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同窓会

11月1日(日)教え子の同窓会があった。42歳だ。今回は10名くらいの集まりだった。
卒業して20年ぶりに会って以来、毎年同窓会をやるようになった。
過去を懐かしむのではない。
ただ、ほっとするのだっろう。
そしてまた元気に頑張ろうと思うのだろう。
会えばいつも、20数年前に戻れるのだ。
ある種のタイムマシンだ。
2次会でジャンカラに行った。
マッチやチェッカーズが彼らを支えた唄だ。
一人が斎藤由貴の「卒業」を歌った。
制服の胸のボタンを 下級生たちにねだられ
頭をかきながら 逃げるのね
ほんとは嬉しいくせして
人気のない午後の教室で
机にイニシャル 彫るあなた やめて
思い出を刻むのは 心だけにしてとつぶやいた
離れても電話するよと 小指差し出して 言うけど
守れそうにない約束は しない方がいい ごめんね
セーラー服の薄スカーフで
止まった時間を結びたい
だけど東京変わってく
あなたの未来は縛れない
ああ 卒業式で泣かないと 冷たい人と言われそう
でも もっと哀しい瞬間に 涙は取っておきたいの
座席が変わりあなたの 隣の娘にさえ妬いたわ
いたずらに髪ひっぱられ 怒ってる裏で
はしゃいだ 駅までの遠い道のりを
はじめて黙って歩いたね
反対のホームに 立つ二人
時の電車がいま引き裂いた
ああ 卒業しても友達ね
それは嘘ではないけれど でも
過ぎる季節に流されて 逢えないことを知っている
なぜか、胸がきゅんとした。
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長田弘の『深呼吸の必要』を読んだ。
なにげないもの、さりげないものを通して、
透明な言葉で自分の心に語りかけてくる本だ。
一章はこういう問いかけから始まる。
「きみはいつおとなになったんだろう。
きみはいまはおとなで、子どもじゃない。
子どもじゃないけども、きみだって、もとは一人の子どもだったのだ。
中略
きみはある日、突然おとなになったんじゃなかった。
気がついてみたら、きみはもうおとなになっていた。
なった、じゃなくて、なっていたんだ。ふしぎだ。
そこには境い目がきっとあったはずなのに、
子どもから大人になるその境い目を、
きみがいつ飛び越しちゃってたか、
きみはさっぱりおぼえていない。」
誕生日を迎えることは、 また一つ大きくなることと思っていた頃は幸せだ。
まだ子どもだったんだろう。
いつしか誕生日のことを自分の口からは言わなくなって、
ひとり心の中で、歳をとったなあって、思うときが来る。
それでも、家族のものや周りの人が、
自分の生まれ日のことを祝ってくれると、
生きていてよかったと思う。
これまでの人生、ちゃんと歩んで来たんだと思う。
それはうれしいことだ。
また、明日からも頑張ろうって気になる。
自分を見てくれるいい家族がいて、いい友達がいる。
それには、自分が人のためになっていることが必要だ。
それでこそ、いつまでも成長しているということなのだろう。
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日々の時間の流れに、 毎日を生きていると
自分以外の人のすばらしさや成長に感動するときがある。
そうしたとき、 必ず自分を振り返ってみる。
すると、 自分には何の変化も見られないと思えて、寂しくなるときがある。
精神科医の香山リカさんのことばに、
「わたしの中に、自分でも気づかないすばらしいわたしがいる」。
この考え自体は間違いではない。
だれもが自分の中に「すばらしいわたし」を持っている。
しかしそれは、自分で ロマンチックに空想するようなものとは
まったく違う姿をしているのだ。
とある。
今日のダメだった自分にも 必ずすばらしい自分がある。
ただ、すばらしい自分を見つけるには、
自分自身が自分に期待をかけ、 やる気を出して生きていくことが一番。
また、自分以外のすばらしいものに触れてこそ、
すばらしい自分が見えてくる。
周りの人をねたむのではなく、 自分自身、懸命に生きてゆけば、
コップの水のおいしさが、 胃の中から心にまで拡がっていくことだろう。
君はすばらしい。

三条大橋より鴨川をみる
*English Education
*Nakai's Family Haiku
*Emotional Intelligence
*Sense of Wonder
*Haikuist Club
*Nakai Tomo's Works
*Expression
*Eight Commandments for Father with value
*A Short Letter to Mother on her birthday
*Graduation Comemorative Anthology
*Previous Haiku 2001
*Previous Haiku 2002
*Previous Haiku 2003
*Previous Haiku 2004
*Memories in 2005
*Meorories in 2006
*Meorories in 2007
イタリア旅行記
運転教習日記
Tomo's Letter
*Memories in 2008
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大原・静原サイクリング コース 10月11日(日)
自宅(8:00)…七条大橋(鴨川遊歩道)…出町柳…高野川沿い367号線…花園橋…八瀬( 7:40)…大原朝市(9:00〜9:20)…野村の別れ…江文峠口…江文峠…静原朝市(9:40〜10:20)…市原…鞍馬…鞍馬寺…上賀茂…三条アルチメイトファクトリー(自転車店/FX7.9)…七条大橋…自宅(13:20) 自転車:Trek 7300 クロスバイク
行程記録(trip record)
走行時間(Elapsed Time) 2:18‘20
走行距離(Trip Distance) 44.84km
平均速度(Average Speed) 19.4km
最高速度(Maximum Speed) 44.1km
ひさしぶりに大原の朝市と静原朝市そして鞍馬へとサイクリングに出かけた。出発しすぐにめがねが手元を見るものとわかり引き返して遠距離用のめがねに掛け替えて再度出発。出かけるのに手間取った。川端通りを北上し北山通りを越え花園橋へ。そこから大原までは登りの道である。旧大原街道に沿って進む。高野川沿いに小学校を越え、八瀬のかま風呂を見学。途中367号線に出るが、また、脇道に入り田園風景を楽しむ。しばらくして、大原朝市に着いた。
着いたのが9時くらいであったので、半分以上のものが売れていた。おはぎと野菜を買った。テレビで出ていたイギリス人女性も来ていた。思わず写真を撮ってしまった。 この大原、朝市の場所も12月から近くの里の駅大原に移動するそうだ。道の駅のような佇まいになる。そこから、静原へ向かった。野村の別れから江文峠へ少し長い登り道である。これまでの訓練なのか、最初来たときはしんどいと思っていたが、今日はこれくらいの坂道どうと言うことはないように感じた。やがて峠を越え下り坂に、柳生での失敗はしないように、スピードは出しすぎないようにした。後輪ブレーキはかけすぎると、後輪がロックして横滑りし転倒するので、調節しながらブレーキをかけた。
道路脇の空き地に、「静原の朝市」が催されていた。今日は静原小学校の生徒が太鼓を叩いてコスモス祭を行っていた。小学校では研究発表もやっているとのことだった。地元のじいさん達が子どもたちの成長を見守るようにして協力している姿が印象的であった。ナマ生姜をまた買った。100円で4個くらいあった。太鼓の演奏などを聴き、30分ほどして市原へ向かい、そして鞍馬へ38号線、鞍馬街道を通って上っていった。途中、火祭りの松明を作っている作業を何軒かの軒先で見た。あんな風にして作っているのだと思い、写真に収めた。
鞍馬駅に自転車を止めた。駐輪したときは1台であった。(戻ってきたときには何十台もあった)せっかく来たのだから、鞍馬寺へ行くことにして、登っていった。山門をくぐるとケーブルがあった。何となくケーブルに乗らないといけないと思い、往復分200円を払った。施設維持の協力金であった。小さなケーブルに乗り込み2分ほどでケーブル頂上に着き、そこから456m、5分ほどの歩きで、本殿金堂に着いた。昔、子どもが小さいときに貴船から鞍馬へ山道を歩いたことを記憶している。本殿前がもう少し広いと思っていたが、記憶にあるより狭いものであった。
下山の途中、由岐神社があった。火祭りの神社である。仁王門まで戻り。門前の店で鞍馬そばを昼食に食べた。餅が入っていた。
あとは鞍馬街道をまっすぐ下り、京都産業大学前を通り、上賀茂へ。三条の自転車屋に寄ると、何と店には、FX7.9が展示してあった。32万円のクロスバイク。フルカーボンである。欲しいと思うが、少し高い。一ランク下で22万円である。いつか手に入れたい。7300では平地で加速できない。いつかまたと思いながら帰宅した。1時20分くらいに着いた。
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八瀬かま風呂 柿
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藍染め
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静原こすもすまつり
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鞍馬
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たいまつづくり
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由岐神社
TREK FX 7.9
月のように 立原えりか
満月はもちろん月
半月も月 三日月もそして
糸のように細くなってしまっても
月はたしかに月
ほかのものにはなれっこない
わたしはわたし
つらくてもかなしくても
しあわせでうれしくても
さびしくて泣いていても
わたしはわたし
月にはなれないし天にものぼれない
だからせめて月のように
どんな姿になったときも
きっぱりとさわやかに
光っていたいわ
人間は本当につらいとき、 明るいだけの励ましには心は動かされない。
「大丈夫」”You can do it!”と言われても そういう言葉が心に響かないことがある。
結局、自分のことは自分で解決しないといけない。
自分自身で光りを放たない月は、
太陽と異なり、およそ29・5日で満ち欠け「朔望」が起こる。
それは、太陽との位置関係で決まる。
太陽と同じ方向にある場合を新月(朔)、 これは全く見えない状況である。
反対方向にある場合を満月(望)、 その間に上弦・下弦(半月)がある。
そうであるからこそ、
人は月に心の底にある思いを寄せる。
太陽のような明るさやエネルギーはないが、 心癒される思いがする。
月のような優しさがいるのかも知れない。
島田紳助が、 「行列のできる法律相談所」で、
70%の自信と30%の不安を持ちなさい。すると人は成長する。
30%を何とか埋めて自信に変えようと思うから 「努力」というものに繋がる。 と、言っていた。
何と言っても自信をどう持つかである。
しかしながら、太陽のような自信と 満ち欠けのある月のような不安があってこそ
人生苦難を乗り越えていけるのだろう。
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泉涌寺夜間特別拝観と参道花灯路
この連休、自宅近くの泉涌寺では、今上天皇即位20年を奉祝してライトアップと音楽の催しがあった。
普段、ジョギングで明るいときにそばを走っているが、ライトアップされた本殿などを見るのは初めてであった。
泉涌寺は歴代天皇の山稜があり、御寺と呼ばれている。
いわゆる、公武合体を進めた孝明天皇の陵墓もここにある。
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三尊仏 阿弥陀・釈迦・弥勒(修理中)
過去・現在・未来の三瀬に渡り人類の安泰と幸福を守る
やまぶどうの夢 工藤 直子
里へおりてきた赤とんぼが
山のうわさを聞かせてくれた
赤や黄色の葉のかげで
やまぶどうのぼうずたちが
はなしあっていたんだと
―オオキクナッタラナニニナル?―
マスカットねえさんや
巨峰にいさんのようになりたいものや
ビーダマになりたい遊びずきなど
いろいろいて話ははずんだが
なかで一つぶいせいよく叫んだ
―オオキクナッタラ満月ニナル!―
それいらい山のみんなは
満月の夜をたのしみにしているんだと
今夏、岩手・秋田周遊のドライブの旅に出かけた。
初日に、花巻の宮澤賢治記念館や童話館を訪ねた。
賢治の記念館では、 鉱物や星座に対して賢治がどのようなイメージを持っていたか、
彼の作品に使われている文章表現で説明する展示があった。
「透き通る」「光」など清純なイメージの考え方が分かる。
宮澤賢治のことばには、 しっかりとしたおもみと透明な厳しさがあって、
そのことが柔弱さをしりぞけ、 詩世界のゆたかさをぐんと拡げている。
彼のことばには鉱物のような質感がある。
注文の多い料理店では、
「わたしたちは氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、
きれいなすきとほった風をたべ、
桃色のうつくしい朝の日光をのむことができます。 」
山葡萄に関しても、 童話「葡萄水」の一節に
「野原はさびしくてもさびしくなくても、
とにかく日光は明るくて、野葡萄はよく熟してゐます。
そのさまざまな草の中を這って、まっ黒に光って熟しています。」
と書いている。
ところで、
旅の途中で飲んだ八幡平の山葡萄ジュースは、 本当に酸っぱかった。
そのとき、 この詩のやまぶどうのことを考えた。
いつかは自分の夢を叶えようとするやまぶどうのことを。
マスカットや巨峰のように、 そのまま食べるほど完成された農産物ではないが、
その持ち味が活かされることができる。
その酸味こそが強みである。
賢治じゃないが、ソウイウモノニワタシハナリタイ。
****************
木津川・奈良自転車道・笠置・柳生サイクリング
行程 9月20日(日)
自宅(6:45発)……鳥羽街道(本町通り)……鴨川自転車道……桂川合流・京川橋……八幡背割公園……木津川自転車道……流れ橋・上津谷橋18.58km(7:40着)……山城大橋25.29km(8:07着)……泉大橋・サイクリングロード終着点(8:40着40.0km)……県道47線………加茂……県道44号線……恭仁大橋右折……国道163号線伊賀街道……笠置大橋右折(9:19)……県道4号線……笠置山登山口……笠置寺……笠置寺修行場めぐり山頂(10:06、10:26笠置寺発)……県道4号線……十兵衛食堂(11:03着)……一刀石……柳生茶屋……柳生の家老屋敷(12:20発)……国道369号線大柳生……県道47号線……奈良柳生CC前の峠を越え下り坂転倒(12:45)……県道33号線……中野川国道369号線……県道754号線……般若寺……泉大橋(14:03)……木津川自転車道……山城大橋(14:40着)……流れ橋・上津谷橋(14:56着15:11発)……八幡背割公園……自転車道…………鳥羽街道……伏見街道……自宅(16:25着)
自転車 Trek 7300 クロスバイク
行程記録(trip record)
走行時間(Elapsed Time) 6:34‘01
走行距離(Trip Distance) 117.15km
平均速度(Average Speed) 18.2km
最高速度(Maximum Speed) 46.5km
夏季休暇最後のサイクリングと考え、連休の日曜日に100km越えで笠置・柳生に行くことにした。事前に調べたところ、国道163号線は2車線で道幅がわりと狭くトラックが行き来するというので避けた方がよいようであった。だから、出発の際には163号線に出ず、笠置をあきらめ、加茂からアップダウン山の中を通って、柳生に行くつもりでいた。
木津川自転車道を快調に終点の泉大橋に出て、県道47号線を加茂に向かって走った。47号線は、車の往来は少なく、わずかの登りで快適であった。途中、対岸の国道163号線を見ると、トラックはそう走っていなかった。乗用車が多い。サイクリストも見えた。これなら163号線を走行できると思い、加茂から恭仁大橋へ向かい、163号線に出た。乗用車はひっきりなしに通過した。早く笠置まで出ようとスピードを落とさないように懸命に走った。やがて笠置大橋が見えた。ここで右折し橋を渡った。木津川の河川はオートキャンプ場になっていて、水遊びやバーベキューを楽しんでいる家族が朝からいっぱいだった。車の駐車も多かった。
私は。そのまま県道4号線を進み、笠置間登山口に出た。頂上まで行けば時間がかかるので、パスしようかと一瞬迷ったが、ここに来ることはもうないだろうと、山頂の修行場めぐりをすることにした。登山口から笠置寺入り口まではかなりの勾配で2km近く登らねばならず、途中でギブアップして自転車を押して歩いた。とてもじゃないが登れない。エネルギーを後半に残しておく必要がある。 笠置寺入り口で拝観料300円を払い、磨崖仏などを見ながら頂上周辺を一周した。一周800mで30分ほどのコースである。笠置寺は後醍醐天皇を迎えたことから、足利勢に攻められ全山焼亡し、その後、復興が試みられたが、江戸中期より荒廃、明治初年には無人寺になった。明治9年、和尚が荒れ寺に住を移して、現在の復興につながったという。アップダウンの修行場をハイキングしながら、大きな岩で開けたところに出た。平等石といわれるところで、そこからの眺めはすばらしかった。江戸時代には月見の場所であったそうである。貝吹岩からは眼下にJR笠置駅が見えた。ちょうど木津からの電車が入るところであった。
修行場めぐりを終え、自転車に乗って坂を下った。道にはスリップ防止のためか、丸い溝のようなものが一面にある。坂でスピードは出る、ハンドルが「がたがた」とする。たいへんな坂であった。下山し、柳生へ向かう。県道4号線はほとんど登りであった。ここで脚力エネルギーを相当費やした。やがて歓迎柳生の看板が見え、着いたことを実感。柳生は山間にひっそりとたたずむ村であった。
メイン道路の4号線から少し入ったところに、十兵衛食堂を見つけ、そこで少し早かったが、昼食にした。山菜定食1050円を食べた。中村錦之介の柳生但馬守姿の写真が並んでいた。この里には、食堂らしいものは、あと柳生茶屋があったくらいで、昼食には弁当がいるような所であった。何はともかく一刀石を見ておこうと思い、そちらに向かった。立之石神社の山の中に有り、これまた勾配のきつい坂の連続であった。一刀石あたりは杉が鬱そうとしていて暗かった。一刀石を見つけた。思っていたより非常に大きな岩で、石というものではない。これを刀で二つにというのは少しできすぎた話と思った。
朝から喉が痛かったので柳生茶屋に寄り飴を買った。このまま帰るのも柳生の里に来た気がしないので、柳生家老の屋敷を見ていくことにした。途中、無人の野菜販売があった。恐ろしいくらいの量で100円であった。満願寺とうがらし、スーパーの4倍以上の包みを一つ100円で買った。家老の屋敷前にも無人販売があった。たまげた量ですべて100円、わけぎなど15束くらいの量で100円には驚いた。ナマ生姜の固まり1個を買った。
家老の屋敷は、そう広いものではなかった。質素な暮らしであったことが偲ばれる。柳生藩は1万石でああった。小山田氏の旧邸であったが、昭和31年、後裔が奈良の大森町に移って、屋敷は土地の人の手に渡った、しかしながら、 昭和39年、作家の山岡荘八が購入し、しばしば滞在した。「春の坂道」の原作もここでその構想が練られたようである。その後、息子が奈良市に寄付したとのことである。
12時過ぎで、国道369号線を通って戻ることにした。最初は登りであった。峠を越し下りに、やがて大柳生に出た。のどかな田園地域で、稲刈りを持つばかりであった。途中、県道47号線に出て加茂に向かうルートを選んだ。登りが続いた。
やがて峠を越し、下りに、このあたりは下りが長く、急勾配のカーブが多かった。重心を後ろに移しスピード制御をしていたが、調子に乗ってブレーキをゆるめると加速してスピードが一気に上がり、カーブを曲がるにはスピードが出すぎた。スピードをゆるめようとブレーキを踏むと振られながら路側帯へ。道路の端には小石が寄せ集まっている。側壁溝に落ち、危ないと思い、前・後ブレーキを踏む、するとロックがかかったように後輪が振られる。小石の上に乗り上げる。完全に後輪が振られ、そのまま自転車は大きく転倒、私の身体は飛ばされ数度回転した。止まったときには、右腕上部がすり剥け血が出ている、左腕も擦り剥け、腰が痛い(あとで腰に小石が入り込みそれで無数の傷があることが分かる)、膝も打ったが、頭は打っていなかった。サングラスも飛ばされていなかった。自転車はチェーンが外れていたが、パンクはしていなかった。スポークも大丈夫。ハンドルのライトが吹っ飛んでいた。ベルも鳴らすところが吹っ飛んでいた。リュックに入れていた水筒が先へ飛ばされている。自転車に装着していた水筒も飛んでいた。骨折していないことを確認し、多少ほっとしたが、指が突き指していたのか震えていた。擦り傷で痛む手で、チェーンを直し、自転車を点検した。車体は大丈夫であった。パンクもしていなかった。立ちくらみもしたが、すぐに自宅に電話をした。
「転倒し擦り傷があること」を伝えた。万一途中で倒れたらの思いであった。妻は「救急車を呼ばなくていいのか」と言ったが、何とかなると応えた。12:40頃の出来事。ひどく擦り剥いた腕にバンダナを巻いた。もう一方はアームウオーマーをつけた。膝の所がパンツも破れていた。腰のあたりも痛んだ。新のリュックもすりきれたところがあった。自転車の機能が大丈夫であったことを感謝した。骨折しなかったことも感謝した。しばらくその場で休んだ。右手は人差し指、左手は中指、薬指が腫れ上がって痛い、ハンドルのブレーキをかけられるかチェックした。指はがくがくしていたが、痛む身体で、再走しだした。下り坂がさらに続いた。痛む腕や手をかばいながら、走った。
やがて33号線と47号線の分かれ道に来たが、サイクリストが33号線を通り過ぎていったので、同様に33号線を走り、もう少し先で47号線に出でるつもりであった。33号線もアップダウンが続いたが、下りの方が長かった。転倒による動揺もあったのか、曲がる地点をミスして通過する。結局そのまま国道369号線に出た。これなら、最初から369号線を走ればよかった。そうすれば怪我をしなくて済んだのにと思った。
県道754号線から般若寺に出た。それから24号線に出て、泉大橋に着く途中コンビニで水を買い、擦り剥いた所を水で洗った。痛かった。
泉大橋からは自転車道なので安全だが、距離があった。戻り道喉が再びいたくなり、足も相当疲れてきた。喉の痛みが頭痛になった。帰路は向かい風で進むのがつらかった。何とか流れ橋までつき、休憩した。自宅にも電話をした。
そこから、自宅までは、疲れがたまって相当苦しかった。ただひたすらにペダルをこいだ。やっとの思いで、自宅にたどり着いた。すぐに自転車を洗った。自転車への感謝の思いで。
早速、風呂に入ろうとしたが、腰にも相当の傷があることがそのとき分かった。サイクリングパンツを脱ぎ、パンツを脱ぐと腰から小石がぼろぼろと落ちた。何でと思って腰を見ると、小石が肌に押しつけられるようにくっついたりして傷を作っていた。風呂に入るが痛くて、起ち上がると立ちくらみまでした。まいった。風呂を上がって、妻に傷口を見せると、妻は驚いていた。マキロン噴霧してもらったが、浸みて相当痛かった。ここぞとばかり、一度でいいのに何度も傷口にマキロンをふきかけられた。皮が大きくすりむけていた。そのままではいけないので、大きな擦り傷用絆創膏をすぐに買ってきてくれて、手当てしてもらった。ありがたかった。
