"Welcome to Hot Soup for the Soul"

"Hot Soup for the Soul"

a kind of refreshment to those who are exhausted in heart.


 

Tokyo Disneyland

娘からの招待

   

 

 

 

  

  

We had a wonderful time in Tokyo Disneyland.

This may be the lasst visit.

When our children were young, we used to take them to Disneyland.

The first visit was in 1988 or so. A long time ago.

Our children are now adults. Time flies.

Life is measured by memories.

Disneyland and Disneysea are some of our dear memories.

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空き缶芸術

   

 

京阪七条駅へ向かう途中の家の軒先を飾る空き缶芸術

平成二十二年、2010年もまもなく過ぎようとしている。

歳を重ねると、 時は若い頃の何倍もの速さで過ぎるように思える。

思い返せば今年も様々なことがあった。

三月、透析三十年の弟が前立腺癌の手術を受けた。

五月、息子が結婚した。

六月、下の娘が何とか就職の内定をもらった。

九月、反日感情で揺れる中国で働く息子夫婦に会いに行った。

仕事においては、 本学に教職課程が4月から開設され、

教職ガイドの作成、教員講習、ニューズレター作成、夏季特別講座、

教職サークル、学校現場の先生との勉強会等、

私にとっても 実にタフな一年であった。

君たちにとっても、 目まぐるしい一年であったことだろう。

何でこんなに苦労をしなければならないのだろうと思ったことであろう。

たしかに、 苦労はない方がいい、

しかし、 苦労をした人は輝いている。

365日間かけて、地球は太陽の周りを巡っている。

それが一年だ。 一日、一日を見ているととてもゆっくりとした速さに思えるが、

実は相当のスピードで回っているのだ。

一秒間に29・8q 、時速は100280q

高速道路の車は時速100q 、新幹線は時速300q

また、この時速十万キロスピードで新しい一周が始まる。

これまでのことはこれまでのこと、

でんぐり返りで新しい年を迎えよう。

ひと昔前、 北風が吹き出すと 毛糸を編み出す女の子が多くいた。

好きな人へのクリスマス・プレゼントだったかもしれない。

今、そんな温かなマフラーをしている若者を見かけなくなった。

確かに、街に出れば、

色とりどりのおしゃれなマフラーは店に並んでいるし、

お金 を出せばいくらでも品質のいいマフラーが手に入る。

でも それが、かっこよくて、

寒さをしのぐマフラーであっても

心の芯が暖かくなるマフラーではないような気がする。

昭和三十七年(1962年)、 吉永小百合とマヒナスターズの歌でヒットした「寒い朝」の歌詞、

  

北風吹きぬく 寒い朝も   心ひとつで 暖かくなる   

清らかに咲いた 可憐な花を   

みどりの髪に かざして今日も ああ   

北風の中に 聞こうよ春を   

北風吹きぬく 寒い朝も   若い小鳥は 飛び立つ空へ   

幸福(しあわせ)求めて 摘み行くバラの   

さす刺(とげ) 今は忘れて強く ああ   

北風の中に 待とうよ春を

何はなくても、希望を胸に、

心を温め、 明日を信じて北風の中を走っていった若者の姿、

心から美しいと思った。

 

陶芸家の部屋

  

書展

 

スナフキン(スウェーデン語Snusmumrik、英語Snufkin)は、

フィンランドの児童文学作家トーベ・ヤンソンの小説の主人公 ムーミントロール(ムーミン)の親友、

妖精に似た架空の生き物である。

自由と孤独と音楽を愛する放浪の吟遊詩人スナフキンの名言は、

ネットでも溢れている。

「大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ」

「「そのうち」なんて当てにならないな。 いまがその時さ」

「この世にはいくら考えてもわからない、

でも、長く生きることで解かってくる事がたくさんあると思う 君たちも大人になればわかるさ。

ある意味で、大人は子どもよりももっと子どもみたいになることがあるんだよ。」

「ムーミン「義務って何のこと?」 スナフキン「したくないことを、することさ」

「人の目なんか気にしないで、思うとおりに暮らしていればいいのさ」

「ぼくが、見たもの気に入ったものは、すべて、ぼくのものなんだ。ぼくはね、全世界を、持ってるのさ。」

「この世にはいくら考えてもわからない、 でも、長く生きることで解かってくる事がたくさんあると思う。」

といろいろ考えている。

毎日がすばらしい日であるわけがない。

すばらしい出来事を待つのでなく、

日々の出来事をすばらしいものに考えることが大切なのだ。

毎日、健康でいられること、

毎日、友達と話ができること、

毎日、食事ができること、

毎日、勉強ができること…

毎日の当たり前のことが本当にすばらしいことなのだと

思えるようになれば、

貴方もすばらしい哲学者になったということだ。

東京スカイツリー

 

押上 十間橋より

  

11月22日 497m

 

螺旋状の階段

浅草あづま橋より

椰月美智子『ダリアの笑顔』のことば、  

日々のなかの小さな問題。  

それは小さな水たまりのようなものだ。  

果てない道を走っていて、  

ちょっと立ち止まったところに水たまりがある。…  

日常の煩雑さに忙殺され、  

一日一日を無事終えることだけで手一杯だ。  

その繰り返し。日常の続き。  

たまにある水たまり。  

そこに映る自分の顔。 

課題に追われる、忙しい日々を送っている皆さん、

水たまりを覗いて、 そこに写っていた自分の顔は元気でしたか。

あなたのこころ模様が写っていましたか。

毎日が繰り返しのように続くように思われるけれど、

本当は毎日が別の日、 大きな変化のある日、

微々たる変化しかない日、 それでも毎日は変わっていく。

英語で変わるはchange=make or become different

他にtransform=make a marked change in the form, nature, appearance ofがある。

トランスフォームは一変するような進化するイメージがある。

ただ単にチェンジするのでなく、

貴方の日々もトラスフォームしているのだということ忘れずに、

今日の日を眺めてほしい。

毎日が新しいという気持ちになれば、

今日がきっと楽しくなる。

そして、Tomorrow is another day.

紅葉

 

東福寺  一人旅女性がじっと見つめる 錦の紅葉

今熊野十五番観音 五色紅葉

即成院から大文字

東福寺通天橋 紅葉

Time is money. (時は金なり)ではなくて、

Time is gold. (時は黄金である)である。

時間をお金という価値で考えるのでなく、

価値の輝きと考えたい。

この一瞬、一瞬はお金で買えるものでない。

黄金のように素晴らしいもの、貴重なもの、優れたものである。

たまたま人として生まれ、 こうして生きている。

感じ、考え、行動できる力を持った人として。

モンキチョウは短い生涯を精いっぱい生きている。

精いっぱい空を巡っている。

この瞬間のなんと貴重なことか。

産み付けられた卵から、地や葉っぱを這う芋虫と変わり、

さなぎとなって、 そして空を飛ぶ蝶に変態するモンキチョウの生涯。

その時を懸命に生きている。

人の姿は大きくは変わらないけど、

今を生きる気持ちは変化している。

結果がどうであれ、 成長という変化が大切だ。

変わることで、新しい世界が開けてくる。

モンキチョウがその都度変わることで 未知の世界へ踏みだし、飛び出していくように、

黄金のようなこの瞬間のつながりの連続の中、

与えられた時間を大切に、

新しい出会いを求めて 光のように生きていきたいものだ。

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近江八幡 南琵琶湖一周サイクリング

 

近江大橋      琵琶湖大橋

 

 

近江八幡 クラブハリエ  八幡堀

 

日牟禮       琵琶湖大橋より

走行距離: 107.7km

走行時間: 5時間22分

平均速度: 20km

最大速度: 45.1km

歳を重ねるにつれ、人は成長する。

成長は変化である。

成長には喜びもあるし、つらいこともある。

泣きたいと思うこともある。

変わらぬ貴方がいいのか、 変わる貴方がいいのか。

確かに、 成長には危険やリスクを伴うこともある。

今までずっと親の手の届くところでぬくぬくしていた。

でもこれからは、 独り立ちせねばならない。

だから、 貴方は変わっていかねばならない。

それが成長だ。

「貴方、変わったね」と、 非難するよう口調でなく、

賞賛するような口調で言われたい。

そんな行動をとれるような人になりたい。

それには前向きな気持ちが必要だろう。

ただ、 前へ、前へと進むには勇気も要るし、

知恵も要る、 大きなエネルギーがいる。

それは貴方の生きる目的かもしれない。

貴方が明日へ向かう目的を そっと流れる雲が見ているだろう。

吹き行く秋の風が支えてくれるだろう。

きっと貴方を分かってくれるものがある。

 

秋は人恋しくなる季節だ。

山は実りを迎えながらも、 冬の準備を始めるため、

これまでまとっていた葉っぱを黄金色や紅色に変えたかと思うと

やがて全て脱ぎ捨ててしまう。

小さな北風が時折やってきて、

「ひゅう」と吹き出したりすると、

何だか、人恋しく寂しい気持ちになったりする。

ジョン・デンバーの『Annie's Song (緑の風のアニー)』の歌詞が浮かぶ。

You fill up my senses   Like a night in the forest  

Like the mountains in springtime   Like a walk in the rain  

Like a storm in the desert   Like a sleepy blue ocean  

You fill up my senses   Come fill me again

君は僕の気持ちをいつも満たしてくれるね  夜の森の静けさのように

春の緑あふれる山のように  雨の中を歩く気持ちのように

砂漠の嵐のように  眠っている静かな青い海のように

君は僕の気持ちを満たしてくれる  もう一度 僕を満たしてくれないか

Come let me love you  Let me give my life to you

Let me drown in your laughter   Let me die in your arms

Let me lay down beside you   Let me always be with you

Come let me love you  Come love me again

君を愛していたいんだ  僕の人生を君に捧げたい

君の笑い声に包まれていたい  君の腕の中で最期を迎えたい

君の隣に横になっていたい  いつだって君のそばにいたいんだ

君を愛していたい  もう一度 君を愛させておくれ

妻アニーへ送った心優しい詩である。

家族であれ、友達であれ、 自分を分かってくれる人がいることはうれしいことだ。

秋風が少しずつ北風に変わってゆく季節の中で。

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新車 Trek 7.9fx

1年以上前から欲しいと思って、貯金をしていた。

2010年型、定価は32万円。

1年前から三条trek自転車店頭のショーウインドーに展示されていた 。

外から眺めるだけの自転車、時には写真を撮って眺めていた自転車。

それが1年経って、2011年型7.9FXは30万円で発売となった。

円高の影響か。

7.9FXはクロスバイクの最高峰。

TREK 7300は頑丈だがその分重いし、スピードは思うように出ない。

先日、ジョギングで三条まで走った。

もう売れてしまっただろうか。

もしあれば、いくら値を下げてくれるだろうかと思いながらショーウインドーを覗いて観ると、

いつもの展示場所に7.9FXはない。

なんと正面の店頭ウインドーにあった。

特価256000円とあった。

これは天の声だと思った。

自転車貯金はそこまで達していなかったが、これを逃すとまた1年待つことになる。

不足分はボーナス払いということで調達した。

ずっと夢に見ていた自転車。

仕事帰りの夜、店によって買った。

付属品はなし。お金がない。

7.9fx に乗って自宅へ帰る

夢のような軽さ。

ギアの感触、喜びがこみあげた。

新車のスペックは、

フレームは「TCT」カーボン。 メイン三角の中にワイヤーは全て内臓処理されている

集合シートステイには「Iso Zone」と呼ばれる路面からの振動をほぼ排除して

操縦性をアップさせる振動吸収システムが入っている。

フロントフォークも同じくカーボン。「Bontrager Nebula」をインストール。こちらも振動吸収に一役買っている。

サドルは長時間のライディングを快適に過ごせるためのテクノロジーが盛り込まれている。

「Bontrager H2 Flex Form Saddle」。ゴムエラストマーをサドル下部に備えてある。

またライダーのペダルストロークに合わせ、サドルが前後に回転運動することにより、

疲労を軽減して、驚くほどのスムーズな乗り心地を実現しています。

コンポーネントはSHIMANOの105&ULTEGRAをメインに3x10スピードを可能にする。

あらゆるロケーションに対応のギアレシオになっている。

ペアド・スポークもリムの剛性アップによりトラディショナルな組み方に変更。

タイヤもオールウェザー対応の「Bontrager RL」700x28Cサイズ。

そのほかハンドルバー、シートピラーには「Bontrager RXL」カーボン。

ステムは軽量アルミの「Bontrager RL」、

コラムスペーサーにもカーボンが奢られ、徹底的に軽量化と振動吸収を施している。

早速、流れ橋や大原へ試運転に休日でかけた。

風になったような気分であった。

    

木津自転車道 修復された流れ橋 と7.9fx

伏見酒蔵に7.9fx

 

静原日曜市 7.9fx

瞬間的にこうだと感じる力、 子どもは、想像力の天才だ。

空に浮かぶ もこもこ雲も、 人の顔やお城にも感じてお話しすることができる。

そういう感じるこころが大切だと思う。

自分の良さというのは自分ではなかなかわからず、

案外他人が見つけてくれたりする。

人は時々、自分が好きなものを 狭い世界で、

自分の目で見て、 気に入ったと思っていることもある。

自分にピッタリというわけじゃないのに

それが一番と信じ込んでしまっている自分がいる。

もっと広い世界を見て、 感じ、考えることが大切なのに。

それに、 自分に似合うものを見つけてくれる人も 身の回りにいるかもしれない。

周りの人に訊いてみるのも必要だ。

要は、 新鮮な目で様々なことを見ることができればと思う。

たしかに、

人には「こだわり」というものがあって、

その「こだわり」がその人を支えていることもある。

「こだわり」をうまく発揮できれば、

人は幸せな人生を送ることができるかもしれない。

でも、 その「こだわり」がいつも地球を巡る風を受けて、

みずみずしい感受性があればと願う。

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来年3月卒業の末娘から手紙をもらった。

何度も何度も読んで、涙が出そうになった。

親として生きてきたことに小春日和のような温かな気持ちにさせてくれた一通の手紙。
人生、よかったと思って別れを告げることができるよう、これからもひたすらに生きていきたいと思う。

お父さん お母さんへ

 いろいろ荷物送ります−!!カナダのお土産ちょっとでごめんな。

 英語できひんかったけど、カナダ旅行はめっちゃ楽しかったわ!!みやげ話はまた今度な。

 ほんでから、ちょうど大学1年の今頃、お父さんお母さんに、ディズニーご招待の手紙あげたな。二人がそんなに感激してくれるとは思ってへんかったから、びっくりしたんを覚えていますわ。でもそのときの二人のメールはしっかり保存しているで。あれから、あっっっっっっという間に時は流れて、卒業まで残りわずかになってしもた−!!ほんまー一瞬やったわー。お父さん、お母さんにはほんまにお世話になりました。お金の面はもちろんのこと、それ以外でもたくさんささえてもらいました。「げんきかー」「死んでんのとちゃうかー」というメールは、時々めんどくさかったけど、うれしかったです。

 一番支えてもらったと感じたんは、やっぱり就活の時やわ。いまさらやけどありがとう。就活では、自分のことについて、あれこれ考えたり、伝えなあかんかってんな。ほんで、自分を作ってるもんは、お父さん、お母さんからもらったもんで、自分がやりたいと思うことは、どっかで家族とつながってることでした。障害者支援施設の旅行とか言ってたのはお母さんが働く場所に行って感じたこととか、お母さんの眼が悪くなったことが大きく関係しています。お父さんに関係する旅行も考えてんけど、長くなるし省略するな(笑)。他己分析で、友達から言われた私の長所は、「多くの人を引っぱって行く」「みんなに気を配ること」などなど。お父さんのおせっかいで、でしゃばりなところと、お母さんの何も言わずに人をよく観察しているところが似たんやと思います。

 こんなことを思ったり、お姉ちゃんから頑張れってキリンの「はんこ」もらったり、お兄ちゃんから就職決まっておめでとうってメールもらったり、就活してみて、なんやしらんけど朋は中井家の末っ子に生まれて、よかったなあーってしみじみと感じました。こんなこと思うんは、センチメンタルお父さんに似てしまった証拠ですわ。

 そして卒業目前にして改めて、埼玉大学に入ってよかったと思ってるねん。関東弁が嫌やったり、こっちの人おもしろくなかったり、つらいこともあったけど、たくさんの素敵な出会いがありました。ディズニー、テレ玉でもそうやし、特に大学のゼミの仲間は、大切な存在です。私のディズニーで働きたいというあほな考えを反対しんでいてくれた、お父さん、お母さんのおかげでございます。

 はーっっここまで二人をよいしょするのつかれた−!!(笑)。うそです。全部ほんまに思てます。卒論頑張りつつ、残りの学生生活思い切り楽しませていただきます。

 最後にもうびっくりしいひんと思うけど、ディズニーのチケットプレゼントします!!朋がいる間に埼玉に遊びに来なあかん理由ができたな!!前にはお金を入れて、返金されてしまったから、今回はこれだけ!!でも来る日が決まったら、ディズニーランドホテル私がとりまっせ!!それぐらいさせてください。楽しみやなーーーー!!

