宮沢敏文の里山ばなし(10)
2004.11.24 薄こおり

落ち葉の重なりを感じながら、少し明けがかった雑木の間を歩く。

ほほに触れる空気が冷たい。怖くなるほどの静けさである。

水溜りに薄氷が張っている。今年初めての氷である。その氷の表面に手のひらを合わせてみる。懐かしい冷たさでどこかうれしくなる。

今年のような異常気象の年でも、霜が降り、氷が張り、雪が来る。冬はこの順でやってくる。

 

谷が明るんできて、険しい岩山から朝日がさし始める。

見あげる岩肌にはもう雪が載っている。

お堂の前で手を合わせ目を閉じ、闇の中に浮かんでくる明るさを見つめる。

ここに来るといつもそうしてきた。

 

いつの日だったか幼いころ、秋の収穫が終わった日、この温泉に来たときの元気な母のたらちねが笑顔とともに浮かんでくる。

 

宿に戻り一期一会のお茶をすすり、母が旅経った年の自分を鏡に映す。

2004.11.24葛温泉温宿にて

2004年10月25日 7.13新潟水害から学ぶ
「現場の状況を熟知していない他県の河川管理者(県知事)がいかにも破提の原因がダムの放流にあるような発言をされるのは、残念です。」一日の雨量450mmを観測した新潟県三条土木事務所笠堀ダム事務所水口課長は厳しい表情で話し出した。
7月13日午前3:40笠堀ダムは、洪水警戒水位を越えた。激しく降り続く雨の中をダム関係スタッフが全員管理事務所に集合し、非常事態体制をひいた。
 早く止んで欲しいとの願いとは逆に、雨足は激しくなる一方で、見る見るうちにダム湖の水位は増し、午前6:30から8:30には時間雨量70mmを越え、なんとこの2時間で150mmを記録した。過去に経験した事のない豪雨だった。
 正午のNHKニュースでは下流の五十嵐川が越水し、冷蔵庫が流されている映像が映し出されていた。午後1時7分三条市諏訪地内が破提、泥水が多くの民家を襲った。
 そんな映像がテレビで映し出さotari0206.htm へのリンクれている午後1時30分笠堀ダムは、きしむような音がし、最高水位に到達し、本格的な放流が始まったとの話でありました。
 被災後、「ダムの放流が破提の原因ではないか」「死亡者が出たんだ責任を取れ」など多くの指摘があったようである。
 水口課長は「国土交通省で指導された通りマニアルに従い住民に通知し放流した。あのままだとダム自体が崩壊し、下流に甚大な被害が出ただろう。2ヵ月半たった今、多くの検証が行われ、分析の結果、真実が浮き彫りにされてきた。今までダム建設に反対されていた地元新潟大学の治水専門大熊教授(長野県治水利水ダム等検討委員会委員長代理)が公式に、笠堀・大谷・刈谷田川の3つのダムは、洪水調整に有効であったと認めていただいたことはうれしかった。」と最後は笑顔で話されていた。

 この水害で、何人もの尊い生命が失われた。そして莫大な被害が生じた。
 「越流はいいが、破提はいけない」という議論をよく耳にする。私が多くの川を視察して感ずる事は、川が越流するとほとんどの堤防が破れ、堤防が流される。その原因は日本の堤防は、土提がほとんどで、越流した外側から崩壊が始まっているという事実である。
 今回の新潟水害も越流して堤防が、外側から崩れている。
 越流しない堤防、越流しても崩れない堤防を造る事は大切である。しかし膨大な費用がかかるのである。また新河川法の中で住民の安らぎの場としての河川敷が掲げられ、なだらかな堤防角度が求められている。と同時に治水の常識は、堤防を高くする事は、ハザードマップが示すように災害の範囲が広くなり危険が増すため、避けてきた経過がある。
 河川の安全度を規定する全国の基準は一定である。その決められた数値によって河川の安全のため堤防を強化したり、ダムを建設したり、土砂が流れ出さないようにするために砂防や治山工事を継続的に実施していかなければならない。

