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鈴木翁二の漫画 太郎吉野 「翁二」は、「おうじ」と読みます。あんまり馴染みのない名前でしょうけど、知ってます? 現在、入手可能な単行本は、 「海のタッチ」(ワイズ出版・1600円) 「東京グッドバイ」(北冬書房・1619円) 「マッチ1本の話」(北冬書房・1429円) それと、多分すでに絶版だろうけど、なぜか、烏書房の棚には残ってる 「まばたきブック」(銀音夢−ぎんねむ−書房・2000円) これくらいかな。 70年代の「ガロ」誌上で、阿部慎一、古川益三とともに、「一二三トリオ」と呼ばれてました。 阿部慎一は、故郷の筑豊に帰って、その後の消息は不明。古川益三は、ご存じ、今をときめく「まんだらけ」の社長さんです。 鈴木翁二は現在、北海道に移住して、そこで創作を続けているようです。 先に挙げた単行本に所収された作品は、そのほとんどが、70年代から80年代にかけて描かれた作品。 そのころの、漫画状況というのは、たとえて言えば(かなり乱暴なたとえですけど)、他の一般の漫画を「歌謡曲」としたら、鈴木翁二に代表される「ガロ」の面々というのは、「フォーク」、あるいは今で言う「インディーズ」。 中でも、わしは、この鈴木翁二の描く、散文詩を思わせる漫画というのに、強く魅き付けられたのでした。 翁二自身は、「ブンガク」という言葉は死んでも吐かなかったと思いますが、彼が「漫画を描く」という行為を「文学表現」と捕らえていたのは、間違いないと思います。 自らの身を削るようにして、自らを表現する手段として選んだのが、タマタマ漫画だった。そんな気配がどの作品からも感じ取れます。 「雨の色」「星の栖家」「透明通信」「思いで物語」「さみしい名前」(「マッチ1本の話」所収)、「向こうのラムネ庵」「懐かしの夜」「君と旅する」(以上「東京グッドバイ」所収)、「麦畑野原」「旅情の降る」「日の毒」「かたわれワルツ」(以上「海のタッチ」所収)等々、タイトルもみんな、いいんですよね。 若い魂の、ドロドロとした鬱屈感を描いていても、読み終えた後に、不思議な清涼感が残るのも、翁二漫画の特徴なんです。 |
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「『弱者』とはだれか」 小浜逸郎 PHP新書 マスク 弱者という言葉を目にしてあなたは何を思い浮かべますか?身体障害者、子供、お年寄り(政治家以外)・・・はるか昔のことのように感じるあの地域振興券。どこかおかしいと思いませんでしたか? 作者は私がうまく言えなかった矛盾をズバリ指摘してくれています。 もう一つ分かりやすい例として電車の優先座席についても言及しています。立っている人は沢山いるのに優先座席だけは空いているという光景、よくみかけますね。では、何故そんなことになってしまうのかというところを小浜氏はきっちり説明してくれています。 「五体不満足」や「だからあなたも生きぬいて」はかなりの人が読まれた事でしょう。 次に読むとしたらコレしかないでっせ |
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「汝ふたたび故郷へ帰れず」飯嶋和一 小学館 ¥1600 まりあからす ボクサーの話である。主人公のボクサーが対戦相手に恵まれず、苛立ち、焦り、自滅していく。 挙げ句の果てにアル中に。 アル中のボクサーの頭には、一切の風景は色を失い、時間は止まっていた。 この間、ボクサーの頭を何度もよぎる風景があった。彼が少年時代を過ごした南の果ての島。その島では、金は役にたたない。島民たちは、金の威力を鼻で笑った。 ボクサーは、再起へのロードワークをこの島で始める。 ボクサーの身体は、面白いほど順調に出来上がっていく。島を出る時が来た。彼は東京にむけてチャンピオン戦に挑んでいく。 あらすじは、ザッとこんな具合。 ボクサーの魂を導いた島民の生きようは、清しく暖かい。誰しも、こんな島を故郷に出来たなら、金に縛られず、もっと思うがままに生きられよう。 ファイトの描写は臨場感にあふれている。読者はボクサーと一心同体化するだろう。 表紙カバーについてふれたい。ジム・ブランデンバーグのすばらしいオオカミの写真である。木の陰からこちらを窺う瞳は、アンタはホンマ者かと鋭く問うてくる。 |
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「ハンマー オブ エデン」ケン・フォレット(小学館・1800円) 太郎吉野 これね、「web本の雑誌」の「新刊採点」では、ケッコー辛い点数つけられてるの。でも、わし、おもしろかったんですけど…… カリフォルニアのヒッピー・コミューン(そんなモンが現存する、て事実に、まず驚いたぞ、わしは。)が、ダムの建設阻止するために、人為的な地震を発生させる、ちゅう着想も(ムチャやけど)面白いし、そのヒッピ・ーコミューンのリーダーと、彼を追う米越混血の(アジア系)女性FBI捜査官、この二人のキャラクターも良かった、と思うんじゃがの。 「あれ!?」と思うたのはね、このヒッピー・コミューンなんですが、ここの「理念」というのが、こないだ見た「ゆきゆきて神軍」で奥崎さんが言うてた自身の理念、「国家とか、あるいは家族とか、およそ、人間社会にある枠というのは、人間が共存する為には垣根にしかなり得ない」て言うのと、一致してるんですよ。 70年代のまま、現在まで生きてきたこのリーダーとその仲間たちには、妙に肩入れしとうなる部分があるんですよね、「イージーライダー」やボブ・ディランにあこがれた世代としては…… |
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「なぜ人を殺してはいけないのですか」ヒュー・ブラウン 幻冬舎 たきしーど仮面 やくざから宣教師になった人というのは聞いたことがあるが、この人は元テロリストの宣教師さん。今は姫路のはずれにいて、神戸にもよく来られているようだ。 世界でも有数のきな臭い街、ベルファストでUVFというIRAに対立する組織にいた辣腕テロリストは、神の啓示を受けて日本で宣教師をすることになったのだそうだ。 読んでいて、この人はホントに日本が好きなんだなぁと思う。 日本とイギリスというと、マークス寿子とか林望のようなエリートさんの意見は多かったが、ブラウンさんはエリートではない。ノンエリートの意見はそれなりに新鮮だ。子供にとって日本の学校は、ベルファストより危険に見えるみたいだし(^_^;) 世界中に宣教師を派遣する神学校の方針が、ここでは外国語の勉強はするな。外国語は現地にいってから学べだったりするのも面白い。国際化の大先輩が、早期英語教育なんてやらんと言っているのと同じだからねぇ(笑) 重くないから、××さんも読んでね。 |
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「黒い太陽」かわぐちかいじ(ソフトマジック・3500円) 太郎吉野 実は、まだ烏書房には、現物が入って来てないんですけどね。「新刊案内」で見つけて、慌てて注文したのだ。 3500円、A5判、1149ページという、(充分「枕」になる)大部の漫画。 これ、確か、72年ころから、3、4年に渡って「ヤングコミック」で連載してた作品。そのころに、毎号欠かさず読んでました。 かわぐちかいじが、マイナーからメジャーに移る、ちょうど過渡期の作品。連載当初のころの太い無骨な線から、最後の方は、現在と同様のシャープな線に変わってるのがよくわかる作品でもある。 主人公は「ジャコ万」と「テツ」。団塊の映画ファンには、とても懐かしい名前。そうです、鶴田浩二と健さん共演の映画から、そっくりそのままパクッてます。二人の性格も。 舞台は、戦争末期、広島の中学で「喧嘩仲間」だったジャコ万とテツが、ともに予科練に入隊するところから始まって、二人それぞれの「戦争」から、戦後まで。 今のかわぐち作品にも見られる、国家観や戦争観が、最初に表れた作品と言えると思います。 |
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「吉祥寺幸荘物語」花村萬月(角川書店・1400円) 太郎吉野 わしは、「きちじょ〜じを〜、通り抜けて……」と、高田渡(だっけか?)が歌ってたころの吉祥寺を、良く知っている。 だから、この小説は途中まで、「70年代」の話なんだと思い込んで読んでた。「山田詠美」という名前が出てきて、「あれ?」と、現代の話だと気づいたんだが、吉祥寺て、この小説読む限り、あのころとあんまり変わってないのね。住んでる「人種」も。 青春小説の佳品。 「青春時代」というのは、とても「おバカ」で「恥ずかしい」時代だけど、人生のどの時代よりも、希望を持つだけの「時間的余裕」のある時代なのよね。 「志は高かれど、はっきり言って童貞です。」という、オビのコピーは秀逸。 |
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「西の魔女が死んだ」梨木香歩 小学館 マスク ハリーポッターの続刊を待ってる人、その間にこれはいかがかな。 西の魔女とは、中学生の「まい」の祖母のことである。 まいは学校に行くことをある日から拒否した。そしておばあちゃんのところで魔女修行をすることになった、このばあちゃんがとてもいいんだな。 まいはどうやって精神を鍛えるのと聞く。するとまず、早寝早起きとおばあちゃんは答える。そして、何でも自分で決めてそれを実行しなさいと言う。そう、これが祖母のいう「魔女修行」なのだ。 この本はじっくり読んで下さい。そして、また忘れた頃に私はもう一度読もうと思う。 |
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「お父さんは急がない」倉田江美 小学館C マスク こういうお父さんに囲碁を教えてもらいたいね。 煙草の灰が畳に落ちて、「こりゃ、大変だ」というんだけどもちっとも大変に聞こえない。 のんびりしててその上、いろんなことに執着しない。そしてさりげなくダジャレをぼそっと吐くんだ。まるで私そのものではないか。 タイトルがのりうつった如く、コマはゆっくり進む。 絵柄もさっぱりしていて、読みやすい。 |
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| 鈴木漁生の漫画 太郎吉野 現在、幻堂から「漫画家残酷物語」と「青春の墓場」の2冊が刊行されてます。 70年代のいわゆる「三流エロ劇画誌」に、特異な才能が集まったのは、広く知られているところです。そこからメジャーに進出していった作家、あるいはそのまま「エロ劇画」に埋没していった作家と、さまざまですが、とりあえず「エロ」さえ出しておけば、後は何をどう表現しようと自由だったことが、その中に非常に特異な才能を生み出す土壌になったのは確かです。 鈴木漁生も、そんなエロ劇画誌を中心に作品を発表しながら、独特の作品世界を生み出していったのですが、しだいに作品発表の機会が減ってゆき、そのまま消え去ったと思われていた作家です。 そんな才能を発掘し、単行本として再度表舞台に引きずり出してきた、幻堂・なかのさんの、編集者としての眼力と情熱には、改めて敬服させられます。 |
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「岡山女」岩井志麻子(角川書店・1300円) 太郎吉野 「死霊よりも怖いのが生き霊、それよりもっと怖いのが人間」、まさしくそうですね。世の中、何が恐ろしいて、人間より怖いモンはありません。 タミエは、岡山で妾として囲われていた旦那の事業破綻による自殺の巻き添えで、日本刀で切りつけられて左の視力を失い、それと引き換えに手に入れた霊感で、口寄せで生計を立てることに。妾も口寄せも、自ら望んだことではなく、いずれも、娘で食うていこうとする両親の押し付け。 そんなタミエの元に持ち込まれる明治末期、岡山の事件の数々…… 岩井サン、「ぼっけえ、きょうてえ」から、また一段と「うまく」なってます。明治の地方都市の雰囲気もよく出てて、夢野久作を彷彿させたりもします。 でも、その分、「怖さ」は、若干薄まったような気が…… |
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「ぼんくら」 宮部みゆき 講談社 マスク 書店員なら99%講談社は嫌いなハズ。好きっていう人はそこの店は講談社の配本ランクが上位です、きっと。 でも読んだ本が講談社だったというパターンは残念ながら多いのだ。困ったことに・・ ・ 余談はさておき、この本、表紙からして面白い。本文にこの表紙のシーンが出てきたときは思わずほほ笑んでしまいやした。長屋に住む人たちのお話しです。この人の時代小説を読むとその時だけは歴史が好きになってしまう。苦にならないんです。 何でもかでも計測してしまう、美少年弓之助君おすすめです。 |
