Last Cycling in 2008

December 29

行 程
自宅(8:50発)……本町通り……五条……桂川五条……桂川自転車道……背割堤公園……旧国道1号線……伏見大手筋……竹田街道……自宅(11:50着)

自転車
Trek 7300 クロスバイク

行程記録(trip record)_
走行時間(Elapsed Time) 2:13:36
走行距離(Trip Distance) 44.57km_
平均速度(Average Speed) 20.0km_
最高速度(Maximum Speed) 39.7km

身体がなまってはいけないので、年末の29日、午前中サイクリングトレーニングに出かけた。サイクリングウエアーの上も買った。タイツはパールイズミだが、上はゴールドウインにした。ゴアテックスだと通気がいいのと雨も防ぐので、そのタイプのものにした。

 五条通を西へ向かい、桂川まで出ると愛宕さんの麓に低い雲がかかっていた。美しい光景であった。

自転車道を通って八幡へ向かったが、途中左折しないで直進し、何度も引っ返すことになった。背割り公園の桜の木は竹箒のような枝を残し、青空を掃こうとしているかのようだった。

2008年さようなら。

  

愛宕山ふもとになびく雲

 

  

背割り堤

孫と歩くおじいさん 伏見黄桜酒造

富山・金沢 旅の風韻

もうすぐお正月、この一年のお礼に富山・金沢へ一泊の食事旅行に妻を連れていった。

自分も、ゆっくりしたかったこともある。

トヤマは雪が降った跡があったが、金沢市内は雪はなかった。

クリスマス前であったが、街は静かであった。

どちらの街にも古い家並があり、懐かしい思いがした。

富山の薬の包みや風船はことさら懐かしいものであった。

金沢では福光屋の黒帯を堪能した。

帰りの昼に寄った近江市場の食堂で、何と学生に出会った。

彼氏と一緒であった。あんなところで会うなんて偶然は本当におそろしい。

黒帯の飄々を宅急便で送ってもらった。

この一升瓶いつまで残るやら。

正月前は我慢しよう。

家に帰って体重計に乗ると1k増であった。

すぐにプールに出かけた。ジョギングもやらなくちゃ。

 

富山市内の店 昭和の映画俳優の写真や昔の看板が張り付けてある店

市役所からの立山の眺望 あいにくの雨で左のようには見えなかった。

しかし無料でこの景色が見られるのは最高

 

富山城跡 地震などでよく壊れたらしい。藩主は高岡に居城を

富山のきときとの寿司 地ものの魚 3200円

 

 

懐かしい富山の薬 小さい頃はこういう薬を飲んでいた。

 

 

東町

  

「一笑」でのお茶タイム

薬屋の行灯看板

福光屋

 

21世紀美術館

 

  

金沢城 柱の木組みが凄かった

近江市場 一の弥 昼食 1700円 てんこ盛りの魚

かつをは大変。

「たたかれても、干されても 味を出す」

名言だ。



English Education
Nakai's Family Haiku
Emotional Intelligence
Sense of Wonder
Haikuist Club
Nakai Tomo's Works
Expression
Eight Commandments for Father with value
A Short Letter to Mother on her birthday
Graduation Comemorative Anthology
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Memories in 2005
Meorories in 2006
Meorories in 2007
イタリア旅行記
運転教習日記
Tomo's Letter

嵐山・広沢の池・仁和寺・出町・鴨川ロードサイクリング

行程_
自宅(8:50発)……本町通り……五条……桂川五条……桂川自転車道……嵐山……嵯峨野めぐり(野宮神社・落柿舎・二尊院・化野念仏寺・平野屋)……清滝トンネル手前……広沢の池……金閣寺前……加茂川……出町……三条自転車店……自宅(11:50着)

自転車
Trek 7300 クロスバイク

行程記録(trip record)_
走行時間(Elapsed Time) 1:55:01 _
走行距離(Trip Distance) 34.43km_
平均速度(Average Speed) 17.8km_
最高速度(Maximum Speed) 52.2km

 おしりのところにスポンジが入っているサイクリング用_タイツを買った。これは良さそうだと思ったので、すぐに試してみたくなり、今日は近場で試着走行を行った。ジャージと異なり、向かい風の抵抗が少ないのがすぐに分かった。なるほど、サイクリングする人たちがこれをはいているのは納得。まだ、上着の方を買う余裕がないので、しばらく我慢だが、これも買わなければならないだろう。風の抵抗が少ないのが何よりだ。
 さて、コースとしては本町通りを五条まで北上し、左折西へ桂川に出るまで走る。桂川の橋を渡りきって左に桂川自転車道へ入る道がある。そこからは前方に愛宕山を見ながら北上する。しばらくすると自転車道の嵐山終点に出る。嵐山ライトアップ花灯路が夜(12月12日(金)〜21日(日))に行われている。至る所に大きな手作りの行灯が並んでいる。嵯峨中学生制作した露地行灯と京都嵯峨芸術大学協力の下に制作された大型竹行灯が中之島公園に設置されていた。渡月橋を渡り美空ひばり座を越え、野宮神社へ向かう道で左折、竹橋の中を越えていく。落柿舎の前を通り過ぎる。落柿舎は、芭蕉十哲の一人として名高い向井去来の閑居跡である。庭にあった40本の柿の実が一夜のうちにほとんど落ちつくしたのが名前の由来だそうだ。二尊院の前を越え、化野念仏寺の前を越え、平野屋に至る。ここらあたりは、町並みが保存され昔からの家並みを楽しむことができる。平野屋を越え、清滝トンネルの手前で清滝道をUターンする。ここからは下り道、一気に時速52kmで下る。自転車のような軽い車両で、時速50kmの速度で走るのは多少こわい、しかし、気分は爽快である。
 きぬがけの道で左折し広沢の池に向かう。先日テレビ放送もあったが、鯉漁のため水抜きをしていた。干上がった池が目の前にあった。宇多野を越え、仁和寺に向かう。この寺は実に大きい。広々とした境内である。山門の仁王像がこちらをしっかりと見ている。数枚写真を撮った。そのまま市道衣笠宇多野線を東に向かって直進、立命館大学衣笠キャンパスの前を通り、金閣寺前へ、そこから西大路、北大路通りと入り加茂川まで進む。加茂川に出て、加茂街道を南進、出町柳に出る。そこで、いつものように「ふたば」に寄って、豆餅を購入。
 京阪鴨東線を南進し、三条の自転車店に向かう。一ヶ月のギア点検、ブレーキのワイヤー点検をしてもらう。異常なし。次は2〜3ヶ月後にということであった。チューブを一本買った。
そのまま、京阪鴨東線(川端通り)を南進し自宅到着。
 天気もよく、タイツの感触もよく、気持ちのいい走行であった。距離は短いが結構景色なども楽しめた。自転車のロックの鍵を忘れて出たので、駐輪してお寺の見学はできなかった。馬鹿でした。タイヤ用のロックしか使えなかった。
 次回、どこに行こうか、わくわくしている。

 

 

愛宕山 遠景 近景

嵐山 中ノ島公園

 

路地行灯

渡月橋

 

嵯峨野 竹林 野菜畑(遠くに比叡山が見える)

 

二尊院    古民家

 

つたや

 

平野屋

 

広沢の池

  

仁和寺山門 仁王像

  

加茂川      大文字山

ふたば


微 風
                        

          伊藤桂一
掌に受ける
早春の
日ざしほどの生き甲斐でも
ひとは生きられる

素朴な
微風のように
私は生きたいと願う
あなたを失う日がきたとしても
誰をうらみもすまい

微風となって渡ってゆける樹木の岸を
さよなら
さよなら
と こっそり泣いて行くだけだ



今年も、あと数週間、
よくがんばったと思う人もいれば、
不十分であったと思う人もいることだろう。

がんばったと思う人でも、
もしかしたら、
そのがんばりというものは、
ただ「想う」だけだったのかもしれない。
自分が、がんばったと思っていても、
実際は何かの行動を伴っていない場合がないだろうか。

たしかに、
それなりの努力をしても
相手があることなどは、
うまくいかないときもある。

うまくいかなかったことに無力感を抱いて、
そのはけ口のない空虚な思いが、
誤ったエネルギーとなって、
他人(ひと)のせいにしていないだろうか。

木枯らしになって
ぷんぷんと怒って、
街角を吹き荒れるよりか、
街に流れるクリスマスソングを
町はずれにまで
いや、遠い田舎の一軒家にも届けるような
風になろうではないか。
家族のぬくもりを
今年一年無事に過ごせたよろこびを
温かな歌にして届けようではないか。


木津川ロードサイクリング

行程
自宅(7:55発)……伏見稲荷(本町通り)……鴨川自転車道……桂川合流・京川橋……八幡背割公園(8:45着)……木津川自転車道……流れ橋・上津谷橋(9:10着)休憩(9:25発)……山城大橋(9:45着)……国道24号線……旧道(寺田-伊勢田)……宇治橋(10:30着休憩茶団子11:10発)……京都宇治線7号……中書島観月橋……24号線……墨染……竹田街道・本町通り……自宅(11:50着)


自転車
Trek 7300 クロスバイク



行程記録(trip record)
走行時間(Elapsed Time) 3:00:19 
走行距離(Trip Distance) 55.33km
平均速度(Average Speed) 18.4km
最高速度(Maximum Speed) 38.1km


 3度目のサイクリング。前日、天気予報を調べると快晴であった。木津川サイクリングロードを走ることを念頭に地図のコースを検討しておいた。
 朝は、6時40分に起きたので、出発は7時55分になった。朝から冷え込んでいる。1枚多い目に着ていく。長時間サドルに座っていても大丈夫なようにと、タイツのおしりの部分にタオルを入れておいた。ボーナスが出ればサイクリング用のタイツを買わないといけない。今日は日曜の朝、車の通りが少ない、本町通りを南下し伏見稲荷参道で右折し鴨川の自転車道に向かう。ラグビーの名門伏高の前を通って鴨川に出た。寒さで耳が痛い。ここからは自転車と歩行者以外は通らない道、気持ちよくスピードを出せる。朝の鴨川、釣りをしている人がいた。太陽がまだ低い。京川橋で桂川と合流、ここからは桂川・木津川サイクリングロードを走る。途中、道の修復工事のため迂回、畑に中を走る。霜で畑のキャベツやネギが凍っているようだ。やがてサイクリングロードに出てさらに南下。朝日が少し高くなる。土手の道、土手の下には走行中の自転車と自分の影が同じスピードで走る。自転車に乗りながら思わず写真を撮った。
 ほどなく、桜で有名な背割公園に着いてトイレ休憩。ここで木津川と合流。橋を渡って木津川サイクリングロードに出る。京阪電車が鉄橋を通り過ぎてゆく。幾人かのサイクリンググループに出くわす。母と子どもの二人連れもいた。木津川を上ってゆく。運動量を多くしないとジョギングと同じような効果がないと考え、できるだけフルスピードで走る。
 やがて、前方に流れ橋が見えてきた。時代劇の撮影でよく使われるこの橋。子どもが小さい頃、バーベキューをしにきたものだ。橋のたもとまで行く。朝日に橋がくっきり。気持ちいい。自転車で橋を渡ってくる人もいる。アングルを色々考えて写真を撮った。もちろん愛車もかっこよく写した。
 そのまま木津川の上流をめざした。9時45分、赤いアーチがかわいらしい山城大橋に出た。バックパックに入れたと思っていた地図を見ようとしたが入っていない。朝、慌ただしく忘れてしまっていた。本当はもう少しまで行って玉水橋を渡るか、または山城大橋を越える、山城大橋から宇治田原…天瀬へ向かい宇治に入ろうと考えていたのだが、地図を携帯せず、道に不安であったので、橋を割ってすぐの24号線を通って宇治に向かうことにした。
 24号線は車の往来が多い。途中から旧街道に入ってそこを走った。道幅はそう広くないが、そう車は通らないので、走りやすい。伊勢田まで来て右折し宇治市内へ向かった。丘を越え宇治市内を一望できる高台に出た。そこから感覚的に宇治橋をめざした。宇治橋に着いた。あと一時間ほどで戻ると自宅へ電話する。宇治橋たもとの駿河屋で茶団子と抹茶の水無月を買った。平等院を宇治川の土手からのぞき見て、少し休憩してから帰路についた。あとはまっすぐ走るだけ。観月橋で24号線に出て、御香宮神社の横を通り墨染に出て、竹田街道に入った。稲荷の手前から車が渋滞していた。伏見稲荷の例祭に車で来る人が多く、駐車場待ちであった。これでは生活道路として使っている人は困る。ずいぶんと動かず大変だ。自転車は渋滞している車の列をすいすいと通り抜けて、東福寺へ出て、自宅に戻った。宇治でゆっくりしたので11時半帰宅予定が11時50分になった。
 今回は緩やかなのぼりか平坦な道が多く、多少楽であった。そう言えば、15年ほど前息子が小学校のころ、二人でこのサイクリングロードを通り奈良へ自転車で行った。マウンテンバイクもどきの自転車でよく行ったものだ。今回、平均速度も18km、クロスバイク初心者としてはまずまず。ロードバイクのように細いタイヤと計量の自転車でないと時速30kmを維持して走るのは辛い。今回は走行距離55km、いつか100kmの走行距離に挑戦しよう。
 仕事がたまっているので、サイクリングにだけ時間を使っているわけにいかないが、フィットネスを兼ね、リフレッシュできる。ジョギングは距離が短いが、サイクリングは50km移動することができる。これは実に爽快である。



鴨川自転車道路

 

凍てついているキャベツ            凍てついているねぎ

 

朝日の影が長く伸びる

背割公園を過ぎて木津川に

流れ橋

  

流れ橋上の愛車

 

この橋は大雨になると木津川の水量が増え、橋板が流される


桂川/木津川サイクリングロード ルート

 

山城大橋

  

宇治橋

駿河屋

 
 怒っている海

              百田宗治

ある日、ぼくは海を見に行った。
海はひどく怒って、
ぼぐをめがけて白い大きい波をたたきこんだ。
波はぼくよりも背が高かった。
しぶきがぼくの顔や肩にかかった。
ぼくは怒っている海のしぶきのなかで、
しばらくじっとようすを見ていた。
海の怒りは、遠い灰色にくもった沖のほうから
はじまり、
今にもこの陸地を呑みこんでしまいそうだ。
小舟が一そう波のあいだにもまれていて、
とおい半島のさきに白い燈台が見えた。

あのなかに人がいて仕事をしているのだなと
おもうと、
ぼくは海にまけない人間の力を感じた。
怒れ、怒れ。
腹のすむまで怒れ。
ぼくは海にむかってそう言った。
ぼくは海にまけない人間になって
海から帰った。
ぼくをおっかけるように
海がまだ松ばやしのなかでがなっていた。
                    「愛の詩集」より



今年も残り一ヶ月を切った。
この一年も、
きっと様々な問題があったことだろう。
問題を解決しようとしたり、
なくそうとしたり、
努力を重ねてきたことだろう。
だけど、
問題がすべて解決することはないだろうし、
また、なくなるということもないだろう。
すべてがうまくいくようにと思っていると、
いつも押しつぶされるような気持ちになる。
問題から開放される日なんて
永遠に来ないだろう。

