管理者紹介(マニアックな話が多いので適当に読み飛ばしてください)

ほっさんとは

 現在30代(特定すると毎年ここを更新しないといけないので大雑把)。職業は公共性の高いものなのでひ・み・つ。趣味は多趣味で、競馬を中心として、釣り、麻雀、ゲーム、パチンコ、旅行、野球(阪神ファン)、競艇もするし挙げていったらきりがない。

 なんでも、はまったらとことんやるタイプで、完全に一人でつくったこのホームページを観ていただければ、わかっていただけると思います。

 ちなみに「ほっさん」というのはみんなからそう呼ばれているからで、単に苗字からきた単純なものである。

ほっさんと競馬歴

 私が競馬というものに惹かれてからもう何年も経つ。テレビの前で観た印象に残っている最も古いレースはジャパンカップを逃げ切ったカツラギエースであり、馬券でかなり儲かった記憶で一番古いのは、京王杯ハンデをマイスタージンガーが勝ったときである。目の前で観たレースでは、メジロマックイーンが京都大賞典をハンデ59キロで勝った引退レースはかなり鮮明に覚えている。

 最初に注目していた馬はグレートリーフ号で友人といつも出走レースを楽しみにしていた。このグレートリーフ号は最終的に障害に転向し、今で言う障害のグレードレースを勝ってしまうのだが、このときはまだ、エスジービーム号あたりにこてんぱんにやられていたころで、世間的にはほとんど注目されていなかった。(若い方はさっぱりわからないと思います。それほど古くマニアックな話ですから)

 騎手は上村洋行騎手が新人で注目していました。彼とナムラコクオー号また、その後の彼が騎手を廃業することを考えるところまで追い込まれることになるとは、このときは全く夢にも思っていません。ただ単に将来有望な騎手がでてきたなぁと初心者なりに思っていました。

 ということで、年齢の割りにかなりの競馬歴であることがわかっていただけましたでしょうか。ここまで8行に書いた馬やレースを総てはっきり覚えていると言う方がいらしたら、相当な競馬通の方でしょう。是非弟子入りさせてください。

ほっさんが競馬にはまったきっかけ

 私にとって競馬は単にギャンブルではなく、夢やロマンです。これをご覧になっていらっしゃる貴方も、私と同じくきっかけは「ダービースタリオン」というゲームの方も少なくないのではないでしょうか。

 強い馬を作ろうとして血統にはまり、分厚い攻略本を買い読み漁り、どんどんと奥深くに進んでいきました。当時は有力種牡馬といえばノーザンテーストやリアルシャダイの時代で、ゲームではノーアテンションやキャロルハウスばっかり使って一発を狙っていた記憶があります。

 ですから、私は例えば友達となんとなく競馬場に行って大勝してやみつきになったとかではなく、ゲームから入り当時から血統論者でした。もちろん馬券も買いますが、レースは、買うことよりも観ることが楽しみというレースの方が多いです。

ほっさんと馬券

 私は馬券を買うときは能力を重視します。過去どのような馬場でどのような時計で走ったかや、数レース前までのペースと位置取りなどをみます。ですから、新馬戦や未勝利戦は過去のデータが少ないのでほとんど買いません。また、ハンデ戦もさすがにハンデキャッパーが上手いことハンデを付けている場合が多く、何がきてもおかしくないので買いません。買うのはほとんどがオープンや準オープンの別定戦や定量戦です。
 
 正直生涯成績は黒字ですが、あまり自慢になるのも嫌なので、それ以上触れません。でも馬券で儲かった分は一口馬主で大赤字なので、相殺されちゃいます。

ほっさんが一口馬主をはじめたきっかけ

 私が一口馬主になりたいなと思ったのは、タップダンスシチーが大逃げを打って初めて有馬記念で2着に来たレースを見てからです。馬券はシンボリクリスエス(1着)からコイントス(確か8番人気3着)の馬単を本線で勝っていたので、タップが2着に残ったことで何万と損しましたが、正直タップは逃げ切ったと思いました。
 このときにこの馬が自分の出資馬だったら、どんなに感動していただろう、羨ましいなぁと思い、週刊ケイバブックなどを読み漁り、一口4万円くらいならなんとかなるなということで、友駿ホースクラブに入会しました。