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「8年」堂場瞬一(集英社・1600円) 太郎吉野 「すばる新人文学賞」受賞作、だから、これがデビュー作?とは思えないほど、実に達者な小説です。 と言うよりも、過去に、これほどまでにうまく、ドラマチックに「野球」というものを描いた小説というのは、国内では寡聞にして知りませんえ、わし。アメリカには、キンセラをはじめ、実にたくさんあるんだけどね。 読み終えて、あれは確か、そのキンセラが言うてたんだっけか、「野球の神様」という言葉を連想してしまった。野球ファン必読! |
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「わが指のオーケストラ」山本おさむ 秋田書店 全4巻 マスク 大阪市立盲唖学校の教師高橋潔の半生がここにはある。耳が聞こえず、話すこともできないこどもたちは手話を覚え、相手の唇の動きから何を言ってるのかさえも読み取る。いっそ、義務教育の段階で手話の授業をしてはどうか。世の中、乱れる母国語そっちのけで英語教育推進の風が吹き荒れているけども。 専門書を読んで涙を流すなんてことはありえない。(少なくとも私は・・・)だが、これは手話を知る上で絶好の入門書であると同時に泣ける漫画である。うちの親父みたくマンガを頭から否定していると巡りあえないのだ。 |
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「ミッドナイト・コール」田口ランディ(PHP研究所・1300円) 太郎吉野 田口ランディ、最新の短編小説集。この人、やっぱり女の人描いた方がいいです。 この短編集の主人公の女達、みんな、そろいもそろって、ズ抜けてます。「女横山やすし」とでも言うべき、「自己破滅型」の女ばっかです。んで、男は、その女のまわりで、翻弄されまくってます。こういう小説って、やっぱり、女にしか書けないな、と思うてしまいますね。男は、女に、ここまで踏み込めない。しかも、この手の女を描かせたら、田口ランディ、天下一品。 |
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「普通をだれも教えてくれない」 鷲田清一 潮出版社 マスク 普通という単語が嫌いで、なるべく使わないようにしている。自分の物事の基準と他人の基準が全然違うからである。 何が普通なのか分からないのだ。「普通に考えてよ!」とよく同居人に怒られるが、なぜアンタの考えが常識なんだよと思ってしまう。それも度々なので終いには、自分は常識外れの人間なんだ、世間一般とは違うのだと開き直ることにした。 そんなオイラがこの本に吸い寄せられたのも無理はない。されど中をみると普通という言葉についてだらだらと専門的に述べているのではない。学校の制服や電話といった身近なものをとりあげて人間の内面に焦点をあてて作者の考えをまとめている。ひとはより親しい「ふれあい」を求めてじつはより深い孤独に陥るためのメディアを開発してきたのではないかという文章に一番ドキっとさせられた。 |
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「幕張サボテンキャンバス」みずしな孝之 竹書房(1〜7巻) マスク 千葉県なんて東京の付録としか思ってない人でも(おいおい、陣ちゃんが怒るでェ……−からす−)これ読めば、千葉に行きたくなる。 友達の家で初めてこれを読む。ギャグ漫画というのはこれぐらい面白くないとこっちとしては張り合いがない。そう、人前で読んでいても声にだして笑ってしまうレベルです。 おかげで私は隣にうつるかもしれない水疱瘡の坊やがいるというのに何時間もこれをよんでしまった。(結局うつりませんでした。ホッ) 電車の中で読むのはやめといたほうが無難です。それでなくとも最近、携帯電話がピーヒャラピーヒャラうるさくて・・・ この本を知ったことで私のギャグ漫画ベスト1位と2位が決まった。 |
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「オートバイ少女」鈴木翁二(筑摩書房・1700円) 太郎吉野 鈴木翁二の漫画は、それがどんなに放埒と堕落を描いたものであっても、不思議な清涼感と透明感に満ちている。 筑摩から、この作品集が出ていることは知っていたが、以前「北冬書房」から出た同名の単行本の「復刻版」だとばかり思っていて、ふと店の棚から取り上げて見てみると、表題作の「オートバイ少女」以下の60年代、70年代の作品から、なんと90年代に描かれた新作まで網羅されていて、びっくりした。 これ1冊読むと、鈴木翁二という漫画家の「軌跡」がたどれる仕組。 鈴木翁二は、「A遠」という単行本が、つい最近、限定出版されたらしいのだが、版元つきとめようとネットで調べて、分かったのにそのメモがどっか行ってしまって、再び調べようとしたら、今度はどこで検索したのか忘れてしまって……ああ、わしのばか! |
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「ミニコミのつくり方」 近藤恵 情報センター出版局 マスク ノートの片隅に書かれたパラパラマンガ。学校新聞。同人誌。烏通信。ブックフレンドのみに拙者が書いていた図書案内。 これらは全部ミニコミなのだ。「神戸新聞」は少数の人というより大多数の人対象だからマスコミですね。少数と多数の境界線はどこらへんにあるのでしょう。 マンガの書き方、平綴じの説明、コピー折りのワザなど分りやすく書いてある。自分が店長に呆れられるくらい、不器用な人間だということをしばし忘れて、早速ミニコミを作りたくなってしまう。こういうのを実用書的瞬間湯沸かし効果と呼ぶ。(大ウソ) 珍しく衝動買いした1冊。最近、誰かさんが「本捨てろ!」と実家に本を送りつける度に言うので、あんまり本屋に行かないようにしてたのに・・・(といっても勤務先でバカスカ買ってたら一緒のような気がする。許しておくれ、パパゴン) |
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「怒涛の虫」 西原理恵子 双葉文庫 マスク 作者の名前をきいて思いつくのは麻雀だけだった。が『おもしろくても理科』(講談社文庫・清水義範)を読んで私の中の西原度は急成長した。 で、彼女個人の作品を読もうと選んだのがコレ。本書の82頁だけでもいいから読んでみてほしい。それで心動かされなかったから君は買わなくていいです。 表紙をめくると目次の前に一言。「万引きしたらあかんよ。」とある。なんてすんばらしいことかいてくれてるのかしらと書店員としては思うわけです。拡大コピーしたくなったな。 実体験をネタにして笑わせてくれるだけじゃなく、時々、ジーンとくるエッセイでした。 |
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「ニュースキャスター」山川健一(幻冬舎・1600円) 太郎吉野 「モデル小説」というには、あまりに現実とシンクロしすぎて「怖いくらい」のモデル小説。 主人公とその周辺だけは名前が違っているが、あとは「日テレ」「フジ」「NHK」等々、団体名、個人名、バンバン実名で登場する。お決まりの「毎朝新聞」一切ナシ! 実際、読んでると、「あれ、久米宏に子供いたっけ?」「小宮悦子て、こーなんだ」とか、虚構と現実の見境がなくなって、ヒジョーに困った。 「テレビ」というメディアが、今や「瀕死のガリバー」というのは、妙に説得力あり。 |
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「手塚治虫のタカラヅカ」中野晴行(筑摩書房・1456円) 太郎吉野 手塚治虫が宝塚市生れで、その漫画も、幼少のころより見て育った宝塚歌劇の影響を色濃く受けているのは有名だ。 本書は、「タカラヅカ」の創始からの歴史をたどりながら、そのタカラヅカが、同時代の手塚にどういう風に影響を与えたのかを読み解き、同時に(結果的に)、「宝塚」に代表される「阪神文化圏論」にもなっている。 デビュー前の手塚自身の日記が収録されてんですけど、センセ、毎日のように「ヅカ」に通うてはります… 「リボンの騎士」なんか、まんまタカラヅカですもんね。 |
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「笑いオオカミ」津島佑子(新潮社・1900円) 太郎吉野 実はこれ、まだ全部読んでません。ほんのサワリを読んだだけ。でも、そのほんのちょっとのサワリ、読んだだけで、これは「すごい」小説やと思いました。「ブンガクのそこぢから」、見せていただきました。 そう言えば津島さんて、「太宰治」の娘さんなんですね。主人公の女の子の「生い立ち」のとこで、「あ、そうか」と思いだしました。 この小説読む限り、完全に親父を「越えて」おると思います。 |
「路傍の猫」津田明人(メディアファクトリー・2400円) 太郎吉野 猫の写真集ですけど、「かわいかわい」の猫ではなくて、「ストリート・キャット」即ち野良猫の写真集。 一様に皆、薄汚れてます。眼光鋭く、こちらを警戒しながらにらんでます。全身傷だらけの奴がいます。濡れ鼠で、道路を渡ろうとしてるガリガリに痩せた奴がいます。片目の潰れた奴がいます。いろんな種類の柄が混じって、グチャグチャ柄の奴がいます。 猫と犬は、もはや人間から離れると生きていけません。ほかならぬ人間が、そんな風に彼らを「改造」してきました。だから、この野良猫たちは、住む家はなくとも、人のそばを離れることなく、都市の中で生きて行こうとします。人の「ホームレス」と同じ。 これら「ストリート・キャット」の寿命は、飼い猫の1/5だそうです。 |
「ネットワーク経済の法則」カール・シャビロ&ハル・バリアン IDG たきしーど仮面 インターネットが世の中変える、iモードが革命起こすなんて言う人は、たいてい前にSISが世の中変える。ウインドウズが革命起こすなんて言っていた。この事実のおかしさを知っている人は、まあIT本なんて読まないのが世の中の常識(^o^)。ITをキチンと評価できる人ほど、IT本なんてクズだと知っている。 この本は山形浩生も強烈に勧めている本だが、山形は見る目があるね。ネットワークの力学をキチンと押さえたうえで、これほど具体的に会社がどう身を処していけばいいのかまとめてある本は、確かにそうないだろう。 具体的にというのが、何と言っても面白い。書いてあることの一つ一つは、中級以上のパソコンユーザーなら先刻承知の助みたいなのが多い。情報の速度差で値段を変えろとか、バージョン化で、客によって売値を変えろとか、セコイ販売技術がいっぱい書いてある。情報をまとめるだけで、こうも楽しい本になるのか。 戦略なんてご大層なこと言っていても、しょせんやっていることは旧来の販売・販促テクの応用に過ぎない。シンクタンクには確かに優秀な人もいるが、優秀な人なんてフツーの会社と同じくらいしかおらへんでー。流行にお追従すれば仕事ができたと思うようなクズ研究員やカスコンサルタントの化けの皮を剥がしたかったらぜひ読もう。 |
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「猛虎伝説」上田賢一(集英社新書・680円) 太郎吉野 「それでも人々はタイガースを愛してやまない。それは絶望、あきらめ、期待、喜び、怒り、不条理、屈辱、誇り、復讐、人情、奇跡、貧困、抗争、暴言など、われわれの人生に起こり得るあらゆるシーンが阪神タイガースにはするから」(本書より) 上田さんは、元・毎日放送のプロデューサー、現在はフリーのプロデューサーであるらしい。同時に「タイガース偏愛者」であり、その偏愛者がみつめた、タイガース50年の光と影、が本書。 彼はまず、「日本一美しい球場」甲子園のすばらしさから解説を始め、その甲子園が、もし、高校野球だけの球場ならば、我々は、この球場に同じ思いを抱けるか?と、タイガースの存在感を力説する。 そして、その甲子園のグラウンド狭しと暴れまわった、影浦、若林、御園生らから、ザトペック村山、バッキー、小山、江夏、村山、そして、掛布、バース、真弓、岡田の「奇跡のV戦士」まで。 阪神ファンに嬉しいのは、あの85年のシーズンを、なんと2章に分け、こまかく振り返ってくれていること。 知らなかったけど、創立当時の阪神のライバルは、「巨人軍」ではなくて、お隣の「阪急」だったのね。 |