 ほな、手も疲れてきたし、この辺で。また11月末に帰るわー。 さいなら☆朋より(^o^)

奈良―山辺の道―明日香サイクリング

平成22年10月11日(月)祝日

走行距離:70.05km 走行時間:4時間30分  

 8月下旬に淡路島一周以来サイクリングに出かけていなかった。季候もよくなってきたので、祝日の11日に奈良へ輪行した。明日香を目的地とした。明日香は飛鳥とも書く。

「飛鳥(とぶとり)の明日香の里を 置きて往なば 君があたりは 見えずかもあらむ」 (万葉集 巻一 78)  

 明日香の枕詞が「飛鳥」であったということらしい。

今回は東福寺から奈良駅までJRで出かけ、奈良駅から奈良教育大前の奈良名張線県道80号線を南下し天理から山辺の道に入り、桜井から県道15号線を通って明日香ヘ向かい、帰路は葛城明日香自転車道を途中まで使って奈良駅に向かうか、国道169号線を走ってひたすら奈良駅に向かうか時間の都合によって決めることにしていた。しかしながら、山辺の道で標識を見落とし山道で迷ったり、山辺の道を低速でしか走れなかったりして、非常に時間がかかったので、巻向(まきむく)あたりから国道169号線に出て、国道を走って明日香に向かうことにした。予定より大幅な時間変更になり、明日香であまり長居はできなかった。

6:41 奈良行き普通電車乗車 (この時間帯は快速がない)   

7:49 奈良駅着   1時間10分ほどかかって奈良に到着

          駅前で自転車の組み立て、点検、   飲料水の確保(2リットルペットボトル)

8:20 奈良駅前出発   

天理あたりまでは、号線を通っていこうと考え、まず奈良教育大学をめざした。その前の道を南下した。8時台はそれほど車は多く走ってはいなかった。

やがて、天理教の黒の教団の羽織を着ている人が目に映りだし、大きな建物が居並ぶところにでた。少し超えて、左折をして石上(いそのかみ)神宮に向かうことにした。境内に自転車を押して入ると、鶏が何羽か放されていた。ここから南への山辺の道が始まった。しばらく快調に乗っていたが、やがて前夜の雨でぬかるんだ道になった。それでも、登り道を上っていったが途中で標識を見落とし、急坂で薄暗い山道を奥深く入ってしまった。山辺の道がこんなに急坂ではなかったはずで、ましてやこんな薄暗い山道ではなかったはずだと思い、引っ返した。案の定、標識を見落として違う道を進んでいた。ハイカーは間違えることなく歩いている。30分以上ロスをした。

 気を取り直して、山辺の道を走り出した。山道が部分的にでこぼこの石を敷き詰めた道もあった。そういう道はパンクしてはいけないので歩いて自転車を押すことにした。人家の多い道は舗装されていて、軒先に無人の野菜販売コーナーがあった。2年ほど前、桜井から天理まで山辺の道を歩いたことがある。その時も路端に無人野菜の販売台がありいろいろ買って帰ったことがある。今回も重くなるのを承知で、「梅干し」「満願寺唐辛子」「乾燥ズイキ」「千切り大根」「スダチ」「ナス」「枝豆」を一袋ずつ買った。すると小さなバックパックがいっぱいになった。栗やナシ、柿も売っていたが、重くなるので買い控えた。

山辺の道を走る限り、景色はいいのだが、スピードを出せず、時間がドンドン経っていくので、途中で車道に出た。本当は大三輪神社あたりで三輪そうめんを食べようか思っていたが、すでに11時20分くらいになっていたので、明日香へ直行した。

明日香に着くと、明日香資料館が最初に目に入ったので、そこに入ることにした。展示としては簡素なものであった。キトラ古墳の実寸台復元模型があった。四神の信仰は渡来のものである。自然の掟が厳然としてあった時代、人々は何を拠り所にしていたのだろうか。やがて明日香に仏教が伝来した。ヒンズー教やゾローアスター教でなく、仏教が伝わったことには、仏教に普遍性があったからであろう。仏教は奈良時代には鎮護国家としての帝が政治に活かす地位を得た。アメリカの大統領が演説の終わりに、”God bless us.”と唱えるが、往事の日本もそのようなものであったのだろうか。

次に飛鳥寺に向かった。空高く絹雲がたなびき、寺の周囲には黄金色の稲穂が拡がり、秋風に実りの匂いが吹き抜けていた。飛鳥寺は創建596年、 拝観客は、まず明日香大仏の前に座り、仏様を拝むことに始まり、往事の飛鳥寺の絢爛な様子から現代に至るまでを住職が話をしてくれた。飛鳥大仏は鞍作鳥(止利仏師)によるもので日本最古の仏像といわれている。創建当時の飛鳥寺の規模や大仏が高さ3m、当時銅15トン、黄金30kgを用いて造られたと住職からの説明があり、最後にもう一度感謝の気持ちで大仏を全員で拝んだ。そして、「堂内の写真撮影はかまいません。大仏も写真撮影してもらって結構、ご自宅に明日香大仏をお持ち帰りいただいて、感謝の気持ちをわすれずにいてください」と住職のことばを聞いて、一瞬驚いた。でも、それが仏教の本質じゃないかと思った。芸術作品がダメになると言う寺があるが、日々の信仰を大切にする、人の心に残るというものが宗教であるなら住職の言われたことがもっともだと思った。  

飛鳥寺を出ると12:30近くであった。おなかが空いたと思いながら、石舞台へ向かった。途中、ネットの観光案内にでていた食堂を見つけ、そこに入った。昼はヨモギ定食(1500円)と飛鳥定食(1200円)のふたつのどちらかしかなかった。安い方にした。煮麺と柿の葉寿司、わらび餅がついていた。

食後すぐに、石舞台に向かった。上り坂を越えると、やや下って、そこに石舞台があった。蟻のようにすごい人出であった。紅葉シーズンの京都の観光地のようで驚いた。 石舞台は横穴式石室を持つ方形墳で、7世紀初め頃の築造と推定されている。古墳上部の封土は失われ巨大な天井石が剥き出しになっている。昭和8年と10年の調査により、天井に使われている石の重さは北川が約64トン、南側が77トン総重量は2300トンということが判明したそうだ。観光客でいっぱいの石舞台で彼岸花が終わりを告げていた。

見学後、今回のサイクリングのハイライトの国営飛鳥歴史公園祝戸地区の棚田と案山子道を見に向かった。目の前に、日本の原風景と思える階段状の稲田が広がっている。階段状の田んぼの中を路幅2mほどの農道が続く。そこに現代風の案山子が何体も設置してあった。案山子コンテストである。中央にはせんとくんの大きな案山子があった。表情豊かなもの、かわいらしいものと様々であったが、共通していたことは、家族の温かさが分かるものばかりだった。子どもの頃の日本の家庭のよさが、どの案山子にも表現され散るように思えた。

復路を考え長居はできず、2時過ぎにここを出発し、県道15線から国道169号線と一路奈良駅に向かった。1時間40分ほどでなら駅に到着。自転車を袋に詰め、奈良駅へ16:08発の京都行きに乗った。東福寺には5時頃に着き、輪行袋を背負って帰宅した。 それほどの郷里は走っていないのに、疲れたサイクリングであった。やっぱり山道で迷ったときのエネルギーのロスは大きかった。

普通電車奈良行き

 

無人や再販売   道に迷っていることを知らず登っていく

 

 

コスモス 畑

実りの明日香

 

亀石           酒船石

 

明日香

飛鳥大仏

昼食 飛鳥定食 1200円

  

 

石舞台

  

  

   

案山子道

せんとくんかかし

  

 

優しい顔の初老夫婦かかし

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滝尾神社 秋祭り

   

 

 

御輿

神霊が御旅所などへ渡御するに当たって一時的に鎮まるとされる輿である御輿。

荒々しく揺らすのは、神の霊を揺り動かして活性化させる(魂振り)という意味があるらしい。

地域の人々が集い、共に秋の収穫を感謝したのであろう。

こうした伝統はいつまでもあって欲しいと思う。

何かに夢中になって頑張っている人に出会うとすごいと思う。

その人には、 広くて深い世界があるような気がする。

そのような人に出会う人は その人も何かに頑張っている人である。

ひたむきな努力があってこそ、

人の努力を見過ごさず、気づくことができる。

すると、また自分の世界が拡がるのである。

人には幸せの感じ方が二つある。

「ありがとう」と言われる幸せ、

「できた」と思える幸せである。

どちらにしても、 幸せはもらえるもではなく、

自分が何かの行動をしてこそつかめるものである。

昔、子どもの頃、

逆上がりができたとき世界が変わったように思った。

自転車に乗れるようになったとき、

自分の世界が拡がったように思った。

一つずつ何かができるようになったとき、

人は幸せを感じるものだ。

まずはやる気を持つこと、

しかしながら、

やる気があるだけではうまくいくとは限らない。

本気になってやって行くことの中から 工夫も生まれる。

君たちのこれからの本気を 楽しみにしている。

 

香港・広州旅行記

平成22年9月17日(金)〜21日(火)  

 息子が中国広州で2年近く海外勤務をしている。この5月に日本で式を挙げ結婚し、今、夫婦で異国の広州で暮らしている。中国の理性を失った半日感情は心配である。どういう生活を送っているのかを知るとともに、日本の食材を送り届け、そして親はいつも見守っているよと激励するために中国で出かけた。下の娘もお兄ちゃんに会いに行きたいと同行した。

 息子から広州往復便より香港往復便の方が航空運賃は安いから、時間はかかるが(直通列車で2時間半)香港周りで来て帰る方がいいと言われていた。その方が香港の様子も知ることができるので。HISでInternetを通して航空チケットを購入した。往復で6万円弱であったと思う。全日空でと思ったが、7月末、HISでは満席であった。日本航空の便を取った。あとでわかったのだが、直接航空会社にアクセスして切符を購入する方が安いということがわかった。直接なら5万円少しであった。もう少しよく調べればよかったと思った。しかしながら、世の中は恐ろしく便利な世界になった。座席指定まで自宅からできる。クレジットで購入するので面倒な手間はない。ホテルも自宅から予約できるが、これは事情をよく知っている息子に予約を依頼した。香港はビジネスホテルであったが、その分、非常に安く泊まれた。中国では5つ星のホテルであったが、それでも驚くほど安く泊まることができた。  

さて、親子3人の旅は始まる。

17日(金)  

 朝、4時半起床、10:00発のJAL702便の搭乗手続きのため8時には関空についている必要がある。京都駅から始発のはるかに乗って関空へ向かうため5時44分の奈良線に乗って京都駅に向かった。通常は30番線京都発だが、初発便は滋賀県から始発で、京都駅6番線には、外国人旅行客や日本人の海外旅行者が並んでいた。自由席はほぼ満席であった。

 8時前に着きチェックイン。eチケット(インターネットでプリントアウトしたもの)とパスポートを提示してBoarding Ticketをもらう。空港で10万円をHKドルに交換した。このとき、為替介入により1HKドル=13円少しに円足が進んでいた。12円、11円台の時もあったのだが。

 JAL702便はほぼ満席であった。中井貴一主演の「電車の運転手になった男」の映画を見て過ごした。以前乗ったときに比べて平均してアテンダントの人数が少ないように思えた。香港人のアテンダントもいて日本語は十分とは言えなかった。日本航空の状況の厳しさであろうか。2年前にロンドン経由でイタリアへ行ったときに乗ったJAL便とは感じが異なった。

 現地時間で12:15(日本13:15)に香港空港に着き、空港内のトラムで入国管理検査を受けるところへ向かい、審査を済ませ到着ロビーへと出た。まず感じたことは、蒸し暑い。夏用の上着は脱がないと汗みずくになる。市内の九龍にあるホテルへはタクシーで向かった。高速鉄道に乗ってみたかったが、駅からホテルまで距離があり、そこからタクシーに乗ることになるので面倒であった。また、タクシー料金が初乗り18HKドルで230円。日本の半額である。1時間ほど乗って235HKドル(3000円くらい)であった。一人千円。高速鉄道より安い。ちなみに、タクシーは中国語で「的士」。発音上の当て字に思える。バスは「巴士」である。

 ホテルについて2時くらいにチェックイン、3時からであるが、少し待つだけで部屋が使えた。荷物を置いて、早速、街を探検。夕刻からのビクトリア・ピークでの食事、オープンバス観光などのツアーに行くことを、これまたネットで事前に申し込んでいた。5時20分に別のホテルのロービーでの待ち合わせである。それまでの時間を楽しむことにした。まず、少し小さいスーパーに入ってどんなものが置いてあるかチェック。果物が豊富。食料品には日本の現地生産ものが多く並んでいた。ヤクルトは「益力多」とラベルがあった。チョコレート、ポッキーなどお菓子などはほとんどが日本のお菓子でラベルが中国語である。

 スーパーを出ると歩道に竹が組まれている。通り抜けると何と、それはビルの改装のための足場である。どんなに高いビルであろうと竹で足場を組んでいるのである。外壁を塗り直している職人を観た。あぶないと思う高さである。信じられない光景である。日本では鉄棒と鉄板で足場を組む。「香港恐るべしの第1弾」であった。日本語の文字もよく見かける。観光客のためであろう。九龍公園を歩く。広い公園であった。賑やかな通りをまた歩きながら、スタバを見つけ涼むことにした。ケーキ類に香港らしいものがあった。

 その後、海岸に向かって歩くと対岸の香港島の高層ビルが見えて来た。壮観であった。時計台、プロムナードを歩く。気持ちがよい。夜景はすごく綺麗だろうと想像しながら散策を続ける。スターの道につづく。ブルースリーの銅像がある。例のポーズをしている。記念写真を撮る人も同じようなポーズで構える。娘も私も同様にポーズをした。そばの中国人観光客が「ふぉおー」とかけ声をかけてくれた。娘が発見したこと、中国人観光客は写真を撮られるとき必ずポーズをとる。首を少し曲げたり手の位置でかっこをつけたり、片足を少し曲げてかっこをつけるなどするのだ。日本人の若い人達は、ピースサイン!すぐにどここの国の人か話さなくてもわかるのだ。

 集合場所のホテルに行く途中、お腹の具合が悪くなりトイレに行きたくなった。公厠(トイレ)のマークを見つけ、用を足した。香港ではこの公厠が綺麗なのである。あとでわかったのだが、ショッピングセンターやホテルなどの女性トイレにはたいてい係の女性がいて、その人の顔と名前のカードが貼ってある。女性が用を足すごとに個室を掃除するのだ。だから綺麗なのである。常駐掃除夫がいるのだ。空港では男子トイレにも男性の係員がいた。「香港恐るべし第2弾」である。

 ツアーバスが来て一人600HKドル(7800円)を支払った。3人分で2万3千400円。多少高いが、香港に到着したばかりで街の様子や距離感がわからないので、仕方がないかと思った。ピークトラムには乗らずバスで頂上へ向かった。Bubba Gumpという映画Forest Gumpから名前を取ったレストランで食事。ビール、生16オンスをオーダーすると、あとでその店のグラスがもらえるとのこと。記念にと2つ頼んだ。香港ビールはストレートな味であった。セットメニューを食べ、30分ほど展望台で100万ドルの夜景を見る。確かに綺麗であるが、思っていたより感動はなかった。頂上にも日本語の看板があった。だが、あるレストランの店の標識が、おそらく「スカイ・レストラン」のつもりだろうが、「すいかレストラン」となっていた。直せよと思うのだが、それはいいのだろう。「香港恐るべし第3弾」。ピークトラムを使って下りる人が長い列を作っていた。

 下山して、ホテル日航前でオープンバスに乗り替える。2階建てのバスで屋根がないバスである。街には多くの看板が道路に突き出している。その賑やかな看板の下を通り抜けていくのだ。香港らしい観光だと思った。そして女人街に行って40分ほどの買い物を楽しんだ。狭い道路に背の高い露店が所狭しと並んでいる。偽物を平気で売っているところである。「偽物あるよ」と日本語で時計を見せながら話しかけてくる。スリが多いといわれる。本当に混み合っていて、歩くだけでも疲れる。娘が少し買い物をしてそのあとホテルに戻った。11時くらい前であった。とても疲れた。

18日(土)  

 この日は、昼前に息子夫婦が広州から迎えに来てくれる。午前中だけが自由時間。まず7時半頃ホテルから散策、九龍公園で太極拳の体操をしている人達を見に行った。多くの人がそれぞれのグループで体操をしている。グループのリーダーがラジカセを持って来ていて、リーダーが前で体操を披露し皆も同じように身体を動かしていた。私たちもあるグループのところで見よう見まねでやっていると公園を清掃管理している人に見られてにたにたと笑われた。

 公園近くの生ジュース店でスイカ、マンゴ、キーウイジュースを頼んで一服。街頭では行き交う人にフリーペーパーが配られていた。その新聞の一面には、「9・18神州恐爆反日風暴」「日使館前面戒備」の文字が躍っていた。そうなんだと思いながら、朝ご飯を食べるためお粥店をさがした。やっと見つけ、店に入ったのだが注文をなかなか取りに来ない。英語で声をかけても無視されているようである。尖閣諸島のことで反日感情が高まっているので、これかと思ったがやがて店の主人のような人が来てやっと注文を聞いてくれた。中国語だけで書いてあるメニューは、どんな料理かわからない。すると日本語で書いたメニューを取りだしてくれた。注文したお粥はそうおいしいとは思えなかった。塩味が日本とは異なるようだ。

 食後、ホテルに戻り、少し待機して、近くの香港歴史博物館へ行った。入館料は一人10HKドル(130円)である。安い。しかし中はかなり広く、現物やレプリカによる説明なのでわかりやすい展示であった。イギリスのinvasion(侵出/侵略)日本のoccupation(占領)のコーナーがあった。元々は岩肌の山地であったようだ。香港の石器時代から現代に到るまでを展示した値打ちのある博物館であった。

 再びホテルに戻り、チェックアウト(12時まで)。ロビーで息子夫婦を待つ。11時30分過ぎに息子夫婦が到着。ホテルに荷物を預かってもらい、市内へ昼ご飯を食べに行く。予め市内の情報誌で息子がチェックしていた店へ入る。ビルの5階、奥まったところなので、普通、観光客にはわからない。イタリアンであった。というのも、息子達にとっては、広州では中華料理店ばかり、自宅では日本料理と、日本人に食べやすい洋食を口にしていないらしい。スパゲッティにスープ・デザートも付いて5人で260HKドル、これは安い。やはり地元の人間が食べる店がいいということがわかった。食後ホテルに戻り、タクシーで中国広州行きの電車の駅に向かう。荷物をトランクに入れると別料金がかかる。息子は高いと運転手と口論していたらしい。香港ルールなのだろう。

 香港から広州まで直通の電車がある。速度はゆっくりである。2時間半かかった。香港の駅で出国審査、広州で入国審査を済ませ、駅を出る。道路などが工事中で歩道もがたがた。駅前の大きなビルも建て替えなのか、何も入っていない。広州建国酒店はすぐそばであった。中国では「酒店」はホテルである。5星のホテルらしいが日本では3星くらいであろう。部屋に入って息子夫婦に日本からの物資を渡した。米5キロ、醤油、出汁、わかめ、カレー、シチュー、会社の人へのお土産お菓子、息子の妻の友達へのお菓子、二人へのお菓子など、いろいろ併せるとトランクにいっぱいになっている。息子がトランクごと自宅マンションへそれらのものを置きに帰った。戻ってくるまでの時間を考え、近くのジャスコなどを探検に行く。

 ジャスコにはユニクロも入っている。日本と同じように期間限定の安売りもある。システムは同じである。ジャスコに入る。広い。入ったところに月餅の詰め合わせなどがセットにしておいてある。中秋節で里に帰ったりするのであろう。中秋ゆえmoon cake月餅は欠かせないのだろう。鮮魚コーナーでは魚が水槽で泳いでいる。日本では海辺の店以外ではあまり見ない。よく見てみると品物が陳列してあるコーナーごとに3〜4人の店員がいる。昔の日本のデパートのように品物を見ていると、店員がすぐにやってくる。スーパーでの食料品や台所用品に店員の説明は必要ないように思うが、至る所に店員がいる。万引き防止ではなさそうだ。「中国恐るべし第1弾」やたらに従業員が多い。

 ジャスコ探検後、ホテルに戻り息子と合流し、食事のレストランへ向かった。タクシー2台に分乗。「梨園」というレストランである。息子の嫁は中国生活3ヶ月、中国語を習い出しているところである。タクシーの運転手との意思疎通がうまくいかないようだ。息子からの携帯での説明で運転手も納得。中国のタクシーは香港より安い。初乗りが12元くらい(156円ほど)「中国恐るべし第2弾」タクシー代が異常に安い。ただ、運転は荒っぽい。車線はあって無いようなもの。いくらでも割り込んでくる。自分の好きなように運転する。また後部座席と前部座席には金格子の枠がある。襲われないようにするためか?しかし一人しか乗らないときも運転手の横に座っている乗客もいる。訳がわからなかった。

 息子が連れて行ってくれたレストランの食事はとてもおいしいものであった。腕のいい料理人がいるらしい。広東料理で日本人の口に合うものばかりであった。ここでも発見。従業員がやたら多い。中国では服務員というらしい。注文を受ける服務員、テーブルにサーブする服務員、テーブルまで料理を運ぶ服務員がいて、仕事はすべて分けられている。日本ではおそらく一人が何役もこなし、無駄のないように考えるであろう。中国は基本的に人が多いのだ。この食事代は息子に払ってもらった。初めてのことである。息子に食事代を出してもらう日がいつか来ると思っていた。人生の一里塚である。息子も一里成長したとともに、私たち夫婦も歳を重ねたということである。

