降)
9月18日(月)
早々と、本日の日記である。ちなみに現在、午前11時18分である。以下、9月18日早朝(というより夜中だが)の顛末である。
・・・下にある9月17日分の日記(これって日記というよりただの読書メモだ)を書いて、さあ転送しようと思ったら、
サーバー・・・のユーザーIDまたはパスワードが違います
ん? おかしいなあ、いつもと同じようにやっているはずなんだけど・・・。まったく、これだからホームページ・ビルダーってダメなんだよ(ホームページ・ビルダーでないとHPがつくれない方がよっぽどダメである)、とか思いながら何度も何度も同じ手順を繰り返すが、そのたびに同じエラーメッセージが出る。もしかしたらパスワードがおかしくなっているのかなあ、などと頭の悪さ丸出しの予想を立てながら、niftyのHPにいくことにする。パスワードを変更して(我ながら意味不明の行為である)、さて、これで大丈夫かなあ(大丈夫のはずがない)とか思いながらもう一度転送しようとするが、やっぱりダメである。これってもしかしてniftyの方に問題があるんじゃないのか? とか思いもう一度niftyのHPにいく。自作HP専用のページにいき、メンテナンス情報など見るが、何も書いてない。そこでふと、じゃあ自分のHPはどうなっているんだ? とか思っていってみたら、
このホームページは、作成者が公開を許可していないため、閲覧できません
・・・え?おれ、いつ許可しなかったんだ? と訳の分からない疑問文を頭に思い浮かべながら、もう一度niftyの自作HP専用のページにいく。どこかに情報はないのか?と思いながら見回してみると、上の方に
サービスの停止/公開
という項目がある。ここかな?と思いいってみると、そこでは自分のHPを公開にするか一時停止にするかを選択できるようになっている。もしかして、と思って自分のHPがどういう状態になっているかを確かめたら、
現在の状態:一時停止中
・・・ええ?おれ、いつ停止したんだ? とまたもや訳の分からない疑問文を頭に思い浮かべながら、朦朧とした(いつもそうなのだが)頭で考えてみる。もしかしたら、このHPの内容を快く思っていない輩が勝手に停止させたのかもしれない、などともはや妄想としか思えないような想像をふくらませながらも、これはもうnifty側の問題でしょう、と思い寝ることにする。
で、起きて朝食をとって、自分のHPに接続したら、何の問題もなく閲覧することが出来るではないか。あれって、いったい何だったんだ? とか思いながら取りあえず安心して、9月17日分の日記を転送した。
・・・以上である。こうやって振り返ってみても、自分がいかに素人であるか(だいたいホームページ・ビルダー使っている時点でずぶずぶである)、恥ずかしい限りである。
さて、この日記、うまく転送できるのだろうか?
9月17日(日)
ピアソン『曲がり角にきた福祉国家』の続きで、第1章の途中からである。この本でピアソンは、「各節の終わりには、本文で概説された主張を要約する短いテーゼをかかげて」(p.21)くれている。そして第1章で始めて出てくるのが、以下の「テーゼ1」である。
テーゼ1:福祉国家は、産業社会の発展によって生じた必要の産物である。
ではこのテーゼの意味するところについて、本文に則して見ていこう。それによると福祉国家は、産業革命と政治革命との相互作用に、その起源を見出すことが出来る。以下は、その要点である。
1 産業化(大規模な工業生産の出現)の影響
a 農業就業者と農村人口が長期的に低落した
b 後半な都市化→大都市の発達と典型的都市型「生活様式」が普及した
c 土地を持たない(工場労働に従事する)都市型労働者階級の発生
d 熟練の、読み書きのできる、信頼できる労働力の必要となった
e 労働者が非自発的に賃労働を見出せない状態が、「失業」として認められた
f ホワイト・カラー層の効用が増大し、中間階級が成長した
g 歴史的に前例のない豊かな富をもち、持続的で長期的な経済成長が行われる社会が創出された
2 人口の増加と人口の社会構成上の変化
a 家族生活や地域生活の形態が変化した
b 労働人口と非労働人口、「家庭」と「労働」との分離が進んだ
c 幼児死亡率が減少し、平均寿命が伸長した
d 労働力に算入されないことを公認された層(老齢退職、病気、能力喪失、育児、学業専念)が出現した
3 国民国家の成長
a 国内の平和
b 政府権力の中央集権化
c 「専門化された」行政事務の発達
d 新しい監視技術と進歩した通信網を介した、国家権能の増大
4 政治的民主主義の成長・政治的市民権の台頭
a 法的市民権の拡張
b 選挙権の拡大
c 社会民主主義政党の発展
d 労働者階級にかかわる「社会問題」ないし政治「問題」の著しい増加
このような多岐にわたる項目に関する変化によって福祉国家が生まれてきた過程を、ここでは「産業主義の論理」と呼んでいる。「産業主義の論理」によれば、福祉国家は産業社会の「必要」の産物なのである。そして資本主義であろうと共産主義であろうと、先進世界における社会を特徴づけているのは産業社会という点に他ならず、この二つを政治的に区別することは不適切なものとなったのである(p.34-40)。
以上の議論で気になるのは、「社会」という用語の使い方である。どうも「国家」と「社会」の区別が、これまでの議論では明確でないように思われる。こういうところに社会学の入り込む余地がある、と私は思うのである。
(続きは明日以降)
9月16日(土)
今日はあいにくの雨。おまけに雷がひっきりなしに鳴っている。仕事から帰ってくるときに、横須賀線が停まっていた。やはり雨の影響なのだろうか。
急いで家に帰る。食事を済ませた後、本を読む。雷が鳴っていても、家の中にいるのでそんなに気にならない。それよりこの暑さ、なんとかならないものか。