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「レンジで5分」 藤野美奈子 メデイアファクトリー マスク 私の知る限り(ほんとに狭い範囲だが)史上最強のギャグ漫画家である 作者の笑いにかける情熱がこっちにも伝わってくる。絶対、電車の中でよんじゃだめ。これ読んでつまらんかったという人は是非、対抗馬を用意して頂きたい。 最近出た「新婚合宿」と合わせて読んでみておくれ。 主婦にはバカうけする恐れがあります。嫌いな人が半径3m以内にいる時は読まないで下さい。よう責任とれませんから。 |
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「神戸 最後の名画館」浅田修一(幻堂・1500円) 太郎吉野 浅田修一氏は、生前、「モノを書く、というのは、命を削ること」と公言していたそうだ。まさに、その気迫に溢れた1冊である。 単なる「映画評」、あるいは消えていった「名画館」への「追憶」、では決してない1冊。 映画と小屋と街を媒介として、浅田修一という一個の人間のすべてをさらけ出した書である。 「一期一会」という言葉を思い出した。浅田修一という人にとって「映画」は、それがどんな映画であれ、その1本1本は、映画館という「場」と、「街」の記憶とともに、人生の一瞬一瞬に刻み込まれているのである。そして、不器用で、淡い恋心も。 「新開地」をこよなく愛した人でもあった。裏町にひっそりと佇むうらぶれた映画館に、自身の不器用さと人生を重ね合わせた人でもあった。 「この時期の私は、この街とこの街で出会った人びとを光景にして、あたりを睥睨しているようなところがあった。私はまるで自らが緋牡丹お竜にでもなったつもりで、夜の新開地から昼間の修羅に斬り込んでいき、傷だらけになっては夜の新開地に帰っていくというふうだった。」(第4話 繁栄座」より) オビに記された「追悼なんかしたくない」は、発行人・内職堂さんの思いが込められた名コピーだと思う。 |
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「西村しのぶの神戸・元町“下山手ドレス”」西村しのぶ(角川書店・820円) 太郎吉野 「出る」と予告されてから、なんと「13年ぶりに」やっと出た、という本であるらしい。その間に、当の西村センセは、下山手の坂道を、長身にロングスカートなびかせてさっそうと歩く生活から、震災を機に大阪に居を移し、黒門市場を、どてら・エプロン・買い物籠姿でさまよう生活に変わったそうだが(一部、ウソが混じっております)、しのぶセンセの本質は、あくまで「お嬢」であります。 しかし、コミケに目を輝かせる「オタッキー」と、テレビ「水戸黄門」や市場をこよなく愛する「スノッブ」、そして、ブランド大好きという「お嬢」本来の姿を合わせ持ちながら、実にバランスの取れた「自分」を持っておる人であります。 「下山手ドレス」は、そんなしのぶセンセの、日常のささいな出来事から、阪神大震災なども盛り込みながら、書き継がれた「コミック・エッセイ」。 …なんですが、センセ、やたら買い物ばっかりしてはりまっせ。そう言えば、昔、神戸・大丸でばったり出くわしたこともあったっけ… 仕事しなはれ… |
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「コブナ少年」横尾忠則(文藝春秋・1619円) 太郎吉野 画家・横尾忠則は、昔から文章を能くする人であった。自らの出自や生い立ちも、その中で断片的に語られることも多かったのだが、その少年時代から青春時代を、系統的に語った本、というのは、これが初めてだったと思う。 故郷・西脇での少年時代から、神戸新聞に就職し、「神戸は遠いとこやから用心せんと」と言う母親に、長靴、傘のいで立ちで毎朝送り出された青年時代、そして、神戸での下宿生活を経て結婚までの半生が、ここに語られている。 オビに寄せられた瀬戸内寂聴の「一級の文学である。」という賛辞は、正しいと思う。 |
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「マンガ青春記」 中島梓 集英社 マスク これを読んでいると「笹塚日記」を思い出してしまった。作者がこんなにマンガに詳しいとは・・・。烏の店長と勝負してほしいなと思ったぞ。 これでもかというくらい私の知らないマンガがでてくる。それでも面白い。(作者の小説さえも読んだことないのにだ。) 日本のマンガを語る上で重要な資料なのではなかろうか。と同時に中島梓の青春時代をのぞき見しているかのようだった。これほどマンガを愛する作者がなぜ漫画家にならなかったのか、(なれなかったというべきか?)そのへんの理由も書いてあり、中島梓の「自伝」としても十分に楽しめる。 神保町で衝動買いしといて良かった。 |
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「大穴」団鬼六(角川春樹事務所・1900円) 太郎吉野 団鬼六が、「団鬼六」になる以前に、書かれた小説である。昭和32年の作。長らく鬼六自身の手によって、「封印」されてきた作品でもある。 「青春の思いで」として、1冊だけ「小説」を出した著者が、「作家」になろうなどとは夢にも思わなかった時期に、出版社に半ば「拉致」された格好で、ホテルに押し込められ、「3日で書き上げた」1冊である。 なにせ「3日」で書き上げられた小説、しまいには、鬼六自身にも、今、自分が何を書いているのか、意識が朦朧として分からなくなったらしいが、この「後書き」で語られているとおり、文章は稚拙で、筋立ても安易にして、ところどころには破綻も見られるが、この本は、当時、爆発的に売れた。つぶれかけていた出版社には、起死回生の1冊となり、さらに(当時人気No.1の)植木等主演で映画化までされてしまったのだった。 読んでいただければ一目瞭然なんだが、文章や筋は稚拙でも、「学生相場師」の戦いを描いたこの小説には、なにより「イキオイ」がある。作中人物も、生き生きと、躍動している。 漫画の「うまさ」が、「絵のうまさ」とイコールでないのと同様、小説もまた、文章の巧拙は「カンケーないのだ!」と気づかされた。 |
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「きつねのぼんおどり」山下明生・文 宇野亜喜良・画(解放出版社・1600円) 太郎吉野 大阪・泉州の被差別部落に古くから伝わり、現在は「無形文化財」に指定されている盆踊りを題材とした絵本である。「信田のきつね」伝説を背景に配して、実に幻想的な絵本に仕上がっている。 「川向こうの、森の中には、絶対入ったらあかんで」と言い聞かされていた少年が、楽しそうな笛太鼓の音につられ、迷い込んだ森の中で見たものは…… 絵を担当した宇野氏は、当初、「ぼくの絵は、こういうフォークロアには合わない」と固辞されていたそうである。それを、「宇野さんの絵でないと、このお話しは生きません!」と粘った、解放出版の綱美恵さんの、まさに粘り勝ち。その後、綱さんは宇野氏から、「新境地を開かせてくれた」と感謝されたそうです。 |
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「百姓の江戸時代」田中圭一(ちくま新書・680円) 太郎吉野 白土三平は、その代表作「カムイ伝」の、すでに完結していた第1部を、自ら「失敗作」と断じて、その上で「第2部」の執筆に取り掛ったそうである。 白土の失敗は、「武士=支配者」「百姓=(搾取される)被支配者」という、実に単純な構図に立脚してしまったが故ではないかと思う。 ヨーロッパの専制君主と違い、日本の「領主」というのは、「地主」では決してなかったし、また百姓も「農奴」ではなく、それぞれ独立したいわば「事業者」であったのだから、そこにヨーロッパの革命の図式をはめ込んで、うまくいくはずがなかったのである。 この田中圭一という人の本、そのまんま信用すれば、どうも「江戸時代=暗い専制封建主義の時代」というのは、明治政府が仕組んだプロパガンダであったらしい。むしろ、日本の農村の暗黒は、徴兵で働き手をごっそりと持っていかれた明治以後、そして工業化が推し進められた戦後にこそ、あるようである。 面白いのは、江戸時代に出された「法令」というのは、すべて「既に起こっている現象」に対しての「禁令」であり、あるべき国家の姿を目指した憲法に則って出された「政策では決してなかった」という分析。 いくら幕府が「倹約令」出そうが、「物価引き下げ令」出そうが、だ〜れも聞く奴なんていなかったし、「物価引き下げ」などと、いくら唱えたところで、市場は「生き物」であるからして、なんら効果なんぞなかった、と言うんである。 これらの「禁令」には、多く「厳罰」がセットされてはいたが、これによって「処罰された」という例もまた、希有であるらしい。だろうよね、でないと、各地に残る勇壮、華美な「祭り」なんて、今に残ってるわけないもんね。 あ、「士農工商」てのも、「身分制度」ではなくて、単なる「職能区分」であった、と書いてありました。そういや、次郎長さんちの「大政」さんは「元・武士」やったし、大阪では、商売の才覚のない次男、三男は、「こいつは、サムライにでもするしかないわ」と、株買うてサムライにしたそうです。要するに「役人」てことなんですね。 どーでしょーか?いっそ、日本政府も、一度解散していただいて、「東京幕府」にしてみては? |
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「深爪」中山可穂(朝日新聞社・1500円) 太郎吉野 すみません!と、最初に謝ってしまうが、実は、わしがこれを手に取ったのは$T一(ワイズ出版・1800円) 太郎吉野 この安部慎一と、鈴木翁二、古川益三、3人で、70年代には「ガロ御三家」と呼ばれた。翁二と、アベシンこと安部慎一は、ともにガロ誌上に私小説風の作品を多く発表し、粗いタッチの描線もまた共通していて、よく比較されることが多い二人だった。 が、翁二の作品が、(アベシンと同じく)堕落と放蕩や若者独特の屈託を描いても、どこかリリックで、ある種の「透明感」あるいは「やさしさ」感じさせるのに対して、アベシンの「私」漫画は、ひたすら自我の咆哮を繰り返し、破滅に向かって突き進むかのような危うさに満ちている。漫画に描かれたのは、彼自身のほぼ真実の私生活であると推察されるが、繰り返し描かれる性描写も、ただひたすらに「ナマ」である。 そんな「ナマ」さ加減と、露悪的な無頼(気取り)がいやで、かつてはあまりアベシンの漫画は読むことがなかったわしなのであるが(実に雑な絵と描線で読みづらかった、というのもある…)、改めて読み直してみると、主人公(アベシン自身)や「美代子」さん、他の登場人物たち、つまり初出時にほぼわしと同年代であった彼らの、鬱屈や屈託を、ごく客観的に眺めることができたのでした。 「あとがき」で知ったのだが、アベシンは、70年代末に故郷・福岡に帰り、家業のかたわら、漫画や文章を書き続けていたらしいが、32歳ころから精神に変調をきたし、以後、現在まで精神病院へ入退院を繰り返していたらしい。その間、家業の縫製会社を「社長」として支え、アベシンの生活を支え続けたのが、現在は48歳になられた美代子婦人であった、とのことである。 この5月に刊行される「幻燈」(北冬書房)には、安部慎一ひさびさの新作が発表される予定であるらしい。 |
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「タクシードライバー日誌」 梁石日 筑摩文庫 マスク 私はタクシーには滅多に乗らない。朝霧に帰るつもりが相生まで行ってしまって、それでも配達の時間には帰らねばいけない時とか、バスで変なとこにおりてしまいこれは徒歩で帰るのは無理、というような時しか使わない。 タクシーは高い。40分歩けばすむところを1000円強とられる。本が1冊買えるではないか。本なんて安いものなのだ。(うー、すぐ、脱線していく・・・) タクシーについてそれしか知らないで読んだからまず驚かされた。タクシーの運転手は大変なのだということを初めて知ったのだ。 24時間労働、低賃金。次々と業界の実態のひどさが浮き出てくる。淡々と述べられていく語り口が暗さをかもしだしている。 事故に遭っても親睦会からは雀の涙の見舞金。こっちが本を投げつけるところであった。 これではスピード違反してでも収入をあげようとするのは当たり前のクラッカーではないか。朝霧駅でもすごいぞ。自家用車で迎えに行くと、バリヤーができているのだ。 もっと遅くまでバスを走らせろとまず思うが。 |
