Position-A

もうすぐ、新たな任務に出かけなくてはならない。それはわかっている。だが、アリオスはこの中庭からまだ動くことができなかった。

壁を隔てたところにいる女王の姿は、ここしばらく見ていない。そして、それはアリオスに限ったことではない。先だって行われた守護聖の拝命式のあと、またアンジェリークは星の間にこもってしまっているのだ。外に出ることすら滅多にかなわない。唯一、顔を見ることの多いレイチェルに言わせれば、それでもかなりましになっているということなのだ。少なくとも、眠ることと食べることはきちんとできている、と。

「・・・冗談じゃねぇ・・・」

そんなことで納得できるほど、アリオスは楽観的ではなかった。

「こんなはずじゃねぇだろうが・・・・・・」

エトワールが来て、神鳥の宇宙からサクリアも運ばれて。そうして聖獣の宇宙の守護聖も集まりつつある。こういう状態になれば、もっと劇的に事態は改善するものとアリオスはお気楽にも考えていたのだ。だが、実際には。

エトワールは確かに、サクリアを運んでいる。だが、それは聖獣の宇宙全体にすぐに行き渡るほどのものでは到底ない。惑星を一つ一つ育成していくのがやっとだ。惑星一つが育成されれば、確かに相乗効果で周囲の状況も好転する。それが重なれば確かに全体として宇宙の状況は良くなっていくのだろう。だが、いかんせん時間がかかりすぎる。

そうして守護聖はといえば。アンジェリークが創世の女王として相当に過酷なリスクを抱えているのと同様に、彼らもまた創世期の宇宙に選ばれた守護聖なのだ。

宇宙も守護聖も若い。若いということは、活力はあるが、安定に欠ける。もっとはっきりといってしまえば未熟なのだ。

前任者がいるわけでもない。経験豊かな同輩がいるわけでもない。守護聖全員一から手探りでのスタートだ。だから、未完成な宇宙に、まだ不慣れなやり方でしか力を注ぐことができない。神鳥の守護聖が時々様子を見に来てくれるものの、彼らとて本来の神鳥の宇宙においての責務がある以上、そうそう手助けができるわけでもなかった。だから、まだ宇宙の歩みはもどかしく、アンジェリークの負担もまた、すぐに減るというわけではない。

さらに、自分のやっていることは、所詮対症療法にしか過ぎない、という自覚がアリオスにはあった。不安定の元を自分が直接叩くというのは、確かにかなり有効だ。だが、対症療法というのは、出てきた問題点を押さえ込んでいる間に本来の力を回復させることを目的とする、という時間稼ぎの面があることは否めない。何をどうしようが、結局のところ、宇宙がきちんとバランスよく発展するのを待つしかないのだ。

これ以上、自分に何ができるのか。アンジェリークに何をしてやれるのか。

「・・・・・・・・・」

アリオスは大きく息をつき、無言で空を仰ぐ。やわらかな陽射しが、アンジェリークの眼差しを思わせて、さらにため息がこぼれる。

「こんな調子で無理ばかりしてるから、いつまでたっても出てこられないんだろうが・・・・・・」

アリオスにしてみれば、聖地の天候などどうでもいから、まず自分の体をいたわれ、と言いたいところだ。だが、聖地の気候は宇宙の安定を象徴する。これは、アンジェリークが宇宙の隅々にまで自分の力を行き渡らせようとしている表れなのだ。

どうしても、見えるはずのないアンジェリークの姿を求めて宮殿の壁をさまよう視線を、無理矢理に外して、アリオスが立ち上ろうとしたそのとき。嫌というほど聞き覚えのあるテノールが、不意に耳に飛び込んできた。

「隣、いいかな?」

「・・・・・・」

ぎくりとした己を押し隠し、胡乱なものに対する視線でじろりと見やっても、一向にこたえる様子のないところも以前のとおりだ。無視してやってもいいのだが、それで退散してくれる相手でもない。

「・・・何か用か」

明らかに視線を外した上で投げやりにそう言われて、セイランは面白そうにくすりと笑った。

「レイチェルのところで用事を済ませて、回廊を渡っていたら、あまりにも無防備に、間抜けとしかいいようがない表情ををさらけ出している君が見えたからね。これはじっくり至近距離から観察すべきだと思ったんだ」