 いま長野県では、治水安全度を下げるという意見が強く出されている。本当にいいのだろうか。
 今年は地球温暖化の影響からか豪雨災害や台風被害が猛威を振るっている。今まで100年に一度といわれた災害が、数年単位で発生しているのである。
 この地球規模での気象の変化をしっかり検証する必要があると思うのである。

 わたしが三条市で、災害後の検証調査をしていた9月27日長野市では浅川のダムに代わる案の住民説明会が県の主催で開催されていた。
 県が準備した案は、ため池・河道内遊水地・壇田遊水地・田子遊水地が規模を変えて組み合わせる6案で、浅川ダムがカットする水量を分散する内容である。 
 最も有効だと示された案は、川の中に洪水をためる河道遊水地(長野県の造語であり、実質的にはダムである)が堤高43.5mのコンクリートの壁の底部に1.3mx1.25mの穴あきダムとため池・2箇所の平地の遊水地を組み合わされているものである。
 会場からは、「ダムを止めるといって始まった代案作り、従来の案と代わらないのではないか」「コンクリートの壁を造るのは地質上安全であったのか」「洪水時の想定最大流量の基本高水を変えないで数字合わせをしていても対策は出てこない」など多くの意見が出されたようである。
 この案をたたき台にして今後住民と共に代替案を決定していくという。しかしこのようなプロセスがいいのだろうか。
 今回、新潟県で決壊した河川改修は限られた予算で進められていた。しかしそのスピードが遅かったのではないだろうかという批判が出され、行政の責任問題まで出されているようである。
 長野県治水利水ダム等検討委員会砥川部会では、部会の専門家がいろいろのダムに替わる案を検討してみたが、治水安全度を下げて基本高水を変えなければ、効率的・効果的な代替案は不可能であった。
 住民の命を守る案である。与えられた条件を総合的に判断し、実行する案は唯一つであるはずである。そのために専門家の国土交通省であり、県の土木部があるはずである。しかも財政を考えなくてはならないことも事実である。
 浅川を含む9河川のダムに替わる案を実行する責任は、田中知事、長野県にあると思うのであるが未だ闇の中である。

 翌28日示された6案を拝見させていただいた。
 このごろの多発する災害をどう考えているのだろうか。内水の対策はどうなんだろうか。想像をはるかに超える災害の猛威・自然の恐さをどう考えているのだろうか。
 机上の代替案だといわざるを得ない。
私の意見を一つだけ明記すると、河道遊水地案で43.5mのコンクリートの壁の底部に穴を開け、流入量109.7m3/s時に最大放流量34.6m3/sを放流するという。災害は水が溢れるのではない。土石が泥水と共に流れ下るのである。
 長野県提案の底部の穴あき水路では、洪水警戒水位に達した段階で、この穴は土石でふさがってしまうであろう事は災害を経験したものなら素人でも予想がつく。
 会場からの発言は、数字合わせで、住む人たちの安全を考えた案でとは程遠いという内容である。

 自然の恐さ、激しさを今一度考えながら、そこに住む住民本位の治水案でなくてはならない。意地の張り合いや理
念に終始するような寒い論争に終始しないで欲しいものである。
2004年10月21日 越流と破提
長野県治水利水ダム等検討委員会委員(砥川部会長) 宮澤敏文 

2004.7.13新潟県豪雨河川災害は、死者15名、全壊家屋・半壊・一部損壊家屋187棟、床下・床上浸水13289棟、公共施設を含め非住宅施設6199棟。河川施設では、破提11箇所、堤防決壊148箇所,越水・漏水123箇所と想像をはるかに超える被害が出た。この災害の特徴は、土石流や地すべりといった災害でなく、都市部の河川災害である点である。 
 
2002年に終了した長野県治水利水ダム等検討委員会で激しくかわされた論点は、新潟大学の大熊教授に代表される―財政苦の時、多額を要するダムを造るのでなく治水の安全度を下げて河川整備をする。堤防が切れて床上・床下浸水くらいの被害はしかたがない―という考え方で、私のように、全てにダムを造るのでなく、河川にあった治水方式を講ずるべきだが、「治水の安全度を下げる」のはどうかと疑問を投げる委員とのぶつかり合いであった。
 
