1984年度 作家賞
クリスティーネ・ネストリンガー
(オーストリア)
Christine Nostlinger(1936〜)
「私たちは、希望があるかのように努力しつづけなくてはならないのです」
ウィーン生まれでウィーン育ちのネストリンガーは、隣国ドイツでも――さらには、非ドイツ語圏でも――人気があり、年に何冊もの新作が出るほど多作な作家だ。
彼女は、ウィーンの工芸大学でグラフィック・デザインを学んだ。卒業後は、新聞や雑誌に寄稿したり、ラジオやテレビの脚本を執筆したりし、60年代後半から、子どもの本を書き始める。まもなく、『赤毛のフリーデリケ』(Die
feuerrote Friederike、1970)や『きゅうりの王さまやっつけろ』(Wir
pfeinen auf den Gurkenkonig,1972)などで、人気作家になった。
ネストリンガーは、大人よりも、子ども読者に支えられるタイプかもしれない。大人と子どもという、分かりやすい構図、テンポの良い筋運び、子どもの気持ちを代弁する台詞。エンターテイメントの作品に込められたメッセージは、読者にストレートに伝わっていく。シリーズになっている幼年童話では、少し生意気な「のっぽのミニ」や「きんぱつフランツ」に、背伸びをしたい子どもの姿がよく描かれている。
ミヒャエル・エンデのファンタジーに代表されるように、ドイツの児童文学には、観念的な傾向がある――時間、人間、善と悪、権力。そういった抽象的なテーマに、ネストリンガーは、具象性とユーモアを添えた。家族の再生を描いた『きゅうりの王さまやっつけろ』でも、理不尽な権力への懐疑という抽象性に、ぶよぶよのきゅうりの王さまという、ユーモラスな(そして少々気味の悪い)具象性が与えられている。現代の問題をしっかりととらえながら、観念的だったドイツ児童文学に、ユーモアと具体性を持ち込んだこと。これが、ネストリンガーの一番の功績である。
アンデルセン賞を受賞した記念スピーチで、ネストリンガーは、60〜70年代の作品について、「あのころの私の本は、きわめて単純明快でした。子どもたちが暮らす環境は、ユートピアを発展させていこうと、子どもを奨励するものではありませんでした。だから、私たちは、彼らの手を取って、この世の中がどれほど美しく、明るく、人間らしさにあふれたものになりえるかを教えてあげなくてはならなかったのです」と回顧している。
大変なこともあるけれど、世の中捨てたものじゃない。それを具体的に伝えたいネストリンガーは、あくまで子どもに寄り添う姿勢を見せる。だから、作中の子どもたちも、自分で考え、自分で行動し、たくましい。だから、「あのころ」と同様に、「今」でも、ネストリンガーのメッセージは、子どもにストレートに届き、読者の気持ちをつかめるのだろう。
子どもの本を書くことについて、ネストリンガーはスピーチでこう続ける。「人間関係というものについて、ちょっと説明してあげれば、より多くのことを知り、より気持ちよく生きることができます。また、打ちのめされ、苦しみに甘んじなければならないわけではないと分かれば、気分がずっと楽になります。ですから、ちょっとせかして、苦しみなんかポイ、とさせてしまえばいいのです。互いに愛し合えるよう、ほんの少し励ましてあげればいいのです。愛しあうことで、理解も生まれるし、苦しみをけとばすこともできるのですから」。
ネストリンガーは、現実をありのままに見据えようとしている。戦争や飢餓に苦しむ世界の子どものことを憂える一方で、心身を磨耗しがちな先進国の子どもには、具体的な物語を伝えていきたいと願う。そのどちらもが、JBBYの精神に添うものであろう。児童文学を通して、共同体の子どもたちに貢献する、という意味で、ネストリンガーは、常に第一線に立つ作家のひとりである。
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ネストリンガーの描く子どもは、いつもたくましい。自分らしくしたたかに生きながら、ときおり、ほろりと弱いコドモの部分ものぞかせる。つっぱりながらも、しんどいときだってある。情けなくても、なんとかがんばって生きていきたいと思う。そんな等身大の子どもが、作品には多い。
自伝的な『あの年の春は早くきた』は、シリアスな作品である。主人公のクリステルは、第二次世界大戦終結間近のウィーンで、戦時下を生きのび、お金持ちの別荘を借りて、家族で疎開暮らしをしていた。戦争が終わると、一家は進駐してきたソ連兵たちと向かい合わなければならなくなる。
作中、生きのびるという意味で、子どもと大人は同等であることを、クリステンらの子どもたちは感じ取っている。彼らは、食糧難やソ連兵駐留という事態を、大人と同じように生きのびている。と同時に彼らは、外側を困難に囲まれつつ、それぞれの子ども時代をたくましく生きている。
クリステルの子ども時代は、戦争という大枠の中にしかない。『あの年の春は早くきた』では、子どもとしての生活と、戦時下の社会生活は、不可分である。戦争という枠なしでは物語が機能しない、という前提のもと、戦争に支配されない子ども時代が逆説的に描かれている点で、『あの年の春は早くきた』はおのずとすぐれた戦争児童文学になっているだろう。戦争という外側の状況に揺さぶられること。たくましく、自分だけの子ども時代を生きること。そのどちらもが、クリステンの真実になっているのだから。