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「こどものいた街」井上孝治(河出書房新社・2900円) 太郎吉野 井上孝治は、「音のない記憶」(黒岩比佐子・文藝春秋)で紹介された、聾唖の写真家。写真集としては、89年に出版されて国内外から高い評価を受けた「想い出の街」(河出書房新社)から続く3冊目の作品集。 前回の「想い出の街」もまた、1950年代の街角風景に材をとった写真集だったらしいが、今回の「こどものいた街」もまた、生活の場であった福岡を中心とした、昭和30年前後の九州各地の街角で、小学生、中学生の姿を捕らえた写真集である。 穴ぼこだらけの未舗装の道路で、野球に興じる少年たち、舗装された電車通りでは蝋石で絵を描く少女、駄菓子屋の店先、一張羅の「ヨソイキ」着てデパートへ…、印画紙に焼き付けられたこどもたちや家族は、例外なく貧乏臭くて、わしらの世代には懐かしい光景ばかりである。 「あとがき」的に巻末に付された、孝治氏のご子息、井上一氏の「父・井上孝治のこと」によると、「昭和も40年代になると、福岡の街もいたるところに舗装道路ができるなど近代化が進み」、街角で遊ぶ子どもの姿も少なくなっていったころから、孝治氏の撮影行は、ほとんどなくなったそうである。 最初の写真集が生まれたのも、まったくの偶然のきっかけで、孝治氏がこのころ撮りためていたネガが発見され、それが「岩田屋デパート」の広告に使われたことから、写真集が出版されたらしのだが、写真集ができたことに一番びっくりしたのは、その10数年後にガンで逝った、当の井上孝治氏であったという。 |
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「鳥頭紀行ぜんぶ」西原理恵子(朝日文庫・476円) 太郎吉野 あの「鳥頭」が、文庫になってお求め安くなりました。 「どこへ行っても3歩で忘れる」考えようによっては、とっても便利な「鳥頭」。特に、日頃から人間関係その他もろもろ、ヤヤコシーことでお悩みの方にはオススメです。「あ、世の中、タンジュンじゃ〜ん!」と、世間をベロベロになめられる頭に改造していただけます。 巻末に「おまけ」でついた漫画は、サイバラさん「最初で最後の」青春野球漫画。タイトルは「チン坊」。この「バカ」に限りなくやさしい視線もまた、サイバラさんの真骨頂です。 |
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「バニシングポイント」佐藤正午(集英社文庫・476円) |
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『百姓の江戸時代』 田中圭一 ちくま新書 雨麿 目からウロコの江戸時代論である。『百姓は侍の次と言われてますが、家畜並の酷い扱いだった』なんて私に教え込んだのは中学の時の教師である。 嘘教えちゃいけません、先生!そうかそうか、あれは単に明治政府以降、日本を牛耳った連中のプロパガ ンダがそのまま受け継がれただけのだ!江戸時代は侍だけがエラそうな顔をして、特に百姓を踏み付けて来た間違った時代、だから日本はダメになったんだ!なんていう江戸非定論がそのまま日本史になっちゃった訳ですね。 『このままじゃ皆飢えちまうだ!』なんて涙を溜めて筵旗おったてて百姓一揆を起こしたなんていうのは、後世の作り話。名主や地主が代官や領主にへつらっていたなんて時代劇のお涙頂戴エッセンス。 むしろ、時代の流れを作っていたのは侍ではなく、百姓であったという新説日本史。 どんな時代でもそう、主役っていうのは一人じゃない、誰か一人が偉いんじゃない。本当に足を地に付け、夢想や突飛な理論ではなく、何が今起っているのか、見極める目を持った人間達。それは別に特権階級に限られない、どんな人だって持てるって事ですね。実際そう言う人から見れば日本の変動って馬鹿馬鹿しいのかもしれないなあ …………… |
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『一日江戸人』 杉浦日向子 小学館文庫 雨麿 『お江戸でござる』で有名な杉浦さんだが、私は彼女の漫画が好きだった。独特の絵柄と細部に至る時代描写。すごいなぁ、と思っていたらいつの間にか”江戸研究家”として一代を築いてしまわれた。 その彼女が展開する『江戸はよいとこ一度はおいで』ガイドブック。大道芸から職業、食、衣装に風俗、屋台に舞台、娯楽にちょいと色っぺぇ話まで、まさに大江戸八百八町でござる。誰ですか、江戸時代町人はあらゆる規 制がなされて、貧乏人はお伊勢参りしか楽しみがないから道中羽目を外して騒いだ、なんて言ったのは。やれリサイクルだ、日常の些細な楽しみだなんて雑誌でもてはやしてるけど、そんなもの江戸では『あたぼうよ!』な事だったのでした。いやはや、人のバイタリティって侮れんよ。 |
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『沖田総司のすべて』 新人物往来社編 雨麿 新選組とか幕末とか興味ない人には『誰やそれ』な人であるし、読んだ所でなんのこっちゃな内容なのは百も承知で書いてしまう。実在したとは言え、殆ど記録のない人。 明治時代は『賊軍』『罪人』として罵られた人。実際に斬った(それも職務として)人の数はしれてるのに、何百人も無慈悲に斬り殺したように言われた人。反面、夭折した美剣士なんて言われて小説や漫画や舞台に引っ張りだこな人。日本史上、これほど訳の解らない人も珍しい、と思う。 記録がないのは本人が残そうともしなかった事もあるだろうし、殆ど血縁がいなかった事、『賊軍』の一人の遺品なんて怖くて持てなかったという事もあるだろう。だのに、なぜ、ここまでいろいろな人が書き残そうとするのか。訳が解らないのは確かに想像の余地が多い。 小説の味付けとしては絶好の要素である。なのに、そのイメージは味付け程度じゃすまなくなっている。これを読んだら少しは解るかな、と思ったけれど、余計に解らなくなった。有名無名を問わず、いろいろな人が熱く語っている。一つだけ解るのは、何かを想う人間の気持ちって熱くて重くて素敵だと言う事、である。 |
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「定吉七(セブン)は丁稚の番号」東郷 隆(角川文庫・85年4月初版発行) 山崎周太 東郷隆は、元コンバットマガジンの編集者。カラシニコフの本物がみたいと、ゲリラに身を投じ(アフガンゲリラだったかな)、その経験を「戦場は僕らのおもちゃ箱」というノンフィクションにまとめている。 「定吉」は、イアン・フレミングの「007」のパロディ・シリーズ。「ロッポンギから愛をこめて」「角のロワイヤル」「ゴールドういろう」「太閤殿下の定吉七」、五冊が僕の手元にある。その一冊目、巻頭には、フレミングと訳者・井上一夫に献辞を捧げているほど。井上氏は三冊目に解説まで書いているくらいだから、おもしろさも保証付きだ。大阪商工会議所の秘密情報部員、殺人許可証を持つ丁稚。この設定からして笑わせてくれるが、巻末、作者自身の「定吉宣言」の中で開陳する彼の論理もまた笑わせてくれる。 「日本人は世界の丁稚である。しかしそれは考える丁稚である」。日本ではあまり評価の高くないパロディに挑戦し、しかもこれだけの完成度をものにした東郷の手腕はかなりなもの。ちなみに現在、時代小説家として知られる東郷隆は同一人物のはず。ところで昭和六十年といえば、あの年である。タイガース優勝の陰に定吉七たちの活躍が…あらへんあらへん。 |
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「カリスマ (上・下)」新堂冬樹(徳間書店 各1600円) |
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「火花 北条民雄の生涯」高山文彦(飛鳥新社・1900円) 太郎吉野 「大宅壮一賞」「講談社ノンフィクション賞」ダブル受賞作らしいのだが、恥ずかしながら知りませんでした。 知らなかった、と言えば、この北条民雄という作家もまた、この本で初めて知ったわしなのでした。お恥ずかしい…… 「お恥ずかしい」と言えば、「ハンセン氏病」にもまた、茫としたイメージしか持ち合わせてなくて、この「火花」には、「隔離政策」に至った経緯やらその背景の世相やら、端的に詳しく述べられておりまして、某掲示板にあった「かったい道」に関しての記述もありました。 「民族浄化」を掲げて執られた政策だったのですね。「民族浄化」、なんとおぞましい言葉ではありませんか。 にしても、この北条民雄という作家を発掘し、育てたのが、あの川端康成だったらしいのですが、物心両面から、真摯に彼を支援した川端に比べて、志賀直哉は、彼の名が印刷された紙に触れるさえ嫌がった、という記述を読んで、「なんて奴だ!」と思いましたが、考えて見れば「癩病患者」に対しては、それが当時の世間一般の反応であったんでしょう。 まことに「無知は罪」ではありますが、最大の罪は、この病気に大した伝染性がないと分かった後も、また特効薬が開発された後でさえ、彼らを「隔離すべし」との法律が何十年にわたって生き続けていたことであるのは、間違いがありません。 これ読んでから、俄然、この「北条民雄」も読んでみようと思いまして、調べたら、角川文庫から出てる「いのちの初夜」、現在はこれきりなのですね。売場になかったので、取り寄せました。まだ未読ですが、読んだらまた感想を上げます。 |
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「ぼくらはみんな生きている」坪倉優介(幻冬舎・1400円) 太郎吉野 こないだ「本パラ」で紹介したらしい…。「ベストセラー」になってまうやないか。やめてくれよ〜、とヘンコな本屋は思うのだった。 「18歳ですべての記憶を失くした青年の手記」である。交通事故ですべての記憶をなくし、「赤ん坊」状態になってしまったそうなんである。 だから、冒頭のっけは、いきなり「アル・ジャーノンに花束を」を思わせる文章。そこから、母親を中心とする周囲の努力もあって、だんだんと「言葉」を習得していく過程は、ヘレン・ケラーの「奇跡の人」を思わせる。 言葉の習得、社会性の回復(じゃなくて、やっぱり「習得」か?)に併せて、本来好きだった「絵を描く」ことを思い出した(これもやっぱり、「思い出した」ではないんだろうなァ…。でも、事故前に「身体で覚えていた」、自転車に乗ることとか、絵を描くことは、事故後も、割とすんなりできたようだ)彼は、大学(大阪芸大)への復学を果たし、今は、京都のさる有名な染織家の工房で働いているらしい。 しかし、この彼の「事故後の人生」と言うのは、実に濃密な生である。事故後と前では、人格も少なからず変わってしまったようでもあり、彼もまた、事故前の記憶がよみがえるのは、「今の自分がなくなってしまいそうで怖い」と告白している。 でも、この事故と「記憶障害」がなければ、この彼の人生が今とは違っていたのもまた、事実であると思うのである。 |
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「わたしたちが孤児だったころ」カズオ・イシグロ(早川書房・1800円) 太郎吉野 前作「日の名残り」もそうなんだが、カズオ・イシグロの小説は、導入部がやたら「たるい」。だから、入り込むのに、やや根気がいるのだが、そこを我慢して読み続けると「吉」。 しだいに、その小説世界に引き込まれていって、単調なリズムに馴れたところで、終盤近くにいきなり変化があって、余韻を残しながら物語は収束に向かうのである。 今書いてて、改めて思ったけど、このリズムは、「日の名残り」も、今回の「孤児〜」も、まったくいっしょだ。 1930年、かつて上海で生き別れた両親の謎を追って、「ロンドン一の名探偵」は、混沌の上海へ向かう。と書くと、時代がかってしまうけど、実際、大いに「時代がかって」おるのですわ、これ。 しみじみと、情緒あふれる読後感も、いいぞ。 |
