文芸からす
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中編小説
大丈夫、
世界はもうすぐ終わるから
ヨネミツ 

ヨネミツ:毎日家事に追われる平凡な宇宙人、未婚 、沖縄在住(本人・記)


 ヨネミツさん
 第5弾はやや長めの中篇


銀幕の中で私の弟は言った。

「おまえと一緒だったら、
 冷蔵庫の中に眠っても寒くない、よ」

「俺はね、おまえを辱める真似はしても、
 卑しめることはしないよ。一緒に恥ずかしくなってあげるね」

 雨が降って、ブランコの下の土がぬかるんで、近くの街灯の灯りを受けて光っていた。子猫が木の下に何匹か集まって雨を避けていた。
三人で窓の側に集まって、雨の中の公園を見下ろしていた。三人で何となく猫を見ていたら、弟が最初に口を開いた。
「猫がいるね」
弟の友達が横で言った。
「茶色と虎、キジトラっていうの?ああいう、・・・」
「私が昔、実家で飼ってた猫と似てるけど、・・・逃げちゃったけど、たぶんもう今頃はもっと大きくなってると思う、けど、でも、ちょっと似てる。・・・あんた憶えて無いでしょう。あんたが赤ちゃんの頃だから」
弟は私の質問には答えずに、じっと子猫たちを観察していた。
「震えてる」
「寒いんでしょう、お腹がすいてるのかも」
「なんであんなに濡れちゃったのかな」
「拾う・・・?」
友達の言葉に、弟がすぐ反応した。
「食べるの?」
「食べたことあるの?」
弟は笑った。
「おいしそうだなと思った。今思いついた」
弟が猫を捕まえる様なしぐさを、その場でして見せた。私はちょっと嫌な気分になった。
「ゲテな話ばっかり、よく思いつくね。いつも、変な・・・」
心外、という表情を浮かべて、弟は友達の方へ顔を向けた。
「いつも変?」
友達は妙に押さえた感じで笑っていた。
「うん、変・・・」
「変な・・・、なんか、頭悪そうじゃなくて、・・・変だよ」
「いつも寝不足か二日酔いで倒れそうな人だから、この男」
弟は私たちの会話を無視して話しだした。
「猫ってかわいいよね、猫は自分が都合が良い時しか寄って来ないんだよ、・・・と思ったらちゃんと人のすること、見てる時があって、おもしろいよ。名前呼んでも来ないし、わがままでいいよね」
弟は動物と食べ物の話になると酷く嬉しそうに話す。聞いていて、自分で飼った事が無いから、憧れているのだと思う。
「私の猫は呼んだらちゃんと返事したよ」
「いなくなったんでしょ?」
「・・・そうだよ、ちょうど、八月で、私の誕生日の前の夜、この部屋に帰ったら、あんたたち来てて、・・・ごちそう作ってくれたのはいいけど、料理するのに暑いって、窓もドアも開けっ放し、で・・・、いなくなっちゃってて・・・って、あんたたちのせいだったね」
「あれ、泣くの・・・」
「ごめんって何度も謝ったのに、ああでも、わかるけど、・・・誕生日に、かえって悪いことしたね、ごめんね」
「クーラーつけてたら、猫いなくなったりしなかったのに」
「今年はクーラー、節約したいって言ってたでしょ」
「毎日勝手に上がり込むくせに、二人で私の服着たりとか、・・・高校も行ってるみたいじゃないし」
「学校、遠くて」
「毎日は行く気になんない」
弟と弟の友達は、顔を見合わせた。
「怒ってるの?猫がいなくなったのがそんなに?」
「僕たちのせい?」
「・・・あの猫はね、私の最後の猫にするつもりだった。『百万回生きた猫』って絵本を読んだから。保母さんしてる友達がいてね、・・・今まで犬も猫も何回か飼ったけど、いつも人にあげてしまったり、いなくなってしまったり。猫も猫で何か考えてたりするみたいだし、頻繁に飼い主が代わったりしたら、猫もかわいそうかと思って、死ぬまで面倒見てあげようと思っていた、・・・のを」
こぼすと、弟の友達はすまなさそうな顔になった。
「僕たちが・・・、お姉さん」
「歌があるよ」
「はあ?」
「歌ってあげたら喜ぶ?」
「本当に人の話を聞いてないね、聞こうともしないし、聞いてるふりもできないのか・・・、聞かないね、人の話を」
「歌があってね、この男が歌ったら、ぴったりだった」
弟は横の友達の肩を叩いた。
「・・・猫の歌?」
「猫が夜中にいなくなって、悲しがってる女の人の為の歌。去年だね、これと一緒に作った。こいつギター弾けるから。曲作ってもらって、歌詞は俺がつけた」
「どんな曲?」
「クーラー」
曲のタイトルに、またいつものでまかせが始まった、と思った。
「ああ、・・・わかった、内容当ててみせよう、『クーラーさえつけてれば、クーラーさえつけてれば』んん?」
「ドア開けたのは、僕じゃない」
「猫がいるのに、猫はねー、自分が危ないことさえわからないで、ドアひょいっと開けた時とか、気が向いたら逃げようとするんだよ?」
「いつも逃げようとしていたよ、あの猫は」
「あんたたち二人からでしょ。動物はわかるっていうよ、うさんくさい人かそうじゃないかって」
「今頃別の誰かに飼われてるよ、きっと」
「どこかの公園にいるかもしれないし」
「・・・そうだね」
「『猫飼ってるのに、猫飼ってるのに、なんでドア開けたりしたの、猫飼ってるのに、』・・・続きはどうだっけ?」
「もうやめてよ、その歌」
「教訓にしようと思ったんだよ、これと二人で、何もかも忘れないように、ああでも、この歌は失敗作かもね、やっぱり」
「リアリティはあるけど、目的と外れてるのは本当だね」
「なんで一緒に作ったのに、俺の味方してくれないの?」
「間違っても、少なくとも、私の為の歌じゃないと思う・・・けど、変な人、変な弟」
「弟は変でも、お姉さんはまともな人?」
「あんたら見てたら、・・・まともだと思ええる、時がある・・・よ。だって、まともな人間と、毎日向き合ってるからね」
「ああ、好きな男のこと?」
「いいね、毎日顔が見れて、そういうのって幸せでしょう。毎日楽しいんじゃないの?」
「・・・一応、仕事しに職場には通っていて、給料もらってて、仕事中は滅多に直接話したりしないし、昼休みくらい?顔見に・・・、顔見にねえ、ははあ、なんか夢持ってるね?女の人が大勢いるところに就職しよう、とか?」
「あー、別に。そういうんじゃなくって、そういうんでもいいけど、俺たち二人、同じ会社に入ろうか、とか思って」
「え?そうなのか?」
友達の方はびっくりしたみたいに弟を見た。
「嫌なの?二人一緒の会社だったら、車通勤とかでも、二人で車のローン払えばいいし」
「はあ?」
「おまえが好きな車でいいよ」
「はああ?」
「間違ってる、仕事、・・・たぶん同じとこはやめといたほうがいいよ、だって仕事しなさそう」
「そんなこと無いよ」
「車、車ね、そうか、二人一緒だったら車、」私は頭を軽く振った。
「馬鹿だねえ、これっぽっちもあんたの得にはならないってことが、この弟と一緒に長いこといて、まだわかってない・・・?何も考えないで、車欲しいから、給料日前にでも困ったら、ごはん食べさせたりしてちょうだいね?って持ちかけられてるのに、わかってないね・・・?」
「姉さん,一体どういう車、想像してるの?」
「頭金は誰が?」
「・・・ああそうか、なんだ、・・・知り合いの、」
「知り合いがなんて?」
「・・・先輩の妹が・・・、ねえ、言ってたよね、何だっけ、免許取ったら、来年の春、車安く・・・、とか何とか」
弟は友達にあいづちを求めた。
「何の話?それ聞いてない。どこの誰の話してるのか、わからないよ」
私はため息をついた。
「・・・何か、いつも、二人でくっついて、意味わからない話して、ごちゃごちゃ何かやってるみたいだけど、・・・もう少し、そうだ、高校、行きなさいね、今は暑いけど、頑張って、ちゃんと朝、早起きして、とりあえず、出席したらいいよ。学校だったら、冷房あるでしょう」
弟の友達が、急に真顔で言った。
「僕のは、そういう問題じゃない」
「どういう問題なの」
弟がフローリングの床に足を抱いて座った。
「学校は友達も沢山いて、先生もいいけど、別に、ねえ。授業さえ無ければねえ、もっとおもしろいのに」
「ああ、・・・何となく、言いたいことはわかるけど、仕方が無いって考えて、あと一年我慢して通っておけば、・・・どうにかなるものだし、・・・あとあとさ」
「一年〜?」
「一年、一年って長いよねえ、去年も長かったしねえ」
「その『ねえ』って伸ばすのやめて。・・・よく進級できたね、二人とも。出席ぎりぎりだったんじゃない?」
「上にあがれたのは、この人が僕のぶんまで頭良かったからだから」
「カンニング・・・?」
「お互い足りないところをおぎなったね、先生に一回もばれなかったし、もうプロだよね。勉強とは違う分野でテクニシャン。春から夏はいなかったのに、冬になったらみんな出て来る様になったから、クラスもおもしろかったね」
友達のほうが、ちょっと考える表情を見せた。
「思うんだけど、卒業できて、何年か後、クラス会やる時・・・」
「ああでも、新入生が三百人?二百五十人ともっとでしょ、卒業する時は百五十人くらい?もう少し多い?もっと少ない?すごいところは一クラス今十人も残ってなくって・・・」
「それってたまたま?毎年?冗談?すごい学校だね」
友達が笑った。
「おまえが食べたんだろ、猫も食べるくらいだから」
「猫?どこの猫?」
「僕たちの学校、猫が何匹かいて、校長先生に内緒でみんなでごはん分けていて、・・・衛生的にどうのって。でも、食堂のおばさんもごはんあげてるみたいで・・・」
「猫、何食べるの?」
「グラウンドから骨が出たんだよね」
「骨?が見つかったっていう意味?どんな」
「よくわからないけど、大きな骨、馬?牛?」
「馬」
「何でそんなもの・・・、誰が」
「窓のカーテン閉める?ここから公園見えるけど、向こうからも見える。酔っぱらいが通るよ」
「骨って、あの、全部?テレビで見る化石みたいに全部、出てきたの?埋まってたの?」
「・・・校長先生がさあ、昔大学で専攻していたって言って、朝会で、この骨はあ、って戦争の頃の話とかしたって」
「ああ、じゃあたぶん戦争の頃、何かあったのかもね。軍隊の馬とか、そういうのだったら」
「おかしいよねえ」
「僕もおかしかった」
「今の話のどこがおかしいの?」
「僕たちのクラスの先生は、あれは馬の骨じゃない、絶対人間の骨だって、違うって、朝会の後、授業一時間つぶれた」
「校長先生と同じ大学の後輩なのに」
「何かさあ、校長先生も戦争って言っても、兵隊行って無いと思う」
「ああ、年から考えて、ってこと?」
「それもあるよねえ」
「だってさあ、どうやったら馬の骨と人間の骨間違える?」
「あんたたちは見たことあるって言うの?」
「だって、俺たちが埋めたんだもん」
「なにい?」
「俺たちが気に入らない奴、殺して埋めたんだもん」
「・・・あんたたち二人って、学校行かない日とか、・・・私んち来て無い日、何してるの?どこ行ってる?他に友達、本当にいる?」
「いるよ、沢山いるよ」
「学校にいる人みんな、友達とか言うんでしょう?」
「ああそうだね、そう言おうとか思ってた、どれが友達か、わからないから」
「・・・今日、帰った方がいいよ、今帰って、明日学校に・・・、高校生は・・・、学校に行った方がいいよ、後悔するよ」
弟は顔の前で手を振った。
「しないよ、しない」
「するかも」
「どっちでもいいから、さっさと帰って。たまにだったらいいけど、こう毎日だと、もうあんま、かまってあげらんないって感じ。明日も私は仕事あるんだし・・・いいね、学校も行って無い学生は。お菓子あるけど、持って帰る?」
実家からそのまま持ち出した、大型の冷蔵庫の上から、お菓子の箱や袋を、両手で下ろした。ポテトチップス、くろ棒、チョコレート、ダイジェスティブ・クッキー、牛乳入れるだけでゼリーみたいなの作れるやつ、何かのジュースの素、しょうゆせんべい、ポップコーン、カール、クラッカー、ポッキー、ミルク味のキャンディ。
「何でこんなに買いためて?友達が来なかったの?ストック?」
友達が聞いたのに、弟は芝居がかって言った。
「そう、姉さんはいつか来る食糧危機の為に・・・」
「食糧危機が来なくても、おまえっていつも、がつがつ」
「何でかなあ、お金が無くてもお菓子って買ってしまう、もし三億円あったら・・・」
弟の友達と弟は先を争う様に即答した。
「CD屋と本屋が欲しい」
「俺は八百屋と肉屋と米」
「・・・私はお菓子と洋服が欲しい。何かあんたたち・・・裸で飯食って、歌聞いて、本読みそう・・・な人二人」
「いいよ、服は。自分たちで買わなくても、今のところ」
妙ににこにこして弟が言った。
そりゃあそうだろう。私が今までつきあってきた人たちの服、殆ど持ち出せば。まあ、始末に困っていたのも本当だが。
「ああ、いいね、人のもの勝手に持ってっちゃって、それで満足してる訳ね・・・」
「そのうちちゃんと返すよ」
弟の友達が、横から言った。
「服なんて気にしてないよ、この男は。僕もそう。自分んちだったら、パンツ一丁で歩き回るよ。見てみたい?」
「・・・百円くれたら見てあげてもいいよ。ああでも、あんたの下着姿かあ・・・足長い?」
「・・・姉さんさあ、あんまりこの人の言うこと、本気にしないほうがいいよ。この人、家でどうか知らないけど、俺の部屋で下着であるいたりしないから」
「あー、そうなの、まだ普通だね?」
「意味わかってない」
「はあ?」
弟は笑いながら言った。
「この人、眠ってる俺に裸で平気でプロレス技かける人だから」
「ああ、ああ、また何かにはまったね?」