ネストリンガーは、過去を振り返ったとき、戦争や歴史とかかわらずには生きられなかった自分の姿を見出す。世界の歴史的事実でなく、『あの年の春は早くきた』は、あくまで、個人の歴史を語るものなのだ。そのようないくつもの個の歴史の総体として「疎開」も「空襲」も「進駐」も、大きな歴史的事実として浮かび上がってくる。
こうしてネストリンガーは、個人の真実として浮かび上がるものと、共同体の真実として浮かび上がるものの二重性を、あるいは重ね、あるいは離して凝視しながら、作品を生み出しているのだろう。
時代が下って現代。子どもは、戦争という巨大な枠ではなく、ひとりひとり異なる状況を、小さな枠として受け入れなくてはならなくなった。親の離婚や隣の友達との関係――自分では決められない、だけど、憂鬱のタネになることはたくさんある。
『みんなの幽霊ローザ』は、小さな憂鬱をたくさん抱えた少女ナスティに、守護天使のローザ・リーデルが現れる話である。ローザは、ふくよかな暖かさと、ずばずばしたものの言い方が、じつに魅力的なおばさん幽霊だ。姿を見せるのにエネルギーを使うため、ふだんは透明なのだが、そのことによって引き起こされる喜劇や、ナスティの生活の変化が、物語のおもしろさになっている。
だが、ローザの背後にも、また戦争がくっきりとある。1938年は、ドイツがオーストリアを併合したとき、そして、反ユダヤ政策を施行した年だ。ローザは、この年に、ユダヤ人のフィッシュルさんがナチにいじめられているのを見て飛び出し、市電に轢かれて死んだ。さらに、幽霊になった後も、空襲でアパートが崩れて地下室に閉じこめられ、閉所恐怖症になってしまう。
ロ−ザという守護幽霊を得て、ナスティは楽しい思いもし、冒険もし、両親との新しい関係をつくることもできた。小さな枠の中でじたばたする子どもたちを助けるローザ。みんなの守護幽霊ローザ。彼女の出自が、やはり戦争と分かちがたいことに、ネストリンガーの中では、戦争が切り離された事象ではなく、いつもどこかでひきもどされていくコアであることが、感じ取れる。
作品から作品へ、戦争の記憶が受け継がれている。ネストリンガーは、分かりやすい語り口の奥で、歴史と重なりあわずにはいられない個人の生を、常に意識しているのではないだろうか。
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クリスティーネ・ネストリンガー(Christine Nostlinger)主要作品
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作品名(原題) |
出版年 |
作品名(邦題) |
出版社 |
出版年 |
翻訳者 |
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Die feuerrote Friederike |
1970 |
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Ein Mann fur Mama |
1972 |
ママのおむこさん |
偕成社 |
1993 |
酒寄進一 |
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Wir pfeinen auf den Gurkenkonig |
1972 |
きゅうりの王さま きゅうりの王さま やっつけろ |
小学館 岩波書店 |
1976 1987 |
植田敏郎 若林ひとみ |
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Maikafer, flieg!: mein Vater, das Kriegsende, Cohn und ich |
1973 |
あの年の春は早くきた |
岩波書店 |
1984 |
上田真而子 |
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Das Leben der Tomanis |
1974 |
トマニ式の生き方 |
エイプリル ミュージック |
1978 |
星新一 |
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Ilse Janda |
1974 |
イルゼ姉さんの家出 |
TBS ブリタニカ |
1981 |
西島洋造 |
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Der liebe Herr Teufel |
1975 |
あなたのネコもアクマかもしれない |
さ・え・ら書房 |
1997 |
松沢あさか |
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Konrad oder das Kind aus der Konservenbuchse |
1975 |
かんづめぼうやコンラート |
佑学社 |
1985 |
榊直子 |
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Achtung, Vranek sieht ganz harmolos aus |
1977 |
ブラネックさんにご注意! |
岩波書店 |
1987 |
上田真而子 |