今読んでいるのは、ギデンズ『社会学の新しい方法基準 第二版』(而立書房)。この前、横浜の書店で買ってしまったものである。私は本を読む場合、100ページを超えたあたりからようやく面白くなってくるということが多いのだが、このギデンズの本の場合は、200ページまでかかった。で、この本は本文が271ページで終わるので、面白くなったら終わり、という具合になりそうである。
外は雨も止んだ。虫の声が聞こえる。たまには、こんな日記っぽい文章もよかろう。
9月15日(金)
ピアソン『曲がり角にきた福祉国家』の続きで、今日から第1章に入る。ピアソンは、この章も含めた始めの3章で、資本主義、社会民主主義、そして福祉国家の関係が、これまでどのように理解されてきたかを明らかにしようとする。その前に、始めの二つの用語の意味づけが、ピアソンによってなされている(p.23)。
1.資本主義…私有に基づく商品の生産と交換を基礎とした経済的(かつ社会的)システムを意味している
1’.先進資本主義…1.で規定した資本主義の経済的(かつ社会的)システムが、北アメリカ、西ヨーロッパ、日本やオーストラリアといった最先進国社会において発展したものを意味する
2.社会民主主義…先進資本主義経済において、労働者を組織することによって利益の増進を求める、改良主義者の主張を基盤とした、政治運動、イデオロギー、およびその実践を意味する
そして、福祉(welfare)である(p.24)。
福祉(welfare)…「幸福(well-being)」もしくは「幸福のための物質的社会的諸条件」を意味する
さらに、福祉という用語が持つ意味は、通例、以下の三つに分けられる(p.24)。
@社会福祉…広く、福祉の集産主義的な(また、ときには社会事業をつうじた)供給または享受を意味する
A経済的福祉(厚生)…市場もしくは市場経済を通じてもたらされた社会福祉の供給の形態を指す
B国家による福祉…国家の機関をつうじてもたらされた社会福祉の供給を意味する
ピアソンによれば、議論に混乱をきたすのは、あたかも三区分のうちの一つで福祉の全ての形態が網羅されているかのように論じたり、あるいは、たとえば国家福祉は社会福祉と同義であるという仮定にみられるように、それらを置き換え可能であるかのように論じたりするからである。このような先行研究を踏まえて、ピアソン自身は、以下の二点を重点的に論ずると記している(p.24-25)。
T.国家によって供給される福祉の形態、およびそれと市場経済の構造との相互関連について
U.国家または市場経済の外部(教会、ボランティア団体、家庭)で調達される福祉のあり方について
ここまでの議論を踏まえて、ピアソンは福祉国家という用語が持つ意味について、以下のように記している。
福祉国家(狭義)…基本的な福祉サービス(しばしば保健、教育、住宅、所得保障、対人社会サービスに限定される)を供給する国家の施策を意味する
福祉国家(広義)
@.国家の特殊な形態
A.政治組織の特別な形態
B.社会の独特な一類型
そしてこの本でピアソンは、資本主義のもとにある福祉国家を、一般的にB.の意味で捉えている。すなわち、生活上の機会を、個人対個人の間にせよ、もしくは階級対階級の間にせよ、再配分するために、国家が経済的再生産と分配の過程に介入する社会、という意味に解しているのである。
このような議論から、前にも書いたかもしれないが、「福祉」という概念が国家とだけ密接に結びつくものではなく、もっと広い社会的領域について語ることの出来るものであることが分かるだろう。しかも今日のところで分かったことは、「福祉国家」という概念がすでに「社会」という概念にとって代わられているということである。
(続きは明日以降)
9月14日(木)
今日で、ホームページを開設してちょうど一ヶ月である。長かったような、あっという間のような、複雑な心境である。仕事で忙しかった時を除いて、何とかほぼ毎日この日記を書き続けていくことが出来た。本当はこんな風に、日記形式をとるつもりはなかったのだ。ある程度まとまった文章を、週1回ぐらいのペースで更新していけばいいと思っていたのだが、自分の予想よりもずっとこの「日記」という形式に関して面白く感じている。その理由はいくつかあるのだが、一つは「昨日と違うことを書いても気にならない」ということである。つまり、昨日はこう思っていたが今日は考えが変わったということはよくあるのだが、日記なら昨日は昨日、今日は今日と切り離して書きやすい。もう一つは、ここ数日のように、自分の勉強のペースメーカーとしてこのページを使うことが出来るということである。毎日少しずつでも本を読んでまとめるということによって、少しでも勉強になればと考えている。取りあえず、もう少しこのままで続けていきたい。
さて昨日の続きで、「序論」を見ていこう。この『曲がり角にきた福祉国家』でピアソンが検討するのは、「福祉国家」を乗り越える発展の必要を説く人々の、以下のような主張である。
@福祉国家は、長期的には、健全な市場経済とは両立しえない。ただ、戦後期における経済成長を可能にした例外的に良好な環境のみが、経済成長と福祉国家の拡大とを同時に許容したに過ぎない。
A福祉国家の発展は、近代資本主義社会の進化の過程で必要不可欠の部分であった。しかしながら、その驚異的な成長の時期は、歴史的にはいちどかぎりのものでもあった。
B国際政治経済が変化したことにより、国民単位の福祉国家を増進させてきた環境は、ますますそこなわれることになった。
C戦後の福祉国家は、資本の諸力および利益と、組織された労働の諸力および利益とのあいだの「歴史的妥協」を意味したが、いまやそれは、どちらにとってもますます魅力のないものになっている。
D福祉国家による福祉供給(とくに公衆衛生と公教育)が拡充されると、そのこと自体が社会的変化を引き起こし、国家が継続的に福祉供給を行なう必要性を低下させ、また、公的福祉供給に対する継続的な支持の基盤を弱める結果を招いた。
E福祉国家が意味するところは、現在達成されている社会的・経済的水準に見合った、十分な福祉サービスを供給する適切な制度的措置を講ずることであるが、持続的経済成長によって、これら福祉供給のあり方は、ますます不適切なものになった。