弟と弟の友達は、いつも二人にだけしか通じない話をした。試しに本屋やゲーセンに行って、その内容の映画やマンガや小説や雑誌やゲームを探しても、見つかったことが無かった。ままごとの会話みたいだった。でたらめばかり言って、何がおもしろいのかわからないが、まあおもしろいんだろうと思った。ひっかかってるのを確認しているのかどうかは知らないが、二人ともいつも楽しそうだった。私だけかなあとも思ったが、どうやら弟のまわりは全員同じ目にあっている様だった。いつだったか、弟と一緒に歩いていた友達に、
「こんなでたらめばかり言う人と友達するのも大変でしょう」と言ったら、
「そんなの気にしてたら、こいつとはつきあえない」
との返事がかえってきた。
そんなに気にしてない様だった。もし血がつながってなければ、あまり直接話をしないタイプの人かもなあ、とは思った。まだ私が実家にいた頃、テレビを見たり、マンガ読んだり、教科書をぱらぱら机にもたれてめくったり、そのままねむってしまったりする弟と、話をしながら、お菓子を食べる癖がついた。テーブルの上にあるもの、何でもかんでも。夜中にコンビニに通った。
年の離れた、ほらばかり吹く弟が生まれてから、私はぶくぶく太った。
子供の頃、体が小さかったので、例え横幅にでも体が大きくなるのは嬉しい・・・と思う様にした、途端に体重が落ちる様な出来事があった。弟が家出して、友達の家で暮らし始めた。家出、小学校の時から夜遅いなあ、を繰り返し、五回目で普通の家出をようやく成し遂げた。
初めて体重計の針が標準体重程度を指したのは、弟が友達と暮らし始めてから四ヶ月目だった。
体重計はとても正直。
良かったね、私と弟。

家族みんなが何となく落ち着いた。弟は家にいるよりは、といちいち電話をかけてきて言うので、親も放っておくことに決めていた。一応は。それでもうちの中で一番若いので、風邪ひいたら帰っておいでね、とか言っていた。どう考えても、弟はその時すでに、家に戻る気はこれっぽっちも無かった。あの態度はそうだった。
戻って来ても私が太らないんだったら、帰って来てもいいよう、と電話で言ったら、いきなり切られた。やっぱり自分のせいだと思った。そりゃそうだ。私は家を出るまで、他の家族に隠れてこそこそ夜中から外に出て、お菓子を食べたり、タバコを吸ったりしていた・・・成長期の子供と。私が悪い。でも、一日に白飯を何杯でも食べる男って、弟ながらにすごいなあと思った。ねこまんまが好きで、でも自分では作りたがらなかった。いつも夜中の台所で、私が弟の為に作った。たまごかけごはん。
おいしそうに食べてるのを見ても、食べたくならなかった。食べ物の好き嫌いで、これだけは違った・・・。小さい頃はお父さんや親戚のおじさんに作ってもらったりしてた様な・・・、それよりもお母さんのバターライスの方が好きだった、それよりもおにぎりとかチャーハンの方が・・・。でも白いごはん・・・。
家族の中でも、天ぷらをお母さんが揚げても、ケチャップもしょうゆもソースもマヨネーズもひとりひとり好き勝手に皿を出す・・・他の家でもそうなのか・・・?たまごかけごはんも、どうして生もの食べるのー、さしみとサラダ、和え物以外はよしてーと思っていた。見た目はいいから、いつか食べる(食べたい)かもしれないけど、とりあえず今じゃないなあと弟が食べるのを見るたびに思った。誰でもふと考えつくと思うが、今から一生かけて、食べたい物、全部食べ尽くせるか・・・とか考えて、あまりのいじきたなさに、誰にも言わないぞ、とは思ったが、やっぱり私より食いしん坊は滅多にいない・・・方が、地球の為だと思った。弟のすぐ後で、私は家を出た。実の親父とそりが合わないというのもあったが、めちゃくちゃにお酒を飲んでいた時期で、単に駅から遠い住宅街の実家に帰るのが毎晩、面倒くさくなって、繁華街の近くに部屋を借りた。

 それにしても弟、私より背は高かったが、細い体のどこに一体これだけ入るのかな・・・思いはしても、本気で食べるのを止めたことは無かった。私も何にも考えて無かったし、もちろん弟も食べたい物を食べているだけの人で、結論は私が悪者だ。違いない。弟は私と同じか、それ以上の大食いになってしまった。
(・・・「もし姉さんが子供生んだら」、弟は今でも言う。本気で言う。「怖いと思う」)
「・・・おもしろいよねー、プロレス」
「隣の家の女の子が、きゃあきゃあ言うよねえ」
「・・・それはおもしろいかもねえ・・・」
「夜中っから男も女も集まって来て、何かすごい視線を感じるから、盛り上がるよねえ、たぶん僕たちのプロレスで賭でもやってるんだろうけど」
「徹してるよねえ、むきになってるみたいに」
「どっちが」
「ああ、でも、本当は無人島に行きたいなー」
「・・・あんたみたいな怠け者のぐうたらの馬鹿が、無人島で一人でやっていけるって・・・言ってるんだったら、お姉さんとして、止めてあげるべき?」
「二人で行きたいなあ、誰かと二人で行きたいなあ」
「ちょうどいいから、二人でどっか探して行きなさい」
「ああ?これと?一緒に?・・・どうしようかなー?どうする?俺と一緒に行く?」
「・・・お姉さん、猫がいなくなったの、本当に淋しい?」
「もういいよ、・・・いつか戻って来るかもしれないし、もしかしたら」
「かわいそう」
「姉さんに猫の話はもういいよー。よそに行ったのは仕方が無いのに」
「公園の猫、一匹拾って来てあげようか?」
「ありがとう。でも、もういい、もういらないからいいけど、・・・ねえ、そろそろ眠いから、帰ってくれないかな、明日も仕事だし」
「・・・じゃあ、もう帰るけど・・・、そうだ、今度、姉さんと俺と、これとで、」
「ああ、もういいよ、勝手にして。さっさと帰って二人でプロレスして。今度猫のこと忘れてる時に、まぜてちょうだい、プロレス」
弟は一瞬、すごい顔になった。
「・・・、心にも無いことを・・・」
「そうだ、魚、魚があるよ。持っていけば。あの、いつだっけ、水族館でおいしそうな魚だって・・・、どっちだっけ?が言ってた、・・・あれ、あれはね、スーパーで買える普通の魚。食用。名前が変わってたから、憶えてた」
「・・・あれ?あれって?」
「ああ、僕が言った」
「俺じゃなくて?」
「あの魚、おいしそうって」
「ああ、そう。ありがとう。もらってく」
「魚、ありがとう。二人で食べる、よ、お姉さん・・・」
「グリルで焼く、フライパンでも焼ける。とにかく、焼けば食べれる。わかりますか?骨に注意して」
「その説明の仕方は、一度自分で失敗して、誰かに聞いて、それで、焼いた方がいいよ・・・って言われた?」
「魚は焼いた方が一番確実おいしいんだよって・・・」
「僕、失敗の方法、レンジでチンだと思う」
「ああ、レンジでボンでしょ」
「お姉さん帰って来る前に、おまえ台所掃除したけど、お姉さん電話でレンジ触るなって言った?んだった・・・」
「そうだった、今度、使える様にしといてよ。姉さん誕生日でしょ、ビール飲むでしょ、台所使われるの嫌だったら、何か食べるの買って来ると思うから」
「来なくていいよ・・・」
「んーん、帰るよ、またね」
「じゃあね、お姉さ、ん」