疲れて、とてもしんどかった。
今回は、かなり勉強になった。路肩には小石がある。スピードは絶対に出しすぎてはいけない。けがはしたが、無事帰ってこられたことに感謝である。貴重な経験であった。いい歳をして骨折でもしていたらと思うとぞっと思う。一夜経っても指は腫れている。昨晩は寝返りを打つたびに、腰に痛みが走った。実感として学ぶ、今回のサイクリングであった。
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鴨川 木津自転車道 秋の空
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笠置大橋 オートキャンプ 憩いの湯
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笠置寺 修行道めぐり 磨崖仏 胎内くぐり
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山頂より 伊賀方面 笠置方面 笠置大橋
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笠置駅 木津からの電車 笠置寺入り口
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県道4号線 柳生 峠着
柳生の里
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十兵衛食堂 山菜定食 内部
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一刀石 家老屋敷 内部
大柳生
転倒したカーブ
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傷跡 擦り剥けたところが痛い 右腰後部小石での擦過傷
ふっ飛んだヘッドライト
秋田・岩手周遊旅行 平成21年9月8日〜11日
5月から計画していた夏季休暇旅行--温泉でゆっくりしたい、トレッキングを楽しんで気持ちをほぐしたい、そんな思いで--今夏の旅を計画した。当初、世界遺産ー白神山地も有力な候補であったが、今回は、日本の秘湯として全国一と言われている乳頭温泉「鶴の湯」に行くことを中心に据え、計画をたてた。「鶴の湯」の本陣の予約は6ヶ月前から行われ、5室しかない本陣に宿泊予約を入れることは難しい。4ヶ月前の予約でも、第一候補の平日の9月8日(火)は、既に予約済み満室、9日なら空いているとのことで、ようやく念願が叶った。移動はレンタカーで妻と交代しながら運転することとした。
8日(火)
自宅 東福寺(5:44発)……京都駅空港バス(6:20)……伊丹空港着(7:10)……伊丹発IBEX(8:00)……秋田空港着(9:20)……空港レンタカー(9:55発)……秋田自動車道(秋田中央IC)……錦秋湖SA(11:20)休憩……東北自動車道……花巻空港IC……山猫軒(12:15着)・昼食・大根飯定食……宮沢賢治記念館……宮沢賢治童話村……林風舎(15:10発)……国道4号線……岩鋳鉄器館……盛岡東横イン(16:30着)……盛岡市街散策……夕食・磯よし(磯料理)・回転鮨清次郎(三陸魚介類鮨)
とにかく、朝が早かった。伊丹8:00発の飛行機、7時過ぎに空港に着くために、4時40分起床、東福寺5時44分の始発の奈良線に乗って京都駅へ行った。そして京都駅八条口から空港リムジンバスで大阪(伊丹)空港に向かった。秋田へのANA便は関連会社のIBEX航空でのフライトであった。予想どおり、50人乗りのボンバル社の小型ジェット機で、乗務員は操縦士(機長含む)2人とスチュワーデス1人の3人であった。当日の乗客が20人未満と非常に少なくゆったりと過ごせたが、これでは赤字じゃないだろうかと思った。
秋田に到着し、ANA航空機利用とセットで予約しておいたトヨタレンタカーへ向かった。セット料金は4日間で2万円である。現地での相場は24時間6800円くらいである。セットでは1日5000円と割安であった。排気量は1000ccで、1500ccのマイカーと比べて小さいが、同じ車種のヴィッツを借りた。最初は私の運転で、錦秋湖SAまで向かった。秋田自動車道の交通量は多くなく、快適なドライブであった。ただ、ところどころ2車線の対面通行で、中央分離帯には紅白のポールが並んで立っているだけであった。対面通行の部分では、速度制限が50kmとなっていた。走行距離75kmほどで、錦秋湖SAに着いた。小休憩をとって、再出発。今度は妻が運転した。北上JCで東北自動車道に入る。ここからは、やや交通量が増えた。ナビに従って、花巻空港ICで降り、宮澤賢治記念館へ向かった。十数年前に一度訪ねたところである。賢治ファンとしては外せないところである。
記念館に隣接する、「山猫軒」というレストランにまず直行し、昼食をとった。季節料理メニューの大根飯セットを注文した。賢治記念館では、鉱物や星座に対して賢治がどのようなイメージを持っていたのか、彼の作品に使われている文章表現で説明する展示があった。「透き通る」「光」など清純なイメージを用いた宮澤賢治のことばには、しっかりとしたおもみと透明な厳しさがあって、そのことが柔弱さをしりぞけ、詩世界のゆたかさをぐんと拡げている。彼のことばには鉱物のような質感がある。
ー注文の多い料理店 序ー
わたしたちは氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいなすきとほった風をたべ、桃色のうつくしい朝の日光をのむことができます。
「農民芸術概論綱要」より
世界がぜんたいに幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人の意識から
集団社会宇宙へと次第に進化する
この方向は古い聖者の
踏みまた教へた道ではないか
新たなる時代は世界が
一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に
意識してこれに応じて行くことである
われらまずもろともに
かがやく宇宙の微塵(みじん)となりて
無方の空にちらばろう
われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう
求道(ぐどう)すでに道(タオ)である記念館を出ると、直ぐ下にある宮澤賢治童話館に向かった。賢治の学校の屋内は、視覚的に分かりやすい展示がなされていた。ファンタジック・ホールでは、白をベースに様々なイスが並べられている、それぞれのイスの足下には星座のちょっとした説明があった。次の部屋に入ると、暗くなって小さな色とりどりの光が輝いている「宇宙の部屋」であった。賢治の宇宙観への想像力がかき立てられた。次には「天空の部屋」があり、足下のアクリル板の下に大きな映像スクリーンがあった。その上に立つと、風の又三郎のような気分で自分が森や畑の上を飛んでいる気分になった。スクリーン映像の最後に一本の大きな樹にたどり着く、そして、その樹のもとには宮澤賢治が立っていた。次に「水の部屋」、「大地の部屋」と続いた。「セロ弾きのゴーシュ」と「注文の多い料理店」のストーリーのシーンに添った粘土細工の人形がそのシーン毎に並べられてあった。建物を出て、木造の並んだ小屋に向かった。そこでは、星、動物、植物、森のそれぞれのテーマで賢治の宇宙観、自然館を紹介していた。
童話館を出て、花巻駅近くの「林風舎」に行った。そこは賢治に関するグッズを扱っている。そこで絵葉書など買った。林風舎からは、運転を代わり、南部鉄器の生産で有名な「岩鋳」へ向かった。Iwachuイワチューとして、南部鉄器は世界で名が轟いている。外国人は鉄器のことをイワチューと呼ぶらしい。国道4号線からの入り口がわかりにくく、ナビの指示がうまくなかった。何度か引き返したりしながらたどり着いた。さて、鉄瓶で飲むお茶は、鉄分が混じって身体にもいい。岩鋳で、4500円が3400円の特別価格になっていた300mlの急須兼用鉄瓶を買った。急須の鉄器になると、内側がほうろう塗装になっている。それでは鉄分が出ない。やはり手入れが面倒であるが、直接火にもかけられる鉄瓶がいいと思った。
ここで、運転を交代し、盛岡の東横インに向かった。ホテルには4時半くらいに着いた。最初の泊は、安上がりなビジネスホテルにした。次の日の移動には、盛岡が最適の地であったから、花巻温泉などには泊まらないことにしていた。ツインで7580円、駐車代500円足して、二人で8000円ほどである。夕食をとるには時間があったので、市街を少し歩き、「石川啄木新婚の家」に行くことにした。途中、イーハトーブ・アベニュー材木町があり、賢治のブロンズ像やセロなどが通りに配されていて、歩いて楽しめる街になっていた。店の看板や店構えなど楽しいものが多かった。花巻出身の賢治が、盛岡中学から、盛岡農林高等学校へ進み、人間形成に関わる多感な青春時代の10年間を盛岡で送っていた。
そこから、「石川啄木新婚の家」に向かった。市が管理しているのか、無料で公開されていた。両親と妹との五人の新婚住まいであったようだ。街には、啄木のふるさと「盛岡の短歌」を応募するパンフレットが置かれていた。キャッチフレーズは「盛岡であなたも啄木になる」『啄木のふるさと・盛岡』で感じたこと、見つけたことなどを三行書きの短歌で自由にまとめてみませんか、とあった。
やわらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに
26歳で終えた短い生涯であった啄木、「一生に二度とはかえってこないいのちの一秒」を愛し,その思いを独特な3行書きのスタイルによる短歌で表現した。『一握の砂』はその代表作の一つである。
「我を愛する歌 」
東海(とうかい)の小島(こじま)の磯(いそ)の白砂(しらすな)に
われ泣(な)きぬれて
蟹(かに)とたはむる
頬(ほ)につたふ
なみだのごはず
一握(いちあく)の砂を示(しめ)しし人を忘れず
大海(だいかい)にむかひて一人(ひとり)
七八日(ななやうか)
泣きなむとすと家を出(い)でにき
いたく錆(さ)びしピストル出(い)でぬ
砂山(すなやま)の
砂を指もて掘(ほ)りてありしに
ひと夜(よ)さに嵐(あらし)来(きた)りて築(きづ)きたる
この砂山は
何(なに)の墓(はか)ぞも
砂山の砂に腹這(はらば)ひ
初恋の
いたみを遠くおもひ出(い)づる日
砂山の裾(すそ)によこたはる流木(りうぼく)に
あたり見まはし
物(もの)言(い)ひてみる
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握(にぎ)れば指のあひだより落つ
しっとりと
なみだを吸(す)へる砂の玉
なみだは重きものにしあるかな
大(だい)という字を百あまり
砂に書き
死ぬことをやめて帰り来(きた)れり
目さまして猶(なほ)起(お)き出(い)でぬ児の癖(くせ)は
かなしき癖ぞ
母よ咎(とが)むな
ひと塊(くれ)の土に涎(よだれ)し
泣く母の肖顔(にがほ)つくりぬ
かなしくもあるか
燈影(ほかげ)なき室(しつ)に我あり
父と母
壁のなかより杖(つゑ)つきて出(い)づ
たはむれに母を背負(せお)ひて
そのあまり軽(かろ)きに泣きて
三歩あゆまず
私も小さい頃、啄木の短歌を母からよく聞かされたことを思い出した。母は啄木の短歌が好きで、彼の短歌を帳面や広告の裏に書いたりして教えてくれた。悲しい歌である。子どもながらに、胸を衝くものがあった。
夕食は、魚づくしで、まず、あじ、サンマの新鮮なつくりやカレイの唐揚げ、かつをのたたきなどを味わった。店を変えて、三陸海岸の魚介類直送の回転寿司に入った。ネタがよく、美味しくて十分堪能した。食後は、秋田駅構内の土産物売り場を見たり、本屋さんを回ったりした。生誕110年記念・復刻版の『人間啄木』、宮澤賢治来盛100記念出版の『賢治と盛岡』や、岩手弁の故郷の詩の朗読のCDなどを買った。CDは家に戻ってきいてみたが、素朴でこころあたたまるものであった。 その中に一つに、
「父からの手紙」
私は高校卒業後、1年間専門学校に行った。
その時、はじめて父から手紙をもらった。
仕送りのお金と一緒に入っていた。
私ははじめて親元を離れたから、
寂しくてしかたない頃だった。
「元気でやっているか、少しは慣れたか。
今ひと稼ぎして、家に入ったところだ。朝の6時だ。
裏山では、カッコウが鳴いている。
母ちゃんは朝食の支度をしている、今朝は大根汁みたいだ。
お前はバイトするって言ってたな。
無理しなくていいんだぞ、1年だけの学校だ。
一生懸命、学業に専念して、一人前になれ。
今日、学費と小遣いを入れてやるから、
足りないようなら、また連絡しなさい。
体だけは気をつけて、お前は風邪を引きやすいからな。
母ちゃんもそればかり気にかけているからな。
それと、母ちゃんが一緒に送ってくれって、
朝早く起きて、ワサクサって用意していたから、
それも一緒に送るから、じゃあな」
母がこさえたよもぎ餅と一緒に届いた手紙だった。
ふるさとの匂いがした。
読んでいるうちに、手紙の文字が見えなくなった。
今でも大事にとってある、茶色くなってしまった、
27年前の、父からの手紙。
は、じーんと来た。
IBEX便
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宮沢賢治記念館
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童話館 又三郎
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ファンタジック・ホール
宇宙の部屋
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岩鋳
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イーハトーブアベニュー 啄木新婚の家
9日(水)
東横イン(7:30発)……4号線(津軽街道)……大更……まっちゃん市場(8:45着・9:15発)・昼食用おこわ購入……八幡平アスピーテライン……源太岩展望台……見返り峠(10:15着)……八幡平山頂遊歩道……蒲沼・昼食……見返り峠発(12:15)……大深沢展望台……大沼湿原……アスピーテライン……341号線……田沢湖(15:40着)……乳頭温泉・鶴の湯(16:30着)・本陣四宿泊
この旅行の二日目の行程は、アスピーテライン・ドライブと八幡平山頂歩道トレッキングを楽しむコースで、この旅行のハイライトとなるコースである。最初に私が運転し、アスピーテライン近くの「松ちゃん市場」まで行った。市場の横にはイーハトーブ火山局があった。松ちゃん市場は、産地直売センターで、新鮮な野菜が中心の品揃えであった。とにかく、安いと思った。大きいトマトや中くらいのトマトが10個くらい入った一箱が300円。リンゴも5個くらい入って300円、ピーマン20個くらい入っている袋が100円。信じられない値段であった。昼食用に、赤飯と五平餅のようなものを買って出かけた。妻はリンゴや椎茸などを買って、そこから宅急便で自宅に送った。
松ちゃん市場近くの公園の展望台から見える岩手山は、なだらかで大きく、感動した。片側の斜面は植物が生えていず、赤富士を見ているような感じであった。少し雲がかかった風景はさながら版画を見ているような気がした。ここからは妻が運転した。アスピーテラインも往来する車はそう多くなく、快適であった。午前中は天気もよく爽快そのものであった。源太岩で車を止め、雄大な景色を楽しんだ。そこから、途中何度も車を止め、写真を撮った。撮りたいと思わせる景色であった。やがて、岩手と秋田の県境になる見返り峠というドライブウエイ頂上付近に到着し、頂上より少し下にある無料の駐車場に車を止めた。
少し曇ったりしていて、肌寒かった。登山用の防寒にもなるレインウエアを着て、山頂歩道へ向かった。見返り峠は風が強く、帽子が何度も吹き飛ばされた。半袖のポロシャツにウエアを重ね着ただけであったので、少し寒く感じた。長袖は車のカバンの中に持ってきていた。迷ったが妻の薦めもあり、車まで戻って長袖を着てくることにした。ここでアクシデントが起こった。私は寒いところで長い間、妻を待たせてはいけないと思い、走って有料の頂上駐車場より下にある無料駐車場まで向かった。一枚重ね着をした。妻も寒いのじゃないかと思い、私の余分の半袖を持って行こうと考えたが、サイズが違うし、妻は一応長袖を着た上でレイン上を重ねていたので大丈夫かと思い、タオルマフラーを取り出し持って行くことにした。走りながらもどり、途中少しでも早く着くようにと脇道から上がった。これがトラブルの原因となった。登りかけて途中で待ってくれていると思っていた場所に妻の姿はなかった。「そうか最近登るのが少し辛くなっている妻は、少しずつ登りながら私が追いつくのを待っているのか」と考え、走りながら登っていった。数分しても姿が見えないので、もう一度引き返し、ひょっとしてと思い、登り口の道路付近まで降りて見回した。でも姿を確認できなかった。このときの確認の不十分さがさらに事態を大きくした。後で分かったが、入り口付近の案内看板のあたりで妻は同じルートで私が戻ってくると考え待っていてくれたのだ。その看板の横まではきちんと確認していなかった。私は再度走って登っていった。避難小屋のある高台まで来た。岩手山などがパノラマミックに見えるところで景色は最高であるが、気が動転している。どこまで登ったのだろうかと不安といらだちでいっぱいであった。道がそこで二つに分かれている、一つは八幡平頂上へ、もう一つは湿原へであった。八幡平の頂上をめざすと登る前に話していたのでそちらに行ったのかなと思って、そちらの方を小走りで行った。しかし見あたらないのでもとに戻り、湿原の方に向かった。ここで冷静に考えればよかった。最近は私の方が脚力もあり、登るスピードは勝っている。その私が走りながら登って見あたらないことは下に居ると考えるのは当たり前のことであるが、その時は、動転していた。湿原のコースをまた小走りで進んでいった。湿原に出ても妻の姿がみえなかった。戻ることにした。途中出会った登りのハイカーに、女性一人で登っている姿を見かけませんでしたかと尋ねたりしながらハイキング入り口まで降りていこうとした。心の中では「何で別れたところで待っていないの」という気持ちでいっぱいであった。降りていく途中で、登ってくる妻に出くわした。私は、つい大きな声を出してしまった。逆に妻の怒りも爆発した。常識的なことを忘れている私が最大の原因であるのになにを大声だして怒るのだと。まず、同じルートで別れた地点まで戻らなかったこと、携帯に留守電やメールを打って連絡をしたが、私が携帯電話を車のカバンの中に入れっぱなしで連絡を受け取ることができなかったことなどである。山に登るには不慮の事故を考え携帯を身に付けるのは常識だということである。お互いの善意が、ボタンの掛け違いになり最悪の事態になった。言うまでもなく妻の怒りはしばらく収まらず、八幡沼湿原を歩いている間の30分ほどは、お互いイヤな思いであった。八幡平頂上(1613m)に着いて、ようやく許してくれ、がま沼あたりで赤飯の弁当を食べた。曇っては、晴れるという天候であったが、火山活動で生まれた広大で美しい湖沼の景色が妻の気持ちを和らげたのだろう。大地に感謝。松ちゃん市場で買っていた山葡萄のジュースはとっても酸っぱかった。リンドウの花があちこちに咲いていた。
それから見返り峠まで戻り、レストハウスで、八幡平の冊子を買った。ここから八幡平ビジターセンターまでは私が運転した。アスピーテラインをドライブしてみたかった。カーブが多い道であるが、秋が深まって紅葉するととてもキレイなのだろうと想像できた。ビジターセンター前の大沼湿原を周遊散策したが、頂上の湿原とは異なり、今ひとつ感動は覚えなかった。
ここで、運転を交代し、田沢湖まで妻が運転した。国道341号線に出て、玉川温泉を越え、宝仙湖、秋扇湖を経て、田沢湖畔に出た。旅を終えて、父から聞いたのだが、この玉川温泉は、源泉から噴出する98℃、毎分9000リットルもの熱湯は、PH1.2の強酸性であり、包丁を浸けておくと一晩で刃の部分がすべて溶けてしまうという凄まじさ酸性のお湯とか。父は2回行ったようである。やはり素晴らしいところにはリピーターが生まれる。私はこの区間、かなり睡魔に襲われそうになっていた。同乗者が居眠りしては運転している妻に悪いので、ガムを食べ、必死で居眠りそうなのをこらえた。この状態であったら、運転はできない。睡魔を何とかこらえ、田沢湖畔に着くと天候はますます雲っていた。湖畔でコーヒー休憩をした。眠気さましでもあった。
ここから、乳頭温泉、鶴の湯までは私が運転した。ずいぶん山の中に入っていった。田沢湖スキー場を周り、さらに山奥へ、カーブの連続、最後の道は地道であった。ほんとうにひなびたところに鶴の湯はあった。期待どおりの趣のあるところであった。「人里離れ、山懐に抱かれたひなびた一軒宿。「秘湯」と呼ばれるも、人の手が入らないと素朴さは雑にかわる。入りすぎれば郷愁を失う。幾百年の時を超え、湯守りの手により今に甦った癒しの湯宿」とモノクロのパンフレットにある。乳頭温泉郷最古の出湯といわれる「鶴の湯」は、伝承「鶴の湯由来記」によると寛永十五年(1638)5月に、秋田藩主、佐竹義隆公が、寛文一年(1661)には亀田岩城玄藩公も湯治にみえたと記されているそうである。当時は「田沢の湯」と呼ばれていたが、今から280年ほど前の宝永五年、傷ついた鶴が病いを癒しているのを見つけた土地の猟師、勘助が「鶴の湯」と名付けたのが始まりと伝えられている。
本陣四が、私たちが泊まる部屋であった。妻は部屋に入るなり、感激していた。地道から直接入り込むその部屋は、その昔、藩主の警護の士が詰めていたという茅葺きの長屋で、350年前のたたずまいがそのまま保存されていた。部屋には囲炉裏がきられ、深山の古い湯宿の趣を醸し出していた。その囲炉裏に炭が入れられ、そこでイワナが焼かれた。部屋の囲炉裏の上には石油ランプがつるされた。その灯りだけではやはり薄暗いので裸電球も設置されていた。本陣の部屋の戸口には鍵はない。夜寝るときにはつっかえ棒をするだけである。 何はともかく温泉だと風呂に行った。ススキが生える地道を進むと小橋があり、そこに湯治場を思わせる小屋のような建物、男女別に分かれている。黒湯、白湯、中湯、打たせ湯と4つの別々の温泉源からのお湯が掛け流しで流れており、それぞれ効能が異なる。湯船はこじんまりしている。もちろん、シャワーやシャンプーなどもない。すごく趣のある温泉である。白湯と黒湯を楽しみ外に出て脇にある混浴の露天風呂へ行く。男性の露天風呂はこれ1つである。気持ちがいい。まだ明るかったので、女性客は一人もいなかった。打たせ湯も楽しんだ。さすが、秘湯と言われるだけのことはある。何度も入ろうと思った。
6時から夕食だ。雨でも雪でも部屋までお膳を運ぶらしい。鶴の湯に着いてから、雨になっていた。降ったり止んだりの状況であった。名物は、山の芋鍋。独特の味で知られる地元産の「山の芋」と豊富な山菜を、当主が編み出した独自の味噌あじで仕立てた鍋料理。一口ほおばると、旬の山の味が口一杯に広がる逸品である。なんと言っても、目の前の炭火で焼いたイワナの塩焼きがで、とても美味しかった。山菜の料理にアルミホイルで包んだサラダが地元の野菜なのか、これまた、美味しいものであった。