F福祉国家の政治的プロジェクトは、歴史的には進歩として理解されるべきであるが、今後の進歩は、在来型の福祉国家政策を引き続き促進していくことによってはもたらされない。
以上の主張をまとめてみると、「福祉国家の歴史的使命は終わった」ということになるであろう。それはつまり、「福祉国家」がこれまで資本主義経済の発展に果たした役割は十分認めるが、もはや時代の流れにあっていない、ということである。ピアソンは、この主張に以下の議論で反論するのだが、私自身としては「福祉国家」という形態は再考すべきものだと考える。しかしそれは、徒に福祉分野の国家予算を削るということではなく、「福祉」というものを考え直すというものである。
(続きは次回以降)
9月13日(水)
昨日の続きで、「序論」を見ていこう。昨日の日記でまとめたような福祉国家に対する見解は、「ひろく一般に共有されているわけではなく、ましてや無条件に受け入れることが出来るものでもない」(p.16)。以下は、それぞれの立場からの反論である。
1.左派系の立場から…福祉国家の出現は、資本の側の労働力再生産コストに補助を与えるとともに、労働力階級の側の変革を弱めた
2.右派寄りの批評家から…福祉国家は、17世紀と18世紀の偉大な革命運動によって創りだされた自由社会の根本的な前提をそこなうものである
もっともそうは言っても、1960年代末までは、福祉国家に対する以上のような見方は「左右の政治的両極」に属する異端者」(p.16)だけであり、専門家の間で広い意味でのコンセンサスは成立していた。しかし、「このような状況は、1960年代末から1970年代初頭にかけて経済が後退し、社会が大きく変動し、それにともなう政治的な変化がおこるとともに、一変するにいた」り、「それどころか、現代の社会的・経済的・政治的な困難の多くは、福祉国家の持続的な成長に直接その原因があるという信念が、またたくまに、新しい通説のように定着していった」(p.16-17)。以下は、そのような「新しい」福祉国家批判のうちのいくつかである。
@ニュー・レフトおよびニュー・ライトの理論…市場経済ほんらいの働きと国家による福祉の供給とは両立不能である
Aフェミニストや反人種差別主義者の原論および思想…社会政策の底辺で長い間抑圧されていた女性や少数民族に対して、福祉国家がその不利益を助長している
B緑の運動…社会民主主義的福祉国家が都合よく前提とする、持続不可能な経済成長や官僚主義的な公共サービスが有害な帰結をもたらす
ここまでの引用から見えてくるのは、「国家」という枠組そのものが通用しなくなってきているということである。それは言い換えると、それまで「福祉国家」という概念で表していた社会・経済・政治の一体性が信じられなくなり、それまで「福祉国家」そのものの発展と見られていた現象が、ただ単に政治的領域(官僚主義的な公共サービスに代表されるような)の肥大化でしかなかったという認識が行き渡ってしまった、ということである。だから@のように市場経済の独自性が強調されたり、Aのように「社会の中の置いていかれた人々」がクローズアップされたり、Bのように「官庁主義的な公共サービス」の「暴走」が指摘されたりするのである。
(続きは明日以降)
9月12日(火)
この日記も、ここ数日停滞気味である。まるで、昔自分が考えていたことを適当に書いて、お茶を濁しているようにも見えてしまう。これではいけない。そう思った私は、自分を叩き直そうと、ずいぶん前に買ったまま本棚に置きっぱなしになっていたクリストファー・ピアソン『曲がり角にきた福祉国家』(未来社)を引っ張り出した。これは、立岩真也『私的所有論』(剄草書房)でも引用されているぐらいだから、この分野では名の通ったものなのであろう。実は買ったときから「すぐに読まなくては」と気にはなっていたのだが、どうも読む気にならなかったのだ。
「福祉」についてもう一度考え直さなければならない、と思っているのである。この本のタイトルにも、「福祉国家」という用語が使われている。しかし、「福祉国家」という四字熟語のままでいいのか。「福祉」と「国家」を切り離して考える必要があるのではないか。そう思って本を開いてみると、さっそく「日本語版への序文」に「福祉は国家が供給するのが当然といった従来の考え方は再検討をせまられ、新しい福祉のあり方が模索されつつある」(p.1)と書かれている。しかしこの本は、巻末の「解説」を読めば分かるように、福祉国家および福祉国家論を批判するものではない。逆に、「1970年代後半に「福祉国家の危機」論が強まって以来、ニュー・ライト、ネオ・マルクス主義、新しい社会運動などさまざまな政治的立場から提起されるようになった福祉国家批判(著者自身のことばでいえば、「福祉国家を越える(beyond
the welfare state)」ことをめざす議論や実践的動向)を、理論と実証の両面から検討し、批判していくことにある」(p.414)。ちなみに、この本の原題は"Beyond
The Welfare State?"であり、日本語に直せば「福祉国家を越える?」である。
福祉国家というものが、これまでどのように捉えられてきたのか。まずこの点について、「序論」から見ていくこととする。箇条書きにすると、以下の通りである。
@じゅうぶんかつ平等な市民権を獲得するために何世紀にもわたって続けられた運動の完成
A組織的な労働運動が、資本の側の権力と断固敵対することをやめるのとひきかえに勝ちとった代償
B労働運動の側にたつ政治勢力の決定的勝利を意味するとともに、社会民主主義の「ポジティブ・サム(正和)」的な改良主義の正しさを立証するもの
C政治的な産物であるというよりも、産業と経済の進歩に付随する技術的な産物であり、産業化という名の非人間的な暴力を「文明化する」過程の最終段階に位置するもの
D資本主義をまったく新しい社会的・政治的組織形態に変革すること(それを社会主義とよぼうがよぶまいが)の完成
