"Welcome to Hot Soup for the Soul"

"Hot Soup for the Soul"

a kind of refreshment to those who are exhausted in heart.


 

諸君!
魂のはなしをしましょう
魂のはなしを!
なんという長い間
ぼくらは 魂のはなしをしなかったんだろう――

***

島田 陽子

滝は滝になりたくてなったのではない

落ちなければならないことなど

崖っぷちに来るまで知らなかったのだ

思いとどまることも

引き返すことも許されなかった

断念が川を白い瀑布に変えた

まっさかさまに

落ちて 落ちて 落ちて

たたきつけられた奈落に

思いがけない平安が待っていた

新しい旅も用意されていた

岩を縫って川は再び走り始める

ひとは立ちつくす

絶え間ない轟音に耐え

はるかな空からのやわらかな光に包まれて

(取り返しのつかないものとは何だったのか)

 

************

 

寒い日が続く

息子夫婦が中国から春節で一時帰国してきたが、

関空に着くなり高熱で3日間寝込んでいる。

何のために戻ってきたかわからない。

入国の時のチェックでよく入れたものだ。

体温チェックがあるのに。

すこしずつ回復しているようだ。

山口で働いている娘が健康診断でバリウムを飲んだらしい。

三十代後半からバリウム検査をするものと思っていたが、

皆がしているので検査を受けたようだ。

ただしあのバリウムには閉口したらしい

こんな重たいもの飲めないと。

飲みきれないので、「もう飲めません」と検査技師に伝えると、

検査技師は「もう一口頑張ってください」という。

努力してもう少し口に含んだが、「もうこれ以上飲めません」とギブアップしたそうだ。

結局三分の一くらいしか飲めなかったそうな。

検査が終わるとまた技師さんに、

「これ、ぐるぐる回って危ないですね。おじいさんおばあさんだったらケガしますね」と

言ったそうな。

そんなこと言うやつおらんやろと思った。

***********

あしたに向かって      宮田滋子  

さよなら告げる 水草に  

行ってきます を くりかえし  

川はながれる  あしたに向かって  

なごりをおしむ 木々の葉に  

行ってきます を くりかえし  

風は吹いてく  あしたに向かって  

つぎつぎ出会う 鳥たちに  

行ってきます を くりかえし  

雲はとんでく  あしたに向かって  

きょうまでの日の 何にでも  

行ってきます を くりかえし  

わたしも進もう  あしたに向かって

***

新年も二十数日が過ぎた。

意を決して、 新しいことに取り組んでいかなければならない。

何をやり遂げるかは、 今のあなたが何を信じ、

あきらめずにがんばるかによって決まる。

若い皆さんは、 これから、 様々な出会いがある。

川の流れのように、ゆっくりと進むこともあるだろうが、

急激に流れていくこともある。

ただ、先へ先へと進んでゆく。

水は常にもとの水ではない。 変化し続ける。

あなたも変化し続けていく。

人生においては、 その変化こそ価値がある。

その変化を彩るには、

あなたの中にたくさんの引き出しを用意して、

その引き出しから、

これまで経験したことや出会った人のことを

いつでも取り出せるようにしておくこと。

そしてこれからも出来るだけ多くの経験や人と出会うことである。

それがあなたの信じる力を大きくする。

あきらめないで、

前へ進む勇気と知恵を与えてくれる。

薬師寺サイクリング

木津川流れ橋(昨年の台風の大雨により流されたままである)

平城宮跡にて

薬師寺東塔 修理中 痛みがひどいようであるので完全修理

薬師如来 朝のおつとめが堂内に響く

 

薬師寺

土曜日、冷たい雨が降っては止む天候ではあったが、弟のことを思って薬師寺へ自転車で出かけた。

往復の距離は100kmほどであった。

路面が濡れていて、クロスバイクには泥カバーをつけていないのでサドルから腰、背中へ砂や泥が跳ね上がって、

濡れている感じるほどであった。

3時間半ほどで薬師寺に着いた。

東塔が修理のためおおいがされていた。

健康祈願のお守りを授かって京都へ戻った。

八幡あたりから雨がひどくなってきた。

帰宅すると一層雨が強くなった。

寒いサイクリングであった。

 