ただ、
負けないという気持ちを持って、
問題に立ち向かうだけだ。
大切なことは、
あきらめることでなく、
前へ、前へ向かうこと。
一歩下がることもある。
そうなら、
次に二歩進めばいいのだ。

どうしても越えられないと思える壁が
立ちはだかるときもある。
そんなときは、
君の身体の中に宿る「人間の力」を信じよう。
フルセイルで戦う君に、
僕は、
追い風となって吹いていこう。

南琵琶湖ロードサイクリング

行程


自宅(7:12発)……東山越え……追分……逢坂山越え……近江大橋(8:18着)……さざなみ街道……道の駅草津(9:00着)休憩(9:38発)……琵琶湖大橋(10:18着)……びわこ大橋米プラザ道の駅休憩食事・走行距離41.40km(10:55発)……浮御堂(11:10着)見学(11:22発)……唐崎神社・唐崎の夜雨(11:10着11:22発)……浜大津(12:37発)……小関越え……(パンク)……四宮まで徒歩……自転車店でパンク修理(13:39-13:58修理完了)……三条大橋(14:16着)……鴨川沿い……自宅(14:32着)

自転車 Trek 7300 クロスバイク
行程記録(trip record)


走行時間(Elapsed Time) 4:41:14 (パンクのため下車・徒歩含む)
走行距離(Trip Distance) 73.0km
平均速度(Average Speed) 15.6km (パンクによる徒歩をのぞくと18.0km)
最高速度(Maximum Speed) 41.6km

 自転車購入後、2度目のサイクリングに出かけた。今回は近江大橋-琵琶湖大橋を渡って大津-草津-守山-堅田-坂本-唐崎-浜大津と南琵琶湖を回るコースを考えた。
 自宅から馬町の渋谷街道を上って、東山トンネル沿いの自転車・人用のトンネルを越え、山科に出る。1号線をしばらく走り、35号線で左折、追分から大谷、逢坂山を越える。1号線をそのまま進み、膳所で左折し、近江大橋へ向かう。
  湖岸に出ると、グループや単独サイクリングの何組かサイクリニストに出会った。明らかにフィットネス・サイクリングと思われる、同じ年頃の男性にも出会った。近江大橋からの琵琶湖の眺めは気持ちのいいものであった。比叡山や比良山が見える。橋の正面左手には近江富士が見える。橋を渡りきると、そこには大きなイオンのショッピング・モールが連なっていた。何とも巨大だ。モールを越して左折し、さざなみ街道へと出た。
 車道の横に自転車歩行者用の道があり安全のためにそこを走った。ロードバイクのサイクリニストは車道を30km以上の速さで走り抜けていく。こちらはややゆっくりと走る。やがて巨大なプロペラが見えてきた。UNEP国際環境技術センターの風力発電機である。その向かいに、「道の駅草津」があり、そこで休憩した。近隣の農家の野菜などが売られており、勢いで、赤カブ、トマト、ネギ、満願寺唐辛子、キノコ、雑穀米、ミカンを買ってしまった。これがかなり重たく、背中のリュックが急にいっぱいに。車で今回は来ていない。しまったとおもった。この重さが後のサイクリングに響いた。後半は腰が痛くなり、また足が重くてスピードにのれなかった。
 「道の駅草津」を出て、北上を続けると琵琶湖大橋が見えた。風が強く、向かい風の中、橋を渡った。橋を渡ってから、湖岸にある「琵琶湖大橋米プラザ道の駅」に向かった。朝食はトースト一枚とヨーグルト・バナナで済ませていたので、10時半で少し早い時刻であったが休憩をかねて食事をした。シジミご飯定食を食べた。少し元気が出たところで、浮御堂へ向かった。拝観料は300円、琵琶湖に突き出たお堂をくるりと回った。琵琶湖の湖面は日の光が跳ね返り幻想的でもあった。シルエットに浮かぶ釣り船がゆったりとした時間の流れに漂っているように思えた。
 次に唐崎の松に向かった。琵琶湖大橋を過ぎてからの向かい風が冷たくなり、太ももも冷えてきた。用意していた登山用レインウエアーのゴアテックスのズボンをジャージの上から履いた。唐崎神社は湖岸にあった。わずかであるが観光客が来ていた。そのまま、浜大津まで向かって、三井寺の力餅の老舗でお土産に力餅を買った。8kgほどはあると思われるお土産の野菜などのリュックがかなり重くなった。腰が痛くなり出しており、こんなに買ってしまって自分でも馬鹿だなと思った。
 2回目のサイクリングで、先回の時(43km)よりかなり上回る距離を走っていたので、疲れがきていた。もう一踏ん張りと小関越えに向かった。案の定、峠から500mほど下にある老人ホームの所まではのぼりきったが、後が続かず、荷物が重く、下車して自転車を押さざるを得なかった。峠に着き、細い路面の少しがたがたの道を一気に駆け下りた。後輪のブレーキをかけると後輪が横にスリップする。前輪のブレーキを併せてうまくかけないと、横転する。
 無事に降りたのは良かったが、前輪の異常に気がついた。なんとパンクしていた。せっかくの下り坂、あとは一気にと思っていたのだが。三条の自転車店までは遠すぎる。30分ほど押して歩き四宮に出て、通りの家具屋のおばさんに、最寄りの自転車店を尋ねた。幸いそう遠くないところにあった。自転車屋に着くと、そこのご主人が今出かけたばかりと、修理はすぐにできない。幸いすぐに帰ってきてもらってパンクの修理をしてもらった。一カ所穴がいていた。原因は何かガラスのような破片が運悪くタイヤの溝にはまり込みそれが急坂を下っていくときの圧力で食い込んだのかそのためにパンクを引き起こしたようだ。勉強になった。パンクの修理器具を持っていなかった。これも用意しなければならないと思った。
 修理が済んで、三条通を京都市内に向かって、峠を上っていった。峠付近で突然の雨、かなりきつく降ってきた。上下とも登山用のカッパを着ていたので、そのまま走った。蹴上げを越え、神宮前あたりで雨はやんだ。三条大橋に出て、いつものように鴨川沿いの自転車歩行者道に降りて走った。
 自宅に戻ると2時30分過ぎ、予定より時間がかかってしまった。すぐに自転車を洗って整備した。今回は、多少疲れた。
 次はどこにしようか。ジョギングも水泳も所用でできていないので、こちらもコンスタントにこなしていかないとダメである。73km、次回は100kmに挑戦か。


 

近江大橋                          浜

 

えり                          近江富士

 

草津道の駅                       烏丸半島 蓮池

 

琵琶湖大橋

  

浮御堂

  


 


 冬生まれの真民よ
                        
   坂村 真民

 冬生まれのしんみんよ
 冬のものを食え
 冬のものを愛せよ
 冬のものと親しめ
 冬はお前にいろいろのことを
 教えてくれるだろう
 沈黙
 脱落
 勇猛
 不屈
 孤独
 克己
 そうした冬の性格を
 身につけてくれるだろう
 冬生まれのしんみんよ
 冬を見つめろ
 冬のいのちに触れろ


「人間は本当につらいとき、
 明るいだけの励ましには心は動かされない。」
俳優、香川照之の言葉である。
好きと嫌い、
喜びと怒り、
安心と不安、
楽しみと悲しみ、
愛と憎しみ、
人間はいろんな思いを持って生きている。

「きっと大丈夫だよ」と励まされても、
素直に受け止められない時がある。
たしかに、
落ち込んでいるときには、
優しい言葉が返って空虚に聞こえることがある。
優しい言葉で立ち直れるなら、
それほど辛くはないのだろう。

本当に辛いことを乗り越えるには、
冬の厳しさが必要ではないだろうか。
寒風身をさらして
きりきりする思いの中から
真っ赤な炎を身体の中に燃やしてこそ、
逆境に打ち勝ち、
道が開けるのではないか。
冬の命の
透明感は、
太陽の光を浴びると
ダイアモンドのように輝く。
心を透明にして北風に向かって歩こう
それがきっと君を強くするはずだ。

隠棲の里・大原ロードサイクリング


源平の合戦で敗れた平家の落武者たちが静かに暮らした地、大原。クロスバイクを購入し、久しぶりのロードサイクリングに出かけた。朝少し肌寒かったので着込んでいったが、すぐに暑くなり二枚脱いだ。花園橋から大原まではほぼ登りの道である。ケーブル八瀬あたりの紅葉も見頃であった。少しして脇道(旧大原街道)にそれていくと信号を渡って、高野川沿いに小学校があった。八瀬のかまぶろ温泉の趣ある建物があった。和風サウナは専念の伝統を持つといわれる。しばらくして、大原朝市に着いた。近くの農家の方が野菜などを直売している。漬け物、野菜、餅、赤飯、おはぎ、ヨモギまんじゅう、豚汁、地元のかしわ(鶏肉)、鮎の塩焼き、鯖寿司などが売られていた。車で買いに来る人が多い。駐車場は8時くらいでもいっぱい。鯖寿司とおはぎ、キムチなどを買った。
そこから三千院へ向かった。急に観光客でいっぱいになった。三千院付近から大勢の紅葉狩りの人、三千院は拝観料700円。中はまた、大勢の人。ところてんの突き出しのように、経路を順に回る。苔の中にある地蔵がいつもながらかわいい様相であった。写真を撮る人だかりであった。ほとんどの人が、コンパクトカメラか一眼レフのいいカメラを持って、バチバチ写真を撮っていた。皆が熱心なアマチュアカメラマン。すごいことです。三千院への参道脇に棚田がある。のんびりとした大原の風景がそこにはあった。それから寂光院へ向かった。聖徳太子による創建と言われ建礼門院ゆかりの尼寺である。観光客は三千院ほどではなかった。コースとしてすべて回ったので帰路に赴いた。修学院で曼殊院にも立ち寄った。ここは大勢の観光客で賑わっていた。紅葉も盛りであった。修学院駅近くの王府(ワンフー)という長崎チャンポンの店で昼食にちゃんぽんを食べた。フロントの変速ギアが1段にするとからからなっていたので、帰りに自転車屋によって調整してもらった。自宅に戻ると12:50であった。

楽しいサイクリングであった。自分の体力・脚力で遠くまで出かけることは、自分への信頼につながるようである。まだまだ元気だと。
何よりも景色が良ければ、すぐに立ち止まって、気の済むまで見ていられるのもいい。
スポーツバイクはスピードも快感である。もちろん登りの坂道を登り切るのも充実感がある。
ただし、今回の走行時間が3時間、走行距離は44km。考えてみると、マラソン選手はすごい。
ほぼ同じくらいの距離を2時間少しで走るのだから、驚異的だ。

クロスバイク購入後の初サイクリングであった。
次回はどこへ行こうかと思うだけでわくわくしてくる。



コース
自宅(7:00)…七条大橋(鴨川遊歩道)…出町柳…高野川沿い367号線…花園橋…八瀬かま風呂…野村の別れ(大原朝市8:30)…三千院(9:30)…寂光院(10:20)…野村の別れ…修学院(11:00)…曼殊院(11:30)…出町柳…三条アルチメイトファクトリー(自転車店/自転車変速ギア調整)…七条大橋…自宅(12:50)




自転車 Trek 7300 クロスバイク



行程記録(trip record)
走行時間(Elapsed Time) 3:01:06
走行距離(Trip Distance) 43.93km
平均速度(Average Speed) 14.5km
最高速度(Maximum Speed) 39.5km


大原の里

大原 朝市            大原 朝市

棚 田      ゆず

ダイコン畑

愛車 Trek 7300 (初心者用クロスバイク)

三千院 庭

三千院 地蔵

錦 秋

 

光明寺 長岡京

 

 

 

東福寺通天橋              今熊野観音

東寺 がらくた市

 

鴨川 ジョギングコース 荒神橋を越えて

  

東福寺 通天強 紅葉 色づきはじめ

   

   空気と勇気
          小泉 周二
 あるのかないのか
 はっきりしないが
 すうのが空気
 だすのが勇気

 つつむのが空気
 ささえるのが勇気
 どっちも
 なくては
 生きていけない



最近の若者に暗号のようなことばKY語がある。
KY語では、KYがいくつもの意味で使われる。
代表的なのは、もちろん「空気読めない」
でも、KYが「帰ってよし」の意味にもなる。
IWは「意味わかんない」(Imi Wakan-nai)、
KOKは「声の音量考えて」(Koe no Onryo Kangaete)大声の人のこと。
KKは「過剰な勘違い」(Kajo na Kanchigai)思い違いの発言などに。
相手を誹ったり排除したりするときに
こうした暗号の言葉を使い、直接的な表現を使わないようである。
「空気読めない」から始まったと思われるKY語。
若者には、「空気」という
「その場の気分・雰囲気」を守ることが大切なようである。

たしかに、「和をもって貴しとする」は、
日本古来の大切な考え方である。
ただ、それは様々な意見や考えを大切にしようという哲学であろう。
KY語世界の集団は
その馴れ合いから、
異なるものを排除したりする傾向を持つときがある。
それがKY語に潜む考え方かもしれない。

振り返って、
今の学生生活はどうであろう。
慣れてしまった「空気」の中で、
新しい一歩を踏み出すことをためらったり、
思いつかなかったりしていることはないだろうか。
「勇気」は「空気」と同じくらい大切なもの、
個性的・独創的な考えには「勇気」がいる。
新しいアイデアが求められる今の時代、
失敗してもいいから、
何かをやってみる姿勢こそ価値がある。


 明日
                        
室生犀星

明日もまた遊ぼう!
時間をまちがえずに来て遊ぼう!
子供は夕方になってそう言って別れた、
わたしは遊び場所へ行って見たが
いい草のかおりもしなければ
楽しそうには見えないところだ。
むしろ寒い風が吹いているくらいだ。
それだのにかれらは明日もまた遊ぼう!
此処へあつまるのだと誓って別れて行った。



大人になると、
透き通ったものが見えなくなるのだろうか。
まわりのものに見飽きてしまって、
ほんとうの美しさが分からなくなるのだろうか。

「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風
 をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」
宮沢賢治は『自然からもらってきた話』にそう書いている。
賢治の詩をたべれば、
自分が透き通った風になるのではないかと思ったことがある。
もちろん自分の身体ではなく、
自分の心がである。

子どもの頃に抱いていた夢見る気持ちや感性を
本当は誰もが持ち続けたいと思っている。
しかしながら、
大人になるにつれて
人はそうした気持ちを失うようである。
世間の出来事や
身につけた知識で
混じりっけのない見方ができないようになっているのだろうか。

今、君たちが見る世界は何色なのだろう。
幸せは透明なもの
詰め込んだ知識では見えないかもしれない。
知識を知恵に変えて
透き通った心で周りを見れば
明日という希望が見えてくるのではないか。

明日という期待を大切に
透き通った心を忘れずに

本名 田所康雄、芸名 渥美清、通称「寅さん」、

彼は俳句にも熱心であった。俳号は「風天」

山頭火のような生き方にあこがれた渥美清。

句会では役者ではなく、ふつうの人として句作に臨まれていたようだ。

アエラに昔、特集で数十句掲載されたが、

最近、彼の俳句を集めた単行本が出版された。

『風天 渥美清のうた』

そこで218句が発掘された。

***

「お遍路が一列に行く虹の中」

「村の子がくれた林檎ひとつたびいそぐ」

「乱歩読む窓のガラスに蝸牛」

「赤とんぼじっとしたまま明日どうする」


風になりたい
            川崎  洋

風になりたい 風になって_
渡り鳥を運び_
潮騒の歌を_
お花畑の香りを 深い森の息吹きを_
遠くへ届け 星々を磨きたい__

風になりたい 風になって_
すべての悩みと かなしみを_
さっと吹き飛ばし_
うつむく人の背を押して_
太陽へ一歩踏み出せたい__

風になりたい 風になって_
命の重みと よろこびを_
地球の隅々まで伝えたい_
風のはたらきを心にとめて_
わたしに出来る役割を担いたい__

風になりたい 風になろう

「風になりたい」は、川崎洋作詞、寺嶋陸也作曲の合唱曲で、
第七十二回(2005年)NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部課題曲である。
詩人、川崎洋はその前年に亡くなりこの詩が遺作となった。

誰もがこの詩のように
風になりたいと思うことがある。
自由でありたいと願う、
どこにでも飛んでゆきたいと願う、
今の束縛から解放されたい、
どちらかというとそういう気持ちから風になりたいと願うことが多い。
しかし、この詩人は、
風になって、人のために働きたいと願うのである。
「風のはたらきを心にとめて
 私にできる役割をにないたい」
と願うのである。

自分のことだけにとらわれて生きていると、
いつも重苦しく、
その日のことに一喜一憂することになるのかもしれない。
一所で何かの役に立てば、
また、他所へ行ってさわやかな空気を届ける、
そんなつもりで生きることが風になることかもしれない。
埼玉のジョンレノンミュージアムに小野ヨーコのことばがあった。
As I said a long time ago, メThere is a wind that never dies.モ
I didn't know that that was you.
ジョンの魂は、衰えぬ風となって今でも世界を巡っている。
今日の教室で、君もさわやかな風にならないか。






久しぶりに埼玉の娘に会いに行った。学生の狭い部屋に泊まってひとときを過ごした。

元気が出た。

息子は独り中国で仕事をしている。一段落するまで1ヶ月程滞在予定で帰国のメドはたっていない。

長女は自宅がよいで出勤している。

こどもがみな大きくなって独立していく。自分が歩んで来た道を歩もうとしている。

Time goes by.