何せ部屋にはテレビはない、電話はない、テーブルがあるだけである。しかしながら、トイレだけは水洗でウオッシュレットであった。宿の主人が、最近の人々のニーズに応えるものを見えないところに配していた。裸電球を消しランプだけの灯りにするとやはり薄暗かった。昔はこんな風だったのだと実感した。今は明るすぎる時代である。世の中が明るくなるのはいいのだけれど、こうした夜の暗さの意味をかみしめることが大切だと思う。夜が長く暗いから、朝が待ち遠しい。長い冬の後、春を待つ気持ちと同じである。何度もランプの灯りを写真に納めた。その柔らかな明るさを昔日の思い出を取り戻すかのように写真に納めておきたかった。
夕食後もう一度風呂に行った。誰もいない風情のある風呂場の写真を撮った。9時くらいになるとまた、雨が強くなった。もう一度風呂に入ろうと思っていたら、少し眠ってしまった。夜中2時に目が覚めて、誰も入ってないだろうから、入浴記念写真を撮りにいこうと一人カメラを持って露天風呂へ行った。すると、若いカップルが混浴露天風呂で入浴している記念写真を撮っていた。同じことを考える人がいるものだと思った。直ぐあとから初老の男性も来られた。その方に写真を撮ってもらった。一人で来ておられ、秘湯巡りと山登りを趣味にしておられる方であった。明日は乳頭山に登るとこのことであった。明日の天気が気になる。鶴の湯は山奥、テレビがない。新聞も朝刊だけが別棟の集合室に置いてあっただけだ。その人は、東京の方で、定年を過ぎ、今は自由にしているとのこと、この鶴の湯のリピーターでもあった。こちらの天気予報を自宅に電話をかけ確認しているらしい。その方との話は旅のいい思い出になった。たしかに深山に抱かれ、川のせせらぎを聴きながら湯に浸かり、眠り、大自然のなかに過ごす鶴の湯の一日は、俗塵を忘れる天与の悦びであると思った。
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岩手山
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アスピーテライン
源太岩
八幡平遊歩道より岩手山を望む
見返り峠駐車場望む
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湿原 八幡沼
がま沼
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田沢湖
鶴の湯 正面
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本陣
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イワナの塩焼き 山芋汁
夕食
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本陣 夜 ランプの室内
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混浴露天風呂
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白湯
黒湯
受付
10日(木)
早朝散策・鶴の湯峡……鶴の湯(8:30発)……田沢湖……たつこ茶屋……たつこ像……角館(10:20着・12:20発)(散策・昼食)……県道46号線……国道13号線……道の駅てんのう国道7号・101号線……なまはげライン……男鹿水族館GAO(15:40着・16:10発)……入道崎(16:30着・16:55発)夕日……男鹿萬盛閣(17:15着)……なまはげ神楽鑑賞……秋田三味線ミニコンサート
翌朝、6時にまた露天風呂に行った。今度は中年夫婦とギャルが3人混浴露天風呂に入っていた。びっくりした。こちらは遠慮がちに端の方に浸かった。女性の露天風呂も空いているはずだからそちらに入っていればいいのにと思った。でも、彼らも旅の思い出作りをしているのかもしれない。 朝食は本陣六・七の部屋に用意されていた。一号館、二号館、三号館はそれぞれ広間で食べるようだ。鶴の湯には茅葺きではない離れ本陣があり、そのうえに新本陣、東本陣などの本陣と名の付く棟があった。新本陣、東本陣の方が少し近代的で茅葺きの昔の面影を残す本陣より宿泊費が高い。宿泊費が少し安い1・2・3号館は湯治宿の趣であった。どちらにしても、本陣は9800円(一泊二食)でリーズナブルな料金であると思った。
朝食に出されたイワナの甘露煮が美味しかった。朝食後支払いを済ませ、鶴の湯峡まで往復30分ほどの散策に出かけた。鶴の湯峡には吊り橋が架かっていた。紅葉の頃は、目が奪われるような美しさになるのだろうと思った。戻る途中、栃の実を拾った。栃の実拾いをするのは初めてのことだった。天津甘栗より小粒の実が入っていた。温泉に戻り、鶴の湯茶屋でコーヒーを飲んでから出発した。
この頃から、雨がぽつりぽつりと降り出していた。田沢湖、角館へ向かう行程は、妻が運転した。15分もすると、雨がかなり降ってきた。と思えば止んだりした。田沢湖近くになると、雨が激しくなった。湖畔の道路を走っていたが、雨が強く田沢湖を観ても意味がなかった。昨日、田沢湖畔を歩いてよかったと思った。有名な「たつこ像」だけは観ておこうとそちらへ向かった。やや小降りになり、たつこ像を観たが、金箔で何かそぐわない感じがした。どんよりとした湖の色、灰色の空に金色の像、何か不釣り合いな気が私にはした。
そこから、角館までは30分ほどであった。公営の駐車場に車を止めて、散策に出かけた。雨も上がり喜んでいたが、青柳家を拝観しているときにまた、雨が降りだした。激しく降ったかと思うと小降りになり、やがて陽が出てくる。するとまた、急に激しい雨になる。本当に変な天候であった。前日まで祭りで、この日は休んでいる店が多かった。昨晩遅くまであった祭りだが、雨で大変だったと思う。角館の祭りは山車がぶつかり合うもので3日間続けられる。必ず一日は雨が降るそうである。ここ角館は桜の皮を使った樺細工が有名である。ただ全面桜の皮が蒔かれていると、何か少し重く感じた。伝統品は何か重苦しく思えた。アート&クラフト香月という店を見つけ、そこに入ると現代風に桜の樹皮をうまく使っていた。コースターを2枚買った。佐藤養助の稲庭うどんが有名と聞いていたので、そこでお土産に稲庭うどんを買った。雨が降って、散策も辛くなった。昼食をとりたいが、ほとんどの店が休業でやっと一軒見つけ、そこで食事をした。もちろん稲庭うどんである。
食後、男鹿半島に向かった。前日、宿の人から農道を通れば2時間で行くが一般道を使うと3時間はかかると聞いていた。ナビの案内の最短距離で行くことにした。ここからは私が船川街道沿いにある道の駅「てんのう」まで運転することにした。農道も一部通った。農道といっても、国道と変わらないくらいの広さで、国道でも県道でもない、それでいて交通量が少ないこんな道をどうして造って、農道と呼ぶのだろうか不思議に思った。秋田市内を通り抜け、1時間少しで道の駅に着いた。
ここで運転を妻と交代した。海岸線の写真を撮りたいと思ったのも理由の一つである。しかしながら、ナビは海岸線ルートを選ばず、山中を通るなまはげラインを選択し、時間的に早く着くルートを指示した。なまはげラインはまっすぐの部分が多く、車の往来も少なかった。やがて、戸賀にでて、水族館のGAOに着いた。日本海の波はやや高かった。水族館は、最初に入ったところに巨大水槽があり、観る者を驚かせた。秋田の海は寒くなるとハタハタが取れる。芭蕉が、太平洋側の松島は優しい海だが日本海は荒海、怒りの海と表現した。この怒りの海の代表的な魚がハタハタである。
水族館を出て、入道崎灯台をめざした。ここは夕陽で有名なスポットである。目の前は草原で広々とした岬。ここは北緯40度が通る場所で、それに沿って石のモニュメントが並んでいた。この高台の草原は崖の上にあった。海辺に近づくと一歩先は崖が連なっていた。夕陽が小一時間で沈む頃で、雲間から陽が差すと、海に光の街道ができた。キラキラと輝く光の道である。やがて陽が沈む方向を観ている者に示してくれている。海からの風が強く、岸壁に映画タイタニック号のまねをして両手を広げて海に飛ぶカッコウをしている女性観光客が私の直ぐ横にいた。私も思わず真似てみた。確かに気持ちよかった。
そこから、男鹿温泉の今夜の宿に向かった。網元の宿で、宿舎自体はキレイではないが、食事がどんと出てくるのが持ち味の旅館であった。確かに秋田丸ごとで、きりたんぽ鍋比内地鶏入り、男鹿産紅ズワイガニ一杯、稲庭うどん、いぶりがっこ、じゅんさい、とんぶり(畑のキャビアといわれている)、刺身五点盛り、採れたてのカレイの焼き魚、キスの唐揚げ、男鹿の梨が夕食メニュー、これに石焼き料理を別途頼んでいた。石焼き料理とは、この地方独特の調理法で、桶の中の味噌汁に魚などの具材を入れ、その中に炭火で真っ赤に焼いた火山岩を放り込んで、その熱で調理をするというものである。都合3つの焼き石が放り込まれた。桶の中の味噌汁がジュンジュラとわき上がる。野性的な料理であった。二人前5300円であるが、ショーとしても楽しめた。味は魚の出汁がよく出て美味しいものであった。夕食に出されたズワイガニは、冷凍のカニにしては身がしっかり詰まっており、美味しかった。
夕食後、旅館近くの五風という会館へ、なまはげふれあい太鼓ライブを聴きに行った。男鹿市観光誘致のため、地域の若者が頑張ってやっているもので、無料であるためか、満員盛況であった。30分ほどの太鼓演奏は大いに盛り上がった。活動資金寄付のためまんじゅうやCD等が販売されていた。私はCDを買った。 そのあと、そのまま、旅館の前の福の屋に行き、秋田三味線のミニライブを楽しんだ。ワンショット1000円の飲み物代を払うと、ライブが聴ける趣向であった。店の主人である演奏者の説明によると、津軽三味線は強くバチを打つが、秋田三味線は抑えて柔らかく弾くのがポイントということだった。とても趣のあるものであった。
宿舎に戻り、もう一度温泉に入り、10分100円の機械のマッサージをしてから床についた。
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鶴の湯峡 吊り橋
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たつこ像
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角館祭のあと
佐藤養助 稲庭うどん販売
男鹿半島入り口
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男鹿水族館
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入道崎灯台
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夕食 石焼き料理
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なまはげ神楽太鼓 秋田三味線
11日
男鹿萬盛閣(8:20発)……八望台……男鹿真山伝承館(9:15着)・なまはげ体験学習……真山神社……なまはげ館(10:50発)……寒風山展望台(11:15着・11:40発)……秋田市民市場(12:46着)……千秋公園……秋田市民市場(15:15発)……秋田空港(16:00着)……IBEX(17:30発予定)突如欠航・JAL2178便代替変更(18:15発)……伊丹(19:35着)……空港バス(20:10発)……京都駅)20:57着)……奈良線(20:09発)……自宅
旅の最後の日である。時間的には余裕があるので、8時半頃ゆっくりと出発した。まず、八望台に向い、入道崎、戸賀浦などを展望台から見下ろした。爆発的な噴火でできた火口に水がたまってできた湖の一の目潟、二の目潟が見えた。広々としたところで、気持ちがよかった。いちめんにコスモスが咲いているところがあった。団体客もやってきたので、次の目的地、男鹿真山なまはげ伝承館へ向かった。ここでのなまはげ体験は実におもしろいものであった。
なまはげとは、秋田が誇る雪国の民俗行事である。行事は男鹿半島において、12月31日の夜か1月15日の夜に行われている。村の若者らが仮面仮装のスタイルで、鬼のようななまはげ面を被り、藁(わら)製のケラミノやケダシ、脛布(はばき)を着けて、素足に藁沓(わらぐつ)を履き、手に木製の出刃包丁を携えてこつぜんとやって来る。
このなまはげ行事は、年の折目としての年越の晩に神が訪れ人々に祝福を与えるという形をとっている。この場合のなまはげ自体は、年に一度やって来る一種の歳神(年神)なのである。 なまはげの語源については、かなり真実性のある解釈がなされている。囲炉裏(いろり)にあったてばかりいる、怠け者の手足にできた火型を火斑(ナモミ)といい、そのナモミを剥いて懲らしめ、真面目な人間にしてやるという意味で、ナモミ剥ぎがなまって「なまはげ」になったという。
しかしなまはげは、こうした怠け者を懲らしめるという意味だけではとらえられないものがある。なまはげの装束であるケデから落ちた藁くずは無病息災の護符ともされてきた。つまりなまはげが神聖なものであるという信仰がそこに強く現れているとみれる。こうした深い信仰に支えられたなまはげは、昭和53年には国の重要無形民俗文化財に指定されている。
なまはげは家に入る時、一勢にウォーウォーと奇声をあげてやってくる。昔は土足のまま廊下から座敷へ直接入ってきた。その際に戸を激しく叩いたり、畳を強く踏んだりする。ケダシをガサガサと音をたてて手にした出刃包丁を振り回して歩き回った。家の主人はひたすら謝り、機嫌をとり、丁重にもてなす。主人はなまはげの唱え文句に対しひたすら否定する。そうするとなまはげは一年中神社の大木のウド(穴)の中にいるから、もしそのような子供や初嫁がいたら手を三回叩いてくれ、そうするとすぐやって来ると答える。来年もまた来るという言葉を残してなまはげは去っていく。 (秋田県の広報http://www.pref.akita.jp/fpd/bunka/namahage.htmを参照)
真山のなまはげは、古い伝統としきたりを厳粛に受け継いでいる。伝承館ではこの真山のナマハゲ習俗を体験し理解してもらう為に学習講座を開設している。
「主人となまはげのやりとり」
先立:お晩です。ナマハゲ来たす。
先立・主人:お目出度うございます。
主人:寒びどご良ぐ来てけだすな。
先立:山から来るに容易でねがったす。
ナマハゲ:ウオー、(玄関で7回シコを踏む)泣ぐ子いねが。怠け者いねが。言うごど聞がね子どら(子供等)いねが。親の面倒み悪りい嫁いねが。ウオー(家中探しまわる)
主人:ナマハゲさん、まんず座って酒っこ飲んでくなんしえ(下さい)。
(ナマハゲ、お膳に着く前に5回シコを踏んで座る)
主人・ナマハゲ:お目出度うございます。
主人:なんと、深け雪の中、容易でねがったすべ。今年も来てけで(くれて)えがったすな。
ナマハゲ:親父、今年の作なんとであった。
主人:お陰でいい作であったすでば。
ナマハゲ:んだか(そうか)。まだいい作なるよう拝んでいくがらな。子どら皆まじめ(真面目)に勉強してるが。
主人:おらい(私の家)の子どら、まじめで、親の言うごどよぐ聞ぐいい子だがら。
ナマハゲ:どらどら、本当だが。ナマハゲの帳面見てみるが。何々テレビばり(ばかり)見で何も勉強さねし、手伝いもさねて書であるど。親父、子どら言うごど聞がねがったら、手っコ三つただげ。へば(そうすれば)いづでも山がら降りで来るがらな。どれもうひとげり(一回)探してみるが。(ナマハゲお膳を離れる前に3回シコを踏む)。ウオー、ウオー。(又家中まわる)
主人:ナマハゲさん、まんず、この餅こで御免してくなんしえ(下さい)。
ナマハゲ:親父、子どらのしづけ(躾)がりっと(ちゃんと)して、え(家)の者皆まめ(健康)でれよ。来年まだくるがらな。
京都は、神社仏閣が多く、どこでも形のある文化を観ることができる。岩手、秋田はやはり自然の厳しさやうつくしさを観るところである。そのうえに、地域に根付く無形の文化がある。この伝承の文化は人間の生き方を表している。なまはげの行事は、地域を支え合う絆として、生きるモラルを共有するものである。ウオーという奇声を発しながらやってくる姿は、冬の雪嵐がゴーゴーと吹き荒れる様子を思い浮かばせる。京都に発達した繊細な文化でなく、荒削りで分かりやすく、それでいて人間的な文化に感動を覚えた。隣接するなまはげ館で、なまはげ変身衣装を身に付けて写真を撮ってもらった。楽しい思い出となった。
次に寒風山展望台へ向かった、草原にある展望台からは八郎潟を一望できる、半島の北側の海と南側の海を望むことができる。白神山地も眺望できる。何とも言えない広々とした気持ちになった。模型グライダーの飛行操縦を楽しんでいる人がいて、とても楽しそうであった。いよいよ男鹿半島ともお別れである。
ここからは妻の運転で、秋田市街の秋田市民市場に向かった。国道7号線は4車線で、交通量が少なく、快調な走りに思わずスピードの出し過ぎという状況があった。市場に着くと12時46分であった。市場内の回転寿司で最後の昼食を食べた。金沢の近江市場のように市場内の新鮮な魚を扱っているが、初日の回転寿司のネタの方が美味しいものであった。食後、ハタハタ、ホタテ、甘エビ、サザエなどを買い、宅急便で送ってもらった。
その後、秋田駅付近を回って、千秋公園を散策した。あるドキュメント番組に出ていた場所で、その番組を教材で使っているので実際にこの目で見ておきたかった。少し疲れたので駅前で途中休憩し、その後私の運転で空港に向かった。旅の締めくくりの運転であった。
4時くらいに空港に着き、搭乗までには十分な余裕があった。返車の前にガソリンを満タン給油すると32リットル。このヴィッツの燃費リッター20キロで計算すると、およそ640キロほどの旅であった。お土産などを買い手荷物が多くなったので、1つ預けようとカウンターに行けば、5:30発予定のIBEXのジェット機の機体の整備の都合で欠航になるかもしれないとのこと。唖然としたが、どうしようもない。4時30分に最終判断されるとのこと、もしダメな場合はJALの6:15の便に代替するとのことであった。予想どおり欠航になった。遅くなるので空港で早い目の夕食をとって、JAL機に乗った。JALも会社運営が危機的状況といわれている。経営者のトップは常に責任を持つもの、大変な時代である。
無事大阪空港に着き、リムジンバスで京都駅、奈良線で自宅に戻った。9時15分であった。楽しい旅行であった。
八望台
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伝承館
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なまはげ体験
なまはげ館 変身コーナー 変身中
寒風山展望台より
八郎潟
秋田市場
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美山 かやぶきの里
帰省していた娘を連れて、美山へドライブ。山裾にかやぶきの家がかたまってあった。
のどかな一日であった。
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美山 かやぶきの里 赤ポスト
秋桜にかやぶきの家
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ユリが屋根に自生している
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資料館の古民家の屋根裏
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家の庭で農作業 木工作家の作品
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赤ポストの郵便物を取りに来ました
交差点の反射板に映るかやぶきの家
かやぶきの里パノラマ
夏の終わりーー盆踊り
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旅は人生、人生は旅……終の住処
老いを知る旅の浜辺に残と書き
炎天にペダルこぐ影少年の夢
夏と秋稲香に涼風行き交えり
びわ湖周遊サイクリング
自転車 Trek 7300クロスバイク
行程記録(trip record)
8月24日(月) 8月25日(火) トータル
走行時間(Elapsed Time) 7:11'26 4:02'50 11:14'16
走行距離(Trip Distance) km 131.49 78.06 209.55
平均速度(Average Speed) km/h 18.2 19.0 18.6
最高速度(Maximum Speed) km/h 52.6 48.0 52.6
8月24日
自宅 6:01 …近江大橋 6:55 …烏丸半島 7:30 …琵琶湖大橋東詰 7:55 …長命寺参道前 8:45 小休止 8:57 発…彦根かんぽの宿 10:43 小休止 11:00 発…長浜城 11:40 …長浜黒壁スクエア 12:03 食事(長浜ラーメン) 12:35発… 賤ヶ岳トンネル 14:03 …岩熊第二トンネル 14:20 …マキノ 16:00 …ヴィラ山水(泊 )
8月25日
ヴィラ山水 6:00 …高島水鳥観察センター 6:32 …安曇川 6:58 …白鬚神社 7:28 …ローソン 朝食 7:45 8:03 発…JR志賀駅 8:36 …琵琶湖大橋 道の駅 9:23 9:53 発…JR比叡山坂本駅 10:29 …JR大津京駅 10:46 …小関越え 11:01… 自宅 11:48
予定どおり8月24・25日に琵琶湖一周サイクリングに出かけ完走した。全行程、ほぼ210km、一日半のサイクリングであった。
14年前のこと
思い起こせば、息子が小学校6年生の夏休み、中学生へのマイルストーンと考え、二人で琵琶湖一周自転車旅行に出かけた。今から14年前のことである。あの時は、自宅から浜大津、そこから湖西湖岸道路161号線を通って琵琶湖大橋へ出た。琵琶湖大橋を渡り、湖東を北上した。暑い一日で、何度もペットボトルの2リットルの水を買って飲んだことを覚えている。妻が作ったおにぎりの弁当をわりと早く食べたように思う。このサイクリングで一番怖かったルートは、賤ヶ岳を越え、二つ目のトンネルの奥琵琶トンネルである。自歩道は幅が狭く、トンネル内は暗い。背後からトラックがビュンビュン通り抜ける。トラックのライトでホワイト現象になり、先が見えなくなる。何度も幅の狭い自転車道から脱輪しそうになった。トンネルを出て、あまりの緊張感に息子も私も喉がからからで、ペットボトルいっぱいの水を飲み干すほどであった。当初、テントを張って野宿するつもりだったが、疲れていたので、マキノで、飛び込みで泊めてくれる宿をさがした。2軒目で見つかった。「まつなみ荘」だった。結構な宿泊代だったが、夕食がいっぱいあったような気がする。子どもとの自転車旅なので。次の日も早く出て、湖西を走った。あの時は、国道や県道を頼りに走った。生活道路が分からなかったからだ。国道・県道を走る方が短い距離なのだろうが、車の往来が激しく、よく無事に帰れたものだ。湖西道路を南下して、琵琶湖大橋に出て再度、大橋を渡った。そこから湖西を南下し近江大橋を渡り、浜大津まで北上し逢坂山、五条を越えて自宅に戻った。びわ湖を8の字で周遊しようと考えたからだ。かんかん照りの天気であったが、自宅に戻るなり夕立ですごい雨になったことを今でも覚えている。この旅行では安全のため、私がいつも先に走り息子があとについてくるようにしたが、ある坂のところで安全を確認した上、「先に行ってもいいよ」と言ったら、みるみる先に上っていった。小学校6年生の方が、脚力があった。「抜かれた」と、あのときは思った。くやしかったけど、「息子が成長したんだな」と、しみじみ思ったことを今でも覚えている。