***********

ともに生きる

うしのほね

タイ料理

+++++

山口で一人生活し働いている娘が、正月明け急に二日間の休暇で帰ってきた。

帰ってくると、いつも共に暮らしていたかのように娘は我が家に溶け込む。

三条の町屋居酒屋の「うしのほね」に連れて行った。

楽しいひとときであった。

帰る日の昼は長女も一緒にタイ料理を食べに行った。

あっという間に時は経ってしまった。

子どもが独立する。

共に暮らしていたものが新たな生活を始める。

中国暮らしの息子夫婦が今度の日曜日に一時帰国する。

ひととき、共に時間を過ごす。

家族は「ひとつ」の存在なのだろうか。

最近になって、

紅白歌合戦を後日ビデオで見た。除夜の鐘を突きにいっていたので。

長渕剛の「ひとつ」という歌にこころ動かされた。

「ひとつ」 長渕剛

ひとりぼっちに させてごめんね

もう二度と 離さない 離れない 離したくない

君によりそい そばに生きるよ

もう二度と 忘れない 忘れさせない 忘れたくない

(中略)

永遠のしあわせは どこからやってきて

永遠のしあわせは どこへ行くんだろう

いくら考えても わからないから

僕は悲しみを 抱きしめようと 決めた

ひとつになって ずっといっしょに 

共に生きる ひとつになって

君と生きる 共に生きる

***

という歌詞である。

「共に生きる」共生ということばが国際社会でも求めるべき理念として語られている。

「共存 co-existence」

「同意 agreement」

「調整 coordination」

「協力 cooperation」

「協働 collaboration」

「支援 assistance」

の順が共生のプロセスといわれたりする。

協力は、立場が違っても助ける。あることに対して助ける。

協働は一つの目標に向かって共に働く、役割分担をして働く。

理想は「一つになって」なんだろう。

でも、ジョンレノンのイマジンのように想像するだけで終わってしまうのだろうか。

理想は人を行動に移させる引力である。

でもときに、私は「寅さん」のことばに惹かれる。

満 男「人間は何のために生きてるのかな」

寅次郎「何て言うかな、ほら、あ−生まれて来てよかったなって思うことが何べんかあるだろう、そのために人間生きてんじゃねえのか」

第39作寅次郎物語

答えがあるのが人生ではないと思うようになった。

石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌詞はこうである。

上野発の夜行列車降りた時から、青森駅は雪の中

北へ帰る人の群れは誰も無口で、海鳴りだけを聞いている

私もひとり 連絡船に乗り、こごえそうなかもめ見つめ泣いていました

ああ津軽海峡・冬景色

ごらんあれが竜飛岬北のはずれと、見知らぬ人が指をさす

息でくもる窓のガラス拭いてみたけど、

はるかにかすみ、見えるだけ

さよならあなた 私は帰ります、

風の音が胸をゆする泣けとばかりに

ああ津軽海峡・冬景色

さよならあなた 私は帰ります

風の音が胸をゆする泣けとばかりに

ああ津軽海峡・冬景色

***

いいたいことは、「私帰ります。さよならあなた」であるが、

あとは津軽海峡の冬景色の描写だけである。

日本人は「情景」でコミュニケーションをする。

きちんとことばになっていなくても、その情景の方が心地よいのである。

この冬景色を思うだけで、こころいっぱいになり、

さよならの思いは完全に聞いている人に美しく入りこむのである。

この漠然した表現こそ人生の鍵なのかも知れない。

その中にあればいいのだ。

その中に懸命に生きていればそれでいいのだと。

 

