■第10回 2005/04/14 ■才能や知識だけでは生き残れない 世の中では様々な才能や知識が要望される。 自分の才能を見つけて磨きをかけ、新しい知識を得る。良い生活をするために、良い仕事をしてお金を得るために、この行為は当然のことだ。 ■「徳は才の主(しゅ)、才は徳の奴(ど)なり」 出典:菜根譚 技術革新のスピードは速く、社会環境も変革の過程にあり、あらゆる分野で激しい変化に対応しなければならない。人は生き残るために、自分の才能を伸ばし、知識を蓄える努力をする。 「自分にもっと、才能や知識があればなぁ」と誰もが考える。 ところが、才能に満ちあふれ、十分な知識を蓄えているにもかかわらず、満足な結果を得ているとは思えない人々がいる。 才能や知識があっても周囲からは高い評価をされていない。あるいは、求めていた幸せでより良い生活を過ごせていない。 どうも、知識や才能だけでは<より良く生きる>ことができないようだ。 ■人格は主人、才能は召使い 今回、「菜根譚(さいこんたん)」という、随筆集からの紹介である。筆者である洪自誠(こうじせい)は次のように述べている。 人格は主人であり、才能は召使いである。 もし、才能ばかりあっても人格が備わっていなければ、主人がいない間に召使いが勝手気ままに振る舞う家のようなものだ。これでは、良く治められた家とはいえない。 同様に、主人である「人格・徳」が備わっていない人の心の中は、妖怪変化の巣窟のようなもので、果てもなく乱れるばかりである。 洪自誠はこの主人と召使いのたとえで、「人格・徳」と「才能・知識」のどちらを主にすべきかを明らかにしている。 とはいえ、現在の日本では主人と召使いのたとえ話はピンとこないので、召使いをナイフのような道具に置き換えてみよう。 道具としてのナイフは良く切れるほど、高い評価を受ける。持ち主がナイフを正しく使いこなすことが出来れば、良い仕事ができるはずだ。 ところが、ナイフの切れ味にばかり関心を持ち、無用やたらに振り回す人がいたらどうなるだろうか。周囲に迷惑をかけるばかりか、最後は自分自身を傷つけるような結果になりかねない。 持ち主(人格・徳)が、正しくナイフ(才能・知識)を使いこなせないために、不幸を招いてしまうのだ。 ■より良く生きるために 才能や知識が大事なのは間違いない。これがあれば成功する機会も多いはずだ。 しかし、それがすべてではない。 「才能・知識」を使いこなせる「人格・徳」がしっかりとする必要がある。才能も大切だが、何事もバランスが大切。 この先の十年、二十年と長い月日を過ごして行く際には、このバランス感覚を欠くわけにはいかない。 この考え方は、表面的な道徳の話ではなく、生き残るための知恵でもある。 才能がある人物は高い評価を得る機会が多いが、一方で嫉妬や批判の受けやすい。しかし、自分自身をコントロールできる人物なら、無用な反感を受けなくてすむ。 「人格・徳」は、人の生き方を左右する、高い次元での成功要因なのだ。適切なバランスを保てば、より良く生きる事ができるであろう。 |