 帰りのタクシーは花園ホテルまで出向いて、拾うことにした。ここでも運転は荒っぽい。通行人も好きなところで道を渡るものがいる。「中国恐るべし第3弾」怖いもの知らず、マイウエイである。息子夫婦が住むマンション近くで下車。二人の部屋に行く。建物の中に入るときには、守衛がいて玄関を開けてくれた。一人で住むには大きいが二人では少し狭いかなと思われる大きさであった。結婚式の時の写真が大きく伸ばしておいてあった。ネット経由で日本のテレビを見ることができるタイムラグは10秒以内、ただ時々画像が乱れる。それでも日本と同じ番組がほぼリアルタイムで見ることができる。日本語が懐かしく聞こえた。中国では標識が中国語に英語表記もされているが、ホテル以外では、英語は全く通じない。中国語で店員に話しかけられてきても一切わからない。反日感情もあるだろうと思い、初日は緊張した。

19日 (日)

 朝、ホテルの部屋から正面ジャスコの屋上、駅前の整理工事を見ていると、なんかまどろっこしい感じした。ガラスの天井も大きなガラスを人が運んでいる。日本なら屋根瓦を屋根に運ぶはしごのような機械で持ち上げているであろう。ここは中国である。やたらいろんなところで工事をしている。しかし、機械設備が十分でないように思えた。しかしどんどん発展するぞという感じ、東京オリンピック時の日本のように思えた。

 広州二日目、昼から息子達と合流することになっているので、それまでにジャスコへお土産用の食品を買いに行った。ジャスコに行く前に、息子から聞いていた日本人が経営する中国茶の店に向かった。あいにくその方はおられず、どうコミュニケーションをしようかと思い、とにかく英語で喋りかけた。しばらくしてこちらが日本人だとわかると店員の一人が、流暢な日本語で話しかけてくれた。日本人の店員がいたのかと恥ずかしい思いになったが、顔立ちからすると中国人であった。その人は丁寧な方で、中国式のお茶を飲みますかと言って、お茶の接待をしてくれた。中国式の入れ方は、まず茶葉を熱湯で洗い、湯を捨て、2回目から入れていく。湯飲みはお酒のぐい飲みくらいの大きさである。飲み干すとまた入れくれる。お茶が出なくなるまでお湯を入れるようである。また、接待する茶人も共にお茶を飲む。非常に面白いものであった。妻はセットの茶器を買いたいようであったが、かさばるので茶壺だけにした。流暢な日本語を話す店員さんに、日本に留学していたのですかと尋ねると、「いえ、広州から出たことはない」と。「日本語はここで日本人の先生からまなびました」と。どれくらい習っておられるのですかと尋ねると、「2年です」との返答。これにはびっくりした。日本の英語教育はどうなっているのだと問われそうに思った。「中国恐るべし第4弾」目的意識のある人はしっかりものにする。

 お茶を楽しんだあと、ジャスコで買い物をした。日本と同じでプラスチック・バッグは使われないので、自分でエコバッグを持っていくことになっている。食料品のコーナーで中国語でいっぱい話しかけられ、どうしようかと思った。英語を使うと他の店員がたかってきて、興味津々で聞くが、帰って来ることばは中国語。日本でもスーパーの店員さんが英語や中国語を話すことはない。でも人が多すぎるのですぐに相手にされることが気になった。

 香港ドルを元に替えていたが、昼から買い物をするのでもう少し元に兌換する必要があった。息子に頼み銀行で替えることにした。長い時間がかかった。パスポートの提示は当たり前だが、何かゆっくりで時間がかかった。その銀行では、客が店員の応対を4つのボタンの一つを押して評価するキーが設置してあった。大満足、満足、普通、不満足の4つから一つのボタンを押すのだが、店員からはどれを押したか見えるようになっている。不満足を押そうかと思ったが、反日感情が高まってもいけないと思い、大満足を押した。すると店員はにこっと喜んでthank youとことばが返ってきた。

 昼食は息子が勤務するテナントビルの近くの中華料理をたべた。小籠包やラーメン、ホタテ、焼きそばのようなもの、その他いろいろ、全ておいしく、何と5人で270元ほど、3500円ほど。一人700円であれだけの量とものが食べられるなんて不思議そのものだった。日本では一人2000円は払わないといけないだろう。

 食後、タクシーで皮革製品のビルへ。相変わらず運転は荒っぽいものだった。行ったショッピングビルは皮革製品の問屋の集合ビルであった。3坪くらいの小さな店が何階にもずらりと入っている。廊下に店員がプラスティックケースに座ったりしている。エルメス、バリー、ダンヒル、クロエ、シャネル、何でもある。それも驚くほど安い。明らかに偽物である。全く問題は無いのだ、ここでは。ブランドものは偽物なので、ブランドものでない皮革製品を探した。大型のポーチのようなものが目にとまり、息子に値段交渉を頼む。最初330元であったが280元にしてくれることになった。日本円で3600円ほどである。驚く価格である。「中国恐るべし第5弾」皮革製品が恐ろしく安い。財布が110元、ベルトを120元で買った。妻も娘も適当に革製品を安く買っていた。制服姿の警官も一階でのショーを見ていた。彼らにとって偽物は悪いことでも何でもないのだ。取り締まることはない。

 次に、玩具と文具の問屋ビルへ行った。地下鉄に乗った。自動販売機に路線図があり行き先の駅のボタンを押しお金を入れるとプラスティックのコインが出てくるこれが切符。改札である部分にこのコインをかざすと中には入れる。出るときは改札口の投入口にそのコインを入れるシステムであった。電車は比較的広かった。座席はステンレスのようであった。運賃は何と一人2元。26円である。「中国恐るべし第6弾」電車運賃が恐ろしく安い。

 玩具店では日本で見るような玩具もいっぱいあった。ここもまた一軒が3坪くらいの狭いもの。それでも人がいっぱいであった。アンパンマンの大きなストラップ10元を買った。髪留めなども5元ほど。「中国恐るべし第7弾」made in Chinaが席巻する日本。日本で売られているものは、中間業者が入り過ぎているとしかおもえない。ここで仕入れてしこたまもうけているのだろう。日本の100円ショップがどうしてやっていけるのか不思議であったが、ここに来て解明した。ここではもっと安いのだ。中国の人海戦術。コピーする力のすごさ。そう言えば、2年前イタリアベネチアのガラス工場では絶対写真を撮らせなかった。その理由は中国人がすぐ真似をして同じ偽物を作るからと言っていたことを思いだした。

 買い物を済ませ、一旦ホテルに戻り、食事に出かけた。息子は一つ手前の駅で降りて、店に先に入って注文をしてくれていた。少し遅くなると満席で入れないようになるので、場所確保で先に行ってくれていた。四川料理で、娘が食べたいと言っていたエビチリなどを頼んでくれていた。ここでもお腹が一杯になった。5人分で530元ほど、日本円で7000円弱、Visaカードで支払う。日本でなら2万円は出しているでしょう。これが息子夫婦達と中国での最後の夕食であった。ちょっぴり寂しい気持ちであった。

 元の残り紙幣を息子に渡し、わかれた。一日一日がやや緊張と目いっぱい人のいるところ、いろいろ回ったりしていたので、もう1週間くらいいるような気持ちで、疲れていた。娘は中国に来て1000万人と遭遇したと思うと言った。行き交うバス、自動車、駅にいる人、ショッピング街の人などすべてああせてである。大げさだがでもそれくらい人が多いと思う中国である。翌日は香港に戻るため早起きであった。

20日(月)

 香港へ向かう列車が8時19分発。出国手続きなどがあるので7時20分にホテルを出た。チェックアウトの際、フロント係の女性がガムを食べながら応対する姿を見て、中国のもてなしはまだまだと思った。おそらく「我が中心」なのだろう。日本のように相手を思って行動することはないのだろう。道路の横断、車の運転、全てマイウエイである。反日感情は、大国主義的な感覚もあるだろうが、本質的に「我が中心」の気質が要因であると思った。

 息子夫婦に電車の搭乗入国審査ゲート前まで見送ってもらった。息子達は仕事があるのでその場でわかれた。またねであった。列車は相変わらずゆっくりとしたスピード。また客室乗務員がやたら多い。何をしているのかわからないが、携帯無線で話し合っている。列車の連結部で大きな声で乗務員同士が話している。うるさい。トイレに行ったが、便器に紙が重なり合うように詰まっている。まいった。

 香港に着き入国審査をパス。出たところに、おそらく麻薬などの取り締まりなのであろう、警察犬2頭が通路出口に阿吽の狛犬のように並んでいて、やや物々しいことにびっくりした。タクシーでホテルに向かう、荷物代に25HKドルを取られ50HKドル払った。ぼったくりと思った、手に50ドル紙幣を持っているのを見られていた。

 11時過ぎにチェックイン。もう部屋は使えるとのこと。えらい親切ですね、と英語でお礼を言うと、今日は空いているのでと返事が来た。今日の天気はどうですかと尋ねると雨になるから傘が必要だと。部屋にスーツケース等荷物を置いて、香港島に出かけた。

 香港の地下鉄に乗った。上環まで8HKドル50セント、日本円で110円ほど。安いが、あの中国の安さを知ってしまうと、これでも高く思えた。香港島は経済の中心と共に、古い街である。2階建ての細いトラムが走っている。なかなか風情がある。昼食をイタリアンで済ませ、散策に出かけた。骨董品を扱っている街、坂道の階段、昔の面影があった。お寺に行った。堂の中は巨大な茶色の蚊取り線香のようなものがいくつもぶら下がっていた。もちろんそれは線香であった。びっくりした。

 やがて歩いていると、雨が降り出した。ビルとビルとを結ぶアーケードになっている通路をできるだけ通るようにして雨を避けた。巨大なビジネス街がそこにはあった。スーツ姿の香港人や外国人を多く見かけた。やがて中環につきまた地下鉄に乗ってチムサアーチョイへ戻った。娘がDFS(免税店)でクロエの財布を買いたいと当初から言っていた。DFSを見つけ、そこで念願の財布を見つけて買った。3300HKドルで日本円でおよそ4万3千円。ブランドもの恐ろし。中国で似たようなものは3千円で買える。この差は何なのだろうと思った。仕送りをしてもらっている娘が高級品を買い、父は3600円のカバンで喜んでいる。3600円の安い買い物をしたことを非常に喜んでいた自分が、何か情けなくも思った。

 あと市内のショッピング街を歩き回った。妻や娘はそういう買い物が好きで、こちらは相当疲れた。ワトソンという薬局でタイガーバームなどを買って、それから書店を見つけたので香港のPast & Presentという写真集を買った。400HKドル5200円と高い。クレジットカードで払った。夕食を食べる店を見つけ、最後の中華料理を食べた。いろいろ頼んで320元4160円。一冊の写真集より安かった。それでも中国本土よりは高い。

 そのあと、香港そごうに向かった。雨脚がひどく、大変であった。うまく地下道を見つけ、そこを通って、そごうへ行った。実家に食べ物のお土産と思っていったのだが、月餅ばかりであった。地下売り場では北海道展をやっており北海道の食材を売っていた。こんなところで買うと高いのだろうなと思ったりした。コーナーで雨のような菓子の実演販売があり、その場で食べたときはおいしかったので、それ買うことにした。意外に高価なものであった。(あとでわかるのだが空港でも同じものが有り、空港の方が安かった。)買い物をしてから、プロムナードに向かった。屋根のあるところで雨を防いでくれる。対岸の香港島の夜景が非常に美しい。ピークから見るよりはプロムナードから見る方が美しいと思った。8時からビルの電光が変わるショーがあった。ビルのサービス。いくつかのビルが建物全体をコンピュータ仕掛けの電飾を発光するようにしていた。とても美しいものであった。  ホテルに戻り、荷造りをした。

21日(月)

 雨はややあがった。朝食はラーメンを食べに行くことにした。ワンタン麺を頼んだ。コップにお茶が出て来たが、娘はそれに手をつけなかった。これは箸を洗う湯かと思うようなものであった。箸などは紙ナプキンで必ず拭いてから食べていた。現地の人もそうしている人がいた。ワンタン麺はとてもおいしいものであった。23HKドル300円ほど。地元の人も入るような店は安い。

 ホテルに戻り、チェックアウトし空港に向かった。雨はひどくなる一方であった。タクシーのスピードメータは80キロを指していたが、自分の運転感覚から言うと100キロは出ていた。トヨタの車でメータはKm/hとなっている。マイルを使っているのかな、とにかく異常に速く感じた。

 香港国際空港に着き、すぐに搭乗チェックインを済ませた。スーツケースなど重い荷物から解放され、最後のショッピングを楽しむ。広い空港である。昼食をゆっくりと時間をかけ済ませた。HKドルは使い切り、娘の残ったHKドルを使った。無駄のない紙幣交換であった。

 入国審査を済ませると、免税店がいっぱい。ブランド商品の店のオンパレード。同じブランドの店が複数箇所ある。皆さん結構買い物している。金持ちだなあとおもった。3600円で喜んでいた自分を省みたく、何か一点だけブランド品を買おうと思った。ベルトがいいと思い探した。いくつもの店の中でバックルが一番求めていたものが一個あった。アルマーニのベルト2900HKドル、日本円37,700円、10倍のものを買った。いいのか悪いのか。いろいろ夏休み頑張った自分への褒美とすることにした。

 飛行機は15:05出発の予定であったが、台風11号の影響で、上空で着陸待ちの飛行機があったりして全便に発進ストップ。30分後にようやく飛び上がることができた。関空に戻ると8時15分。急いで出てMKタクシーへ。帰宅すると10時30分くらいであった。

 息子達の生活ぶりが分かり、一安心であったが、反日感情がいつ爆発するかわからない雰囲気はあった。日本に来る中国人は皆金持ちだ。しかし、そうでない人もいっぱいいる。やたら従業員が多いということはそれだけの給料をもらっていないはずである。高額をもらえるような仕事内容ではない。日本でお経済格差は広がっている。香港ではかなり広がっている。しかし中国の場合では、超金持ちと超貧乏人と、その差は非常に激しいように思えた。路上男性労働者は上半身裸で仕事をしている。この人達の汗とお金を動かしている人達との距離は相当あるのだろうとおもった。あと、日本の接客対応の良さを感じる旅でもあった。以前タイに行ったことがあるが、街の様子は似ていると思った。非常に大きな近代的な建物もあれば、汚い建物も混在している。これから発展していくのだろう。経済がどんどん伸展する。でもそれは西洋化を意味するものであるようだ。雑誌の広告にも西洋人らしき人が写っている。それは、そういうものにあこがれを抱かせるものである。西洋化することで日本も先進国になった。だけど失ったものも多かったのではと思う。こころは幕末在留外国人が描いた、当時のおおらかで、優しく、近所のものが助け合い生きていく日本人の姿、そうあって欲しいと思った。

   

香港空港 タクシー阿案内    竹の足場 作業をしている人

  

スーパー ヤクルト バッグなし

   

ビクトリア・ハーバー 夕刻

 

  

ブルース・リー

    

ビクトリア・ピークより

 

 

ピークからの100万ドルの夜景

 

オープンバス 一斉に写真を撮る日本人

 

女人街

 

九龍公園

  

ジュース       お粥

   

安全地帯公演看板        香港歴史博物館

  

昼食 昼食行商人  交通信号歩行者信号

 

広州向け電車

  

広州ジャスコ店内

  

 

梨園での夕食

  

香港行きチケット 広州駅前工事  中国茶作法

  

銀行応対の満足度回答機   息子の会社の事務所があるビル 

  

700円の昼食一部

  

皮革製品の問屋街

  

広州地下鉄自動販売機 コインチケット

  

玩具・文具問屋街ビル

三輪タクシー

 

 

広州での最後の夕食

 

香港地下鉄 チケットカード

 

シティ・トラム

  

昼食 骨董品街

 

香港中国寺

  

ショッピングモールと夕食

 

ビクトリア・ハーバーの日没

  

ビクトリア・ハーバー夜景

 

朝食ワンタン麺

 

香港空港出発ロビー 香港最後の昼食

 

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サイクリストは、びわ湖一周サイクリングを「ビワイチ」と呼ぶ。

そして、淡路島一周を「アワイチ」と呼ぶ。

初心者のサイクリストなら誰もが挑戦してみたいと思うコースだ。

今夏、JRで自転車を明石まで携行する輪行する「アワイチ」に挑戦した。

今回の最大の問題は「暑さ」であった。

盆を過ぎても、日本列島は猛暑続きで熱中症になる人が続出していた。

案の定、旅の初日は相当暑く、平坦な道でもうだるような暑さ、

坂道を上ると更に登り坂でのエネルギー消費で

汗が一気に噴き出し体温が上がった。

あと一歩で登り切れず自転車を降りて歩くことが数回あった。

歩くと、焼き付いた道路から高温の熱気が直に足からじわじわ上ってきた。

照りつける太陽、噴き出る汗、灼熱の道路、歩いても地獄であった。

熱中症寸前であった。

ステンレスの魔法瓶のわずかな冷たい水は命の水であった。

翌日は暑くならないうちにと、早朝5時半から西海岸を北上した。

この自転車一人旅で、 西宮からのアワイチサイクリストの若者に出会った。

福良で、鳴門のうずしおをクルーズ船から目の当たりにできた。

素潜りで貝を採る人、田んぼや畑の世話をする人、 いろんな人を通り過ぎた。

潮風が身体に染み込み、帰りの電車の中、海の香りがずっとしていた。

体力的にまだまだ自分はやれると思える旅であった。

こころが夏色の空になる楽しい旅であった。

君たちも、こころが空色になるような夏休みを過ごしただろうか。

こころがどう感じるか、

それには新しい行動を決断する力が必要だ。

秋学期、君たちの行動力に期待する。

蓼科・美ヶ原高原旅行 写真旅行記

8月31日(火)

自宅 6:30発 京都南IC ――― 養老SA ――― 駒ヶ岳SA ――― 諏訪IC 北沢美術館(昼食) ――― タケヤ味噌会館 ――― 

メルヘン街道 ――― マリーローラサン美術館  蓼科高原芸術の森彫刻公園 ――― 蓼科湖 ――― ホテル親湯温泉 16:00 着

9月1日(水)

ホテル親湯温泉 8:20 ビーナスライン ――― ピラタス蓼科ロープウエイ(9:00) ――― 坪庭散策 ―――

ロープウェイ ――― カフェるぽ(フレッシュブルーベリージュース)――― あぜいりあ(ハニーミルクジャム) ――― 白樺湖 

――― 車山駐車場スカイプラザ(昼食) ――― 車山肩駐車場 ――― ハイキング車山高原山頂 ――― 霧ヶ峰 ――― 

美ヶ原高原美術館 ――― 山本小屋前P16:00着――― 美ヶ原高原徒歩 ――― 王ヶ頭ホテル 16:40着 

――― 星空散策

9月2日(木)

王ヶ頭ホテル朝散策(王ヶ鼻)6:00 ――― バス 8::30 ――― 山本小屋前P ――― 扉峠 ――― よもぎこば林道 

――― アゼリアライン ――― 松本 ――― Vif穂高  ――― ちひろ美術館 豊科IC 12:40 ――― 駒ヶ根SA 

―――養老SA ――― 京都南 ――― 自宅 18:20着

北澤美術館新

 

諏訪湖

水位が低いのか藻が多い茂っていた

  

彫刻の森

   

彫刻の森 一休みの赤トンボ

森の中にある彫刻はその場に溶け込んで柔らかな感じがした。

ただほとんどの造形物は女性がモデルであった。

やはり女性は美しいのだろう。

蓼科湖

 

親湯ホテル

森の奥にあり、川の流れだけが部屋に響く感じであった。信玄の隠し秘湯らしいが、緑の露天風呂は気持ちがよかった。

 