埼玉 鉄道博物館

C57 勇姿

 

弁慶号     最初の蒸気機関車       模型

昭和22年 女性こども専用列車があった。

川越・小江戸

 

喜多院

  

五百羅漢

  

  

土蔵づくりの町家                      時の鐘の塔

川越は、大火事が何度もあった。類焼を免れるため、土蔵のように分厚いしっくいの壁で住居を造った。

小江戸(こえど)と呼ばれ、江戸時代の造りの家が残っている一角がある。

葛飾柴又

 

寅次郎記念館

 

 

マドンナ この3人が一番よく出ている

 

江戸川 矢切りの渡し

秋たより2

三井寺の秋

大津絵 三井寺観音堂

 

三井寺 山門

 

本殿

 

三井寺晩鐘

 

弁慶の引きづり鐘

自転車で自宅から滋賀県三井寺までサイクリングを楽しんだ。 往復24kmほどだが、東山と小関越えと峠を二つ越す。ままチャリ菜ので、多少時間はかかった。紅葉には少し早い三井寺であった。名物ののそばを食べ、浜大津に出て三井寺力餅をお土産に帰って、戻って来た。いい運動になった。


 明日
                        
室生犀星

明日もまた遊ぼう!
時間をまちがえずに来て遊ぼう!
子供は夕方になってそう言って別れた、
わたしは遊び場所へ行って見たが
いい草のかおりもしなければ
楽しそうには見えないところだ。
むしろ寒い風が吹いているくらいだ。
それだのにかれらは明日もまた遊ぼう!
此処へあつまるのだと誓って別れて行った。


大人になると、
透き通ったものが見えなくなるのだろうか。
まわりのものに見飽きてしまって、
ほんとうの美しさが分からなくなるのだろうか。

「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風
 をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」
宮沢賢治は『自然からもらってきた話』にそう書いている。
賢治の詩をたべれば、
自分が透き通った風になるのではないかと思ったことがある。
もちろん自分の身体ではなく、
自分の心がである。

子どもの頃に抱いていた夢見る気持ちや感性を
本当は誰もが持ち続けたいと思っている。
しかしながら、
大人になるにつれて
人はそうした気持ちを失うようである。
世間の出来事や
身につけた知識で
混じりっけのない見方ができないようになっているのだろうか。

今、君たちが見る世界は何色なのだろう。
幸せは透明なもの
詰め込んだ知識では見えないかもしれない。
知識を知恵に変えて
透き通った心で周りを見れば
明日という希望が見えてくるのではないか。

明日という期待を大切に
透き通った心を忘れずに

秋便り1

 

 

鴨川 アオサギ  三條大橋

 

瀧尾神社 宵宮祭 蛇踊り

 

女神輿                       男神輿

 

コスモス


 こほろぎのうた

               室生犀星

石と石のあひだの
石と土とのさかひに
こほろぎはかくれてないてゐます。
石の下のおくの方で
すこしあいてゐるところが
どんなにさびしいかは誰も知らない。
どんなにあんしんだかも誰も知らない。
風もなく
雨もふらず
人のこゑもしてこない、
そんなところで
こほろぎは冬のくるまでなくのです。
こほろぎはさびしいところがすきなのです。
さびしくないと鳴く気にならないのです。


秋の夜長、虫が鳴いている。

毎日、毎日、
様々なことがある。
いろんなことを経験している。
経験の数が意味のあることがある。
しかしながら、
その数や何を経験したかというより、
何を経験から感じ取ったか、
学んだかの方がもっと大切である。

学生である君たちは
しっかりとした学力を身につけなければならない。
学力とは学んだ量でなく、
学ぶ力である。
学問は孤独である。
自分がすべてを背負ってやってゆかなければならない。
他人が自分のために学ぶのではない。
7月末の学習意識調査のアンケートでは、
毎日苦しい、
宿題や課題が多すぎるとぼやく自由記述が多かった。
それを読んでうれしく思った。
先生がみんなを厳しく育てようとしている姿勢があること。
学生のみんなが頑張ってやらなければと
前向きに取り組んでいるからこそ、
一つ文句も言いたいという気持ちになっていること。
そしてその苦労から、何かを感じ取っていること。

今日もこほろぎは寂びしから隠れて鳴いている。
人も同じだ。
苦しくつらいからこそ頑張るのだ。

マキノ高原

京都から1号線、161号線(湖西道路)を通って、2時間かけてドライブした。

京都府と滋賀県の境からの湖西道路が込んでいて、思ったより時間がかかった。目当ては、ピックランドの栗ひろいと高原散策であった。何年か前に、マキノ高原から赤坂山へのハイキングに言ったことがあったが、今回は少し遅く自宅を出たので、登らなかった。

好天に恵まれ、ピックランドでは子どもづれの家族で賑わっていた。栗ひろい、芋掘りなどを楽しんでいた。わたしたち年寄り夫婦も、はずかしながら、栗ひろいを楽しんだ。最初は、虫のつい庭内物と、まだ緑のいがのものを振り落としたりして割って取っていたが、小粒であったりしてうまく行かなかった。結局茶色のいがで地面に落ちているものの中から、むくのついていないものを選んで集める方が大きいものがあることが分かった。一時間弱、楽しんだ。

それから、マキノ高原に行って、食事後、ゲレンデの高原を散策した。風は秋のにおいと涼しさを運んでいた。高原に吹く風はとっても気持ちがよかった。赤とんぼがその風を楽しむかのように飛び交っていた。群れているようでひとりなんだと赤とんぼを観て思った。生き物のそれぞれの生き方に胸を打つものがあった。「ゆうやけこやけのあかとんぼ・・・」子どもの頃の豊かな感受性を忘れてはいけないと思った。

散策後、サラサ温泉につかってさっぱりとして帰路に着いた。

 

マキノピックランド 6号栗園

 

 

マキノ高原

 

秋の空

ネコの昼寝


   ふるさとの
                        

             三木露風

 ふるさとの
 小野の木立に
 笛の音の
 うるむ月夜や。

 少女子(をとめご)は
 熱きこころに
 そをば聞き
 涙ながしき。

 十年経ぬ
 おなじ心に
 君泣くや
 母となりても。


ふるさとの秋風が吹く木立で、
 少年は少女に笛を吹いて聞かせた。
 月影に笛の音が
 一層清らかに流れて、
 森の神様も聞き惚れたことでしょう。
 少年のあふれ出る自分への気持ちが
 少女に伝わった。
 少女のあふれる気持ちは泪となって
 こぼれ落ちた。
 だが、この初々しい恋は実らなかった。
 十年の歳月が流れ、
 少女は人妻となり、そして母になった。
 歳月は人の気持ちを根こそぎ奪い取っていくことがある。
 変わらぬ思い持つ少年の笛の音に
 もはや応えることはできない。
 ただふるさとが
 その思いを、笛の音を聞き続けていてくれる。

秋は人恋しくなる季節である。
街で暮らす人々には、
やさしいふるさとがあるだろうか。
実る稲田を吹き抜ける風のにおいがあるだろうか。
しっとりとした落ち葉を踏みしめた時に感じる
あの柔らかな感触はあるだろうか。
つらいことがあっても皆で笑い合った
温かさはあるだろうか。
こころざしを果たして帰りたいと思うふるさとがあるだろうか。

今こうして学びにひとときを過ごすこの学舎が
君のふるさとであるように、
私は一生懸命、笛を吹きたいと思う。

宇治 平等院

源氏物語1000年 宇治にも秋の風が

  

    

 



 風
       はたち よしこ
                  
だれもいないのに
ぶらんこが ゆれている

こどもたちが
かえってしまったあと

やっと
風の じゅんばんがきて

季節が夏から秋へバトンを渡し、一年はめぐる。
振り子のように、
行ったり来たりしながら、
確実に次へ引き継がれていく。

君たちも留まることはできない。
これまでやってきたことから、
次のことを始めていかなければならない。
砂時計をひっくり返して、
新たな時刻を刻むことだ。
日々同じように見える日常的なことも
次へのステップとつながっている。

今日の授業は、
この夏に準備したものだ。
今日の授業で伝えたいと思ったことは、
ずっと前に抱き暖めていたものだ。
今日を懸命に生きようとするのは、
これまで出会った人から学んだことだ。
これまでに読んだ書物から教えてもらったことだ。
しっかり学ぶことで
新しい時刻を刻み出すことができる。

誰かの終わりから私が始めて、
私の終わりから君たちが始める。
そして、君たちの終わりから
誰かが始める。
世界や人生はそんな風に
巡っているのではないかと思う。

秋の訪れ

 

 

 

娘が帰省している。青春18切符で埼玉から帰ってきた。

10時間かけて、朝7時過ぎに出て五時40分ころに京都に着いた。

意外に元気であった。

若いっていいなと思った。

途中何度か乗り換えた3両編成の電車には、

若い人に混じって年配の人も

大きな荷物を持って同じように乗り換えて座っていたとのこと。

青春している人はいるもんだ。

大枝の花屋に行った。

りんどうが売られていた。

秋の日ざしを花は浴びていた。

赤とんぼが実った田んぼの上をクルクルと回るように飛んでいた。


夏の終わり

 

 

自宅近くの瀧尾神社で8月31日夏祭りがあり、夏の終わりを締めくくった。

江州音頭の歌声が響き渡り、子どもたちが、懐かしい夜店を楽しんでいた。

昔、テレビがなかった頃、八の付く日に通りに並ぶ夜店が本当に楽しみだった。

親父は、古本や古雑誌を買ったりしていた。

ホタルやカブト虫/ゲンジを売る人たちもいた。

裸電球の赤い光は暗闇の中の希望のように思えた。


忘れものをとりにいらっしゃい
                      みつはしちかこ

忘れものをとりにいらっしゃい
思い出したらいらっしゃい

九月の高原では
いま  風が
忘れものに曲をつけているところ

みんな
透明になってうたいだすところ


この夏の北京オリンピックでは女子の活躍が目立った。
中でも、ソフトボールの上野由岐子選手の力投はすごかった。
上野投手のお母さんは言った。
「私たちの金メダルは、あなただからね。」

秋学期が始まる。
夏、賑わった山や海にも
今は風が秋の始まりを告げて吹き抜けている。
それでも、夏の思い出や何かやり残したことが
まだ心の中にあったりして、
忘れ物をしているような
心残りの気分でいるかもしれない。
ただ、過ぎ去ったことに
いつまでも想いを馳せていても仕方がない。
ヘレン・ケラーのことばがある。
「一つのドアが閉まると、
 別のドアが開く。しかし、
 私たちは閉まってしまったドアを
 ずっと後悔して見つめているので
 私たちのために新しいドアが
 すでに開いていることに気づかない。」

秋学期、
新しいドアが開かれた。
そこから吹き寄せる新しい風を
身体いっぱいに受け、後期の勉学にいそしもう。
過去に執着せずチャレンジする人こそが、
新しい自分に会える。
「君たちが、私にとっての金メダル」
と、秋学期終了時に私も言いたい。

丹後半島一周

天橋立・・伊根・・経ヶ岬・・夕日ヶ浦

天橋立ビューランドより望む

 

リフトから    橋立て水泳場

 

文殊堂 千社札

 

伊根の舟屋    伊根湾

 

 

経ヶ岬灯台 

丹後半島の最先端の海抜140mの断崖絶壁の途中に、経ヶ岬灯台がある。

京都百景にも選ばれた経ヶ岬灯台は、全国に6つしかない最高級・第一等レンズ(フランス製)を使用。

約55km先まで届く豊富な光量で、

若狭湾・日本海を行き交う船舶の安全を1898年からずっと毎日守り続けている。

この経ヶ岬灯台は、映画「新・喜びも悲しみも幾年月」の舞台になった。

 

夕日が浦浜詰水泳場

 

 

海は大きい、変化が激しい。

丹後半島へ一泊二日のドライブに出かけた。ドライブでは初めての遠出であった。

妻と交代で運転した。

私の運転に恐い、恐いと叫ぶ妻。

カーブの多い路を安全運転をしている。

ましてや免許をとって9ヶ月のものに言うことばだろうか。

却って緊張させるようにする。

教育的配慮が少しもない。

その妻はすぐにスピードを出し過ぎる。

本人は周りの車にあわせていると言うが、それはまちがい。

ハンドル裁きは安定しているが、暴走的な妻にスピード落とせと呟く私。

なんとも、気の疲れるドライブであった。

が、景色は心に残るものであった。

旅館の料理も堪能できた。

二日間の短い休暇であった。

八月
中村稔



うちつづく炎天の下地面から
ぎらぎらと熱気が立ち騰(あが)り
サルスベリの花房はなかば散り
その朱もすでに灰(ほのか)かに淡い。

部屋の隅の暗がりに
ぶあつい臼が凝固し
ぶあつい臼の塊りがながれ
ながれながら凝固してかたちをなす。

風もわたらぬ天と地の間で
ものみなひたすら沈黙し
ほしいままに熱気が立ちこめている

暗が-のぶあつい白に
ちいさなちいさな蛙がはりついている
あ その眼玉が煌々(こうこう)とひかっている。

京都夏風景(3)

