●川島芳子の処刑に関して
東洋のマタハリ川島芳子は反逆通敵罪として死刑の判決をうけ、1948年(昭和23年)3月25日に
中國最高法院北平分院の刑場で死刑執行された事になっています。しかし、吉薗氏の情報では、
彼女は実は生きていたとの事です。
「ニューリーダー」に川島芳子に関して、下記の内容が書かれていますが、これは吉薗手記に書いてあったのか、娘の明子氏に聞いたのかは明記されていません。
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| ところが最近「日本のスパイとして【東洋のマタハリ】と呼ばれ、昭和23年に北京で処刑された筈の川島芳子が、処刑を免れて吉林省で昭和53年まで生きていた」との証言が出た。吉林省長春の張トという41歳の画家が、義理の祖父・段蓮祥が芳子の監獄からの脱出に関わったと証言したのである。詳細は新聞が報じたから略するが、この報道を機に、報道関係者から私の許に多くの問い合わせや感想が寄せられた。 (中略) 本誌の読者諸賢からは、今回の証言で『周蔵手記』の信頼性がさらに高まったと激励が寄せられたが、従来その信憑性に疑問を感じ拙稿を陰謀史観と見倣していた向きの中からも、今回の証言を機に見直す人がかなり出てきた。その中に、藤山は政界引退後に日中友好に努めたが、岸内閣の外相の時には訪中はおろか、周首相に会った記録もないとの指摘があった。何分、この一件は周蔵周辺の口伝に過ぎず『周蔵手記』の記載ではないから、執筆当時は厳密な裏付けを取っていなかったので、今回改めて調べてみると、実は☆昭和30年のバンドン会議の時と判明した。当時藤山は政界入り前で日商の会頭をしていたが、鳩山内聞の経済企画庁長官・高碕達之助の顧問として会議に出席し、周恩来に会ったのである。ゆえに、上述の傍線部は私の誤りと分かったので、ここに訂正する。 疑史(第54回) 陰謀史観 (『月刊日本』2009年3月号)より |
川島芳子の処刑に関する疑問に関しては、yayakoさんの作られた『「李香蘭」の館』のHPに詳しく書かれていますので、是非ご覧下さい。
http://www.netlaputa.ne.jp/~yayako/jinbutu/yoshiko3.html
http://www.netlaputa.ne.jp/~yayako/ (トップページ)
ここで上げている疑問点は、
これを見ると、処刑に関してはかなり怪しいですね。私は周蔵氏の証言には信憑性があると思います。