ピラタスロープウエイ

北八ヶ岳へ登るロープウエイ、あいにく雲がわき上がっていた。

北八ヶ岳 坪庭

  

坪庭はごつごつした溶岩で覆われている。坪庭コースを外れて七つ池に向かったが、車山ハイキングも予定している今回の旅程の都合上、途中で引っ返した。

1日に一つの山をハイキングするにしなければいけなかった。

  

こけもも ラズベリー

坪庭で見かけた高山植物

ブルベリージュース るぽ

ビーナスラインにあったカフェるぽで一休み

  

高山植物 トリカブト(中央) マツムシソウ

車山ハイキング道での高山植物

秋のキリンそう

車山頂上

頂上より

 

 

頂上より    八ヶ岳連峰遙かに望む熟年カップル

私たちは車山肩駐車場からハイキング道を歩いて40分ほどかけて登ってきたが、車山駐車場からリフトで頂上まで来れる。

カジュアルな服装の人が多くいた。

  

車山ハイキング道 登山者アート

 

影絵のような夕刻の王ヶ頭ホテル 逆光のシルエット 王ヶ頭ホテルバスが走っている

 

ナイトツアー 野生の鹿

部屋から見る雲海に浮かぶ富士・八ヶ岳連峰

雲海を観ると天空にいるのかと思うようであった。

日の出 5:18

感動

八ヶ岳 右端に富士山が見える

富士山遠望

 

槍ヶ岳(左)

  

王ヶ鼻 ブロッケン現象  雲海の自分の影に虹(後光が差したように見える)

惜別の遠景

 

王ヶ頭ホテル 朝

vif 壱番館 安曇野

車の運転、ハードなスケジュール、とても忙しい旅であったが、こころの充電ができた。

さあ、秋学期頑張ろう。

夏の終わり

  

  

自宅近くの神社で夏の終わりを告げる盆踊り 8月28日

淡路島一周サイクリング

自転車:Trek 7300

クロスバイク 走行距離:約150km 8月23日 78.87km 8月24日 72km 行程  

8月23日

自宅発4:50 JR京都駅発5:21 快速 JR明石駅着6:48 明石波止場たこフェリー発7:10 岩屋港着7:45 岩屋港高速船乗り場 サイクリングマップ入手 8:10発 国道28号線 道の駅「東浦ターミナルパーク」8:32 洲本海岸通り着10:20 県道76号線(洲本より) 立川水仙峡謎のパラダイス11:58 県道25線(阿万より) 福良着14:15 観光 うずしおクルーズ16:10発 17:15着  

8月24日

宿舎発5:40 県道25線 鳴門自動車道通過6:20 阿那賀6:37 湊7:13 県道31号線(叶堂より) 都志8:18 郡家 8:58 北淡震災記念館着10:00 発10:50 道の駅「あわじ」着11:29  発12:05 岩屋港たこフェリー発12:10  明石波止場着12:45 JR明石駅発13:36 新快速 JR京都駅着14:44 自宅着15:17  

淡路島一周サイクリングマップ

 サイクリストはびわ湖一周サイクリングを「ビワイチ」と呼ぶ。淡路島一周を「アワイチ」と呼ぶ。初心者のサイクリストなら誰もが挑戦してみたいと思うコースだ。昨年、2度目の「ビワイチ」を実行し、今年は「アワイチ」に挑戦した。中級者以上なら1日で周遊するが、年齢を考え、また、うずしお観光もしたいと考え、およそ半分の行程の南あわじの福良で一泊することとした。そして、今回初めて輪行を経験した。私のTrek7300はクロスバイクでタイヤがやや太く重い自転車である。いつか、Trek FX7.9(32万円)を買いたいのだが、お金が貯まらない。まだ3分の1くらいしか貯金できていない。それはともかく、輪行には普通、前輪と後輪を外してコンパクトにして電車に乗り込む。ただ、後輪を外すとチェーンやディレーラーの処理など初心者には大変時間のかかるもので、手も汚れそうなので。前輪だけを外して収納する輪講袋を購入し、それで出かけた。ただ、簡単に収納できるのであるが、コンパクトでないため場所を取り、公共の交通機関の乗客に迷惑がかかる。それで、行程を出発は始発の快速に乗り、帰りは午後2時前後の比較的空いている新快速で明石から戻ることにして行程を組んだ。あと今回のサイクリングで最大の問題は「暑さ対策」であった。盆を過ぎても、日本列島は猛暑続きで熱中症になる人が続出していた。案の定、初日は相当暑く、平坦な道でもうだるような暑さ、坂道を上ると更に登り坂のエネルギー消化で汗が一気に噴き出し体温が上がる。あと一歩で登り切れず自転車を降りて歩くことが数回あった。また、歩くと焼き付いた道路から高温の熱気が直に足からじわじわ上ってくる。照りつける太陽、噴き出る汗、道路からの灼熱、歩いても地獄であった。熱中症寸前であった。しかしながら、それも今は思い出。今回の旅を振り返ってみたい。

自宅から明石、たこフェリー乗船

 京都駅でばたばたと袋に収納するのもいやだったので、前日に愛車を輪行袋に入れ、自家用車に積んでおいた。朝、4時過ぎに起き、パン一枚を食べる。妻に4:50に車で京都駅まで送ってもらった。京都駅八条口前でいよいよ輪行の開始。愛車がかなり重い。改札を抜け5番ホームへ。ホームの照明は全てついている。最後尾の列車に乗り車掌室の前に愛車を置くことにする。5時21分出発。途中何度も輪行袋の愛車が倒れないか気になり、手すりのようなバーにもう一本紐を出し倒れないように結びつけた。少し安心。乗客も混むということはなく、大きな荷物は迷惑にならなかった。若干気が高ぶっていた。6時48分に明石駅に着き、駅前で自転車を組み立てる。駅前には、ホームで見かけた若い二人組の学生(高校生?)が同じように自転車を組み立てていた。彼らは後輪も外しているので組み立てに時間がかかっていた。

 組み立てが終わると、明石のたこフェリー波止場へ向かった。当初、もたつくだろうと思って、7時45分の岩屋港行きフェリーに乗ることを考えていたが、意外に早く組み立てることができて、7時10分発に間に合いぎりぎり乗船することができた。待ち時間ゼロである。乗船すると前部の壁のところへ誘導され、そこで自転車に固定するゴムバンドを掛けてもらった。階段を上って船室・デッキへ。船室はクーラーが効いていて涼しい。30人くらいの乗客である。フェリーもこれでは儲からないだろう。でも空いていて気持ちはいい。朝の明石大橋は霞がかかっているようであった。海面に朝日が反射し明石大橋が背後にそびえていた。「よし来たぞ!」という思いであった。フェリーは30分少しかかって、岩屋港に着いた。下船する。

岩屋港から洲本へ

 明石では大慌てであったので、最終的に荷物を確認し出発。岩屋港たこフェリー乗り場には大きな施設は見当たらなかったので、少し先の高速船乗り場(淡路ジェノバライン)へ向かい、水の調達とトイレを済ました。ここで、淡路島観光協会が発行している「淡路島サイクリングマップ」を入手した。この地図はどこから登りになるかなどが記入されていてわかりやすい。もちろんナビも装着した。結局8時10分くらいに出発。国道28号線を南下した。いきなり椰子の並木道を走る。朝なので交通量はそう多くはなかった。少し走ったところにあった道の駅「東浦ターミナルパーク」でしっかりと朝食をとろうと思って立ち寄ったが、朝が早かったので、開店していなかった。

 仕方がないのでそのまま走ってゆくとファミリーマートがあったので、水を再度購入、朝食としてサンドイッチ一つ買って店の前で食べた。すると、あの明石で見た二人組の若者達がやってきて同じように水を購入していた。彼らは7時45分発のフェリーに乗ったはずである。35分の時間差を追いついてきた。よく見てみると軽装でスリムなタイヤ、若い。やはり仕方がないな!おじさんはゆっくりいくのだと思った。サンドイッチを食べている間に彼らは出かけていった。また、30歳代と思われるサイクリストが来た。自転車の両サイドに大きな荷物袋をさげている。この人も一周か、バックパックをしていないので楽かなと思った。

 そこから少しすると、路上に背の高い仏像のようなものが見てきた。世界平和大観音像であった。特徴的な顔であった。しかし何でここにあるのかと思いながら通過した。志筑、淡路ワールドパークを過ぎると途中海岸沿いの景色はのどかであった。ただ、朝から暑く、海からの潮風にも熱気があった。潮の香りと稲田からの実りの匂いとが相まって不思議な感覚であった。ただ、どちらにしても熱い風であった。洲本に近づき洲本橋を渡る直前、反対方面からこちらへ来るサイクリストがいた。彼は、近づいて来ると自転車のベルを大きくチンと鳴らし、私に気づかせ、通り過ぎる時に右手を高々と掲げ、親指と人差し指を広げ「L」の字を示した。こちらも頑張るぞと合図を送った。通り過ぎて「L」の字は「アワイチ」を意味していたんだと思った。淡路島を一周するという合図だったんだと。なんだか急に嬉しくなってきた。ファミリーマートにいた二人連れにスピードが違うのでたとえ一緒になることはなくても、声をかけなかった自分を恥ずかしくも思った。自転車仲間は出会うときには必ずお互いの健闘をたたえ合う合図を送る。これは学生時代に富山までサイクリングしたときから変わらないことである。

 洲本海岸通りに10時20分に着いた。当初計画していた海鮮食堂「魚増」でたこ天丼を食べるつもりであったが、まだ早かった。少しうろちょろして、結局大きなスーパーに入って食料や水を調達することとした。スイカのさいころ切り、グレープフルーツジュース、巻き寿司、水を買った。先で食べようと思ったがこの暑さ、腐ってはいけないと思い、スーパーの前で食べることにした。スイカは甘くておいしかった。種ごと食べてしまった。巻き寿司は、全ては食べられず少し残して捨てた。水は小さなステンレスの魔法瓶に入れていつも冷たい状態で飲めるようにしていた。小さなペットボトルの3分の2くらいしか入らないのだが、これが毎回命の冷水であった。愛車を止めていたところに、先ほどのファミリーマートであった荷物の多いサイクリストが同じようにパンを立って食べながら昼食休憩していた。「こんにちは」と挨拶をして出発した。

洲本から立川水仙峡を経て阿万へ

 洲本から一周コースを取るため、国道28号線を走るのでなく県道76号線を南下する。海岸沿いの道は、国道と異なり、交通量はかなり少なくのんびりとしたものになる。ただし、照りつける太陽と道路のはね返りの暑さで20キロ少しのスピードしか出なかった。由良を超え、やがて立川水仙峡のつづら登りに来た。ここがこのコース最大の登り坂(高度差160m)、本格的な上り坂が続く、また道路幅も狭い。途中ヘアピンカーブでダウン、暑い!少し行った陰で休憩、買っていたグレープフルーツジュースを一気飲み、自転車に装着している水筒の温い水で後味が残らないようにうがいをして少しその温い水を飲んだ。一息ついて、また、登り坂を頑張って走ってゆく。あの探偵ナイトスクープで紹介された「謎のパラダイス」がある立川水仙峡に辿り着く。パラダイスは運営していなかったようだ。こんな灼熱の山の中、誰が来るのかと思いながら通り越した。下り坂になったので、これで越したのかと思いきや、また登りが続いた。空気も暑い、自分の体も熱い。やりきれない暑さに休憩を取る。この時のステンレスの魔法瓶のわずかな水が、命をつなぐものであった。熱中症になりそうな身体をわずかであるが冷やしてくれる。でもすぐになくなる。少し元気を出し、頑張るとやがて下りに、スピードを出しすぎないように気をつける。以前柳生で転倒して以来、カーブの続く下り道ではスピードを出しすぎないように注意するようになった。登りがあるということは下りもあるということ、登り切った褒美でもあるのだ。下りると海岸沿いの道、車の往来は少ない。

 下り坂あたりから、「モンキーセンターまであと〜km」という立ち看板を何度も見た。海岸沿いを走っても何度も見かけるが、下りてすぐにあるのか思いきやなかなか、かなり先にモンキーセンターを見つけた。ここで水を調達しないとダメだと、水を二本、レモン水を一本買う。レモン水を一気に飲み干す。ステンレスの魔法瓶に水を補給する。残った水を頭からかぶる、冷たい。両腕にも、また頭にも冷水をかける。何とも言えない。残ったもう一本の水を飲み干す。汗が噴き出す。暑い!出発する寸前、明石からあの二人組の若者を見かけた。どうやらここで、名物のたこカレーを食べていたのかと推測した。とにかく暑いので、すぐに出かけた。灘黒岩水仙峡、灘漁港を過ぎてやがて、阿万へ出る山道に入った。ここもまた距離的に長い登り坂で途中、写真を撮ることにかこつけて、下車、冷水を一気に飲み干す。そのまま登りがずっと続く。身体が熱くてたまらず、坂もきつくてたまらず、下車して自転車を押した。すると目の前に、自販機があった。オアシスであった。それまでの道中に自販機はなかった。

 ここで水2本を買い、ステンレスの魔法瓶に補給、あとは全て飲み干した。しばらくすると、そこに明石からの二人組の細い方の若者がやってきた。彼は乗り切っている。この場面では、お互いの健闘をたたえ合う壁は何もなかった。初めて声をかけた。「きついね。この自販機がなかったら倒れるところだったよ」というと、彼も「助かった。命の水だ」と。そこで、明石から一緒だったねと話し合う。西宮から来たらしい。タフな自転車乗りらしく、西宮から琵琶湖一周を一日で行ったりしていると。行きは西宮から自転車で大津まで来て瀬田大橋周りでびわ湖を一周し、帰りは大津から東海道線に乗ったらしい。スゴイとおもった。身体もモスキート級かフライ級だ。そんな話をしていると、連れのもう一人が自転車を押しながら上がってきた。ここで初めて3人で会話をする。彼らはとにかく身軽であった。輪行袋を自転車のフレームにくっつけているだけで、バックパックもなし、ヘルメットもなし非常に軽装。一人は帽子もぶっていない。彼らは今日一日で周遊するとのことだった。私の方はインターネットで事前に調べておいた福良からのうずしおクルーズ(4:10 この時がこの日満潮でうずしおが見られる時間)に間に合うように宿舎に早く着けばよかっただけだった。そのとき1時過ぎくらいだった。距離は正確には見なかったが岩屋港から70kmより少ない走行距離、残り80kmが残っている。まだ、本格的な登り道が3箇所はある。この暑さで大丈夫かなと思いながら、気をつけてねと言って、別れ際、出会ったことを記念して自販機の前で写真を撮らせてもらった。

 そこから少しすると、長い下りが続いた。阿万に着いた。

阿万から福良へ

 阿万で県道76号線は県道25号線と分かれる。76号線を通り八幡まで行って国道28号線を左折して福良まで行くこともできる。この方が内陸を通るが山道がない。しかしながら、ここはやはり一周公式ルートである25号線をとった。しばらくするとナビのバッテリーが切れた。前日まで自宅で充電していたが、やはりぎりぎり出かけるまで充電を続けておくべきだった。

 やがて、サイクルマップにあるとおり、本格的な登り坂になった。ぎりぎりのところで冷水休憩。午後2時前、日照りは最高潮、道路は灼熱地獄。この時間走るのはかなりきつい。夏のサイクリングはこれが大変。走っても熱い風の時は疲れる。最後の頑張りで峠を越した。福良港が見えた。一気に下り坂。福良に着くと造船関係の会社が多く。暑い中小型船の造船や中型船の造船を行っていた。うずしおドームなないろ館に2時半前に着いた。観潮船の乗船券を買いに行く。時間指定はなく、何時に乗ってもいいことだった。4:10発に乗るつもりであった。乗船代は2千円であった。潮見表で確認し、この日は4:10発が一番うずしおが見られる時間であった。なので、宿泊所の福良館には5時頃到着としていた。観潮してからだとそれくらいかと思っていたからだ。ただ思っていたより早く着いた。なないろ館前に無料の足湯(うずのゆ)があったので、ゆっくり休憩しようと足湯に浸かった。膝のプロテクターを脱ぐと日焼けの境目がくっきり、足湯はぬるっとした生温かい湯であった。10分ほど足をつけて、あがった。

 何か店がいっぱい出ていたので3時くらいまではここで休憩し、それから宿舎に荷物を預けに行こうと考えていた。食べたくても見つけられなかったたまねぎソフトクリームを買っていると、明石からの二人組にまた出会った。足湯があるからいいよと声をかけ少し話をまたした。彼らと足湯で別れ、私は宿舎へ向かった。ビジネスホテルといっても狭いアパアートの部屋のようだとネットで調べていた。ただ素泊まりで4300円、安いのでそこに予約を取っておいた。3時過ぎに行ったのだが、昨日満室で片付けに手間取り3時半以降に来てくれと言われた。とにかく荷物だけ預かってくれと頼んで、また、なないろ館へ向かった。すると、明石からの若者が出かけるところであった。巡り会いは面白いもので、こうして何度も会うのだ。「荷物だけ預けてまた戻ってきた」と話した。3時20分くらいであった。彼らは、福良から道の駅「うずしお」に寄って、少し同じ道を戻り、北上するつもりであった。まだこれから6時間弱はかかるだろう。確かに西海岸は夕方走る方が播磨灘のサンセットが美しいとある。道も淡路サンセットラインと呼ぶ。でもよくがんばるなと思った。ここで最後にもう一度写真を撮った、今度はお互いに撮りあった。気さくな若者であった。彼らも私と出会って楽しかったと言ってくれていた。いい出会いであった。

うずしおクルーズ

 しばらく待って、咸臨丸という名前のうずしおクルーズ大型船に乗った。出港すると海面が金色に輝いていた。岬の向こうからもう一船の観潮船の日本丸が見えた。帆船を模して作られているので、なんだか黒船が現れたような感じであった。鳴門大橋を背後に金色の海を日本丸が近づいてくるのは非常に美しく思えた。やがて大橋の近くに来ると、そのあたりの海面は川のように流れが生まれていた。鳴門海峡は、本州と四国の間にある瀬戸内海と太平洋とを結ぶ海峡の一つで、幅が約1.3km。1日に2回、大量の海水が瀬戸内海に流れ込み、また同様に1日に2回瀬戸内海から流れ出す。瀬戸内海と太平洋の水位差は最高で1.5mにも及ぶ。海峡の幅が狭いことに加え、海底の複雑な地形も影響し、潮流は13〜15km/hの速度で流れる。そのときにうずしおが発生する。  初めて見るうずしおにやや興奮した。こんな風に急にあるところだけ潮の流れが生まれ、渦巻くようになったり、海底からわき上がるように海水がこぶのようにいくつも次次と盛り上がったりしてくるのはすごかった。目のまで海面があちこちで渦巻くようにぶつかり合う様子は壮観であった。一見の値打ちのあるものだった。