E資本主義の道筋にそった、漸進的かつ慈恵的な発展
(続きは明日以降)
9月11日(月)
昨日の日記もまた、言語ゲーム論で終わってしまった。何かいろいろ考えていくと何時の間にか言語ゲームの話題になってしまうのは、この日記の悪いクセである。ということは、私自身も言語ゲームに強くひかれていたということである。しかし、私が私なりに言語ゲームを学んだ上で言おうとしていたことは、他の人たちが言語ゲーム論を通じて主張したかったことと違うのではないか、と私は思っている。
私が「言語ゲーム」というものに始めて触れたのは、橋爪大三郎『言語ゲームと社会理論』(剄草書房)である。例えば、この本の次のような文章に、強く心をひかれた。「<言語ゲーム>というのはどうやら、「主体」や「世界」―これまでわれわれが慣れ親しんできた知の体系の部分品―を産出するようなメカニズムそのもののことである(らしい)。<言語ゲーム>は、決して社会の片隅で営まれる特別のゲームのあれこれのことではなく、それらをどれも含むけれどもそれらの総計よりもっと大きな、この社会の秩序そのものに匹敵するもののようである。われわれ社会的人間は、たかだかこの<言語ゲーム>の駒にすぎないし、また社会にしても、そのゲーム盤にすぎない」(p.3)。このような社会イメージに、私はひかれたのだ。
私という個人には決して見えないが、その私の意識を産出するメカニズムが私の外側にある。しかしそういうメカニズムにさらされながらも、なおのこと私は私としての固有の領域をもっている。いや「もっている」というよりもむしろもたされている、あるいはもたざるを得ない。だからどんなに言語ゲームに私がさらされていようとも、私はその中に「溶け込む」ことは出来ない。どんなに言語ゲームに身を任せようとしても、「私」はどうしても、どうしようもなく残ってしまう。そのようにしてしか、私は(私たちは)存在し得ないのだ。―そういう社会観を明確に言語で表してくれたことに、こういう社会観を持っている人がいるのだ、と私は深い共感を覚えたのであった。
しかしそう思いながら読んでいくと、橋爪の論ずる言語ゲームと私自身のそのような社会観とのズレをだんだん感じるようになった。そして私は、自分の感じているものこそが正しい言語ゲームの理解なのであると強く思っていた。だからこそ、私は当初言語ゲーム論を研究していこうとしていたのである。そんな私の意思を補強し、その上で断念させたのは永井均の議論である。永井均は私がぼんやりとしか思っていなかったことをすでに明確に言語化し、その上でその問題を哲学的に回収した。私は永井の本を繰り返し読んでいるうちに、「こういう問題は哲学の問題なのではないか」と思うようになってきた。そして私は、永井の書いたものを「かっこいい文章」として読むことにしたのである。
9月10日(日)
今日、横浜の書店をのぞいたら、ギデンズ『社会学の新しい方法規準 [第二版]』(而立書房)が並んでいた。以前出版されたものとどこが違うのだろうと思いながら、手にとって「訳者あとがき」を見てみた。すると『社会学の新しい方法規準』第一版は1976年にイギリスのハッチンソン社から出版されていたが、ギデンズが自ら主宰するポリティー・プレス社に版元を移し、1993年に第二版を出版したというのである。新版の出た理由にあまり学問的なものを感じられないながらも「訳者あとがき」の続きを見ていくと、agencyを「行為能力」と訳した、と書いてある。該当ページをめくってみると、それまで「行為作用」と訳してあったところが、「行為能力」となっている。どうやら第二版の訳書を出版する際に、訳語を改めたらしい。翻訳書の方に限れば、新しく第二版が出版されたことに十分学問的な意義が感じられるではないか。この「行為能力」という訳語の方がセンのいうagency概念と比較しやすいかもしれないと思い、結局この本を購入することにした。
この本の最初の章では、いわゆる「言語ゲーム論」を社会学理論がどのように受容したか、ということについて論じられている。そう、この本は1976年に書かれた本なのだ。かつて、ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」の受容が社会学理論を発展させる、と信じられていた時期があった。社会学者や社会理論家たちは、競って「言語ゲーム」を自らの議論に取り入れていった。日本では、橋爪大三郎が『言語ゲームと社会理論』(剄草書房)において、自らの社会学理論に取り入れ、自らの立場を「言語派社会学」と名乗った。
なぜ、そのようなことになったのか。ギデンズはこの本の「第一版への序論」で以下のように述べている。「パーソンズの著述は、(略)私たち人間を、熟達した聡明な行為体として、少なくとも私たち自らの運命をある程度まで左右できる存在として登場させてこなかった」(p.43-44)。この文章は、橋爪の見解と全く同じである。つまり、またもやパーソンズの社会学理論が、引き金となっているのである。もちろん、パーソンズの議論には問題がある。それは私たちが社会学を学ぶ際に必ず聞かされることであり、そのこと自身について私も異論はない。しかし、そのパーソンズ理論を乗り越えるために「言語ゲーム論」を大々的に取り入れたという、後続の研究者の戦略は本当に正しかったのだろうか。
また、同じようなことを書いてしまった。どうも「言語ゲーム」と聞くと、様々な思いが頭に浮かんでしまう。それもこれも、ヴィトゲンシュタインの遺した文章をかっこよく引用するような哲学者がいるからいけないのだ。
9月9日(土)
昨日は少し話がそれてしまったが、今日はまたギデンズ『第三の道』(日本経済新聞社)に話を戻すこととする。
第4章「社会投資国家」の冒頭は、以下のようになっている。「古典的社会民主主義は、経済的安全保障と富の再分配に主たる関心を注ぎ、富の創出を二の次に回してきた。他方、新自由主義は、競争力の強化と富の創出に最大の力点を置く。第三の道の政治もまた、これら二つを大いに重視する」(p.168)。