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「鳥類学者のファンタジア」奥泉光(集英社・2300円) 太郎吉野 奥泉光は、「グランドミステリー」読んで、これが2冊目なんだけど、少なからず戸惑った。 時空を越えて過去と現在を行き来する、というモチーフは前作の「グランドミステリー」と同じなんだが、文体と登場人物に、あまりにも差が…… どちらかと言うと、設定も文体も重厚な「グランドミステリー」に比べて、この「鳥類学者のファンタジア」、タイトルこそ重厚なんだが、その主人公「フォギー」はじめ登場人物皆、軽薄なまでにノーテンキであります……。文体も、がらり変わってて、「グランドミステリー」のつもりで読み始めたら、入り込むのにえらい難儀しました。 思いましたけど、過去にこういう「タイムスリップ」モノてのは、数ありますけど、これは、その中で一番「気軽な」タイムスリップじゃなかろか。 現在の東京から、戦時下ベルリン、しかもナチス滅亡間際の、1944年ドイツに行ってしまったと言うのに、皆さん、実に鷹揚で、全然深刻じゃないんですけど……「スキップで行くタイムスリップ」て感じですね。 あ、でも小説それ自体は「吉」であります。主人公「フォギー」は、現在の東京ではジャズピアニストなんだが、このタイムトリップで、「音楽のすばらしさ」再認識させられます。「爆発する音楽の幸福感」とは、オビにあった惹句だけど、読後感は、まさにそのとおりでありました。 「楽器ができると、えーのォ……」と思いましたね。 夏目雅子(カレーライスじゃないわよ!) あたくしもこの本(奥泉光「鳥類学者のファンタジア」集英社・2300円)読んだの。最高! 今年上半期の「輝け小説部門ナンバーワン」だわ。 この方は文章がお上手で、多分いま活躍している作家のなかでは、ぴか一ではないかしら。奥泉さんは、大塚久雄先生のもとでマックスウエーバーを読んでいた本格的学究でもあるの。彼の文章は、外国語を通過した、外国語によって鍛えられた文体だという印象を強く持ちました。 この小説、フォギーというジャズピアニストが、タイムスリップして大戦末期のナチスドイツに紛れ込み、クラシックのピアニストだった自分の祖母の若き日と出会うという、荒唐無稽の物語。閉ざされた山荘、交霊術師やらの怪しげな人物、そして音楽を中心とした世界観をめぐる議論等、なんだかトーマス・マンの『魔の山」を彷彿とさせるものがあったわ。 純粋で完璧な音楽を追求するという祖母。それに対してフォギーが、完璧な音楽ではなくとも、他者とのコラボレーション(協働)のなかで、即興的に互いにとって満足のできる音を創り出す事が自分の仕事だ。それがジャズの「倫理』だ、という音楽観に到達する部分は、感動的でした。見事な教養小説だわ。フォギーをハンス・カストロプ(『魔の山』の主人公)に見たてることも、間違いではないでしょうね。 ピアニストになるほどの人は、優等生で努力家で1日練習しないと不安でしょうがないってフォギーは言ってたけど、じゃどう先生もそうなのかしら。 そう、それから奥泉さんって、とってもハンサムなのよ。 整ったお顔立ち。そして知性溢れる瞳。でも何故だかとっても地方公務員風。って感じかしら。 |
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「監督」海老沢泰久 新潮文庫刊 |
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「野生の正義」フィリップ・マーゴリン(早川書房・2000円) えいみ あいかわらずのマーゴリンで、最後まで目が離せませんでした。法廷シーンが少なくてちょっと不満。犯人が早めにめぼしついちゃうのもちょっと不満・・・でもそれでも面白さに変わりないけど。小太郎さんが言ってらしたように、犯人わかったらそれでおしまい、ではない小説でした。 でもラストのどんでん、というかおち、というか、復讐はいいんだけど、やっぱりちょっと気分悪い・・・ 犯人は犠牲者に「疼痛実験」と称していろいろ残酷な拷問をしたあげくに殺してしまうのですが、拷問シーン、描写が少ないだけに自分でああかこうかとリアルに想像して却って気持ち悪くなりましたー。痛いのいやだよう。 でも病院でいろいろ延命治療されるのもある種の拷問だろうなあ、と全く関係ないことも考えたりしたのでした。 |
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「屍鬼(上・下)」小野不由美(新潮社・2200円・2500円) えいみ ますくが言ってたみたいに、最初ちょっととっつき悪いかもしれないけど、ひとり、ふたりと被害者が出るにつれて、さくさくとんとん進んじゃうよ。 ちょっと内容にふれちゃうと、これは吸血鬼のお話。生き血を吸わないと生きていけない吸血鬼たちのお話で、彼らが山奥の村にやってくる。村人たちにまざって暮らしながら、だんだん仲間を増やしていく。なにか変だ、と気付いたころには・・・ 最初は、屍鬼をやっつけよう、屍鬼から村を守ろうと戦う医者や住職に感情移入して読んでるんですが、だんだん屍鬼側に感情移入していく自分がわかるんですよねー。 以前からすのおっちゃんが「上下2冊、しかも2段組」にめげて読んでないって言ってましたが、めげずに読めば読後はすごい充実感。この量で物語が全然破綻してなくって、くいくい読めて読み終わったあとのせつなさ、無常感、なんで私は吸血鬼に同情してんだろーと思いつつ涙をぬぐう。「十二国記」とはまた違った、破滅の美、滅びの美。 是非、読むべし、なのでした! |
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「なぎらツイスター」戸梶圭太(角川書店・1600円) 太郎吉野 痛快です。 これ、小説の分類で言えば「ピカレスク」になるんだろうけど、日本にも、ようやくこういう「リアルで軽い」タッチのピカレスク小説書く人が現われたんですね。わしが知らんだけやったのかしら…、同じ「ピカレスク」でも、楡周平や馳星周は、かなり「重い」ですからね。 この戸梶圭太、なんだか、かつての「D・E・ウェストレイク」を彷彿してしまいました。 「なんにもない」田舎町に、トラブル処理の為に東京から乗り込んできた、なぜか「将棋好き」という「インテリやくざ」の主人公はじめ、その主人公をライバル視する同僚(?)若頭や、田舎町のやくざの面々も、人物造形しっかりしてるし、みんなキャラクターがいききしてて、すごくいいです。 「シリーズ化」を狙ってる、と見ましたが、どうでしょうか? この本、よく見ると、表紙の「写真」と「イラスト」も、戸梶圭太自身が担当してて…、多才な方なんですね。 |
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「ガラクタをちゃぶ台に乗せて」さえきあすか(晶文社・2000円) 太郎吉野 「ちゃぶ台」がお茶の間に出現したのは、都市部では大正時代あたり、農村部では、やはり戦後か、とまれ、これは、日本人の生活習慣を、根底から覆したらしい。この「ちゃぶ台」を、一家みんなが囲んで食事をとるようになって初めて、日本の家庭に「家族団欒」というのが生まれた、と言っても過言ではない…ような気がする… ちなみに、わしんちでは、わしがモノゴコロつくころ、即ち昭和30年代半ばまでは、食事は「ちゃぶ台」ではなく、家族それぞれの前に置かれた「銘々膳」でとっておりました。食事時は「団欒」とは程遠い風景ではありました。 南陀楼綾繁さんの「物数奇」同人でもあるさえきさんちのちゃぶ台は、ある日空き地に捨てられていたものを、えっちらおっちら担いで来たものらしい。 さえきさんは、女性には珍しく「収集癖」のある方らしく、それも、この「ちゃぶ台」拾ったことからもわかるように、各地の骨董屋古道具屋巡っては、いまだ「骨董」にはなりきれない、中途半端に古いモノを集めるのが趣味であるらしい。他人の目からは、到底「ガラクタ」としか見えないものですね。 そんな「モノ」たちへの遍歴執着偏愛を、これでもか、と綴ったのが本書。 「ネクタイ更生器」「萬年海綿器」「オゾンパイプ」「魔法古て」等々、それらの多くは、名前聞いただけでは、何に使うのかよく分からないシロモノばかり。 しかもさえきさん、それらの多くを、ただ集めるだけでなく、「実用」してらっしゃるのが、また「物数奇」なんですわ。 |
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「少年画報大全」(少年画報社・2762円) 太郎吉野 わしは、子供のころ、雑誌と言えば「小学館の学習雑誌」しか買ってもらえませんでした。んで、周囲の友達が毎月買ってもらってた、この「少年画報」や「ぼくら」や「漫画王」が、羨ましくてたまりませんでした。「マガジン」「サンデー」「キング」の、週刊少年誌3誌は、すでに創刊されてましたが、それまであった月刊誌も、やはり根強い人気で支えられていたのでした。友達に借りたり、散髪屋さんに置いてあるこれらの月刊誌を、むさぼるように読んだものです。 中でも少年画報社は、少年漫画誌専門の出版社でしたから、その旗艦誌「少年画報」には、かなりリキ入ってたように思います。 「赤胴鈴の助」「まぼろし探偵」「ビリーパック」、そして後にテレビアニメ「マッハGO!GO!GO!」の「原案」ともなる吉田竜夫の「パイロットA」や、藤子不二雄「怪物くん」、手塚治虫「マグマ大使」等々。まさに連載陣は「きら星」でありました。 その「少年画報」の、昭和23年創刊から、同46年の休刊までの歴史を、1冊にまとめたのが本書なんだが、これは、「懐かしい」のはもちろんだけど、戦後大衆文化の、貴重な資料でもあるわ、ホンマ。 |
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「いのちの初夜」北条民雄(角川文庫) hpio 一切の生活を社会から切り離された、人生。 読み進むにつれて、ヒトの一生といわず、この世に生を受けたものすべてのいのちの重さが全身を包んでいくような気がしました。 全編を通して漂う匂いは、人体の内部の匂いで、これは誰でも同じ匂いがするらしい。ペプトンの匂いは健全なヒトでも体内に常にあって、それが外に流れ出して、それを他人が嗅いだ匂いを「死臭」と呼ぶらしい。 梅毒の特効薬に遅れること数年、ライ病の薬も発見されて、でもそれは北条民雄には間に合わなかった。 死の淵を生と死を行き来し迷いながら、最期の最後まで自らのいのちを大切にした彼は、だから凄いと思う。しかし文壇登場からわずか二年余に死ぬ。読み進むうち、宗派を超えた宗教性の高さ、精神の気高さをも感じました。 表題作「いのちの初夜」のほか、「望郷歌」が好きです。あとがきまで呼んで涙していて、昨日は寝不足でした。 |
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「最後のストライク」津田晃代(幻冬舎文庫) マスク 直球投手としていつまでも記憶に残るツネゴン。津田選手と出会った頃のエピソードやユニフォームを着ていない時の津田選手の様子をこの本で知ることができる。あの闘志あふれるマウンド、ガッツポーズが脳裏に焼き付いていたが新たなる印象を抱いた。こういう几帳面なところがあったのかと驚くとともにそれを知ってうれしいのである。 そして闘病記。涙なしには読めない。広島ファンだからだろうか。今までこの本を読もうとしなかったのは期待はずれだろうとたかをくくっていたからである。ところがところがである。 試合のエピソードなんて殆どないのに泣ける。津田氏を見舞いに森脇選手や山本監督らが駆けつける。そこでのやりとりに又泣いてしまう。 いいときも悪いときも素直に奥さんが書いているような気がする。だからこそ伝わってくるものがあるのだろう。なんでもっと早くこれ読まなかったのだろうと読後まず思った。 |
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「恥辱]J.M.クッツェー(早川書房・2000円) 太郎吉野 クッツェーて人は、これで「2度目のブッカー賞」受賞したそうです。…て、その「ブッカー賞」て、よく知らないんですが、とにかく権威のある賞らしいっす。 「52歳。大学教授。離婚歴2回。中年男がたどる悔恨と審判の日々。教え子の前で、男はエロスのしもべとなった……」 と、オビにはありますが、主人公のこの先生、あんまり「悔恨」はしてません。少なくとも、大学を追われることになる「セクハラ」事件では。どころか、開き直っております。反省もいたしません。その辺、「潔い」とも言えます。 それがきっかけで、財産もなにも失い、家族さえも喪失して寄る辺をなくした彼は、自己の中に深く埋没していくんですが、それさえも、決して「不幸」なできごととしては、扱われておりません。 南アフリカが舞台のこの小説、アパルトヘイトが撤廃された後の混乱が、バックにはあるようで、それは、それまでの「絶対悪」が取り払われ、価値観が180度変わってしまった社会、「ソ連」崩壊後のロシア、あるいは戦後の日本のような社会であったようです。 これ、映画にすると、「サイダーハウス・ルール」あるいは「ピアノ・レッスン」のような映画に仕上がると思うんだが、誰か、その線でやってくれんかな… |