宿舎と居酒屋での食事

 宿舎に5時過ぎに戻った。明日出発が早いので、宿泊料を先に払うと告げた。自転車の駐輪代に100円とられた。部屋はキッチンが付いていて、安いウイークリーアパートのようであった。風呂も時間差で入る狭いものであった。が、早速風呂に入った。汗臭い身体をさっぱりさせ、お腹が減っていたので食事に出かけたいと思った。女将さんが教えてくれた「とっくり」という店に行った。淡路島のガイドブックにも載っていた店だ。しかしそんなこと忘れていた。地図を持っていかなかったので、迷ったが、ガソリンスタンド聞いて、近くでも聞いてたどり着いた。カウンターに一品のおかずが大鉢に盛られて、所狭しと積み上げられていた。サワラの南蛮漬け、鰯の煮付け、サザエとワケギのぬたあえの一品をそれぞれたのみ、造りの盛り合わせをたのんだ。生ビールは一気に飲んでしまった。地酒の「生麗(きれい)」を次に試した。そこそこの冷酒であった。何より料理がうまかった。南蛮漬けは絶品であった。鰯の煮付けも疲れた身体にここちよい辛さであった。造りはアジとサザエ、タイ、エビの盛り合わせであった。アジもまだ身がぴくぴくと動いている。エビもまた動いている。アジは肉厚でうまい。タイもうまかった。サザエのぬたあえもおいしく、あと、アジの塩焼きとたこと金時芋の天ぷらをたのんだ。これもうまかった。しめて、5000円。今日一日頑張った自分への褒美。値打ちのある食事であった。途中ローソンによって2リットル入りの水(105円)を買った。冷蔵庫に入れておけば夜や明日の水に使えると考えた。

福良から丸山へ

 朝、4時半に起床。荷物の整理、洗面を済ませ、5時40分に宿舎を出た。朝はまだ暑くないので、できるだけ涼しい時間に走りたいと考えた。福良を出ると25線は本格的な登り坂が待っていた。道の駅「うずしお」には寄らないことにしていた。昨日のクルーズで鳴門大橋は間近に見ていたので。だがここまでの登り坂がきつかった。まだ暑くなかった。それが幸いであった。この道あたりから路上をちょこちょこと動くような虫のようなものがいた。何だろうと思っていると小さな蟹であった。これが横向けにちょこちょこと道路を横断するのである。中には車にひかれてぺっしゃんこになっているのをいくつも見た。この光景はその後西海岸道路でずっと見た。丸山あたりに来ると、山に風力発電のプロペラが何機も立っていた。ここでナビが何を思ったのか、上り坂を上れと指示しループ上になったところをくるっと回らせ、しばらくすると下りになって海岸線に着くと、北上する右折でなく左折を指示、おかしいと思いながらナビの指示通り進むと、先ほどと同じところに出て、再度同じルートを上るようにと指示。だまされたと思い左折現場まで戻りそのまま北上した。おそらくナビは最短のルートを示すが、今回はなぜそう指示したのかわからなかった。たしかに発電プロペラは間近に見られたが、そのための徒労であった。

丸山から都志、郡家、富島、北淡震災記念館へ

 途中、湊あたりのローソンでトマトジュースとサンドイッチを買い朝食をとった。その後は、やや登りもあるが、海岸線をずっと北上。トラックなども通るが交通量は多くなく、抜いていく車は追い越し車線をうんと右に越して抜いてくれるので安心であった。途中、上り坂の稲田を走っていると、無数の雀が稲穂から飛び立った。びっくりして写真を取り損ねた。あれは面白い写真になったのにと悔やんだ。登り坂なんで急には写真を撮れなかった。

 そこを過ぎるとここからはほぼ平坦な道をひた走った。気がつけば、スピードや距離計のサイクルコンピュータの電池がほぼ切れかけで計測していなかった。こんなこともある。バッテリーを出発まえに交換しておけばよかったと思っても後の祭り。  途中、走っていると線香の匂いがするところを何度も通り過ぎた。あとで気がついたのだが、西海岸は線香を作っているところがあるそうだ。

 その後、先日テレビでも紹介されていた焼き穴子の魚増を目指して快調にひたすら北上した。やがて、魚増に着くと、今日は何と休み、シャッターが下りたままであった。店の写真だけを撮って、震災記念館に向かった。10時に着いた。館内を見学した。拝観料は700円。維持するのにお金がかかるのか、ややいと思った。断層は50cmほど隆起して起こったということだ。それにずれが1mほどすごく大きな地震であった。京都にいてもあれだけ揺れであった。実際の揺れの大きさを体験できる部屋があった。体験してみた。あらかじめ揺れがくるのがわかっているので心構えはある。それでも最初の揺れ大きさにはびっくりして声をあげる始末であった。相当にきつい揺れだ。写真の展示や当時に映像であの悪夢が甦った。大変な地震であった。

北淡震災記念館から道の駅「あわじ」岩屋港へ

 海岸沿いの31号線を北上。やや暑くなってきた。西海岸の半分くらいは、日が差さなかったが、後半は太陽の威力を感じた。そのまま北上すると水平線に町並みが見えた。神戸の街が見えたのだ。不思議な感じがした。走っている道路には田舎の家や崖、小さな集落だけである。しかし遙か対岸はビルがずっと水平に?がっている。両者の違いは大きいなと思いながら更に北上すると、江崎燈台あたりで明石大橋が見えた。「戻った」と思った。たこフェリーが走っている。すぐに道の駅「あわじ」に着いた。昼食は海鮮丼の華をたのんだ。2500円する豪華な昼食。これが旅の終わりの最後の御馳走と奮発した。たっぷり具材が入っていておいしかった。食後、明石大橋の写真を撮り岩屋港へ向かった。5〜6分であった。まだ、12:10発のフェリーが停泊していて、最後の確認をしているところであった。時間が過ぎているので早く乗るようにと運賃を払った係の人に急かされて、乗船した。本当は、そのあとの12:45発に乗ろうと思っていた。が、待ち時間なしで、今回も乗船、スゴイと思った。

たこフェリー、明石そして京都へ

 来るときと異なり快晴で、明石大橋も大きくくっきり見えた。明石波止場につき、魚の棚に立ち寄った。自転車旅で荷物は大きく、重くなってはいけないので、今晩のおかずだけを買うこととし(妻も友達と信州へ旅しており)、サワラの味噌漬けの焼き物と太刀魚の焼きものを買った。太刀魚はすごく肉厚であった。

 明石駅で、自転車を収納、重い荷物を抱えてホームへ。13時36分に新快速敦賀行きがあった。最後尾の一両目のホームで待っていると、声をかけてくる中年の男性ビジネスマンがいた。輪行袋がやや大きいこと、それでいても軽そうな輪行袋と話し掛けてきた。学生のときには京都にいて、自転車部に属していたのでよくサイクリングにでかけたことを楽しそうに話してくれた。聞くと、彼も相当な距離を走り込んでいた。今は、バイクに乗ってツーリングをしているとのこと。電車を待っている短い時間であったが、初対面の人と会話を楽しんだ。旅の魅力なのだろう。電車に乗り込んだ。乗客がそう多くない電車であった。そのビジネスマンは三宮でおりる時、再び声をかけてくれ、「最後の行程気をつけて」といって別れた。

 京都駅に着き、塩小路側は人が多いので八条口側に出て、自転車の組み立てをした。組み立て点検すると前輪がややブレーキがかかった状態。道具を取り出して、ブレーキワイヤーの長さを調節。それでもおかしい。不思議だと思って車輪を回すと一定の場所でブレーキがかかったようになる。すぐに車輪を装着したときにずれがあったのだと気づいた。横向けのように前輪を装着したので、中心まで収まっていなかったのだ。自転車を立てて再度、前輪を入れ直す。そこで固定。ブレーキの調子は正常になった。

 自宅に戻った。3時17分。早速自転車を洗って、書斎に格納。すぐにシャワーを浴び着替える。ほっとした。夜はさすがに疲れていて、写真をコンピュータ上で整理しているだけで疲れて、すぐに寝てしまった。

 今回の自転車旅行は、暑さとの戦いであった。暑さで汗だくになった。熱中症になると思ったくらいであった。しかし、その中でも西宮からの若者に出会えたりした。うずしおも目の当たりにした。輪行も経験した。まだまだ自分はやれると思える旅であった。潮風が身体に染み込んだようで、帰りの電車の中、塩の香りがずっとしていた。楽しい旅であった。   今度はどこに出かけようか、北海道自転車周遊かな。軽い自転車を買ったときかな。(笑)

 

 

   

京都駅

   

明石大橋

     

たこフェリー内の愛車

  

岩屋港到着 

 

世界平和大観音像

   

東海岸

   

 

洲本橋

  

 立川水仙峡の登り坂 謎のパラダイス

 

立川水仙峡から下った海岸線

モンキーセンター

  

東海岸 

阿万への登り坂 明石からの若者サイクリストと4度目の出会い

 

福良港

  

造船所     タマネギアイス      足湯(うずしお)

たこの干物

   

明石からの若者とまた出会って写真を撮り合う

日本丸 

   

鳴門渦潮

咸臨丸から

   

とっくりでの夕食

   

 朝日の福良湾  道路を渡る蟹

   

鳴門大橋へ向かう高速道路 

   

 丸山風力発電 西海岸

 

 

不思議なテーマパーク   焼き穴子魚増(本日休み)

   

野島断層

   

びわソフト

はり込んだ昼食 海鮮丼特上

 

道の駅「あわじ」より

明石波止場 たこフェリー待合室前

新快速 旅の終わり

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夏風 景

大文字 8月16日

 

 

悲田院より大文字送り火を望む

送り火に 風突き抜けて 何告げん

奈良燈花会

  

猿沢の池

浮見堂

 

 

東大寺

  

 

東大寺南大門仁王

淀川花火大会

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Once there was a way to get back homeward

Once there was a way to get back home

Sleep pretty darling do not cry

And I will sing a lullaby

Golden slumbers fill your eyes

Smiles awake you when you rise

Sleep pretty darling do not cry

And I will sing a lullaby

Once there was a way to get back homeward

Once there was a way to get back home

Sleep pretty darling do not cry

And I will sing a lullaby

  

  

 

伏見稲荷 本宮祭

なつのとも

 大雨が続いた今年の梅雨も祇園祭りを境に、急に猛暑の連続である。朝7時、小学校の運動場からラジオ体操のかけ声が流れてくる。夏休みがはじまったと実感する。  

 子どもの頃は町内ごとに集まって、ラジオ放送を流しながらやったものだ。ずいぶん昔のことだ。  

 先日、八十歳を過ぎた母が手渡してくれたものがあった。ずっと実家に整理して置いてあったものだ。小学校6年間、中学3年間、高校3年間の通信簿、成績表、そして、小学校のときの「なつのとも」「ふゆのとも」などであった。いきなり、何十年も前のことが目の前に現れてきた。小学校一年のときの男の担任の中岡先生からの卒業を祝う葉書は、ていねいな文字で頑張りなさいと書かれてあった。胸にじーんと来るものがあった。中学になるこども一人ひとり出された先生の葉書。先生とはいつまでも教え子の成長を願うもの。急に小学生の頃のことが甦るように心に浮かんだ。小学校3年の時の富田先生は美しい女先生であった。勉強に対して適当であった私に、先生は「あなたはやればできるのよ。先生はわかっているから」と言ってくださって、やる気を導きだしてもらった。小学校5・6年の担任の小森先生はこわいけれど快活でしっかりした女先生であった。子どもの力を信じてくれる人であった。「なつのとも」などには赤ペンで細かくコメントが書かれてある。一人ひとりに、言葉をかけることは大変なことだ。その言葉に子どもは成長を重ねて行く。  

 思い返せば、まっすぐに生きていたときであった。今、あのときの先生はどうされているのだろうか。お亡くなりなったと聞く先生もいる。最近は卒業式に歌わなくなった「仰げば尊し」の歌が私の頭の中にいっぱいに広がる。東京オリンピック前の貧しい時代、こころはピュアだった。  

 ビートルズの歌を聴きながら育った時代、通知表はあのときの自分の成長の記録。さして芳しくはない成績、社会科関係の科目だけが12年間いつもよかったのかと改めて知った。  

 母はずっとこれらのものを大切に手元に置き、子の成長を見守ってきたのだとこの歳になって改めて思った。孫が結婚し、息子が親としても一定の区切りをつけたのを期に息子に渡しておこうと私にくれたのだと思う。  

 人生、もう一踏ん張りの歳である。もう少し頑張って、現役引退。

 小学校の頃、夏の夜空を見上げ大きくなったらと夢みていた自分が、人生を振り返るように星空を観るようになった。

 

マリオネット・ライブ

  

海の日に、堺町二条上がる「ほっこり」でのマリオネットのライブを聞きに行った。

ポルトガルギターとマンドリンのデュオグループである。

前の職場にいたときに、このグループを知ってそれ以来のファンである。

ライブコンサートは都合6回は行っている。

哀愁に満ちたサウンドは絶品である。

「光の中へ」はその中でもお気に入りの曲の一つで、その生演奏も聞いた。

CDとは少し違うアレンジでよかった。とにかくこの曲を聴くと胸がきゅんとなる。

今の職場に来る決意をしたとき、この曲を聴いては万感の思いになっていた。

 

祇園祭・神幸祭

祭神を奉じた3基の神輿(みこし)が氏子地域を練り歩き、夜に四条御旅所(下京区)へ向かった。

八坂神社を午後5時に出発した神輿と八坂神社御神宝は、

都大路をねりあるいた後、午後9時〜10時頃相次いで御旅所に到着、24日の還幸祭まで進輦する。

鉾町とは異なる昔からの八坂神社の神事である。

 

  

 

  

 

祇園祭り

梅雨の中空、自宅からジョギングで鴨川沿いを三条まで走り、三条から烏丸を超え室町通りまで走った。

今日は宵宵山。祇園祭りの山鉾を早朝訪ねた。

金の鯉は2ひき

   

   

菊水鉾

町内にあった菊水井戸にちなんで名付けられる。 昭和27年再興、昭和の鉾

  

 

船鉾

神功皇后の説話によって、鉾全体を舟形に。美し鉾である。

 

  

岩戸山 天照大神の岩戸隠れの神話に基づく鉾  鉾町を小学生が登校する

 

 

 

  

長刀鉾 疫病邪悪を払う長刀を鉾先につける。先頭鉾(くじとらず)

 

ヘレンケラーの言葉に、

「希望は人を成功に導く信仰である。  

希望がなければ、何事も成就するものではない。」 がある。

三重苦を乗り越えた彼女には、

いつもこの言葉があったのだろう。

希望とは、

あることを成就させようとねがい望むこと、

こうあってほしいと望み願うこと、

将来によいことを期待する気持ち、

将来に対する明るい見通し 

である。

「あなたができること、あるいは夢見られることはなんでも始めよ。  

毎日を生きよ。あなたの人生が始まった時のように。」 (ゲーテ)

「朝、目覚めるときが二十四時間のうち最も素晴らしい、といつも思います。  

どんなに疲れ切って、やるせなくても、きっと何かが起こるに違いないと  

思えるからです。 絶対といってもいいくらい何も起こらないんですが、  

それでも、ちっとも構いません。 絶対に起こらないとは言えませんから。」  

 (モニカ・ボールドウィン)

夏の星を見ていると、 なぜか分からないけれど、

希望という言葉が心に浮かぶ。

暗闇に光る星だからこそ美しいと思う。

そして、自分の人生を輝かせていきたいと願う。

描く夢は未来を彩る。

夜空に輝く無数の星は 世界の人々の希望と夢なのかもしれない。

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局地的豪雨!? つゆの停滞

鴨川大増水

  

七条大橋   濁流を眺めるアオサギ    飛翔するアオサギ

  

散歩道に流木

 

四条大橋  三条大橋

 

三条大橋付近

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丸くなったね」と言われることは、

「成長したね」「大人になったね」という褒め言葉なんだろう。  

でも、  

それが、「おとなしくなったね」「小さくなったね」ということであったら、  

嬉しくない言葉だ。  

確かにいびつかもしれない自分の形状を、  

削って、  

丸くなるなら小さくなるしかない。  

それでいいのだろうか。  

若いということは、  

ごつごつしていること。  

そのごつごつが自分の個性なんだ。  

とんがっているところが、  

若さの象徴だ。  

ちょっと、ひと暴れするくらい燃えないと、  

その輝く個性を無くしてしまう。  

自分で自分を削ることはないのだ。  

これから経験するいろんなこと、  

これから出会ういろんな人が、  

君に欠けているところを埋めていってくれる。  

自分を削るのではなく、  

足して、更に大きくなっていくんだ。  

穏やかになるな。  若い君の心臓はびんびんだ。  

全力疾走しても平気だ!  

百万馬力のエンジンが、  

君の体内に熱い血を送ってくれる。  

この夏、何かに全力で取り組んでみよう。

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結婚式の写真

息子の結婚式の写真アルバムが写真館から送られてきた。

一月少し前の写真。

幸せそうな息子の顔。

中国で休みの日には、日本人会の人とサッカーをしているらしい。

聞くところによると、本田圭佑に似ているとみんなからはやし立てられているらしい。

そういえば、髪の毛こそ黒いが、あごのあたり唇、顔の長さ目のあたりも似ているか。

そんなことを思いながら、プロがとった写真アルバムを見ていた。

なんか、少し涙が出てきそうになった。

我が子がこんなに大きくなったんだと。

白無垢へ 差しかける傘 若葉風 

神前に 誓詞五月の 天をゆく 

子の謝辞に 大人を見たり 新樹光  (妻)

子独り立ち 朝 運動場に 雨が降る  (弘一)

 

 

NHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』の武良布枝さんは、  

どんな生き方を選んだとしても、  

最初から最後まで順風満帆の人生なんて  

あり得ないのではないでしょうか。  

人生は入り口で決まるのではなく、  

選んだ道で  「どう生きていくか」  

なんだろうと、私は思います。

と述べておられる。

運命はチャンスでなく、チョイスである。

男に生まれたこと、 女に生まれたこと、

確かにこれは君のチョイスではなかったが、

君の心や身体すべては君だけのものであり、

君だけの宇宙である。

君が話す言葉は、 君のこれまでの経験から生まれ出てくるもので、

微妙な君だけの気持ちがそこにはある。

これからの世界で君が自分を表現していくこと、

そして、それが自分の経験になっていくこと、

全ての出発点は君の気持ち、判断から始まる。

これから先、やっていくこと、

やってみたいと思うこと、

やらねばならないこと、

やってはいけないこと、

それらを選ぶ勇気と知性を

君の宇宙全体にみなぎらせて 一歩ずつ進んでいこう。

谷川俊太郎質問箱」に  

人は何かをしに生まれてくるわけではありません。  

生きているのが楽しくて、幸せだと思えるように生きる、  

そのために生まれて、生きているんです。 とある。

「何かをしなければならない」と背負い込むことはないのだ。

ただ、「何もしない」のではなく、

「何かやって楽しめれば」いいのだ。

問題は、 楽しむには何が必要か、

幸せだと思うには何が必要か分かっていることだ。

やって来る現実と 自分で創り出していく現実、

それが君の人生を紡いでいく。

泣きたいときは泣けばいい。

走りたいときに走ればいい。

要は、幸せだと思えればいいのだ。

「うまくできること」が自信ではなく、

自分を信じることが自信だ。

どこかに、

日々の学習生活から逃げ出したいと思っているものはいないかな。

「ウオーー!ウオーー!」

秋田県男鹿半島の「なまはげ」になって、

そういうものには「喝」を入れないといけないな。

 

父の日

中国にいる息子夫婦から、父の日のプレゼントとして、インターネットの通販を通して、高原ビールとスペアリブが送られてきた。

今日早速、妻と二人でいただいた。瓶ビールの栓抜きは錦の市場にある金物屋で私の銘入り真鍮の打ち出しをもらっていた。

それを使って開けた。カスケードホップの柑橘系香りと共に、際立つコク、少し苦みのあるビール。

スペアリブがビールに合うのか、ビールがスペアリブに合うのか、最高の相性であった。

先日、下の娘が帰ってきたときに昼食を共にした。ステーキランチを頼んだ。

そのとき、長女と長男が幼い頃、自宅から少し離れたグリルでみんなで食べたハンバーグステーキのことを思いだした。

土曜日の夕方、下の娘が生まれていない頃、妻と4人で時々食事をした。

子どもの嬉しそうな顔を見るが幸せだった。

妻が子どもに話をしながら食事をしているのを見ることが幸せだった。

外は暗くても、明るいレストランで食事をしている時間が本当に幸せな時間と思った。

父親として、家族を食事に連れていけることがうれしかった。

昼食を下の娘と先日食べている最中も幸せと思った。

娘と話をしながら食事をする。父親として幸せな時間だ。

今日はまた、子どもたちが周りにいないけれど、妻とこうして子どもから送られてきたもので食事が出来ることを幸せに思った。

歳を重ね、もう昔に戻ることはない。

でもあのときの幸せな時間は、いつまでも心にある。

きっと、地上にさよならするときの最後の瞬間もあの幸せなときのことを思い浮かべることだろう。

長女は、おじいちゃんと信州まで日帰り旅行に行ってきた。

お土産のわさびのり佃煮が父の日のプレゼントであった。

笑ってしまったが、

私にとっては、自分の父親と一緒に日帰りの旅行に行ってくれたことが私への父の日のプレゼントであった。

84歳 父は孫連れ 信州路

 

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女の子はいつも「何か」を求めている。

でもその「何か」が分からないので、 堂々めぐりをすることがある。

「何か」をと思いながらも、

昔のことにこだわったり、悔しいと後悔したりして、

結局、過去ばかりを見ているだけで、

足踏みしてしまっている。

前を向いて、 「どいてんか」と新しい時間に踏み出していくことが必要だ。

御輿(みこし)を担いで、わっしょい、わっしょい!