今回、新潟・福井の河川災害を契機に、改めて「床上・床下浸水を認める治水がいいのか」国民が選択するときに来ている。 

7.13新潟豪雨河川災害考察
 
@   7.13豪雨は、数百年に一度のものだったのか
河川整備を進める上で、国土交通省は、対象河川の計画水量は過去のデータを元に多くの場合100年に一度の洪水に備える基本高水を設定するが、果たして今回の災害はどうだったのか。
 考察1
 地球温暖化を始めさまざまな理由が考えられるが、日本ではいままでのデータでは考えられないほどの降水量が近年あり、新潟地域にでも今回のような大雨が降る気象状況は、なんと数年に一度の確率で起こっている。
災害に対する備えについて再検討・研究検証をしなければならない。 

A 堤防が決壊して多くの被害が発生したが、事前に対策は講じられていたの河川整備は行われていたのか。川底の整備はなされていたのか。
 考察2
 川底の堆積物を整備することを主張してきたが、橋梁との関係で、砂利採集が進まず川底が高いままで放置されている河川が多い。新河川法で住民に愛される安らぎの場としての河川は重要であるが、住民憩いの部分と流れの部分を分け、みず道を造ることもケースによっては大切だと思う。
 今回決壊した刈谷田川は、破堤した堤防の質が問題ではなかったかという批判が出ている。堤防の整備工法が間違っていたとしたらこれは人災といえるだろう。
五十嵐川では、護岸がない堤防が、強い流れで水圧に耐え切れず一気に破壊されたといわれている。

 河川管理者の責任で川底整備を義務付けるべきである。 

B   調整機能としてのダムは効果を発揮できたのか。
 考察3
 ダムは五十嵐川では上流部に、いま話題の穴あきダムである大谷ダム(平成5年完成)があり、その下流には昭和39年に調節機能を考えつくられた笹堀ダムがある。新潟県土木部の各ダムへの流入・放流資料を拝見すると、ダムの効果ははっきりと実証されたと見てよかろう。
 平成7.7.11の長野県北部梅雨災害で裾花川が上下二つのダムが調整し合い9,000リューベの流木を止め、間一髪、越水を防いだ事を思い出すが、穴あきダムだった大谷ダムと笹堀ダムの連携が完全だったかは議論が残るところである。
 また刈谷田川には、刈谷田川ダムが昭和56年に完成している。下流の栃尾市で水害がなかったことを見ても、洪水調整は確実に効果があったことがわかる。
 
C   防災・水防対策は万全であったのか。
 考察4
 三条市、中之島町、見附市とも都市部の市町村である。私は民間消防団の衰退を危惧する一人である。長野県の7.7.11災害で、ずたずたになった北安曇郡の小谷村で一人の被害者も出さなかったのは、普段から地域社会にしっかり根を張った地域消防団の水防活動と予防体制の確立、適切な避難体制にあったからだが、都市化が進み、災害発生時の派遣対応など、職場の協力がなかなか得られないなか、地域住民で組織する水防団や消防団の力は落ち、どこに寝たきりの老人が住んでいるのかあるいは親の帰りが遅く子供だけでいる世帯がどこかなど把握するネットワークがなくなり、多くの死者や被害を出した教訓は忘れてはならないであろう。
 この7.13新潟河川災害では、もう一度原点である「地域は地域で守る体制つくり」を創造する第一歩となることを祈るところである。  
 
 以上4点にわたり新潟豪雨河川災害を検証してきた。わたしは下諏訪町を流れ、下流部にながれこむ河川がなく、堤防もいたるところで漏水している天井川−砥川の治水利水がどうあるかを議論の場のまとめ役(治水利水ダム等検討委員会砥川部会長)を経験したが、公開討論会でハザードマップでは2メートル泥水をかぶる地域の住民が、被害想定外に住み治水安全度を下げることを主張する人々に向かって、
「あなた方は、この川が決壊しても何の被害も受けない、わたしは蓄えてきたものの全てを失うんだ、もし夜間だったら命さえも失うこととなる。何のための治水かダムが要るか要らないかじゃないんだ。われわれ地域住民の生活を守ってもらうかにあるんだ.こんな議論は迷惑だ」といわれて会場を出て行かれた背中が、今もはっきりこころに刻まれている。