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「小説・中華そば『江ぐち』」久住昌之(新潮OH!文庫) 太郎吉野 例えば、何げなく入ったラーメン屋や飲み屋さんで、カウンターで仕事する大将や女将さん眺めながら、ぼ〜んやりとその人の生い立ちや店の成り立ち想像することって、ありません?わしは、(わりと、しょっちゅう)あります。 例えば、「ああ、この女将さんは、なんだか訛りが九州だから、あっちの人なのね。惚れた男を追って、長崎から船に乗ったら神戸について、だけど男は流れ者、船は出て行く煙は残る。未練はてない涙道。帰らぬ人を待ちながら、今日もシシャモを焼いてます。忍び逢う恋涙恋…」て風に…。 いつも「演歌」じゃないですけど… 「小説・中華そば『江ぐち』」は、久住昌之も、これをよくやってたらしくて、この人は、実際にそれを「小説」と称する文章にしてしまったのですね。 元版の初版は84年で、当時、かなり物議をかもしたらしい。 だって、この「江ぐち」は、実際に三鷹駅南口に実在するお店で、そこで働く人達や常連の、これまた実在の人達に勝手な名前つけて、その人達を、これまた勝手な妄想からでっちあげられた生い立ち、性格で「キャラクター化」して、まんまと1冊の本にしてしまったのですから。 著者も書いてるとおり、訴えられたら「はい、すみません」と、謝ってしまうしかないシロモノです。 著者は、この本が世に出る以前からこの店に通っており、この店のファンでもあったのだが、さすがに本が出た後は、店に通うのも「おっかなびっくり」だったらしい。 お店の人達は、本のことも、時々食べに来る著者がその本書いた張本人だということも、どうやら知ってたらしいのだが、いつも「知らないフリ」してくれてたらしい。大人だ。 と、そんな経緯綴った「文庫版あとがき」読んでたら、今も場所を変えて実在する「江ぐち」の、現在のくだりがあって、これには思わず「ほろり」とさせられました。 |
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「ファイアボールブルース2」桐野夏生(文春文庫・448円) 小太郎 烏書房で購入したプロレス小説でし〜。 なんとしてもミステリ仕立てにしなけりゃならない、そんな呪縛から抜け出したとき、桐野夏生はブレイクしたんだろうなあ、とか、この「ファイヤボールブルース2」を読んで改めて思ったりした。 ちょっとしたプロレスファンでなくても”男前”神取しのぶをモデルにしたとすぐにわかるヒロイン、火渡抄子。前作「ファイヤボール・ブルース」は、彼女の付き人近田の視点から語られるプロレス・ミステリだった。でも、それは合わせて女子プロレスの光と影の物語でもあり、作者の女子プロへの思い入れが強く感じられて読み手である私としてミステリの部分以外で印象深かった。そして。 この短編集「ファイヤボール・ブルース2」。前作での近田の語りはそのまま引き継いでいるけれど、さらにプロレス色に染められた、ミステリから切り離された成長物語。作者は夢と現実のギャップの結末を真摯に描いた純粋なプロレス小説としてシリーズを完結に導いている。 「あの人のようになりたい」、そう感じて女子プロの世界に飛び込んだ少女近田。しかし、選ばれしものがスポットライトを浴びて、成り上がってゆくのはどこの世界も同じ。才能の無さ、自分の限界、破れない殻の前での苦悩。近田は火渡に認められるだけでよかったのかもしれない、火渡のそばで同じ空気に接して、そして彼女の感じることを同じように感じたかった。でも、それが長く続かないこともわかっていた。というか、そういう風に諦めてたというか。読み手は、近田に対する「歯がゆさ」を感じずにはいられない。なぜそこで自己主張をしないのか?状況を変えるために、火渡が彼女のために無言で用意した、さまざまな舞台。殻を破るきっかけをつかむことが出来るのか、読み手はそんな近田に自分を重ね合わせて物語を読むに違いない。 ・・・だからそんな近田が迎える物語のラストは、なんとも切ない。感情移入した読み手である私たちも同じような切なさをきっと感じる。卒業しなければならない舞台からフェードアウトする時の悲しさと、次の舞台への不安と期待。でもそれは一生懸命生きた、思い出せる甘酸っぱい思い出があるからこそ次に胸を張って踏み出せるのからなのだと。 |
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「黄昏の岸 暁の天」小野不由美 小太郎 知る人ぞ知る萌えぞうさん御用達雑誌「活字倶楽部2001年」最新夏号で、十二国記の特集が載ってます。ヲレのように以前のストーリーをすっかり忘れてしまってる人には思い出す意味でよかったかな、とか。あ、そういやちょっと前の「IN POCKET」でも特集されてたんすよねー、あれ>「インポケット」十二国記特集号。 ってなわけで、「かつくら」でこれまでのストーリーを復習した上で、いざ「黄昏の岸 暁の天」。あんまり大風呂敷広げすぎて、世に数多ある未完結シリーズものの仲間入りだけはしないで欲しいけど。>十二国記 「風の海 迷宮の岸」で登極した泰王驍宗と泰麒がなぜ「月の影 影の海」では行方不明になっていたのか、その謎が明らかとなる今作。泰王驍宗の登極から半年、戴国の整備を急くがあまり知らず知らずのうちに広がってしまっていた歪み。そしてそれは最悪の結果として、戴国の国民に悲劇をもたらすのだ!。泰麟に振り下ろされた凶刃は麒麟の証しの角を断ち切り、その痛みが鳴触を引き起こす。触により再び虚海を越える泰麟。そして、十二国記番外編「魔性の子」で、こちら側(蓬莱)の人格・高里としてどうしようもなく孤立していく様、自分の居場所に迷っていたあのころとリンクする。かっちりとそれぞれの物語のエピソードが結びつくとき、あらたな十二国記の広がりが見えてくる。 一方、戴国将軍李斎は、傷つきながらも虚海を渡り、泰麒と同じ胎果である慶国が王、陽子を頼る。しかし、「天の摂理」はいかに偽王であれど、王の在る国への干渉を許さない。でも、陽子の国王としての成長が、十二国の世界観、覆してはならない絶対律に、疑問を抱かせることとなるのだ・・・。 果たして、人は、命は、「運命」というシナリオに縛られた存在なのか。「生きる」ということは、「天意」によって決められた「物語」なのか?シリーズはこれまでのヒロイックファンタジーな勇気と希望のストーリーから次のステージへと歩みはじめたのかもしれない。今までは個々の登場人物たちが個別に語られる点のストーリー。それが複雑に絡み合い始め、線のストーリーとなり、枝葉が伸び始めた。作者がこれまでに物語にちりばめた伏線がシステムとして機能し始める、そんなうねりを感じる作品だと思う。 |
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「待ち暮らし」ハ・ジン(早川書房・2300円) 太郎吉野 ■全体主義下の恋愛 軍医の孔林(クオン・リン)はその医学生時代に、病気でもう長くない故郷の母から懇願され、ただ、「孝行」という儒教的理由からのみ、写真で見ただけで一度もあったことのない女性との結婚に同意する。結婚のため帰郷した林を待っていた花嫁は、写真よりはるかにみすぼらしく、しかも(全時代の遺物の)纏足までほどこした、典型的な田舎娘だった。 その妻、淑玉(シュユイ)との間に一女を設けた林であったが、エリートの自分にふさわしくない妻は故郷に残したまま、年に一度帰郷するだけで、あとは勤務地の陸軍病院で暮らしている。 やがて林は、勤務地で看護婦と恋に陥り、愛のない結婚を解消しこの看護婦と結婚するため、毎年帰郷の度に、裁判所に離婚調停を申し立てるが、いつも土壇場で妻に拒否されてしまう。 そして、法的に妻の諾がなくとも離婚の成立する18年の歳月が経って、ようやく離婚は成立し、林は晴れてこの女性と結婚することができるのだが… 主人公・林が看護婦と恋愛関係に落ちるのが、時あたかもプロレタリア文化大革命真っ最中、二人の恋愛関係も「偉大なる毛思想」にのっとってのお付き合い。肉体関係など、とんでもございません。職場内の同僚同志での、んなことが露見したら、「二人ともに出世に響く」という、実に中国らしい合理的現実的な理由もあるが、ヘタすりゃ内モンゴルあたりの辺境へ「労働指導」やもんなあ…もっとヘタすりゃ「粛正」「自己批判」ですよ… 主人公・林は、妻が離婚に同意してくれるのを「待ち暮らし」、妻は、年に一度帰って来る夫を「待ち暮らし」、看護婦のマンナ(字がない…)は、林と結婚できる日を「待ち暮らし」、3人3様に「待ち暮ら」すお話。 marineさんは、この主人公に「男の身勝手」見たようだが、確かに、男女によって見方の変わる小説ではあります。でも、登場人物の男女を問わず、どの人物にも素直に感情移入できる、佳編ではあります。 しかし、作中出てきた裁判所(人民法院)の「裁判官」というのが、「昨年、警察官から出世した」という記述があったのだが…中国の「三権分立」って…? 警察官が裁判官になるって、それって「お白州」やんけ… |
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「クール・ハンド・ルーク」ドン・ピアース(文遊社・2000円) 周太 個人的に本年度ベストワンの小説。脱獄モノなんだけど、主人公のルークの性格が最高っす。まあ戦争(第二次世界大戦)のトラウマ抱えてる訳なんだけど、そのトラウマから生まれる反骨精神が並大抵じゃない。 もともと映画を最初に見て、原作があるなんて知りもしなかった。 邦題は「暴力脱獄」。解説のピーター・バラカンが「史上最低の邦題」とけなしてたけど、当然かもね。わしも映画見たとき(テレビでだけど)正式なタイトルを知って、すんげースマートなタイトルなんだと思ったわ。 映画ではルークをポール・ニューマンが演じていて、ぴたっとはまってるんだ。人を惹きつける微笑みがもう「よ、播磨屋」と声かけたくなるくらいだぜ(吉右衛門やないっちゅうねん)。この映画では、ジョージ・ケネディがアカデミーの助演男優賞を取っている。ケネディおっさんもいい役柄なんだ。これほど原作も映画もいいってのは、わしにとっては珍しいケース。映画は何度見ても飽きないし、原作もすぐにもいちど読み直したくなるくらいいい。いやー、すごいはドン・ピアース(作者ね)。このドンさん、唯一最高の小説がこの一作しかないってのもおもしろいな。だから今まで翻訳されなかったのだろうか。にしても、ほんとに今年度ベスト。探せばいい小説って、あるんですねー。たまたま二、三週間前に教育テレビで完全版を放映してて、しっかり録画してたんだ。今度またゆっくり観てみようっと。 |
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「悲しき・ネクタイ」植木不等式(日経ビジネス文庫) たけちゃん ■精肉と万引 「精神と肉体を合わせて「精肉」と言う。言わないか。万有引力だってつづめて「万引」とは言わない。でも言うことにしてくれ。」 というのは、日経ビジネス人文庫の「悲しきネクタイ」の前書きからの抜粋。お堅そうな文庫シリーズで、なかなかおもしろい本でした。著者の植木不等式は植木等のもじり。 内容は、会社員の生態を生物界の生態になぞれて皮肉るという「科学朝日」の連載コラムの集成本に「カピタン」連載を加えて文庫化したもの、各項のタイトルも著名な書籍のタイトルなどをもじっている。 シンドラーのリストラ 単身オールナイト 男子の半壊 いちもつの不安 皮蛋と狼 太平洋ひとり勃起 遠くへ液体 そして誰もしなくなった など...生物界の一大事は生殖活動だから、その辺に関連する話題がやはり多くなるんですね。 ちなみに、書名にもなっている「悲しきネクタイ」は、有名なレヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」のもじり。 |