自宅から彦根
さて、14年経って、今回は一人で、滋賀県が発行している「びわ湖周遊サイクリングマップ」のルートをもとに周遊することにした。いつものように馬町から花山トンネルを越え、追分から逢坂山を越えて近江大橋に出た。さざなみ街道をひたすら北上した。近江八幡の白鳥川を越え、長命寺から休暇村を通るコースを選んだので、アップダウン、カーブが多くなった。ふたたび25号線と出会うところに、コンビニ(ファミマ)があり水分補給とパン一つを食べた。そこからは自歩道のない生活道路を北上したのだが、問題は北風であった。すこぶる晴天であったが、風が強かった。常に向かい風で自転車が思うよう進まない。秋の風で涼しいのはいいのだけど、その風に賤ヶ岳までずっと悩まされた。17km/hくらいしかスピードが出ない。頑張ると相当疲れるので、中くらいのギアにして進んだ。
長浜から木之本
長浜城に11時40分に着いた。昼食をとるため黒壁スクエアへ向かった。長浜ラーメンの店を見つけ、ご当地ラーメンを食べた。豚骨のあっさり味のスープだった。長浜を出て、またさざなみ街道を北上、途中、山本山を回り込むように東に向かってから北上した。そのままのコースを行けば、片山トンネルを越える。このトンネルは自歩道が狭く山側を走れとマップに書いてあった。14年前のトラウマからそのルートを避けた。
木之本からびわ湖北湖
木之本に出て、いよいよ賤ヶ岳など山に入っていく。サイクリングマップは交通量の多い8号線をできるだけ避けるルートを考えているので、旧道を通って、旧の賤ヶ岳トンネルを越えた。暗いトンネルだったが、ほとんど車が通らない山越えのルートで安心して走れた。飯浦に出た。そこから部分的に8号線を走ったが、すぐに左折して藤ヶ崎の湖岸線を走った。こちらも車の往来は少ない。距離は長くなるが安全で、藤ヶ崎トンネルを越えずに済んだ。しかしながら、風は一層強くなった。北湖ではウインドサーフィンを楽しんでいる人がいた。風が強いのですごいスピードで湖上を駆け抜けていた。
塩津浜から岩熊第二トンネル
さらに北上して、塩津浜のところもサイクリングマップは細かな生活道路を走るように指示してあった。注意しないと、どこで曲がるのかわからないほどであった。やがて、岩熊第二トンネルに出た。このトンネルは二本あり、東から抜けるルートは一車線分が自歩道になっているので安心してトンネルを抜けられる。また、トンネル内もナトリウム灯が明るいので安心して通過することができた。
岩熊第二トンネルからマキノ
このトンネルを越え一気に下ると、道路工事しており、永原がどこかわかりにくかった。地図を見て確認していると、同じように周遊している学生に出会った。彼に尋ねるとHPからとった同じ地図を持っていた。二人で確認し直進すればいいことが分かった。先に出て、道路標識にサイクリングルートと書いてあるのを見つけ、途中で右折した。出会った学生も私についてきた。途中からは併走した。やがて、このルートは山に登るばかりでおかしいと思い、たまたま自宅に戻ってきた地元のおじさんに道を尋ねた。やはり右折が間違っていた。黒山の所まで来ていた。そのままいけば、一番通りたくなかった奥琵琶トンネルを越える寸前であった。戻って、海津大崎へ出るルートを走った。海津大崎のルートは気持ちの良い道であった。湖水はきれいだし、車の往来も少なかった。二人併走してマキノへ向かった。途中、休憩してソフトクリームを二人で食した。理科系の4回生で、大学院へ行くとのことであった。彼は茨木在住でそこから前日おばあさんが暮らしている近江八幡で一泊し、豊里小学校を見学したあと周遊しているとのことだった。気さくな性格で楽しい旅の連れであった。マキノビーチに到着し、そこで彼とは別れた。彼は琵琶湖大橋までは頑張るとのこと、そこでもう一泊して茨木に戻るとのことであった。私は130km走破していたので、早く宿を見つけ休むことにした。
第一日目終了 ヴィラ山水 泊
ヴィラ山水という宿が空いていて泊まることができた。素泊まり6300円である。東横イン並みである。土日すべて詰まっていて、月曜は一組しか予約がなかったらしい。そこへ飛び込みで私が入った。夕食は1000円の定食を食べた。十分量はあった。ただ6時までに食べて欲しいとのことで、夕食はいつもよりかなり早い時間であった。明日の行程を適当に確認し、9時には寝た。
第二日目 マキノから白鬚神社
途中何度も目が覚めた。早く寝たのでもう朝だろうという気持ちだったのだろう。5時20分に起床し、荷物を整理、5時50分出発することにした。出たところ、朝日が昇るところだったので、写真を数枚撮り、結局6時発になった。「まつなみ荘」も見つけた。懐かしい思いがした。湖岸の生活道路を南下し、途中、しんあさひ風車村などを通った。ほぼまっすぐの道で車の往来も少ないので車道を走った。朝食を食べたいとコンビニを探したが全くなかった。白鬚神社にでた。「近江の厳島」とも呼ばれるように、湖の中に朱色の鳥居がある。白鬚神社あたりは161号線で、車の往来は多かった。ここだけは避けるルートがない。
白鬚神社から琵琶湖大橋道の駅
白鬚神社を出るとすぐにコンビニを見つけ、おにぎり2コ朝ご飯にした。水も補給した。しばらくして北小松水泳場など生活道路を走った。近江舞子など松林はきれいであった。このあたりからびわ湖レイクサイド自転車道がありそのルートを使った。くねくねしているところもあったが、安心して走れた。このあたりから肩が凝り出し、そう重くないリュックが苦痛になってきた。歯まで痛み出した。何とかびわ湖大橋までたどり着いた。ジュース休憩とした。9時23分、快調であった。このままいけば当初の予定より早く昼までに自宅に着くと思った。
琵琶湖大橋道の駅から自宅
ここからは先回の準備コースのとおり、ひたすら走った。難関の小関越えを通過し、びわ湖疎水横の散歩道を通って、安祥寺を越え、下って三条通りに出た。最後の山越えをし、東大路に、そこから泉涌寺道まで南下、自宅に戻った。11時49分であった。
肩が凝って、歯痛がするなど、帰宅したときの状況は良くなかったが、14年前に行ったときよりスムーズに回った。しかしながら、あのときの自転車のことを考えると息子はかなりがんばっていたんだなと改めて思った。シャワーを浴び、肩こりをとるためアリナミンを飲み、歯痛をとるためバッファリンを飲んだ。14年過ぎると身体はこうなるのだ。でも、自分で自分を褒めてやりたい。決めたことをひとりでやり通したことに。教え子が、「パンクに気をつけや」と言ってくれていたが、幸いパンクもしなかった。
過ぎてしまえば、あっという間のことである。この歳になると、過ぎゆくものが、通常の3倍以上の速さで過ぎてゆく気がする。日々の時間が、昔の3倍速く過ぎてゆく。松尾芭蕉が、奥の細道で「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」と言っている。「人生は旅」、その旅のスピードも歳を重ねると速くなるようだ。一日、一日を大切にしたいと一層思った。そして、さらにいろんなことに挑戦してみたいと思った。いつか、人生を終えるときに「ああ、生きていて良かった」と思えるように。
このサイクリング旅行記は今、中国で仕事をしている息子にも送りたいと思う。
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朝日の近江大橋 烏丸半島
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さざなみ街道 穀倉地帯
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伊吹山 長浜城
黒壁スクエア
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旧賤ヶ岳トンネル 北湖
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ウインドサーフィン 岩熊第二トンネル
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海津大崎にて 途中一緒になった学生
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ヴィラ山水 夕食弁当1000円
出発時のマキノビーチ
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風車村 白鬚神社鳥居
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レークサイド自転車道
琵琶湖大橋 道の駅
大文字


家の近くの悲田院から
びわ湖一周準備
近江八幡―南琵琶湖周遊サイクリング
行程
自宅(7:16発)……馬町(渋谷通り)……花山トンネル(東山越え)……国道一号線……音羽より35号線……追分……逢坂山越え(7:54)……近江大橋(8:13着)……さざなみ街道……道の駅草津28.06km(8:50着)休憩……近江八幡白鳥川(9:54)……近江八幡よしロード……クラブハリエ52.37km(10:06着)……八幡山山頂ロープウエー……セブンイレブン(水調達・11:41発)……さざなみ街道……琵琶湖大橋……びわこ大橋米プラザ道の駅休憩・走行距離72.36km(13:03着休憩・昼食13:46発)……浮御堂……天神川衣川よりJR線沿い生活道路……比叡山坂本駅(14:27着)大津京駅(14:46)……浜大津(15:03)……小関越え……琵琶湖疎水散策路……三条大橋(15:54着休憩16:05発)……鴨川沿い……自宅(16:15着)
自転車 Trek 7300 クロスバイク
行程記録(trip record)
走行時間(Elapsed Time) 5:24:10
走行距離(Trip Distance) 112.19km
平均速度(Average Speed) 20.7km
最高速度(Maximum Speed) 112.19km
24・25日に琵琶湖一周サイクリングに出かけるつもりである。今回、時間設定や体力確認の最終準備のために南琵琶湖を再度回ることにした。琵琶湖大橋から浜大津までの新ルート確認もその目的の一つとした。本番より1時間遅い7:16に自宅を出た。本番はより涼しい6:00に出発のつもりである。湖東をまわり、マキノビーチまで初日に走破する計画である。途中で疲れても休憩を入れ、何とか湖西にまわっておきたいと考えている。民宿にはその日飛び込みで入るつもりだ。どこまで行けるか分からないので。
さて、コースはこれまでどおり、自宅から馬町の渋谷街道を上って、東山トンネル沿いの自転車・人用のトンネルを越え、山科に出る。1号線をしばらく走り、35号線に抜け、追分から逢坂山の峠を越える。1号線をそのまま大津へ進み、朝日が丘東で左折、中央4の交差点で右折、そのまま、まっすぐ進み義仲寺を越えしばらくして18号線に出て近江大橋へ向かった。このルートも新しく考えた。以前のコースより戻るロスがなく、走りやすいルートであった。
湖岸に出ると、湖西の山は霞がかかっているようであった。橋を渡りきり料金所の手前で左折しと、さざなみ街道へと出た。このあたりは十分慣れたコースである いつものように、安全のために車道横の自転車歩行者用の道を走った。が、自転車道はときどきでこぼこになっていてスムーズではなかったので、途中で車道を走った。やがて「道の駅草津」に到着しトイレ休憩した。店は時間が早く開いていなかった。
「道の駅草津」を出て、北上を続けると琵琶湖大橋が見えた。気温がどんどん上がってとても暑く感じた。そのまま、一時間走り続けると近江八幡市街に出る交差点白鳥川にでた。川自体の水は農業用水・堀のようで名前ほどきれいなものではない。しばらくしてクラブハリエにつき、その駐輪場に自転車をおいて八幡山山頂へロープウエーで行くことにした。往復800円は多少高い。この山頂に豊臣秀次の八幡城があった。山城でよくこんな所に城を建てたものだと思う。資材を運ぶのが大変であっただろう。しかしながら、その分、見下ろせるので景色はよい。北の丸跡・西の丸跡からはびわ湖や穀倉地帯がよく見えた。30分弱ほどして、下に降りた。クラブハリエでバームクーヘンを一個買った。生のバームクーヘンは35分間待たないと焼けないということだったのであきらめた。
それから、水を調達するためにコンビニを探した。駅近くにセブンイレブンを見つけ2リットルの水を買う。水筒に780ミリリットル入れ、残りをがぶ飲みした。全部は飲みきれなかった。おなかが水でいっぱいになった。残った冷水を頭からかぶればよかったと帰宅してから思った。ここから帰路に向かった。
暑くなってきたので、焼けるとは思いながらも、日除けアームガードを脱いだ。往路と同じように一時間少しかかって、琵琶湖大橋の道の駅に着いた。昼ご飯にカツカレーうどんを注文した。800円と少し高かった。少し休憩をして、帰りの新ルートを確認した。
いつもは161号線をひたすら南下したが、交通量も多いので、浮御堂を通って、天神川に出ると161号線を越えJR湖西線の高架下の道を走ることにした。狭い生活道路であるが車の往来は少ないので、安全に走れた。また高架下は日陰になっていた。この道をひたすら西大津まで南下した。西大津は現在、大津京駅となっていた。
それから浜大津に出て、因縁の小関越えに向かった。今回は、峠を自転車で登り切るつもりでいた。途中からギアを一番楽なシフトにしたが、それでもつらい。蒸気機関車が坂道を必死に登るように、呼吸が荒く短く、ハア、ハア、ハアと蒸気があえぐように出る感じであった。峠まであと少しのところで一段急勾配になる。「絶対に下車しない、負けないぞ、もうすぐだ」と、自分に言い聞かせる。峠に着いた。「やった!」と思った、そのまま下りだが、脚が棒のよう、ここからはスピードが出る。カーブが続いていて、スピードを出すと危ないので、加減しながら下った。そのまま下って、琵琶湖疎水の散策路に出て、安祥寺まで向かう。地道なのでがたがた。スピードは出せないが、周りの木で日陰になっている。
その後、三条通に出て、京都市内に向かって、峠を上っていった。一気に峠を越え、そのまま下った。ここでは一気にスピードを上げた。メータをあとで見れば、瞬間的に110kmも出ていたのか。恐ろしい。でも疲れた。三条大橋に出た。妻がパートで勤めている喫茶店へ三井寺の力持ちを差し入れに持って行った。水を何杯ももらった。かき氷を少しくれた。でも疲れで食べられなかった。少し休憩し、川端通りを南下し自宅へ向かった。
自宅に戻ると16時15分、走行時間は5時間24分。とにかく疲れた。すぐに自転車を洗って整備した。正月に同じ近江八幡へ行ったときよりは疲れが残っていなかった。訓練の賜物だ。 シャワーを浴びてゆっくりした。疲れたが、気持ちは爽快であった。自分の体力への信頼、自転車で移動するときの風を切る気持ち、草の匂い、青空に入道雲。自分の気持ちが若くなっていくようだった。この気持ちは他のことでは得られないものだ。
近江大橋パノラマ
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草津道の駅 近江八幡
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八幡山より
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ひまわりと自転車 夏らしい写真になった
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今夏は大荒れの天気ばかり、雨が続く中、立秋も過ぎました。
昨晩、宇治川で花火大会がありました。趣味の写真を撮りに行きました。
ものすごい人出でした。
香山リカのことばに、
出会いは求めるものではなく、
気づくもの。そして、
そのために必要なのは、
出会い以外の何かを
求める集中力やエネルギーです。
とあります。
花火のような「エネルギー、魅力、未練のなさ」を持ちたいと思った。
何万と出会う人に気づかれる自分というのは、そういう魅力を自分に持つことだろう。
夏のひとときをお届けします。





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木津川・奈良自転車道・平城宮跡・唐招提寺サイクリング
行程 8月7日(金)
自宅(7:03発)……鳥羽街道(本町通り)……鴨川自転車道……桂川合流・京川橋……八幡背割公園……木津川自転車道……流れ橋・上津谷橋18.58km(7:54着)……山城大橋25.29km(8:23着)……泉大橋・サイクリングロード終着点(8:57着40.0km)……国道24号線………754号線……梅ヶ谷左折……県道44号線奈良加茂線……奈保町……奈良西の京斑鳩自転車道……仁徳天皇皇后陵水上池……平城宮遺構展示館46.41km(9:50着10:05発)……大極殿跡……奈良西の京斑鳩自転車道……唐招提寺(10:28着11:13発)……食事王将(11:28着11:47発)……奈良西の京斑鳩自転車道……佐紀町……751号線右端姫街道……西木津……木津川自転車道……山城大橋(12:47着)……流れ橋・上津谷橋70.58km(13:12着13:20発)……八幡背割公園……大阪街道……丹波橋……国道24号線……稲荷……伏見街道……自宅(14:30着)
自転車 Trek 7300 クロスバイク
行程記録(trip record)
走行時間(Elapsed Time) 4:40:03
走行距離(Trip Distance) 96.59km
平均速度(Average Speed) 19.7km
最高速度(Maximum Speed) 46.3km
今夏、琵琶湖自転車一周をやってみたいと思っている。14年ほど前、息子が小学6年生の時に二人で1日半かけて琵琶湖を自転車で一周した。マウンテンバイクもどきのような自転車であのときはがんばった。今回は長距離には向かないクロスバイクなのだが、前の自転車に比べればかなり違う。8月下旬になれば一人で挑戦するつもりである。今日はその訓練として、100km近くを走るため奈良唐招提寺まで頑張ってみようと考えた。
いつものように、本町通りを南下し鳥羽街道で右折し鴨川の自転車道に向かう。鴨川自転車道をひたすら南下、桂川・木津川サイクリングロードに合流し一気に八幡の背割公園へ、ここで木津川と合流。御幸橋を渡って木津川サイクリングロードに出る。流れ橋まで50分。8時23分、赤いアーチがかわいらしい山城大橋に出た。そのまま終着点まで向かう。ここらあたりまでは元気で、平均時速は22kmを越えていた。 終着の泉大橋を右折し、国道24号線を走り、途中奈良公園へ出る県道754線へ左折、しばらく登りの道、梅ヶ谷で右折、44号線を走る。登りが続いた。
コスモ石油の横に奈良自転車道の始まりがあった。坂を登ると下りがつづいた。あまり手入れは行き届いていない。しばらくすると水上池に出た。途中がまの穂を見つけた。そのまま進んで、平城宮の遺構展示館に出た。平城宮跡の見学をし、水分補給。水筒の水も補充した。今は草むらの平城宮、夏は暑かっただろうと思う。びっくりすることに、大極殿跡からは若草山や東大寺の屋根が見える。天平の頃の人もこうして東大寺を眺めていたことだろう。近鉄電車が平城宮跡を突き抜け、線路の向こうに復元された朱雀門が立っている。緑色の秋篠川に出て川沿いに自転車道を南下する。途中大通りと遭遇し長い信号に待たされる。
やがて唐招提寺に着いた。金堂はまだ修復中で見ることはできなかった。蓮の花が名残のようにいくつか残っていた。境内は意外と大きく感じた。唐招提寺は天平宝字三年(759)、唐の高僧鑑真大和上によって創設された。鑑真大和上は聖武天皇の願いに応えて来朝した。井上靖の『天平の甍』を思い出した。五度の失敗にも屈することなく、来日して我が国に戒律を伝えた。こうして生きた人もいるのだと思った。
昼食をとろうと三条大路に出て、王将があったのでそこで昼にした。サービスランチの量が多かった。ラーメンのそばは食べきれなかった。水を4杯くらい飲んだ。元気をつけて、黙々と帰路につくことにした。 平城宮跡を抜け、歌姫街道に出て西木津まで進んでそこから、木津川自転車道に出た。
昼間の木津川自転車道、夏草の匂いのする蒸し暑い空気を切り裂くように進む。「生きている」というか、自分の身体を信じて頑張るのみだ。やがてサドルのおしりが痛くなり出す。幾度も位置を変えながら自転車をこぐが、やはり往路とは異なる。伸び上がって立ったりして、何とか踏ん張った。
背割りから旧国道一号大阪街道に出て、途中でスポーツドリンクを道路沿いの自販機で買って飲んだ。あの冷たさは格別であった。家に帰ったらビールを飲もうと残りの行程を必死に頑張った。2時半に自宅に戻った。7時間半ほどの自転車での遠出。まずは自転車を洗浄し、書斎に格納してから、すぐにシャワーを浴びて、上半身裸でビールを飲んだ。うまいのかうまくないのか分からないほど一気に飲んだ。冷たいなとしか感じなかった。身体が疲れ切っているのかな。
60歳を2年後に今、できるだけ多くのことにチャレンジしたい。自分の身体が動く限り、限界を求めるように頑張ってみたい。やがて、身体が思うようには動かないときが来る。それまでは、自分の感性を磨くように、思いっきり身体で何かを感じるようにしていたい。それが「生きている」ってことだと思う。 サイクリングのあとは充実感がある。自分を誇らしく思える。他に人には分からないことだが、自分を自分で誇らしく思えることが、充実した仕事ができることだと思う。
流れ橋パノラマ
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木津川自転車道 自転車道マップ
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奈良自転車道 ひまわり がまの穂
平城宮 パノラマ 若草山方面望む
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東大寺・2月堂が平城宮跡から見える

唐招提寺

唐招提寺 講堂
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日食(三日月) 7月22日 大阪 (学生写す)
夢
夢のある人には希望がある。
希望のある人には目標がある。
目標のある人には計画がある。
計画のある人には行動がある。
行動のある人には実績がある。
実績のある人には反省がある。
反省のある人には進歩がある。
進歩のある人には夢がある。
読み人知らずの上記の言葉は、
場合によって、
「ある」が「ない」に置き換えられて表現されているときがある
夢のない人には希望がない。
希望のない人には目標がない。
目標のない人には計画がない。
計画のない人には行動がない。
行動のない人には実績がない。
実績のない人には反省がない。
反省のない人には進歩がない。
進歩のない人には夢がない。
今の世の中、「格差社会」と言われている。
「経済的な格差」を念頭に置いた言葉であるが、
格差社会は経済的な格差だけを指すのでなく、
今の若者に見られる「希望格差」も指している。
夢と希望であふれている人もいれば、
夢も希望も持てない人達がいる。
夢や希望は、「心の有り様」で、
言い換えれば、それは「生きる意欲」でもある。
入学して様々なことで、
「こんなはずじゃなかった」
「成績が伸びない・どん底だ」
「友達とうまくゆかない」 と、
「やる気」をなくし、「意欲」を失ってしまっていたら、
今こそ、学生生活最大のピンチ!
