大阪教大池田小 児童殺傷事件   01. 6. 8

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今日の痛ましい事件の報道を受けて、2つの深刻な問題が頭に浮かびました。
一つ目は学校の問題、もう一つは精神医療の問題です。

現在、小学校は「開放」の方向に動いています。
少子化によって空いた教室に福祉施設や図書館、公民館などを併設し、コミュニティの拠点として学校を利用しようというものです。
地域の大人、子ども、教員が一堂に会する場所ができるようになり、大人達は少なからず地域の子どもや学校に関心を持つようになります。
日本の各地域に必ずコミュニティがなくてはならないのならば、あらゆる住民が集まりうる場所になるという点で、学校開放が果たす役割は大きいはずです。

しかし今日の報道では、学校の安全性が問題視されていました。「学校開放」と「学校の安全」どちらを取る、というコメントも聞かれました。
開放すればそれだけ危険な人物が侵入する可能性が高くなるということです。

しかし、学校開放と学校の安全は矛盾するものではありません。
開放を大きく進めていけば、学校は日常的に地域住民が出入りする施設になります。
子どもの割合が非常に多く(当たり前ですが)、閉鎖的な空間である今の学校よりもむしろ安全な空間になるのではないでしょうか。

もう一点の精神医療の問題についてです。
今回の犯人が精神疾患にかかっていたということで、また精神障害者への差別、偏見が強くなることは間違いないでしょう。
日本の精神医療は、とにかく隔離、排除。地域で共生しようという発想は極めてマイナーです。

現在、ハンセン病患者がされていたように精神病患者が僻地の精神病院に隔離収容されています。
ハンセン病を患っていても、精神病を患っていても、同じ人間。健常者と同じ地域で暮らすのが自然なかたちです。
しかしこう書いている私も、「犯人が精神障害」と聞いて「やっぱり」と思ってしまいました。異常な事件と精神障害者という組み合わせは、国民に根強く浸透してしまっています。
今回の事件により、精神障害者の社会復帰はまた大きく後退してしまう可能性があります。

また、精神障害者を受け入れるためには、子どもの頃から障害者と自然に触れ合うということが求められます。
もし学校内に施設を併設して障害者が当たり前のように暮らしていたら、子ども達に、精神障害者も一緒に社会で過ごす人間なんだという意識、ノーマライゼーションの意識が、少なくとも今よりは根付いてくるはずです。
しかしこれに関しても、今回の事件によって精神障害者を学校に入れるのは危険だという声があがってくるのでしょう。

偏見、差別を一掃するには「国民が広く理解」するほかありません。
どう理解させていくのか。
この事件に関する文教族の議員、厚生族の議員のコメントが興味深いです。

以上、事件その日に私がまず思ったことを書いてみました。
今後の報道と、どんな点で重なってどんな点で相違するのか、個人的に注目です。


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