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『ホームレス作家』松井計(幻冬社 1500円) 伊集院静 著者は「戦争シュミレーションもの」のジャンルでは有名人で、年収もコンスタントに一千万円をキープしていた。ところが、不幸な成育歴をもち、家事能力のない妻と幼い娘との3人暮らしのなかで執筆時間がとれず年収が激減。公団住宅の家賃を滞納して、路上生活を余儀なくされる。本書は、家族とも引き離されたその孤独の日々を刻銘に記録したものだ。 路上生活の記述のリアリティは圧巻である。筆者は、「本当の」浮浪者にはなるまいと決意し、二つの誓いをたてる。それは路上で寝ないこと、残飯を漁らないことだ。彼は強靭な意志力でこれを守る。日々のねぐらと食を求めるその努力は感動的でさえある。また、彼は食を犠牲にしても身ぎれいな状態に自らを保とうとする。こうした努力の結果、彼は路上生活中も市民社会との接触を保ち続け、本書も書き上げて、路上生活から比較的早く抜け出すことができた。 路上生活の描写は生彩に富んでいる。しかし、人気作家だった彼が何故ここまで落ちねばならなかった。その経緯についてはまったく説得力がないんだ。自営業者が奥さんが家事ができないために仕事ができず云々・・・、なんて事情は、ざらにある話だろう。前年年収は500万だ。これでホームレスなんかになるだろうか。頼るべき親類縁者はなかったのか。生活保護申請は。そのあたりの事情が十分書きこまれていないために、なんだかひどくあっさりホームレスになった印象を受ける。転落の過程にリアリティが感じられないんだ。 この人は、ホームレスになるという運命を自分で引きこんだようにみえる。作家的にも人生的にも行き詰まって、リセット願望が働いたんじゃないのか。「戦争シュミレーション」ってのは、「ミッドウエーで連合艦隊が勝っていれば」というあの手のお話だ。本書を読む限り、この人からは、とても内省的で知的な印象を受ける。そんな人が、あの手の粗雑なものを何年にもわたって書き続ければ、そりゃあおかしくもなるだろう。リセット願望も働くはずだ。 |
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「咬ませ犬」後藤正治(岩波同時代ライブラリー・1100円) 太郎吉野 スポーツ・ノンフィクションなら、後藤正治の文章が好きだ。 同じ「江夏」を描いても、(あの有名な)山際淳司の「江夏の21球」は、そらまあ「名作」やとは思うんですが、どーも「東京弁に翻案された江夏」やと思うてしまうのは、関西人の「ヒガミ」なんでしょうか? その点、この後藤さんが、今年の1月から「週刊現代」に連載してた「牙・江夏とその時代」は、綿密で(しつこいまでの)周辺取材もあいまって、まぎれもなく「大阪の江夏」が、そこに描かれていた、と感じるのは、後藤さん自身が「阪神ファンの関西人」というばかりではないようです。 この「咬ませ犬」に収められた5編のノンフィクションは、どれもこれも、実にその「後藤らしい」「粘っこさ」が出た佳編。 後藤さんがノンフィクションの題材として選ぶのは、多く、陽のあたることがない、そして「敗者」にすらなり得ない、いわば「裏方」の人々が多いのだが、この5編もまた、表題作の「咬ませ犬」は、ボクシングの世界で、そして「野球」「登山」「競馬」「ラグビー」、それぞれのスポーツの現場で、スポットライトの当たることは金輪際ないが、しかし、まぎれもなくその仕事は「プロ」、という人々が、切れ味は決して鋭くはないが、粘っこく、時に熱い筆致で、描き出されている。 |
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「左腕の誇り」江夏豊・著 波田野勝・構成 草思社・刊 周太 (記・10/19、最後に烏書房で買った二冊の内の一冊。もう一冊はタキやんのハウツー本。呼んだら感想書くからねー、タキやん) 一気に読んだ。江夏が本当の天才だと改めて実感できた。そして、江夏のようなベースボールプレーヤーを大切にする球団や監督、球団トップがもっと日本のプロ野球界にいたなら、その世界もずいぶん変わっていたろうと思わずにいられない。イチローもメジャーには行かなかったやもしれぬ。江夏という才能を、日本プロ野球界は、単に浪費したにすぎなかったのだろうか。(にしても彼の持つ記録のすごさはなんなんだ) そしてその責任の一端は、クソ球団「阪神・ファッキン・タイガース」にあるようだ。 この本を読む前に、W.P.キンセラの「魔法の時間」を読んでいた。「フィールド・オブ・ドリームス」の著者だ。この本には、ベースボールへの愛情が溢れていた。ひとつの文化に対する敬意に満ちていた。だからこそよけいに、「左腕の誇り」は、悲しく、辛く、そして何より、江夏の野球に対する愛情に満ちていることが強く心に響くのだった。 しかし、江夏はテレビ大阪のタイガース戦の解説者として、われわれに野球の楽しさを教えてくれる。一球の厳しさ、一球の恐ろしさ、そして野球の楽しみ方を教えてくれている。神戸の住人として、ただひとつできることは、アンテナの向きを調節して少しでも砂嵐の画面をましにすることだけとは、悲しいやんかいさ。 男の人生、ここにありの一冊。ノンフィクションの私的本年度ベストワンでありました。 本文中の一節。大リーグは大人の野球であり、日本のプロ野球はアマチュアの延長に過ぎないという江夏の感想。けっこう納得するですね。 |
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「翼はいつまでも」川上健一(集英社) ちい 昨日「翼はいつまでも」読了しました。 布団の中で泣いた泣いた。 わたしは中学からずっと日記を書いていて(今は書いてないけど)、結婚式の1週間ぐらい前に、焼いてしまおうと思って、その前に一気読みしたことあるんです。 くだらないことばかりだったはずなのに、なんか一気に読んだら泣けてしまって、自分がこんなにギッシリ詰まったものを簡単に捨ててはいけないなあと思って、ダンボール1箱分の日記も一緒にお嫁に来てしまった。 押し入れの奥の奥に仕舞ってある。 死ぬ時は棺桶に入れてもらいたいと思ってるのだ。 すごい恥ずかしいけど。 で、読んだ時思ったのが、なんて忘れていることの多いことよ。 これはキチンと取っておいて、いつか自分に子供ができたら、それを読み返し、その頃の自分を思い出さなくてはいけないような気がした。 今はかわいいばかりの子供だけど、そのうちきっと反抗期を迎えて、自分の子供ながら不安に感じる時が来るかもしれない。 そんな時に、子供と同じ頃の自分を忘れずに引っ張り出し、同じ視点で考えてあげたいと思う。 「翼はいつまでも」は、忘れていた自分をたくさん思い出した。 自分の頃とは時代も取り巻く状況も違うけど、そういうのは関係なく、子供でもなく大人でもない中途半端な頃って、いつの時代も同じなんだよね。 |
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「勝つ 文章技術」有坪民雄(東京図書出版会・1714円) 周太 論文等の公募入賞の極意を教授する技術指南書である。 小生、かくなる系統の書籍はとんと読んだ試しがない。では何故、かの書籍を読了せしかといえば、著者である有坪氏に是非にと進められたからに他ならない。 著者は本書の内容に絶大なる自信を有していると見受けられ、「年間五〇万は稼いでおる」と大見得を切っておられた。では、果たしてその内容や如何に。 正直、内容に関してはこれほど親切な書籍もないのではなかろうか。 懇切丁寧、また奢った姿勢もなく、最後まで飽くことなく読み進めることができた。文中(笑)だの(爆笑)だの、如何にもここで笑うべしと強制するかのごとき印象を受けたのではあるが、よくよく考えてみれば、これは有坪氏の衒いではないかと気づいた次第である。 それでも所々、有坪氏の絶大なる自信が思わず(あるいは意図的に)表出せし箇所も散見せらるるものの、終わり近く、自らの入賞作品を見本として具体的検証をされるにおよび、そのただならぬ才能に納得したのである。 あえてその瑕瑾を探すとすれば、単刀直入無芸のタイトル、および同様の装丁であろうか。それさえ変更するならば、かの書籍がより広範に世に流布されることが可能やもしれぬ。 かかる書籍に巡り会えたることは、まさに我が人生最大の収穫と感ぜずにはおれない。 最後の行は、むろん冗談である。 |
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「ベ平連と脱走米兵」阿奈井文彦(文春新書・710円) 太郎吉野 「ベトナムに平和を!市民連合」、略して「ベ平連」は、70年代のテレビニュース等に頻繁に登場していた名である。本書のレポートにある通り、元は、ベトナム即時停戦を訴える市民団体であったのが、在日米軍基地滞在中に、戦地を厭うて逃げ出して来た米兵を匿い、国外逃亡を幇助する団体として報じられることが多く、わしも当時は「ベ平連」と言えば、「反戦米兵を逃がす組織」と認識しておりました。 当時の著者は、作家・開高健と知り合ったことをきっかけに、この組織の中枢として関わることになり、米兵の「脱走」に関しては、その「実戦部隊」として活躍した人物。 が、その「逃亡生活」、じつにのどかで、牧歌的ですらある。 今、改めてその「ベ平連」の協力者含めたメンバーを見ると、著者をはじめ、開高健、小田実、鶴見俊輔、小中陽太郎、小松左京、佐高信、吉岡忍、山口文憲、等々、実に多彩な顔触れである。目的のために時としては非合法手段にも訴えることのあったこの組織に、当時でもすでに社会的地位と名のあった人々が、こんなにも多く協力するなど、現在では到底考えられない。 それを思うと、マスコミまでもが均一の価値観押し付けてくる現在よりも、当時(60年代末から70年代)という時代は、合法非合法に拘わらず、自らが「正しい」と思って行動する「個」にとっては、自由な時代だっじゃないだろうか、など思うてしまうのでした。 本書では、もう少し深くそこんとこあたりも、きちんと検証して欲しかったと思うが、どーも読後に食い足らなさ、物足りなさが残ってしまって、しかし、「新書」という形態では、この辺りが限度なのかな…… |
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「魔法の時間」W.P.キンセラ(東京学参) 山崎周太 ご存じ「フィールド・オブ・ドリームス」の著者である。 本作もまたベースボールが題材。 メジャーのドラフトに漏れた主人公が、中西部のセミプロが集まるコーンベルトリーグに参戦を予定している町に呼ばれるところから物語が始まる。 この主人公、ここが勝負という試合では必ずしくじってしまうのだが、それを自分では認めようとしない。これが物語のキーになる。そしてそんな自分に気づくことで、主人公は新しい人生を見つけだす。それが物語の骨子だ。 「フィールド…」がファンタジーであったように、「魔法の時間」は、それ以上にファンタジーだ。そして、その背景にあるのは、キンセラのベースボールに対する深い愛情。キンセラの、そしてアメリカ人のこのスポーツに対する愛情は実に美しい。 それはひとつの文化に対する敬愛の念だ。 ふと思うのだが、プレーヤーという点では、彼らはオペラなどの演劇もスポーツも、すべて同等にとらえているのかもしれない。 まあベースボールを見ながらビールは飲むけれど、オペラを見ながら飲みはしないと思うが。にしたって、プレーする人を真剣に見つめる視線は変わらないのではなかろうか。 むろん、それぞれの国のスタイルがあるから、日本のように、観戦者がほとんどお祭り騒ぎをしたってかまわない。しかし、プレーヤーを温かく見守ることにかけて、アメリカの観客の姿勢は一日の長がある。 ヤンキースタジアムでマリナーズがとうとう負けたとき、「サヨナラ、イチロー」という声がいっせいに起こったと聞いた。 ヤジの一種だけど、スマートに思うのは小生だけだろうか。 「江川の耳は豚の耳」「岡田の鼻の豚の鼻」というヤジ合戦とはややレベルを異にしますね。 スポーツもまた文化であるという認識があるのとないのとでは、観客の質も変わらざるを得ない。 少なくとも、野球もまたすばらしい文化であると、日本人がもっとよく認識できていたなら、江夏はプロ野球のどこかの球団で、すばらしいコーチになっていただろうと思わずにはいられないのであります。 くしくも清原君は東京読売巨人軍に骨を埋めるというニュースを読んだ。 野球を文化としてよりも、商売の面を第一に考える人なら、当然の選択だろう。 ついでに、新聞でしばらく連載してたのが、元タイガースの池田と元大リーガーの対談(大リーガーの名前忘れちった)。ともに世紀の落球をやらかした二人である。 が、ワールドシリーズで落球した大リーガー、ベンチに引き上げてきて、リポーターにマイクを突きつけられたとき、胸を張ってこう答えた。「今日のエラーを、僕は今後の人生の糧にするだろう」。このエピソードを聞いた池田のたっての願いで実現した対談だった。 もちろんかの大リーガーも、池田同様その後さまざまなパッシングを受けた。だけど、何年かチームを転々と変わり、元のチームに戻ってホームのスタジアムに出てきたとき、観客はスタンディングオベーションで彼を迎えた。 なかなかよいエピソードではないですか。 |
