秋畑の夏休み   02. 8.20

          HOME > ぐんまTOP > 地元コラム目次 >

          HOME > 横断コラム目次 >


「秋畑」。小学校の全校児童数が100人に満たないこの山村地域で、私は生まれてから15年間を過ごした。
山を分け入ったところにあるこの地域の子どもは、外の世界の子どもと触れ合う機会がない。人間関係においても、行動範囲においても、子ども達の生活空間は「秋畑」内で完結していた。
夏休みもほとんどの時間を「秋畑」地域内で過ごす。でも、そうつまらないものでもなかった。

■ 夏の朝
小学校高学年の頃、私の夏の1日は新聞配達から始まった。
自転車で20軒ほどの家を回る。20軒すべてが庭付きの一戸建てだった。川を渡り、山に沿い、木々の下をくぐり、坂を登り、墓地を抜け、石垣をつたって、毎朝30分かけて一周していた。
途中で大人に会うと必ず挨拶をする。配達中に会う人は、全員が知り合いだった。ただの顔見知りではない。何代も前から家ぐるみの付き合いをしている地域だ。

夏は朝が明るいから好きだった。冬場の、まだ薄暗い中で墓地を通り抜けるときの気味の悪さを感じずにすむ。
「秋畑」の夏の朝は、半袖では少し肌寒い。

■ ラジオ体操
6時半。「秋畑」内のさらに小さな地区ごとにラジオ体操が行われる。
私の地区は小学校が集合場所だった。1年生から6年生まで、20人ほどの子どもが集まる。全員が知り合い過ぎているくらいの知り合い同士だった。

体操が終わると、リーダーから判子をもらう。
私は確か、高学年のころはこの体操に皆勤していたはずだ。42日間休むことはなかった。「夏休み中、どこにも行かず毎日体操に出ていたのか」と突っ込まれそうだ。その通り。どこにも行かなかった。後で紹介するが、「秋畑」の男子にはどこにも行けない事情があった。

体操が終わって下級生が帰ったあと、6年生だけでそっと残って話に花を咲かせていた。毎日毎日、話題が尽きることはなかった。他の地区のクラスメイトと会う機会がないこの期間限定の、少人数だけで妙に盛り上がれる話題というものがある。
小学校高学年といえば、ちょうどワルい時期。話題の中身は褒められたものではなかったが。
秘密の話題を共有することで仲間意識を強固なものにし、さらに秘密を共有して絆を深める。どの時代のどの子どもにも共通する行為である。

座談会が終了し、6年生も家へとバラける頃、ようやく朝日が顔を出す。
360度ぐるりと山に囲まれている地域。「秋畑」の日の出は遅い。

家に帰ると、1年生のときに育てた時にいつのまにか庭に生えついたアサガオの花が開いている。

■ 午前の運動
午前中は、学校のプールが開放される。
家で水着に着替え、そのままタオルを巻いた格好でプールまで歩いていった。多くの子ども達が水着姿で公道を歩く。ごく自然な風景だった。

「秋畑」地域内は、そのまま学校敷地内と置き換えられる。広い意味で言えば、「秋畑」地域内に住んでいる住民のほとんどが、保護者やOBという学校関係者なのだ。
それが学校行事に関係があるものならば、子ども達がどんな格好をしていようと不思議がる大人はいない。(余談だが秋畑の中学生は全員が例外なく、学校の体操着姿で登下校をする。)

プールには必ずPTAの役員がいた。どの学年の誰のお母さんかは、顔をみればすぐに分かる。水着を持参し一緒にプールで遊ぶ役員さんも多かった。

帰り道、アブラゼミの鳴き声を左右から浴びながら、道端のの蜜を吸って歩く。
言うまでもなく、生物に触れるには申し分のない環境だった。

■ 集落の眺め
プールがない日は友達と遊ぶ。
相手はもちろん秋畑の近所の子ども。
川に降りて、石を飛び跳ねながらどんどん上流の方に向かっていったことも多かった。

自転車遊びも好きだった。道路の傾斜がきついので行動範囲は広くなかったが、坂を懸命に上っては、ノーブレーキで一気に下るスピード感とスリルを味わった。
頑張って坂の上まで登ると、眼下に集落が見渡せる。山の間をぬって流れる川。川に沿う形で走る道路。道路の両脇に畑が並び、畑の間に点在する家。家のすぐ背後まで迫って集落を包み込む山々。
小さな地域だ。しかし小学生には、その山に囲まれた小さな地域が活動範囲の全てだった。

■ 日課
15時。少年野球の練習が始まる。
秋畑の男子小学生の9割は少年野球に所属していた。
無理に野球部に入らなくてもいいが、結局野球の練習中は遊び相手が出払ってしまう。話し相手が欲しければ練習に参加するしか選択肢はない。

練習は休みなく毎日行われた。男子の生活の中心は野球だった。
だから、男子は夏休み中もどこにも出かけなかった。
長期休業中も、学期中に教室で会っている友達と毎日顔を合わせていた。1年を通して、時間を共有する友達は同じ「秋畑」地域内にしかいなかった。

練習には「秋畑」地域の大人が何人も顔を出す。仕事を終えた父兄が帰りの途中でグラウンドに寄り、練習を見守った。
練習も厳しいが、野球部でのしつけも厳しかった。監督の車がグラウンドに着いたのが見えると、それだけで全員に緊張が走った。
2年生から6年生までが1つになって練習するこのチームで、みんなが多くの経験をした。
練習は日没まで続いた。