下鴨納涼古本まつり

 

大文字 五山送り火 8月16日(土)

 

 

 

夕方、雨が降って心配したが、今年も大文字五山送り火が16日に行われた。

今年もまた、悲田院から、妙法の妙、舟形、左大文字、鳥居を観た。

今年の夏は猛暑が続く。

地球温暖化の影響なのだろう。

エアコンが各家庭の各部屋にあり、稼動している。

部屋の中は戸外の猛暑とは別世界である。

夏の暑さに反抗する過ごし方を人は求めるようになった。

昔は、打ち水したり、簾をかけたり、井戸水ですいかを冷やしたり、

半ズボンにランニングシャツを着たりして、

夏の暑さを凌ごうとした。

Summer-friedly styleである。

自然と仲良くする考え方である。

ある時は、風鈴の音に涼を感じたり、

水色の服に涼しさを感じたり、

日本人の涼に対する感受性は色や音にまで及んでいた。

大文字が終わると京都の夏も過ぎてゆく。

京の町衆は山裾に浮かび上がった大文字を眺め、

先祖を送ると共に、夏との別れを感じたことであろう。

暗闇の灯りに涼しさを感じたことであろう。

京都夏風景(2)

五条坂陶器市 8月7〜10日

 

 

清水焼や近辺の陶芸家の市

京都の夏の風物詩の一つ

五条坂の陶器まつりは遠く大正9年、「六道珍皇寺」にお精霊さんを迎えに行く人々、

また大谷本廟(西大谷)へお盆の墓参りに行く人々が五条坂を賑わせていた時に、

五条坂に店を構える陶器屋が登り窯で出た大下(おおげ)、

要するに一級品として出せないものを陶器市として売り出したのが始まりである。


丹波焼きのマグカップを買った。

灰色の素朴なカップである。

下鴨神社では、古書市が開かれている。

そして、大文字がもうすぐである。

夏の日々が過ぎ行くのも早いものである。

八方尾根自然研究路 八方池

白馬三山を眺める

妻が友だちと白馬ハイキングに出かけた。

京都・大阪は極めて蒸し暑い日であったが、向こうは涼しかったようである。

標高1830mの第一ケルンから第2ケルンへ、第2ケルン付近から地勢が亜高山帯から高山帯へ変わる。

植生にも変化が見られ以後はハイマツが多くなる。

八方池は周囲180m水深4m強の小さな池だが、アルプスを映す鏡と評されている。

山の写真を。

 

  

 

お花畠

尾崎 喜八


いちばん楽しかった時を考えると、

高山の花のあいだで暮らした

あの透明な美酒のような幸福の

夏の幾日がおもわれる。

残雪や岩のほとりの

どんな花でも嘆賞に値したし、

あらゆる花が夕べの空や星辰の

深い意味を持っていた。

そこに空気は香り、

太陽の光は純粋に、

短い休暇が私にとっては永遠だった。

遠いところで

菅原 克己

遠いところで音がする。

それはいつでも耳にするが

近づけない。

あなたはそれを手近に聞く、

蛇口からほとばしる水音のように。

ぼくの思いは遠いが、

あなたはそれをいつも手でつかむようだ。

同じだと言ってくれ、

僕の耳にするものと

あなたの手にするものと。

それでなければ、

ぼくのは、

最初からの、死ぬほどの

まちがいなのだ。

 

京都の夏点描(1)

 

     悲田院から見た京都市内 朝7時                   右大文字が見える          

四条大橋から鴨川川床、三條大橋、北山を望む

日中の先斗町

高瀬川 旧・立誠小学校

あんまりにも暑いから、今こんな顔や!

娘からの絵入りメール

伏見稲荷本宮祭 夏祭り

  

 

   

祇園祭りの季節になって

コンチキチンの祇園囃子が聞こえてくると、京都にも暑い夏がやってきたなあと感じる。

東北のねぶた祭のような力強い響きではないが、十七日の山鉾巡行まで毎夜、

少し押さえたようで繊細で華やかなお囃子が四条界隈に鳴り響く。

ちなみに、鉾の重さは、12日に計ってみたところ、

長刀鉾は、7.32トンであった。

これに、破風に登る人、囃子方、前掛けの前で先導する人など70人程が乗ると、

10トン〜12トンになるとのこと。

これって、かなり重いように思えます。

長刀鉾

  

鉾内部   胴掛

  

前掛    破風

    

函谷鉾 曵き初め



今を生きる

                        
             藤川幸之助

過去のいやな思い出や出来事、
過去の自分や過去に出会った誰かに
心を乱されるときが、きみにはあった。
過去は、心の中にスーッと入ってきて、
ときには心の中でどたばたと暴れ、
ときには心の中に居座ったりした。
そして、きみはきみ自身をいやになったり、
誰かを恨んだり、
自分の運のなさに自暴自棄になった。
しかし、
きみはそんな過去を捨てようと探すけれども、
過去はもうどこにもなかった。
この世のどこを探しても見つからなかったのだ。
日々、きみは生まれ変わっている。
昨日のきみはもうきみではない。
今のきみだけが、きみといえる人間だ。
今を生きよう。
今をわき目もふらず全力で生きよう。
きみはそう誓ったんだ。


悩めるってことは、
 あんた幸せなんやな。
 海で溺れそうになってる時に悩むか?
 悩めるってことは幸せなことなんや。」

あのしゃべりまくる、
大阪弁のジャズシンガー 綾戸智絵さんのことばである。
逆境の中を生き、歌にその思いを託し、
声いっぱいにして歌う綾戸さんらしい
自らの経験から生まれたことばである。

そう、悩んでいる暇なんかない。
今を精いっぱい生きていたら、
がむしゃらにがんばっていたら、
悩む間なんかない。
これは、まさしく悩まないための秘訣でもある。

いよいよ春学期の授業も最終である。
あまりに忙しかった春学期、
これまでとは別人のように勉学に打ち込んできたが、
昨日、いや昔のままで、
思うように伸びたのかどうなのか、
不安に思ったり、悩んだりしていることはないだろうか。
思い出してみよう。
入学したときのことを、
君は誓ったはずだ。
わき目もふらず、全力で駆け抜けようと。
悩んでいる暇があるなら、
今を生きて、ひたすら走っていこうじゃないか。
夏休みになれば、ゆっくり時間をとって振り返えればいい。
秋学期、みんなのたくましくなった顔を楽しみしているよ。


台所リフォーム/Rmodeling Kitchen

Before Remodeling

20年以上使って来た台所/食器棚

ごくろうさんでした

In Remodeling

天井も壁もすべてとっぱらって

床下も砂を入れなおし

ガス管はビニールのパイプに、温水の管はピンク、水道水は青のビニール管

断熱材を壁に貼り

1cm少しあるコンパネでかべを、天井と火を使う部分の壁は防熱素材の板を

After Remodeling

 

完成しました。食洗器もあります。ダクトもあります。

見違える程、きれいになりました。 台所がきれいなことは本当にいいですね。

永年の夢がかなった妻は大喜びです。

七夕 子どもの頃の夢

People

情 景 写 真

「はい、おかあさん」 撮影場所:泉涌寺本殿 

「嘆きの人」 撮影場所:東京国立美術館

「考える人」  撮影場所:同上

「ハイ、ポーズ」修学旅行生 撮影場所:上野公園

「待ち合わせ」  撮影場所:上野からアメ横方面を見る

「記録係り? 一人離れて自由の女神スケッチ」  撮影場所:お台場

「皆様、正面に見えますのが…」


 あいたくて
                        
             工藤直子

だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきた--
そんな気がするのだけれど

それが だれなのか なになのか
あえるのは いつなのか--
おつかいの とちゅうで
迷ってしまった子どもみたい
とほうにくれている

それでも 手のなかに
みえないことづけを
にぎりしめているような気がするから
それを手わたさなくちゃ
だから

あいたくて


今の若者は、
「自分を大切に」と育てられてきて、
これまで全面的に否定されたことがないかもしれない。
だから、マイナスの状況にうまく対応できないように思える。
流れてくるものを待っていて、
都合の良いものだけを取り入れる、
お客様的な風潮があるようだ。

ゆえに、その風潮を打破し、
自分で気づき、行動し、困難を克服する人間を育成することが
教育の大きな目的の一つだと考える。
私の手の中に握りしめているものを渡すこと、
それが、私の使命であろう。
出会うだけでなく、
人の懐に入り込まなければそれはできないことだ。
それには、
自分に留まりつつも、
他の存在に無限にたどり着くことができる
教員としての資質、
いや、教員としての人格が問われることになる。

「教育は鏡育だ」という人がいる。
常に自分を振り返らねばと思う。
すーっとコミュニケーションができるよう、
心が耕されていなければならない。
どれくらい遠くのことが見通せるか、
世の中の変化を観察し、好奇心を持っていなければならない。
そうでないと、私が手渡したいものを渡すことはできないであろう。
そして、この求められる人格は、
君たちにとっても等しく大切なことである。
会いたいと願う人やものにあなたを伝えるために。


 僕はまるでちがって
         
黒田三郎

僕はまるでちがってしまったのだ
なるほど僕は昨日と同じネクタイをして
昨日と同じように貧乏で
昨日と同じように何にも取柄がない
それでも僕はまるでちがってしまったのだ
なるほど僕は昨日と同じ服を着て
昨日と同じように飲んだくれで
昨日と同じように不器用にこの世に生きている
それでも僕はまるでちがってしまったのだ
ああ
薄笑いやニヤニヤ笑い
口をゆがめた笑いや馬鹿笑いのなかで
僕はじっと眼をつぶる
すると
僕のなかを明日の方へとぶ
白い美しい蝶がいるのだ

高橋和巳「生まれ変わる心」に
 苦しみというのは、「ある自分」を維持しようとして始まることである。
 自分を壊すまい、と必死にがんばることが苦しみとなる。
とある。

詩人、黒田三郎(一九一九〜八〇)は、東大経済学部を卒業。
戦時中、会社の派遣や現地召集により南洋の島々で過ごした。
戦後、NHKに入社し二十年近く勤める。
酒好きで、酒を飲むと、度を超すこともしばしばであった。
自分でも「飲んだくれ」と自己嫌悪していたこの詩人は、
何かに必死だったのかもしれない。
そんな詩人がある日生まれ変わるように、
「まるでちがってしまった」
上記の詩の最後の連にその謎の鍵がある。
詩人は一人の女性に恋をしたのだ。
それまでの生き甲斐のない人生も、
一人の女性の出現によって「まるでちがったもの」になったのだ。
明日の方へとぶ白い美しい一匹の蝶、
それが、好きになった女性であることは
容易に想像できる。
明日の方へとぶ「希望」と「勇気」を見いだした
この女性、光子さんと詩人は結婚する。

毎日、毎日、自分を懸命に維持しようと、
必死にがんばっている人もいることだろう。
その苦しみに気がふさいでいる人もいることだろう。
君にとっての「明日の方へとぶ白い美しい蝶」は何だろう。
恋かもしれない、友達かもしれない、
留学かもしれない、希望する会社での仕事かもしれない。
淡い夢かもしれないが、
それがあなたの心を生まれ変わらせてくれることだろう。

I was born

教え子の訃報に遥かな想いを巡らしていたら、吉野弘の"I was born" を見つけた。

すると、狂気の病巣が広がり始めたかのような、考えられないような凶暴な事件が起こった。人の生きざまの違いに、無念が蘇る。人は何のために生きているのだろう。後戻りできない程、世界が凝縮する中で、理性が狂気に変わり、感性が鈍っているかのようである。

もう一度、自分の誕生に思いを馳せて、生きる意味を確かめたい。生まれたのではなく、I was bornという存在の意味を確かめたいと思う。

 
  
I was born

               吉野 弘

 確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄(もや)の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。 物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。その時僕は〈生まれる〉ということが まさしく〈受身〉である訳をふと 諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
--やっぱり I was bornなんだね--
父は怪訴そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
--I was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね--
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

 父は無言で暫く歩いた後、思いがけない話をした。
--蜉蝣(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね--
 僕は父を見た。父は続けた。
--友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の臆を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて〈卵〉というと 彼も肯いて答えた。〈せつなげだね〉。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは--。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
--ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体--。



  山 芋
      大関松三郎

しんくしてほった土の底から
大きな山芋をほじくりだす
でてくる でてくる
でっこい山芋
でこでこと太った指のあいだに
しっかりと 土をにぎって
どっしりと 重たい山芋
おお こうやって もってみると
どれもこれも みんな百姓の手だ

土だらけで まっくろけ
ふしくれだって ひげもくじや
ぶきようでも ちからのいっぱいこもった手
これは まちがいない百姓の手だ
つぁつぁの手 そっくりの山芋だ
おれの手も こんなになるのかなあ

           つぁつぁの手=父親の手

この詩言葉カード「アクロス・ザ・ユニバース」で、
これまで二度、
大関松三郎の詩を紹介した。
第5号「雑草」、第6号「夕日」である。

三木卓『詩の玉手箱』によると、
松三郎は、昭和の初め、
新潟の農家の三男として生まれた。
小学校に入ると、自分の生活に根ざした詩や作文を書き出し、
土の香りのするエネルギッシュな作品は大いに注目された。
松三郎は、戦前昭和の時代を、
こどもながら両親と一緒に土にまみれ、
農業生産者の一人としてけなげに生きた。
仕事は戦後『山芋』という一冊の詩集にまとまった。
松三郎は、戦後日本の詩壇の担い手になっていたかもしれない。
しかしながら、
昭和十九年(1944年)、
彼は二十歳になる前に戦死した。

短い生涯をけなげに生き、
自分の楽しみを見つけた松三郎に対し、
深い悲しみと同時に
尊敬の念が湧き起こる。

一日、一日精いっぱい働き、
目の前にあることを
体いっぱいで感じ取って生きた彼の生き様に、
自分も日々を
精いっぱい生きたいと思う。


H君を偲んで

 教え子のH君が不慮の事故に遭った。遠くインドネシアに単身赴任し、プラントの建設に従事していた。突然の訃報がクラス仲間から入って来た。転落によるものだった。41歳の若さで旅立ったH君を偲んで、仲間から来た想いのいくつかを載せることにした。H君の冥福を祈って。

第一報
今、Hの奥さんから電話があって、事故で亡くなったそうです。(インドネシアに出張中とのこと)。明日(29日)夜7時からお通夜、翌日お葬式。場所は守口市の難宗寺(守口市竜田通1-5-2。)だそうです。まだ、誰にも連絡してません。(連絡先がすぐにわからなくて)ハンドボール部だった人にも伝えてあげたいけど知ってるかな?取り急ぎ、ご連絡しました。

*M
先生、こんばんは!Mです。おきょうちゃんからも先ほどメールをもらい衝撃を受けていたところです。私は明日もあさっても仕事があり月末なんで時間的に難しいのですが、なんとかして行けそうでしたらお通夜の方に顔を出します。では取り急ぎ返信でした。ご連絡ありがとうございました。


*U
先生、おはようございます。Uです。
ご連絡ありがとうございました。まさかと驚きました。詳しくはまだ何もわからないようですが、ご家族のことを思えば言葉もありません。ご冥福をお祈りします。


