神戸新聞連載第20回                   トップに戻る
古市先生の自然探険ニュース

■ 中学校教師になった
 昭和52年、京都工繊大の研究室で修士論文を仕上げているとき、事務の女の方があわてて入ってきた。「チチキトク、スグカエレ」という電報であった。  「裕之、ワシが病院を出たら、盛大に酒を飲んで話をしよう」と親父は言って、まもなく肝不全でなくなった。元憲兵の親父は、戦争をいつまでも引きづり、焼酎漬けで肝臓をつぶしてしまった。京都から帰った私は、親父のために教職の道を決意し、がむしゃらに勉強した。西宮の公立中学校に4ヶ月の臨時採用の後、9月から正式採用になった。
ところが教師になったものの、見事に通用しなかった。昭和50年代半ば、中学校がとことん荒れている時代であった。私が赴任した学校もその例にもれず荒れていた。酒、タバコ、授業エスケープ、教室全てのガラス割り、シンナー、対教師暴力・・・なんでもあった。授業中だというのに、便所でロックをがんがん鳴らし、踊っているものもいた。もう殆どノイローゼになりそうな毎日だった。“必死で覚えたあのペスタロッチは教育現場では何の御利益もないじゃないか。いじめられっ子は生徒ではなく教師だ”とまで思えてきた。そして、真面目な体育教師まで生徒に殴られ、入院した。“なにか、せなあかん。教師として、なにか”自信喪失とあせり、切実な思いがあった。
 そんなとき、西教組主催の教育講座を聞いた。芦屋市立山手中学校の古市景一先生による講演「自然探検ニュースの取り組み」である。これだと思った。私もしよう。荒れてる子どもたちが、少しはこちらに顔を向けてくれるんじゃないか。そう思って必死で始めた。それ以後、自然通信は15年続けた。この通信によって、私は子どもたちにどうにか認められ、教師をやめずにすんだ。
■ 古市先生の自然通信の神髄はなにか?
 何故、「自然探検ニュースの話」に感銘したのか。
 古市先生は子供たちに次のように課題を提示する。
「君たちにとって珍しいと思うもの、変わっているなと思うもの、今年はじめてみたなと思うものを持ってくるか、報告してください。大したことないなんて、遠慮しないで、堂々と報告して下さい。」
 古市先生は、「子どもの報告はどんなささやかなものでも、耳を傾けよ」とおっしゃる。「なんや、こんなもの」とは絶対言わない。その子にとって、興味を引くものならば、それは素晴らしいものなのだ。子どもの心を大切し、子どもの報告を通信という形で全体に返すことで、生徒どうしで発見の喜びを共有しあい、高め合おうという実践である。とは言うものの、この実践は当初、うまく行くとは思っていなかったという。このような自然探検の実践は、これまで小学校低学年が中心であった。都市部の受験体制に組み込まれた中学生に、受け入れられるか、自信はなかったという。だがその心配は全くの杞憂に終わった。古市先生は自然通信の継続的、爆発的な発行によって中学生にも通用することを実証された。
■ ある寡黙な生徒の変容(古市先生の実践)
 精道中に勤務していた頃、小学校時代から殆どしゃべらない寡黙な生徒がいた。彼は目立たず、まわりからその存在が軽んじられていた。ところがこの自然通信において彼の活躍はめざましく、カブトムシの幼虫や河口に潜むハゼなど、珍しい生物をいともたやすく次々に捕まえてきた。そのするどい観察力や自然経験に対して、級友たちは、一種尊敬の気持ちを込めて、彼を“博士”と呼び、一目おくようになり、動物については彼に質問するようになった。
 普通の授業では、テストで良い得点を残せない生徒は、その教科をつまらないと感じたり、皆から疎んじられる。ところが自然通信を中心に据えた授業では、発見の意欲とか豊富な自然体験とか洞察力とかテストではなかなか測れないけれど、理科にとって大切な能力を培い、磨くことができる。
■ 荒れた中学校に授業からの提案
 この「自然探検ニュース」の考え方こそ、荒れた中学校を救う最も根本の発想ではなかろうか。先日、古市先生とお会いし、示唆に富んだお言葉を頂戴した。
 「学校の荒れを解決するのに、ややこしいことはいらない。学校が子どもたちに学ぶ楽しさ、分かる喜び、発見の歓喜を与えることです。」古市先生は定年後も西宮の深津中学校で教鞭をとられている。