玄関の鍵を閉めて、部屋の中をぐるぐる歩き回った。雑誌も服も、元あった場所に無い。二人が、何を着て来て、自分の服の何が無くなっているかを考えた。あの二人が部屋に来た後は、冷蔵庫の中の物まで変わってしまっている。昔より酷くなくなったとはいえ・・・私も、よく姉とはいえ、あの二人を許せているなあと思う。
今は弟の方では無くて、あの友達の方が、そこらへんのタオルとか転がっている雑誌とか、スリッパでも何でもかんでも、冷蔵庫の中にしまいこんでしまう。この部屋に学生時代からの本棚とタンス二つと食器棚、テレビ台を置いたら、狭い感じになってしまった。本も服もCDもビデオもいろんな所にしまいきれずに部屋中に積み上げてあるし、昔カメラを趣味でやっていたから、古い型のカメラやレンズや三脚や何百枚もあるパネルや現像したまま納めてある箱、カメラ用のバッグ、私が一人でいる時は何とも思わなくても、あの二人が部屋の真ん中で家具やカメラの機材に囲まれておしゃべりでもしようとしたら、本当に「顔をつきあわせる」状態、とか言ってるけど、少なくとも私はこの部屋で毎日充分睡眠を取っている。そういう物がすぐ目につくのは仕方ないとしても、私は困って無いのに。勝手に物を動かすんなら、もう二人とも来ないでいいよ、と二人に言ったら、黙ってしまった。弟は言う。
「別に嫌みとかいたづらじゃなくて、姉さんが何食べてるか最初は興味あったんじゃないの?散らかしてる方も悪いよ」
友達の方は、片づけてるつもりらしい。
「別に覗く趣味は無いよ。大切そうな物には触ったりしてない」
変わった子だな・・・と思った。変わったどころか、迷惑な人だ。
「タオルや雑誌やスリッパが私の宝物だったらどうするの。物を動かすんだったら、本当にもう来ないでね」
そんなに邪魔だったら、部屋の隅にでも寄せてればいいのに。・・・何で通って来るんだろう。きっと、こんな部屋だから、猫も逃げ出したって言いたいんだな。
そうだ、猫。
魚を入れる前に、ケーキを焼く時の癖で、レンジの中も確認せずにボタンを押してしまった。そうしたら、中から派手な破裂音がした。
「・・・何が入ってたのかな・・・?猫だったらどうしよう・・・」
口にしてみて、余計にぞっとした。
あの二人は毎日の様に私の部屋に通って来ているのだ。いない間にレンジの中に何かを入れてたって、気づかずに何日も過ごしてたのかもしれない。
いきなり携帯が胸ポケットで鳴り出して、飛び上がった。
「・・・・・・」
「あーもしもし?お姉、さ、ん?レンジ、触らない方がいいよ、あのー、何か、何か言ってるけど、よくわかんないけど」
「何で本人が出ないの?」
「今、僕、盗聴中。奴の電話を」
「意味わかんない。何、すぐそこで遊んでるの?本人にかけてこさせて」
「あのねー、何かねえ、水族館で見た魚?を・・・、いつも行くスーパー一緒でしょ、ただそれだけって」
「はあ?」
「ほら、お姉さんから魚もらったでしょう、水族館でのあの魚。あいつもスーパーで見つけたらしい、お姉さんより早く。それでびっくりさせようと思ったか、料理してあげようと思って・・・レンジに入れて・・・、でもそうしといて忘れちゃったみたい」
「なら、うちのレンジには、魚が入ってる訳ね」
「あいつがこっちの盗聴に気づかずに本当の話してるならね、でもたぶん本当の話だよ、相手、昔の彼女だから」
「あの魚、僕と一緒においしそうって言ったでしょう、水族館で、お姉さんが。お菓子しか食べないのに、珍しく」
「・・・ああ、言ったかな、私も。言ったかもしれない」
「そう、今、好き嫌い酷いねって。・・・あー、何か、何かね、でもね、レンジでも焼けるんだよ、ボタン間違ったんでしょ、って言ってる、か?」
「・・・ああ、本当に弟の携帯聞いてるの?」
「うーん、何か、いろんなとこにかけて、喋るの好きみたい、・・・お姉さん驚かせたかったみたいだね、どっちなんだろ、料理してあげたかったのか、レンジでボンでびっくりさせたかったのか。水族館の魚が、そんなにおいしい、と思う?」
「・・・あれは、食用の魚。普通に、食べられるの。・・・たぶんね、おいしいと思ったんだ・・・ね」
「思いこんでるんじゃない、いつもの癖で。何でもね、いつもと違ったことを毎日、やりたがる人は」
「何か、適当に喋ってるね、わかりやすい、今」
「ああ、あんまり、考えて・・・無い、様な。忙しい、両耳、使ってるんで」
「あんまりそういう・・・、盗聴とか。まあね、じゃあね、おやすみ。弟が帰って来たら、一応は、ありがとうって言ってみて。だけどねえ、たぶんもうレンジは捨てなきゃいけないと思う、・・・それはあいつのせいなのは本当」
「捨てちゃうの?」
「レンジも捨てるし、部屋の鍵も付け替える。誕生日には部屋にはいないようにするから、来ない方がいいよ。レンジが無かったら、フライパン使うし、私は一日八時間以上も労働してる人間なの。何ヶ月かしたら、新しい物を買うかもしれないし、気が向いて、お金が許せば。別に怒ってるんじゃないし、あんたも弟も嫌いじゃないけど」
「ええ、何で・・・?」
「・・・べーつに。今のところ、必要じゃないから。何にも」
「何で」
「だから、何でとかじゃなくて・・・じゃあ、じゃあね、無人島に行かなくても、あんたたちだったら、平気じゃない?大丈夫でしょう、本当に」
「はあ?意味がわからない・・・けど」
「いい、私が何喋っても『うん』って答えてよ?」
「・・・ああ・・・、」
「あんた弟の友達?」
「うん」
「今、弟は部屋の外にいるの?」
「うん」
「本当に?」
「うん」
「嘘つきだね」
「うん」
「弟とずっと一緒にいる気?」
「うん」
「つらの皮、厚い?」
「うん」
「天国に行く自信、ある?」
「うん」
「今まで人に言えないくらい悪いことしたことある?」
「無い」
「私が無人島に行くって言ったら、どう思う?」
「一応止める」
「一応?」
「無人島に行くんだったら、しっかり準備しないと」
「うん、はあ?」
「かわいそうだから、別に、あの、一人よりは・・・、と思った、よ。何か。ああ、違うか、別にかわいそうじゃないか、そうじゃなくてね、一緒に行きたい。一人よりは・・・、みんな一緒がいいよ。たぶん、あのー、お姉さんの弟も同じこと言うんじゃないの」
「二人で耳打ちして伝言ゲームしてたんでしょ。あんたたちにかわいそうって言われたくない」
「僕のことはかわいそうって思わない?」
「なんであんたがかわいそうなの・・・?」
「一緒に行きたい、お姉さんと一緒に、一人では行けないと思う・・・、連れて行って」
「・・・あんた泣いて許してもらおうと思ってるでしょ」
「ああ、ビデオ観たら泣いてしまった。誰かに話そうと思っても、あれも帰って来ないし」
「何だ、本当にいないんだ」
「何のビデオ観てたと思う?無人島。木の実と魚食べてさあ、・・・感動していた。一人で」
「無人島・・・私の部屋からビデオ持ってったね?」
「ああ、言う暇無かった。お姉さん、こっちの話、聞いてた?」
「聞いてたよ、ちゃんと」
「行きたいね、木の実と魚の島。あの魚みたいなのも沢山、海で泳いでた。綺麗な海だった」
弟の友達は喋り続けた。
「行きたいねえ、三人で。あー、お姉さんと二人の方がいいかなあ。バイト、給料出たら行こうねえ、一緒にどっか行こう」
「・・・そんなに暇じゃないよ・・・」「弟の友達と長電話できるくらい時間、余ってるんじゃないの?」
「あー、あー、誰がかけてきたの?」
「・・・ああ、時間、余ってるね、僕も。余ってるんじゃないけど・・・」
「明日、ああ、もう今日か。今日は学校行くの?」
「学校・・・学校かあ」
「あれと。うちの弟と二人で」
「・・・うん、はい、お姉さん、長電話してごめんね、夜中から電話かけてごめんね」
「じゃあね、・・・」
そこで電話を切った。何だかまたすぐに弟かその友達からかかってきそうな気がした。
弟は、あの魚のことで電話を寄越さなかった。
レンジも掃除しに来なかった。

その頃私は本気で落ち込んでいて、一人暮らしの私の部屋に毎日の様に通ってくる高校生の弟と、その友達に、精神的なところで目を向ける余裕は無かった。その日もとぼとぼとバイトの帰り道、せめてお気に入りのアーティストの次のアルバム発売日まではどうにか生きていこう、とか自分を励ましながら・・・コンサートに行く気力は無かった・・・家に帰った。
帰ったら、弟と弟の友達が部屋に上がり込んでいた。スペア・キーの置き場所を知っているのだ。何度置き場所を変えても、弟はその場所をまるで隠すのを見ているみたいに探り出す。いっそのこと、スペア・キーを置くのをやめようかと思ったが、私のマスター・キーは、その途端に行方不明になるのだ。