この引用からも分かるように、ギデンズは、「経済的安全保障」および「富の創出」という二つの視点が存在することを想定している。そして「第三の道」は、おそらくこの二つの視点がこれまで対立してきたという状況そのものを乗り越えることを、目論んでいると思われる。「第三の道の政治は新しい混合経済を提唱している。(略)新しい混合経済は、公共の利益に配慮しつつ、市場のダイナミックな力を上手く活用し、公的部門と私的部門を結合して相乗効果を発揮させる。国、地方のレベルでも、国際的レベルでも、規制と規制撤廃のバランスに、そして社会政策を考える際には、経済の内と外のバランスに配慮する」(p.169)。
これだけ読むと、ギデンズもまた(ブレア政権と同じように)経済的なことのみに関心があるような印象を持つかもしれない。実際、ギデンズのこの章における議論も、ほとんどが経済的領域に関する議論であり、福祉国家論の焼き直しなのではないかという議論も多く登場する。しかし、ギデンズの議論はそれだけではない。それは、彼が「ポジティブ・ウェルフェア」に言及していることから分かることである。
「ウェルフェアとは、もともと経済的な概念ではなく、満足すべき生活状態を表す心理的な概念である。したがって、経済的給付や優遇処置だけではウェルフェアを達成できない。福祉国家の枠組の外にある様々な要因の働きを活用することによって、ウェルフェアを高めることが出来る。福祉のための諸制度は、経済的なベネフィットだけではなく、心理的なベネフィットを増進することをも心がけなければならない」(p.196)。
このような文章から、私は、ギデンズが政府や市場以外の別の領域の存在を前提としていることを読み取ることが出来るのではないかと考える。
9月8日(金)
昨日の日記で、「多様性」という用語がセンの議論において重要だと書いた。しかし「多様性」という用語は、非常に危険な用語である。なぜなら、社会に生きる人間について語ろうとする場合、おおよそ全てのことが「多様性」という用語で語られてしまうからだ。「人間は一人ひとり多様性をもっています」なんてセリフは、学校関係者が語る場合は大抵逃げ口上であろう。しかし集団単位で「教育」などというものを行なおうとする場合(私は塾で小中学生を相手にしているが)、「多様性」という用語および概念は重要であると思う。これは私の拙い体験からいっても、ほんとうにそうだと思う。どういうことかというと、「多様性」という概念が逃げ口上にならず、塾講師自らの退路を遮断するようなものであれば、「多様性」という概念があきらめを表す言葉でなく、現実へのさらなる接近への思いを表す言葉であれば、「多様性」という用語はそれほど危険な言葉ではない、ということである。
今のは私の勝手な思い込みであるから、読み飛ばしていただきたい。さて、センの議論はどうだろうか。センは、「多様性」という用語があまりにも包括的なものであることを自覚しているのだろうか。考えてみれば、capabilityにしてもagencyにしても、センの使用する用語はどれも過剰に意味を付与できるものばかりであり、極端な話「何でも言えてしまう」言葉=マジックワードになる危険性が高いものばかりである。
私が読む限りでは(私の贔屓目なのかもしれないが)、センは「多様性」という概念を限定的に用いているように思われる。つまり、昨日の日記で使った言葉を流用すると、「経済的参加」における諸個人の行為集合はそれとして、それとはまた別の行為可能性、言い換えれば行為集合の別のあり方を想定しているように思われるのである。センには、もともと経済学批判から自らの議論をスタートさせているという彼自身の研究履歴がある。それを踏まえると、社会における行為集合の別のあり方を論ずるために、センは様々な用語を駆使しているのではないか、と私は考えるのである。
9月7日(木)
昨日まで『ブレアのイギリス』を取り上げ、いくつかの話題について文章を書いていたが、今日はその論点をもう少し考えてみたいと思い、以前にも名前を出したことのあるギデンズの『第三の道』(日本経済新聞社)を取り上げることとする。
「はじめに」のところでギデンズは、自らが社会民主主義政治にコミットすることを宣言する。そして題名にもなっている「第三の道」というのは、「過去2、30年間に根源的な変化を遂げた世界に、社会民主主義を適応させるために必要な、思考と政策立案の枠組みである」(『第三の道』p.55)。では、何を持って「第三」なのか。それは、「旧式の社会民主主義と新自由主義という二つの道を超克する道、という意味での第三の道なのである」(『第三の道』p.55)。
ギデンズはこのように自らの依拠する立場を明確にした上で、「第三の道」にとってふさわしい政治における方針=政治学を提示する。それが、「生活の政治学」である。ギデンズによれば、この概念は旧左派が提示する「解放の政治学」に付け加えるべきものとして提示される。「解放の政治学が生活の機会を掘り起こそうとするのに対し、生活の政治学は生活の選択に関わるという点である。それは、選択、アイデンティティ、相互依存関係に配慮する政治学である」(『第三の道』p.84)。ここでギデンズは、政府が担うべき範囲を粗雑ながら示そうとしている。そしてこのような「生活の政治学」が、「解放の政治学」における論点である「社会的構成や解放の価値観」(『第三の道』p.83)と食い違う可能性が大いにあることに言及している。この言及は、政治は個人の個別のことにより配慮できるようにならなければならない、とギデンズが考えていることを意味している。このような思考のもとでは、その人その人の場合によって対応が変わってくることも生じてくる、ということである。このような考え方は、センが人々の「多様性」を重視するのと重なるところである。
9月6日(水)
