| ROOTS: 塚原は、祖父の話によると茨城県鹿沼地方の庄屋の出だそうだ。そこには、塚原城があって、 かの塚原卜伝は、そこの剣術の師範だった。別段、血縁があったかどうかは知らないし、 その前を遡ればミジンコだった点では、人類みな兄弟姉妹ということではあるが…。 |
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| 塚原の家紋は、「抱きおもだか」っていうもので、右図参照。 家紋は、その家の出生の参考になるという話だけど、今の時代は 個人主義が主流となって、なかなか家がどうのこうのとは言われない。 でも、歴史という流れの中に自分自身も組み込まれ生きているんだよね。 |
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均は、親父が付けた名で、生まれた時の総理大臣の名と同じで、親父がその三十年を生きて きて人生はバランスが大切だ、ということを感じて付けたと、小学校2年の宿題で聞いた自分に 話したことを覚えている。ちなみに、それを聞いてもその当時の自分には意味が分からず、 また札付きのガキ大将だった自分には、何か気恥ずかしく、宿題を忘れたと言ったことも 覚えている。宿題を忘れた、という言葉には深い意味があることを知ってくれよ、先生方よ。 |
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おかげで、小学校低学年までは、特殊学級に入れられそうになるほど、「きかない子」で 下校の時に好きな女の子を学校裏山に連れ出してキスしたことがあって、それが幼ごころに 痛みを感じた最初だね。それから、クリスチャンの母に連れられて上大岡の先の最戸橋に あるキリスト教会の日曜学校に通ったり、3、4年の時の担任だった横浜国大出の高橋先生、 5、6年の時の担任で赴任してきて、いきなりサッカー部を作った中村先生に良くしてもらい 何とか、ぐれないで中学校に進学できた。中学校は、横浜でもマンモス校として名高く、その 当時一学年12クラスという規模の一大社会を形成していた。中学1年のとき、家の前で小さく なったスパイクシューズをはいてサッカーのドリブルをしていて、足を折って入院したのが一つ の自分の転機になった。ちょうど、幼少年期から青少年期への時期と一致していたんだね。 |
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足を折って入院療養した三か月を取り戻す為に、学友達からのノートを借りて勉強に目覚め、 中学1年の終盤には勢いに乗っていたね。そうそう、小学5年の時に小学館「小学五年生」に その当時の人気漫画だった「いなかっぺ大将」のキャラでの発明コンペがあって、その 大ちゃん賞を「肩たたき機」で受賞して顕微鏡をもらったことなんかも、勉学への布石になって いるかも知れないけどね。とにかく、ちょうど高校受験に関係のある中学2年、3年はそんな 背景で自分の中では勉強ができた。それと並行して色気づいてきたニキビづらは、中学2年 の時にそれまで小学校も一緒ではあったけどクラスも違って話す機会のなかった同じクラスに なった女の子と交換日記をして恋心を育てたものだよ。確かに女の子の繊細でいてたくましい 言葉に触れ恋したことは事実ではあったけど、青少年期の門口に立つ自分には自分しか見え なかった。そして相手を思いやる気持ちが空回りして当然のごとく振られたね。それが多感な 高校時代の当初にあったことで、外交的な虚飾から内向的な真実を見つめることにもなった。 |
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| それから先のことについては、「企画家の世界」で分野別に語っているよ。 (でも、このサイトはしばらく更新していないから、記念碑的存在ではあるね。) そして、今から2、3年前にまとめた「夢いろキャンバス」には作品があるよ。 (これには、現在の挑戦も含めて、更新を開始したから、直近の塚原均が居るのかな。) i-modeサイトを開設したみたよ。「i塚原」にはピックアップされた作品があるよ。 Niftyのココログにブログサイトの「企画家の日々」も立ち上げてみたよ。 いま、塚原 均は ここ にいるよ。 |
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