 部屋に入ると、弟は開け放った窓の側で、私の顔を見ながら歌い出した。
「イスラム教が人を殺し
 キリスト教が戦争を起こす時代に
 生まれたよー」
「ちょっとちょっと」
私は慌てて駆け寄り、公園側の窓を閉めた。ここいらは飲み屋街で、どこの国の人かわからない外人が大勢いて、スーパーや通りでよく見かけた。一度など、ゲーム喫茶で、気がついたら、ヤクザみたいなおっちゃん二人と、自分だけが日本人だった、ということもあった。
窓ガラスを割られるのは嫌だった。
「ちょっと・・・イスラムとアメリカにけんか売ってんの?」
弟はきょとんとした顔で言った。
「本当のことだろ、本当のこと言っちゃいけないの?」
「それにしたって」
「おまえはどう思う?」
弟は友達に尋ねた。友達は言った。
「どうでもいい、どうでもいいよ、よその国のことなんか。・・・ああでも、難民はかわいそうだと思うけど。自分のいるべき場所にいられないってかわいそうだと思うけど・・・僕らが人殺してる訳じゃないもの」
「ああそう。そういうものか。関係無いとか思っちゃってるんだ、うーん」
「俺は関係無いとは思わないよ。戦争って大嫌い。兵隊もそうだけど、罪の無い人たちが、国の偉い・・・一握りの人の考えでそういうのに巻き込まれちゃう訳だろ。確かに理由あってのことだろうけど、宗教とか、思想とか、本来なら人を生かす為にあるべきものが、どうしてそういう方向に行っちゃうんだろうって思うよ。だって俺は今、平和な所にいて、幸せになりたいって願ってて、そうじゃない人って、不思議だもの」
いつになく饒舌に喋る弟に、私はちょっとびっくりした。そんなに弟がしっかりした考えを持っているとは思わなかったのだ。
「知りたくないって思うんだ、戦争の場合は。戦争のつらさなんか知りたくない・・・、この平和で、世界一安全って言われてる国で、願い事を叶えることさえ大変なのに、これ以上のごたごたには巻き込まれたくない」
弟はずっと前から考えていたことを発表する様に言った。弟の友達は、ちょっとぽかんとしていた。
「・・・何、熱血してんの?」
「だって考えてみろよ、想像してみろよ。俺は嫌だよ、目の前でおまえが死んだり、姉さんが死んだりしたらさ」
弟の友達は、やっと納得した様な顔をした。「それは嫌だね。うん、嫌だ」
「だろ?」
弟は満足げに友達と私を見た。
私はうなづいた。
「えらいね、立派だね、そこまで自分の考えを・・・戦争に対して持ってるとは思って無かったよ。私も死ぬの、嫌だしね」
不意に、涙がこぼれそうになった。
「私が死んだら嫌だなんて、言ってくれて、ありがとう。・・・あんた馬鹿だけど、優しいね」
「優しいんじゃないよ、他人の宗教とか思想の中に入っていけないだけだよ。俺にはそういうの、わからない。・・・馬鹿だから」
「きっと馬鹿は、戦争起こしたりしないんだよ」
弟の友達が言った。言って、私の肩を抱いた。
「今日は、夕ご飯、食べてくといいよ。久しぶりに、米買って来たから。・・・少しくらいなら、遅くまでうちにいてもいいよ。二人ともいて。ごはん食べて、ゲームしたりしよう」
「うん」
結局その日二人は、夜の二時過ぎまでうちにいた。私も帰れと言わなかった。
初めて、一回りも年の違う弟とその友達と、話をした様な気がした。弟と友達は、それきり戦争の話をしなかったが、私の死を悲しんでくれそうな人間が、世界にはまだ二人は、少なくとも今、目の前にいて、そういうことが私を救った。
でも本当は・・・戦争を起こすのは、こういう二人なんだろうなあ、と私は感じていた。
自分たちだけの(他に理解されない、という意味で)愛と平和の為に戦いそうなタイプだと、身近にいて、だからこそいつもひしひしとそういう予感があるのではないか、今はせめて、正面きって戦わずにいられる方法を探しているのではないか・・・とか思った。
思っただけで、私は弟と友達にそれを言いはしなかった。
うまく伝える自信が無かったし、例え二人が生粋の兵隊だとしても、きっと今は、そういう風にしかいられないんだろうから。
私にとって二人は、遠い国の戦争の様なものだった。
それにしても、と私は弟の小さい頃のことを思い返した。
弟は、すごーく戦争ごっこだとか、兵隊ものの映画だとか、そういうものが好きだった。私も一緒になって観たりしたから、よく憶えている。今の様に、「戦争反対!」だなんて、唱える方の人間ではなかった・・・。少なくとも、小さい頃・・・、中学校、あの友達に会うまでは。
あんな、弟の後を金魚のふんみたいに追って、いつも何考えてるかわからない様な顔してる人と、どうしてそんなに仲良くなったかは不思議だった。
あの友達と会う前、高校に入るまえまでは、弟のまわりにはいつもやんちゃな子ばっかり集まっていたし、弟もああだから、それが当たり前だと思っていたのに。
中学校の頃までは、よくおじいちゃんから戦争当時の話を聞きだしていた。弟は映画や本で仕入れた知識がおじいちゃんの話とぴたりと符号すると、嬉しそうだった。絵本のミッキーが、ディズニーランドで動いて、生きているのを見る様なものだろう。弟はおじいちゃんの家から帰って来ると、その頃同じ部屋の私がふとんに入ってもずーっと戦争の話をしたりした。あまりの情熱に、
「大きくなったら戦争行けばあ?」
と私が言うと、弟は、
「うーん、日本は、日本はねえ。外人部隊とか、入れないかなー」とか言った。
「わざわざ・・・何で?」
「だって、軍服がさ」
そして弟は、本や何かで見たどこそこの軍のどの部隊のユニフォームが着たいと言い出すのだ。
「自分で作って着ればいいじゃない、そんなの」
弟は、ぱあっという感じで目を輝かせた。
「姉さん、作ってくれる?」
「無理だよ、お母さんに頼んでよ、もう寝るよ」
そういう時の弟の顔は、本当に残念そうだった。弟はお母さんに作って欲しいと頼んだ様だったが、お母さんは弟に軍服まがいを作ってやらなかった。弟はそういう子供だった。
時間って確実に人を変えるな、それとも他の誰かが、弟の何かを揺るがしたのかな、公園を横切って帰っていく弟たちを窓から見送りながら、できるんだったら、私もそんな巡り会いをしたいもんだと、空の星が光った瞬間、思ったりした。今夜見る夢は、運命の人でも出て来るかもしれない。

仕送りで喰っている男の子で、遊びに行くたびに五百円貯金なんてしている人がいた。
同じバイト先で、彼は大学生、私は専門学校生だった。
ある日友達はどっさりと食料品の買い物をして彼に手渡す為に彼の部屋を訪ねた。誘われた私は、何となくついていった。お金の無い私が一個百円くらいのりんごを一緒に渡すと、彼は仕送り前のラーメン生活に本気で嫌気がさしていたらしく、「おおっ、ありがとな、りんご!」と言って、まさにりんごに口を寄せた。
たった百円で、とも思ったが、それが嫌味じゃないくらい明るい人だったので、私まで嬉しくなった。きっと、果物が欲しかったのだろう、ちょうど。りんごの人。
どっかにいないかなあ、りんごの人みたいな人。スーパーやなんかで、りんごを見るたび、りんごの人のことを思いだして、その頃、彼を尊敬してはいたが、惚れなかった自分に後悔する。きっと、りんごのことなんか忘れちゃってて、どっかのお家のパパなんかになってるのかもしれない。私のことなんか、思いだしもしないだろう。でも・・・、残ったものなんか何も無くとも、あの、りんごの時の笑顔。
彼はもてる人だったし、彼女もいて、いろいろできる人だった。友達だって大勢いた。いつも何か楽しそうにしてる人だった。そのパワーみたいなものに、私は当時、憧れた。人が望むもの全部を持ってっちゃいそうな吸引力と、有無を言わせぬ頭の回転の良さと、度胸と愛嬌のある人だった。・・・誰にでも好かれる。男に生まれてたら、ああいう風だったら、今の事だって違う角度で見られただろう。何もかも。憧れだとか、夢だとか、誰それの様になれたらだなんて、小さい頃は、考えもしなかった。私は早く私らしく振る舞える様になりたかった。大人になりたかった。親父と、親父のいる世界から逃げ出したかった。
別に親父は、毎日家に帰って来る父親ではなかったし、私も弟も家では好き勝手して、勉強しろだとかは、一度も言われなかった。それでも親父のまわりのあの雰囲気、たまに家の中で顔をあわすと、意外な人物に会ったとでもいう様な顔をしたり、酒ばかり飲んで言うことは滅茶苦茶、気分の加減で縦の物を横だと言い、好き嫌いが酷すぎて家族とは食事をせず、外でごはん食べちゃう親父・・・は、私の中では大人の代表で、大人になったら、親父みたいなわがままができるものだと、幼い私は、てっきり思いこんでしまっていた。
件のりんごの人は「俺は結構きちんとした家の子だったからさー」と言っていた。
きちんとした家って、どんなだろう。きっと、彼の小学校や中学校の運動会には、ちゃんと父親も来たんだろうな・・・聞いてみれば良かった。私と違って弟は、かけっこが得意だった。一年一度の晴れ舞台の運動会、写真を撮っていた私は気づいたが、弟は走る順番を待ちながらも、ずーっと親父が来ないかと、グラウンドの出入り口の方を落ち着かなく見てたりした。私はそんな弟を見ると、いつもいつも、何か他の、人でも物でもいい、そんなものを早く見つけた方がいいよ・・・とか言ってあげたくなった。でも言ったってわかんないだろう。弟はまだ小さかったし、親父は弟の何倍も生きていて、親父の世界を変えるには、子供では力が足らなさすぎる。どうしようもないんだよ、大人になってしまったら。
弟は一位や二位の賞品を、必ず私にくれた。
一緒に見に来たおじいさんやおばあさんは、弟にいい子だねと言った。私は鉛筆やノートをもらいながら、弟にあんな顔をさせる弟には絶対にならないぞ、お母さんみたいに、拍手で誰かを迎える人間になるんだ・・・とおいしい弁当を食べながら、毎年決意を固めていった。
だから、弟を拍手で迎える人間ができたら、いつでも祝福してあげよう、と思っていた。
綺麗事では無く、弟の幸せは私の幸せだ。
それが、同じ被害者・・・被害者だと思っていた、同じ世界に住む者のつとめだと思った。少なくとも私は先に生まれて、弟の何かを助けてあげられそうな気はした。親父よりは弟に近い、そのことで何か・・・、何かできる様な気はしていた。
でも、本当は、最後まで何にもできなかった。

