香港漫画の出版・製作システム

漫画の制作方法には、アメコミ、日本漫画、etc...と、
やはりその国ごとの特徴があるものである。
香港に於いてもまた、
土地柄が反映された、独特のシステムが働いている。

1、制作
日本漫画との、一見したところの最大の違いは、やはり全ページがカラーであると言うことであろう。原色を避け、色数を押さえた香港漫画の色使いは、多くのアメコミのような他のカラー漫画では見られない。この作業は、かつては「分色」スタッフが専従で行い、このスタッフは「漫画家」とは一線を画したものであったようだ。現在はコンピュータ彩色になってしまったので分からないが、意外に重要視されていないものを感じたりする。
もうひとつ、そして制作上の最も大きな相違が、80年代から導入された「流水作業」要するに流れ作業型式の作画法である。これは日本における「アシスタントとの共同作業」の様な生易しいものではない。キャラクターを一つ描き上げるにも、頭部、体、衣服、頭髪、細部の腺、と作業を何段階にも分割し、それを何人ものスタッフが分業するのだ。香港漫画において、一つの作品をいったい誰が描いたのか、と言うことがどうしても分かりにくいのは、一つにはこのシステム故である。近年はこういった作業型式の創作性に与える弊害から、かなりの反省があったようで、状況は変化しているが、香港の漫画制作の根底には、このシステムが深く根付いているのである。
2、出版
かなり独特である、と言わねばなるまい。
香港の出版社では、漫画家がその代表であり、その作家の作品を出版する。制作から出版まで、すべてその社内で行い、他の組織は一切、関わらない。故に編集者と言う存在も、プロダクションと言うものもない。それらはすべて一つの会社でまかなっている。これは伝統的な出版制度のあるところでは、まず聞かない形態である。(アメコミにダークホースコミックとかは少しあったが…)

ではなぜこんなシステムができあがったのだろうか。
誤解を恐れずに言えば、香港の漫画は、金のための物だからである。
かつての、貧しく多くの人々が必死には収入を得ようとしていた香港で、学もなく、日々つらい仕事に従事しなければならなかった大衆の夢と現実、その中から生まれてきたのが狭義の「香港漫画」である。それは、きわもの、暴力、ポルノ、そういった上流の「芸術」とはほど遠い所からやってきた。
そして、漫画家自身もまたそこから現れたものだったのである。彼らの多くは、「学歴を積み、大企業に就職して…」と言った「エリート」階級には属さない者達だった。むしろ十代もまだ浅い頃から働き始め、混迷の時代の香港で何とかして自分の地位を獲得しなくてはならない、そんな人々であった。彼らにとって、自己の技術である漫画を使って、いかに効率よく儲けるか、というのは「拝金主義」などと言うには、余りに切実な問題であったのだ。「芸術」は飼い慣らされた余裕から生まれる。私はそうした「芸術」を、決して否定はしないが、だからといって高貴で、そうでないものを見下して良い存在だとは思わない。

少々語りすぎた。出版の話である。当時、70年代頃の香港には禄に「出版社」と呼べるようなものはなかった。漫画家には頼るべきものもなく、また世話と称して搾取する、仲介業者も持たなかったと言うことである。漫画を売って儲けようと思ったら、自分で会社を興し、自分で印刷して売るのが、最も理にかなっていたのである。
漫画の売り上げによる利益が、出版し、編集した機関に、ある程度もって切れる、というのは日本でなら当たり前であろう。しかしこうした成立の経緯を持つ香港の漫画界ではそうではない。主筆に昇格し、ある程度自分の漫画が利益を生み出すようになれば、同じ漫画家にすぎない社長に、利益を得るどんな権利があるのか、と思うようになるのは当然ではないだろうか。
かつては香港の漫画界は「黄玉朗」のもとに統一されていた。しかしひとたび一介の社員、主筆漫画家に過ぎない馬榮成の「中華英雄」が、市場を席巻するようになれば、彼の独立は当然だった。末期の玉朗は、そのことを最もおそれていたように見える。
現在数多く存在する、漫画出版会社はその殆どが、玉朗集団崩壊に伴って、「1企業/1漫画家」式に設立されたものの、なれの果てである。→漫画出版・製作会社一覧