「・・・馬鹿なことを言っている暇があったら、さっさと仕事に戻れ」

「そう?気になったから来てみただけなんだけどね。・・・・・・今にも、女王を攫いに行きそうな目をしてたからさ」

ま、君がそうしたければそれもいいかもしれないけどね、などと、更にとんでもないことをこの守護聖はさらりと続けて口にした。

「・・・お前は・・・一応とはいえ守護聖だろうが。何勝手なことを言ってやがる」

胸のうちに隠しているはずの想いをさりげなく言の葉に乗せられて、思わず向き直ったアリオスに、セイランは平然とした顔を見せる。

「別にいいじゃないか。君ならできるだろう?」

「・・・・・・できたって、やるものか」

それは、この聖地に来た日に、とっくに自分に言い聞かせている。だが、実際のところ、過激な想いが去来するのも事実だ。その一瞬の躊躇を、セイランは見逃さなかったようで、さらに言葉を畳み掛けてくる。

「君だって、彼女の性格はわかってるはずだ。他者のために無理を重ねて、自分を犠牲にすることもいとわない。例え投げ出したいと思っても、最後の最後までそれを口にすることはないよ。それでも?」

「・・・・・・それでもだ。もし仮に、あいつが強がってそう言ってるんだとしても、俺はその強がりにぎりぎりまで付き合ってやる。攫いに行くのはそれからだ。ま、今はまだその時期じゃねぇようだがな・・・それに」

うっかりすると堕ちてしまいそうな誘惑を退けて――そこには、こんなヤツの口車に乗るものか、という意地もあったのだが――ふうっと息をつき、アリオスはちらりとセイランを見る。そして、見ようによってはにやりと笑ったともとれないことはない、という程度に口元を歪めた。

「そんなことをけしかけるお前がいる限り、そう悲観することもないだろうよ・・・・・・期待してるぜ、守護聖様?」

言いざま立ち上がり、セイランの方を振り向きもしないまま大股でアリオスは歩き出した。

セイランの思惑が感じ取れないほど、アリオスも抜けているわけではない。セイランはセイランで、守護聖として今の状況に閉塞を感じているのだろうし、足掻いてもいるのだろう。アンジェリークを思いやっているということについては、腹は立つがあちらも同じことなのだから。見ていられなくて、攫ってしまえと唆すのは、だからおそらくは彼の本心だ。

だからこそアリオスは、自分は悲観などしていないと伝えたのだ。そう、セイランはきっと、持てる限りの力でアンジェリークを支えてくれる。彼の守護聖としての支えは、アンジェリークにとって何よりも心強いものだ。

ま、それ以上になっても困るがな、とアリオスは頭の隅で少しばかり真剣に考える。何しろ、セイランは油断がならないのだから。先ほどの発言も、冗談めかしてはいたものの守護聖としては相当に物騒だ。もしもどうしようもなくなったら、本当に彼自身が行動に移しかねないとも思わせるほどに。何となくむっとして、アリオスの眉根が寄せられる。

「・・・・・・させるかよ」

そう、守護聖たちの態勢が整う前に、宇宙がどうしようもない危機に陥りでもしたら、あの男はさらりとそれを実行に移すのだろう。その前に自分が目の前からかっさらってやるという自負がアリオスにはあるが、できればそんな事態は避けたいに決まっている。ならば。

「俺も、こんなところでうだうだ考えてる暇はねぇってことだ」

対症療法であれ何であれ、有効な手段は使えるだけ使う。そのためにアリオスはここにいるのだから。誰が何のためにここにいてくれと言ったのか。それを考えたら、じっとしている余裕などあるわけはない。アリオスにしかできないことがあるのだから。そして、それを託してくれたのはアンジェリークなのだから。それ以上、何を考えることがあろうか。

中庭を出ようとするところで足を止め、もう一度振り返る。行ってくる、と心の中で呟いたそのとき。

―――アリオス。

まばゆい光の中から、やわらかく微笑む天使の声が聞こえたような気がした。

 

-Fin.-

 

今回は、意外にヘタレでもないアリオスさんです。

というか、セイラン様が出てきたら、意地になるしかないっつーか(笑)。

コレットちゃんを挟んで、実はいいコンビなんではないかと思ったり。

当人たちは絶対に認めませんでしょうけどね(笑)。