*O
今日のお通夜に参列します。
事故の詳細がわからないですが、
お子さんがいるようなので、ご家族の悲しみも深いと思います。

H君を悼んで
今夕、お通夜に参列した。T、I、H、O、S君らとM、F、Nさんらがかけつけてくれていた。
一般の方を含め非常に多くの参列者がおられた。

インドネシアという異国の工事現場完成点検での転落死。
転落してしまったとき、おそらく覚悟をしただろう25mの数秒間、彼はきっと家族のことを思ったとことだろう。その数秒間はきっと黄金の輝きを放ったことであったろう。H君には二人のお嬢さんがいる。

「どんな悲しみにもそれにふさわしい深い幸せがきっとある」
In any deep-seated suffering or sadness,
there is, without a doubt,
a happiness that is a worthy counter.  (羅漢)
偶然か、同日この言葉がメルマガから送られてきた。私もそう思いたい。

彼からの今年の年賀状には、
昨年2月から12月29日まで、カタールに出張しておりました。今年は少し日本で仕事ができそうです。(手書きで)「同窓会に行けずすいません。3年6組のみんなは元気ですね。私は早く今の会社で役に立てるようがんばっています」

とあった。

4年ほど前在職していたS高校卒業式の式辞の中で次の一節を話した。

 皆さん、人間には寿命があります。ひっくり返すことのできない、一度限りの砂時計のようです。砂の量や砂粒の大きさ、砂が落ちる穴の大きさは、人によって異なるようです。運命は遺伝子に書かれているのかもしれません。しかし、遺伝子だけでは分かりきらないのが人生です。「生きている」ってことは、素晴らしいことです。命はその人そのものです。
 今日の皆さんの門出に、本来なら、「激動する社会に生きていくために、生きる力を身につけ、これからは大人としての責任を担うように」と、人生の目標を達成するための方法や心構えについて話すことが、「はなむけの言葉」なのかもしれません。しかしながら、私が、今日、皆さんに伝えたかったことは、諏訪中央病院にいた母や家族が抱いていたこころです。「生きていてよかった」「共に感じてくれる人がいる」「ああ、ありがたい、しあわせだ」「生まれてきてよかった」という命を慈しむ気持ちです。
 物が豊かになり、生活感や価値観が多様化し、一律に「これがいい」と言えない時代の中、皆さんは、これから先、どの道を行くのか、何をするのか、選択しつづけていかなければなりません。選択を迫られる度に、迷いながらも一つ選び、その結果、たいした成就感もなく、何かしら後悔しながら過ごしていくことが多いかもしれません。それゆえ、自分の価値観の基準をどこに据えるのか、自分の生き方の基本姿勢をどう形成するのかがとても大切なことになると思います。
 人間は何一つ持たないで生まれてきます。誰かの助けがないと生きていけません。母親はその最初の人です。命を授かった赤ん坊は、生きていくうちに、様々なものを身につけ、手に入れ、豊かになっていきます。人間として何が真に豊かなことなのでしょう。人には寿命があります。自分の一生にピリオドを打つときが必ずやってきます。その時もまた何も持たないのです。ですから、力があるとかないとか、男であるとか女であるとか、時代にうまく対応できるとかできないとかということよりも、「生まれてきてよかった」と感謝の思いを持てることが一番豊かなことではないかと思います。
 お腹が空いたとき、懐かしいメロディを思い出したとき、誰かと手をつないだとき、木漏れ日がまぶしいと思ったとき、自分のことを心配してくれる人がそばにいたとき--そんなとき、生きていると感じ、幸せだと思う。それが、生き方の基本姿勢ではないかと思うのです。
 人の痛みを感じ、人の絆やありがたさを大切に、命を輝かせ、あるがままに生きてほしいと思います。

今日、お通夜からの帰りの電車の中で、この一節がぐるぐると頭の中によみがえった。
彼を悼んで皆さんにメールを送ります。

*O
Oです。メール有難うございました。
突然の悲しい知らせに、ただただ驚き、ショックを受けています。
遺されたご家族のことを思うと胸が締め付けられる思いです。

記憶の中のH君は、いつも笑顔で、そういえば怒った顔を一度も見た覚えはありません。
あの笑顔を二人のお嬢さんにも振りまいていたんでしょうね。

本来なら、今日か明日、彼に会いに行きたかったのですが、どうしても都合がつきませんでした。
何人かと相談し、会いに行けない人たちを含めた旧3年6組同級生一同の名前で、
明日、弔電を送ることにしました。

また、先生からご提案頂いた7月の同窓会時のH君へのメッセージ作成は、大賛成です。
少しでも、廣川君の奥さんを元気付けることが出来ればいいなと思います。

*T
先生、パリのTです。H君の一報、遠くの地からお悔やみ申し上げます。

昨日は家で蝋燭を灯しましたが、
明日には教会に行ってH君が出来るだけ天国で安らげるようお祈りしてこようと思います。

家族から離れた場所で事故死とは本当に無念だったと思います。
昔から涙もろかったのですが、この年になると更に…で、
また実家が守口のせいか、お通夜にも行けないのがつらいです。

誰もが明日何が起こるか分かりません。今健康で、生きていられることが有難い、
みんなが健康で暮らしていることを有難いと感じたいです。

*O
Hの出張先です。
大きな仕事をしていたのですね。やはり女の子が二人いたのですか。つらいですね。
プロジェクト情報 2005/03/09 タングーLNGプラント建設プロジェクトを受注
N株式会社は、米国KBR社、Nインドネシア法人のペルタフェニッキエンジニアリング社とコンソーシアムを形成し、BPおよび共同出資者がインドネシア共和国パプア州で進めているタングーLNGプラント建設プロジェクトを受注しましたので、お知らせします。プロジェクトの詳細は下記の通りです。
1. 契約先 : BPベラウ社(BPインドネシア法人/BP Berau, Ltd.)
2. タングーLNGプロジェクト事業者出資構成:
BP 37.16%、中国海洋石油総公司(CNOOC) 16.96%、MIベラウ B.V.(三菱商事株式会社、国際石油開発株式会社) 16.30%、日石ベラウ石油開発株式会社(新日本石油開発株式会社、石油公団) 12.23%、ケージーベラウ/ケージーウィリアガール社(兼松株式会社、海外石油開発株式会社、石油公団) 10%、エルエヌジージャパン株式会社(双日株式会社、住友商事株式会社) 7.35%
3. 建設場所 : インドネシア共和国 パプア州ビンツニ地区
(Teluk Bintuni, Papua, Republic of Indonesia)
(首都ジャカルタの東約3,200km)
4. 契約内容 : 年産760万トン(380万トン×2系列)のLNGプラント、ユーティリティ、オフサイト、インフラストラクチャーなどに係る設計、機材調達、建設および試運転役務
5. 契約形式 : ランプサム契約
6. 受注金額: 約2,000億円(うち当社分は約1,000億円)
7. 納期: 2008年後半
8. プロジェクトの概要 :
  インドネシアは世界第6位の天然ガス生産国であり、タングーガスフィールドの確認埋蔵量は、14.4TCF(14.4兆立方フィート)にのぼります。本ガス開発プロジェクトの実現は、BPのLNG戦略の大きな柱となるだけでなく、インドネシアの経済発展に大きく寄与するものであり、また、インドネシアがLNG供給のリーダーとしての地位を強固にするための重要プロジェクトと位置付けられます。

*F
昨夜は、ご多忙の中、ご参列頂き、有難うございました。
また、心に沁みる贈る言葉も有難うございました・・。
私も、先生と同じく、H君の転落の数秒間の事をずっと考えて辛くなっていましたが、少しは救われました・・。


*K
おはようございます。H君のこと、本当に驚きました。残された方々はさぞ心残りでしょう。心からお悔やみ申し上げます。
今年二月に夫の父が亡くなり、つい三週前に息子の同級生のお父さん、私より三つ下の方が亡くなり…と続いたので人事ではないようでした。先生のメールの贈る言葉にしみじみ感じ入りました。


*H
先生、こんばんは。Hです。
今日、H君のお葬式に参列してきました。
H君とは、小、中、高校と同じでした。特にN高校にはM四中から男子が4人しか行けなかったので、彼とは不思議な親近感がありました。
私の母が数か月前に彼のお母さんと会った時、彼が厄年なので一緒に神社にお参りをしたという話をしてらっしゃったと聞きました。
私の母も非常にショックを受けていました。
今日は彼の笑顔を思い出してばかりで涙が止まりませんでした。
もう一度会いたいと思っても会えないんですね。
残念でなりません。

* M
今でも信じられません。あの、いつも、にこにこ穏やかに笑っていたH君が…あまりにも突然で、あまりにも早すぎる…。残されたご家族の気持ちを思うと、何ともやりきれない気持ちになります。でもそれ以上に、そのご家族を残して逝ってしまったH君の事を思うと…
何もできない私ですが、生かされている事に改めて感謝し、H君の分も、『今を精一杯生きる!』そう思いました。

   
 夕 日
           大関松三郎

夕日にむかってかえってくる
川からのてりかえしで
空のはてからはてまで もえている
みちばたのくさも ちりちりもえ
ぼくたちのきものにも 夕日がとびうつりそうだ
いっちんち いねはこびで
こしまで ぐなんぐなんつかれた
それでも 夕日にむかって歩いていると
からだの中までタ日がしみこんできて
なんとなく こそぱっこい
どこまでも歩いていきたいようだ
遠いタ日の中に うちがあるようだ
たのしいたのしいうちへ かえっていくようだ
あの夕日の中へかえっていくようだ
いっちんち よくはたらいたなあ

       「山芋」より

毎日、考えられないほどの課題が出て、
どうしてこんなにやらないといけないのかと思っている人がいる。
でも、たいていの人はぶつくさ言いながらも、
根気よく頑張っている。
たぶん気を抜いたら、
そのままずるずると怠けて、
ついて行けなくなることがわかっているからだろう。
そうしたら、今、ここにいる意味を失ってしまうからだろう。

5月1日に「相棒」という映画が封切られた。
テレビドラマ「相棒」の劇場版である。
そのドラマでこんなことを言っていた。
「もしも限界があるとするならば、
 それはあきらめた瞬間でしょう。」
あきらめなければ、何とかなるということを言いたいのだろう。
限界を乗り越えることは確かに大切なことだ。
人を激励するかっこいい言葉である。

しかしながら、
かといって、
あきらめずに鞭を打ってやることに意味があるのではないだろう。
一生懸命やった時にふと思う、
「今日は、よくやった、がんばったなあ」
幸福感があれば、
そう思えるその瞬間が
一番大切なものになるのではないだろうか。

そして、自分の周りに同じように思っている「相棒」いるなら、
一日が終わって
夕日の中にお互いの金色の輝きを
幸福感を持って、見つめ合うことができるだろう。



連休の終わりとともに、帰省していた娘も埼玉へ戻った。

「今出発した。(新幹線絵文字) --- また遊びに来てな(:-)」

と京都駅出発直後にメールが来た。

いるだけで楽しい日々であった。

あたりはみどりの風が吹いている。

藤森祭 神輿

 

十五番の今熊野観音の新緑


雑 草

      大関松三郎

おれは雑草になりたくないな
だれからもきらわれ
芽をだしても すぐひっこぬかれてしまう
やっと なっぱのかげにかくれて 大きくなったと思っても
ちょこっと こっそり咲かせた花がみつかれば
すぐ「こいつめ」と ひっこぬかれてしまう
だれからもきらわれ
だれからもにくまれ
たいひの山につみこまれて くさっていく
おれは こんな雑草になりたくないな
しかし どこから種がとんでくるんか
取っても 取っても
よくもまあ たえないものだ
かわいがられている野菜なんかより
よっぽど丈夫な根っこをはって生えてくる雑草
強い雑草
強くて にくまれもんの雑草
      「山芋」より

所ジョージさんの世田谷ベースに、
「自分は何のために生きているのか?
 って悩んだりしている人がいたり、
 そういう本とかたくさんでてるけど、
 そんなの答えみつかるわけないじゃん、
 だってそれが答えなんだから。
 自分は何のために生きているんだろう?
 って毎日考えるために生きてるんだよ。」
とある。
答えを急いでもそう得られるものではない。
そう言えば、
あの「男はつらいよ」ででも、
「人間は何のために生きてるの」と満男に訊かれた寅さんは、
「そうだなあ、
 生まれてきてなんべんかよかったなあって思うときがあるじゃない。
 そんなために、人間生きてるんじゃない」と答える。

焦れば焦るほど答えから遠ざかるかもしれない。
きれいに見えることより、
雑草のように強くあることが
人の幸せにつながるのかもしれない。

宮沢賢治も書いた。
「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、丈夫ナカラダヲモチ…
 デクノボートヨバレ、ホメラレモセズ、クニモサレズ、
 ソウイウモノニ ワタシハナリタイ」

あなたらしさは現在進行形、
そして、あなたを写す本当の鏡は、
あなたの周りにいるあなたの友達である。

琵琶湖バレイ 五月晴れ

 

 

 

 鳳来山 山頂付近の水仙畑は今がほぼ満開であった。

大文字山ハイキング+銀閣寺

 

大文字火床から京都市内を望む 飛行船が遊覧していた

 

火床

銀閣寺 向月台

 

銀沙灘

 

修復中の銀閣 工事のフェンスで被われていた

休日に知人と大文字山ハイキングを楽しんだ。蹴上げから東山トレイルを歩くルートで大文字山頂を目指した。五百数十メートルの低山であるので気軽にハイキングを楽しめる。好天気で家族連れなど大勢のハイカーに出会った。新緑にウグイスが気持ちよく鳴いていた。銀閣寺は修復中であった。床も屋根もすべて取り払って本格的な修復であった。自宅からの走行歩数20489歩、消費カロリー579kcalであった。

夢は逃げない。
きっと、
逃げてしまうのは自分なのだ。

新しく始まったことに
今ひとつ気乗りがしないときがある。
人がいつも同じような気がして、
何をやっていいのか分からないときがある。

プライドとは、
自分の存在を守るためにある。
そのプライドが自分の夢を遠ざけているのかもしれない。
光はまぶしい。
長い階段を上っていくのは疲れる。
本当のプライドは、
難しいと思っていても
傷ついても起ち上がって
一途にチャレンジする勇気である。

始まりからすべてがあるわけでない。
たいていは、
半分くらい進んだところで
やっと見えてくる。
終わり近くになって見えることもある。
だから、
ひるまないで、
あきらめないで、
逃げないで、
新生活が始まって一ヶ月、
君たちの夢は、
色とりどりに輝いている。

「なんのために
 あたしたちは大人になるの?
 大人になれば
 自分で何かを選べるようになるの?
 大切だと思う人を失うことなく、
 いきたいと思う方向に、
 まっすぐ足を踏み出せるの?」

角田光代『対岸の彼女』にあることばである。
新生活も二週間が経った。
学生時代に二十歳を迎える君たち、
本学のキャンパスライフの中で日に日に大人になっていく。

大人になるって何だろう。
国語辞典には、「一人前大きくなった人」とある。
「おとなしい」は「おとなように静かにしている感じ」とある。
英語のadultの原義は「成長した」とある。
次のような例文が辞書にあった。
“You're an adult; act like one,” my father said to me.
(「大人なんだから、らしくしなくてはだめだよ」と父は私を叱った)
一人前と言われても何のことかわからない。
静かにしていることが大人なのだろうか。

「花」の詩のように、自分の中に宮殿をつくり、道をつくり、
牧場をつくり、きよらかな町をつくることだろうか。
世の中をしっかりと見ることができる自分の世界を築きあげることだろうか。
思う方向に進むだけでなく、
思う方向に心の町をつくっていくことが大切なのかもしれない。
今、目の前で拡がっていること、
一つ一つをよく見て、聞いて、感じて、考えて、
君の世界を築いてもらいたいと思う。

風見鶏

何気なく交わした約束が 心の道を照らすよ
あの日始まった物語の鍵となり どんな扉も開けてくれた

てっぺんが見えないほど高い フェンスの向こう側へと
夢だけ先に放り投げてよじ登り 祈りの陽を見つめてた

いつの日も 向い風を捜す 風見鶏のように
真っ直ぐ時代と立ち向かい 生きてゆきたい
逃げ出さないように 流されないように
心に 深く深く 突き立てた 風見鶏

泣きながら君がくれた手紙 財布の隅においてある
懐かしい声をなぞるような丸文字に 何度力を借りただろう

譲れない想いを滲ませた 涙 乾かぬ道に
刻む足跡もやがて消えゆく そこに咲かせてゆこう 微笑みの花

桜 写真館

2008桜シリーズ最終弾!