学生生活を軌道に乗せるために、
この夏休み、しっかり考え、充電してください。
「ぶらぶらする」「アルバイト一直線」というような
「だめ押し」で押し流されることのないように
夢と希望のある日々を。
伏見稲荷本宮祭
7月20日(日)、伏見稲荷に行灯400点や無数の提灯に灯りがともされ、夏の始まりを告げていた。
暗闇の中の赤い提灯は遠い昔の幻想的な想いを再現してくれているようであった。
今年は梅雨が明けきらない夏を迎えた。
奥の院への千本鳥居
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出展行灯 一部
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永遠のグー・チョキ・パー
工藤 直子
カニはジャンケンポンが好きである
なんたって「チョキ」なのである
うちよせる波が パーと ひろがれば
なにを! とばかり チョキチョキ
波は まいったと 引きさがるのである
夕日が ほいきたと
まんまるなグーを出せば
カニは やっぱり チョキばかりで負け
なんだかじつに ざんねんなのである
いまにみてな と 赤い夕日にむかって
いつまでも チョキチョキ 手をふるのである
しかし ごらん 綿雲あらわれ
大きなパーで 夕日をつつみこむ
そしてその綿雲をチョキチョキするのは
ほら ぼくだ
カニは元気に 浜辺をヨコにはしり
チョキの手を いとしく思うのである
ひろびろの波の ザザブンと
おおきな夕日の キンキラと 柔らかい綿雲の フカフカと
幾千万のカニのチョキチョキ
地球のうえの 永遠のグー・チョキ・パー
村上春樹氏の『1Q84』は発売同時に超ベストセラーになった。
あさのあつこ、恩田陸、加納朋子、北村薫、豊島ミホ、はやみねかおる、ら、
いま旬な作家・作品を厳選した短編小説アンソロジー『きみが見つける物語』 に
村上春樹の「沈黙」があり、その中に次のことばがある。
人は勝つこともあるし、
負けることもあります。
でもその深みを理解できていれば、
人はたとえ負けたとしても、 傷つきはしません。
人はあらゆるものに 勝つわけにはいかないんです。
人はいつか必ず負けます。
大事なのはその深みを 理解することなのです。
海辺のカニもそうなのだろう。
負けることの深い意味をわかっているのだろう。
元気に浜辺を横に走り、 打ち付ける波にザブンと
ひっくり返りそうになりながら、
その波を乗り越えて手を振っている姿には感動を覚える。
前期も残りわずかである。
すべてに勝つことはできないけど、
めげずにチョキチョキと手を振って荒波に打ち勝って欲しいと思う。
嵐山・嵯峨野・鳥居本・保津峡サイクリング
行程 自宅(8:30発)……本町通り……五条……桂川五条……桂川自転車道……嵐山……嵯峨野めぐり(野宮神社・落柿舎・二尊院・鳥居本・平野屋)……六丁峠……落合橋……トロッコ保津峡駅……落合橋……六丁峠……鳥居本……化野念仏……三条千本……四条堀川……祇園祭鉾……自宅(13:00着)
自転車 Trek 7300 クロスバイク
行程記録(trip record)
走行時間(Elapsed Time) 2:27:58
走行距離(Trip Distance) 33.74km
平均速度(Average Speed) 13.6km
最高速度(Maximum Speed) 45.5km
今日は間違って川沿いの岩道を歩いたり、祇園祭の鉾建を見るのにゆっくりまわったので平均時速がやけに遅くなった。
コースとしては本町通りを五条まで北上し、左折西へ桂川に出るまで走る。桂川の橋を渡りきって左に桂川自転車道へ入る道がある。そこからは前方に愛宕山を見ながら北上する。しばらくすると自転車道の嵐山終点に出る。渡月橋を渡り美空ひばり座を越え、野宮神社へ向かう道で左折、竹橋の中を越えていく。落柿舎の前を通り過ぎる。落柿舎は、芭蕉十哲の一人として名高い向井去来の閑居跡である。庭にあった40本の柿の実が一夜のうちにほとんど落ちつくしたのが名前の由来だそうだ。二尊院の前を越え、化野念仏寺の前を越え、つたや、平野屋に至る。この鳥居本を左折し六丁峠に向かう。森林浴サイクリングと思いきやすぐに厳しい勾配となるヘアピンカーブが続く。何とか峠までは乗り切ろうと思ったが、やはり少し手前で降りてしまった。残念。峠を越えるとこれまたかなりきつい下り坂、ここをまた戻るのかと思いながらスピードを上げ降下。落合橋に出るとすぐに保津峡。少し進んでいくとトロッコ保津峡駅に着いた。
昔懐かしい場所だ。学生の頃クラブで飯ごう炊さんのハイキングにきたものだ。今は静かなところ。鮎釣り客とハイカーが楽しむ場所。JR山陰線の保津峡駅からトロッコ保津峡駅を越え落合橋から左折して清滝へ抜けるハイキングを楽しんでいるようである。保津川下りの船が通った。
しばらく懐かしい思いを楽しんでから元に戻った。六丁峠まで絶対に自転車から降りないという強い決意で臨んだ。頑張った甲斐あって登り切った。多少自信が生まれた。ここから鳥居本まで急坂を一気に、そして化野念仏寺前で自転車を止め、念仏寺拝観をした。夜のロウソクの灯りのときはいっぱいなのだろう。
しばらく拝観してから、四条に向かうべく自転車を走らせた。祇園祭の鉾建をやっているので、その写真を撮りに行きたかった。 四条堀川から東に向かうと月鉾が櫓を組んでいた。車輪はまだ。少し進んで左手に菊水鉾。これはほとんど仕上がっていた。車輪に菊水鉾と象嵌のような文字、車軸には菊の御紋。胴掛けの絨毯も美しい。龍の絵柄が基調である。 函谷鉾も鉾建が完了していた。ここはヨーロッパのお城に気球が飛んでいる図柄。本番は掛け替えるのかな。長刀鉾も完成していた。
京都はこれから一気に夏モードだ。
嵐山渡月橋
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鳥居本のつたや
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同じく平野屋
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保津川 落合橋から清滝川・・保津川に合流
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保津川トロッコ駅 保津川下り
橋の上から上流を眺める
六丁峠から望遠で見るトロッコ保津川駅
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化野 念仏寺
祇園祭り

月鉾 菊水鉾



菊水鉾
函谷鉾 胴掛け

長刀鉾
紫陽花の 色奏包む 雨の音

かなしみ
谷川俊太郎
あの青い空の
波の音が聞こえるあたりに
なにかとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい
透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった
先日、妻の叔父が亡くなった。
数年前から病床に伏せっておられたが、
頑張り通し、九十歳を以て人生を終えられた。
越前海岸に小さな民宿を営んでおられた。
我が子が小さい頃、 毎年、夏になると家族でお世話になった。
海水浴場がある小さな浜のところまで、
いつもトラックの荷台に乗り込み送り迎えをしてもらった。
朝から夕方まで、透き通ったきれいな海で遊んだ。
脚ひれとシュノーケルをつけ岩場付近の海の中を泳いでまわり、
本当に飽きもせず不思議の世界を見るかのように眺め続けていた。
子ども達も「もうちょっと!」と海から上がろうとはしなかった。
真っ赤に焼けた背中、
家族で「蚊!」とふざけて肩をたたき合ってわいわい言いながら、
新鮮な刺身がいっぱいの夕食を楽しんだ。
夕食後は花火をしたりして潮風の夏を想い出に刻んだ。
ある時は、朝早く起きて、魚釣りをしたこともあった。
帰る日にはいつも、山高いかき氷を作っていただいた。
子ども達と本当に楽しい人生のひとときを過ごした。
叔父さんの優しい笑顔がいつも私の心にある。
最後のお別れに何十年ぶりかで叔父さんの家を訪ねた。
安らかな叔父さんはおじいさんになっておられた。
感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
海を見ているとすっと一句生まれた、
「大往生 日本海を カモメ翔ぶ」
越前高佐の海
長岡京八条池・光明寺・善峰寺サイクリング
走行距離:40.79km
走行時間:2:18:17
平均時速:17.7km
今回は自転車の鍵を境内で落とすという不注意なことがあった。妻にも迷惑をかけた。
羽束橋から長岡京、そして光明寺、善峯寺をまわることとしていた。
善峯寺への参道は、かなり勾配のきつい坂であった。
クロスバイクのギアがもう少し小さく数が多くある方が登りやすいのだろうなと思った。
本当に山の中に寺はあった。
長岡京の八条池の蓮が咲き始め、アマチュアカメラマンがたくさんいた。
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長岡京八条池の蓮
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善峯寺山門
幸福地蔵とあじさい苑
這うようにして伸びる松
世界遺産 国宝 姫路城
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姫路城を久しぶりに訪ねた。
秋から壁の修理があるとか、いけるときにいっておこうと考えた。
昭和の大修理があったとは言え、昔のままの内部が残る城である。
木造建築物としては非常に大きいものである。
日 記
工藤直子
ゆうがたの海は
太陽の日記帳です
雲や風と 出会ったことや
カ二やカモメと 遊んだことを
光の文字で 海に書きます
海にうかぶ ちいさな島々は
あれは 句読点です
書きおとしはないかと
太陽は もういちど海を照らし
ぱたりと「今日」のぺージを閉じます
今日の一日、 どんな日であったろうか。
最近、毎日がとっても早く過ぎると感じている人と、
なんだか思うようでなかったり、
やる気が起こらなくなったりして、
一日がとっても長いと感じている人もいることだろう。
学生になった君にとって、
大学は誰のためにあるのか。
高校教育を終え、
就職していれば賃金を得ている年齢である君が、
高い授業料を払い、大学で何を学ぼうとしているのか。
皆に着実な英語力をつけようと、
出欠が厳しく、進度が速く、宿題・課題を山のように出す、
本学の教育プログラムがどれほど意欲的なものであろうと、
それらが君にとってどのような意味を持つのか、
君の中で明確にされていない限り、
本学の勉強の中で、君自身が疎外されてしまい、
自分を見失った学生になってしまうことだろう。
「自分探し」というやや受け身的な発想に留まるのでなく、
「自分づくり」をめざし、積極的に自分を構築していくことが大切だ。
大学は自分のためにあるという強い気持ちが、
卒業時の君に、 将来の可能性を切り拓いてくれる原動力になる。
自分の意識の周りに 何十倍もの無意識がある。
無意識は君の精神安定に必要な防壁であるかも知れないが、
君を孤立・隔離させる鉄条網にもなる。
そうならないように、常に意識を活性化させておくことだ。
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東福寺本殿天井画
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悲田院より京都市内を
高雄トレック&サイクリング コース
自宅(7:45)…七条大橋(鴨川遊歩道)…丸太町通り…花園・双ヶ丘…162号線・周山街道…宇多野…梅ヶ畑…高雄小学校・中学校…御経坂峠(8:40)…高雄バス停(8:45)…高山寺…神護寺(9:21着―10:06発)…東海道自然歩道…鳴滝…試峠…清滝道…嵯峨野二尊院…嵐山…自転車道路…葛野八条…西大路九条…九条通…自宅(11:50)
自転車:Trek 7300 クロスバイク
行程記録(trip record)
走行時間(Elapsed Time) 2:24:59
走行距離(Trip Distance) 40.6km
平均速度(Average Speed) 16.8km
最高速度(Maximum Speed) 48.4km
6月14日、前日は雨の天気予報が実際は曇り、今日の朝は曇りだが昼から晴れそう、今回は丸太町通りを西進し、花園から周山街道に出て、峠を越えて高雄をめざすこととした。丸太町までは鴨川遊歩道、そして丸太町通りを西へまっしぐら、日曜の朝なのか、丸太町通りは車の量が少なかった。
JR花園駅を越え、双ヶ丘で右折し周山街道に合流。福王子交差点からしばらくするとゆっくりとした登り、梅ヶ畑を越え高雄病院、平岡八幡宮へ来ると里山に入った感じがした。御経坂峠に来るとここからは一気に下り、スピードもぐんぐん、対向車に気をつけてほおどほどに。すぐに高山寺バス停に出た。高山寺へ向かい境内の見学。20人くらいの中学の修学旅行生が来ていた。石水亭の「鳥獣戯画(複製)」は見ないで神護寺に向かった。
神護寺までは5分ほど。自転車を止め、長い階段を上って神護寺を見学することとした。金堂の本尊は国宝で薬師如来。今請け負っている仕事がうまくいきますようにとしっかり祈った。カワラケ投げのする所があり、そこからは谷が一望できた。
神護寺の拝観が終わると、清滝ハイキング路を走る。途中からダートの道、マウンテンバイクではないので、パンクしてはいけないので自転車を押して歩い。ハイキング道であるので、本来は歩かなければならない。ただし、今日はハイカーには一人会っただけであった。石橋を渡るとでこぼこ坂道、岩を乗り越えで、自転車を清滝川に落とさないよう押してずっと歩いた。時には担いだりしながらも、清滝川沿いに歩くので気持ちはよかった。やがて月輪寺へ行く路と合流、ここからは自転車に乗って愛宕神社表参道入り口まで下る。そこから登り、清滝トンネルを通らず試峠を越えることとした。これはきつい坂であった。途中ダウン。恥ずかしながら自転車を押して峠まで歩く。サイクリストにはみせられない。やがて峠を越えると後は下り坂、ビュンビュンスピードが出る。清涼寺あたりで右折し、嵯峨野界隈を通って嵐山渡月橋を越え、自転車道へ出た。後は南下するだけ。五条で橋を渡って、そのまま自転車道を通り、葛野八条へそこからは市内の路を走り、西大路九条へそこから東進、東寺前を通り、東大路へ泉涌寺道で左折、自宅に到着した。11時50分着
見学の時間や写真撮影に時間を使ったので、走行時間の割に時間がかかった。実はスイングパノラマで撮影できる新しいカメラを買ったので、是非それを使ってみたかった。サイズは一眼レフの小型、重量は軽い。90枚くらいは撮った。 また次回、撮影を楽しみに。
高山寺バス停
高山寺表参道
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清滝川
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神護寺硯石 神護寺山門
神護寺山門仁王
カワラケ投げ
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清滝川石橋
木津川・津田・藤阪サイクリング
行程
自宅(7:45発)……伏見稲荷(本町通り)……鴨川自転車道……桂川合流・京川橋……八幡背割公園……木津川自転車道……流れ橋・上津谷橋(8:40着)……山城大橋(9:00着)……国道307号線(七夕伝説巡りコース)……府道17号線……津田(10:00着)……府道736号線……洞ヶ峠……国道一号線……木津川自転車道……羽束師橋……桃山……師団街道・本町通り……自宅(11:30着)
自転車 Trek 7300 クロスバイク
行程記録(trip record)
走行時間(Elapsed Time) 3:10:46
走行距離(Trip Distance) 65.33km
平均速度(Average Speed) 20.5km
最高速度(Maximum Speed) 48.5km
ここんところ、仕事が詰まっていて、追われていた。やや睡眠不足で多少ストレスがたまっていた。なんとか、サイクリングに出かけたいと思っていた。土曜日、天候は曇り、ときどき通り雨があるとの予報であったが、思い切って出かけた。
いつものように、本町通りを南下し伏見稲荷参道で右折し鴨川の自転車道に向かう。鴨川自転車道をひたすら南下、桂川・木津川サイクリングロードに合流し一気に八幡の背割公園へ、ここで木津川と合流。御幸橋を渡って木津川サイクリングロードに出る。今回は、ショートタイツに夏用のサイクリング・ウエアと万全を期していたが、馬鹿なことに手袋を忘れてきてしまった。気づいたときは鴨川自転車道をひたすら南下中、どうしようもなかった。出発する前にちゃんと用意して机の上に置いておいたのに、忘れてしまった。最近、忘れることが多くなった。また、物忘れもすぐにしてしまう。これからが多少心配だ。アルツハイマーになって家族に迷惑はかけたくないものだ。
流れ橋まで50分少し、だんだん早くなっている。何度も来ているのでペースがつかめるようになってきたのか。9時00分、赤いアーチがかわいらしい山城大橋に出た。ここで右折し国道307号線を西に向かう。 甘南備山までほとんどが登りであった。一気に峠まで上り、後は下り道、そのまま津田へ出た。交野久御山線で、左折すれば交野に出る。峠から雨が降り出していたので右折し藤阪、長尾と向かうことにした。
途中左折し洞ヶ峠へ向かった。国道一号線に出るとさすがに車の通行は多い。ただ、4車線なので、一番左を走っていれば比較的安全であった。 やがて、木津川に出た。そのまま直進しようかと迷ったが、久しぶりであったので膝に痛みがあり、無理できないので、自転車道を戻ることにした。いい判断であった。途中からかなりスピードダウンしてしまったので。 羽束師橋付近で右折し大手筋へと向かった。
丹波橋あたりに出て師団街道を北上、鳥羽街道で本町通りに出て自宅に戻った。11:30着。4時間ほどのサイクリング、実質走行時間は3時間。やや疲れた。自転車を洗って自室に格納。ストレス解消にはなった。
雨の日
高田 敏子
雨がふって 傘をさして 歩いている
おとなは さびしそう
ひとりひとりが 雨に区切られて
ひとりぼっちの さびしさを
傘の下に歩かせている
雨がふって 傘をさして 歩いている
子どもは たのしそう
雨に区切られた 一人の世界に
ほこらしく 胸を張っている
早く早く おとなになりたい子ども
雨の冷たさが身にしみるおとな
雨の日
傘の下で 私の思ったこと
