実録 クイズフェスティバル 2000   01.10. 9

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■ ワセダが揺れた日 ■
2000年10月27日。早稲田大学のキャンパスの中心、ちょうど大隈重信像を横切るかたちで、太く長い行列ができた。7号館から南門にかけて並んだ500人もの学生が開場を待ち構えている。いかに早稲田大学がマンモス大学といわれようと、これほどの行列は新歓期以外にはまず見ることはない。

行列の目的は、学内のあるサークルが繰り出すクイズのイベントだった。

クイズで天国にいける!
 クイズフェスティバル in WASEDA 2000 第1弾 
 3人1組の団体戦  優勝チームにはニューカレドニア旅行
 他豪華賞品多数  入場無料 
 主催 早稲田大学クイズ研究会』

1か月前から、学内にこのような看板、ビラが目に付くようになっていた。「こんなオイシイ話はない。」そう思った学生達が3人1組のチームを結成し、開場前から列を作っていたのである。

■プロジェクトの始動■
2000年6月23日、クイズ研究会の幹部会(このサークルでは2年の秋から3年の秋までの1年間、学年全員が幹部を務める)。私は1枚の企画案を提出した。題名は『クイズフェスティバル 2000 in WASEDA(仮) 企画書』。

  早稲田大学に学園祭があった1996年まで、早稲田大学クイズ研究会最大のイベントは学祭の企画『クイズフェスティバル』であった。
学祭期間中に6、7本もの「番組」を企画。協賛企業から提供された総額1000万円にも上る豪華賞品が話題を呼んだ。「番組」は参加有料だったにもかかわらず、100人ほどの定員が満員にならないことはなかったという。
しかし1997年、突然の早稲田祭打ち切り。この年以降、クイズ研究会の学祭企画も行われることはなかった。

1998年入学の私達は当然、学祭を経験していない。学祭がなくてもサークルライフは楽しかった。1年生から6年生(!)まで100人もの会員が家族的な密度を保つサークルは、居心地が良かった。多くの同期の家を泊まり歩き、朝まで語った。組織の力強さと難しさを、日常の中で学ぶことができた。
楽しみのうちに2年間が経過した。そのままサークル幹部の引退を迎えても、素晴らしい思い出が残ったはずだった。しかし、最後に何か「大きいこと」がやりたかった。

もし学祭というバックボーンがない中で『クイズフェスティバル』を企画するとなると、サークル19年の歴史の中で初めての試みになる。失敗する可能性は小さくなかった。学祭がないのに、企業が賞品協賛をしてくれるのか。学祭がないのに、参加者は集まるのか。心配の種を挙げればキリがなかった。
私はサークルの倉庫を漁り、過去のイベントの記録を引っ張り出し、学祭抜きでも成功する可能性を考えた。結果はともかく、チャレンジしてみるだけの価値はある。そんな結論に達した。
それでもいきなり幹部会に企画案を出したところで、同期幹部から積極的な賛同が得られるとは思わなかった。事実、ためらいを見せる幹部は少なくなかった。企画書を出すまでに、慎重に、構想を小出しにしながら、仲間を増やした。
「このままサークルの現状維持を狙っているだけで楽しいのか。」「俺達の企画力を一般人に見せつけてやるんだ。」熱意の説得を続けた。「企画と協賛と広報が噛み合えば失敗はない。」ある時は理詰めで説いた。少しずつ同期と会話を重ね、意見を合わせた。企画書提出前夜、6月22日の夜には同期の3分の1が集まった。さながら決起集会のようだった。

6月30日、幹部会の採決。企画書に対して幹部の賛同が得られた。3年の意見はまとまった。ただ、2年、1年に対しては説明不足の感が否めなかった。後から振り返ったときの一番の反省材料ではある。だが当時は、説明に時間をかけるよりも3年が精力的に動き、行動で引っ張った方が得策だと思った。大学3年の夏休みの2か月間は全て『クイズフェスティバル』の準備に充てられた。

■『わせだまつり』参入■
学祭がなくても、サークル単独でイベントを決行する。そう決定した2週間後、2000年度も早稲田祭の中止が決まった。分かっていたことだが、これでサークル単独でイベントを開くことがいよいよ現実になった、と、そう思われた。

しかし、大学が学祭を行わないなら学生の手で学祭を作ろうという理念を持つ団体が現れた。「新生早稲田祭したくスタッフ」。学祭がなくても各サークルが同じ時期に一斉にイベントを行えば、学祭並みの盛り上がりを作れる。「したくスタッフ」は、多くのサークルにはたらきかけ、学生主導の学祭を企画、運営する姿勢を見せていた。
7月8日、「したくスタッフ」が学生主導の新学園祭『わせだまつり』の説明会を開く。

