ここ3年のクイ研と戦後の日本を重ねて考える   02.11.10


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関係者以外にはわかりにくい、内向きな文章です。
この文章内の「クイズ研究会」=「クイズフェスティバルを開催する組織としてのクイズ研究会」です。サークル全体を語ってはいません。
批判でも提言でもなく、読み物です。



体制そのものに良し悪しはなく、体制が社会の実情に合っているかどうかで良し悪しは決まる。

3年連続で「クイズフェスティバル」という秋のイベントを成功させたクイズ研究会。今年の成功を外側から見ていた私の目に、ここ3年間のクイ研と戦後日本が重なって見えた。

2000年、クイ研の第19代幹部は、「クイズフェスティバル」を復活させた(事情を知らない方は長いですけどこちらを)。復活といっても、以前イベントを行った時代を知るものはいないし、以前のように学祭のバックボーンもない。事実上、ゼロからのスタートだった。

イベントの復活に踏み切った理由は、当時のサークルにあった閉塞感だった。少なくとも19代幹部の何人かはそれを感じていた。クイ研という社会でみんなが数か月間、1つになって熱くなれる目標をつくりたかった。それが危険な賭けだということは幹部の誰もがわかっていた。

イベント再開に動き出す前のクイ研を、本当は何に対しても全く敗れてないのだが、「敗戦」という状態であるとする。

■ 1年目=戦後復興期
2000年度のクイ研は、戦後復興期だ。
産業の発展へ向け、何も持たない状態から挑戦が始まる。幹部の号令と鼓舞がクイ研内に響いた。
だがあまりに目標が大きすぎた。イベントの成功など夢物語だと考えるほうが自然なくらいだった。指揮していた幹部だって、イベントの成功像など描ききれていなかった。賭けだったのだ。ギャンブルだったのだ。細部に気を配っている余裕はない。

イベントへの組織は、徹底して結果を出すことを優先に考えられた。分業を徹底し、違う役割を持つ3つのセクションで5チームの体制。かつて学園祭のなかで「クイズフェスティバル」を行っていた頃の、全員が同じ役割を負っての7チーム体制とはあまりにも違う。
2000年度のクイ研は、発展途上期である。発展途上国の体制づくりには、個人の幸せよりも全体の効率性の方が優先される。
ただし全体の効率性が個人を不幸に追い込むという話でもない。発展途上の社会では、目標を達成したときの満足感が非常に強く得られる。全体の効率を上げることが個人の幸せにつながりやすい。
つまり、全体の効率性が発揮されるほど、社会の水準が高まり(渉外で思いがけない景気の良さを感じたり、広報がエントリー制を始めたときに強い手応えを感じること)、個人の幸せへと反映されやすい。もっとはしょると、全体の幸福=個人の幸福という構図をつくりやすい。
そういう事情もあって、個々の都合は二の次にして、ひたすら全体の効率性を追求したのが2000年度だった。

2000年度のイベントは周知のとおり、予想を大きく上回る結果を収め、成功した。「もはや戦後ではない」。

■ 2年目=高度成長期
2001年度のクイ研は、高度成長期だ。
国民所得倍増計画は、イベントへの参加人数倍増計画と置き換えられる。第20代幹部は、前年ひととおり成功を収めたイベントを、規模を拡大して再度開催するという目標を立てた。キャパの広い会場を押さえ、参加者を300人から600人へ。まさに倍増計画だ。

この年の体制は、チーム数は1つ増えたものの、前年と全く同じ形の3セクション制。
もう一度同じ体制で、前年に起こった細かい失敗を修正しながらしっかりとイベント運営を行ったらどうなるのかを実証するという隠れた使命が、この年のクイ研にはあったと考えることができる。

2001年度、クイ研のイベントは大隈大講堂を満員にし、参加人数倍増を達成した。

■ 3年目=先進国に
2002年度のクイ研は、一気に80年代へ。先進国の日本である。
第21代幹部は、それまでの成功を支えてきた3セクション体制の完成度を増しながら、王道を歩むようにイベントを開催する。イベントの完成度も、高いレベルで安定している。
「余計な小細工は要らない」「当たり前のことをすれば当たり前に勝つ」「一流のサークルが一流のパフォーマンスをみせた」。そんな言葉が似合いそうだ。

2002年度、イベントは高いレベルでの完成度を保ち、成功した。

■ ポスト成長社会
さて、日本社会の話をしたい。先進国として成功を収めた日本社会はどうなっているか。
現在の日本の統治体制はまだ、戦後復興期からキャッチアップ型の成長を支え、日本を先進国へと押し上げてきた、官僚機構の大きな体制が残る。
まず中央集権の構造だ。地方が中央に依存し、中央の一部の官僚が意思決定を行い、中央から地方に仕事が分配される構造。
そしてセクショナリズムだ。タテ割りの部門の中で、自分の持ち場の仕事だけに集中する姿勢だ。
そういう体制自体が悪いわけではない。時代に合えば良い。しかし成長を終えた日本社会に、成長を目標として構築された体制はマッチせず、制度疲労を起こしている。

現在の日本社会のキーワードは、規制緩和だ。分権だ。
いままで中央の省庁がセクションごとに持っていたものを、民間や地方に権限委譲することだ。
分権が進めば、いままで中央政府の指示の下で仕事を行うだけだった地方政府は、セクション化されていた仕事を柔軟に組み換え、自発的に組織を再構築しながら、独自のスタイルを確立することができる。
権限が住民に近いところに下りてきた分、地域の実情にマッチした、住民本位の制度を築くことができる。

では、先進国として成功したクイ研はどうなるのか。
「官主導のセクショナリズム」は、クイ研の3セクション制と重なる。「住民本位の分権社会」とはクイ研でいうどんな体制だろうか。

ヒントは、とあるページの日記にある。
「昔はフェスティバルの企画数自体がもっと多くて、今みたいに長いのだけじゃなくて、30分とか細かいのをいくつかやってたりしたんだって。そのうちひとつは必ず1年生だけに任せてみたりとか、そういうこともしてたんだって。」

とある同期からのメールにある。
「やっぱり硬直的なセクショナリズムはもう限界のような気がする。(中略)俺らが低学年の頃の六企画って嫌でも普段あまり話したことのない人と同じグループで話すようになったりするでしょ。学校とかもそう。意外と高学年になって初めて話した人と一番の仲良しになったりするもんな。」

2000年度の話で、「個々の都合は二の次にして、ひたすら全体の効率性を追求した」と書いた。大きすぎる目標に向かっている時代には、全員がその目標を達成させるだけで精一杯だった。
だが、目標が手の届く場所に見えている時代には、それ以上の付加価値を1人1人が求めることが許される時代になる。

日本社会の構造改革は、強い利権を持つ抵抗勢力に阻まれ、なかなか前へ進まない。
クイ研の構造改革は、簡単に成し遂げることができる。強制的な世代交代があることが、学生組織の長所だからだ。


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