子どもの頃、雨降りの日には雨降りなりの楽しみがあった。
長靴を履いて、 道路のあちこちにできた水たまりに飛び込んでみた。
しぶきが跳ね上がり、 水たまりの中、雨水は足の中には入ってこない。
それだけでうれしくも楽しくもあった。
差している傘を叩く雨音はピアノの音楽のようにも聞こえた。
大人になって、 何か気持ちに余裕がなくなって、
夢みること、信じることが少なくなって、
雨を疎ましく思うことが多くなった。
余裕を持つことって、本当に大切だ。
今年のゴールデン・ウィーク、
車で帰省した多くの人は、
高速道路代の千円効果で
予想以上の、いや予想通りの渋滞に出くわした…
目的地に早く着いて、 ゆっくりしたかったというのに、
目的地にゆっくり着いて、
ちょっとしか時間が残らなかったようだ。
目先のことにとらわれず、
気がふさぐような雨降りには赤い傘でも差して、
歌でも歌ってみよう。
人生はゆっくりでもいい。
本当に大切なものを 知ることができたら、
それでいい。
ああ、ゆっくり生きたいなぁ。
ぼくは ぼく
からす えいぞう(工藤直子)
ときどき ぼくは
ほんのすこし
いろつきの はねが ほしいな と
おもったりする
ほんのすこし
いいこえで うたえたらな と
おもったりする
でも これが
ぼくだ と
とんでいく
花の成長を見たいと思うのなら、
しばらく目を離すことが必要だ。
自分のことだって、同じだ。
毎日じーっと見ていると、 変化や成長はわからない。
キャンパス・ライフも一ヶ月ほど過ぎて、
周りの人のすごさに圧倒されたり、
授業の進度が速かったり、
日々出される課題の多さにびっくりしたりして
ちょっと気が滅入って、
やっていけるだろうか、
ちっとも成長していないのではないだろうか、
あの人みたいにできればいいのに、
自分にもっと力があればいいのにと、
他人のことをうらやましく思うこともあるのではないだろうか。
しかしながら、 自分は自分。
じーっと見ていても、
自分の成長はわからない。
ただ、 あなたのやる気で充実した光のあたる場所において、
あなたなりの努力や学びの水や栄養をやることで、
きっと、花は育つ。
うまくいかないことからも 人は学んで成長する。
自分の中にある力を信じて これから先、
しっかりやっていこう、
自分のペースを大切に。
ぐるっと北山・杉の森 サイクリング
コース
自宅(7:55)…七条大橋(鴨川遊歩道)…出町柳…加茂街道61号線…京都産業大学グラウンド(8:32)…市の瀬(8:53)…出合橋…持越峠口…持越峠(9:15)…杉坂都町…湧き水…京見峠…京見峠茶屋(9:53)…光悦茶屋…紫竹西通り…北山通り…加茂街道…出町柳……七条大橋…自宅(10:50)
自転車:Trek 7300 クロスバイク
行程記録(trip record)
走行時間(Elapsed Time) 2:25:20
走行距離(Trip Distance) 44.06km
平均速度(Average Speed) 18.1km
最高速度(Maximum Speed) 43.5km
5月9日、久しぶりの晴れ、今回は北山の峠越えの練習をと考え、持越峠を選んだ。出町柳から御園橋までは加茂川遊歩道を走ったが、そこからは加茂街道に出てまっすぐひたすら北上した。柊野あたりからゆっくりとした上り坂が続く。市原へ向かう車線との分かれ道で進路を左に取り、大岩、砂ヶ瀬、おおまがりとずっと上り坂が続く、市の瀬集落に出てすぐに出合橋に着く。ここを左にさらに登っていくと、左手に山の小・中学校、雲ヶ畑小学校・中学校が見える、山の中の川沿いにあり、運動場も狭い。やがて岩屋不動と峠への道に分かれる持越峠口に着く。むかし、ギターマンドリンクラブの合宿をこの岩屋不動でやっていたときがあって、そのときはバイクで現地志明院へ行って付き添ったのだが、本当に山の中であったことを思い出した。
ここからが難所の峠である。斜度は13%、しかしながら一部分にそれ越す曲がりくねった坂道があった。これを登ることができれば脱初級らしいのだが、残念ながら中級にはなれなかった。急な坂のUターンの2箇所で足がぱんぱんになり、押して歩かざるを得なかった。くやしい。
峠を越えると一気に下り坂、ビュンビュンとスピードが出る。峠を越えたときの下りの心地よさは何とも言えない。何かやり遂げた褒美のようなものだ。上りがあれば必ず下りもあるという人生を考えさせる道である。西陣杉坂線を京見峠をめざして進む。杉坂都町から緩やかではあるがまた上りがずっと続いた。途中湧き水スポットがあり車でたくさんの水をくみ来ている人もいた。水筒一杯分だけをくんだ。たしかに、ミネラルウオーター以上においしい。力水を得て、再び坂道をのぼる。
やがて、山の家はせがわに出ると、京見峠であった、そのまま過ぎてしまった。有名な京見峠茶屋に寄った。土日しか開かない店だが、到着時間が10時前と早すぎて準備中、営業は11:30ころからであった。手打ちそばを出しているらしい。店の中はおくどさんがあり、とても趣があった。残念ではあるが、 店の写真だけを撮ってすぐに降りることにした。ここには麓のしょうざん光悦村から登ってくる自転車が続々とやってきた。下る方には、道幅が細い長い下り坂、対抗の車も通る。カーブが多く視界が悪いのでスピードは控えめにしなければならなかった。しかしながら、あっという間に下り、光悦茶屋に出た。
ここで左手に紫竹西通りへ進み、南進し北山通りに出る。また左折し加茂川に出るまで東進した。加茂川に出て右折しまっすぐ南進し出町に出ると川端通りへそのまま七条へそして自宅に向かった。
自宅到着は10:50。休憩込みで3時間、走行時間としては2時間25分。いい運動であったが、あの持越峠で2回下車したことが、無念である。まだ、初級を脱することができない。
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加茂街道 山の藤
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市ノ瀬 出合橋より加茂川源流
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雲ヶ畑小・中学校
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持越峠ゆるやかなところ 峠から雲ヶ畑を見る
杉坂都町からまたゆるやかな上りが続く
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京見峠 氷室へ分かれる道 峠の下り坂
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京見峠茶屋
おくどさん
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茶屋の正面の杉林・北山杉
下り坂道幅せまい緑のトンネル
出町柳
山辺の道 ハイキング
妻と娘(長女)の3人で連休の日曜日、山辺の道を歩いた 。27,730歩ーーー万歩計で測った自宅から山辺の道、そして自宅までの総歩数である。
連休中なのか、細い街道には江戸時代の東海道のように、ハイキングではあるが行き来する人が多かった。
JR奈良線・桜井線を使って10時8分に桜井着。桜井の商店街を通って水道局、三輪川に出て、金屋の石仏と歩いていった。石仏の前は美術館で造形作品を展示していた。
勢いよく歩いていると、すぐに大神神社に着いた。お参りを済ませ、そうめんで有名な森正へ行った。冷やしそうめん900円、にゅうめん800円であった。そうめんを作る際に残るふしというくずそうめんが一袋250円だったので、一つ買い求めた。おつゆなどにゆがかずにそのまま入れられるので便利だ。が、先の街道筋の無人販売ではおなじものが100円で売っていた。少しショック。
山辺の道の檜原神社近くに展望台があり、畝傍山や耳成山がかわいらしく見えた。遠くに葛城山・信貴山、生駒なども見えた。
景行天皇陵を越えると1時過ぎくらい。そのあたりで昼食とした。のどかな風景が目に拡がり、おにぎりはこよなくおいしかった、しばらくの休憩の後また歩き出した。青垣トレイルセンターがあった。途中、ソフトアイスクリームを買った。道々、食べるソフトアイスクリームの味は格別だ。
長柄駅に向かう計画を当初は考えていたが、意外に早く歩き、そう疲れていないと思ったので、予定を変更し天理まで踏破することにした
しかしながら竹ノ内環濠集落あたりに来るとだんだんと脚がだるくなって疲れてきた。夜都伎神社越え、しばらくして、山辺の道からはずれ石上神宮に向かわず直接天理駅をめざした。
天理に着くと、京都行きの近鉄急行の発車一分前、うまく乗れた。おかげで電車に乗るとすぐにうたた寝を3人共がした。疲れた。
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金屋の石仏 造形美術館のオブジェ
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レタス畑
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平等寺
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森正 にゅうめん
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展望台から並ぶ小山が畝傍山、耳成山
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道々には花が、レンゲの花も
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ミカンの花
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山辺の道
木津川・南山城・宇治抹茶街道サイクリング
自宅(7:37発)……伏見稲荷(本町通り)……鴨川自転車道……桂川合流・京川橋……八幡背割公園(8:14着)……木津川自転車道……流れ橋・上津谷橋(8:36着)……山城大橋(8:59着)……国道307号線(宇治・南山城抹茶街道)……宇治田原(9:26着)……天瀬ダム(9:40着)……宇治公園(9:50着・休憩茶団子)……京都宇治線7号……中書島観月橋……24号線……桃山(八百屋立ち寄り)……師団街道・本町通り……自宅(11:30着)
自転車 Trek 7300 クロスバイク
行程記録(trip record)
走行時間(Elapsed Time) 2:58:14
走行距離(Trip Distance) 58.99km
平均速度(Average Speed) 19.8km
最高速度(Maximum Speed) 46.9km
連休に入った。温かくなったので、サイクリングに出かけたいと待ち望んでいた。長岡方面・交野方面など迷ったが、南山城から新緑の天瀬・宇治に行くことにした。 いつものように、本町通りを南下し伏見稲荷参道で右折し鴨川の自転車道に向かう。鴨川自転車道をひたすら南下、桂川・木津川サイクリングロードに合流し一気に八幡の背割公園へ、背割公園に着いてトイレ休憩。ここで木津川と合流。御幸橋を渡って木津川サイクリングロードに出る。快晴の天気に、冬用のサイクリング・ウエアーではかなり汗ばんできた。ウエアー内はサウナ状況。これからは夏用のショートパンツと薄手のウエアーが必需品と実感した。すれ違うサイクリストは、皆、薄着であった。恥ずかしいが、10月末にクロスバイクを買って、その後必要に駆られて買った冬用のウエアーしか持っていなかったので仕方がない。
やがて、前方に流れ橋が見えてきた。何度も来ているので一気に通り過ぎる。8時59分、赤いアーチがかわいらしい山城大橋に出た。ここで橋を渡ってそのまま宇治田原へ向かう。道路幅がややせまく、それでもダンプカーなどが走っているので、注意しながら、登り坂でもできる限り出せるフルスピードで走った。 一気に峠まで上り、後は下り道、途中宇治茶の直売露天が並んでいた。そのまま大津南郷宇治線に出て左折し、天ヶ瀬ダムへ向かった。下り道でスピードが出る。カーブが多く車の往来があるので、ほどほどのスピードで宇治へ向かった。途中、藤の花があちこちにブドウの房のような花をたわわに咲かせていた。 あっという間に宇治公園に着いた。
出かけてから2時間少しで着いた。思っていたよりかなり早く着いた。夏も近づく八十八夜、初摘みのお茶の看板を出しているところもあった。宇治橋の京阪宇治線のたもとの駿河屋で茶団子と抹茶の水無月を買い、京都宇治線をひた走って観月橋に出た。
当初、近鉄桃山のガード下でチャーシュー鉢いっぱいの「大中ラーメン」を昼食にと予定していたが、10:50でまだ準備中(11:30開店)、それに昼食には時間が早すぎるので、大手筋の八百屋に寄って賀茂なすやエンドウ豆、タケノコを買って、自宅で昼食を食べることにした。バックパックは急に重くなった。
師団街道を北上、鳥羽街道で本町通りに出て自宅に戻った。11:30着。何と3時間ほどのサイクリング、軽い運動であった。昼食後、すぐに京都駅の方へ出かけてATMでお金を少しおろし、夏用のサイクリング・ウエアーを買った。多少の値引きで、ウエアーはジッパーなしのTシャツタイプで一番安いものを選び、ショートパンツを合わせ上下(Goldwin)で1万5千円であった。次回が楽しみである。
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八幡より木津川下流 山城大橋
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天ヶ瀬ダム上流ダム湖
宇治鵜飼い船
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宇治十帖
三上山(近江富士)ハイキング
昔の同僚と年に一度の同窓会で近江富士ハイキングに出かけた。9時半野洲駅集合、そこから歩いて、三上山登山口へ向かった。登りは比較的楽な裏登山道のコースを取った。樹木林の中、涼しさを感じながら頂上をめざした。10時10分くらいから登りだし、途中何度か休憩をした。日頃の仕事の忙しさから体力に自信のない状況が昔の同僚には伺えた。共に働いていたときは、とても元気のいい、体力も充実していると思っていたが、あれから6年の歳を重ねた。昔のようには身体は動かないものだ。 400mくらいの低山であるが、この年齢には十分なのかな。
頂上には11時30分くらいに着いた。この日は非常にいい天候で眼下に滋賀の町が広がって見えた。遠くの山は春霞でぼんやりとしていた。 とても気持ちのいい眺めであった。ゆっくりと昼食をとり、表登山道を下山した。あっという間に麓におりた。野洲駅へ向かい、駅前の「ほほえみの湯」で塩サウナなどを体験し、疲れを癒した。
一年に一度会うだけだが、皆が健康でいることがとても大切に思えるようになった。
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大原・静原サイクリング コース
自宅(7:05)…七条大橋(鴨川遊歩道)…出町柳…高野川沿い367号線…花園橋…八瀬( 7:40)…大原朝市(8:03〜8:17)…野村の別れ…江文峠口…江文峠…静原朝市…市原…葵屋やきもち総本舗…出町柳…三条アルチメイトファクトリー(自転車店/自転車前輪ブレーキ調整)…七条大橋…自宅(9:50)
自転車:Trek 7300 クロスバイク
行程記録(trip record)
走行時間(Elapsed Time) 2:04:44
走行距離(Trip Distance) 39.67km
平均速度(Average Speed) 19.0km
最高速度(Maximum Speed) 44.6km
大原の朝市と静原への峠越えサイクリングに出かけた。花園橋から大原まではほぼ登りの道である。ケーブル八瀬に先回行ったときより30分以上短縮着く。少しして旧大原街道にそれていくと信号を渡って、高野川沿いに小学校があった。途中367号線に出るが、また、脇道に入り田園風景を楽しむ。しばらくして、大原朝市に着いた。
近くの農家の方が野菜などを直売している。漬け物、野菜、餅、赤飯、おはぎ、ヨモギまんじゅう、豚汁、地元のかしわ(鶏肉)、鮎の塩焼き、鯖寿司などが売られているが、今日は少し品数がそう多くなかった。今日も車で買いに来る人が多かった。今回は、鯖寿司とおはぎ、そして漬け物を買った。
自転車に戻ると、雨が降りそうな気配であった。急いで、静原へ向かった。雨がぽつりぽつりふりだした。野村の別れから江文峠へ少し長い登り道である。このあたりから、雨がわりと降り出してきた。峠を越える下り道、路面は濡れている。めがねにも雨粒が付いて見づらい。9度くらいの温度だが、サイクリングウエアーを着ているので寒くはなかった。ただ、ブレーキでスリップするのが多少気になった。坂道を下りるときから前輪ブレーキをかけるとカタカタと音がした。後輪ブレーキだけで下ることにした。後輪ブレーキはかけすぎると、後輪がロックして横滑りし転倒するので、調節しながらブレーキをかけた。
途中、道路脇の空き地に、テントが幾張りかはってあって、「静原の朝市」をやっていた。朝取りレタスが一個150円、おばさんが「今取ってきたところやから、取れたて。外側の葉も捨てたらあかんで。ちゃんと食べてや」と。ハイと答えて一個買った。
雨が降る中、そのまま市原へ。時間的にも体力的にもまだまだは余裕・余力はあったが、雨が降っているので鞍馬のほうには向かわず、上賀茂神社をめざした。上賀茂神社で神馬葵屋やきもち総本舗の焼きもちを買って、加茂川を下っていった。
三条で自転車屋に寄って、前輪ブレーキを見てもらった。何と、ハンドル部分の締めが少し緩んでいて、音が鳴っていたと。びっくりした、そんな風には感じていなかった。でも、それで調整完了。 まっすぐ、自宅に戻った。何と9時50分。3時間弱の軽い運動のようなサイクリングであった。
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大原朝市 鮎の塩焼き
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大原の里
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静原朝市
四月の信号 杉本 深由起
ためらわずに どこまでも
どんどこ進みなさい ってこと?
大丈夫! 今なら
さあ渡りなさい ってこと?
そう 四月は
進む月
前進あるのみの月
見晴かすかぎりの
草や木が
エメラルドグリーンに 光る月
.