我々クイズ研究会は、この『わせだまつり』に参入することを決めた。イベントの規模が大きければ大きいほど、渉外活動も広報活動もやりやすくなる。安全策という観点から考えて、『わせだまつり』参入は当然だった。そして、次のような思いも少しはあった。
各サークルが一斉にイベントをするといっても、ウチほど大規模でクオリティーの高いイベントを出せるところはそうはないだろう。『わせだまつり』の目玉企画は『クイズフェスティバル』になる。ウチのイベントでこの学生主導の新学園祭を盛り上げてやろう。

『わせだまつり』参入によって、イベントの準備は多少「楽に」なった。例えば宣伝ひとつをとっても、自分達が作るビラしかないのと、『わせだまつり』運営本部が作るパンフレットのなかで自分達のイベントを紹介できるのとでは大違いである。
しかし現実的には、『わせだまつり』の発足は我々の不安を取り除くにはまだ不十分だった。学生主導の新学園祭という構想に、大学側は顔を歪めた。大学の『わせだまつり』に対する協力はほとんどなかった。つまり、『わせだまつり』は大学の授業期間中に有志のサークルが同時にイベントを行うという規模のものでしかなかった。「新学園祭」という言葉には、少々違和感があった。

自分達の企画力への自信と、『わせだまつり』が大きく化けることへの希望と、それでも学祭はないのだという不安と、複雑な思いを胸に私達は走り出した。

■「企画」 「渉外」 「広報」■
どんなイベントを企画する時も、イベントの目的は「たくさんの人に来場してもらい」、「来場した人みんなに有意義な時間をすごしてもらう」ことにある。想定よりも来場者が少なければそのイベントは失敗だし、多くの人が来場してもその人たちが楽しめなければやはりそのイベントは失敗である。
「多くの学生に来場してもらい、クイズ大会を楽しんでもらう」。『クイズフェスティバル』の目標は暗黙のうちにそう設定され、そのための準備が進められた。

クイズ大会を楽しんでもらうためには、まず大会のクオリティー(質)が高くなければならない。大道具、小道具、音響、司会、そしてクイズ形式。できるだけ多くの来場者をクイズに参加させ、目で楽しませ、耳で楽しませ、そしてクイズという競技そのものを楽しませる企画力が必要である。

だが、いきなりクイズ大会をやるといっても、参加者はそう集まるものではない。クイズにあまり興味がない人を会場に向かわせるには、別の求心力が必要になる。そのひとつが「賞品」である。賞品が豪華なら豪華なほど、人の参加意欲は高まる。さらに、ひとたび大会が始まった後も、賞品が豪華なら豪華なほど参加者はより大きな盛り上がりを見せるのである。

優れた企画ができあがり、豪華な賞品が準備できたとしても、それではまだ完璧ではない。いかに楽しい大会になるか、いかに豪華な賞品がもらえるかを宣伝しなければ、宝の持ち腐れに終わる。徹底的な宣伝があって初めて、大勢の参加者を集めることができるのだ。

クイズ研究会の100人の会員は、「企画チーム」、「渉外チーム」、「広報チーム」にわかれて準備を進めることにした。
余談だが、だいぶ後になって私は「イベントの3要素はコンテンツ、スポンサー、PRである」という話を知ることになる。私達が何も知らずに無心で生み出した「企画」「渉外」「広報」の3チーム制には、そのイベントの3要素がピタリと反映されていた。

「企画チーム」はテレビで言えば製作の仕事のようなものである。いかに参加者を楽しませるかを考え、大会の中身を作る。
「渉外チーム」は、企業と交渉して賞品協賛を取り付ける。イベント内での会社の宣伝と引き換えに、賞品を出してもらうのである。
「広報チーム」は、企画の出来具合、賞品の集まり具合を見ながら、ビラや立て看板で効果的な宣伝を行う。

いざ当日になれば「広報チーム」の宣伝で集まった参加者は「企画チーム」が仕切るクイズと「渉外チーム」が集めた賞品に夢中になるはずだ。

「企画」、「渉外」、「広報」、それぞれに気の抜けない準備期間が始まった。
私は「渉外チーム」の責任者に就いた。

■賞品集めの日々■
9月3日から2泊、サークルの夏合宿。25人ほどの渉外チームのメンバーに、渉外活動の方法を説明。企業に送付する企画書等の資料を配った。この資料は、学祭当時に使われていたものを参考というより丸写ししたようなものだった。創立19周年のサークルの伝統の力である。
合宿明けの6日、1996年の学祭当時に渉外活動を行った大学院生の先輩から、具体的な交渉方法の指導を受ける。

7日、活動開始。渉外チームは業種ごとに担当を決めていた。私は旅行業界の担当だった。最低でも国内旅行、あわよくば海外旅行、とにかく超目玉賞品の獲得が至上命令だった。
『クイズフェスティバル』は2本立てで行うことが決まっていた。第1弾が10月28日、第2弾が11月4日。両方に求心力のある優勝商品が必要である。私は2件の旅行賞品の獲得を最低限の目標として狙った。

初日から11社に電話をかけ、総務、営業、広報といった部署の担当者と交渉した。強く断られた会社以外には全て、企画書を郵送した。旅行業界は賞品協賛が非常に取りにくい業界だということは聞いていた。だからこそ、とにかく数を当たるしかなかった。