弟と弟の友達が、高い山を、素人がいただき目指して徒歩で登ろうとする時みたいに、
わざと道なりににぐるぐる、あまり能率的では無いが、まだ安全だった頃。
日曜日の朝早くに、玄関に立って私の母より少し若いくらいのおばさんは言った。
「あの、・・・君のお姉さん、あの、冷蔵庫のこと、怒らないでくださいね、あれは私のせいで」
「・・・はー、あー、何か、うちであったことをべらべら喋る人なんですか、あの、うちの弟の、・・・友達は。気持ちよく無いですね、そういうのは・・・、そういう人・・・そういう話を聞いたんですか?」
「・・・私、もともとあれの遠縁の親戚なんです。今あれが住んでる家は、私の親の家です」
「ああ、養子とか、何か?」
あの友達の関係者、できれば訳ありげな理由なんか聞きたくなかったが、彼女は、こちらに対して「怒らないでくださいね」とまず、前置きして、自分は怒りの表情を浮かべた。形だけでも・・・と思って、部屋の中に招き入れるべきか、と部屋の中を振り返って見た。やはり何も知らない人が見たら、すごい散らかった部屋だった。いつもの様に、ごたごたの物置の様だった。仕方なく、彼女にまた顔を向けた。
「何か、私にお話があるんでしょうか?」
「あの、だから、うちのが、よくこちらに顔を出すと聞いたので。普段、ご迷惑をかけてはいないかと。もう本当に、ちょっとあれだから、あの人は」
「はあ・・・、別に、面倒とまでは・・・、面倒くさい人とはつきあえないんです・・・気も使わないし・・・弟の友達相手にわざわざ」
「お話を聞かせていただけませんか?」
「・・・別に、私の友達じゃないんですけど・・・、そちらの家にいるんなら、弟にでも聞いたらいかがですか・・・」
おばさんは興奮してふくらませていた。見覚えのある感じだな、と思って自分の鼻を指先で押さえた。私は今、こんな表情をしているのかなあ?
「あれは私と結婚するんです」
一瞬、本気で倒れそうになった、のを、大人なんだから、とこらえた。
「・・・・・・ああ、ああ、そうですか。結婚・・・なさるんですか、ええ・・・と、それで・・・?」
「あれは行くところが無いんです。親がいない、あの人が小さい時に心中して、あれはずっと私の親に世話になってたんです。幼稚園からずっと、同じ家で暮らしてました。あの人は私と結婚するんです」
「・・・そんなの知りませんよ、私に関係無い・・・」
「あの人、あなたとつきあってるんですか?」
彼女は一息で言った。
「ただの弟の友達です」
きっぱり言い切ると、彼女は小さくため息をついた。
「良かった、ああ、良かった・・・」
「・・・婚約でもしてるんですか?それとも、プロポーズされたとか?」
「こっちからするんです、これから」
私は呼吸を整えた。どう見ても彼女は、弟たちと親子ほど年が離れていて、私と彼がつきあっていないかとわざわざ面と向かって問い質しにに来て、しかも彼からは一度だって彼女の話を聞いた事が無い、これは・・・。
「そうですか」
「面倒を見た恩も忘れて、学校も行かずにふらふらして、このままだと出席日数も危ないみたいだし、困るんです、」
「私も今、困ってます、日曜の朝からとっても迷惑な人に」
額に手をやって、ちょっと頭を振って見せた。こういう時こそ、本当に頭痛が起こればいいのに。
彼女は少し自制心を取り戻した様だった。
「そうですね、あなたに言っても・・・」
彼女は深呼吸して、詰め寄る形を取っていた姿勢を直した。帰る気になったか、と思ってると、また話を始めた。
「・・・・・・私の親は、あの人をとてもかわいがって育てたんです。いつもどこかの病院にかかっていて、あの人は小学校から、学校って場所に、まともに通えなかったんです。骨も内臓も弱くて、太陽が強い日に長い時間、外にいると肌が真っ赤になって、熱を出してしまったり、・・・私が毎日、あの人を学校まで送り迎えしてました。日傘をさしたり、車で。かと思うと寒いと風邪をひくし、頭痛持ちの貧血で、かなり徹底的に食事には気をつけてあげていたのに、あなたの弟さんがうちに居着いてから、同じ普通の食事をしたがって、アレルギー起こすのに」
「ああ、だからいつも影踏みみたいにして弟の後ろ歩いてるんですか。てっきり、二人で遊んでるのかと思ってました」
「長生きして欲しい、両親と私と、三人で、必死でここまで守ってあげたんです」
・・・宇宙人を無理矢理地球に住まそうとする様な話だ。
聞いた後だと弟の友達の立場も、彼女の気持ちもすごく納得がいく、わかりやすい生い立ちだった。男の子のくせに、しかもあの若さだと、大抵は理由も無く異様に丈夫に」見えるはずなのに、普段そんなに気をつけていないといけないだなんて、私だったら自分にいらいらしそうだった。
彼女は喋るだけ喋ると、泣きそうになった。
少なくとも、彼を大切にしているのかもしれない・・・けど、女ながらに王子様役はつらいだろうな、と思った。
美人顔なのに、もったいない。・・・わざわざ、・・・すごいエネルギーの人だ、できあいの恋人では満足できないだろう、そんな人が身近にいて、しかも保護の手を求めていたとしたら。
でも、最初はそうじゃなかったんだろう。あの彼といて、結果としてこういう人になっちゃったんだろう。普通よりパワーの無い人は、周りにそれを求めたりするし、それで周囲が力強くなったりしそうだ。
彼女はバッグからハンカチを取り出し、目にあてた。
そして、不自然な感じで立ち去った。電車に駆け込む人みたいだった。
部屋の中に戻り、窓から見ると、弟とくだんの彼が公園のベンチでラブラブのカップみたいにいちゃいちゃしていた。
そのままキスしてもおかしくない雰囲気で、握手するみたいに、腕を取ったり取られたり、互いにもたれかかりあって、顔を寄せって喋っていた。
その脇を、気づかないふりをして彼女は通り過ぎた。
あんまりにもすごい構図。
彼女じゃなくて良かった・・・と思った。
望遠で撮って、プレゼントしたら喜ぶかもしれない、思いついて、窓から、気づいて欲しくてばかでかいレンズを使って撮った。フィルム一個、全部使い切った。デジカメが欲しいなー、とか弟が言っていたのを思い出した。
弟はカメラ、少なくとも私が一時は毎日どこへ行くのにも肌身離さず持ち歩いていた一眼レフはわからないみたいだった。運動会が普通ならビデオカメラの年代だ、よく二人でビデオの写しっこしていた。望遠でよく見ると、今日も弟の方がビデオカメラを手に持っていた。あんなにだらだらビデオ回して、楽しいのかな・・・同じカメラでも、普段の行動を写して楽しむというのはわからなかった。親が小さい子供の成長を撮るのならわかるけど・・・今しかないものを撮っておきたいという気持ち。
弟たちはたまに私に撮ったビデオを見せたりした、手に入れたばかりのアクセサリーだの、二人でぼそぼそ喋ってるのを延々と見せられたりもした。どう思う?どう思うとしつこく聞かれもしたが、どう思うも何も・・・目の前にいる弟と弟の友達とが写っているだけだ。
「カメラ写りいいね」
「だろ?だろ?」
それだけだった。私からその言葉を聞けただけで、二人とも満足しているみたいだった。
ビデオカメラやアクセサリーは、全部万引きした物だった。自分らが万引きするシーンまで、カメラを回していた。
弟は指輪が好きだったし、友達の方は首や手や足に、鎖を幾つかずつつけていた。友達は、指が男にしては細いから、指輪は選ぶのが難しいらしかった。趣味の問題だと思う。ごつい骸骨だの、ユリの花のデザインしたやつだの・・・、が好きだと言っていた。
やっと好きなデザインのを見つけたのに、店に合うサイズが無くて、すごくがっかりしたと言って、私にもついでであげる、とかわいいブレスレットをくれた。てっきりちゃんとお金を払ったものだと思っていた。どっかで見た感じ、とボケてたら、コンビニの雑誌で紹介されてて、私の一ヶ月のバイト代をはるかに越える金額の物だった。
何やってんだ、あの二人。指輪屋をつぶしそうな人だ。
こういう人が側にいると、教訓には充分なりえる。誰が相手でも、油断はするなという事だ。もともと、弟と彼が万引きにはまったのは、自分らの友達のお姉さんだかお兄さんだかが、アクセサリー屋で働いていたからだ。 自分らの友達と一緒にそのショップに行き 、紹介もしてもらったらしい。アクセサリーが好きで、と自分らがしてるシルバーの指輪やブレスレットを見せると、その仕事に就いたばかりだったらしいその知り合いになった店員は、ケースからいろいろ出して見せてくれた、でもあんまり沢山出して見せたので、一体弟たちが初めからしていたものか、それとも店の商品なのか、わからなくなってしまったらしい。弟たちは自分らの安物のシルバーを店員に返し、何十万もする指輪やブレスレットを指や手にして、堂々と店を出、ウインドウから店員・・・誰かのお姉さんだかお兄さん・・・が見えなくなったところで、その友達を置いて、走り出したらしい。残された友達は哀れだ。
「それでその友達はどうしたの?」
「知らないよ。学校、やめちゃったみたい」
友達の方は、同情した様な口ぶりで言った。
「僕たちのこの指輪とブレスレット代の為に、きょうだいで働いてたりして」
二人ともしんとした。
「・・・泥棒なんてやめなよ、万引きだって犯罪だよ、バイトでもしたらいいよ」
私が言うと、
「やめろよ、誰だっていつかは労働しなくちゃなんないんだから」
と弟が言い、
「体力あったらするんだけどね、バイト」と弟の友達は言った。
いろいろ考えても、学校に行ってる暇は無さそうだった。そういう時間の使い方をしていた。私の部屋にも、滅多に制服で来たりしなかった。私服で朝からゲーセンに行ったり、喫茶店に入ったり、映画観に行ったりしてるみたいだった。それで退屈になると、万引きをする。CDもよくくれた。ケース無しでくれるので、どうしたのか聞くと、レンタル店で中身だけ抜いたと言う。
「よくつかまらないね」
私が言うと、
「その代わり、自分の友達がつかまるけどね」
と弟は笑った。
弟は、自分たちがつかまらない様に、わざと、そういうのがへたくそな仲間と同じ店に一緒に入る。友達は店員に目を付けられ
、店員の目がそこに行ってるうちに弟は欲しいものをどんどん盗るのだと言う。
「あいつはへただからさせないけど」
友達の事を言って、弟はちょっと変な笑い方をした。
「最低。そういうの、格好いいとでも思ってんの?」
と、言いかけた・・・が、弟のその表情に、口にするのをよした。何だろう、何か変な予感がした。
「ばか、泥棒」
「うん、・・・」
弟は笑っていた。笑って、・・・なのに、何だろう、不自然な感じがした。
「友達、いなくなるよ」
「大丈夫だよ、あとでとったもの分けてるし、それに友達なら、大勢いるよ」
ため息つくみたいに弟が言うと、
「僕だって友達だろ」
弟の友達が言った。ポッキーくわえながら、私の部屋のテーブルに頬杖ついて。
「うん」
弟は目をきゅっと細くした。
まるで、目だけ笑ってないのを、意識して笑顔を作る時みたいに、だ。
彼の方は、平気な顔をしていた。彼の方は、何度も自分らの友達がつかまる、その場にいるらしい。つかまる他の友達と一緒に警備室に行き、「友達は出来心でした」だの「絶対もうさせません」だの謝るらしい。実行犯より始末が悪い。
こういうタイプは嫌いだな、うちの弟はまだ救える・・・とか思った。だけどたぶん弟はこの友達の事が一番好きなんだな、それくらいはわかった。弟が他の友達の事を、彼の事くらい考えて無いのは確かだ。
今度は時計にいくと言った。
プロになっちゃうのかな・・・、でも、今のところ、まだ楽しそうだ。どう考えても、普通になろうと思ったら、あの友達と離れた方がいい。でも、それがなりわいみたいな人になりつつある、私のたった一人の弟は。会社員を・・・、とか言った時、やっと、あの友達と一緒でなく、他の事を考えようとしているのかとほっとしたのに、他の友達のケアばかりする彼も、弟も、二人でいる事でどんどんバランスの悪い、端っこに寄っていくみたいだった。自分たちで種をまいておきながら、それにうんざりしているみたいだった、余計くっつきたがって、・・・どうどうめぐりだ。その夜は二人とも私の部屋にお泊まりした。隣のふとんで横になってる私の側で、二人で小さな声で話し込んでたかと思うと、弟が妙にはっきりした声で言った。
「おまえだったらわかってくれる」
何を?寝ぼけた頭でやばい、と思った。
そういうのはやめてくれ、頼むから。
友達の方は、
「僕に何がわかるって?」
至って冷静だった。
友達だろう、友達だって言ったのに!
私は朝まで眠ったふりをしなければならなくなった。
二人は変な声も出さず、殆ど音もたてなかったが、その気配だけで充分、私に冷や汗をかかせた。何かしてるふりかもしれない、そう思っても、怖くてそっちが見れなかった。その可能性も公園の写真を撮った時から・・・、ずっと前から感じてはいた、けど、きっと誘うなら友達の方からだろうと、弟はそんな気なんて無い、そう思っていた。
だって、私は、足が速くてつきあった女の子の言うとおりに家出から帰って来た、ほら吹きで大飯喰らいの弟をどこかで信用していた。万引きばかりして、他の友達を友達だとも思わず、いつも無表情で何考えてんだかわからない、人にカバーされて当たり前みたいに思ってそうな子・・・そんな子と一緒に、いつも二人でいるようになっても、私の最後の猫を逃がしてしまっても。

