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〜ヴェルサイユの無冠の女王
〜 Madame de Pompadour sex, culture and power by Margaret Crosland マーガレット・クロスランド著 廣田明子訳 原書房 図版入り 288頁 2001/11/22刊 1890円 |
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天賦の美貌と知性で国政をも動かした悪名高き無冠の女王か? 芸術と学問を庇護した華麗な宮廷文化の体現者か? あるいは国王を愛するという職務に忠実に生きた フェミニストの先駆けか? ロココの宮廷文化が花開いた18世紀のフランスを舞台に、 その時代で最高の権力を握りながらなお謎のベールに包まれた女性の生涯を、 当時の文化と政治を浮き彫りにしながら、魅力あふれる筆致で描き出す。 イギリスで30年ぶりに刊行された、ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人の伝記 |
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▼ 本書について
▼ あらすじ
▼ 著者紹介
▼ 主な参考文献
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§本書について§ ポンパドゥール夫人、あるいはその時代について書かれた本はたくさんありますが、 この伝記は「女性の生き方」に目を向けている点で現代人にも興味深く読めます。 女性の「職業」といえるものがほとんど存在しなかった時代に、 「愛妾」を一種の職業ととらえ、 国王を愛するという仕事に情熱を注ぎ、鮮やかに自己表現した女性として ポンパドゥール夫人を生き生きと描いています。 多彩な活動とエピソードに彩られたポンパドゥール夫人の一生ですが、 本書はこの人生を5 幕の劇にたとえてすっきりまとめているので、 日本人にも読みやすい構成になっています。
また、本文とは別に、時代背景を知るためのコラムがいくつか挿入されています。
ポンパドゥール夫人の壮大な人生ドラマの幕が下りたあとも、 著者はその面影をしのぶ旅にいざなってくれます。
ポンパドゥール夫人やルイ15世をはじめ 主な登場人物の肖像や宮殿風景の図版も掲載されていますので、 当時の雰囲気をたっぷり楽しめます。 ぜひお読みください。 |
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§あらすじ§ 舞台はパリ。時は1730年。9歳の少女、ジャンヌ=アントワネット・ポワソンが占い師のもとに連れてゆかれる。すると、占い師は驚くべき予言を告げる――「この子は、将来国王の愛妾になる」と――。 中流階級に生まれたこの少女が、はたして国王の愛妾になれるというのだろうか? しかしこの予言に望みをつないだ母親は、「王にふさわしい相手」になるための教育を娘にほどこす。天性の美貌と才気に恵まれたジャンヌ=アントワネットは、やがて社交界で注目を浴びるようになり、そして伝説によれば、仮面舞踏会で国王ルイ15世と出会い、その数ヵ月後にはヴェルサイユ宮殿に迎えいれられる。 少女は予言どおり、国王の愛妾、ポンパドゥール侯爵夫人となり、人生の20年近くを国王に奉げることになるのである。 国王の「公式愛妾」になったポンパドゥール夫人だったが、宮廷には平民出身の愛妾を快く思わぬものたちが大勢いた。だが聡明で努力家のポンパドゥール夫人は、複雑な宮廷生活を生き抜くすべをすばやく身につけていく。 宮廷内に「小部屋劇場」を作って自ら主役を演じ、クレシー城など数々の城館を買い入れては国王とのくつろぎの場を築いていった。また、画家ブーシェをはじめ多くの芸術家を招いて芸術の庇護者となり、セーヴル陶器の事業を奨励した。 やがて国政にも絶大な権勢をふるようになり、大臣の登用や解任に大きな影響力を及ぼす。パリの陸軍士官学校の創設にも助力し、七年戦争ではフランスの軍事介入の指揮をとるまでになる。 このような贅沢な浪費と権勢ぶりは大きな批判も招いた。それでもポンパドゥール夫人は、愛人としてのつとめを果たせなくなった後も、国王の信頼を保ちつづけ、生涯にわたり国王のたいせつな腹心の友でありつづけた。 1764年、彼女がヴェルサイユ宮殿で息をひきとると、公妃にふさわしい葬儀がとりおこなわれた。銀の馬飾りをつけた12頭の馬にひかれた柩車が、騎兵18名に護られながら進む。その葬列が通り過ぎるのを見て、ルイ15世は涙を流したという・・・。 |