4月の信号、しっかりと受け止めただろうか。
「まっすぐ前進あるのみ」 で、やってくることができただろうか。
言い訳しながら、 ぐだぐだ愚痴をこぼしている人もいるが、
やりたいことがすぐに見つかり、
それに従事できる人なんてごくわずかである。
それなら、目の前にあることを精一杯 こなしていけばいいのだ。
それは、やりたいことを 見つけたときの自分にとって 決してマイナスにはならない。
今、一番大切なものは、 おそらく、 ベストの状態でスタートすることである。
自分の最高の成績が残せるようにできれば、
悔いが残らず、 自分の結果にきっと満足できる。
スタートラインに立っている君たち、
今、君たちはベストの状態であるだろうか。
君たちが何かを始め、 何かが始まることを大いに期待したい。
エメラルドグリーンの5月が 目の前だ。
さわやかな風に乗って、 さらに前進してゆこう。
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知人の句会に拙作を出句
兼題 「幻」
石仏(いしぼとけ) 時幻(ときまぼろし)に 顔おぼろ
自由句
シャボン玉 夢の行方の 砂時計
鯉のぼり たったひとりの 全宇宙
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春は花盛り
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「樹の心」
高田敏子
花の季節を 愛でられて
花を散らしたあとは
忘れられている さくら
忘れられて
静かに過ごしている樹の心を
学ばなければいけない
忘れられているときが
自分を見つめ
充実させるときであることを
樹は 知っている
『心のしくみがわかる本』川村妙慶著に、
人は「思い」という執着の穴にはまると、
それをどんどんほじくって、
穴を深くしていきます。
穴をがむしゃらに掘っているほうがラクだからです。
そして自ら掘った深い穴から
抜け出すことができなくなってしまうのです。 とある。
誰しも満開の桜のようでありたい。
仕事や学業においても、 咲き誇っていたいと思うことがある。
しかしながら、 そういうことはうまい具合にずっと続くものでもない。
桜は一年のほんの二週間ほど 見事な美しさを見せるが、
あとの五十二週は静かに過ごしている。
始まったばかりの新学期で、
うきうきしてテンションが高くなっているときかも知れない。
でも、 落ち着いて自分を見つめ、 一層充実させていくことを忘れないように。
やがて、慣れたときに、 自分の居場所がどこなのか、
分からないということがおこらないように。
つまらぬ執着で不安になることのないように。
これまでの何かを捨てて、新しいものを生み出すように。
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桜は見事に
先日、青春18切符で、滋賀県海津大崎、彦根城、近江八幡八幡堀と桜めぐりをした。
海津大崎は8分咲きであったが、後は満開であった。
本当に見事であった。
今日、妻と自転車で鴨川から加茂川・曼殊院へとサイクリングに出かけた。
もう散ってしまっている桜の樹が目立つようになっていた。
花の命は一週間、見事に咲いた充実感で樹はこの一年をまた過ごすのであろう。
人生は繰り返しながら、老いる。
朽ちるまで花を咲かせる樹でありたいと願った。
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海津大崎
海津大崎
マキノ 吉田酒造 みぞれ酒
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彦根城
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彦根城 天守閣
咲き乱れる桜
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近江八幡 八幡堀
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京都 北山
英国の友人と18年ぶりに再会
18年ほど前team teachingで授業を共にしたイギリス人が家族を連れて、日本にやってきた。
12歳の女の子と10歳の男の子、そして奥さん連れて、2週間ほどの休暇、京都のアパートを借りて滞在している。
こうした外国人との出会いは、
「去る者、日々に疎し」Out of sight, out of mind.という西洋の格言のように終わることが一般的である。
しかしながら、彼は違った。
毎年欠かさずクリスマスカードを送ってくれる。
日本にいたとき、何度か我が家族と共に過ごした時間が忘れられない想い出として残っていることは、
うれしいことである。
結婚記念日には、昔、私が餞別に送った和ロウソクに毎年火をつけて我々家族のこと思っている
と聞いて、びっくりした。
東映太秦映画村と奈良を案内し、天気にも恵まれ、とても楽しい時間を過ごした。
奈良は桜が満開であった。
当時小学生高学年だった長女もうれしかったのか、休日の案内役に参加し、一緒に時間を過ごした。
彼の家族の10歳のトムのふるまいが本当に子どもらしくて、心から気持ちよい気分を味わった。
人は一生の中で、いろんな人との出会う。
遠い異国の人と忘れ得ぬ出会いをすることもある。
あと、何十年生きているのか分からないが、
出会いを大切にしたいと改めて感じた。
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映画村
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東大寺 大仏
二月堂の桜
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東大寺 二月堂
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若草山頂上から東大寺を望む
一ねんせいになったら
まど みちお
一ねんせいになったら
一ねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
ひゃくにんでたべたいな
ふじさんのうえでおにぎりを
ぱっくん ぱっくん ぱっくんと
一ねんせいになったら
一ねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
ひゃくにんでかけたいな
にっぽんじゅうをひとまわり
どっしん どっしん どっしんと
一ねんせいになったら
一ねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
ひゃくにんでわらいたい
せかいじゅうをふるわせて
わっはは わっはは わっはっは
まどみちおのこの詩は、
小学一年生の希望に満ちた思いをうたった唄である。
新入生ということばにはそんな夢の響きがある。
さて、大学生になった諸君、
君たちには 今 小学生の頃のような夢があるだろうか。
友達100人作るだろうか。
新しい友人と何をしていきたいと考えているだろうか。
ただ、学生生活は思うようにうまく送ることができるとは限らない。
乗り越えなければならない大きな壁が待っていることだろう。
壁がそこにあるのには、理由がある。
君たちの行く手を阻むためにあるのではない。
その壁の向こうにある「何か」を 自分がどれほど真剣に望んでいるか、
証明するチャンスを与えているのだ。
やがて、本学を卒業し社会に出る時が来ても、
この最初の一年は壁を乗り越えた勇気や努力を
こころのふるさととして いつまでも忘れることはないだろう。
ビートルズに「ゴールデン・スランバー」という歌がある。
Once there was a way to get back homeward
Once there was a way to get back home
Sleep pretty darling do not cry and I will sing a lullabye
Golden slumbers fill your eyes
Smiles awake you when you rise
Sleep pretty darling do not cry
And I will sing a lullabye
僕は「金色に輝くまどろみ」という詩詞を贈って、
「何か」を求め突き進む君たちへのふるさとの風となろう。
背割り公園 桜サイクリング
行程記録(trip record)
走行時間(Elapsed Time) 1:36:19
走行距離(Trip Distance) 32.13km
平均速度(Average Speed) 20.0km
最高速度(Maximum Speed) 41.1km
天気がよかったので、ショートサイクリングに出かけた。タダ、風が強く、何度もふられたり、向かい風では思いっきりスローダウンした。背割り公園の桜は五分咲きほどであったが、花見で弁当を広げているグループが多かった。
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五分咲きの桜
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さくら
泉涌寺本殿近くの桜の老木が今年もまた満開となっている。メジロなど小鳥が、花の蜜を求めて十数羽以上集まってきている。毎年替わらぬ営みのようだ。葉が茂り、養分が十分みなぎる時でなく、どうして養分を放出するような花から咲くのだろう。
娘と東京散歩
出張のついでに埼玉で下宿している娘と落ち合い、食事を楽しんだ。中学校の修学旅行で訪れた以来、中に入ったことのない東京タワーに登ってみた。中学校の時のかすかな記憶では、夕方頃着いて、タワービルの土産物売り場を回ったことくらいしか覚えていない。手で回転すれば日付の変わる数字の小さなボックスの付いた東京タワーカレンダーの小さな置物を買ったこと。当時。その仕掛けが不思議ですごいと思ったコトを覚えている。
そのときにはたぶん登っていなかった、大展望台150m、その上の特別展望台250mに登った。そこから見ると、東京はビルの集合体だ。見渡す限りビルの連なりであった。京都タワーからだと、黒い瓦屋根の家が見える。東山や北山、西山などの緑も間近に感じる。しかし東京はグレーの乾いた感じである。
3階のフロアーに映画「三丁目の夕日」のジオラマ模型が置いてあった。映画撮影でも使われたのか、かなり精巧にできていた。ファインダーからのぞくと、まるで自分がその場に立っているような気がした。懐かしい思いであった。少年の頃の想い出がよみがえるようであった。
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特別展望台より 皇居方面 東京駅方面
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お台場 新宿
富士は見えなかった
ルックダウンウィンドウ
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茶川商店 鈴木オート
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三丁目の夕日
京都・東山・花灯路 2009
March 19
茶碗坂…清水寺…清水坂…産寧坂…八坂通り…八坂の塔…一年坂…ねねの道…円山公園
と、2日間ほど帰省している娘、長女、妻と自宅から歩いて、灯りの路を散策した。平常より温かな夜であった。茶碗坂清水坂産寧坂と思うほどの人手ではなかったが、ねねの道に来ると大勢の人手であった。灯りの路をそぞろ歩きするのも風情がある。
近くにこうした楽しみがあるのはうれしいことだ。3月22日までだ。そのあとは花見客で賑わうことだろう。円山公園は夜桜の名所でもある。
灯りで一番印象に残ったのは、円山公園内を流れる吉水の小川のせせらぎ一面に1000本近い青竹の灯籠が並べられていたこと。幻想的な光の雰囲気を醸し出していた。
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茶碗坂 清水寺を望む
産寧坂
八坂通り八坂の塔を望む
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八坂の塔 内部
ねねの道
円山公園 竹灯籠の灯り
春が来た!
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土手でひなたぼっこのカモ 柳の新芽も青空に映え
鴨川 春の流れ
東福寺
大石神社・醍醐サイクリング
行程記録(trip record)
走行時間(Elapsed Time) 1:35:14
走行距離(Trip Distance) 26.54km
平均速度(Average Speed) 16.7km
最高速度(Maximum Speed) 38.3km
ほんとうにいい天気だったので、近くへサイクリングに出かけた。今熊野から滑り石街道を通って山科へ出て、醍醐寺に行くことにした。滑り石街道は小学生の頃、山の斜面から水晶が採れる場所があって、よく出かけたものであった。何十年かブリでこの街道を通った。今はすっかり舗装され、水晶を探し求めた崖も崖崩れ防止のコンクリート壁になっていた。大石神社へ向かう道の両脇にはわずかに畑が残っていた。昔はこのあたりは畑や田んぼが拡がっていたのに、すっかり様変わりしていた。
大石神社のしだれ桜は花芽がびっしりともう少し温かくなるのを待っていた。
街道を抜け、旧奈良街道を通って醍醐寺に境内は広い。しだれ桜が目の前に迫った春を待っているかのようであった。一部のさくらはちらほら咲き出していた。
そこから、六地蔵、観月橋を抜け桃山へ。昼食は近鉄桃山駅のガード下の「大中ラーメン」で500円ラーメンを食べた。
師団街道を北へ自宅に向かって後は走った。27kmほどの軽いサイクリングであった。
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大井内藏助願い像
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奈良 お水取り
生まれて初めて、奈良東大寺二月堂の修二会(お水取り)を見に行った。4日目で、比較的空いている日であったが、それでも参道は、大勢の人でいっぱいであった。妻と長女の3人で出かけた。あいにく曇りで日中は寒い天候であった。二月堂へ行く前に、入江泰吉の「大和歳時記」展をやっている奈良市写真美術館と、新薬師寺の婆娑羅像を含む12神像を観に行った。入江泰吉の写真は見応えがあった。モーメントをうまくとらえている。新薬師寺の婆娑羅像は超有名だが、実際に観るのは初めてで、意外に小振りな神像であった。昔は着色が施され、それなりの威圧感がもっとあったのだろうと思う。今は粘土の色に時の重さを感じる。
早めの夕食を済ませ、二月堂へ向かった。6時20分くらいに到着。すでに大勢の人が2月堂を取り囲んでいた。立ったままずっと7時になるのを待っていた。やがて周りの灯りが消されると、堂内で鐘の音が響き、一本80kgもある松明に火が灯され、お堂のバルコニーになった廊下をときには回転させながら走り抜けていった。端にたどり着くと、そこで火の粉が振り落とされた。いたって静かに、この儀式は進められた。10本の松明に点灯された。写真を撮ろうと周りの人も一生懸命になるが、全体が暗いので、三脚を立て固定した状態で数秒露出しないとうまく撮れない。私も花火モードで撮影を試みたが、露出時間に手ぶれをしてうまく撮れなかった。儀式は、本当に厳かに行われた。千数百回も同じように厳かに行われていると思うと、信仰の力と、春を待つ思いに触れた気がした。
英語版の案内には次のように説明してある。
OMIZUTORI at Todai-ji Temple --- The spiritual spring-cleansing Mar. 1-14
Todai-ji Temple, well known as the home of Nara's Great Buddha, is also famous for s series of purification tites called Omizutori. This ritual is also called Otaimatsu, in reference to the taimatsu, or huge torches (weigng 80kg!), which are brandished from the balcony of the temople's Nigatu-do Hall. This ritual was started in 752 to pray for auspicious weather, plentiful harvests, good health, and peace. Surprisingly, it has continued as an annual rite until today, thus, this is the 1,258th year.
Starting on March 1st, every day for two weeks, the priests will climb the steps to the Nigatsu-do Hall to recite ssutras. While the priests are inside,the torch-bearing assistants run around the balcony of the hall, showering cleansing sparks on the spectators below (starts around 7:00).
松明を待つ観客
松明の点火
廊下を走り抜ける松明
雛祭り
3月3日、ひな祭り、我が家のひな人形は今年もまた押し入れの中にあった。
中国に単身赴任している息子の部屋の押し入れに入ったままのひな人形は、確かに息子のベッドが邪魔になって出しにくいこともある。でも実際は、長女は28歳、雛祭りの年齢を過ぎてしまい、次女は埼玉で学生のひとり暮らし、いつのころからか、お雛さんの顔を見ることはなくなった。
娘が幼い頃はいつも一緒に出して、ひな壇にひとつひとつ大切に人形を並べていた、ひなあられも供えた。人形を並べ終わると、ひな壇の前で娘の写真を撮ったものだった。今年も元気で、こんなに大きくなったっと笑っていた顔は、いつしかもう大人になってしまった。3日の読売新聞の編集手帳に吉野弘の「一枚の写真」という詩が紹介されていた。
一枚の写真
吉野 弘姉は両掌の指をぴったりつけて膝の上
妹は姉を見習ったつもりだが
右掌の指は少し離れて膝の上この写真のシャッターを押したのは
多分、お父さまだが
お父さまの指に指を重ねて
同時にシャッターを押したものがいるその名は「幸福」
そうだったな、幸せな日々だったと思い返す自分がいた。
その夜、あるテレビ番組で、樋口了一の「手紙〜親愛なる子どもたちへ〜」という歌を聴いた。
なんだかじーんときた。人は歳をとる。やがて、身体も思うように動かなくなる時が来る。
記憶力が薄れていく。限られたいくつかのことだけを覚えて生きていく。子どもの助けを必要とするときが来る。
自分の手に重ねられた子どもの手が、吉野弘の詩のように「幸福」に後押しされたものであればと思う。手紙〜親愛なる子供たちへ〜
作詩:不詳・日本語詞:角智織・補作詞:樋口了一 作曲:樋口了一
年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しいあなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい(中略)
楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しいあなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを
悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しいいずれ歯も弱り 飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない
足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しいきっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しいあなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい私の子供たちへ 愛する子供たちへ
春の兆し
清水 散策 往復 8千歩
舞妓姿の外国人
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清水焼
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一力 本物の芸妓さん 宮川筋
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祇園の大和大路通りには履き物屋さん、三味線屋さんなどその道に必要な店が並ぶ
愛宕(あたご)詣り
山頂は京都市に所在するが、約1.5km西に市境があり、山体は亀岡市にまたがる。標高924m。三角点(890.1m)は山頂の北方約400mの地点に所在する。
京都盆地の西北にそびえ、京都盆地東北の比叡山と並び古くより信仰対象の山とされた。神護寺などの寺社が愛宕山系の高雄山にある。山頂には愛宕神社があり、古来より火伏せの神様として京都の住民の信仰を集めている (wikipedia)*****************
雪にたえ 風をしのぎて うめの花 世にめでらるる その香りかな
これまで正月に愛宕詣に出かけていたが、今年は都合で今日の日(2月22日(日))になった。長女も今回は参加した。 朝8時に車で清滝まで出かけた。
清滝での駐車料金は1000円(5時まで)であった。8時50分ころの出発となった。 妻は最初の500mののぼり道で息を切らし、「登れないかもしれない。心臓がばくばくして止まりそうや」と必死の形相を見せた。いつもなら、平気な顔で私に遅いと言っていたのに。ウオーキングはしていても運動不足なのだろう。長女もびっくりしていた。
いつもは空也の滝・月輪寺経由で登るのだが、長女がほとんど山を登っていないので、表参道から登ることにしたのだが、何のことない妻のためにこのルートにしてよかったという結果になった。長女は、毎週、仕事帰りにフィットネスクラブに通って運動をしている。その成果があるのか、すたこら登っていく。全く平気な様子、これは頼もしく思えた。
最初の三分の一の行程が、ややのぼりがきつい。何度も休憩を取ることにした。普段は口が重くない妻もしばらくはだまったまま、ときどき考え込んだように立ち止まっていた。しんどいのがよく分かった。
実は私も昨年くらいまで山を登ると妻と同じような様子であった。この一年、水泳、ジョギング、サイクリングと毎週いずれかをやって、スリム化と筋力アップを図ってきたので、身体が軽く心臓も鍛えられているのか、私の場合はわずかにしんどいと感じるだけで平気であった。自分でも驚くくらいであった。
とにかくゆっくり登った。私自身は、ときどきはペースを上げて登ったり、走ったりしながら登って、身体を鍛えようとした。大杉大神の所あたりからは、幾分かなだらかな道になって、妻もようやく楽になったようで、十分付いて来られるようになった。
カワラケ投げを昔やっていたところまでくると、雪が残っていた。水尾の分かれ道からは、かなり気温が下がり、道の雪もアイスバーン化していた。簡易アイゼンを片足ずつ3人で分けて装着し、登っていった。黒門付近は日が当たらないのか、雪はまったく氷の状態。まるで冷凍庫の中にいるように身体が冷えてきた。
やがて神社の広場に出て、そのまま階段を上って本殿のお参りを済ませた。いつものように愛宕神社の火伏札「火廼要慎(ひのようじん)」をいただいた。
