四月の野球  Baseball in April and other stories , Gary Soto 1990
         神戸万知訳 理論社 1999年4月 


 さわやかなような、ものがなしいような、泣き笑いしちゃうような、そんな短編集です。
 ソトは、初めて日本に紹介されたチカーノの作家で、チカーノの視点から、アメリカの今を生きる子どもたちの姿を浮かび上がらせています。同じマイノリティの子ども群像という意味では、アルバニア系のサローヤンが書いたテイストに少し近いんだけど、サローヤンよりさっぱりしていて、ライムを落として飲むビール(これもメキシカンですよね)のような感じです。
 登場する子どもたちは、みんな敏感な心を持っています。「スポットライトを浴びてみたかったのだ。嵐のような喝采を受けて、友だちに『おまえ、やるな』と言われたい。それに女の子にもアピール」したいと思うマニュエルの、成功/失敗談の「ラ・バンバ」。ちょっとテレ笑いしながら、来年のタレント・ショウのことを、マニュエルはもう考えています。
 年頃になって、恒例の家族旅行に行くことを拒否し、父親とやりあい、行かなくなったら行かなくなったで、不安とちょっぴりの後悔を覚えるマリアの数日を描く「成長」。マリアは、「自分に何かが起こっている、これが成長ってことなのかもしれない」と人形を抱きしめます。親友と、ショッピングモールでウィンドウショッピングを楽しみ、男の子の品定めをしながらも、一人で家に帰ったときには、人形に頬を寄せる。そのアンバランスさに、甘酸っぱく感じつつも、共感してしまいました。
 ソトは詩人でもある作家だから、異性に向く心、自分に向く心、家族に向くヴルネラブルな心を、「悲しい」「うれしい」「楽しい」などというコトバを使わずに、情景から浮かび上がらます。

 あと、女の子にいいかっこをしたい一心で、めちゃくちゃなフランス語を言ったビクターの姿に、借りた車でデートをしていた自分の大学時代を思い出し、鼻歌を歌い始めるビューラー先生のようなオトナも、いい感じ。

 この作品は、普遍的なティーネイジャーの姿を描いていて、日本の子も、アメリカの子も共感を持って受け入れると思うのですが、やはり、チカーノの文化と無縁では語れません。
  『四月の野球』は、ショッピングモールとか学芸会とか、コーラとか芝刈りとか、アメリカ文化に根ざしているのですが、作品全体のユーモア、ペーソス、また情景の細部は、チカーノならではのものです。スペイン語の会話あり、タコスのおいしそうな匂いあり。いかにもアメリカンなショッピングモールで、GAPの服の品定めをするのは、浅黒い肌にくっきりとした目鼻立ちの、陽気なチカーナの少女なのだろうな、と想像できます。
 アメリカのエスニック・マイノリティの作品は、成長や子どもの姿を主題にしつつ、その民族集団のスパイスが効いています。等身大のアメリカン・ボーイズ&ガールズの普遍性と、チカーノの独自性の絶妙なバランスが、作品の魅力でしょう。

 そして、このことは、児童文学の魅力ということにも通じるかもしれません。児童文学は、文学として楽しむと同時に,子ども時代や子どもの目を通した世界と無縁ではいられません。文学としての普遍性と同時に、子どもの視線・子どもの世界観という独自性と切り離せないのです。
 独自性と普遍性。
 この本は、もうあっというまに読んでしまって、とってもおもしろい。そして、楽しい読書の先に、こんな言葉が浮かんできました。

註:『白百合児童文化』2000年 I号 書評 を改訂しました。

2000年6月14日
©All Rights Reserved Suzuki Hiroe 2000


Reviewにもどる