今日は『ブレアのイギリス』の中から、ブレア政権における福祉政策を取り上げることとする。この本では、ブレア政権の新しい福祉政策は「福祉のニューディール」と名づけられている。それは、「国民の自立心と意欲を引き出して、公共と民間のパートナーシップを発揮していこうというものである」(p.127)。この政策の意図は、「大規模な非労働者層の社会保障費を社会が負担して、彼らを支えていくのは不可能だと判断し」(p.128)、「福祉の恩恵にどっぷりつかって、自立しようとしない人々を仕事に戻す計画を強力に進めようとする」(p.129)というものである。そのような政策の目標を、労働党の選挙公約である「レイバー・マニフェスト'97」は「参加型経済」と名づけている。「我々は貧困者を恒常化し、失業や社会からの落伍者を増やし続けるようなことはしないと決意する。長期的な目標は、高い雇用レベルを安定的に確保することである。これが本当の意味での参加型経済であり、そこではすべての人々が社会での役割を持っており、責任を負うことになるのである」(p.135)。
ここでポイントとなるのは、「参加」という用語であろう。ここでいう「参加」というのは、「政治的参加」という用語から想像しがちな、「みんなの意見を聞きましょう」というのではない。労働党政権が唱えている「参加」を仮に「経済的参加」と名づけるとすると、この「経済的参加」という用語がもつ意味は、<様々な人々を社会的相互行為に巻き込む」ということではないかと私は考える。昨日の日記で教育改革のことを取り上げたが、これも教育の成果をただ単に生徒(の能力や経済状況や生活態度)に押しつけるのではなく、教育する側もまた深くコミットせざるを得ないように(コミットメントに促されるように)する。このような政策によって、その結果はともかくより多くの人が教育をめぐる社会的相互行為に、「実質的に」巻き込まれていく。今日取り上げた雇用政策にしても、言わば「寝ている人(寝たふりしている人)」を引っ張り出して「参加」=就業を促す。そのために政府や企業は、就業支援プログラムへの「参加」を余儀なくされる。このような「参加」の総体こそ、「経済的参加」である。当然のことながら、国際収支の改善、税収の増加、社会保障費の減少などといった「経済的見返り」が、このような政策には要求されるであろう。
このような政策が、必ずしも国家の収支を改善するとは限らない。すでに『ブレアのイギリス』にも書かれているように、以上のような政策を実行したにもかかわらず、イギリスにおける1998年度の社会保障給付の支払いが前年度を大きく上回ってしまい、それが閣僚の解任・辞任につながるという事態が起こっている。このことについてイギリス社会福祉省は、実際には経済的変動要因から来る給付は、10億ポンドの減であったが、社会的要因を中心とするその他のコストがそれを上回った結果、こうした膨張を見た、と説明している(以上p.152-153)。
国家財政のことはまだ勉強不足なので何とも言えないが、ただ社会学の立場から言えることは、「経済的参加」もまた「政治的参加」と同様それが全てではない、ということである。様々な「参加」を含めて「社会的参加」というとすれば、「政治的参加」と「経済的参加」を足せば「社会的参加」になるわけでない。ブレアの政策は、どうも「経済的参加」に全ての「社会的参加」を託そうとし、自らの政策の結果を全て「経済的見返り」に求めようとして失敗しているように見受けられる。現に社会福祉省も、「社会的要因」の存在を認めているのである。
9月5日(火)
<科学>と<思想>に関してはだいぶ話が煮詰まってきたので少し話題を変えることとして、今日は舟場正富『ブレアのイギリス』(PHP新書)を取り上げることとする。私は個人的に、センがノーベル賞を取ったことの要因の一つに、政権がブレア労働党に交代したから、というのがあるのではないかと思っている。ブレア政権になり、いわゆる社会福祉に対する原理的な思考が政策サイドに求められ、その源泉としてセンもまた注目を浴びることになったのではないかと思われる。しかしこれは全く私の推測なので、本当のことは分からない。
この本では、ブレア政権が誕生してからすぐに実行された様々な政策について紹介しているのだが、その中から今回取り上げるのは教育改革に関してである。特にブレア労働党が選挙の際に掲げた政策公約のうちの、
@統一学力テストで成績の改善がみられなかった学校への制裁処置
A教育の停滞に対する責任追及
という二つが、私の目を引いた。この二つは、要するに<教育効果のない学校はどんどんつぶしていく>というものである。@の対象になる学校は政府によって公表されるというのだから、その徹底ぶりはかなりものである。実際1997年5月末に、学力テストで全国水準を大きく下回った18校が公表され(これらの学校は失敗校と呼ばれる)、労働党の公約では「校長の新規採用を行なう」必要がある学校だとされたのである。
「教育の大衆化」というのは、「達成すべき事柄」として認識されているらしい。センの『自由と経済開発』においてもそれは取り上げられており、その成功例として日本が挙げられている。これは乱暴な言い方をしてしまえば(日記なので許してほしい)、センの生まれた国であるインドや、イギリスのような階級・階層の堅固な国では、「教育の大衆化」を通じて社会の流動性を高めようという意識があるようである。
しかしここで問題になるのは、「その先」なのではないだろうか。社会の流動性を高めることが、どんなことにつながっていくのだろうか。「教育の大衆化」と聞いてすぐに思い浮かぶのは、やはり「均質な労働力の供給」であろう。国家経済の安定(できれば成長)は、国家の重要な要素として常に考慮すべきであろう。しかしここで「国益」対「私益」という問題の立て方は、あまり有効ではないように思う。大げさな言い方をすれば、そうではないような社会のあり方を考えていくのが、これからの課題であると考えるのである。
9月4日(月)