真っ暗の中、ミーティングで帽子を取って監督の話を聞き、解散になる。夜は外でやることがない。
遅くまで開いている店はないし、コンビニももちろんない。さらに言えば街灯もない。子どもは家に帰るしかない。

群馬テレビの中継で、今日も西武が勝ったのを見届け、クーラーのない部屋で眠りにつく。

山から下りてくる涼しい風が、網戸を通って部屋を吹き抜けていく。


■  ■  ■     解     説     ■  ■  ■

群馬県の中心部から長野県へ抜ける上信越道という高速道路がある。
上信越道の通り道にある人口1万5千人ほどの甘楽という町。その町の中心部から南の山奥へと進んだところに「秋畑」がある。
「秋畑」から高崎市まで車で30分、東京へ出るのにも高速道路や新幹線を使えば2時間強。決して不便な山奥のムラというわけではない。

だが、「秋畑」には大きな特徴がある。「秋畑」へ行く道路は「秋畑」で途切れる。「秋畑」は道路の行き止まりに位置する集落なのだ。特別な用事がない限り、外部の人間が入ってくることはあり得ない。「秋畑」にある小さな商店には「秋畑」の住民しか寄ることがない。「秋畑」は人の流入がほとんどなく、地域内の住民だけで強いつながりが持たれるという、典型的日本風のムラ社会である。

大人たちの生活が「秋畑」で完結しているわけではない。
多くの大人は隣接する市町にある会社に勤めているし、買い物をするのにも車を飛ばしてすぐ市街地に行くことができる。
子どもも車に乗せられ、頻繁に買い物に出かけることができる。
だが、大人にとって隣の市は生活空間に含まれるが、子どもにとって隣の市は決して生活空間にはならない。

「秋畑」の子どもの生活空間は「秋畑」だけである。
子どもの交友関係は「秋畑」の子ども達だけで完結する。子どもが日常的に顔を合わせる大人も、学校の先生を除けば全て「秋畑」の住人である。
子どもだけで動ける行動範囲も、「秋畑」の域を出ることはできない。小学生の頃は10キロ離れた富岡市まで自転車で行くというのは、それはそれは大冒険であった。

子供たちは、子供たちだけで遊んでいる限りは「秋畑」を出ることはできない。そして「秋畑」にいる限りは、都市型の非行とも、ムラ社会からの逸脱とも無縁である。
大人たちが大きな輪を作って、輪の中で遊んでいる子供たちを見守っているような、そんな地域社会が秋畑である。

しかも、住民の移動がないから、大人は子どもが生まれてから1人立ちし、やがて大人同士の関係になるまでずっと育てていける。
文中に出てきた少年野球の監督に、私は今でもお世話になっている。今は私は年1回行われれる駅伝の選手であり、監督はやっぱり駅伝チームの監督だ。あれほど怖かった監督と、今では正月に酒を飲み交わすようになった。

教育学を学んでいるとよく登場する、理想的な「地域による教育」像は、「秋畑」そのものだ。
「秋畑」ではごく自然に学習支援コミュニティが機能している。このコミュニティは住民の努力によって立ち上げられたものではない。かつては日本全国で見られたというコミュニティの生き残りの姿である。


さて、このような極端なムラ社会に育ったことを私が全面的に肯定してきたかというと、そうとは言えない。

先に「『秋畑』にいる限りは、都市型の非行とも、ムラ社会からの逸脱とも無縁である」と書いたが、裏を返せば外側の文化に直接触れる機会は一切ないということだ。
情報を浴びる機会や、より多くのクラスメイトと出会う機会には間違いなく恵まれなかった。
視界の幅や多様性といったものを意識することのできる環境でもなかった。
都市社会のように、多くの人が干渉し合わずに様々な方向を向いて暮らしている社会で育っていたら、と考えたこともある。
大学に入ってからの私は都市型志向、中央志向の考えへと強く揺れた。ずっとムラ社会で育ってきた反動が出たと考えられる。

だが、私は幸運にも山村地域に生を受けたおかげで、これだけの強いコミュニティで多くの人に見守られて育つという経験ができた。この経験を否定することは絶対にできない。

ふるさとを持てることは幸せだ。

 ▼戻るE−mailはこちら 
 HOME > ぐんまTOP > 地元コラム目次 >
 HOME > 横断コラム目次 >


■このサイトには他人の発言や文章、または報道機関の報道を受けて私の意見を書いているページがあります。引用元の発信者(個人・機関)が意図する真意に対し短絡的な誤解、曲解がないよう十分注意をしておりますが、絶対ではありません。私が引用元の発信者の意図とは異なる解釈で発信を受け止めてこの文章を書く可能性もあります。このサイトだけを参考にして引用元の発信者の是非を判断することのないようお願いいたします。発信者の意見を受けて書いた私の意見に対する批判は歓迎です。
■勉強中の身ゆえ、私自身の考えも日に日に変わっています。このサイトの各ページには、ページ作成・更新の日付がつけてあります。正確には「現在の私の意見」ではなく、「yy年mm月dd日時点の私の意見」だと捉えていただければ幸いです。
Copyright (C) 2001-2002 Masuda Hironori ALL rights reserved.