階段下の休憩所は正月の時ほど人は多くないという感じであった。でもグループで登ってきている人たちがいて、京都の人たちの愛宕さんの人気は変わりないことを再認識した。その休憩所で昼食をとった。妻がおにぎりを作ってくれていた。あとはカップ麺、いつものようにガスコンロで湯を沸かして食べた。寒いときにはこれが一番である。食後のコーヒーと紅茶もおいしくいただいて下山した。
帰路は妻も元気であったので、私は自分のペースですたこら下りていった。長女が妻と一緒に下りてくれていたので、安心できた。途中ジョギングペースで下ったりして、結構楽しくおりられた。
駐車場に戻ると1時半、ほぼ4時間半のハイキングであった。万歩計では7270歩とそれほどの距離ではなかった。往復8キロくらいである。3人とも無事戻った。
子どもを連れて山に登ったことはなかったので、いつもとちがって楽しいハイキングとなった。
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表参道入り口鳥居 お助け水:登り口からすぐの所にある 大杉大神
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長女は休憩所で先に休んでいる
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昔、カワラケ投げが行われていた 落語の愛宕山では小判のカワラケ投げをする 広沢の池が見える 東山の方が課すんで見える
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黒門付近
頂上参道広場
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守り神 イノシシ
休憩所での昼食
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守山なぎさ公園菜の花サイクリング
行程
自宅(7:07発)……馬町(渋谷通り)……花山トンネル(東山越え)……国道一号線……音羽より35号線……追分……逢坂山越え……近江大橋(8:13着)……さざなみ街道……烏丸半島風力発電前28.06km(8:52着)休憩(10:00発)……守山なぎさ公園(9:24着―写真撮影―9:55発)……さざなみ街道……琵琶湖大橋……びわこ大橋米プラザ道の駅休憩(10:17着休憩・買い物10:50発)……西近江路161号線……浜大津(11:35)……小関越え・峠(11:55着)……琵琶湖疎水散策路……東山三条(12:32着)……東大路通り……自宅(12:45着)
自転車 Trek 7300クロスバイク
行程記録(trip record)
走行時間(Elapsed Time) 3:59:36
走行距離(Trip Distance) 72.13km
平均速度(Average Speed) 18.0km
最高速度(Maximum Speed) 45.3km
先日、新聞で「滋賀県守山市の第1なぎさ公園で、早咲きの菜の花が見ごろを迎えた。琵琶湖畔にあり、カンザキハナナが約1万2千本栽培されている。雪化粧の比良山系も遠望できる。見ごろは3月初めまで」と守山のなぎさ公園の菜の花が1ヶ月遅れで見頃になったという記事を読んだ。記事には対岸の比良山系とのコントラストになった写真も掲載されていた。その風景写真を見て、これは自分のカメラで撮りたいと思った。
車で行く方がうんと楽だろうが、近江八幡のように距離があるのではなく、琵琶湖大橋から自転車で10分くらい北にいったところなので、このコースはやはりサイクリングする道だと思い、自転車でいくことにした。前々日から天気予報を常に確かめていた。曇っていては、いい写真が撮れない。予報では9:00〜12:00が晴れ、その他の時間は曇り、夕方から雨となっていた。この昼間での3時間に賭けて出発した。
いつものように、自宅から馬町の渋谷街道を上って、東山トンネル沿いの自転車・人用のトンネルを越え、山科に出る。1号線をしばらく走り、途中脇道に入り追分から大谷、逢坂山を越える。1号線をそのまま進み、膳所で左折し、近江大橋へ向かう。気温は京都市内で3度C、逢坂山の峠を越えるときは細かな雪が降ってきた。非常に寒い。
湖岸に出ると、琵琶湖はどんよりとしていた。風もかなり冷たい。湖西の山は雲がかかって稜線が見えない。近江大橋を渡る最中、細かな雪が顔にあたり、坂道でかいた汗がどんどん冷えてくる。ゴアテックスのレインウエアーを脱ぐことはできない。サイクリングウエアのほうが風の抵抗は少ないのだが。北の方はどんより曇っている。何度か、今日はこのまま引き返そうかと思った。しかし、まだ8時過ぎくらいだったので、もう少し様子を見ようと、前進を続けた。
いつものように、安全のために車道の横の自転車歩行者用の道を走った。向かい風であった。ときどき弱い陽が差した。今回は、天候状況から休憩なしで目的地に向かうことにした。いつも立ち寄っている「道の駅草津」は通過することとした。道の駅付近(烏丸半島)にある風力発電のプロペラがいつもは回転していなかったが今日は回転していた。風が強い日である。ひたすら自転車をこぎ、なぎさ公園には自宅を出てから2時間少しで到着した。
なぎさ公園は予想していた広さよりやや小さく感じた。確かにいくつかの畝をのぞいて、ほとんどの畝の菜の花が咲き誇っていた。比良山系は、やや雲がかかって右側頂上付近の方が見えない。それでも何枚も写真を撮った。すでに早朝カメラマンのおじさんたちが来ている。皆、比良山系を背景に撮っている。それも望遠レンズ付きの一眼レフだ。三脚を用意している人もいる。こっちは自転車で来たので、重い一眼レフは持ってきていない。私のデジタル一眼レフは古い機種なので700万画素である。コンパクトカメラとそう変わりはない。おじさんカメラマンを気にせず、コンパクトデジカメで撮りまくった。しかしながら、なかなか思うような構図にならない。若いカップルでも歩いてくれると全体の大きさが分かると同時に、平面にもう一つの味わいを作り出せるのだが。天気は曇りだが、ときどき日が差した。そのときとばかりカメラを構えた。およそ30分、カメラマンになりきっていた。
先回の奈良サイクリングのように、疲れ切ってはいけないので、戻ることにした。昼からは曇り、そして雨になると予報が出ていた。身体が冷え切っていたので、琵琶湖大橋を渡ったところにある道の駅で休憩することにした。温かいものを飲み、地域の野菜や産物を売っているところで野菜を少し買った。とにかく軽いモノをと考え、春菊、菜の花、ネギ、そしてほうじ番茶を購入した。シジミの佃煮も忘れず。酒の肴にもってこいである。
ここからは161号線をひたすら南下した。大津方面の道は思うほどの交通量がなく、少し気が楽に走行できた。時速23〜5kmでひたすら走り、やがて浜大津に着いた。
いつもの三井寺の力餅を買って、小関越へ向かった。そこからはずっとのぼり坂である。今度の挑戦も峠の40m手前でダウン。歩いて自転車を押した。脚がぱんぱんになり、呼吸も荒くなった。峠到着が11:55となった。そこから一気に下り、琵琶湖疎水道を西にずっと進み、御陵ああたりで三条通りに出て、ひと山越えてインクライン横をすり抜け東山三条に出た。いつもは三条大橋まで行って、鴨川歩行者自転車道を通って帰るのだが、今日は東大路通りを南下した。信号が赤であったり、市バスが昇降客をゆっくり待っていたりしたが、10少しで泉涌寺道まで来た。その近くに子どもの頃からあるコロッケ屋で昼ご飯用のコロッケを買って帰った。12:45着、所要時間約5時間30分、走行時間はほぼ4時間だった。
すぐに自転車を洗って書斎に持ち込んだ。膝は大丈夫であるが、腰がかがんだ場合によって、激痛が走った。背骨に筋肉がしっかりついていないのかな。骨と骨のスキマがすり減っていて、たぶんそれが神経を圧迫するのだろう。年はとりたくないものだ。
ダイエットにはなるが、自転車は後の消耗度が激しい。ジョギング・プールの方が楽だ。
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近江大橋より琵琶湖ホテル 湖西の山雲で見えない 風力発電機の前のモニュメント
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守山菜の花畑
対岸比良山
娘の転居
お父さん、お母さん、
緑色の字の紙は、左上の箱の「連帯保証人1____実印」の所と、左下の「連帯保証人@」の所、2箇所書くとこあるしな。実印の所は3枚全部に押しておいてな。エイブル・メリット・プランの紙は「連帯保証人予定者」のところ書いておいてな。これは家賃を引き落としで払うための紙らしいわ。お父さんが朋に仕送り入れてくれる口座にしといたしな。それと、鍵もよろしくな。ほんで、携帯代、2月に払う分から朋の口座から引き落としになるようにしておいたわ。色々と手数をかけるけどよろしくお願いするわな。新しい家に入れるようになったら、写真撮ってパソコンから送るわな。便利な世の中やな。また、何かあったら電話するし、お父さん、お母さんも何かあったら、また携帯からでんわしてな。タダやしな。便利な世の中や。ほんでから、朋は元気やしな。お父さん、お母さんは、ぼけんといてな。ほなね。
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この2月中旬に娘が引っ越しをする。オートロックの学生マンション。駅から歩いて4分。それを望んでのことである。あと2年間、大学での勉強がある。将来何になりたいのかまだ定まっていないが、引っ越しは自分で決めてきた。家賃はこれまでより1万円高くなる。仕送り、光熱費など含むと娘につぎ込むお金は相当の額になる。私の給料の何分の一は娘に消えていく。親の勤めなだろうが。昔は苦学生が多かったが、今は苦親が多い。不景気・不況、100年に一度の経済危機、世間の言葉が娘には通じているのだろうか。
「おくりびと」という映画を見た。鮭が遡上し産卵を終えると死んでいく姿に主人公は、どうしてこんなに辛い思いをしてまで、戻ってくるんだろうかと尋ねる。通りかかった銭湯風呂仲間のおじさんが、「そりゃ、ふるさとが恋しいからさ」と一言。味わいのある場面であった。「家」「ふるさと」はやはり恋しいものだ。幼き日々、夢中になって遊んだ場所など、自分の心の原点である。娘も京都の家にどんな思いを抱いているのだろうか。
石川啄木の短詩に、
はたらけど
はたらけど猶わが生活(くらし)樂にならざり
ぢつと手を見るとあったような。親という字は「木の上に立って見る」と解字する人もいる。見守るしかないようだ。
投句
友人から句会のお招きがあった。兼題は「怒」当季雑詠2句の3句を出句することになっている。ここんとこ、頭を使っていないので納得できる句は浮かばない。
ブルドッグ 怒れる皺に 笑み溢る
陽緩びて 億万回の 地球の春
ゆるやかな 梅の匂いの 風は掌に
を送った。
八幡木津自転車道・奈良公園サイクリング 行程 自宅(8:00発)……伏見稲荷(本町通り)……鴨川自転車道……桂川合流・京川橋……八幡背割公園(8:40着14.65km)……木津川自転車道…………泉大橋・サイクリングロード終着点(10:00着40.0km)……国道24号線………754号線………東大寺大仏殿前(10:45着47.77km)………大仏殿見学(11:32発)………二月堂………若草山………興福寺………昼食・三好野(12:35発)………胡月三笠購入(11:40発)………泉大橋(13:07着)………山城大橋(13:44着)………流れ橋・上津谷橋(14:09着79.32km)………国道24号線大久保バイパス………久御山ジャンクション………第二京阪道路………国道一号線京阪国道………大手筋………竹田街道………自宅(15:50着)
自転車 Trek 7300 クロスバイク
行程記録(trip record)
走行時間(Elapsed Time) 5:21:28
走行距離(Trip Distance) 99.36km
平均速度(Average Speed) 18.6km
最高速度(Maximum Speed) 45.3km
近江八幡への新春初サイクリングから一ヶ月、サイクリングに出かける時間がなかった。ようやく2月7日、ひさしぶりのサイクリングである。京都八幡木津川自転車道を通って奈良公園まで行くコースを設定した。100km近くは走ることになる。(実際ほぼ100km走行したことになった。)週一回40分ほどのジョギングをしているので、体力的にはいけると考えていたが、結果は多少甘かった。
朝は少し冷え込んでいた。サイクリングウエアにジャージだけでは多少寒いが、走ればすぐに温かくなると、レインウエアはリュックに入れて出かけた。本町通りを南下し、鳥羽街道で右折、師団街道に出て、鴨川の自転車道に向かった。ここからは走り慣れた自転車道なので快調にとばした。赤池あたりの自転車道工事のための迂回路も心得ていた。ほどなく、桜で有名な背割に着いた。八幡である。所要時間40分先回より5分早めである。
そこから、木津川を上っていった。できるだけ楽な脚の回転でスピードを出すには、ギア・チェンジが大切である。前輪をトップにして後輪もトップに近いように設定すると一回転で進む距離は長くなるが、ペダルが重くて思うように回転できない。前輪をセカンドにして後輪をあげて行く方が楽に同じ回転でスピードが出る。往路は時速20km〜23kmをできるだけ保つようにした。風がでたり、土手から川原に下りてまたのぼりになったりする道になると20km割ってしまう。あるところから自分の前に時速23kmで走っているサイクリストがいたので、その人のあとをしばらくくっついて走っていた。途中、速い自転車に追い抜かれていった。それに刺激を受けて、こちらも、もう少し頑張ろうと時速25km〜27kmにペースアップして、ペースメーカーを追い越し走行した。20分ほどその調子で頑張ったが、途中、ペースダウンした。
先回、山城大橋で自転車道から国道24号線に出て京都に戻ったが、今回、その地点を越え終着点の泉大橋までノンストップでがんばった。10時で自宅からちょうど2時間の走り、泉大橋までがちょうど自宅から40km、平均時速は20kmであった。まずまずである。そこから国道24号線を通り、途中で754号線に出て一路、県庁東まで向かって奈良公園に出た。県庁東から国立博物館を右手に見ながらまっすぐ進み、大仏前に出る。東大寺の大仏殿をめざした。10時45分、東大寺大仏殿前に着いた。駐輪し、大仏殿を拝観することにした。
大仏は像高14.98m台座の高さが3.05mでおよそ18mの高い像である。正式には盧舎那大仏という。華厳宗の大本山で、現在の大仏は毘盧舎那大仏とも呼ばれ、「世界を照らす仏・光り輝く仏」という意味があるらしい。現在の大仏殿は江戸時代に3度目の再建で天平時代に比べる三分二の大きさである。それにしても大きな木造建築物である。
そこから次に二月堂に向かった。お水取りで有名な寺である。温かな日ざしであった。境内斜面に張り出した廊下から東大寺の屋根、昔人気を博したが今は廃業しているドリームランドの岩山、奈良市内を望むことができた。そして若草山に向かい、そこから興福寺横を下って三条通りに出た。南都銀行の向かいのびっくりうどん「三好野」が安くておいしい店と本で情報を得ていたので、そこで昼食をとることとした。12時15分くらいでおなかもかなり空いていた。「びっくり定食」をたのんだ。大きなジャンボいなりとかけうどんのセットであった。それが480円と手頃であった。
急いで昼食を食べ、店を出ると12時35分。帰りは疲れもあるので、急がないと思った。近鉄の駅を上がったところの胡月で大きなジャンボ三笠をお土産に買って帰路についた。交通量が少ない、754号線の一つ西の脇道を上っていった。途中754号線に合流し、国道24号線に出て泉大橋に着いた。最初の計画では国道24号線を走って京都に向かうことにしていたが、疲れが出ると車の往来の多い道路の走行は危ないので、往路の自転車道を通って戻ることとした。
途中、3人組の集団に追い越された。男性が先頭で引っ張り、あと若い女性が二人後をついて走っていた。女性に負けてはと、4人目の走行者になるよう、やや離れてその集団について走行した。その集団は常に時速27kmで走っていた。目の前に目標があると走りやすく、同スピードで走った。相手はロードバイクでタイヤがスリムである。走りやすいだろうなと思いながら、ついて行った。確かにクロスバイクはタイヤ幅がロードバイクに比べると太く、路面との摩擦が大きいので、思うようにはスピードは出ない。町中でなくロードに出るとやはり差は歴然とする。マウンテンバイクはタイヤが太くでこぼこしているので摩擦が大きすぎてロード向きではない。木津川自転車道で出会うサイクリストはたいていロードバイクであった。私と同じ年頃のおじさんたちもみな、ロードバイクにサングラス、派手なサイクリングウエアにジャージ姿であった。走っていると、前の女性も、おしりが痛くなってきたりしたのか、何度も腰を上げ脚を楽にしたりしていた。いい自転車でも疲れは出る。若い人でも同じなんだと思った。山城大橋を越えたところのポイントで、その集団は休憩を取った。こちらはそのまま走り続けた。ここからは自分の身体の方にガタがきだした。途中から思うようにスピードが出ず、左脚の膝が痛み出した。おしりもだんだんと痛くなって重心を変えながら走行を続けた。流れ橋までは休まずに目標に走った。
流れ橋につくと、下車した。おしりも痛い。水分補給をしチョコレートを食べ、休憩した。個々までは平均時速が21kmとなっていた。少しがんばったが、やはり自分にはこれくらいの平均時速だなと思った。それから流れ橋に下り、往路と同じ自転車道で戻るかどうか迷ったが、そのまま橋を渡りきって国道24号線に出ることにした。このルートでは宇治川を渡るときがどうなるだろうか考えていたが、思い切ってそのまま進んだ。旧の24号線でなくバイパスの24号線で、途中で従来からの国道24号線に向かうか、一号線に向かうか分岐点に出た。仕方なく、遠回りになる宇治に向かう24号線でなく、一号線に向かうこととした。この国道一号線にでるのも久御山ジャンクションといって、道路が立体に色々交差していて、道路を渡れず、歩道橋を上らざるを得ないルートであった。ここらあたりから、おしりは痛いし、脚力はなくなる、腰のひねりようによってはぎくっと来るようになった。この国道も新しいバイパスの第二京阪国道で車でしか宇治川は越せないようで、途中、旧国道一号線に出ざるを得なかった。体力の消耗と膝の痛み、おしりの痛みで全然走れない状態になった。旧国道を走行し宇治川を渡りそのまま北上。大手筋で右折した。やがて伏見の大手筋商店街。ここまで来れば帰ったも同然と思いながらも、商店街は自転車を押しながら歩いた。餃子が一人前130円、これは買わないと4人前買った。今日の疲れは餃子で回復と考えた。 そこから北進し、師団街道、深草で竹田街道に出てやっとの思いで帰宅した。
家についてすぐに自転車を洗って整備した。これは欠かせない作業である。しかし、洗車の際かがむと、腰に電気が走ったような痛みが走った。自転車に長く乗っていると、たいがいこうなる。脚もがくがくでそれでもこらえながら洗車。洗車後水を拭き取り、愛車を自分の書斎に運びかたづけて、完了。すぐに風呂を沸かした。夕方なので洗濯物を取り入れた、その間に風呂が沸き、ゆっくりとお湯に浸かった。生き返る思いであったが、腰痛は治らない。
台所に、今晩はすき焼きの用意がしてあった。妻は喫茶店のパートの日で帰宅が夜8時になる。疲労回復にすき焼きを考えてくれていたのだろう。早く食べたいと思いながら、妻の帰宅を待っていた。待っている間、だんだんと腰の痛みと両膝の痛みが増してきた。難儀な身体である。やはり年なのかな。100kmはやはり、あまり挑戦しない方がいいと思った。
調子に乗りすぎた。一日50km少しで、いい運動になるのだ。無理はダメ。やり過ぎてはいけない。いつまでも若くはない、年齢相応の走行距離のサイクリングを楽しむようしないといけないと再認識した。しかし、そう思う一方で、ロードバイクだったら100kmは楽にいけるのではないかと、考えてしまう自分がいた。
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今日は成人の日、末の娘が朝から髪結いと着付けに出かけていた。先日、振り袖姿の前撮り写真を写真館で撮り、昨日できあがっていた。娘だけの姿だけでなく、私と二人の父娘のショットも撮ってもらっていた。娘はいやがらずに、私と一緒に記念写真を撮ってくれた。写真館で写真を撮るのは、長女が幼い頃に撮ったきりで、久しい。緊張した面持ちの中、白髪が増えた頭に喜びのある顔の表情が撮られていた。
今日は本番、昼から「都メッセ」で行われる成人式に出席する。
自分が20歳になった時は、どこにも出かけていなかったように思う。高校時代の友人とは、ときどき夜、近くの喫茶店で遅くまで話していた記憶がある。それくらいの想い出しかない。
妻は着物を作ってもらって成人式に出かけたそうである。ただ、娘が着ているような高価な着物でなく、安物のそれでも親の気持ちのこもった着物を着ていったそうである。娘の着物のは、実は妻の母から贈られたものである。
娘にとっては、成人式は大きなイベントなのであろう。振り袖姿になることが、まず大切なこと。そしてその姿で、中学校や高校の時の友達と会うことが次に大切なこと。今夕は、中学校の時の友達にすでに呼びかけていて、同窓会をやる。かなりの人数が集まるようだ。それが締めくくりの大切なこと。
そうして集えることは幸せなことだと思う。青春の一里塚として、自分のこれまでの人生を振り返り喜ぶことは何より大切なことだと思う。そこから、新たな出発をしてくれればと願う。
いつの間にか自分の子どもがみな成人になった。親として自分の役割をほぼ終えたのだろうかと、月並みではあるが、喜びと同時に多少の寂しさを感じる。
小雪舞う中、娘は成人式に出かけていった。
昨日、8〜10年前I高校でともに勤めていた仲間との同窓会があった。集った仲間のあのときの表情や様子は昔のままで変わらぬように思えた。しかしながら、皆、異なるところで勤めていたり、退職してゆったりと暮らしていたり、それぞれの人生を歩んでいる。今年定年退職を迎える者もいる。皆、これまでどういう人生だったのだろうか。
過去に戻ることはできない。今年、多くの年賀状に、「私は元気にしております」との添え書きがあった。歳を重ね、定年退職をして、そして今、ささやかな居場所の中で元気にしているとの知らせに、こみあげるものがあった。自分も歳を重ねた。
60歳を第二の成人式として考えれば、そこからが本当の自分としての生きる人生なのだろう。悔いのない第二成人になりたいものだ。
それにしても、娘の晴れ姿がまぶしい。ねたましいほどの元気さがあふれている。「青春は希望である。希望を失わない限り心が老いることはない」、そう信じて明日からも頑張ろうと思う。







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末娘が帰省していている。20歳になっており 成人式を迎える。京都で成人式を済ませてから、埼玉に戻る予定である。
正月3日、初ジョギングを娘と一緒に行った。鴨川沿いの歩行者道を走った。
娘の方が走るのが速い。引き離されても休まず走り続け、二条大橋で二条通に出た。
そこからは併走し東に向かって京都会館を越え、左折、目標の平安神宮へと向かった。
曇り、ときどき雨がぱらつく日和で、思ったほど参拝客はいなかった。
おみくじを引いた。稲荷神社と同じ「小吉」であった。今年は、我慢、精進の年のようである。
帰路は神宮道を知恩院まで出て、四条京阪へ向かいそこから加茂川沿いの道におりて、自宅へ向かった。
結構な距離であった。自宅に近づく頃、膝が痛くなり出した、
何とか頑張った。


行程
自宅(8:00発)……馬町(渋谷通り)……花山トンネル(東山越え8:15)……国道一号線……音羽より35号線……追分……逢坂山越え……近江大橋(9:05着)……さざなみ街道……道の駅草津28.06km(9:45着)休憩(10:00発)……近江八幡クラブハリエ52.37km(11:10着-休憩食事-12:25発)……さざなみ街道……琵琶湖大橋……びわこ大橋米プラザ道の駅休憩・走行距離72.36km(13:20着休憩13:40発)……浮御堂……西近江路161号線……浜大津(14:45)……小関越え……琵琶湖疎水散策路……三条大橋(15:54着休憩16:05発)……鴨川沿い……自宅(16:13着)



