昨日の続きである。問題となっているのは、<社会科学>という<科学>が、<自由主義>という<思想>を体現しているということである。このことは個別の社会科学者、そして分類上その中に含まれる社会学理論家の問題ではない。つまり<社会科学>という営みそのものに、<思想>性が大いに含まれているということが問題とされているのである。『自由の論法』ではこのことについて、次のように触れられている。
「我が国においては、社会思想ないし社会哲学に携わる論者たちが、これまで自由主義を思想の問題として真剣に考えることがなかったという、戦後思想の反省すべき事情がある。最近の政治状況の混迷は、自由社会を論じる知識人の思想的貧困と共犯関係になるようにも思われる。新たな議論の地平という以前に、自由主義思想の歴史について捉え返すことの方が先決ではないか」。
このような指摘は、そのまま社会学理論にもあてはまるであろう。自分たちが生活世界の基盤としている<社会>が、実は<自由主義>という<社会思想>に裏打ちされているだけである、ということに対する無自覚さ。この無自覚さにについて違和感を唱えたことにおいて、橋爪の考えは正しい。社会学理論ないしもっと広い意味での社会学そのものが前提としている<社会>が、ある特定の思想を基盤としてのみ成り立っているという認識。もちろんこのような認識もまた、<科学>的ではなく<思想>的である。この場合の<科学>的というのは一連の<科学>的手続きを経て確定された<真理>ではない、という意味である。したがって自分たちが行なっていることが<科学>であると主張する立場からは、私が述べた<社会学理論ないしもっと広い意味での社会学そのものが前提としている<社会>が、ある特定の思想を基盤としてのみ成り立っているという認識>そのものが、単なる<思想>に過ぎないと批判されるかもしれない。しかしそのような批判こそ、すなわち<思想>を<科学>よりも下のものと見なすような批判こそ、問題とすべきなのではないだろうか。
(続きは明日以降)
9月3日(日)
昨日の続きである。これから橋本努『自由の論法 −ポパー・ミーゼス・ハイエク−』(創文社)を取り上げるのであるが、目次を見ただけではこの本が何を問題にしているのか分かりにくいであろう。そこで、橋本自身の記述よりそのねらいを押さえておくこととする。
まえがきによると、「本書は、副題にある三人の思想家−ポパー・ミーゼス・ハイエク−について展望し、この三人の自由主義思想を建設的な方向で批判的に乗り超えようとする試みである」。しかしこの<目的>だけを読んだだけでは、<他の論者もすでにこのようなことを試みているのではないか>という疑問を持つであろう。この本の特別なところは、この<目的>に向かって遂行していくその手順である。少し長くなるが、以下に引用する。
「ポパー・ミーゼス・ハイエクは皆、ナチスから逃れて亡命したウィーン出身の学者であり、社会主義の手から開かれた社会を防衛することに身を投じた最も偉大な思想家たちである。しかし意外なことに、彼らがとった最初の戦略は、「社会科学方法論」を研究することであった。なぜだろうか。それには次のような事情が考えられるだろう。社会科学者、とりわけ経済学者は、資本主義/社会主義の是非をめぐって長い間議論を戦わせてきた。その場合、どちらの制度の方が望ましいかについて、論者たちは「科学的」に解明しようと努力した。しかし「科学」とは何であるかについて合意がなかった以上、社会主義/資本主義の是非をめぐる「科学的」議論は、問題の解決を、何が科学的であるかを規定する「方法論」のレベルにまで先送りしていたのであった。それゆえ社会科学方法論の解明は、体制選択をめぐる問題に最終的な解決を与えるための重要な研究として位置づけられてきたのである。しかし論争は、科学及び科学的方法の定義をめぐって泥沼化する。思想家はそれぞれ、社会科学の方法を都合のいいように規定することによって、自分の思想的基礎を固めることが出来る状況にあったからである。そこでは、真理の発見を導くという純粋に学問的な問題の解決が目指されているのではない。また、対立する諸々の思想をできるだけ客観的に検討するような方法を考案しようというのでもない。むしろ、方法論が価値原理に中立的ではなく、思想の基礎論を積極的に担うという状況、あるいは、相手の方法論を批判することが、その思想的基礎に対して最も強力な批判になるという状況、ここに開かれた社会の思想的基礎をめぐる端緒の問題領域があるのだ」。
結論から先に言うと、このような彼らの試みは挫折に終わってしまう。それは、彼らが取った<科学的方法>が科学とは呼べないものであるということが、分かってしまったからである。彼らが<科学的方法>と呼んでいたものは、実は初めから<思想的バイアス>が掛かっているのであった。このことを、橋本は「方法の思想負荷性」と呼ぶ。もっと簡単に言い換えれば、彼らが社会主義を批判し自由主義を擁護するために、その論拠として提示した社会科学的な方法論が、初めから自由主義を擁護するのに都合のよいものに仕立て上げられていた、ということである。自由主義思想を社会科学的に基礎付けるはずの方法論が、逆に自由主義思想によって裏打ちされていた、という事態が浮き彫りにされているのである。
このような思想的な営みがすでに行なわれていたことを、私たちはしっかりと認識しておく必要があると思う。彼らは自分たちが<社会科学>を体現しているとは思っても、その自分たちの営みが単に<自由主義思想>を体現しているだけに過ぎなかったとは思っていなかったであろう。しかし、私たちにはもはやそのような<無自覚さ>は許されない。橋本によれば、彼らの社会科学方法論には、同じ<自由主義>といっても、それぞれが想定する<自由主義思想>の違いを忠実に反映されていた。彼ら以降の社会学理論家は、自分が想定している<思想>に自覚的でなければならない。例えば<自由>に対する考え方一つ取ってみても、<社会主義>という対立軸があった頃の<自由主義>とは違い、現在では<自由>の捉え方そのものが論者によって異なっている。ということは、同じ<自由>を念頭においていても、功利主義的な<自由>とセンの議論における<自由>とでは、その前提を基に思考される社会学理論に、差が出てくるということである。