学生時代、変な男ばかり寄ってきて、次々とつきあっては別れ、していたら、、中学三年間同じ彼女とつきあっていた弟と較べて、私の事を親父は「あれは純金だけど、おまえはばったもんだ」と何度も言った。
私は本気で腹が立った。それが本当の事でも、せめて親には言われたくなかった。
くそ親父。と思っていたが、親父はいつも酔っぱらって家に帰って来ると、夜中でも私をたたき起こし、私の顔を見て「やっぱり、ぶすで馬鹿な子ほどかわいいなー」と言った。そして、どんなにお金が無くても、そういう時のおみやげと、弟にはあげなくても、私にだけこづかいをくれた。謎の父親だな・・・といつも思っていた。
お母さんたら、何でこんな人と結婚したんだろう。 聞いてみたら、
「ハンサムだったから」
とあっさりと返事が返ってきた。
弟と親父はそっくりだった。
顔も似ていたし、何しろでたらめ加減がそっくりだった。
時間は守らないし、人のCDをケースはそのまま、ばれないようにして中古屋に持って行こうとするし(ケースが無いので中古屋で買い取ってもらえず、私の机の上にCDが裸であったので、問い質した)、人の日記は読む(現場を押さえた、私が思いきり殴った)、絶対に謝らない(人の足を踏んでもだ)、自分がいつも正しいと思っている(人の言ってる事を聞いてない)、人が見ているテレビのチャンネルを勝手に替える、誕生日でも無いのにプレゼントを買ってきたかと思うと、部屋から私の物が何か消えている。あんまりにも・・・あんまりなので、弟が彼女からもらったという目覚まし時計をゴミの日に出したら、弟は家出してしまった。
それが初めての長い家出だった。
弟は一週間で帰って来た。友達の家にいたと言った。もうその頃には、両親も、私も、心配して心配して、どっちが悪いのかわからなくなっていた。
きっかけを作った私が、一応両親の手前謝ると、弟は不思議そうな顔をした。
「何で姉さんが謝るの。俺が悪いよ、友達に言われた。ねえ、それより新しい目覚まし買ってね、それでチャラにしてね」
弟のその言葉に、私はますます誰が悪かったのかわからなくなった。横で腕組みしていた親父は「そうだな」としか言わなかった。お母さんはほっとしたように、「夕飯の買い物に行かなくちゃ」と言った。弟は、「一緒に行くよ」と、今さっき入って来たばかりの玄関を出て行った。私と二人になると親父は、
「おまえが悪い、人の大切な物を勝手にだな・・・」と言ったので、手を差し出し、「お金ちょーだい。目覚まし買って来るから」と試しに言ってみた。
次の日には、もう新しい目覚ましで弟と一緒に起きた。
弟は新しい目覚ましに、「この目覚ましの方が音がいいね。前のはうるさすぎ」と言った。
「お父さんが買ってくれたんだよ」
「ふーん。姉さんが買ってくれたんじゃないの」
私が黙っていると、弟はさっさとふとんをたたんだ。
「ごめんね。私が弁償するべきだった?」
「別に。モノはモノでしょ。そうじゃないモノもあるかもしれないけど。でも、この時計は大事にしようね。親父が仲直りに、って二人に買ってくれたんでしょう」
今までの弟からは考えられないようなセリフを吐いた。私はその言葉で、たぶん弟は彼女の家に行ってたんだな、とわたしらくない勘の回し方で思った。たぶん当たりだ。
ほら吹きと大喰いは相変わらずだったけど、その後からは私のものを勝手に見たり、持ち出したりしなくなった。だから家出から帰って以来、ののしりあったり、取っ組み合いの喧嘩はしなくなった。本当に、私たちは親父の目覚ましのおかげで仲良くなった訳だ。
お母さんは、私たちきょうだいのそんな変化を、「おとーさんの目覚まし効果」と呼んだ。

バイトの帰り道のコンビニで、弟とばったり会った。
「一人?いつもの人はどうしたの?」
「女の子に告白されそうだって。呼び出されて出かけた。途中まで送ってた。今、帰り?」
弟は両手で持っていたマンガに、すぐ目を戻した。
私は驚いて聞いた。
「いいの?」
「何が?」
弟はうるさそうに私を見た。私は黙った。
いつからこんな迫力ある眼力を身につけたんだろう。店員が、まるで弟の方が私に絡んでるように一瞬だけ心配そうな目を向けた。
「・・・機嫌悪い?」
「別に。よくあるよ、どっちかが女に呼び出されることなんて」
弟はマンガを棚に戻した。
「姉さんの部屋、行ってもいい?」
「嫌だよ。今、部屋に入れたら、何かですぐカッとなって刺されたりしそう」
弟はふ、っと笑った。
「ごめんね、八つ当たり」
「うん」
「おわびに何か買ってあげる」
「お菓子がいいかな」
私はお菓子の棚に足を向けた。昔の弟のギャグを思い出した。酔った実の親父の真似だ。指を鳴らしながら、誰かを呼ぶしぐさをする。
「この店で一番高いものを!」
「それはマックでやった」
「マックなら、『チーズバーガー、チーズ抜きで!』でしょう」
「それもやった。でも、うけなかった。『それなら、ハンバーガーの方をどうぞ』って、にこにこされたまま返された」
「チーズバーガーのチーズ抜きだから意味があるのよ!・・・うちの親父のギャグ、わかってくれないかなあ」
「身内じゃないと笑えない、愛が無いと」
私はお菓子の棚の前で後をついて来た弟に振り返った。
「弟、あんた親父に愛なんてあるの?」
「あるよ、たぶん。だって俺、親父に、何でもいい、ほめられたかったもん。いっぺんでもいいから」
「・・・初耳」
「うん。・・・何でもいい、言葉だけでもいいから、一度でいいから、よくやったな、って言われてみたかった」
弟は言いながら、落ち込んでいくみたいだった。だから私は、教えてあげる気になった。
「お父さんは、あんたの事、純金だって言ってたよ、私には、よく。中学校の頃ね。目覚ましの彼女と、三年間ずっとつきあってたから」
弟の表情が、ちょっと動いた。
「ふーん、そうなの。そんなの聞いたこと、無い。でも、そうなら、今はもう、言ってもらえない訳だ、・・・あれはね」
弟は友達のことを、「あれ」と呼んだ。
「あれはね、よく俺のことほめてくれるよ。一緒にいると、朝から晩まで。俺の顔とか、髪形とか、服とか、何か言うと、そういう考えいいねとか。くだらないことなんだけど、手が大きいと幸せを沢山掴めるんだよとか、テレビのクイズとかで俺が答え当てると、頭、いいんだねえとか、とにかくほめる」
「うざくない?」
弟は私をにらんだ。今度は怖くなかった。
小さい頃の弟の顔をしていたから。私はお菓子を選んだ。
「どれにしようかな」
「欲しい言葉をくれる人ってどう思う?」
「相手によるんじゃない、嫌いな人から何言われたって、嫌いだなと思うだけだけど、好きな人から言われると、何だって嬉しいような気がする。でも、私だったらあんたの友達みたいな人は好きになったりしないと思う。妙なテク使う人は好きじゃないし。人の弱みを、見抜く感じはする。人を思い通りに動かそうとして、やってる様な気がする。そういう奴は、自分が動けよ!とか思っちゃうから。自分で動けない人なのかもしれないけど・・・、自分一人で何もしないとか、できない人なのかと私は思ってる、側にいて、見てると。・・・私の場合は見てるだけだけど」
弟の胸にお菓子の袋を三つ、押しつけた。
「あんたは巻き込まれてる、違う?」
弟は一呼吸置いてから言った。
「あれは、あいつは、自分の方が巻き込まれてるんだって言うよ」
「じゃあ、お互いに巻き込まれてるんだ。あの人の身内、っていうか、あの人と結婚したいっていう女の人、おばさん、に生い立ち聞いた?」
「知らない。いつもごはん作ってくれる人のことかな、母親代わりって言ってたけど。父親もいないって。でも、うちだって親父、家にいる人じゃなかったし、母親がいないから、ああなっちゃったとか、そういうんじゃないでしょう」
「・・・とにかくさあ・・・、深入りしずぎだよ。他人の家に転がり込んで、もう二ヶ月?はたつでしょう。あのおばさん、何も言わないの?」
「言われないよ。姉さん、何で知ってるの?おばさんのことだとか・・・」
「うちに来てた。私とつきあってるんじゃないかって」
「誰が、誰と?」
「私とあんたの友達が」
私はもう一つチョコレートを選び、弟に渡した。弟はたぶんチョコレートのせいではなくて、不機嫌な顔になった。
「ああ、それはあるかもよ。あの人、姉さんみたいなの、好みみたいよ」
私は掴んでいたクッキーの袋を手から棚に落とした。
「何で?何でそういうことになるわけ?」
「知らない。『ああいう人、好きだなあ』、みたいな」
「やめてよ。男でも女でもいいわけ?もううちに泊めてあげない。だいたい、ご近所様から見れば両手に花でも、実際それが無いからって、私はそう安心して・・・、一番同情されていいのは私だよ」
「あんまりお菓子ばっかり食べると、太るし、肌が荒れるよ」
弟は私の言い分は聞こうとしなかった。
「ちょっと、聞いてよ!」
弟はすたすたとレジまで歩いて行った。お尻のポケットから財布を出し、札を一枚、カウンターに出した。横に並び、店員が包んでくれた袋をもらう。弟は店員から小銭を受け取り、腰をかがめるみたいにして財布をしまった。
自動ドアを一緒に出ながら、私は言った。
「もう一度言っとくけど、私は絶対、あんなの好きじゃないから。考えたことも無かった、あんたの友達じゃなかったら、知り合ってもないし、つきあってないよ」
「わかるよ」
弟は両手をジーンズのポケットに入れて、肩をすくめた。
「伝えようか?がっかりすると思うけど。伝えた方がいい?」
そこでいつもの私の弱気さが出た。
「別に伝えなくても・・・、わざわざ言うことでも無いし・・・とにかく、もう泊めてあげる気は無くなった」
「そう」
弟は、ひゅうっと息を吸い込んだ。
「ごめんね」
「何が?何であんたが謝るの?」
「だって俺、安心したんだ、姉さんがはっきり、あれのこと、嫌いだ、みたいに言うから。女はみんな、ああいうのが好きかと思った。そう思っちゃう、側にいると。あの人、もてるから」
「・・・普通の女は、あんたみたいな方が好きだと思うよ、見た目だけだったら」
弟は、鼻の頭を指でかいた。
「見た目だけね」
「中身はわかんない。・・・いつの間にか、わかんない人になっちゃったね」
弟は、形の良い眉を寄せた。
「送ってってあげる」
「また、人の話を聞いてない・・・、ふりをする。そういうとこ、お父さんと同じだね」
「一緒にしないでよ」
「同じだよ、同じ男で、同じ血で、女の子にもてて・・・、もしあの友達に会わなかったら、あんたはお父さんとそっくりになってたね」
「やめろよ」
「やめるよ」
それからはしばらく二人、黙って夜道を歩いた。私は思いきって聞いてみた。
「あの人のどこがいいの?」
弟は私の言葉に足を止めた。そして、私を見た。
「・・・どうしてそんなこと聞くの?」
「中学校までは女の子とつきあってたじゃない」
街灯の光が、弟の顔に陰影を作っていた。我が弟ながら、こんな美形、そんじょそこらにいない。そして私は、久しぶりにそのことに気づいた。
「どうして男の子と・・・、どうしてそうなっちゃうのかなあ、と思って」
「さあね」
弟は顔を傾けた。自分でもちょっと考えているみたいだった。
「あれのこと、姉さん本当に何とも思わない?人より綺麗だと思うでしょう?」
私は弟の友達の顔を思い浮かべた。
「そうだね、悪くない・・・けど、ハンサムっていうタイプじゃなくて、もてる顔ってタイプ」
「かわいいでしょう?」
「・・・そうだね、かわいいとか、フェロモン系とか、・・・そういうタイプだね」
「女で言うと、グラビアアイドルって感じでしょう」
女に例えるなよ、とか思ったが、その例え方はわかるような気がした。歌手とか女優じゃなく、グラビアアイドル。声が、とか顔が、じゃなく、歌唱力とか演技力じゃなくって、言っちゃ悪いが、ぱっと見の・・・しかし、相手にその理由を考えさせないというのもすごいよな・・・、それって魅力としか言えないよな、グラビアアイドルね。
「でも、・・・普通はさ・・・」
「うん、わかるよ、姉さんが言いたいこと。
もうやめろとか、あんたの為にならないとか、でも、そういうの、言われる前からわかっちゃうから、言わないでね」
「大きなお世話?」
弟は返事をせずに、私の腕を取って、手を握った。
「でもさ、男相手にかわいいとか綺麗だとかって、変だよ、言っとくけど」
「うん。男相手にグラビアアイドルみたいってのも変だよね」
「わかってるんだ、わかってるんだね」
「わかってるよ」
弟は繰り返した。
「わかってるさ」

