■第9回 2005/03/25 ■西郷隆盛を評した坂本竜馬の言葉 参考資料として「竜馬がゆく(司馬遼太郎著)」を久しぶりに読み返しました。表紙はボロボロ、ページの端を折った後がいくつも残っていました。 初めて読んだのが中学生時代。胸の内に熱くなるものが込み上げてきたことを今でも覚えています。その後も何度も何度も読み返しては、竜馬のようになりたいと思いました。 また、京都東山にある坂本龍馬と中岡慎太郎の墓に行っては、いろいろな誓いを立てものです。もっとも、達成できない事のほうが、多かったのでが・・・。 とはいえ、あらためて読み返して決意を新たにしている今日この頃です。 ■西郷隆盛を評した坂本竜馬の言葉 善く問いを待つ者は、鐘を撞(つ)くが如(ごと)し (礼記) 「善く問いを待つ者」とは立派な教師を意味する。 よき教育者は生徒にとっては鐘のようなものだと、礼記ではたとえている。何故ならば、小さくたたくと、小さな音でしか鳴らない。大きくたたけば、大きな音で鳴り響くからだ。 教えを請うものがくだらない質問をすれば、つまらない答えしか返ってこない。ところが、考え抜いた質問、ポイントを押さえた質問をすれば、しっかりとした答えが帰ってくる。 教育というものは、教育者が一方的に教えるだけではない。教わる者が積極的に参加してこそ、教育は成り立たつのだ。 礼記では教師と生徒の関係を表しているが、別に教育に限ったはなしではない。人間関係すべてに当てはまることだ。 ■竜馬、西郷を評して・・・ 幕末期の元治元年、勝海舟は幕臣として軍艦奉行をつとめていた。その勝に師事していたのが坂本龍馬である。 一方の西郷隆盛は薩摩藩を代表して、薩摩から出てきていた。 勝海舟はこの二人を引き合わせる。竜馬が京都に出る際に、錦小路の薩摩藩邸に立ち寄って、西郷と雑談でもしてこいと勧めたのである。 後に坂本龍馬と西郷は倒幕から明治維新に至る時代の流れのなかで、大きく活躍することになる。 西郷と会見した竜馬は勝のもとに帰ってきたが、いっこうに感想を述べない。勝が数日して竜馬に西郷をどうみたかを訊ねた。 竜馬は次のように返答している。なお、以下は勝の語録からの抜粋である。 氏(竜馬)いわく、 「われ、はじめて西郷を見る。その人物、茫漠としてとらえどころなし。ちょうど大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きく鳴る。」 礼記の一句をふまえて、竜馬は西郷の人物像を表現したのであろう。ここで、勝は「知言なり。」と感心している。さらに、評価する者が第一級の人物なら、評価される者も第一級の人物だと、勝は日記に書き残した。 ■お互いの鐘を大きく叩く ちなみに、西郷は竜馬を次のように評している。 「天下に有志は多く、自分はたいていこれと交わっているが、度量の闊大(かつだい)なること、竜馬ほどの者はいまだ見たことがない。竜馬の度量は計り知れぬ。」 確かに、勝が感心するように双方とも大人物だ。 だが、坂本龍馬や西郷隆盛は最初から第一級の人物であったわけではない。良き指導者に教えを請い、自分で自分自身を育て上げ、交友すべき人材を求め続けたのである。幕末にかぎらず、その姿勢はいつの時代でも必要なことだ。 その気になれば、周囲の人々は自分の教師となる。すべての分野で一級ではなくても、優秀な面を持っているだろう。そういった面を見習い、教えを請えばよい。 その事に気づかないで表面的な接し方をすれば「小さく叩く」ばかりだ。それでは相手の鐘は「小さく鳴る」だけなのである。 また、あなたは周囲の人々の教師でもある。あなた自身も、人の見本となるような優れた面を持つはずだ。何も勉学面に限らない。 たとえば誠実な人柄、得意な分野での豊かな教養、小さなことでもコツコツと続ける持続心など、幾らでも長所があるだろう。「大きく叩かれた」ときに、あなた自身が「大きく鳴り響く」ことができる。 お互いの鐘を大きく叩き、大きく鳴り響くような環境に身をおくことができれば、ずいぶんと闊達で立派な人物ができあがることだろう。願わくば、日本全体がそのような社会でありたいものである。 |