2004年8月31 臭い対策と循環農業


  昨夜遅く盛岡市に着き、取るものも取らず確保したレンタカーに乗り込み、どしゃ降りの雨のなかを青森県境の小坂町を目指したのが早朝の640分だった。

台風が接近しこんな日にわざわざ来なくてもといわれそうだと車内で苦笑いしながら、白馬村議会の上川議員と県民クラブのアドバイサーという立場で参加したJA全農の武田氏とわたしの三人は、朝食も取らずワイパーが機能しないほどのどしゃ降りの中、東北自動車道を北上した。

無菌状態で飼育されている豚や牛の施設への視察はほとんど許されず、過去に白馬村議会が秋田県ポークランドへの視察を全農本社経由で希望したが、内部への入場は許可されなかった経過を知っているだけに、断られるだろうと思いながら地元に「臭い問題」を抱える地域の代表として「何とかして臭い問題を解決しようという項目」を列挙しながら、お願いしたところ視察を承諾いただいたのである。

前日、農林水産省の畜産局に伺って全国の類似施設の臭い対策の状況と優良事例を相談した。「宮澤さん、飼育施設で臭いがまったくないというのは不可能なことで、あまり推薦する施設がないのですが、私も白馬はスキーでよく伺っていますし、熱意に打たれました」と担当の課長補佐も真剣に対応してくれ、こうしているいまも全国の優良施設をチェックしてくれている。

とにかく周辺住民の皆さんの思い、JAや施設関係者の必死さが手に取るようにわかるだけに何とかいなければとこぶしを握ってきた。

秋田県ポークランドは、日本で始めて無菌豚の飼育を成功させ、昨年は環境の国際規格ISO14001を全国の類似施設で2番目に取得している。まさに全国的に注目されている施設だ。

2時間ほど車がほとんど往来しない東北道を台風の中を走って、小阪鋼山で名高い小坂町に着いた。道に迷いながら、山の中の20ヘクタールのポークランドにたどり着くとバケツをひっくり返したような雨の中で元農協職員だという社長が出迎えてくださった。

臭いはかなりきつい。

「農薬を使わない農業、一時代前の日本の農村は,苗を植え、稲を収穫し、わらを人糞や各家で飼っていた牛の糞をかけ、その地域に住むバクテリアの力で肥料を作り、それで土を作り生産する循環農業を繰り返していた。

ここのポークランドは、無菌での豚の飼育とB(バクテリア)M(ミネラル)W(ウォター)を利用して処理した排水を豚舎の消毒や飲み水として飲ませ元気に豚を飼育している。この地は6メートルの雪が積もりマイナス20度にもなる。私どもはこの地でいき続けるバクテリアの力に注目した。秋田ポークランドは迷うことなく愛するこの地の自然とともに歩んでいます。またここで発酵した堆肥で稲を育てるのです。まさに循環農業です。」と胸を張って説明した後、堆肥舎や飼育場を可能な限り案内してくださった。

堆肥舎は、とりわけ臭いがきつかったが、飼育場からはほとんど臭いはなかった。「町の生ゴミも引き受けている。地域とともに歩くことが必要だと思う。堆肥舎の臭いを無くすことは難しいと思うが、現在、日に200トン排出する尿の60トンは再利用しているが数年後には、100%再利用する工夫をしたい」と意欲的だ。

雨は一層激しくなったがあっという間の2時間であった。

「臭いをまったく無くすことのほうが不自然だとは思いませんか」という責任者の言葉が3人の心に響いた。

食べる人の体にいい循環農業はそれなりのリスクの上に成り立っているのだ。全てが100%いい環境を求めることは、不可能なのだ。とつくづく思い知らされる思いで聞き入っていた。

