奉天古陶磁と陶磁学者 (2)
上田恭輔と佐藤雅彦が残したもの
●「吉薗手記」と「奉天図経」によって現在、中国陶磁器の名品と言われるものは、そのほとんどが奉天城に秘蔵されていたものであった事が分かっています。それらの秘宝は一旦、紀州徳川家の所蔵となりますが数年経つうちに流出し、各地の美術館に収まっています。
●それらの奉天古陶磁を実際に見た数少ない陶磁学者が、上田恭輔と佐藤雅彦です。
2.佐藤雅彦の謎の書『中国陶磁史』
佐藤雅彦は、昭和53年に『中国陶磁史』を著し、平凡社から公刊しました。
吉薗明子氏の叔母であるチヤ氏にこの本の刊行にまつわる話しを聞いた落合氏は、古書街に行き早速手配しました。
396点の図版のうち、土器に類するものと他書からの転載写真の合計約60点ほどを除く約340点のうち、半数以上が張作霖由来の奉天宝物であると推定できる。というのは、私がこれまでに見ることができた『奉天古陶磁図経』と『吉薗三井合作図譜』(写本)に記された396点のうち、171点が佐藤雅彦『中国陶磁史』の掲載品と合致するからで、佐藤が持ち去ったままの2,3冊が見つかれば、合致品の点数はまだまだ増える筈だからである。 注) 落合氏は平成2年に陶磁関係の全集物を集中して読破していました。 「河出書房版『世界陶磁全集』と小学館版『世界陶磁全集』、平凡社の『陶磁大系』と『陶磁全集』などである。読後の感想は、通常の古陶磁理解のためなら何か一つで充分であるということだった。 どの全集も同じ物の写真を並べ、同じ顔ぶれの学者が解説を載せる。学術書のごとき体裁ではあるが、心して読めば実は一個づつについて皮相な観察を書き流す一種の散文詩にすぎない。掲載品だけでなく古陶磁全体を体系的に把握しようとしていない本ばかりである。こんなもの幾ら読んでも陶磁史は分かるまい。多数の遺品から一般法則を抽出し、陶磁器史の本質を洞察しようとする意欲が見当たらない現状の陶磁史学は科学の名に値しない。また、陶磁学の現実的な効用は『真贋の区別』である筈なのに、真品と倣造品を具体的に比較してその差異を究明する努力をしない陶磁全集は、物の役に立たないのである。」 (落合氏解説) |
| コレクター別に数えると次のようになる。流出品は奉天古陶の中では必ずしも最高品ではないのだが、それでも既に十数点が重文に指定されている。 東京国立博物館所蔵では白磁鳳首(鶏頭)瓶と郊壇青磁鉢、染付魚藻文壺(佐藤書には不所収)、その他では掬粋工芸館の鳳凰草虫文瓢瓶や永青文庫の三彩花文大盤と唐三彩花文盤(一点は不所収)、安宅コレクションでは染付魚藻文大壷、法化花鳥文壺、藤田美術館の白緑油滴天目碗、白鶴美術館の金襴手獅子牡丹唐草文などである。以て奉天古陶磁の質的水準が窺い知れよう。 (落合氏解説) |
佐藤雅彦『中国古陶史』掲載写真総計 396点
転載品、土器を除く合計340点(うち奉天古陶磁 171点)
| 所蔵 | 点数 | 奉天古陶磁の数 | 代表品 |
| 個人蔵 | 83点 | 63点 | 白地黒掻落草虫花鳥文瓶 |
| 東京国立博物館 | 29点 | 21点 | 郊壇官窯鉢、白磁鳳首瓶 |
| 出光美術館 | 18点 | 11点 | 青花双龍文扁壺、金襴手仙盞瓶 |
| 梅沢記念館 | 16点 | 5点 | 青花龍文鉢、黄釉耳付杯 |
| 大和文華館 | 9点 | 3点 | 黒定金彩碗、青磁鉄班文天鶏壺 |
| デビッドコレクション | 8点 | 6点 | 均窯月白釉紅斑瓶、豆彩花蝶文壺 |
| 安宅コレクション | 7点 | 3点 | 青花魚文壺、法花花鳥大壷 |
| 大阪市立美術館 | 6点 | 4点 | 白磁黒釉三脚盤、白磁四耳壺 |
| 永青文庫 | 5点 | 3点 | 三彩宝相華文三足盤、紛彩連瓶 |
| ここで注目すべき特徴の第一は、個人蔵が最大のウエイトを占めることである。これは各美術館蔵の公開品を集めて編纂した他の陶磁書とは著しく異なるもので、まさに本書の特徴といってもよく、佐藤教授の本書執筆動機をここに伺うことができるのである。つまり、佐藤教授は本書の中に63点に及ぶ未公開品を含む、171点にのぼる奉天古陶磁を公開しておくことで、将来にわたり真贋論争の火種となることを願っていたと見るしかない。 未公開品の写真は、佐藤教授が奉天古陶磁を「扱った」か「鑑定した」ときに意識して撮り溜めしておいたもの、と伝えられる。佐藤教授はそれを取り扱った以上、所蔵者を知っていたが公にしなかった。数十年もこれだけの名品を数多く、自家に秘めたままというのは、よほど懐の深いコレクターである。 (落合氏解説) |