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「ヤマザキ、天皇を撃て!」奥崎謙三(新泉社・1700円) 太郎吉野 「神軍平等兵」奥崎謙三は、「暴力の人」である。 天皇の名によって徴集、動員された軍隊時代から、捕虜収容所、そして復員の船中、復員後の生活において、奥崎謙三の「暴力」は、唯一、自己を表現する手段であり、確信的なその暴力には、ゆえに、警察に逮捕、拘留されその後刑務所に収監されるにおよんでも、露ほどの後悔も伴わず、だから、戦後の動乱期、自ら経営するバッテリー店に関する利権問題のゴタゴタで相手を刺し、その当の相手が「死んだ」と聞かされても、「(自らの罪が重くなるので)迷惑やな」と思ってしまうのである。 その奥崎の「自己表現」たる暴力でもって、「天皇」と「司法」に仕掛けたのが、昭和44年、皇居一般参賀での「パチンコ事件」であった。 即刻現場で逮捕されたが、天皇に向かって、手製のゴムパチンコでパチンコ玉を射掛けた男を、裁く法は、しかしこの国にはすでになかったのである。 検察側がつけた罪状は「暴行罪」。が、「暴行」とは、特定の「被害者」があって始めて成立し得る罪である。 弁護側は、訴状に「天皇」と記された「被害者」の、その「氏名」をまず明らかにせよ、と迫ったのであったが、却下。 「天皇」とは、「役職名」ではあるが、現在の日本にはこの地位にある人間は一人しかおらず、「天皇」との表記で特定し得る、というのがその理由だったらしいが、それならば、「内閣総理大臣」も、「東京大学総長」だって、さらには「有限会社チャンネルハウス・代表取締役」(あ、わしです、わし)だって、裁判の訴状には「氏名は不要」となってしまうではないか。 次に弁護側が採った措置は、「被害者」たる「天皇」その人を、「証人」として申請することで、これは、起訴事実が「暴行」ならば、当然の措置ではあるが、当然のごとく、この証人申請も「却下」。その理由が説明されることは、ついになかったという。 上記は、本書の後半に詳細に記録された裁判記録によるのだが、当時のマスコミ、知識人は、この裁判を「ドンキホーテ」的、あるいは、「変なおっさんの変な行動」を裁く茶番としか見なかったようである。 奥崎謙三は、この裁判期間中、幾度かの保釈申請をことごとく却下され、この種の裁判としては異例の、1年8カ月という長期の未決拘留受けた後、「懲役1年6月」という実刑判決を受け、その後の控訴もすべて棄却された。 この記録の構成者によれば、この判決は、「新たな不敬罪」を規定するものにほかならない、としているが、その後の、つまりただ今のマスコミの「皇室」への腰の引け方、「過剰なタブー視」からよってでる「過剰な(異常な)敬語の氾濫」見るにつけ、まさに正鵠と言わざるを得ない。 |
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「わが心臓の痛み」マイクル・コナリー、古沢嘉通・訳(扶桑社・2095円) 太郎吉野 主人公・マッケイレブは、かつてFBIの優秀なプロファイラーだったが、心臓を患い、移植手術によって一命を取り留めた後引退して、今は父の残したヨットを整備する毎日。 そんな彼のもとにある日現われた女は、彼が移植された心臓の行方をたどって来たのだった…… 当初、「引退捜査官」が昔取ったきねづかで活躍する、典型的な「巻き込まれ型」ミステリーかと思うて読み進むうち、事件は、思わぬ方向に転回を見せる。単なる行きずりの強殺犯と思われた3つの事件の共通点とは? そして、そのきっかけが「心臓」なら、あらゆる事件もまた、その「心臓」に修練していくのである。 原題の「BLOOD WORK」が、あまりに「そのま〜んまやんけ!」なのに対して、「わが心臓の痛み」との邦題は、実に秀逸。 |
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「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ(早川epi文庫・660円) 太郎吉野 読後、「そこはかとない不安感」に駆られる小説。 イギリス人の夫の死後、ロンドン郊外の家に一人で住む「わたし(=悦子)」の語りで構成されるこの小説、しかし、その「夫」はどういう仕事のどんな人間だったのか、また、今はロンドンで一人住まいしており、時折母親を訪ねて帰ってくる娘「ニキ」のこと、さらに、どうやら「わたし」とともにイギリスに移住後「自殺」したらしい、長崎で前夫との間に生まれた娘「京子」のこと、そのいっさいが最後まで詳細に説明されることなく、断片的に語られる端々から推理するしかない。 さらに、「わたし」が、(小説中ではそれらしい波乱もなかった)長崎での結婚生活を捨て、死別した夫とともにイギリスへ渡った訳も、一切説明なし。 作品中、主要なエピソードとして回想で語られる、長崎での友人「佐知子」とのかかわりや、佐知子自身の背景もまた一度も説明されぬまま、佐知子は、一度は「裏切られた」アメリカ人「フランク」を頼って、神戸へと旅立ってしまう。そして「その後」もまた然り。「わからない」のひと言。 その長崎時代の、夫の父、「緒方先生」、どうやら原爆で両親を失ったらしい「わたし」は、夫との結婚以前に、この緒方先生に、随分と助けられたことがあったようなのだが、詳細な記述は、これもなし。「緒方先生」は、戦前、教職についており、かなりの社会的地位があった(らしい)と推測されるだけ。 「不安感」は、それだけではなく、物語の中で交わされる「会話」、ことに佐知子との会話が、こっけいなほど「かみ合わない」んである。 でも、考えてみたら、実際の日常生活では、これは、よくありますよね。問われた言葉に、まったく関係ない返答を返す、そう、現実には頻繁にある。それで別に「おかしい」とも思わないんだが、それを活字に切り取って、改めて見せつけられると、「?」となる。 現実にその人が自分のこと語ったとしても、生まれてからそれまでのことを、一切説明できるわけもなし、その人の話の断片から、「ああ、こういう人なんだな」と、大部分のところを、我々はいつも「推測」してるんですよね。 この小説はそんな現実の「あいまいさ」をあぶり出し、「日常生活に潜む不安」を浮き彫りにしてくれる、そんな小説。 |
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「バーボン・ストリート・ブルース」高田渡(山と渓谷社・1500円) 太郎吉野 全編これ、「酔っ払いの繰り言」である。ただしこの「繰り言」、実に小気味よい。 高田渡・52歳。「あ、三条のイノダにいかなくちゃ……の人や」と、懐かしさで手に取った本なんだが、その高田渡、反骨の半生が、「嫌なものは嫌」の姿勢崩すことなく、飲み屋でグラス片手に語るような調子で綴られた自叙伝。 流行に背を向け、やりたいことだけやってきた彼だから、権威におもねることなく、ばっさばっさと切り捨てていく。 例えば、 「腹を切るのだったら、自宅で切ればいいのである。わざわざ軍服を着込み、自衛隊にまで押しかけていったのは、自己顕示以外の何者でもない。」(三島由紀夫について) 「彼と話していて感じたのは『ずいぶん頭でっかちになっちゃったなあ』ということだった。取り巻いていたインテリたちにちやほやと祭り上げられ、またいいように利用もされていたからだと思う。」(永山則夫について) と、一刀両断である。 判断基準は、常に自らの目と感性だけ、だからこそ、いっそ小気味よいのだと思う。 中で語られたエピソードのうち、「高田渡」という名を世に知らしめるきっかけにもなった歌「自衛隊に入ろう」を、「自衛隊賛美」と誤解した人達からさまざまな抗議受け、あげくに当の自衛隊から、「新入隊員の勧誘に使いたい」との申し出があった、というのには呆れた。今もそうだけど、世の中、シャレのわからん人間、多いですね。 |
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「宮本常一が見た日本」佐野眞一(NHK出版・1700円) 太郎吉野 前に宮本常一の「忘れられた日本人」(岩波文庫)読んだんだが、本書を読み始めてすぐ、「これ読んでから読んだら良かった」と思った。 「忘れられた日本人」は、宮本常一の代表的著作で、中には、宮本の出身地・周防大島や、西日本各地の農漁村の昔からの風習、しきたり等々、幅広く記録されてて、同じく「西日本農村地区」出身のわしなど、「ああ、あれは、そういう意味があったのか」と、子供の頃の記憶たどって思い当たることが多々あったんだが、佐野眞一のこれは、宮本常一の足跡を丹念に追いながら、さらにその背景まで説明してくれており、改めて「忘れられた日本人」という本と、宮本その人の「すごさ」を浮き彫りにしてくれる。 しかし、宮本常一という人は、とにかく「歩いた」のですね。郷里の周防大島の生家が、現在「記念館」になってるらしいんだが、そこには、彼が日本各地で撮影した膨大な量の写真や、メモ、原稿等こそ残されてるが、その際に使用した「カメラ」や「靴」「衣服」の類いは、一切残されていないんだとか。ただ「記録」あるのみ。「道具」は、生前の彼にすべて「使い潰された」そうで、まさに「永遠のフィールドワーカー」の面目躍如。 「街道をゆく」で、やはり全国を巡った司馬遼太郎の視点との比較も、興味深かったですね。 これ、「忘れられた日本人」との併読を、ぜひオススメしたいですね。 |
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「雪に閉ざされた村」ビル・プロンジーニ 扶桑社ミステリー 山崎周太 プロンジーニといえば「名無しのオブ」シリーズを始め、数々の著作をものにしている巨匠。実際、1987年にはアメリカ私立探偵作家クラブから巨匠賞(ジ・アイ)に選ばれている。と解説にあった。御年69歳。本作品は、1974年、彼が31歳の時のもの。1988年にフランスで翻訳され、フランス推理小説大賞を受賞している。しかし古くささなど微塵もない。 物語の舞台は、カリフォルニア州シエラネバダ山脈の峡谷の小さな村。サクラメントで武装強盗を働き、失敗した三人組が、この村に逃げ込む。リーダーは凶暴な男で、強盗失敗を機に次第に常軌を逸していく。村と外部をつなぐ唯一の群道が雪崩で閉ざされ、村は孤立。強盗グループのリーダーは、村の襲撃を計画、実行する。ストレートなサスペンス小説だ。気の利いたツイストなどはない。しかしぐいぐいと物語に引き込まれる。半年前から村の山荘に引きこもっている謎の男。66歳の元群保安官。妻がすでに臨月のスポーツショップの経営者。そして村人たちの日常が丁寧に描かれる。 終盤近く、涙が出そうになるほどカタルシスが得られるシーンがある。そして一気に終幕へ。この物語のキーワードは「再生」。愛による再生だ。まさに小説巧者による作品といえる。 ところでカタルシスって、排便って意味もあるのね。 |
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「路上の夢」中村智志(講談社文庫・667円) 山崎周太 この本を読んで思い出した。友人から聞いた本のこと。 足立倫行のノンフィクションで、タイトルは忘れたが「テーマは普通の人の人生」。その記録。 「路上の夢」に登場するホームレスたちもごく普通の人たちだ。では、なぜホームレスになったのか。そこに一つ、キーワードがあるような気がした。それは「人の良さ」ではないのか。 ジローさん、ジローさんが熱を上げるサッチ、小政のおっちゃん、片腕のおっちゃん、みんな「人がいい」人たちだ。 「人の良さ」は現代社会では負の条件なのかもしれない。 もちろんかつての日本でも、人のよい人間はつけ込まれたはずだ。だが、そんな人を救う「人のいい」人たちもいた。それが社会の余裕だったのではなかろうか。 今の日本の社会、本当に余裕がなくなってきているのだと感じた次第。 著書には、この記録で誰かを糾弾しようとかいう姿勢は感じられない。ただ「ホームレス」たちの人生をあるがままに記録している。ごく普通の人たちの人生を。 |
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「『少年A』14歳の肖像」高山文彦(新潮文庫・400円) 太郎吉野 その日、いつものように須磨・離宮道から横尾、友が丘抜けて白川台から、グリーンスタジアムの横を通る西神中央線に上がって帰ろうとしたのだった。ところが、普段渋滞などしたことのない友が丘あたりで車の流れが止まり、どないしたん?と思うと、友が丘中学校辺りに夥しい数の警察車両や新聞、テレビの報道車両が駐車し、上空には何機ものヘリコプターが旋回してたのだった。 1997年の5月27日のことだった。 |