ジョギングの途中に寄った泉涌寺考明天皇陵の参道に一本の桜の大樹がある。

今をと咲き誇る大樹の桜花が一陣の風に吹雪きとなって舞った。

瞬時に散る見事さに言葉をなくした。

見事な舞いに感動した。

「花には 散った後の 寂しさはない ただ一途に咲いた 喜びだけが残るのだ」

坂村真民のことばを思い出した。

泉涌寺本殿 本殿に向かって舞い飛ぶ桜の花びら


八幡背割堤公園 満開桜

自宅から自転車で、鴨川・桂川とサイクリング道路を走り、八幡の背割堤公園へ出かけた。

9:30に出発ー14:30帰宅の往復4時間程のサイクリングであった。

背割堤地区は八幡市の北辺に位置し、府道・京都守口線(旧国道1号)の御幸橋の下流、木津川、宇治川、を分ける細長い堤防である。この堤は明治の始め、木津川の付け替え工事に伴ってできた淀川右岸堤防の一部であった。明治30年から宇治川の改修に始まり、日露戦争による中断があったものの、明治43年に完成し、現在の姿となって「背割堤」と呼ばれるようになった。

背割堤は、昭和50年代初めまで松並み木で、別名「山城の橋立」とも呼ばれ、時代劇で馬が疾走する背景などにも使われた。その松並み木も害虫被害に遭って枯れる木が多くなり、昭和53年3月、当時の建設省によってソメイヨシノ249本のほか、ハナミズキ52本が植えられた。

今年は植樹され、30年の月日が経つ。子どもの頃、プールがなく、木津川に二つの水泳場があった。一つは近鉄沿線の木津川水泳場と京阪沿線のこの八幡水泳場である。木津川の川床は砂で、水辺にはいわゆる川浜茶屋などがあり、当時は、子ども連れの家族やカップルなどで大いに賑わった。今では川で泳ぐことはなくなった。

ゆるやかな流れの宇治川(淀川)

 

  

 

  

  

馬頭琴を奏でる音楽家、岡林立哉さん。北緯48度のモンゴルに惹かれて馬頭琴奏者になったそうだ。

花見客は聞き惚れ、小銭を置いていった。私は「北緯48度 天の底」という彼の自主製作CDを買った。

ゆったりとした音調で、低い音色であった。2弦でフレットに弦を押さえるのでなく、下から挟むように

押し上げて音階をとっていた。「ウイーン」という口調で唄も披露していた。興味深いものであった。

 

 
青 空
                城左門

 よく晴れた空だなあ
 どこにも雲一つない
 高く 高く
 広く 広く
 限りなく ああ 大きな青空!
 そうだ こういう世界があったのだ
 一つも曇りのない
 明るい 高い
 美しい 広々とした
 限りなく ああ 大きな世界が……

 よく晴れた空だなあ 
 どこにも雲一つない
 自分が小さくなる
 そして 大きくなる!
 限りなく ああ 大きな青空



                   

双子の画家、河合正嗣(まさし)さん、範章(のりあき)さんは、
難病、筋ジストロフィーとともに生きてきたが、
弟、範章さんは、すばらしい油絵を描き上げた直後に、
眠るように息をひきとった。二十三歳だった。
同じように病気が進行していた兄、正嗣さんは、
声を失うかわりに気管切開手術を選択し、
一日でも長く、絵を描き続ける道を選んだ。
そうして正嗣さんが描き始めたのが「ほほ笑み」の絵だ。
命を支えてくれた医師や看護師、そして入院している患者たちの笑顔を、
一人一人時間をかけて丹念に描いていく。
目標は、110人、「1(ひと)10(と)人(ひと)」、人と人がつながる、
という意味をこめている。
平成十八年にプレミアム10「この世界で僕たちが生きてること」で
二人のことが初めて放送された。
自分では身体をほとんど動かすことはできない正嗣さんは、
おそらく日中のほとんどをベッドの上で過ごし、
なぜ生きているのか、生きなければいけないのか、
その意味を嫌がおうでも考えている。
それゆえ、「生きる」ということに対して、
雑念のない透き通った言葉が生まれてくる。
そしてそれは同時に非常に重い言葉である。

「病気になって知る「弱さ」の存在…。この事実は受け入れ難いことだろうが、人間には欠かせないものである。つまり「弱さ」の存在がひととのつながりを生み出し、そこで生まれる「微笑み」は過去と未来をつなぐ架け橋となるのだ。「生きる」とは、命の期間ではなく、世代を超えたつながりの言葉である。
(正嗣さんのことば)


大阪城 桜蘭



鴨川桜

鴨川堤の桜も満開に近付いた。

雪柳が今ぞとばかりびっしりと咲き誇っている。

緑、ピンク、白、と豊かな彩りを見せている。

緩やかな川の流れにはキラキラと陽の光が輝く。

風に泳ぐ柳の新芽が交響曲「春」を指揮しているようだ。

 

 

 

  

新車がやって来た!ヤア、ヤア、ヤア!

 

ヨーロピアンタイプ  ダークレッドマイカ(ワインカラー) Vitz 1500cc アイル

I'll (アイル)= I will やってみる!

新しい生活の始まり。

 
登 校

      村野四郎

 新しいノートと新しい本、
 ぎっしりつめた かばんの重みが、
 私の歩みを力づよくする。
 けさは、目にうつるすべてのものが、
 自信にみち、
 生気にあふれて立っている。

 胸をはって行く朝の道、
 ふと、心のどこかで、
 もう一度、
 やさしい母のことばがささやく、
 「しっかりやってね。」と。

 母の心は、このことばに生きて、
 私の心によびかける。
 すると、私の胸の底で
 はっきりと これにこたえる声がある。

 明かるい光、
 ひろがる風景、
 道をはさんで、
 いちめんにゆれる黄色い菜畑、
 風が
 花のにおいをはこんでくる。


                   

新年度のスタートラインに君は立った。
startの語源は「急に動く」である。
そこから、
「始まる」、「始める」という自動詞・他動詞の意味が生まれた。
これから「始まる」新学期、
君は目的語として何を「始め」ますか。

新年度、周りの人の眼は何だか生き生きしているように見える。
元気な人には、
いつでもその人らしい風が吹いているように思える。
何かを始めようとしているから、
何かが始まりそうである。

今年は北京オリンピックの年、
マラソンなどの種目でオリンピック出場選手が決まりだしている。
ところで、
オリンピックで戦う選手にとって
一番大切なものは何だろう。
おそらく、
ベストの状態で
スタートラインに立つことではないだろうか。
最高の成績が残せるようにできれば、
悔いが残らず、
自分の結果にきっと満足できるのではないか。

スタートラインに立っている君たち、
今、君たちはベストの状態であるだろうか。
君たちが何かを始め、
何かが始まることを大いに期待したい。

河合正嗣 微笑みの絵画展 You live now in Kawaguchi

2008年2月2日(土)〜3月23日(日)

NHK川口アーカイブス 2階 出会いの広場

 埼玉県川口市にあるNHKアーカイブスで開かれていた「微笑みの絵画展」へ最終日の23日に行ってきた。「110人の微笑みの肖像画」をはじめ、正嗣さん油彩画、双子の弟・範章さんの油彩画を含めた40点あまりの作品が展示されていた。

 平成18年10月16日に最初に放送されたプレミアム10「この世界で僕たちが生きてること」は、芸術祭優秀賞や国際エミー賞招待作品にあいついで選ばれたNHKテレビのドキュメンタリー番組である。アーカイブスとして先日2月末に再々放送が流された。この番組の主人公は、画家の河合正嗣さんである。双子の画家、河合正嗣(まさし)さん、範章(のりあき)さんは、難病、筋ジストロフィーとともに生きてきたが、弟、範章さんは、すばらしい油絵を描き上げた直後に、眠るように息をひきとった。23歳だった。同じように病気が進行していた兄、正嗣さんは、声を失うかわりに気管切開手術を選択し、一日でも長く、絵を描き続ける道を選んだ。
 そうして正嗣さんが描き始めたのが「ほほ笑み」の絵だ。手術をした病院でモデルを募集、命を支えてくれた医師や看護師、そして入院している患者たちの笑顔を、一人一人時間をかけて丹念に描いていく。目標は、110人。「1(ひと)10(と)人(ひと)」、人と人がつながる、という意味をこめている。

 ほとんど体の自由がきかず、わずかな指の力で鉛筆を持ち描きあげていく題材が「微笑み」ということに感動を覚え、この目でその微笑みを観てみたい、鉛筆使いを観てみたいと思った。The meaning of lifeというテーマのReadingを教えている学生にも河合さんの言葉の意味を考えさせたいと思った。

 番組の中で、微かな声で語った正嗣さんの言葉には強い衝撃を受けた。自分では身体をほとんど動かすことはできない正嗣さんは、おそらく日中のほとんどをベッドの上で過ごし、なぜ生きているのか、生きなければいけないのか、その意味を嫌がおうでも考えていると思う。それゆえ、「生きる」ということに対して、雑念のない透き通った言葉が生まれてくる。そしてそれは同時に非常に重い言葉である。

番組での正嗣さんのことば、展示会場にあった正嗣さんのことば、

 なんでこんなにつらいのにがんばって生きなきゃいけないの?機械を入れて無理に寿命を長くする必要はないじゃないか。(その反面)まだ自分はやらなくてはならない事があるから、死ぬにも死ねない。僕は自殺するにも、人の力を借りないで自分じゃ自殺もできないんだわ。

 死ぬこともつらいけど、生きていくこともそれに匹敵するものだと意識してしまう。自分より先にいった弟に対して「先にいきやがって」と、「ねたみ」というか、「先にいって楽になりやがって」という気持ちを持ってしまうことも事実で。そういう気持ちを抱いている自分が、周りの人をやさしい気持ちにさせる絵が、心を落ち着かせるような絵が描けるのかと考えると、それもおかしな話だと思って。周りの人に対して、自分はウソをついてる、そんな感覚を感じてしまう。

弟・範章さんのお葬式で思ったこと(ナレーション):
 自分にはまだ画家としてやり残した仕事がある。葬儀のとき驚いたのは、この静かな村の道を600人もの参列者がうめつくしたことだった。僕たち兄弟をこんなに大勢の人たちが見守ってくれていたんだ。そう思うと体が震える感じがした。そのとき気づいた。範章はいってしまたけど、この世界で僕は1人じゃない。

今取り掛かかっている油絵の100号作品について:
 2001年9月11日、アメリカの同時多発テロが起きてから、すごく人の動きというものに対して違和感をもっていて、なぜか、世界貿易センタービルの煙が上がる向こうの空が、すごくきれいに感じたんです。それを正直、こういうときにそれをきれいと思う自分が理解できなかった。
 普段あたりまえだと思っている生活が、絶対的なものじゃないということを、あの事件は証明している気がする。人は誰でもそうだけど、優しい部分と悪の部分は絶対あると思うんですよ。そう考えた時に、その「悪」の部分が何なのか、現実をしっかり受け止めて、逃げるんじゃなくちゃんとそれを受け止めて、それは人間が起こしたことだということを、ちゃんと受けとめて。

 本当に苦しかったら苦しいといえばいい。楽しければ楽しいといえばいい。それが本当に人間のあるべき姿だと思いますよ。それぞれの人にとって、世の中全部に満足してる人って絶対いないと思うんです。だけど、僕は、「とりあえずできることだけはやろうじゃん」って気持ちがあれば、今を生きる人たちも、今後を生きてゆく人たちも、たぶん本当の意味で幸せになる事ができると思うから。

展示会場にて

 病気になって知る「弱さ」の存在…。この事実は受け入れ難いことだろうが、人間には欠かせないものである。つまり「弱さ」の存在がひととのつながりを生み出し、そこで生まれる「微笑み」は過去と未来をつなぐ架け橋となるのだ。「生きる」とは、命の期間ではなく、世代を超えたつながりの言葉である。

 微笑みが描かれた線画のシンプルな表現が「生きる」喜びを伝えようとしていた。自分は、目の前の出来事に左右され、「本当の幸せとは何か」を考えずに生きている。哲学者のように毎日、そのことを考えられないかもしれない。でも、美しく桜が咲いているのを観た時、通りを過ぎる人の微笑みを見た時、春風が私の体を吹き抜けていった時、そうした時に正嗣さんのことばを思い出し、生きていることに感謝するとともに、自分の明日を考えてみたいと思う。担当しているReadingの授業でも正嗣さんのことばを紹介し、これからの時代を生きる学生にthe meaning of lifeを考える一つの視点を提供したいと思う。

筋ジストロフィーと闘いながら絵を描き続けている河合正嗣さんのブログは、

http://ameblo.jp/kawaimasashi/   http://yaplog.jp/artist_masashi/

中京テレビ  http://plus1.ctv.co.jp/webdoc/2005/1012/01.html

 

川口NHKアーカイブス前の桜


春の訪れーー写真館

春霞みに陽光いっぱい浴びる富士山

 
春空めがけてのびる東京タワー

 

三條大橋付近の鴨川 川べりにカップルが座りだした

泣けてくる(ウルフルズ)  作曲:トータス松本


どんなに気持ちが小さくなっても 夢みていたい
胸の中 光が見えなくなっても 夢みていたい

それぞれの目の前の それぞれの景色を 信じて歩ければ

なんだか泣けてくる おもわず泣けてくる
なにげない言葉が うれしい帰り道

なんだか泣けてくる おもわず泣けてくる
明日もがんばろうぜって 笑って歩き出す

どんなに気持ちに迷いがあっても 忘れない
胸の中 僕を奮い立たせてくれる 熱い想い

はればれとした気分で 思い思いの世界を もとめて歩ければ

なんだか泣けてくる おもわず泣けてくる
言えないひとことが せつない帰り道

(くり返し)