今のことに集中して、わっしょい、わっしょい!

夢中になって、わっしょい、わっしょい!

勇気と力が湧いてくる、わっしょい、わっしょい。

そして夢はいつか、あなたの心の中に膨らみ、

想いは気球となって、 空を巡る。

それには理由はいらない。

ひたすら夢中になることが大切だ。

理由を見つけても、 たった一つの理由で、

全てのことを決断できるわけでもない。

本気で、目の前のことを夢中でやり遂げていく、

ただ、何を重視するかを考えて。

あらゆる事こなすことは不可能だから、

これと思うことに、まっしぐらで進んでいくことだ。

そこから新しい自分が生まれてくる。

さあ、 どいてんか、どいてんか、

私は私の可能性に向かって走ってんのやから。

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それぞれの道を

息子は中国で新婚生活を始めた。広州はとても湿度が高いらしい。

現地には日本婦人会があって、カードが発行されるらしい。

そのカードを持っていると割引になる店もあるとか。

先日、埼玉に下宿している娘から、電話があった。

Y旅行会社から内定通知をもらったと。

何百トンもの重しから解放されたと本当にほっとした様子であった。

旅行会社だけに絞って就職活動を行っていたので、もう少し幅を広げて考えてみてはどうかと思っていた。

しかしながら、自分が望むところが一番だろう。

あの泣きはらして帰ってきた姿が今は懐かしい。

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父の日は父に感謝をする日である。

六月の第三土曜日、今年は二十日である。

先日一日雨降りとなった五月二十三日に、 我が息子が結婚した。

新郎新婦・両家併せて十四人の 家族だけで祝う ささやかな結婚式であった。

披露宴の食事会では、息子が決めた段取りに従って、

新郎の父として、二人を祝福する挨拶のスピーチをした。

そのあとは、食事会の最後に 息子がお礼の挨拶をするだけの段取りであった。

しかし、会食が始まってすぐに、

私の八十四歳の父が場を盛り上げるために自ら、

三十一年前の私の結婚式のときに吟じた「高砂」を、

今回も、年老いた声をからしながらも謡ってくれた。

夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい能の謡である。

『高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、  

月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、  

はや住吉(すみのえ)に着きにけり、はや住吉に着きにけり』

父はそのあとも私の息子へのはなむけの言葉を送り、

酔ったと言いながらも、 列席する新婦側の親族にお酒を注いで周りながら

一人ひとりに挨拶をしてまわった。

父の優しさに、この年齢になっても感激した。

我が息子もきっと祖父の気持ちを受け止めてくれたことだろう。

父の優しさは、ときに唐突であるが、

心からの気持ちが溢れ出たものである。

そんな優しさで、 君たちにも接してゆこう。

大原・途中峠・仰木の里棚田サイクリング 平成22年6月6日 (日)

出発:6:05  帰着:14:20 走行距離:71.29km 走行時間:4時間58分35秒 平均速度:14.3km 最高速度:42.0km

 久しぶりにサイクリングに出かけた。2週間前が息子の結婚式、先週が内祝いの挨拶回りと忙しかったので、今日はと思い出かけた。 前から一度、仰木の棚田を見てみたいと思っていた。田植えが済んだころに行くのが一番と考え、大原経由で出かけた。

 大原三千院は8時半開門で、朝早いと空いているので写真も撮りやすいだろうと考え、6時過ぎと早めに出かけた。 ところが、思ったより時間がかからず7時20分くらいに三千院に着いてしまった。もちろん、大原の朝市に立ち寄り、昼ご飯を仕入れたりして時間を過ごしていたのだが。 そこで、三千院の裏山にある音無の滝に時間つぶしに向かった。山道でマウンテンバイクのほうがいいのだろうが。15分ほど登ったところに滝があった。岩肌を滑り落ちるような滝であった。引き返して、自転車を止め、三千院の門の前で開門を待った。8時30分少し前に開門になり、中に入った。客殿から見る庭は額に納まった景色のようであった。そのまま宸殿へ向かうと寺のお坊さんが、朝のお勤めをしているところであった。6人くらいの僧が「南無阿弥陀仏」と合唱すると堂内に声明が響き渡った。

 往生極楽院では国宝の阿弥陀三尊像が安置されていた。天井は長年の護摩木や線香の煙で黒くすすけて何も見えないが、このたび赤外線照射で色鮮やかな天女や諸菩薩が描かれていたことが分かり、その復元模写が宝物館に展示してあった。驚くほど色鮮やかで、当時の人にとっては別世界に思えたことであろう。そのあと、 庭の苔むしたわらべ地蔵の写真を懸命に撮った。

 三千院を出てから、これまで立ち寄らなかった宝泉院へ行って庭を楽しむことにした。お抹茶付きで800円と喫茶料金こみの拝観料であった。 確かに、額縁庭園といわれるだけのことがある。昔人はこうして自然を愛でていたのかと思うものである。抹茶をいただき、写真をローアングルで意識して撮りまくった。靜かな時間であった。

 三千院を離れて、国道367号線(鯖街道若狭路)と途中峠に向かって登っていった。結構な坂道であった。途中トンネルに入らず、下の旧道を通ってレインボーロードに出た。そのまま下り途中で県道47号線に入った。香りの里、伊香立(いかだち)で、香の里資料館に立ち寄った。入館無料で、地域の昔の農機具や昭和のころの生活が再現されていた。懐かしいものの展示がしてあった。地域の様子を挿絵にした栞が無料でもらえた。なかなかノスタルジックな絵ばかりであった。

 そこから、仰木の棚田に向かったが、仰木の棚田がどこなのか地図を見ても分からない。ナビにも出てこない。一応、自転車ナビを「仰木の里郵便局」に設定して進んだ。田んぼを見るには、高いところから見る方が分かるだろうと何度か県道から逸れて、農道を上っていったりしたが、行き着いたところは結局行き止まりで二・三度同じ道を行き帰った。やがて、農道に小さなバスが停車しているのを偶然発見した。バスのフロントガラスを見ると「写楽ツアー」と長細い紙に表示してあった。よく見ると三脚と一眼レフのカメラを持ったおばあさんが降りてくる。それを見て、ここがあの馬蹄形の棚田があるところだと確信し、農道を上っていった。県道を高架している橋を渡り少し進むと、案の定、大勢の老人カメラマンが群がっていた。あのバスツアーで来ているのだ。目の前には馬蹄形の棚田があった。  仰木の棚田は、大津市近郊の琵琶湖を臨むことができる棚田地域で、その恵まれた自然景観や豊かな生態系が写真家今森光彦さんによる「里山物語」で、1995年に大倉川の上流部に写真の馬蹄形の棚田が紹介された。HPを観ると、仰木の棚田のシンボル的存在となっている。仰木で最も美しい景観の場所のひとつである。馬蹄形と呼ばれる通りUの字を形づくっている。大倉川から水路で導かれて水は、この上部の棚田に流され、すべての棚田を巡って大倉川へと戻される。長年培われてきた農民の水を一滴たりとも無駄に使わない知恵であるとのことである。棚田を見ると農家の人が畦の草刈りをやっていた。HPに仰木の棚田写真を掲載している中江さんの言によると、「里山の棚田の景観を美しいと感じるのは、いつ行っても農民がいつも田の畦の草刈に励み、きれいに整備している理由にもよる。特にこの仰木の人々は農民が草ぼうぼうにしておくことは恥と感じ、少しでも草が伸びると刈り取ってしまう。」ということらしい。 馬蹄形の棚田を見ながら、大原の朝市で買ったいなり寿司を昼食に食した。

 あとはびわ湖へ出るため左折しながら下っていき、いつもの161号線と併走している旧道を通って帰ろうとしたが、このまま直進してもいけるだろうと思い上っていった。案の定行き止まりになり、併走している舗装道路のガードレールを自転車担ぎこんでおろし、そのまま走ろうとした。何となく変だと思いナビを見てみると、何と奥比叡ドライブウエイであった。自転車に設置してあるナビは、本来は車用であるので、自転車道路を認識しない。また、ひっかえすことになった。本当に無駄の多いサイクリングであった。 いつものように小関越えで戻ったが、あの峠は頂上の50m手前でダウンした。あと何とか東間も越え帰宅した。

 すぐにシャワーを浴びて疲れをとろうとしたが、いつもより距離は少ないが、登り坂が多かったので、足の筋肉が帰宅してから、何度もつったりして結構苦しんだ。平均スピードの遅さが今回のサイクリングの特徴を物語っている。 横になっていても、右脚も左脚も、それぞれ異なるところがつったり痙攣を起こしたりして痛かった。歳なのかな。いや、久々に疲れた。

 

      

三千院 裏山 音無の滝 咲いていた花

  

三千院 御殿門

 

  

客殿 手水

  

朝のお勤め わらべ地蔵

  

  

宝泉院 額縁庭園

 

額縁庭園

  

香の里資料館

 

仰木の棚田 馬蹄形田んぼ

  

  

夢を曲げず、就活に四苦八苦で、へこんだりしている娘から、

先日、妻の携帯にメールがあった。

韓国に留学している高校時代の親しい友達から

へこんでいる娘の様子をスカイプで見て、

顔パックが航空便で韓国から送られてきたとのこと。

その顔パックをして元気を出して頑張れということでした。

韓国語で書いてあるから使い方がよくは分からないけど、

これをして、明日の就職試験頑張るとの内容であった。

それを聞いて、 その友達の心遣いに本当にうれしく思った。

本当の友達を持つことの大切さを心から感じた。

毎日精一杯に生きているからこそ、 心の友も精一杯の気持ちで接してくれたのだろう。

人生を思うように生きてゆこうするには力がいる。

それを阻もうとする要因を発見しては 解決し続けていかなければならないからだ。

確かに、日々何も感じないようにし、 人生こんなものだとあきらめて生きるなら、

それは楽な生き方になるであろう。

傷つくことも、怒ることも、めげることもない。

その代わり、喜びもないだろう。

なかなかうまくいかないことも、 生きる原動力である。

失敗のたびに、「次こそ頑張ろう」と思うから。

その場で立ち止まって、三べんくるくる回ってみよう。

気持ちも落ち着いて、 涙も乾くでしょう。

君の心の友はそれを温かく見守ってくれていることだろう。

さだまさしの「いのちの理由」の歌詞はこうである。

私が生まれてきた訳は、父と母に出会うため  

私が生まれてきた訳は、きょうだいたちに出会うため  

私が生まれてきた訳は、友達みんなに出会うため  

私が生まれてきた訳は、愛しいあなたに出会うため  

春来れば 花自ずから咲くように  

秋来れば 葉は自ずから散るように  

しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ  

悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように  

私が生まれてきた訳は、何処かの誰かを傷つけて  

私が生まれてきた訳は、何処かの誰かに救われて  

私が生まれてきた訳は、何処かの誰かを救うため  

夜が来て 闇自ずから染みるよう  

朝が来て 光自ずから照らすよう  

しあわせになるために 誰もが生きているんだよ  

悲しみの海の向こうから 喜びが満ちてくるように  

私が生まれてきた訳は、愛しいあなたに出会うため  

私が生まれてきた訳は、愛しいあなたを護るため

 

雨の音を聞いていると、

こころに自分一人で生きるために生まれたんじゃないと

声をかけられているような気がする。

人生、快晴ばかりでない。

雨の日こそ、本当の友が見つかり、

本当に大切な事が見つかり、

本当にやりたいことが見つかるものだ。

息子の結婚

 

我が子が結婚する日がやってきた。いつまでも子どもだと思っていたけれど、本当に独り立ちするときがやってきた。嬉しい気持ち、ほっとする気持ち、ちょっと寂しい気持ち、いろんな感情が入り交じっている。息子の結婚でこんな気持ちになるなら、娘のときはどうなるのだろう。

いや、本当に今、実感として人生の深い意味をかみしめるようだ。身内だけのささやかな、明日の結婚式、精いっぱい祝ってやりたい。息子よ、おめでとう。お父さんは嬉しい。

 

上賀茂神社にて

    

ご指名をいただきました乾杯の発声の前に、新郎の父として、ひと言御礼とご挨拶を申し上げます。

本日は、二人の結婚の儀に御参列たまわり誠にありがとうございます。

先ほど上賀茂神社であいにくの雨でしたが、こころは晴れやかに夫婦になりました二人を見ておりますと、慶びと同時に感慨深いものがあります。先日、二十数年前に撮ったベータームービーを何とか変換しブルーレイに録画し直したビデオを見ていますと、ちょこちょこと動き回ったりおもちゃのマイクを手に楽しそうに歌を歌ったりしている息子の姿がありました。Sさんにも幼い頃の写真を見せて頂きました。幼稚園で遠くに出かけたりしている写真やいつまでもお若いおばあさんや、お父さん、お母さんとの写真もありました。幼かった子どもがこうして今日の日を迎えるまで大きくなりました。

高木あきこのある詩の一節に、  

 きみが生まれたとき  世界中の空は ほがらかにわらって  

 きみの人生のゆたかなドラマを  雲のスクリーンに映しだした  

 ほんの一瞬  ほんの一瞬のことだけど          とあります。

生まれてきたとき皆に祝福されたように、誕生日や行事のあるごとに家族や身内のものにこれまで祝福されてきました。今日はその中でも特別の日であり、ここに集いました家族や身内は、二人を温かく見守ってきた長年の思いを胸に、心からの祝福の気持ちを抱いています。だから、二人は、これまで見守り支えてきてもらってきたことに感謝の思いをしっかり持ち続けて欲しいと願います。お祖母様はSさんにとってはかけがえのない方だと思います。また、今日残念ながら、ここにお見えできないSさんのお母さんも記憶のどこかに、Sさんのことをいとおしく思っておられることと思います。そのことも忘れないで欲しいと思います。

人生は様々です。私の弟も若い頃に腎臓を患い、以来30年間という長い歳月、透析を続けながらも自分の家族のために頑張っております。「人生とは何なのだろう」と思うことがあります。 昔、妻と二人でよく見た寅さんの映画で、甥の満男が寅さんにこう尋ねる場面があります。「おじさん、人間は何のために生きているのかな」と。それに対して寅さんは次のように答えます。「えらい難しいことを聞くなあ。そうだな、ああ、生まれてきてよかったなって思うことがなんべんかあるじゃない。そんなために人間生きてるんじゃねえのか」と。

人生はすばらしいことばかりではありませんが、佳き日が必ずあります。まさに今日は、新郎新婦の二人にとって、いや私たちにとっても「生まれてきてよかったな」と思う一日です。これから、しばらくは中国で暮らす二人には楽しいことも辛いこともあると思います。でも、生まれてきてよかったなあと思う日々がこれからも必ずあります。だから、ゆっくりと笑って二人の人生をともに歩んで欲しいと思います。

さて、お集いの皆様、二人のこれからの人生の旅路を祝して乾杯したいと思います。 それでは、二人の幸せな人生の航海に乾杯。

 

はっぱ

 

 