| 第二の特徴は、所収の図版には重文指定の品が多いにも関わらず、重文指定の表示をしていないことである。これは図版提供者に対して失礼な扱いである。佐藤教授は、小山富士夫主導の重文指定行為を白眼視したい心中を、敢えてこう表現したものではなかろうか。 父子の因縁で、心ならずも佐那具倣造品の販売に加担してしまった佐藤雅彦は、時とともに一大決心を固め、後世に託する告発書として『中国陶磁史』を著した。本書が公開・未公開の古陶磁を多数掲載しながら、佐那具製品を全く除外している。つまり、未公開品の名品を紙上公開しながら、逆に公開されている有名品を掲載しないことで、暗に佐那具の贋作を告発したのである。佐那具関係者には刊行のことを一切告げなかった佐藤教授は、自身が200冊を買い取って、全国の図書館・美術館に送付した。 |
| 奉天古陶には、本書の所収した公開品に加え、さらに世人を瞠目させる超名品が存在することを、『奉天古陶磁図経』、『三井良太郎図譜』から佐藤教授は知っていた。あれだけの未公開品が、いつまでも眠ったままということはあり得ない。いつか後学が現れて、本書の執筆動機を解明する日がやって来る。 佐藤は、周蔵から借りた『奉天古陶磁図経』の数冊と『三井良太郎図譜』及び、『吉薗三井合作図譜』の処分について、考えに考えた。これらは、真贋の急所を見分けるのに必須の文書で、未公開品のコレクターには何より貴重な真作証明書となるが、一方佐那具派としては何としても抹殺、焼却しなければ、遂に安心できないものである。もともと吉薗家に帰属すべきものではあるが、佐那具製品が真品顔で世にはびこってきた以上、この文書の性質は社会性を帯び、もはや私有を許されない公器となったが、吉薗家に返却したとしても、佐那具派の魔手が延びれば、今後の安全は期しがたい。 佐藤教授は結局、それらを某公立美術館に寄託した。いつか奉天古陶磁の全容が明らかになる時期が来ることを望みつつ、その期待を込めたものと見られる。 (落合氏解説) |
●付記
| 日本国民全体に代わって文化財指定を行う実権を握った小山富士夫の、その後の履歴と、中国古陶磁の重文指定時期との関係は次のようになる。青字は、目下のところ「奉天古陶磁」と判明しているものである。 (落合氏解説) |
| 昭和23年4月〜 | 東京国立博物館調査課勤務 | |
| 昭和24年2月18日 | 白磁鶏頭瓶(東博)、郊壇青磁鉢(東博) | |
| 昭和25年9月〜 | 文化財保護委員会事務局勤務 | |
| 昭和27年3月29日 | 金襴手透彫仙盞瓶(五島)、金襴手花鳥文瓢瓶(安宅)、砧青磁銘千声(近衛陽明) | |
| 昭和27年7月19日 | 白地黒掻落牡丹文瓶(永青)、白地黒掻落龍文瓶(白鶴) | |
| 昭和28年3月31日 | 白緑油滴天目碗(藤田)、緑金襴手牡丹碗(個人) | |
| 昭和28年11月14日 | 定窯白磁金彩碗(個人)、定窯柿釉金彩(個人)、定窯柿釉金銀彩(個人)、窯変天目(個人)、窯変天目(国宝・藤田) | |
| 昭和29年3月20日 | 青磁大内筒(根津)、染付大皿(根津)、飛青磁(安宅) | |
| 昭和30年2月2日 | 青磁袴腰大香炉(出光) | |
| 昭和30年6月22日 | 金襴手獅子牡丹唐草文八角壷(白鶴)、油滴天目鉢(個人)、金襴手下蕪瓶(根津) | |
| 昭和31年6月28日 | 金襴手六角瓢形瓶二口(畠山) | |
| 昭和32年2月19日 | 染付鳳凰草虫八角瓢瓶(掬粋)、染付魚藻文壺(東博)、砧青磁鳳凰耳瓶(五島) | |
| 昭和33年2月8日 | 青磁瓶(梅沢) | |
| 昭和34年12月18日 | 定窯白磁蓮華唐草文鉢(梅沢) | |
| 昭和35年6月9日 | 青磁太鼓胴水指(静嘉堂)、木葉天目(安宅) | |
| 昭和36年7月 | 永仁の壷事件により辞職 | |
| 昭和37年6月21日 | 唐三彩花文大盤(永青文庫)、金襴手花鳥文瓢瓶(個人) | |
| 昭和38年2月14日 | 唐三彩花文盤(永青文庫)、唐藍彩貼花文壺(静嘉堂) | |
| 昭和39年1月28日 | 五彩魚藻文壺(松永) | |
| 昭和40年3月 | 文化財保護審議会専門委員 | |
| 昭和43年4月25日 | 青磁鳳凰耳瓶(安宅) | |
| 昭和43年7月 | 文化財保護審議会専門委員 | |
| 昭和44年6月20日 | 釉裏紅草花文大壺(梅沢) | |
| 昭和45年5月25日 | 馬蝗絆(三井) | |
| 昭和46年6月22日 | 染付龍濤文大瓶(畠山)、瓜形水注(個人)、白磁蓮華文深鉢(安宅) | |
| 昭和47年5月30日 | 法花花鳥文壺(安宅)、五彩金襴手碗五客(個人)、染付宿禽文大盤(安宅) | |
| 昭和47年9月〜 | 出光美術館理事就任 | |
| 昭和48年6月6日 | 染付牡丹唐草文(個人 ⇒ 東洋陶磁) | |
| 昭和50年 | 死去 | |