凹んでも疲れても 明日がやってくる
何からはじめようか どれくらいがんばろうか

なんだか泣けてくる おもわず泣けてくる
うれしい言葉が せつないひとことが

また一つ歳を重ねた。ところで、

高齢者が多い社会を「高齢化社会」、「高齢社会」、「超高齢社会」と三つに分類すると聞いた。調べてみると、次のように分類されていた。

全人口に対する65歳以上の人口(高齢化率)で次のように分類される。
・高齢化社会=高齢化率 7%〜14%
・高齢社会=高齢化率  14%〜21%
・超高齢社会=高齢化率 21%〜
国連が「高齢者は65歳以上」というように定義したことから、 全人口に対する65歳以上の人口比を高齢化率というようになった。 国連の定義として高齢化率が7%を超えると高齢化社会、
高齢化率が14%を超えると高齢社会と呼ぶようになり、それが一般的に広がっていった。
ちなみに、「高齢化社会」「高齢社会」「超高齢社会」はそれぞれ、aging society, aged society, super aged societyという。
日本では1970年(昭和45年)に高齢化率が7%を超えて高齢化社会に、 1994年(平成6年)に高齢化率が14%を超え高齢社会になり、 2007年(平成19年)には高齢化率が21%を超えて超高齢社会となった。
日本の高齢化率の推移
・1950年(昭和25年)=4.9%
・1955年(昭和30年)=5.3%
・1960年(昭和35年)=5.7%
・1965年(昭和40年)=6.3%
・1970年(昭和45年)=7.1%
・1975年(昭和50年)=7.9%
・1980年(昭和55年)=9.1%
・1985年(昭和60年)=10.3%
・1990年(平成2年)=12.0%
・1995年(平成7年)=14.5%
・2000年(平成12年)=17.3%
・2005年(平成17年)=19.9%
・2010年(平成22年)=22.5%
・2015年(平成27年)=26.0%
・2020年(平成32年)=27.8%
・2025年(平成37年)=28.7%
・2030年(平成42年)=29.6%
・2035年(平成47年)=30.9%
・2040年(平成52年)=33.2%
・2045年(平成57年)=34.7%
・2050年(平成62年)=35.7%

参考:http://www.office-onoduka.com/siru_nenkinseikatu/sn0712.html

日本人の5人に1人が65歳以上なのだ。これからの人生とどう向き合うかだ。月末に新車が来ることを心待ちにしているのは、まだ若いっていうことかな。竹内マリアの唄に「人生の扉」がある。

人生の扉
                   竹内 まりや
春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少ししずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 越えた私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ

I say it’s fun to be 20.
You say it’s great to be 30.
And they say it’s lovely to be 40.
But I feel it’s nice to be 50.

満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ

I say it’s fine to be 60.
You say it’s all right to be 70.
And they say it’s still good to be 80.
But I’ll maybe live over 90.

君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わいますように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ

I say it’s sad to get weak.
You say it’s hard to get older.
And they say that life has no meaning
But I still believe it’s worth living.
But I still believe it’s worth living.

春模様茶わん 泉涌寺窯元

新車の購入

新車を買うことにした。3月は決算期なので値引きが期待できるとのことで決断した。購入から8年以上経った中古のオペル、ビータを2年前に買い取り、これまで乗ってきたのだが、私も運転免許を昨年の暮れに取得したことなので新車を買うことにした。新車購入に対しては、同僚から、「あなたは免許取り立てなんだから、ぶつけるに決まっている。中古を買ったほうがいい。しっかり乗り馴れてから新車を買った方がいい」と貴重なアドバイスを受けていたが、ゴールド免許の妻や運転暦2年の息子はやはり新車がほしいということで、思いきって新車を購入することにした。私も乗るなら新車のほうが気持ちがいいと思った。知り合いからは、「いい歳しているんやから、トヨタならプリウスくらいには乗らなあかんで。燃費のいい、地球環境に優しい車でないとあかんで。」という助言もいただいていたが、妻と二人で乗るのが中心なので、やはりコンパクトカーでいいと考えた。

トヨタのヴイッツかホンダのフィットか、ディーラーに何度か足を運んだ。ホンダのディーラーは理路整然とビシバシ説明してくる。分かりやすく否の打所がない説明で、カスタマーとしては「ハイ」としか返事のしようがなかった。トヨタのディーラーは、決して段取りよい説明ではなく、もっと細かな説明をしてくれてもいいのにと思う程であった。ただ、いつも優しい笑顔をしていた。

性能はフィットが勝っているように思えた。フィットなら1300cc(100馬力)でねらいとする使用目的に十分である。ヴィッツなら1500cc(110馬力)で馬力がだいたい同じくらいになり勝負になると思われた。(友人からは乗るなら1800cc位の馬力の車がいいと言われていたが。)ホンダは1300ccのLタイプで見積もりをとった。性能差を補うためヴィッツは1500ccで内装をよくし「I'llアイル」タイプで見積もりをとった。カーナビ、ETCなどの備品やメインテナンス、車体ガードコーティングなどのオプションをつけた見積もりでは両車に総額で37万円の差があったが、下取りや値引きを考慮した最終価格では、両車の違いが5万円ほどになった。トヨタはセール期間とフィットへの対抗心が強いのか、車の下取りも10万円とホンダの1万2千円を大きく上回った。メーカー/販売店オプション込みの車体自体の値引きがホンダは3万円強、トヨタは粘って話すと24万円ほど(後で店長に叱られたと言っていたが)になった。フィットはよほど売れているのだろう。安くしなくても売れるから、強気なのか。客であるにもかかわらず、責められている気がした。本来なら、「もっと勉強してくれへん。儲かっているんやから、あまり設けることを第一にしたら客に逃げられるで」と言おうと思ったが、そこは堪えて、「フィットは売れ筋ですから、値引きは少ないのですね。車の雑誌では10万円引きもあるとあったけど」と担当者のカスタマーに対する姿勢を確かめるために、わざと控えめに話した。しかしながら担当者は店長に伺いをたてることもなく、これが精一杯と応えた。それではと去ろうとすると、後付けで「もう2万円ほどは何とかなります」と言われた。都合、5万円強の値引きであった。車の雑誌に書かれている標準的なフィットの値引き額であった。フィットの担当者は、私が候補の一つと考えている競合車のことを聞いても、フィットの性能に自信があるのか、2度目の来客に対して勝負をかけて来なかった。

たしかに、インターネットでの両車比較記事や、車の雑誌記事でもフィットのほうが評価は高かった。でも、結果としてヴィッツを選んだ。ヴィッツのボディカラーに妻は惹かれていたこともある。好みは何ものにも優先するといえる。1500ccで内装のいい方ということがトヨタ選択の要因の一つであったが、その場で決断した最大の要因はディーラー担当者がいつもニコニコしながら、時に困った顔をしながらも大きく値引きしてくれたからであった。コンパクトカーごときであるが、私にはそれなりの大金で、当初から経済的で性能のよいもので納得のいく方を選ぶつもりであった。心はフィットに傾いたり、ヴィッツに傾いたり、毎日、気が変わったりしていた。商売の上で値引いただけのことであると思われるが、最終的には、担当者の人柄が大きく影響するものだと実感した。

学生を教える時もそうなんだろうなと思った。文系科目を教える場合は、いつも理路整然と授業内容を述べているだけでは、いくら正論であっても学生は息がつまるのだろう。期待する教育効果が生まれないことが多い。教員の人柄は学生の学習意欲を左右することがある。ちょっと引くところを入れながら、いつも明るく分かりやすい説明をすると、学生は授業に食い付いてくる。

教えるもの自身の魅力を高めること、それが何よりである。知的魅力、コミュニケーションの魅力など、しっかり身につけることが教育には必要だと実感した。

ライフ         


「人生」と言ったらば、なにか私ごときがと思ってしまう。人生を「ライフ」と言ってみる。闇雲に横文字にするのは好きではないが、肩の荷がおりた気がする。立派な生き方も理想のあり方も、そこにはなくていい。「ライフ」が時に生活とか暮らしということを意味するからだろうか。何の変哲もない日々の暮らしの繰り返しがある。小鳥がさえずり、朝の光が差し込み、足音が聞こえ、新聞が届けられる。歯みがきコップの水が光に輝き、心がゆれる。そんなふうに始まるそんな暮らしのただの積み重ねが、人生を作っている。この日々の暮らしの一段一段を、大切に上り下りすいとる。それだけで自分の人生が愛おしくなってくる。

藤川幸之助、『やわらかなまっすぐ』より


唐代の僧、雲門文偃のことばである。毎日いいことがあるわけでなく、また、毎日よくないことがあるわけでもない。嬉しい時も落ち込む時もある。しかしながら、毎日をいい日、よくない日と考えるのでなく、一日一日を人生のかけがえのない時間としてとらえ、今この一瞬を大切にいつも新鮮な気持ちで真摯に生きれば来る日は好日になるということである。

末の娘が2週間ほど我が家に戻って来ていた。茶の間で大学のこと、アルバイトのこと、友だちのことなどよく話し、母親にべったりとくっついていた。久しぶりの我が家にこころが落ち着いたことであろう。友だちと遊んだり、ゆっくり寝ていたり、ピアノを弾きまくったり、買い物に出かけたりするなど毎日を充実して楽しんでいた。日日是好日であったろう。

イタリア旅行を思い出し、夕食にイタリアンを食べに行った。そのまえにジャンカラに行き、ゆず、コブクロの唄を歌いまくっていた。母親と唄のデュエット。のびのびと歌う姿は、健康の太陽エネルギーが光と熱となって地球に降り注ぐようであった。

 

その娘も3月になり、大学の下宿へ戻った。戻るなりバイトに行き、明かりのついていない部屋に帰宅して、五条で買った「昼下がりの三年坂」という紅茶を独り飲んでふるさとを思い出しながらくつろいだようである。親は寂しく思うが、子はそれよりも楽しい明日が待っているようである。明日を心待ちにする気持ちを忘れてしまえば、日日是好日はやってこないだろう。明日に夢見る気持ちは美しいものである。

教え子からのメールより

12月29日は、あれから京橋で3年4組の同窓生と合流しました。
遅くまで飲んでいて、
環状線で天王寺を乗り過ぎし、今宮で折り返しました。
あやうく終電に乗り遅れるところでした。

今年の7月20日は、
ユニバーサルシティ内のバイキングレストランで行ないます。
USJ入園にお金がかかるので、
繰越金を取り崩して、同窓会の会費は抑えようと思います。

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プチ同窓会報告、また素敵な年賀メールを送って頂き、有難うございました。


先生のお子様が、

素直な表現で親に対する感謝の気持ちを表している手紙を見て、私も感動しました。

本当に素敵なお嬢さんですね。


先生の影響?から、私もディズニーランドが大好きで、
東京にも何度か行きましたが、
パリにもご存知かと思いますがユーロディズニーがあり、
26日に友人の子供を連れて行ってきました。
ただ、パリ郊外でかなり寒く、一日氷点下で遊んだ結果、
今風邪を引いております。


毎年、クリスマスイブは主人のお兄さん家族と過ごすのですが、
今年のメニューも豪華でした(以下、メニュー詳細です);
前菜1_生のフォワグラで作ったパテ、ホオズキ、ピレネー産玉葱のマリネ
前菜2_白ブダン、きゅうりのソテー
主菜_3日間いろんな香辛料でマリネした生後6ヶ月以下の猪の肉、セロリのピュレ、
   赤キャベツのリンゴ煮
チーズの盛り合わせ
デザート_栗スポンジの周りをたっぷりのホイップクリープで飾った雪景色風栗ケーキ
     マロングラッセ飾り

一年の最大イベント、クリスマスも終わり、
2007年もあと4時間弱となりました。
来年の同窓会は是非参加したいと思っておりますので、
その時お会いできるのを今から楽しみにしております。

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先月40歳になって、初めて(?)自分の人生を少し振り返ってみたら、

いろいろなことがありましたが、

昨年よりN高校の同窓会をきっかけに、こうして高校時代の仲間が集い、

先生と一緒に楽しい時間を過ごすことができる環境にある自分は幸せだと思いました。

N高校の伝統も嬉しいですが、

やはり、3年6組の心の絆の強さが一番ですね。

これからも皆で盛り上げて行ってほしいです。

私もできるだけ参加します!

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お勧めの馬場俊英をYouTubeで見ました!
よかったです!!次の同窓会では、カラオケで熱唱しましょう!
いつも元気を頂いて、ありがとうございます。
私は、この頂いた元気を私の周りに、注いでいきたいです。

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いろいろ、ご心配お掛けし、スミマセン・・。
子供に教えられ、勇気を貰いつつも、私の生き方を模索して行きます。
でも、正直、40過ぎのおばさんにきちっと叱って下さる方は他に見当たりません。
どうか、道に迷いそうになった時は、また渇を入れてくださいませ。
有難うございました。

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京都も綺麗に雪化粧したのですね!!

まるで『水墨画』のようでノ!美しい京都の雪景色を拝むことができ、感激です
ありがとうございます?
今年は暖冬かと思ったら、いやはや例年になく寒さが厳しいですね
こちら温暖な愛媛も松山はちらほら雪が、少し郊外では積雪している所もありました


もうすぐ(2/13〜15)私の家の近くの神社でお祭りがあります

「椿祭り」というそのお祭りは「春を呼ぶ椿さん」と地元の人は言っていて、

そのお祭りの時期が、一年で一番寒く、

それが終わると暖かくなると言われています。

ということは、来週辺りから暖かくなるハズなのですが、どうなんでしょう?

でも実の所私は寒いの苦手ですが、

冬の澄んだ空気ツンとした寒さノ嫌いではないです。

でも少しは暖かくなって欲しいかな

先生、高山の方にも行かれたんですね。HP拝見しました!

先生のそのフットワークの軽さ、私も見習いたい所です!!


では、風邪などひかれませんようにノ!先生もお元気で!!