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§著者紹介§ マーガレット・クロスランド Margaret Crosland 1950年より作家・翻訳家として執筆活動に従事する。コレット、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、エディット・ピアフなどの伝記を手がけるフランス通のイギリス人作家。初期の作品であるコレットの伝記でブルゴーニュ賞を受賞し、ボーヴォワールの伝記(1992年)ではイーニド・マクラウド文学賞を受賞した。ほかにジョルジオ・デ・キリコの伝記『The Enigma of Giorgio de Chirico』 (Peter
Owen、1999)などがある。サセックス在住。
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ファム・ギャラント femme galante ポンパドゥール夫人の母親は「ファム・ギャラント」だったという。 この「ファム・ギャラント」とはどういう女性をいうのだろうか? ひとことでいえば、性的魅力を売り物にして生活する女性のことだが、たんなる売春婦ではなく、かといって「高級娼婦」のような豪勢な身分でもない。「囲われ女」というほど露骨な響きもない。「galanterie(ギャラントリ)」という既婚男女の恋愛遊戯が花盛りだったこの時代、パリにはこのような「情事」をなりわいとする女性が数多く存在した。女性の職業とよべるものがほとんどなかった時代にあって、美しさと才気を持ち合わせた女性たちがつくことのできた数少ない「職業」のひとつ、と考えればわかりやすいだろう。 当時の結婚は地位や財産を確かなものにする契約にすぎず、結婚後もこの「キャリア」を続けることが可能だった。ポンパドゥール夫人の母親は「パリで最も美しい女性」とうたわれ、愛人が何人もいたと伝えられるが、夫が負債を抱えて国外に亡命したあとも、有力な「愛人」を後ろ盾に娘を上流階級に押し上げるための教育をほどこすのである。 国王の愛妾 Maîtresse du roi フランス宮廷には国王が「公式な」愛妾をもつ制度があった。国王の愛人になる女性は数多くいたが、公式愛妾とよばれる女性はただひとりで、彼女は王族や宮廷に正式に紹介されて、公にその地位が認められていた。 公式の寵妃は王妃に準ずる扱いを受け、多くの場合、王妃をしのぐ権勢をふるうことができた。ただ美しいだけではこの職務はつとまらない。社交術や企画能力、政治手腕も必要とした、事実上のファーストレディーといえる立場だった。 女性が社会的に活躍できる場がほとんど存在しない時代にあって、国王の愛妾こそ、女性が望める最高位の「キャリア」だった。そのキャリアをまっとうして、時代の最先端の生き方をしたのが、ポンパドゥール夫人といえるだろう。 ポンパドゥール Pompadour 「ポンパドゥール侯爵夫人」の名は、彼女が宮廷に入るときに与えられた爵位である。当時のしきたりとして、平民のジャンヌ=アントワネットを国王の愛妾として迎えるうえで、しかるべき爵位を授ける必要があった。 おりしも未亡人だったポンパドゥール侯爵夫人が亡くなったため、王はこの爵位を買い戻し、これを愛妾に与えたのである。 ポンパドゥール侯爵家の紋章は黒地に銀の尖塔
3 つ。ポンパドゥール城はリムーザン地方ブリーヴ近くにあり、その一部は15世紀にさかのぼる堅牢な城だが、おそらくポンパドゥール夫人は一度もこの城を訪れることはなかったといわれる。 ルイ15世 Louis XV (1710〜74、在位1715〜74) 太陽王とよばれたルイ14世の曾孫。ルイ14世は王位継承者を次々と病で失い、1715年に77歳で逝去したとき、曾孫のルイがわずか5歳で王位をついだ。ルイ15世が成年に達するまでは、ルイ14世の甥オルレアン公フィリップが摂政をつとめ(摂政時代1715〜23)、その後はブルボン公(ルイ14世の庶子)、ついで重臣フルーリ枢機卿が実際の国政を担っていた。ポンパドゥール夫人を愛妾に迎えた後は、彼女が事実上の実権を握ることになるのだから、「君臨したが統治しなかった」国王といわれる。 政治的には無能だが、ブルポン王朝きっての美男子。「最愛王(Le Bien-Aiméル・ビヤネメ)」と呼ばれた。女性ならだれもが愛妾になるのを夢みたという、「いとしの王さま」である。その好色ぶりは生涯おとろえることがなく、次々と若い愛人をつくって「鹿の苑」とよばれる館に囲った。 女性以外には狩猟に熱中したが、なににつけ無気力で飽きっぽく、欝ぎみになることも多かった。ポンパドゥール夫人はそんな国王のために、演劇やオペラなど嗜好を凝らした気晴らしを演出し、「娯楽大臣」とも皮肉られた。 ルイ15世をめぐる女性たちを簡単に紹介しておこう。 王妃マリー・レクザンスカ