悲田院より雪の京都市内を眺める

愛宕詣 火廼要慎

1月4日 寒気が迫る中、午前中に登ってしまおうと車で清滝まで出かけた。

愛宕神社登山道入り口付近から神社までは晴れていた。

妻と娘の3人で登った。長女は日頃フィットネスクラブで運動しているので、すたこらと登って行った。

私も日頃ジョギングしているからと思っていたが、この正月食べ過ぎで1.4kgほど増えていた。

身体が重く、思うようにすたこらとは登れなかった。

水尾の別れあたりから雪道、凍土であった。簡易アイゼンをつけて神社へ向かう。

いつもと異なり愛宕神社は左の奥まで参ることができた。

昼食は、おにぎりとカップヌードル。

ガスボンベの火で手を炙りたくなるほど手が冷えていた。

昼食を食べている内に急に暗くなり粉雪が降ってきた。

登ったときの汗が引いて、寒くてたまらなかった。

12時くらいであった。3時くらいから雪と天気予報はあったが、

早かった。

急いで下山することにした。

毎一、清滝あたりまで雪が降ると、車が坂を登れないと思った。

1時前に登り口の駐車場におりた。

自宅へ戻ることには市内も雪雲、一時雪が南部でも降った。

よく頑張りました。

 

 

大杉                  かわらけ

 

雪道

黒門

 

愛宕神社

             

昼食

 

雪が降り出した。

滝尾神社 木彫りの龍

自宅近くの滝尾神社にて

 

元旦 京都

国家安康の鐘 方広寺

 

八坂の塔

二年坂

八坂神社境内参道

 

 

 

伏見稲荷大社

初詣は12時過ぎ、元旦一番

今年もよき年にと願う

あけましておめでとうございます。 ことしもよろしくお願いします。

さて、昨晩、除夜の鐘を突きに近くの東福寺へ行きました。

9時過ぎから並んだのですが、

私たちの前には仙台からのご夫婦が米子に2泊した上で京都に来られたということでした。

毎年正月は京都で過ごされるようです。

震災のことを、少し話しましたが、

現地に赴いていない私は話を続けることができませんでした。

ご自身の家はぎりぎり津波の被害は免れたそうですが、

地震がひどかったということでした。

ただ、未だに海岸の方は行く気がしないとのことでした。

あのときのことを思い出すのと、

瓦礫と死体がごろごろしていた光景が焼き付いているとのことでした。

震災当日、すぐに停電になって、どうなっているか分からないまま、

ただラジオでことばの情報を聞き、

そんなひどいことになっているのと思っていたそうです。

あとで、同じ時間、自分たちは何も見ることができなかったけれど、

被災地域以外の人がテレビでその光景を見ていたということには

とても悲しみを覚えたと話されました。

sympathyでなくempathyが大切だとを改めて感じました。

*******

あくしゅ   武鹿 悦子

あくしゅは  てと ての でんわ

ことばが つたわる

こころが つながる

あくしゅは  てと ての でんわ

きれたあとまで  あたたかい

*****

昨年は大災害に見舞われた一年であった。

七十八歳を迎えられた天皇陛下は、 「災害に明け暮れた心の重い年でした」とお言葉を述べられた。

東日本大震災、福島原発メルトダウン、近畿南部の大水害、

自然を尊ばなくなってきた最近の日本人への自然からの警鐘であろうか。

一時的であったかも知れないが、

日本人がこころより被災された人々に何かをしなければと 思ったことは確かである。

テレビからCMがなくなり、「絆」ということばが胸を突いた。

昨年の一年を表す漢字にもなった、 確かにいいことばである。

しかしながら、

「何でも絆でくくると、収まりのいい物語になってしまう」と、 作家あさのあつこは述べている。

こころの握手でありたい。

大晦日の日に、 妻と除夜の鐘を突きに近所の東福寺へ出かけた。

9時過ぎから並んで待った。

一番目の人は千葉からの旅人、 2・3番目の方は仙台からの旅人であった。

待つ間に、旅人と話をした。 日本各地に出かけておられる夫婦だった。

震災のことには相当の思いがあるのがわかった。

海岸の方には、未だに恐ろしい思いがあって行けないとのことだった。

2時間近く話し合って、こころの握手ができただろうかと願った。

除夜の鐘

今年は4番、妻は5番目のつき手

  

千葉と仙台からの旅人

 

 

 

 


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