やはりこのような堆肥施設は人が住む集落からある程度はなれたところに建設すべきだ。白馬アルプス牧場は民家に近すぎたのではないだろうか。

臭い対策の道半ばであるが、いま白馬アルプス牧場の堆肥舎で工事が始まろうとしている舎の密閉対策の結果に期待しながら、「よりよき」へのたゆまない努力が今後も必要であろう。

2004829 「何を優先するか」
〜田中県政2期折り返しのとき


  川原のアメリカシロヒトリが大発生し、周りの樹木に被害が出ているから何とかしてほしいという要望を受けた。

早速現地に出かけ、状況をチェックすると確かにひどい状況で、その周辺へ被害が広がっていた。

その場で河川を管理する建設事務所 (河川管理者は、知事で建設事務所長が代行している)に連絡すると、申し訳なさそうに、「昔と違い出先の事務所には、このような生活環境に対応する費用も含め、田中県政の方針で現地の裁量は、まったく認められず財政的にはどうすることもできない。建設事務所の職員が、出掛けて行き駆除するしか現地事務所には方策がないが、台風被害の確認と災害対応の資料作成のため、いますぐ職員を派遣できないのでもう少し待ってもらいたい」との回答であった。

いま全国的に、都道府県のサービスを住民の目線まで下ろし、県組織の出先機関を充実させようという動きが始まっている。

お隣の新潟県や熊本県などでは、住民とのパートナーシップを前面に、住民の生活と直結した出先の地方事務所がもっとも大切であるとして、地域振興局を設置し独立性を高め、人事権限や財政的権限を与え、きめの細かい住民サービスの充実を図ろうとしている。

本来長野県は、縦に長く山がそれぞれの平野を囲む独特な地勢から、県歌信濃の国にあるように、それぞれの4地区が切磋琢磨する風土と伝統があり、異なった文化を創ってきた。

その歴史を踏まえ、長野県政は地域の独立性を尊重しながら公的施設の配置など4地域に配慮した施策の実行がなされてきた。

いつの時代でも、地域の魅力つくりは国や県の上からの制度の押さえつけ出なく、地域のなかからわくわく滾々と湧き上がるものでなくてはならない。そして行政の対応は、市町村が主役で、常にその自主性が尊重されなければならないと思ってきた。

県は、市町村との連携に勤め、その対応の核は出先の事務所の誠実な汗でなくてはならない。

大雨が降って、土肩が崩れたらすぐさま地元の企業に命じて住民の安全を確保した。このように住民からの緊急な要望に即対応するシステムが確立されていた。

それが地域住民や市町村と県との信頼の絆を築き上げていたのである。

わたしは「地域住民に近い出先の事務所の充実が何より大切である」と本会議場や県議会各派代表者の会議の席上、田中知事に何度も提言してきたが、中央集権的な権限の委譲がない知事中心の田中県政の体質は強まるばかりで、白骨温泉のビデオ放映事件に代表されるように、常道を逸した知事の行為に苦言を言おうとする職員は、周りにはおらず、取り巻きイエスマン体質は強まるばかりである。

出先に担当県職員がいるのに、それを飛び越えて本庁の職員が地域と対応したり、全てのイベントには知事側近の経営戦略局がしゃしゃり出る始末で、驚くことであるが、いまの長野県政には、職務権限のルールはなくなっていまっているのである。

「ちぐはぐ」である。

例えばこの8月21日に青木湖で開催されたブラックバスやブルーギルの「つり大会」外来魚のリリースを県として禁止するのかも正式に決まってもいないのに,厳しい財政の中で400万円(指摘された後250万円になったが)近くかけてタレントを連れてきて、今年限りのつり大会と料理会を開催する内容。

県議会総務委員会でもその開催意義が指摘されたが、駆除の当事者である地元市には何の相談もなく進め、参加者がほとんどなく、県職員を寄せ集める始末である。

内容は田中知事個人のワンマンショー。

どこか違うのではないだろうか。

いったい長野県政は誰のためにあるのだろうか。

田中知事就任時にはもっと違った緊張感があったはずである。

地方の政治の原点は、あくまでも現場の生活者にあり、長野県政の危機は深まるばかりである。

2004.08.16 ライチョウ問題についての調査結果

1.現在の生息把握状況
                 @北アルプス(含む御岳)50%
                 A中央アルプス0%
                 B南アルプス30%
   考察:残念ながら、2004年現在しっかりしたデータが集約されていない。