自分が生まれたときのことを覚えている人はいない。

両親が話してくれたことから想像するだけだ。

自分の人生が始まったときを、 人生のスタート地点だと意識することなんてほとんどない。

でも、記憶にはないが、 人は確かにみんなから祝福され、愛されて生まれたのだ。

そんな君も、人生のスタート地点を忘れ、 今は昨日、今日、明日と生きるだけで精いっぱい。

本当は毎日が全然違うのに同じような日々に思え、 何か本気がでない。

昨日と今日は違うし、今日と明日も、きっと違う。

いつも通る道でも、違うところを踏んで歩くことができるし、

いつも通る道だからって、景色は同じじゃない。

自分で何かを始めないと、 生まれて来たときのまま、 回りに助けてくれる人がいないと生きていけない。

よし、今日から頑張るぞと気合いを入れ、 心のスイッチを入れ、 君自身の成長へのスタートを切った。

しかし、これまで何度もそのスイッチを入れたつもりであったが、

なかなか思うように加速しなかった。

生まれて来たときのように、 本当は生まれる前から誕生は始まっていたし、

両親はどれほどか心待ちにし、 準備をしてきたかを考えてみれば、

心のスイッチを入れるにもそれなりの準備がいるということだ。

そして、爆発的なエネルギーもいる。

しっかり準備、覚悟を決めて 宇宙空間へ飛び出すくらいのエネルギーで、 スイッチを入れよう。

一瞬のことだけど流れ星が祝福してくれるだろう。

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一番下の娘が、就活に全敗でくじけそうになっています。

旅行会社関係、数々だめで、先週の金曜日、最後にK社の最終面接まで行ったのですが、

たくさん応えられる話を用意して臨んだにもかかわらず、最初から面接担当者は相手にせずへらへらしていて何も聞かれなかったそうです。

最初から採用を決めているなら最終面接まで来いと言うなと思う怒りとともに、

最終の面接に賭けていた気持ちがしぼんで、相当へこんでいました。

妻が電話をすると泣きじゃくってどうしようもなかったそうです。

それでもきりがないので、そんな非常識な対応の会社に就職しない方がかえってよかったやないと慰め電話を切ったのですが、

娘は母親の言葉に、「家に帰りたい」という気持ちが爆発したのか、

夜8時過ぎ、「今東京駅、これから帰る」とメールをよこし、

着替えも持たず下宿先を飛び出し、11時過ぎに京都の自宅に戻ってきました。

アンジェラアキのような出で立ちでしたが、

だてめがねを外すと、明らかに泣きはらしたのがすぐに分かるほど目の周りが真っ赤でした。

私は娘の顔をまともにもることが出来ませんでした。どう声をかけていいのかも分かりませんでしたが、

探偵ナイトスクープを一緒に見ながら、笑うことにしました。


翌日は、私は仕事に出かけました。妻にショッピングでも連れてやりと言付けました。

妻は、自転車で二人市内のサイクリングに連れだし、昼の食事を楽しみ、買い物して帰ってきました。

日曜日は、妻と、長女も連れて4人でカラオケに行きました。

アンジェラアキの「輝く人」が娘の応援歌でありました。

それから食事をして帰りました。

娘は月曜の夜に帰ったのですが、新幹線の切符を私が仕事帰りに買ってきて、持たせました。

夜、京都駅まで車で送りました。

出発した新幹線から、

「今電車出発した 3日間なんも考えんでリフレッシュしたわ また気持ちを新たに頑張ります」

と携帯にメールを打ってきた。

涙が出る思いであった。3日間一言も就活の話はしなかった。本人が1番分かっていることだから。

昨日、妻の携帯にメールがありました。

韓国に留学している高校の時のとても親しい友達が、娘のことを励ますために顔パックを韓国から急ぎ便で送ってきてくれたそうです。

その顔パックをして元気出して頑張れということでした。

韓国語で書いてあるから使い方ちゃんとわからへんけど、これであしたの就職試験頑張るという内容でした。

それを聞いて、心の友の心遣いに本当に嬉しく思いました。本当の友達を持つことの大切さを心から感じました。

親はいつも一喜一憂、だから毎日精いっぱい生きようと思います。

今週の日曜日は母の日であった。 日頃の母の苦労をいたわり、 母への感謝を表す日である。

ロングテールの言葉に  

前に進めば、  眺めが変わる。  もう少し進めば、  心が変わる。  更に進めば、  人生が変わる。

がある。

母はきっとこうして生きてきたのだろう。

母には 早送りしたくなるようなつらい時期もあったことだろう。

しかしながら、 歳を重ねると、そうしたことも、 あとから巻き戻したくなるような 大切な思い出になっているのではないか。

人生の様々な蓄積が 母の優しさのすべてになっている。

今の君たちの苦しいこと、嬉しいこと それらのことは優しい母になる準備かもしれない。

だから、今を精いっぱい頑張ろうじゃないか。

頑張れば、 未来の君が 今の君の頑張りにきっと感謝する。

さあ、前へ進もうではないか。 やがて心も人生も変わるから。

5月5日 藤森祭 武者行列

本年度は、町内が当番町で、昨年町会長を務めたことから、武者姿になって5kmほど行列に参加することになった。

何と言っても、今年の連休は好天に恵まれ、暑い日々が続いた。昨日も変わらず暑い一日になった。

私は、12時交替で午後の行列である。

鎧甲は思っていた以上に重いものであった。胴の部分は6kgはあった。

兜は4kg近くはあった。

ビニールの縄で編んだわらじを履いて行進。

手甲、足甲もしており、暑い。タオルで汗をぬぐうことも出来ない。

わらじに慣れておらず、足袋の親指の付け根あたりが痛い。

よくも昔の武士はこんな出で立ちで戦ったものだ。相当な体力がいる。

よほど強く叩ききるか、突きで戦わないと相手を倒すことは出来なかったろう。

命を賭けた戦いに生きる意味があったかどうか。

そういう考え方は当時はなかったのだろう。

行列の途中から足の裏が痛み出す。今はジョギングシューズなど足が疲れない靴がいっぱいある。

文明開化ということばを思い出した。

兜の重さも少しずつ応えてきて、首がくらくらする。

行列を終え、町内に戻り甲冑を脱いだときはほっとした。

だが、足の裏は痛いし胴を腰でささせていたので足腰ががくがくの状態。

5kmほどの行列は、120kmのサイクリング以上に疲れるものということが分かった。

 

 

 

 

「自信なんてなくたっていいんだ。 第一そんな余計なもの持っていたら  

失くしたときに落ち込むだけだ。」 という人がいる。

最初から自信を持ってやれる人なんてそう多くない。

新しいことに出くわして、 平然とやれる人は少ないはずだ。

だからといって、

怖がってじっとしていたり、 引っ込み思案になっていたりしてもいけない。

失敗したら、うまくいかなかったら、 わからなかったらと心配することはあるだろうけど、

やるリスクより、 やらないリスクの方が大きい。

やらないよりは、 やって初めて見えてくるものがたくさんあるからだ。

たとえば、どうでもいいって思っていることの中に、 とっても大切なことがあって、

大切だと思い込んでいることの中に、 どうでもいいことがあるものだ。

ただ、それは関わってみたり、 挑戦したりしてみて、 初めて分かることだ。

自信なんかなくてもいい、 まっすぐ向かう勇気と 伸びようとする意志が大切だ。

つまり、必要なものは、君のひたむきさ、ひたすらな姿勢であろう。

近江八幡・安土サイクリング

出発:6:55  帰宅:16:30

走行時間:6時間45分58秒

走行距離:118.3km

平均速度:17.4km/h

最高速度:44.0km/h

 

全国的に好天の5月2日(日)、自宅から安土までのサイクリングに出かけた。

自宅出発は6時55分、五条坂から東山を越え、追分から逢坂山を越えて1時間で近江大橋へ(7:47)。

そこから、さざなみ街道を北上、草津・烏丸半島へ8:23到着、そして琵琶湖大橋に8:47着、

そのままさざなみ街道を北上。 途中、女性ばかりのサイクリング一団に追いつく。

サイクリングウエア姿のすごいパワーの7人くらいの女性サイクリスト集団。

一団の問題は、自転車道路の道幅ほぼいっぱいに広がって走行することだった。

途中、反対側の歩道に出て、その登り坂で抜いて、先へ向かった。

登り坂を必死にこいで追い抜いたとき、太ももに痙攣気味の痛みが走ったがこらえて走り続け、近江八幡に9:40着いた。

まず、日牟禮八幡宮にお参り、弟のこと、娘のこと、息子のこと、家族のこと、いっぱいお願いする。

鯉のぼりが宮内にいっぱいのぼっていた。

クラブハリエで名物のバームクーヘンを買って、わた与でういろを買った。

どちらも関西に知れ渡った近江八幡の有名な菓子である。

購入後、県道2号線、県道大津能登川長浜線を通って安土に向かった。

安土に来ると安土楽市楽座館が目に入った。ここには安土城の天守部分の模型があった。野菜も売っていた。

見学後、10:55にJR安土駅へ。JR安土駅の前には信長の像が立っていた。

駅の反対側の城郭資料館に入り、安土城の模型の内部を見る。

実際の城は、3年間かけて造られたと言うが、吹き抜けのお城の真ん中には巨大な心柱と何か釣り鐘のようなものがあった。

天守閣の真ん中が大きな空間であったのは驚いた。

映画「火天の城」ではそうわからなかった。

最近、安土町が近江八幡市と合併されたが、安土には大きな産業もなく、農業が中心であるように思えた。

昼食を取りたいと思ったが、安土にはほとんどこれと言った店はなかった。

あたり、住宅の民家はあるものの少し離れると田園が拡がり、田植えが始まっていた。

そのまま、信長の館、安土城考古博物館のある方へ向かった。

連休で車で来ている人が多く、小さなレストランも配膳待ちの人が多かった。

ここでの昼食は断念した。

安土城考古博物館の前は、菜の花畑が広がっていた。

とても美しかったので写真を何枚か撮った。気がつくと12時を回っていた。

そろそろ、帰路に就かないと同じ以上の距離を走るのが大変と思った。

往路、何組かサイクリング集団を追い越すため、湖周道路の登坂でかなりエネルギーを使い足の筋肉がつりぎみであった。

でも、自分の足で帰るしかない。

考古博物館から自転車道のびわ湖よしロードを通り、西の湖を右手にまず近江八幡に向かった。

のどかな風景が続いていた。

近江八幡を出てからは、湖周道路を使わず、早道かなと思って、自転車ナビを使って、

県道26号線、48号線、11号線を通って、琵琶湖大橋に向かった。

思っていたより距離があり、途中でかなり疲れが出てきた。湖周道路を走ればよかったと思った。

おなかも減ってきたが、とにかく琵琶湖大橋を渡って、道の駅に入ることにした。

13:35琵琶湖大橋の道の駅に着いた。膝や太ももががくがくであった。

カツ丼を食べ、元気をつけ比較的すぐに出発した。それでも2時になっていた。

道の駅で菖蒲の花を買いバックパックのサイドに差し込んで花自転車で出発した。

気持ちとは異なり、ここからは思うようにスピードが出なかった。

やはり少し疲れが来ていた。年齢なのかな。

いつものように湖西線真下の道を通って戻った。

坂本、唐崎、大津京とJRの駅を通過したが、かなり疲れて足が思うように動かない。

JR坂本・大津京駅前で下車し、足の屈伸運動しなければならなかった。

これから難所の小関越えかと思うとどっと疲れが出るようだった。

とにかく小関越え、も一つ東山の峠を越して三条東大路へむかった。

三条では足ががくがくで、赤信号で自転車を止めて足を付くとよろめく始末であった。

東大路が普段なら四条あたりから五条にかけて混むのだが、連休でいつも以上に混んでいて、今日は三条より北の方から車が連なっていた。。

途中、祇園、八坂神社に来ると警察官が防弾チョッキと、透明のシールドをもって

さながら中国の兵馬俑のようにびっしりと立っていた。

何か抗争事件でもあったのか。びっくりするくらいの数であった。

また、数台のおなじみのバス警察車両が道半分を占領しそれが渋滞をさらにひどい状況を生み出していた。

途中で西に入って大和大路を戻った。

今回は本当に疲れた。

風呂に入ってソファに座っているときにも急に足に痙攣が起こる始末であった。

体力といい自転車が欲しいと思った。

 

近江大橋パノラマ

 

近江大橋より北を望む

烏丸半島を望む

琵琶湖大橋を望む

女性サイクリング集団

  

びわ湖よし笛ロード            日牟禮八幡宮

 

近江八幡八丁堀

 

たねや        クラブハリエ

 

  

駅前 信長像

 安土城内部模型 

 

 

宣教師が描いたとされる信長肖像

安土城 考古資料館

 

琵琶湖大橋より望む

八坂神社裏 この奥にびっしりと

新しい人

新年度もほぼ一ヶ月経って、

新しい世界に慣れましたか。

最初は、まぶしいこともあれば、 そよそよと過ぎる風もあったでしょう。

でも、その感動がいつのまにか、

日々の学習や課題という強風に 吹き飛ばされそうになっていることはありませんか。

これまでとは全く異なる日常生活に、

出てくる言葉は、 「ええっ!」 「こんなにやるの!」 そして、最後に、 「なんで!」 ではないでしょうか。

頭の中では、とりわけ、

「何でこんなにしないといけないの。何で!」 という言葉がぐるぐる回っているのではないでしょうか」

「何で!」を「何で?」と自分に問いかけてみてください。

そして、その「何で?」の答えとその意味に気づいたとき、

土の中のカエルさんが地上に出て気づいた   

ほっ まぶしいな。   ほっ うれしいな。  

みずはつるつる。   かぜはそよそよ。   

ケルルン クック。   

ああいいにおいだ。

ケルルン クック。 喜びがわかるでしょう。

そうすれば、もう迷わずに、 更なる発見に頑張ろうと思うことでしょう。

曼殊院サイクリング

悲田院より京都を風光る

  

曼殊院庭  ツツジがもうすぐ満開

  緑に光る風

                         

 

 

金福寺

全世界の人口はおよそ60億人、

君も私も言ってみれば、60億分の1(1/60億)の存在だ。

今朝も、 いつもどおり朝が来て、 いつもどおり起きられた人間の一人である。

60億分の1なんだから、 気楽に構えていいのかも知れない。

生きる意味を重く捉えすぎに、 あるがままに生きていくだけでいいのかもしれない。

それでも、 君は君でしかないし、 私は私である。

そうだね、 一度、自分と同じ字の同姓同名の人に会って見たい気がする。

60億分の人がいるのだから、 きっと同姓同名の人がいることだろう。

でも、その人は自分のアバター(分身)ではなく、 自分とは全く異なる人である。

そう考えると、 60億分の1でも大したものだと思う。

この世に生まれたということは、 自分が自分であるということなんだろう。

道端に群れて咲くタンポポにも、 一つ一つの生い立ちがあり、 今を懸命に生きている。

与えられた時間を 少しでも自分らしく過ごせたらいい。

ただ、それは周りの人があってこその世界である。

君のタンポポにもテントウ虫がやって来るし風も通り過ぎていく。

京の桜と若葉の風景 円山公園・知恩院・二年坂・産寧坂・清水

  

東福寺通天橋の若葉                 東福寺本殿天井画      

稲荷山麓

   

円山公園しだれ桜(老木)               丸山公園しだれ桜(壮年木)

坂本竜馬 中岡慎太郎

  

知恩院山門               念仏僧

ねねの道 観光舞妓さん

   

八坂の塔      京都タワーを遠くに             林立するテレビアンテナ

霊山観音から望む

二年坂にある庭拝観

 

産寧坂 明保野亭

  

清水舞台

 

薬師寺サイクリング

走行距離 101km

走行時間 5時間32分

平均速度 18.2 km

最高速度 45.6 km

今年初めての遠出である。弟の長年の患いが少しでも和らぐようにと薬師寺まで出かけた。朝7時05分発、帰宅は15時30分であった。

修復されている流れ橋を見ながら、木津川を西木津まで走り、そこから平城宮までまっすぐ南下した。

今年は平城遷都1300年で奈良時代のことを扱ったテレビ番組も多い。「大仏開眼」では平城宮が写されている。

当時としては巨大な建物であったことだろう。

9時半に平城宮に着いた。

大極殿が再建さればかりで、プロの写真家がクレーンに乗って写真を撮っていたり、周囲の塀も急ピッチで整備されたいた。

しかるべく式典が行われるのだろう。

朱塗りの朱雀門と対をなしていた。

京都御所の紫宸殿などは時代を経た色合いであるが、ここは往時のまま絢爛たる色合いである。

平城宮をあとにして薬師寺に向かった。

薬師寺は天武天皇より発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、平城遷都(710)に伴い飛鳥の地から現在の西の京に移された。

龍宮造りと呼ばれる金堂は朱塗りの絢爛としたものである。

中に、薬師三尊像が安置されている。薬師如来を中央に、向かって右が日光菩薩、左が月光菩薩。

薬師如来は、東方浄瑠璃浄土の教主で、またの名を医王如来とも言い、私たちの身と心の病気を救ってくださる仏である。

心から拝んだ。

金堂の右手には東塔(国宝・白鳳時代)がそびえている。各層に裳階(もこし)をつけているので六重に見えるが三重の塔である。

向かい側に西塔がある。昭和56年の再建である。長年の風雪に耐えた東塔と異なり、朱塗りの畏敬の念を感じさせるものである。

大宝蔵殿特別公開も遷都1300年に併せ行われており、初公開の玄奘三蔵法師にまつわる宝物の展示が行われていた。

「不東」

629年、28歳で玄奘は、長安を出発する。命を捨てて、真理を求める長き放浪の始まりだった…。

長安→タクラマカン砂漠→トルファン→クチャ→タシケント→バーミャン→ガンダーラ→ブッダガヤ→ナーランダ

17年にも及んだ旅であった。

 「不東」経典を持ち帰るまで、決して自らの足を東、つまりは祖国の方に向けない。

どんな苦難があっても引き返さない(東へ戻らない)意思を強く固め「不東」と書いた紙をつけて旅したという。

不屈の精神、残りの人生振り返らないで前へ進もうと思う。

坂本竜馬もそういったとか、倒れても前へ

「何でも思い切ってやってみることですよ。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様骨となって一生を終えるのだから。」

「海援隊には役者もおれば乞食もおるが、腹わただけはきれいだぞ」

「願わくは公明正大の道理に基き 一大英断を以って天下を更始一新せん」 「世に生を得るは事を成すにあり。」

「おれは落胆するよりも次の策を考えるほうの人間だ」

「竜馬は議論しない。議論などは、よほど重大なときでないかぎりしてはならぬといいきかせている。

もし議論に勝ったとせよ、相手の名誉をうばうだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと持つのは負けた恨みだけである」

「天下の世話は実に大雑把なるものにて、命さえ捨てれば面白きなり」

「世の中の人は何とも言わば言え。わが成すことは我のみぞ知る。」

本懐を遂げるとはどういう事なのか、自分にもう一度問うてみようと思う。

 

 

修復中の流れ橋 (梅雨までに修復を済まさないと)

 

再建された大極殿

朱雀門から大極殿

薬師寺

金堂

 

弥勒菩薩(大講堂)      月光菩薩

  

東塔              東塔                 西塔  

  

大池から見た薬師寺

  

秋篠川から望む薬師寺の塔               絵筆を採る人         

 

羅針盤…方位磁針は、 中国で最初に使われたのではと言われている。

中国の方位磁針は二十四方位であったが、 のちに現在と同じ三十二方位に改められた。

西アジア、ヨーロッパには、 双方と交易を行っていたペルシア人よって伝えられたと考えられている。

方位磁石のヨーロッパへの伝来と改良によって、 航海術は著しく発達し、大航海時代が始まった。  

A ship in a harbor is safe, but that’s not what ships are built for.  