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Rosa Riedl, Schtzgespenst |
1979 |
みんなの幽霊ローザ |
岩波書店 |
1987 |
若林ひとみ |
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Geschichten vom Franz |
1984 |
フランツまいごになる |
偕成社 |
1989 |
平野卿子 |
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Der Hund kommt! |
1987 |
犬さんがくる! |
ほるぷ出版 |
1993 |
松島富美代 |
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Der Zwerg im Kopf |
1989 |
耳の中の小人 |
さ・え・ら 書房 |
1996 |
松沢あさか |
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Der gefrorene Prinz |
1990 |
空からおちてきた王子 |
ほるぷ出版 |
1991 |
佐々木田鶴子 |
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Krankengeschichten vom Franz |
1990 |
けがしたフランツごちそうたべた |
偕成社 |
1991 |
平野卿子 |
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Nagle einen Pudding an die Wand |
1990 |
かべにプリンをうちつけろ |
ほるぷ出版 |
1992 |
平野卿子 |
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Allerhand vom Franz |
1991 |
フランツはじめて恋をする |
偕成社 |
1992 |
平野卿子 |
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Mini fahrt ans Meer |
1992 |
のっぽのミニのはらはらなつやすみ |
くもん出版 |
1995 |
川西芙紗 |
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Mini muss ij die Schule |
1992 |
のっぽのミニはどきどき1年生 |
くもん出版 |
1994 |
川西芙紗 |
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Mini und Mauz |
1992 |
のっぽのミニと ぺこぺこねこのマウツ |
くもん出版 |
1994 |
川西芙紗 |
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Mini ist die Grosste |
1993 |
のっぽのミニはきらきら大スター |
くもん出版 |
1995 |
川西芙紗 |
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Einen Vater hab ich auch |
1994 |
わたしにはパパだっているもんね |
さ・え・ら 書房 |
1995 |
松沢あさか |
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Ferngeschichten vom Franz |
1994 |
うちのテレビはちょう能力? |
偕成社 |
1995 |
平野卿子 |
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Der TV-Karl |
1995 |
テレビおじさん |
偕成社 |
1997 |
佐々木田鶴子 |
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Vom Weissen Elefanten und den Roten Luftballons |
1995 |
象さんの素敵な生活 |
ほるぷ出版 |
1997 |
松島富美代 |
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Anna und die Wut |
1994 |
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Wie pfeifen auf den Gurkenkonig |
1994 |
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受賞歴
1972 Wir pfeinen auf den Gurkenkonig『きゅうりの王さま
やっつけろ』
ドイツ児童図書賞
1979 Rosa Riedl, Schtzgespenst『みんなの幽霊ローザ』 オーストリア児童文学賞
1984 国際アンデルセン賞