ほっさんとPOG(ペーパーオーナーゲーム)

 POGの詳細はPOGのお部屋でいろいろと書く予定ですが、ここではきっかけだけ。

 はじめて参戦したのは3年前の雑誌「サラブレ」。初年度からラインクラフトとビッグプラネットを指名(全2万名中、ラインクラフト指名者は14名でした)し、最終全国130位台に食い込む。惜しむべくは、この年ディープインパクトが皐月賞とダービーを勝ってしまったおかげで、賞品にありつけなかった。ちなみにラインクラフトとディープを取っていた唯一の方がぶっちぎりで優勝した。

 なぜラインクラフトを取っていたかは、話せば長くなるので、ほっさんコラムでいずれ書き込もうと思いますが、初年度からかなり熱い戦いができたことから、病み付きになった。

ほっさんがデータベースを作り始めたきっかけ

 最初は友駿ホースクラブに入り愛馬の活躍を記すべく、エクセルにて表を作り出したのがきっかけで、愛馬の調教師はだれであるとか、騎乗ジョッキーはだれであるとか、まめに書き込んでいた。

 やがて、私の初めて購入した愛馬の調教師(栗東 五十嵐忠男師)がどのくらいの人物でどういう実績があるのか、どういう使い方をするのか知りたくなった。

 調教師リーディングのどのくらいの人なのか、GTはどのくらい勝っているのか(この年五十嵐師は年間リーディングの中間よりちょい下の勝数で、GTどころか重賞も未勝利だった)などなど、いろいろ調べて自分なりのランクを適当につけた。(年間リーディング的にいうと全体の中間くらいだから、5段階に分けて「C」だなとか愛馬の主戦の熊沢重文騎手は勝鞍からBだなとか)

 しかし、その後愛馬の数も増え、いろいろな調教師や騎手のことがわかってくると、もっと正確な評価が欲しくなった。そこでその調教師は勝率や連対率、開業からの年数、重賞勝利数などを総て入力し、項目ごとに昇順に並べ、だいたい上から5分の1を「A」ランク、次の5分の1を「B」ランク、以下5分の1ごとに「C」「D」「E」とランクをつけ、「A」の項目を5点、「B」の項目を4点、以下3点2点1点と点数化し、合計点数をさらに降順で並べ5分の1ごとにランク付けしたものが最初です。

 月日がたつと今度は、もう少し細かく分けたくなり、最上位に「S」を加え、「A」「B」を二分割した現在の8分割という形が完成した。

 今は、更に平地と障害に分け、また、地方戦績も取り込みさらに完全な形になったと自負している。ただし、凝りすぎて季節ごとのデータの入力にまる1日を費やしてしまう。トホホ

そのデータベースをホームページにしようと思った理由

 一番の理由は、もっともっと正確で面白いデータベースにするために、幅広い知識をお持ちの皆さんのご意見を聞き、素晴らしいデータベースの構築と意見交換をしたいからで、全国の多くの人と情報交換できたらナと思っています。

 しかし、あまり大きくなりすぎると返事も大変だし、強烈な批判をするような方も出てくると思われるので、一部の部屋については、数年後パスワード制かなにかにして、制限しようかなとも考えております。もちろん完全な個人サイトで、営利目的ではないので、一切お金をいただくことはありませんし、悪質な方の侵入を防ぐためだけであって、そんなに閉鎖的にしようと考えているわけではありません。

データベースの更新について

 私ほっさんは、日々過酷な仕事をしている為、あまり頻繁にデータベース更新ができません。そこは無料の個人サイトですので、皆様のご理解を何卒よろしくお願いいたします。