(続きは明日以降)
9月2日(土)
昨日の日記の最後に書いた、<構造=機能分析以降の社会学理論には、<自律と解放>というイメージが、乱暴にまとめてしまえば<自由>に関する思想が、それぞれ負荷されていた>という文章の発想は、橋本努『自由の論法』(創文社)にある「方法の思想負荷性」という概念を基にしている。この本はポパー・ミーゼス・ハイエクの三人が展開した<社会科学方法論>に<自由主義>という思想が負荷されていたということについて、詳細に論じたものである。そして、社会科学における自由主義がどのような事柄を押さえておくべきかを列挙している点でも、大いに勉強になる本である。以下、この本についてまとめてみることとする。
まずは、この本の全体の流れを見るために、目次を再録する。全体の構成としては、序章がありその後の章が二部に分かれている。
序章 科学の時代
第一部 方法の思想負荷性
第一章 方法論の理論
第二章 思想負荷性の解釈
第三章 社会主義計算論争における方法の思想負荷性
第四章 反≪歴史主義≫方法論の内在的批判
第五章 方法から思想へ
第二部 負荷される思想の分析
第六章 個人主義の位相
第七章 合理主義と功利主義
第八章 政治経済の政策分析
第九章 自由主義
全体の流れのうち、興味深いのは第二部である。なぜなら、先に書いたように第二部には社会科学が自由主義について思考する場合、どのようなことをさらに検討しなければならないか、その項目を列挙してくれているからである。特に、ハイエクの思想について学ぶことは、ハイエク以降に自由主義を研究するものにとって、少なからず有益であろうと考えるのである。
(続きは明日以降)
9月1日(金)
前回の続きである。橋爪大三郎の『言語派社会学の原理』(洋泉社)の「まえがき」には、次のようなことが書いてある。「構造=機能分析を相対化すれば、人間と社会をもっと自由に考える余地が生まれるだろうと、私は期待していた。けれども構造=機能分析が退潮した結果、社会学は理論の支柱を失って、ただの混乱状態に陥ってしまった。前より悪くなってしまったかもしれない」。では、何故このような状態になってしまったのか。そのことについて、橋爪の議論に沿って考えてみたい。
構造=機能分析について、橋爪は次のようにまとめている。「社会は、多くの要因が複雑に結びついたシステムである。そこには一定の秩序、すなわち変数の間の安定したパターン(社会構造)がみとめられる。これを、機能の観点から分析することができる」(「社会学と隣接諸科学」『社会学の基礎』(有斐閣))。
そして、構造=機能分析の趨勢について、次のようにまとめている。「構造=機能分析は、社会システム理論の一種である。社会システム論は、多くの変数の複合によって社会を説明する理論である。これこれこうだから、社会はこのようになる(均衡する)という、一種の決定論のかたちをとる。これはこれでいいのだが、パーソンズは、個々人(社会を生きる人間主体)も、社会システムの一種であるとして、それも同時に説明しようとした。そうすると、個々人の人格のあり方(パーソナリティ・システム)も、社会的に決定されると考えなければならないことになる。パーソンズはもともと、人間が、主意主義的な存在であること、意味を生きる自由な主体であることを強調していたはずだった。けれども、構造=機能分析の描く人間は、社会の与える意味や規範をそのまま取り込む、ロボットのような存在に近くなってしまう。社会には、実現すべき目標(機能)や、それに向けて自動的にシステムの均衡状態を達成するメカニズム(構造による制御、価値の内面化=社会化)がそなわっていて、個々人を有無を言わさずその枠にはめてしまう。そんなふうな社会のイメージはまっぴらだ、と考えた人が多かった。そこで、構造=機能分析に対抗し、人間の主体性や、意味を理解できる能力を復権しようという動きが現れてきた。それが、ちょうど60年代後半からの、異議申立ての波に重なって、いわゆる「意味学派」の登場となったわけである」(「社会学と隣接諸科学」『社会学の基礎』(有斐閣))。
橋爪の「言語派社会学」も、以上のような構造=機能分析への異議申立ての営為の一つである。したがって、構造=機能分析を何とかして相対化してやろうという意識が、議論の中に満ち満ちている。そこに問題があるのではないか、と私は思う。それは、もちろん橋爪ひとりの問題ではない。構造=機能分析に対抗した、他の社会学理論家にもあてはまるものである。では、その問題とは何か。それは、概念の設定の仕方、議論の展開の仕方などが、あまりにも<非決定論>の方向に持っていこうという意図が過剰だということである。言い換えれば、意図的に社会というものを<自律的・解放的>なものとして提示しようという意図が、自らの理論構築に色濃く反映しすぎているということである。だから、構造=機能分析以降の社会学理論を学べば学ぶほど、<非決定論>的思考になじむことになるのである。
構造=機能分析以降の社会学理論は、主に哲学の成果を大々的に導入した結果、社会を構成している(と想定される)要素があまりにも多くなり、またそれぞれが抽象的になってしまった。彼ら理論家は、決定論的だった構造=機能分析に対抗するために、わざと様々な概念を複雑なかたちで導入することによって、<重層的決定>あるいは<非決定>というようなイメージを作ろうとした。それはつくった人々自身にとっては、<自由や解放>を体現するものであったかもしれない。しかしそのイメージは、それ以前の前提を知らない人々にはあまり伝達されなかった。それが、社会学理論の今日の退潮を招いているのではないだろうか。
以上のようなことは、構造=機能分析以降の社会学理論には、<自律と解放>というイメージが、乱暴にまとめてしまえば<自由>に関する思想が、それぞれ負荷されていたと私は考える。明日以降、この問題について考えてみたい。