PS.馬場俊英さんノ知っていましたが、先生に教えてもらうまで、

じっくり聴いた事ありませんでした。歌の歌詞に共感しました。元気をもらいました

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みんなひとり

荒(すさ)んだ世界に あなたのような人が いることに感謝
夢が遠く見えて 肩落とす夜は 電話をさせてよ
恋人とも違う 大切な心友(ともだち) かわりのきかない私の相棒
みんなひとりぼっち 探し続けるのは 確かな絆とその証
誰かのひとことで 明日もがんばると 思えるなんてすてきさ

わけもなくふさぎ プチうつな自分が 嫌いになる日も
あなたの笑顔の 大きな力に 励まされるんだ
どんな強い人も 弱さを隠している 外には出せない傷抱えながら
みんなひとりぼっち それを知るからなお あなたの大事さわかるよ
心の片すみで 気にかけてくれる 恋よりも強い味方

あー たまには私を あー 頼っていいよ

生まれる時もひとり 最後もまたひとり
だから生きている間だけは
小さなぬくもりや ふとした優しさを
求めずにはいられない

Everybody needs to be needed
Everybody wants to be wanted
'Cause everybody knows that we are all alone
Let me give my gratitude to you
For always being there and smile for me
Many many thanks to you, the best friend of mine

「竹内まりや」の唄を思い出しました。

八十年生きるとしたら、
生まれて死ぬまでのこの年月を、
時間に直し、分に直し、秒に直すと、
二十五億秒になる。
私たちは、その一秒一秒を自分の体の中に吸い、
吐き出しながら生きている。
生まれて、二十五億秒を時計に合わせて数えると
何をしなくても私たちは死んでいく。
チョコレートを一個二個と食べ進めているあいだも、
海辺で波が一つ二つと寄せるあいだも、
私たちは終わりへ向かって進んでいるのよ。
私があなたにあげたその今の一秒を大切にしてね。
いつまでもいつまでも愛しています。

出張で北陸へ行った。何十年かぶりに金沢に立ち寄った。駅前もすっかり変わっていた。 大きなトラスト構造の建物や櫓(やぐら)のような建造物がそびえていた。

35年程前、学生の頃、富山新湊まで往復1週間の自転車一人旅(テントと緊急食料をもって)をしたことがある。自転車は大学生協で買ったばかりであったが、3段の変速ギアでオフロード用でなく、坂を登るのは大変であった。北陸トンネルの上にあたる峠路でパンクした。通りがかりの車の人に親切にも車で村の自転車やさんまで運んでもらった。感激した。

当時旅立つ前に、母から「新潟から南下し静岡に出て東海道を帰ってくるくらいの旅をしてこい」と言われていたが、道中いろんなことがあって、途中で断念、北陸往復の旅となった。

自転車で旅をすることは青春としてかっこよいと思っていたのだろうか。自分の脚力で移動する、そのエネルギーを確かめたかったのだろうか。何か吹っ切りたかったのだろうか。とにかく出かけることだと思い立ったのだろう。小さな冒険者でありたいと願って。ただ、自転車を漕いでいる時は、何も考えていなかった気がする。ひたすらペダルを踏んだ。道中はサドルでお尻がいたくて仕方がない状況であった。

そんな時、国道を走っているとたまに自転車ツーリストにすれ違うことがあった。二人連れのツーリストやグループのツーリストが多かったように思う。自転車ツーリストに出会うとお互いVサインでエールを送りあった。「どこまで?」『富山、どこまで?』、「京都」と短な会話だけで十分だった。自転車ツーリストに出会うと勇気が湧いて来た。同じようにがんばっているやるらがいるんだ。

あの時、バイクのツーリストには絶対にあいさつしなかった。人間とエンジンの動力の違いは、そのまま自分の旅への誇りを持たせていた。「おれは自分の力で旅しているのだ、彼等は運転しているだけだ」と。ジョンデンバーの「Sunshine on my Shoulder」を口づさみながら峠を越えたりしたことを今でも覚えている。暑い夏の日のことであった。

その時、金沢の兼六園へ立ち寄った。当時は無料で入れた。自転車を入り口付近でとめ、半丸太のベンチに横になるとそのまましばらくそこで寝こんでしまった。よほど疲れていたのだろうか。

今、あの兼六園は静かであった。年配の旅の夫婦がシャッターポイントを決めては二人寄り添うように並んで、セルフタイマーで写真を撮っていた。寄り添う夫婦に冬の合間の暖かな日ざしが照っていた。私のこころも温かくなった。

ひさしぶりに訪ねた金沢であった。

ロフトに眠っていたベータービデオテープを、大学のLRセンターでDVDにコピーしてもらった。ベータのビデオコーダーが自宅からは姿を消している。20年以上前のビデオテープで、やはり劣化していてノイズ画面であったが、その分、時の経過を感じさせるものであった。写っていたのは、担当していたクラスの遠足、鉢高原合宿、球技大会、修学旅行、文化祭などであった。あの時の生徒がそのままいきいきと写っていた。8ミリからビデオの時代に移った当時、肩に大きな撮影機を抱えてがんばっていた。アフレコには当時流行っていた青春歌をいれていた。その一つが中村雅俊主演のドラマ「われら青春」の主題歌「帰らざる日のために」であった。映像から流れてくるその歌に、当時の溢れるような気持ちが蘇った。音楽テープはもう手許にはなかったので、CDショップに行き東芝EMI「フォーク歌年鑑 '74」にその歌を見つけ、早速購入して何度も聞いてしまった。


生まれて来たのは なぜさ
教えてぼくらは 誰さ
遠い雲に 聞いてみても
何も言わない

だからさがすんだ 君と
でかい青空の下で
この若さを すべて賭けて いい何かを

愛する人がいるなら
求めるものがあるなら
なんにも怖くはないさ
そいつが青春

涙は心の汗だ
たっぷり流してみようよ
見えない壁をのり越えながら

生きてることって 何さ
走ってゆくのは どこさ
風は寒く 笑いながら
頬を打つだけ

だからさがすんだ 君と
荒れ果てた土の 上に
この力を すべてこめた 足あとを

愛する人がいるなら
求めるものがあるなら
なんにも怖くはないさ
そいつが青 春

燃えてる夢をいのちを
残らず使ってみようよ
二度と戻らない今日のために

熱い気持ちに溢れていたなあ、 あの頃は。今もそれは変わらない。今年は学生に、馬場俊英のスタートラインを聞かせたか。「涙はこころの汗」か、明日のジョーが最後、リンクのコーナーで真っ白になって満足そうな笑みを見せていたなあ。「Tuesdays with Morrie」のモーリーはA Teacher to the Lastを墓碑名にしてほしいと言っていた。いろんなことを考えた。

「母べえ」を観て

映画の広告案内には、

「日中戦争が泥沼化しつつある頃。野上家では、ドイツ文学者の夫・滋と妻・佳代、そしてしっかり者の長女・初子と天真爛漫な次女・照美の4人が貧しくも明るく暮らしていた。お互いを「父べえ」「母べえ」「初べえ」「照べえ」と呼び合う仲睦まじい家族だったが、昭和15年2月、滋が治安維持法違反で検挙されてから苦難の日々が始まった。そんな折、滋の教え子・山崎徹が訪ねてくる。それ以降、徹は一家の手助けをするのだった…。」

「時代劇三部作」に続く名匠・山田洋次監督の新作は、長年にわたり黒澤明監督のスクリプターとして活躍してきた野上照代さんが執筆した自叙伝「父へのレクイエム」の映画化。これまで山田監督が常々描いてきた「家族」というテーマの集大成といえる作品に仕上がっている。日本が戦争に向かって突き進んでいた暗い時代を背景に、どんな困難を目の前にしても、常に娘たちに精一杯の愛情を注ぐ母であり、獄中の夫を尊敬し信じ続ける妻を吉永小百合が演じ、新境地を拓いている。細部にまで行き届いた時代考証の緻密さ、昭和初期の街並みを完璧に再現したオープンセットなど、見どころは豊富だ。

とあった。

2時間少しの長い目の映画であった。あのメッセージを、当時の人々の思いの機微を伝えるには必要な長さであろう。映画館内はシニアの夫婦が多かった。先の戦争のことは60年以上経ち、確かに現代日本人のこころから消え去っているように思える。

私自身も、ひさしぶりに幼き頃のことを思い出した。戦争に行った父や20歳の若さで戦死したおじさんのこと、「遺族の家」という青いアルミ版を玄関の柱に打ち付けていたこと、床の間には戦死したそのおじさん(父の弟)の遺影がずっとかかげてあったこと。朝、昼、晩の食事の前には必ずそのおじさんの遺影の前に座って一言こころの中で感謝の気持ちを述べるように母にしつけられていたこと。そして自分の名前は、父が弟のことを思いやり、私の中に弟が蘇ることを願い、そのおじさんの名前の一字をもらったこと。若くして亡くなったっそのおじさんのためにも、一生懸命生きることを自分の使命のように思っていたこと。

直接、体験した戦争ではないが、円山公園や大谷廟には戦争で片手や片足をなくしたりした傷痍軍人が、通り過ぎる人々の施しを受けるため自分の未来を呆然と見つめるかのようにじっと立っていたり座っていたりしていた姿はしっかりと脳裏に焼き付いている。

映画の中の子ども役の照べえの演技は、演技とは思えぬ子どもそのものの微笑みたくなる感情表現であった。確かに「家族」を描いていたのだろう。日常の様子を淡々と描写する中に、違和感なく溶け込んだ。上記の論評に、吉永小百合は役どころの新境地を拓いたとあるが、そうじゃないだろうと思う。彼女が元から持っているものを出しただけだ。中学生の頃からのさゆりすとには、同意できない表現である。

「家族」の大切さがこの映画のテーマだそうだが、先の戦争のことをもう一度しっかり思い出して、今を生きてほしいということが一番のメッセージじゃなかったかと私には思える。おそらく、先の戦争のことを一次間接的に知らない若い人たちには、「家族」がテーマであろう。でも、私にとっては、書生のようなやさしい山崎青年が魚雷攻撃を受けて海に沈むシーンが、20歳で東シナ海の藻くずとなった弘重おじさんとぴったりと重なり、締め付けられるような思いがし、泪が溢れ出た。日頃、盆と正月に墓参りをするだけで、それ以外の時は頭の中でほとんど消えていたおじさんのことが頭いっぱいにひろがり、今一度、「おじさん、おれはおじさんがよくやったといってくれるような人生を送って来ただろうか」と問いかける思いに駆られた。「おじさん、おじさんの3倍近くの年齢になったよ。自分のできることで、今の自分の仕事を精一杯がんばるよ」と三條大橋から冬の鴨川の水の流れを見ながらこころの中で思った。

節分が過ぎると、また新しい春である。

「人生という名の列車」  

馬場 俊英

人生という名の列車が走る
時代という名のいくつもの街を行く
ヒロシは負け組で タカシは勝ち組
優子は負け犬で 直美は捨て犬さ
ああ 雨の日も嵐も曇りもあるけれど
ああ ふぞろいの僕らはとにかく旅をした
とある病院の分娩室に 始発のベルが鳴り響き
列車が動き出した あれは 昭和四十二年

人生という名の列車が走り
ある土曜日の夜に辿り着いた街はブラウン管の中に
改札を抜けるとそこはお茶の間で
8時ちょうど 全員が集合 みんなでオイース!
「タライに気をつけろ」 それがその街での教訓
歯も磨くよ 宿題もするよ 約束さ カトちゃん
笑い疲れて お茶の間コタツで知らずに眠ってしまった
たとえばつまり そんな温もりに守られた時代だった 昭和四十八年

列車の旅は続き 次の街はというと
青い空に浮かぶ真っ白いボール そこはベースボール・パーク
中学の三年間をその街で過ごした
僕のその頃の夢は帽子のYGマーク
日が暮れるまで泥だらけになりボールを追い掛けた
どんな夢も叶うとまっすぐに信じてた
バレーボール部の知子ちゃん 覚えてくれてますか あの頃の僕ら
風に立ち向かう勇敢な冒険者だった 昭和五十五年

(中略)

それからの日々は必死だったので良く覚えていないけど
人生という名の列車は走った
同級生のジローがそのうち学校の先生になり
あいつなんかが先生でいいのかと 俺は本気で思った
いつしか大人になりわかったことは
大人もみんな迷っていたんだっていうこと
拝啓 先生 あの頃 あなたも迷っていたんですね
前略 父さん母さん あなたたちもこの風に吹かれていたんだと
この向かい風に立ち向かっていたんだと
遅まきながら知った気がした あれは平成十年

旅はつづき 今度の街はとある郊外の私鉄沿線のベッドタウン
僕は道の両側の無数の家々を眺めながら 歩いている
当たり前だけど どの家も誰かさんが建てた家で
世の中のお父さんは今日も頑張っているのだ
言い忘れたけど この旅の途中から僕にも
愛する人と二人のかわいい道連れがいて
僕はもう僕だけのものではなくなり
つまりこの人生の旅も もう僕だけのものじゃない
窓を眺めながらこぼれた この涙はなんだろう? 平成十五年

ところでこの列車の行き先を決めるのは一体何だろう
偶然か実力か運命か それとも神様の気まぐれか
地平線の向こうから吹き付ける風 水平線に朝の光
この戸惑いと不条理の世界 人間社会にようこそ
ウソつかず 誤魔化さず どんなときも人に優しく 決して腐らずに
わかってるし気をつけてるし頑張ってる でも出来ないよ カトちゃん
でもどんなときも信じる事 決してあきらめないで
向かい風に立ち向かう 勇敢な冒険者でありたい 平成十八年

人生という名の列車が走る
時代という名のいくつもの街を行く
時代の風と空気を胸にたっぷりと吸い込みながら
ふぞろいの心はとにかく旅をする
裕次 ヒロシ 優子 直美 亮一 ジロー おかしいね
ああ 僕らが再来年40になるなんて
このレールの向こうに広がる世界 さあ行こう 旅を続けよう
今また旅立ちのベルが街に鳴り響き 列車が動き出す

どんな時も向かい風に立ち向かう 勇敢な冒険者でありたい

2008年、平成20年、今年も元気よくがんばっていこうと思う。

雑誌『群像』1月号の巻頭言に作家、川上弘美の七つの質問が掲載されていた。

1.卵が一つあります。さてあなたならそれを、どうしますか。
2.あなたは、画家です。さて次の作品はでは、何を描きましょう。
3.あなたは、小説家です。さて次の作品の題名は、何にしましょう。
4.あなたは無職です。
  さて自由に職業につけるとしたら、どんな職業がいいでしょう。
5.あなたはまだ生まれていません。
  さて自由に人としての生まれ先を選べるとしたら、
  どんなところに生まれたいでしょう。
6.あなたはまだ死んでいません。
  さてこれから死ぬ年齢を選べるとしたら、あなたは何歳で死にたいですか。
7.ここにはまだ世界はありません。
  これから世界を作るか、
  それともそんなものを作らずになにもなしにするか、
  選べるとしたら、さてどうしましょう。

さて、あなたはどう答えますか。
自分で決められるようで、
自分とは関わりなく決められていくようにも思える
これから先のことはわからない。
ただ、時間は刻々と未来からやってきては過ぎ去ってゆく。
できることは、
時間をうまく使うこと、
できるだけ自分の時間を持つことだろう。

また、新しい装いで来年度会おう。
一つ成長した智恵と勇気で、
あなたの未来のキャンバスにさわやかな絵を描いてゆこう。
グッド・ラック!

終い弘法で

2007年もあとわずかを残し去っていく。
歳をとって、時の経つ速さに驚くばかりである。

新しい年を迎える。


確かに元旦は大晦日の朝とは異なる気がする。
きりっとした寒さの中に
凛としたものが一本、
自分の心の中に生まれているような気がする。
新しい入り口の前に立っている気がする。

ドンキホーテのラ・マンチャの男に、
「最も憎むべきは、
 ありのままの人生に折り合いをつけて、
あるべき姿のために戦わぬことだ」
とある。

人は変わり続ける。
しかしながら、
現実の一面に打ちのめされて、
何もかもあきらめたりすることがある。

でも、あたりをよく見回してみると、
あなたを見守っている人がいたり、
あなたの成長を図ってくれる人がいたりする。
あなただけに会いたい人がいるかもしれない。
人は一面で生きているのでなく、多くの助けで生きている。

変わらない現実より
変わらない自分を意識するときほどむなしいことはない。
あなたがどこにようと、
そこがあなたの新しい入り口。
今日のことをよかったと思える
未来がきっとあなたを待っている