港の船は安全だが、船はそんなために造られたのではない

これから新しい一年が始まる。 不安に思うことがいっぱいあるだろう。

新しい出会いに戸惑うこともあるだろう。

ただ、この世に生まれて来たということは、 未知との新しい出会いをするためである。

伸ばした望遠鏡を覗いて その奥に見えるものは君の未来である。

羅針盤を手に三十二方位、 君が進みたいと思う方向に出帆しようじゃないか。

まぶしくて、わくわくする世界が待っている。 ただ、航海は順風ばかりじゃない、

嵐もあれば凪もある。 しかしながら、風は世界を巡っている。

GPSのナビで設定されたルートを進むのでなく、

星を観察し、六分儀、羅針盤を自分で使って、

あなたの航海の目的地に進んでいこう。

この「羅針盤」が君の大航海の方向磁針として役立てばと願う。

さあ、出帆だ。

 

 

 

      

 

桜日和

4月間近に冷たい雨がふる。「まあだだよ」と佐保姫が言っているのだろうか。それでも、満開になっている桜が京都でも見られるようになった。

ジョギングコースの泉涌寺本殿近くの桜の老大木は今が満開と咲き誇っている。

静かに桜を見上げる。

こんな時は、クラシックがいい。凜としてそれでいて華やかに咲く桜にはバッハが合うのじゃないか。

オーボエ協奏曲アダージオなんか、静かな境内の朝一番の日の光を浴びた桜のようだ。

 

 

  

***********

春分過ぎて

温かい日と寒い日が交互に続き、冬がいよいよ去ろうとしている。八条通りから桂川へ抜け、自転車道を通って松尾大社へサイクリング。

宮参りの家族がビーズのつながりのように裁ち消えることなく訪れていた。

開花し始めた桂川沿いの桜を通り過ぎてきた南の風が目を閉じた赤ちゃんの頬を撫でていくようであった。

嵐山に行くと大勢の観光客が春の到来を確かめるかのように、お互いに陽気に喋りながら嵯峨野散策をしていた。

そのまま、清涼寺、仁和寺、金閣寺、竜安寺と通り過ぎ、比叡山へ向かってひたすらにペダルをこいだ。

やがて、上賀茂神社に着いた。結婚式を挙げたカップルがいた。

我が息子も5月23日にここで式を挙げる。

ちょうど2ヶ月先の未来を見ているようであった。

少し緊張気味の新婦のそばで、新郎が幸せそうににこにこと笑っていた。

人生のさらなる出発。

幸あれと祈る。

 

 

開花し始めた桜

広沢の池にも春ののどけさが戻ってきた

神馬

上賀茂神社

 

  

 

 

 

 

 

東大寺二月堂修二会 お水取り

思うことがあり、去年に引き続いて、「お水取り」を観に行った。興福寺の国宝館立ち寄って「阿修羅」像を拝観した。

思っていたより小振りの仏像であった。少年のような顔立ち、身体の細さが、繊細で純粋さを表しているようであった。

説明書きに、正面の眉間に皺を寄せたような顔は、困難に立ち向かいながらも前に向かって進もうとする意志が現れているとあった。

左右の顔は自分を見つめたりしているともあった。

弥勒菩薩、薬師如来などのように超越し悟った顔立ちでなく、人間的な様子であった。

司馬遼太郎は(街道を行く24)、

「興福寺の阿修羅には、むしろ愛がたたえられている。少女とも少年ともみえる清らかな顔に、無垢の困惑ともいうべき神秘的な表情が浮かべられている。

無垢の困惑というのは、いま勝手に思いついたことばだが、多量の愛がなければ困惑はおこらない。

しかし、その愛は、それを容れている心の器が幼すぎるために、慈悲にまでは昇華しない。 かつかれは大きすぎる自我をもっている。

このために、自我がのたうちまわっている。大きな自我こそ仏への道なのだが、

その道ははるかに遠い。法相・唯識は、人間への絶望から出ているために、成仏するための修業は天文学的な時間が要るとされる。

このために、私どものような儚い自我ならともかく、阿修羅のように多量の自我を持って生まれた者は、困惑は闘争してやまず、困惑しぬかざるをえない。(中略)

阿修羅は、相変わらず蠱惑(こわく)的だった。

顔も体も贅肉がなく、性が未分であるための心もとなさが腰から下のはかなさにただよっている。

眉のひそめかたは、自我に苦しみつつも、聖なるものを感じてしまった心のとまどいをあらわしている。」

とある。

ガラス越しでなく、直に観られる阿修羅にしばし見とれた。

軽い食事を済ませ、

二月堂に向かった。6時には二月堂に着いたが、既に大勢の人であった。右手階段の前の方に立場所を確保した。

待つこと1時間である。次第に人手が増え、四月堂あたりまで人でいっぱいと奈良警察がスピーカーを通して伝えていた。

今年はより近くで見て、火の粉が間近に振ってくる感じであった。

厳かである。人間は火を畏れ、その力を活かしてきた。たいまつは天への合図なのだろうか。

6時過ぎ、二月堂境内下

 

階段を上るたいまつ

  

たいまつ

 

  

 

たいまつの火の粉

 

s

 

 

今年の本屋大賞にノミネートされている本を何冊か読んだ。

その中の「船に乗れ」の三部作はいわゆる青春の思い出を綴ったものである。

美しい思い出ばかりでない、苦痛であったり、卑怯であったりすることもある。

第一巻の前文は、なぜか、溶け込むように心に残った。


倉島厚の「やまない雨はない」も読んだ。

TVドラマになっていた。


人生の秋から冬になる頃、小春日和という春を思わせる暖かな日がときどきやってくる。

歩んできた道をそのとき振り返るのだと。


倉島さんの天気予報、「今日は冬型の気圧配置で寒くなるでしょう。

出かける前に少し心を温めてからお出かけください」と。

もうすぐ4月です。桜の季節です。

葉っぱライン

藤谷 治 『船に乗れ!』 前文

あの頃の僕は、もういない。僕はこれから、もはや存在しない人間について書くことになるわけだ。今の僕はもういい大人になってしまって、ああ、大人になっちゃったんだな、と自覚せざるをえなくなった地点からも、さらに年月がたったところにいる。その地点のちょっと手前くらいで、この話は終わるだろう。

自覚せざるをえなかった、なんてぐずぐずした言い方をしたのは、それがまったく、どうしようもないことだったからだ。人は成人式を迎えるから大人になるんじゃない。就職するからでもなければ、結婚するからでもない。大人になるのは、こちら側に積極的な理由があるからではないのだ。それは交通事故みたいなもので、ある時期にある経験をしてしまうことで、人は何かに押し出されるように大人になってしまう。よーし大人になるぞ、なんて決心をまずして、それから大人になる、などということはない。だからたいていの人間は大人になりきることがない。三十になっても四十になっても、子供の残りかすを引きずって生きている。僕もそんな大人の一人だ。そんな大人に、避けがたくなってしまったのだ。

人間の身体と意識を持った生命体としての僕は、もちろんあの頃の僕と地続きにつながっている。あの頃の僕と今の僕とは関係ない、なんていうことはできない。できないからこれを書くのでもある。だけどやっぱり、あの頃の僕はもういなくなってしまって、いるのは今の僕だけなんだ、という気持ちはとても強い。失ってしまったものがあまりにも多いからだ。それらのものを失わなかったなんて、自分をごまかすことはまったくできない。そして失ってしまった前と後では、吹いてくる風のひとつひとつ、見えてくる景色のひとつひとつが、まったく違ったもののように思える。

それでも、今の僕は特に不自由なく暮らしている。人より恵まれているわけでも、愛されているわけでもないが、それでも毎日目が覚めると起きて、食事をして、働いて、さまざまな人とさまざまな話をして、夜になると眠る。面白おかしくて笑いが止まらない、なんて生活からは程遠いけれど、苦しみの中でのたうち回っているわけでもない。特に都合良くも悪くもない朝、昼、晩の繰り返しの中で、にっこり笑うこともあれば、こっそりため息をつくこともある。それだけだ。

そんなところに、今の僕はいる。僕より充実した素晴らしい人生を送っている人はいるだろうが、もっとつらい人生に耐えている人だっているだろう。今の僕には語るべきことなんか何もない。ただ、そんな毎日のどこかにも、今現在のすべてがふーっと遠ざかっていくことがある。家へ帰る市役所通りの街路樹を見上げたときや、通りかかった店からフランツ・リストのファンファーレが聞こえてきたとき。電車の中で楽器のケースを抱えた学生を見かけたときや、空港で外国へ行く飛行機を待っているとき。ほんの一分か、一分の半分ほどの時間かもしれないけれど、目的地も今やろうとしていることも人の話も、すべてが消えてなくなってしまうことがある。そんなとき、僕は自分でも気がつかないうちに、そっとあの頃の自分に向かって、黙って呼びかけているのだ。

おーい。

もしかしたら、まだどこかにいるかもしれないと思って。

おーい。おーい。

それから、われに返る。声を出しているわけじゃたいし、ほんの短いあいだのことだから、目の前に人がいたとしても、気がつかれることはめったにない。目の前にあるものごとが再び像を結び、僕は当たり前の世界に戻っていく。何やってるんだ、馬鹿じゃないか、という、ほんの少しの気恥ずかしさだけが残る。

だけど本当は判っている。それは「ほんの少しの気恥ずかしさ」なんて生ぬるい感傷で済ませられるものなんかじゃない。大人なんてものになってしまった僕は、ただ自分をかばって、やりすごしているだけなんだ。失ったものを実際よりもはるかに小さく見積もり、取り返しのつかないことを「若気の至り」とか何とか、どっかで拾ってきた紋切り型の言葉で自分を言いくるめ、お決まりの生活に戻っていくことで、自分自身を護っているだけなんだ。あれから今までずっと、そうやって逃げてきただけだ。おたおたと、ぶざまな急ぎ足で。

何かがあったわけじゃない。マドレーヌを紅茶に浸したわけでもなければ、ボーイング747に乗っていたら「ノルウェイの森」が流れてきたわけでもない。ただ僕はもう、こんな今の自分に耐えられなくなってしまったのだ。生活の中でほんのちょっとぽんやりして、気恥ずかしくなるなんていうんじゃなくて、あの頃の自分に何があったのか、自分が何をしたのか、そしてそれらは結局どういうことだったのか、鏡を睨みつけるようにして、しっかりと向き合わなきゃいけない。そのために僕はこれを書くことにした。きっかけなんかなくたっていいんだ。これは僕が人生の中で、いつかどこかでやらなきゃならないことなんだから。それが今であることに理由はない。僕がこれ以上、自分に猶予期間を与えられなくなったという以外には。

 

 

葉っぱライン

 

3月

 

 

出会った頃の二人に

も一度戻ってみよう

そして二人で手をつなぎ

しあわせになろうよ

 

海の広さに負けないように

輝しい太陽をにらんでみた  

ずぶぬれの僕は魚になり

あの島までおよいでいった

始めて出会った場所に

も一度戻ってみよう

そして青い空に抱かれ

しあわせになろうよ

 

緑の大地で鳥が鳴いた

君は両手を広げ空を飛んだ

星空をみあげ夢をかなえた

月の光で歌をうたった

出会った頃の二人に

も一度戻ってみよう

そして二人で手をつなぎ

しあわせになろうよ

始めて出会った場所に

も一度戻ってみよう

そして青い空に抱かれ

しあわせになろうよ

しあわせになろうよ

**************

 

二月のあかり

石垣 りん

二月には
土の中にあかりがともる。

遠足の朝など夜明けの
まだ暗い空の下で
先に起き出したお母さんが
台所のデンキをつけるように
旅のしたくを始めるように。

二月にはぽっかり
土の窓にあかるいものがともる。
もうじき訪れる春を待って。

草の芽や
球根たちが出発する
その用意をしてあげるために
土の中でも
お母さんが目をさましている。

35.5km 嵐山ーー修学院ーー岡崎ーー八坂 サイクリング

 

 

桂川 菜の花    渡月橋

 

嵯峨野 

 

清涼寺 梅

 

  

 

八坂の塔 観光客舞妓姿

立 春

春は名のみの 風の冷たさ

春が待ち遠しい

 

 

 

節 分

Weeping Aka-oni (Red Goblin)
Retold in Japanese with pictures: Kawasaki Daiji & Takebemoto Ichiro  Doshinsha
 Translation: Nakai Hirokazu


(1)

Long long ago, a red goblin, "Aka-oni' lived at the foot of the mountain.

Since he was a red goblin, he had two horns on his head, and his body was red, and looked fearful.

This goblin, however, was very warm-hearted, and he wanted to make friends with the villagers.

So he put up a notice board in front of his house.

 

(2)

"Hey, look at that notice board! Hm... What does it say? 'I'm a warm-hearted goblin.

So, everybody, please come into my house. I will serve you good sweets and tea.

"What a surprise! Aka-oni wants (expects) us to go into his house and have some tea."

"How terrible! As soon as we go into his house, he's going to catch and eat us!"

"No kidding! The notice says he is a warm-hearted goblin."

"No, no. That's the way they do it. It's a dangerous trick."

 

 

(3)

"It's not a dangerous trick. I won't harm anybody," said Aka-oni,

 

 

putting his head out of the window.


Then the villagers ran away, screaming, "There he comes out!"

 

"Don't go away. Please come in! Please!"


He called many times in a loud voice, but the villagers got so surprised that they went away.

 

 

(4)

Aka-oni felt sad and broke the notice board.

 

"Hey, Aka-oni! What's wrong with you? Why did you do such a thing?"

"Hi, Ao-oni! I haven't seen you for ages.

Well, I want to make friends with the villagers, but they are afraid of me."

Ao-oni, who came from the other side of the mountain, was also a warm-hearted, and clever goblin.

"I see. I have a good idea! Let's go to the village." The two went to the village.

 

 

(5)

"Aka-oni. The villagers believe that a goblin is fearful.

 

They don't know whether you are really tender or not.

So they will be relieved and make friends with you, if they find you are a good goblin.

Well, I'm going to act very violently. Then you will knock me off, okay?"

"What did you say? You want me to hit you?"

"Yes, hit me many times."


"I can't .... I can't do such a thing."


"If you do it, things will be better. You'll see, hit me many times."
-------
Bang! Bang!

 

 

(6)

Ao-oni suddenly entered a house, and acted violently.

 


"Wah! A goblin is in my house!" 

The people in the house were very surprised and they rushed out.


Ao-oni said, "Hey, Aka-oni. Come on in now!"
----
"Hey, you. What are you doing here?"

 

 

(7)

Aka-oni rushed into the house and held Ao-oni's arms and legs down firmly,

 

and hit him as Aka-oni was told to do.


"Aka-oni! Hit me with more strength!"


"But it hurts you."


"It will be meaningless, if you don't beat me hard and it doesn't hurt me."


"Like this?"


"Ouch! Ouch! That hurts!" Ao-oni cried loudly.


"Aka-oni, I'm going to run away, so you run after me."


"Ouch! Ouch! I'm sorry. Forgive me."

 

 

 (8)

"A wild fellow! I will never forgive you, if you do it again,"

 

Aka-oni shouted running after Ao-oni.


The village people said unanimously, "Well, there are good goblins and bad ones."


"Aka-oni is a good one."


"Yes, he is a warm-hearted goblin."


"We could make friends with him."

 

 (9)

"Hello, Aka-oni."


"Excuse me, may I come in?"


"Oh, I'm very glad to see you. Welcome."


An old man and a child went into the goblin's house for the first time. 

Aka-oni was very glad!


"Help yourself to some sweets and tea."


Aka-oni looked after the guests as much as he could.


"Hi, I'm coming."
"Hi, excuse me."

(10)

"Hi, Aka-oni."

 


"Can I have a cup of tea?"


More and more people in the village streamed into his house in droves.


Aka-oni was very happy and very busy with meeting the guests and serving them some tea.


He was now on good terms with them.

 

 

 

(11)

Some days passed, and Aka-oni recalled his friend, Ao-oni.

 


"Ah! I want to see him, Ao-oni. You played a role of a scoundrel.

Thanks to your friendships; I was able to make friends with the villagers.

I must express my hearty thanks."


Aka-oni went to the other side of the mountain where Ao-oni, his kind friend, lived.


-----
There, he found the door closed, and the house was empty. A letter was put on the wall.

 

 (12)

Aka-oni shed tears while reading the letter. He was almost drowned in tears.

 

It said;
".... Hi, Aka-oni! Now you are on good terms with the villagers.

If they find we are friends, they will doubt you and feel uneasy and frightened.

So I will be away from here for a while, and won't see you.

Please get along with the villagers for ever.


To Aka-oni, from Ao-oni "


Aka-oni couldn't think of Ao-oni, his dear, warm-hearted friend without shedding tears. 

He could not keep back his tears.

 

 

三十三間堂 通し矢 1月17日

 

 

全国から集まった新成人の弓引き

 

 

夕日が せなかを おしてくる         

             阪田 寛夫

夕日がせなかを おしてくる     

まっかなうでで おしてくる    

歩くぼくらの うしろから    

でっかい声で よびかける     

さよなら さよなら     

さよなら きみたち     

ばんごはんが 待ってるぞ     

あしたの朝 ねすごすな    

夕日がせなかを おしてくる    

そんなにおすな あわてるな    

ぐるりふり向き 太陽に    

ぼくらも負けず どなるんだ     

さよなら さよなら     

さよなら 太陽     

ばんごはんが 待ってるぞ     

あしたの朝 ねすごすな

 

僕たちが生きていられるのは、

いろいろな命をちょっとずつ分けてもらっているから。

ちょっとした気持ちとか、 ちょっとした命とか、

そういったものを もらっていることを忘れてはいけない。

一日が終わって 

夕日を見ると、 今日も一日無事に過ぎた、

ああ、楽しかった。 ああ、つらかった。

と様々な思いがよぎる。

同時に明日に思いを馳せる。

明日がいい日でありますようにと。

そこに、本当は感謝の気持ちが必要だ。

人は一人では生きられない。

今日もいろんな人やものに助けてもらって生きてきた。

平成二十一年度ももうすぐ終わろうとしている。

一年が経つのは本当に速い。

この一年十分な成長を遂げたであろうか。

この一年、納得できるものであったろうか。

こうして今あるのは、 確かに君自身の努力もあろう。

でも、 いろいろな人からの助けや心配りがあってこそである。

さて、 君たちのこの一年の長い影を見ながら言おう、

「さよなら、さよなら」

「来年度の朝 寝過ごすなよ」

流れ橋・宇治サイクリング   1月9日(土)

自宅(8:18)…流れ橋(9:28)…山城大橋…宇治(10:40)…桃山(昼食)…自宅(12:20)

自転車:Trek 7300 クロスバイク

行程記録(trip record)

走行時間(Elapsed Time) 2:52‘37

走行距離(Trip Distance) 50.9km

平均速度(Average Speed) 17.7km

最高速度(Maximum Speed) 37.2km

ひさしぶりにサイクリングに出かけた。12月に入ってから土日に空き時間がなかった。正月明けは風邪を引いて2日寝込んだ。 年末にソニーのナビを買ったので、それを試してみたかった。流れ橋が昨年来流れたままになっているのを見ておきたいと思い、南のコースにした。朝8時を過ぎてから出発したが、外気は相当寒かった。手袋の効果がなく最初は指先が冷たくて仕方がなかった。 ナビはなるほどと思うような表示であった。最初は現在地確認ナビを使っていた。確かに今どこにいるのかがすぐに分かる。便利である。ただ、やたらナビを見てしまうので自転車の楽しみである景色を忘れがちになった。

流れ橋に付くと、本当に橋が流れていた。初めて見る流された橋の姿であった。修理して再構築するのにかなりの費用がいるのでそのまま放置されている。多少寂しい光景であった。 そのまま奈良の方へ向かい、山城大橋で左折し宇治へ向かった。ここからは目的地ナビを使った。自動車のルートであるが、適当に走っても自動的に再ルート検索をする。これはおもしろい。簡単に宇治平等院に着いた。

少し休憩し、桃山へ向かった。 途中でナビのバッテリー警告が出て切れた。3時間くらいしかバッテリーは持たないことが分かった。常時onにするのでなく、on, offした方がいいことが分かった。必要な場面で活用するものである。自動車の場合バッテリーから供給されるが、自転車は電源を補給できない。それがネックであることが分かった。

桃山で大中ラーメンを食べて自宅に戻った。 ゆっくりしたスピードで回る、走行距離50kmの軽い運動となるサイクリングであった。

 

 

 

 

A Happy New Year

 

 

水 平 線          小泉周二    

水平線がある    

一直線にある    

ゆれているはずなのに    

一直線にある    

水平線がある   

はっきりとある    

空とはちがうぞと    

はっきりとある    

水平線がある    

どこまでもある    

ほんとうの強さみたいに    

どこまでもある

平成22(2010)年の正月がやってきた。

この「正」という漢字は、「一」に「止」まると書く。

それが「まさに」であり「正しい」という意味の語源なのだろうか。

人は生きていると、 前へ前へという気持ちばかり急(せ)いて、

どんどん大切なものを置き去りにしていく。

本当に正しいものは、 一番初めの場所にあるのかもしれない。

「初心忘るべからず」「初志貫徹」という言葉がある。

原点で止まって考えたことは大切なのだ。

そういう思いで今を生きようと思う。

キング牧師は、ノーベル平和賞受賞の際の演説で次のように語った。  

"I refuse to accept despair as the final response to the ambiguities of history.

I refuse to accept the idea that the 'isness' of man's present condition

makes him morally incapable of reaching up for the eternal 'oughtness' that forever confronts him."

「私はあいまいな歴史への最終回答として絶望を受け入れることを拒否する。

私はまた、人間が現在『そうである』性質が、永遠の課題である

『そうであるべき』姿に近づくことを不可能にしているとの考えにはくみしない」

力強い決心である。 こういう思いを出発点に、人生を生き抜くことが出来ればと願う。

一番最初に何かを考えた人。

今、世界中に溢れている思念は、その人の思いを継いでいる。

そんな大きなことはできなくても、 一番最初に描いた夢は叶えたい。

たった一人の自分のために「あきらめない」、「やり遂げる」

その言葉が自分という価値に変わる。