弟は、それから何度か私に電話してくる様になった。真夜中にあの友達が寝てからこっそり家を抜け出して、真夜中の公衆電話から。お金は持っているはずだった、万引きしたものを学校で他の友達に売りさばいていると言っていたから。でも携帯は、お母さんも親父も保証人になってくれなくて持ってなかった。保証人になって欲しければ家に帰って来なさいと言われたらしかった。あの友達の方はおばさんを保証人にして、ばんばん携帯を使いまくっていた。二人でいる時は、その携帯から電話がきた。寝てる間に内緒で使っちゃえばいいのに、弟はそういうことはしなかった。私に友達とのことがばれたことで、一人だけの秘密では無くなったわけだ。私は眠い目をこすってでも、できるだけ弟の話を聞いてあげた。好きな人がいて、できるだけその人と一緒にいたい、その気持ちはよくわかった。とりあえず両思いみたいで、悩むことなんて何も無いんじゃないの、とも思ったが、弟はいつも真剣に、これが、この状態がいつまで続くか心配していた。
「それは、学校も行かずに泥棒してるこの毎日がってこと?それとも、いつまで彼が自分のことを好きでいてくれるかってこと?」
「学校なんて関係無い、万引きだって大したことない、そうじゃない、何でわかってくれないの?」
弟の電話はいつも唐突に切れた。
それも、ちょうど、あの私の誕生日を境にぷつりと無くなった。
何もかも、計画を立てていたのかと思う。親しい他の友達の家にいる、一番それが近いかな、そうだとしたらまだ今までの弟の日常の範囲を出ていなくて、帰ってくる可能性はあるなと思った。でもたぶん、弟は考えないでいて欲しいだろうな、それとも、その逆で、初めて本気で探して欲しいのかな・・・あの友達と一緒なら、そんなことは無い様な気がした。少なくとも、あのままの状態だったら。
弟、と彼がいなくなってから、時間の許す限り、新聞やテレビのニュースを見る様にした。やることはいっぱしの大人の様でも、たった二人きりだ。毎朝、毎夕、人が死んでいた。当たり前のことなのに、その中の一人が・・・、二人のうちどちらかだったら、そうじゃなくて良かった、似た名前や年齢に反応してしまう様になってしまった。
もしかしたら、本気で南海の孤島に行ってしまったのかもしれない。確かにあの二人は、そんな感じだった・・・。

『世界には他にも人間がいるのに、お互いのことしか考えてなくて,ごめんなさい』
携帯に二人がキスしている映像とメールが入っていて、びっくりした。たぶん、今の自分たちにタイトルつけて遊んでいるのだろう。
すごい良い勘だ、と思った。
五分後には、電話がかかってきた。
せっかく人が家にいる時間帯を狙ってきたんだから、最初から最後まで聞いてあげた。
わりとおもしろかったので、Q2のエッチな番組で立派にやっていけるんじゃないの、とか言ってあげた。
二人とも、私のコメントを聞いて、げらげら笑った。
「傑作、」
「超うける、かけたことあるの?」
「無いけど・・・、たぶんあんたたち、新しいジャンル作った方がいいよ・・・」
「はあー?僕たちくらいノーマルはいないよ?」
「久しぶりだよねえ」
「・・・ああ、だから機嫌いいのか・・・、そんなもの?」
電話の向こうで二人ともちょっと黙った。
それからまた、なんかべたべたしてるみたいだった。とりあえず、元気そうで、心配していた自分がアホみたいに思えた。弟たちは、姉さんの部屋に盗聴器仕掛けてあるから、反応ばっちりわかった、また電話するね、と言って電話を切った。私は一人の部屋で、携帯を見つめ、しばらくぼうっとしていた。盗聴器の話が、いつものでたらめやほらだといいな・・・と思った。弟たちがいなくなって、一ヶ月はたつ。その間、私が気づかない場所にあるんなら、探したって見つからないだろう、と思った。でも、それが本当の話ならこれで盗聴器の電波が拾える距離にいることがわかった。そう遠くじゃないだろう、盗聴関係に詳しくない私にはそれくらいしかわからなかった。
何がしたいんだろう、あの二人。
私はふとんにもぐり込み、明日のバイトの為に眠った。