10社に電話をかけるとすると、なんとか企画書を送らせてもらえるのは5社、そのうち交渉を継続してくれるのはたった1社である。その1社から魅力のある賞品を提供してもらうため、時には会社へ伺い、時には早稲田への訪問を受け、担当者と話し合った。9月、10月の2か月間はほとんど毎日スーツを着用する日々だった。

9月19日、旅行業界最初の協賛企業が決定した。提供してもらえる賞品は「ニューヨーク往復航空券」だった。
22日には別の会社との交渉で「ニューカレドニア旅行ペア」を提供したいという提案を受けた。私は「ニューカレドニア旅行3名」にしてほしいと要請した。先方はその場で快諾してくれた。
ペアを3名に変えてほしかったのは、『クイズフェスティバル』の第1弾が3人1組の団体戦という設定だったからである。3名の海外旅行が取れたおかげで、第1弾も第2弾も海外旅行を優勝賞品にすることができた。

この賞品が決まると、「広報チーム」が俄然元気になった。「優勝賞品は海外旅行」の文字が躍るビラや立て看板が早稲田を席巻した。

10月に入ると、「渉外チーム」の他のメンバーも、それぞれの担当業種から続々と協賛を取りつけてきた。家電製品、高級腕時計、自転車、ブランド服、ゲームソフト、懐石料理、食器、化粧品・・・。缶飲料や遊園地招待券は1000個単位で提供された。賞品総額は350万円とも400万円とも言われるまでになった。

「企画チーム」は、これらの賞品をふんだんに活かして参加者の意欲を煽るシナリオを描き、大会の構成を練った。

10月中の最後の1週間は、授業に出た覚えがないほどに慌ただしかった。

■集大成■
2000年10月27日、『クイズフェスティバル』第1弾の日。冒頭で書いた大行列が起こった。

実は、この日の昼まではまだ、これほどの参加者が集まるとは思いもしなかった。本当に参加者が集まるかどうか半信半疑でさえあった。参加者が来なかったら・・・会場がガラガラだったら・・・そんな心配が「広報チーム」に必死の宣伝をさせた。当日の昼間も学内にブースを設置し、拡声器で賞品をアピールして参加を呼びかけた。宣伝は驚くほどの効果をもたらしていた。

開場時刻の16:30。行列は主催者の想像を超えていた。会場のキャパシティーは200人弱。何とか立ち見席を作って250人を詰め込んだが、残りの学生には頭を下げて、参加を諦めてもらうほかなかった。
ギュウギュウの満席となった会場で、クイズ番組は進行した。「早押し機」を使った本格的なクイズ企画。司会と参加者の軽快な掛け合い。大規模な敗者復活。そして湯水のように湧き出てくる豪華賞品。イベントの盛り上がりも、主催者の想像を遥かに超えていた。

第1弾は大成功に終わった。しかし、その余韻に浸れる時間は長くはなかった。第2弾では第1弾と同じか、それ以上の参加者が見込まれる。
「広報チーム」は派手な宣伝をやめ、行列を整理する対策に時間を割いた。
「渉外チーム」は参加者を500人と想定し、500人分の参加賞の詰め合わせを行った。この時の2年生の活躍は特に頼もしかった。私は第2弾での賞品の振り分け作業に集中した。息をつく間もなく、5日間が過ぎ去った。

11月1日、第2弾は大隈小講堂(有名な時計台の真下にある講堂)で行われた。雨天にもかかわらず、大隈講堂前の行列はまたも500人を超えた。今度は会場のキャパシティーも大きい。500人の大入りの中、イベントは進行した。
第2弾は往年のクイズ番組『ウルトラクイズ』を模した企画だった。優勝賞品は、ニューヨーク往復航空券。司会者の「ニューヨークへ行きたいか!」の声に500本の拳が突き上がり、「オー!」という轟音が沸き起こる。

この日はイベントの様子を見にきた協賛企業の担当者の姿もあった。私は担当者と挨拶をしながら、スポンサーにも自信を持って見せられる、素晴らしいイベントになったと思った。

20時、成功裏に第2弾が幕を閉じる。同時に『クイズフェスティバル』のプロジェクトも終了、私のサークル生活も区切りを迎えた。
会場からの撤収を済ませ、打ち上げに向かう。徹夜を繰り返し、当日も忙しく走り回った体で、何人もの会員とグラスを合わせた。
打ち上げの最後に幹部が揃って胴上げされた。同期が後輩に胴上げされる姿を見て、胸がいっぱいになった。私も宙に舞いながら、涙をこぼした。感無量だった。

学祭というバックボーンがなくても『クイズフェスティバル』が成功することを示すことができたことは、私達の学年が幹部として残せた「実績」だと思っている。
この日の打ち上げで、イベントをやって本当に良かったと実感したことがある。2年生や1年生の間からどこからともなく「来年の話」が持ち上がっていたことだ。


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