2.研究の必要性
             @ライチョウの習性
             A生息環境
             Bライチョウの死亡、病気の原因
   考察:5年計画程度の中期計画を作成と長期計画が必要

3.保護体制の確立
          @山岳ごとのモニター調査
          A雪環境の変化・植生の変化等地球温暖化の影響を考慮した保護体制の確立

4.県を乗り越えた広域圏に渡る体制つくり
          @長野県
          A富山県
      (県のサポート体制が確立しており富山ライチョウ研究会などが中心に活動している)
          B岐阜県(野鳥の会などが活動の中心で県での取り組みはこれから)
          C山梨県(動きなし)
          D静岡県(信州大学の卒業生を中心に6〜7名の研究者が活動する)
          E新潟県(動きなし)
 
 鳥島のアホウドリ,佐渡島のとき、そしてライチョウの三種類は、今最も生息の危機に瀕している。このことを今を生きさせて頂いている者が自覚しなければならない。いまこそ関係各県が力をあわせ保護に乗り出すときがきている。

                                          
2004年7月7日 「育てざま」と「ほどほど」

教育・心理カウンセラーの富田冨士也氏の「人と子供に光あれ−向き合うことから始まるかかわり合い」の話を楽しく聞いた。

 現在の「かかわり合い」に疑問を投げながら,具体例を引き、その原点に迫ろうとする彼の話の進め方に,新しき姿を学ばせていただいた。「知識の量や情報の量で判断する社会は冷たい寒々とした社会だ」とのフレーズに共感しながら不思議と今の田中長野県政にそっくりだと苦笑した。

 富田氏曰く、いまの時代はバーチァルな社会と現実社会の区別がつかない人間が多くなり、他人の痛みがわからない社会風潮が蔓延している。

 人と人とがかかわり合いで傷つき、それで集団や人とのかかわり合いから離れていく。傷つきたくないから、やさしさ探しに懸命になる。それでいて自分の求めることを施してくれる相手の人格は考えることができない。成人しても僕をかまって、私に注目してという「だだっ子」が出来上がる。

幼き成長期に、かまってもらえない。人にちょっかいを出す。「あなたはしっかりと子供と向き合っていますか」という彼の問いかけに、立ち止まって考える時間をいただいた。

私と家内の「育てざま」は、与え方の「ほど」をどうするかがテーマで、今も奮闘真最中である。「不足を持って育てろ。安易に与えるのでなく、汗して勝ちとった喜びの実感を宝にしろ」と私は、家内やこどもたちに示してきた。家内は、よその家庭の事例を知るだけに、私の方針との間で、だいぶ苦しんでいるようだが、「ないことが普通なんだ(不足の精神)」から発想して大きく育ってほしいと願っている。

また「ほど」を理解させることは難しそうだが、幼き日の体験や人と人のふれあいぶつかり合いのなかで、自然と身につくものである気がする。我が家は男だけの四人兄弟、いろいろなふれあいの中で身につけてきてくれたかなと思っている。

「ほどほどに」とはうれしい言葉であり、人と人とのかかわり合いには、なくてはならないのが「ほどほどのなかにあるやさしさ」であると私はずっと考えてきた。日本国の人にやさしいよき伝統が、いつまでもあってほしいものである。

人の話や忠告を受け入れる心の静けさもまた人と人のかかわり合いの中で必要なことだ。「自分が自分が」が先行してしまい、人の話を聞くどころか忠告すると反対の方向へ走り出す人がいる。いったいどんな「育てざま」を経験してきたのだろうかと顔を見る。

誰だって、人の嫌がることを口にするのは勇気がいるものである。嫌われたくないし、耳に痛いことなど言いたくもない。

しかし相手を思って、あえて「いやなこと」を言うのである。

そんな人が、いつも近くに居て辛口のアドバイスを心静かに聞ける環境が整えられていることほど幸せなことはない。

人は一人では生きて行けないし、一人は寂しいことである。


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