弟たちがいなくなって、小さな映画館へ映画を見に行った。
とても親切で、私よりは考えてものを喋る人と一緒に行ったので、見終わったら、何か聞かせてくれるだろうと思った。その人は、聞いたことも無い監督の映画を見ようと言った。アマチュアの映画らしい。いつも聞かせてくれる好みとは違うような気がしたけど、何か考えてるのかな・・・?とか思った。
ずっと友達だといいなと思った。本気で尊敬していた、・・・神様を信じている男。
映画が始まってすぐ、夢中になった。
使われている曲は全部私の聞いたことのある曲だった。私ってすごく好みがポピュラーなのかな、音楽の担当が私と同年代なのかも・・・、と横を見た。小さい頃、大きくなってからも、テレビとかビデオ見る時は、弟と一緒だった。何だか、はめられてる感じがした。弟は表でも町の有名人だったから、私はそのお姉さんだというだけで、嫌なこともあった。けど、その人は本当に何も知らないみたいだった。みたい、だった。でも、もしかして・・・、
画面に男の顔が出た。
最初は誰だかわからなかったのが、どこかで見た顔だなあと思っているうちに、どんどんカメラが近づいていって、やっとわかった。
これは弟だ。
咄嗟に回らない頭で、映画館の出口のあたりのポスターと手元のパンフ、弟が何だかんだと私がいない時間から部屋にあがりこんでいた時期と、大体のことを大雑把に頭の中でまとめようとした。弟は、まったく違う名前を使っていたから、きづかなかったのだ。
「見てないの?」
横の人が言った。
「見てます・・・よ」
映画館主催のコンテストで、優秀作品らしかった。
画面の中で、弟と、弟の友達が出てきた。やっぱり二人か・・・と思っていたら、私の電話の声まで編集されて入っていた。あきれて、うまいぐあいに使うな、と思った。
弟の友達は、弟に、口を寄せて言った。
「おまえのママになってあげるよ。おまえはベイビーなんだから、もっと甘えたり、何でも頼りにしていいんだよ」
弟は困った顔になった。
「俺はおまえのベイビーじゃないよ」
弟の友達は弟の髪を撫でてあげていた。私の母親のしぐさそっくりだった。
私が今までつきあったりした男の言葉だとか、行動だとか・・・、を繋ぎ合わせたような内容だった。弟にも、誰にも言わなかったことまで、弟たちは知っているようだった。部屋に盗聴器があるよ、というのは嘘ではなかったらしい。私の盗み撮りもされていた。横の人は私のカットが出るたびに、私を気遣うように見た。弟が作ったことだけは知っていたのだろう。
弟と私・・・そして友達、あの狭い部屋、
私のつきあった今までの男の人全部・・・がわかる内容だった。私の今までの何もかもが、見たり聞いたり話したりしたこと、自分だけの体験だと思っていたものが、ちらちらする光の向こうに透けて見えるみたいだった。その時々の感情も。
弟の友達はすごくうまく笑った。
「おまえは僕のベイビーだよ」
きらきら光ってるみたいに、グラビアアイドルだと弟が例えとして言った、その笑顔で弟の友達は微笑んだ。
「だっておまえは僕以外に考えられないし、ぼくにじゃれつきたいんだろ」
友達も弟も、どれほど笑顔でも、すごくつらそうだった。これが全部演技だなんて、誰も思わない。・・・弟は母親を大好きだった、それが・・・、それを言ってる友達のせいだとは思う・・・が。
おそろしいことに、弟は私の部屋や、私が撮った写真まで使っていた。ポスターの大きさに引き伸ばした空の写真の上に座って、二人とも話していた。
「おまえをこんなにするのは大変だったよ、」
体を横たえながら、弟の方の向こうの天井を見ながら、友達が言った。
「僕のこの十何年かは、簡単じゃなかったよ」
その中では、弟たちはいつものよくわからないほらは言わなかった。普通の、真剣で、追いつめられた恋愛みたいだった。
二人が部屋にいる間、冷蔵庫が画面の中に何度も入った。
綺麗に撮れてるな、わりと・・・、とその部分は冷静に見れた。あんなに汚い部屋が。
自分の携帯の声や一緒にいる時の映像が使われている部分では、悔しくて何回か、泣きそうにのどが痛くなるのをがまんした。
二人が恋仲という以外は、よくわからないストーリーだった。
世界に復讐していると弟は言った。
きっと、一番好きなものと一番嫌いなものが、同じで、あまりに好きすぎて腹をたてていると。
・・・そこだけすごく自然に言っていた。そんなに不運だと感じてるとは思わなかった。迷ってはいても、そこまでだとは思わなかった。それだけが弟の言いたかったことだと思った、私なりに受け取ったメッセージだ。お互い会わなければ、もっと傍目から見て、理解されやすかったのは確かだ。
十八歳にして世界を語る弟・・・、格好がいいことは確かだ。
「ここが世界の中心だよ」
ポスターをさして弟が言った。
ほうら、弟の「世界」が始まった、と思った。小さい頃からの、決めゼリフだった。もう仕方が無いので、頭の中で返事してあげた。子供の頃の様に。
「ここが世界の真ん中」
(ここが世界の分岐点)
世間を世界と言い、宇宙と地球を世界と言い、この場所を世界と言い、最後に弟は言った。
「おまえが俺の世界だよ、」
「おまえと会うまで、長かった。おまえが俺の世界だよ」
映画のタイトルは、英語だった。
私は同じタイトルの曲があるのを知っていた。昔の洋楽だ。私が一時とても好きで、いまだに弟も歌ったりよくしていた、あの友達もファンだった。
昔、好きな音楽の関係で知り合った年上の友達は私に、「歌のような写真をめざしたらいいよ」と言っていた。その人はその時期、私の好きだった小説ぐらい、精神的にもヘビィーーーーな生活をしていた。でも、実際にそういう人を目のあたりにすると、この人この調子でこのまま行くのか・・・、とか、勝手に心配になったりしていた、けど別に私に心配されなくっても、という感じだった。それはわかっていても、勝手に心配する人だから、しょうがない。大したことに関わりは持たなかったが、お話としてはすごかった。その人は小説みたいな人だったが、私はまんがみたいなことを、言ったりやったりしていた。いまだにそうかもしれない。自分ではすごくわかりやすい例えだと思って、横で真剣にスクリーンを見ていた人に言ってみた。
「・・・どんなまんが?」
「色のついてる、イメージとして、新聞に載ってそうな、・・・何となく」
横の人は首を振った。
「そんなこと無いよ。普通の女の子だよ、君は」
その意見は全面的に打ち消された。
無理かもしれない、スヌーピーのワールドめざすのは・・・、と思った。イラスト、まんがの本、画集が欲しいなと思った。色のついた、ついてなくても、きれいな、私の中の、新しいスヌーピーを探さなくちゃ、と思った。
弟と違って、私はまだまだ何度でも新しく見つけなければいけない。
夜に抱いて寝る、(世界って?)ものを。
弟は映画のラストで弟の世界を征服して、私の横に座っていた、神様を信じる男は、本気で私と縁を切ってしまった。
世界を抱いて寝る男には、私の気持ちなんかわからないだろうな、と思った。
世界をまたひとつ、失ってしまった。

わざと、物事を大変な方向へ持って行こうとする二人が出会ってしまったという感じ、本人たちは幸せになりたいんだと思っていても、一体どういう考えでそういうことを言ったりやったりするんだとか、何を考えているんだ、とたずねられるタイプだ。
友達の方のあの女性の件があったとしても(そのせいで街から逃げたのだと衣思っていたが)それにしても、よく飽きずに次から次へと新しい遊びを思いつくもんだと思った。
弟は昔、母親がスケベな雑誌を部屋で見つけた時に、
「性欲無くなったら人間おしまいだよ」
とか言って、さらに親の怒りを煽っていたが、私は夕食の席でそれを聞きながら、それはおまえだけだ・・・、とか頭の中で突っ込んだ。けど、よく考えると、とても深い意味で言ったのかもしれない。その時私は、サラダ食べながら、「食欲無くなったら人間おしまい」だと思った・・・。どっちにしろ、弟の性欲は、子孫を残すとかの方へは行かなかった様だ。私と同じ個人レベルにまで、あの時の名ゼリフは落ちた訳になるのか、そう思うと、残念な気もした。弟の子供って、ちょっと見てみたいような気もした。あの友達の方も。
わりと不幸に育ったか、しようもない子供が、何か復讐してるみたいな気もした。弟たちの言葉を使うなら、二人で「世界」に復讐してるみたいな話だと思った。
まあ、たまたま側にいて、好みで、自分の何かに気づいたのかもしれないけど、・・・とにかく、しっくりこない話だ。
二人からはたまに電話が来た。親には言わなかった。相変わらず、いちゃいちゃしまくっていた。
「録音して、声聞かせてあげたら、親が喜ぶかもしれない」
弟に言ったら、さすがにしばらくは連絡が来なくなった。
何だ、思ったより普通だな、まだ、とか思っていたら、二週間後の昼間、着メロが部屋に鳴り響いた。私はバイト休みの日で、うちでビデオを観ていた。
弟の友達と喋った。同じ部屋に弟はいるらしかったが、私と口をきこうとしなかった。休みの日に天気が悪いから、嫌な気分になったのかもしれない。弟の友達によると、床にごろごろころがりながら、何となく立って電話してる自分の足を蹴ったりしてる、とか言っていた。
「なんか、夫婦げんかみたい。何があったのか知らないけど、早く仲直りしたら?」
友達と話すのは嫌なので、そう言ってすぐ電話を切ろうとしているのに、友達の方は何度も話を引き延ばす。
「ごめんね、雨が降りそうだから、切るね、洗濯物取り込まないと」
「ああ、そうだね」
彼は、とても残念そうな声を出した。
「・・・でも、まだ平気じゃない?すぐには」
「ううん、もう空、真っ黒だよ、切ろうね」「・・・ああ、ああ、僕と話すの嫌?お姉さんの部屋に遊びに行こうかな、行きたいなあ、お姉さんの顔見たい。顔見て話したいなあ。喋るのへただから。笑ってるかどうか、・・・見たいな」
声が小さくなって、本気で泣いていた。
「お姉さん、お姉さんの方がこっちおいで。お姉さんいないとだめだと思う」
急に弟が携帯を取り上げたみたいだった。
「会いたいって、姉さんに会いたいって、この人、寝言で姉さんの名前呼ぶんだよ」
「・・・ホームシック?私、田舎の代表なの?」
「ごはんも作るよ、お願いだから来てちょうだい・・・」
「悪いけど、そんなに暇じゃない」
「嘘、ごめん、ごめん」
「雨も降りそうだし・・・」
弟の友達はさっきよりはしゃっきりした声で言った。
「そうだね、僕はさっき洗濯物ベランダから取り込んだけど、あれにたたんでもらわないと。さっきからごろごろして、何もしてくれない」
「ちゃんとしないと」
「うん、ちゃんとするよ。仕事が疲れる。普段はあれが大体、家のことするからいいけど、二人仕事してるから、・・・おもしろくない」
「仕事するのは当たり前じゃないの?」
「おもしろくない、おもしろくない。できるだけ時間あわせるようにしてるけど、一人で部屋にいてもおもしろくない」
「他に友達いないの?出かけないの?」
「一緒じゃなかったらおもしろくない」
「・・・ああ、じゃあ、もうずっとくっついていたら?同じ職場に勤めようかって二人とも言ってたし」
「バイト先近いよ」
「ああ、ああ、そうか・・・、でも今、いるんでしょう?今、くっついてたら?」
「・・・くっついてどうする、この男、信用できない。もうやめる、何もかもやめる」「私は信用できるの?」
「できるよ、お姉さんは僕のこと、何とも思ってないでしょう。だまそうと思ってないけど優しい」
「信用して田舎から出て行ったんでしょ、もうだまされるまでくっついていたら?」
彼は聞き取れないくらいの声で、息継ぎもしないで何か言った。
「ああもう、お願いだから切って。俺もう聞きたくない」
弟の声がして、電話が切れた。
すぐに雨が降り出した。あわてて洗濯物に走った。
たぶんあの二人、今、洗濯物たたんでるか、散らかしてるかのどっちか。

水族館にいる、魚みたいに、何度も何度も飽きること無く、定められた何かの線に沿う様に泳ぎ続けて、陸にいる動物とはつくりからして違うから、水の中で泳ぎ疲れることも、溺れることも無い。
同じからい水に棲んでいるのに、光を受けてうろこは光り、方角を強く知っている。あの二人は、きっとあのまま泳ぎ続けるだろう。
生まれた時から、水から上がる方法なんて無い。

弟が、何度目か私の部屋にあの友達を連れて来た時、お腹すいたねという話から、何が食べたいとか、それぞれの好き嫌いの話になって、気をつけないと病気になる、と私にアドバイスした友達に、弟が笑って肩に手を乗せ、言った。
「大丈夫、もうすぐ戦争、始まるから」
「・・・どういう意味?今そんなに考えない方がいいよっていう意味?」
私もあいづちを打った。
「ああ、子供の時分、凝っていたね、戦争ネタ。先のことは気をつけててもどうなるかわからないよって言いたいんでしょ」
弟が、どうかなあという顔をした。
「何回も僕に言うね、悪い夢とか見るんでしょ、オカルトな人だから。あんなに怖い怖いって、この部屋でも寝ながら僕に抱きつくくせに」
「ああ、これは昔からそうだよ。よくうなされて、占ってもらったら、戦争で子供亡くした母親の生まれ変わりって出たよね」
弟の友達は言った。
「何もかも、だってもうじき世界は終わるから」
それから、二人、声を合わせて言った。
「大丈夫、世界はもうすぐ終わるから」




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