ネール3姉妹
デュ・バリー夫人
アベル・ポワソン、マリニー侯爵 Abel Poisson, Marquis de Marigny ポンパドゥール夫人の実弟。姉が国王の愛妾となった後、マリニー侯爵の称号を賜り、イタリアへ遊学して建築や芸術の教養を磨く。このとき建築家スフロ(後にパンテオンを設計)や彫刻家コシャンも同行した。アベルは国王の覚えもよく、王室建造物の責任者に任じられ、数々の建造物のプロジェクトをてがけ、姉の文化事業を助ける。王室建築家のアンジュ=ジャック・ガブリエルの設計による陸軍士官学校やルイ15世広場(現在のコンコルド広場)のプロジェクトを実務面で支えたのはアベルといわれる。今でいえば文化大臣のような役割を果たしていた。 ポンパドゥール夫人の死後、夫人の遺産を管理したのも弟アベルである。 膨大な数の芸術品、蔵書や家具をすべて手元におくことはかなわず、その一部は競売にかけて処分した。アベルは子供がなかったため、アベルの死後は残った遺産もさらに競売にかけられ、ポンパドゥール夫人の貴重な収集品は散逸してしまった。 アベルは姉の死後、姉が晩年に改築をすすめていたロワール河畔のメナール城に住み、「メナール侯」と呼ばれた。メナール城はポンパドゥール夫人が装飾に情熱をそそぎ、弟アベルが増築や庭園の整備をすすめた美しい城だが、現在は個人所有のため公開されていない。 スルタンの妃に扮したポンパドゥール夫人 ポンパドゥール夫人の肖像画は数多くあり、最盛期の夫人を描いたフランソワ・ブーシェやラ・トゥールの作品は有名である。これらに比べると知名度は劣るが、弟アベルが「いちばん姉らしい」といって気にいっていた肖像画がある。意外な気がするが、それが「スルタンの妃に扮したポンパドゥール夫人」というヴァン・ローの作品だ。この絵では、スルタンの妃の格好をしたポンパドゥール夫人が、黒人の女中からコーヒーカップを受けとろうとしている。しかも夫人は横向きである。 といっても、ポンパドゥール夫人はハーレムの女性として描かれているわけではない。凛とした表情で、あたりを支配しているという雰囲気を漂わせている。 その威厳にみちた姿が、アベルのいうポンパドゥール夫人らしさなのだろう。 この作品は、サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館に所蔵されている。 ウォーレス・コレクション Wallace Collection イギリスには意外にも、ポンパドゥール夫人にまつわる貴重な芸術品が多く残っている。その代表的なものが、ロンドンにあるウォーレス・コレクションだ。 18世紀のフランス絵画や陶器、家具類では最高級の所蔵をほこるコレクションだけあって、ロココ様式の家具やセーヴル磁器などが豊富である。ブーシェ画のポンパドゥール夫人像もここで見ることができる。2002年秋にこれらのコレクションを集めた「ポンパドゥール夫人展」が開かれたのは、記憶に新しい。 詳しくはホームページで。 → http://www.wallacecollection.org/ なお、ブーシェによる肖像画はヴィクトリア・アルバート美術館にもあり、ロンドンのナショナル・ギャラリーにはドルーエ画の肖像画が所蔵されている。これは、中年のポンパドゥール夫人を描いたもので、知られている最後の肖像画である(本書の口絵に収録されています)。 |
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§主な参考文献§ 『ポンパドゥール夫人――ロココの開花と革命の予兆』 デュック・ド・カストル著 小宮正弘訳 河出書房新社 『ポンパドゥール侯爵夫人』 ナンシー・ミットフォード著 柴田都志子訳 東京書籍 『ロココの女王――ポンパドゥール侯爵夫人』 飯塚信雄著 文化出版局 『ヴェルサイユの苑――ルイ十五世をめぐる女たち』 窪田般彌著 白水社 『ルイ十五世 ブルボン王朝の衰亡』 G・P・グーチ著 林健太郎訳 中央公論社 フランス女性史 『フランスの歴史をつくった女たち』 ギー・ブルトン著 中央公論社 『フランス女性の歴史 1 ルイ一四世治下の女たち』 『フランス女性の歴史 2 君臨する女たち』 アラン・ドゥコー著 大修館書店 |
※フランス人カストル伯爵による詳細な伝記 ※イギリス人作家が1954年に書いた伝記。2003年に邦訳がでた ※ロココ時代を代表する女性としてのポンパドゥール夫人伝 ※ルイ15世の妃、愛妾、愛人をめぐる物語 ※歴史学者による専門書でやや難解だが、時代を知るうえで参考になる |
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Copyright © 2004 Akiko HIROTA