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早期退職/転職して心配をかけた、妻へのこれまでの面倒へのお礼を退職後4年目にしてやっとかなえた。イタリアへフライト込みで10日間の旅に出かけた。学生の娘も同行した。イタリアの景観は、予想以上にすばらしく、感動するものであった。JL421便(日本航空)のロンドン経由、AZ243便(アルタリア航空)でミラノに向かった。関西空港を出発し乗り継ぎ時間を含めミラノ空港到着に16時間程かかった。朝11:45発で日本時間の翌日の朝の5時前に到着したが、現地時間では同日の21:45。ホテルに着くと現地の夜11時前、これには疲れた。この旅では、ミラノ、ヴェローナ、ベニス(ヴェネツイア)、フィレンツエ、ピサ、シエナ、ポンペイ、カプリ島、ローマと訪ねた。訪ねた各地の様子や感想を綴っていくことにする。 |
ミラノ Milano |




翌朝 、ベニス向かう前に、ヴェローナに寄った。ロミオとジュリエットの舞台になった街である。ジュリエットのバルコニーには観光客がいっぱい。ジュリエット像の右胸に触ると幸運がやってくるということらしく、像の右胸は光っていた。街の広場(シニヨーリ広場)にメルカートという屋台の市場があった。市庁舎の横の建物の壁にフレスコ画が描かれている。裕福な人はこうやって外壁をフレスコ画でいっぱいにしたらしい。華やかであったことだろう。黄土色、緑、オレンジ色の三色が街の景観の色である。かわいらしく、趣がある。犬もひなたぼっこしていた。 |








トスカーナ平野の中央に位置し、かってエルトリア人が住んでいたこの土地をローマ人は「花の女神」フロレンティアと名付けた。ルネッサンスが開花した都市である。高校の世界史で習ったメディチ家が莫大な富を投じて一流の芸術家をこのフィレンツエに集めたのだ。何よりもドゥオモはこの街の象徴であろう。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、白、ピンク、深緑の大理石を幾何学的に装飾した外壁は見る人を圧倒する。その上に赤褐色の巨大なクーポラ(丸屋根)がそそり立っている。ドゥオモは「ドーム」と同じ意味である。内部はやや暗く、ところどころにステンドグラスから光がもれる。丸屋根の天井には「最後の審判」をテーマにしたフレスコ画が描かれている。フレスコ画とは壁の石膏(しっくい)に直接描いたもので、壁の内部にまで顔料が染み込んでいる。少し削るように磨くときれいな色が表れる。英語で言うフレッシュFreshである。ドゥオモの隣に建つサンジョバンニ洗礼堂の東門は彫金が施されミケランジェロが「天国の門」と賞賛した程のものである。 |




4日目はピサとシエナを訪ねた。ピサは古代ローマの軍港として発展し、中世にはヴェネツイア、ジェノバと肩を並べるほど海運都市として繁栄を謳歌したらしい。その繁栄時の建物がドウオモ広場に並んでいる。洗礼堂、ドウオモ、斜塔と並ぶ。案内のイタリア人はとても愉快な人だった。癖はあったが流暢な日本語であった。人を笑わせるのが上手である。洗礼堂は大きな丸屋根の空間のような場所であった。イタリア人のガイドさんが、マイケルジャクソンと声をかけると、堂内を閉め、係りの人が中程の円陣を歩き出し、調音するかのように声を出し始めた。すると、その声が天井にこだまし、見事なハーモニーで返ってくる。少し節を付けて発生されたメロディは、厳かに、神秘的に堂内全体に響いた。感動した。 |











5日目はフィレンツエから8時53分発のユーロスターに乗って(12号車25・26・27)ナポリに向かった。南イタリアへ大移動である。イタリアの鉄道の駅は、改札がない。だから誰でも構内に入れる。スリや置き引きが多いというのもうなずける。切符は車内で車掌が確認するだけ。また、出発のアナウンスがない。乗り遅れると大変である。ナポリ行きは日本人観光客もいっぱいであった。もちろん他の外国人観光客も多い。満席である。3時間ほどかけてナポリに着いた。座席は4列、新幹線より幅は狭く、向かい合わせ型。また、駅に近くなると途中停車したりした。JRの在来線の特急感覚である。 |








6日目はカプリ島観光と青の洞窟である。洞窟への入り口(開口部)が狭く(高さ1mくらい)、波が高いと入れないので船が出ない。何度ここを訪れても入れない人もいると聞き、祈るような気持ちであった。朝、ナポリ湾には「靄(もや)」がソレント半島一面に立ちこめていた。添乗員さんは、それを見て、「今日はたぶんOKです。靄があるということは、風が弱いか無いということ、つまり波は高くない」と明言。なるほどと思った。ナポリから高速船でカプリ島のマリーナ・グランデまで行って、モーターボートに乗り換え青の洞窟前へ行った。洞窟入り口付近で小舟に乗り換えて洞窟に入る。普段はこの待ち時間が一定せず、混んでいると入り口付近で3時間も待つそうだ。ディズニーランドのアトラクションの待ち時間より長い。そこで船酔いする人も多いそうだ。添乗員さんは前日、「朝の食事は控えめに」と何度も言っていた。私たちは、一時間30分ほどでマリーナ・グランデ二到着し、高速船から下りるとグループの10名は一目散にモーターボート乗り場に駆け込む。おかげで、すぐに発進することができた。25分間ほどで到着すると、何と、ほとんど待ち時間なし。中に入るのに5分くらいしかかからなかった。小舟の中で足を伸ばすように座り、ほとんど寝ころんだようにして入り口をくぐり抜ける。世界遺産にも指定されている青の洞窟は、白い石灰岩に、透明度の高い海、南イタリアの強烈な太陽が創り出す偶然の産物と言われる。太陽光線が入り込む海面が青い宝石のようにきらめく。中では、ボートの操縦兼漕ぎ手のイタリア人がナポリ民謡を歌う。歌が洞窟内でこだまする。感激!4分間ほど洞窟内にいて、さっと開口部からまた大きな海へ出た。添乗員さんは、このラッキーさに親指を立てて喜んでいた。 |




最終日は、ローマ市内一日観光である。まず、ヴァチカン美術館・システィーナ礼拝堂、サンピエトロ大聖堂に入る。いわゆるヴァチカン市国でひとときを過ごす。この美術館は予約者専用のゲートがあったが、それでも長蛇の列、最後尾までかなり歩いて並び、そして中に入った。フィレンツエのウフィツイ美術館と同様、ここも入館に際し、空港並みの持ち物チェックがある。燭台のギャラリー、タペストリーのギャラリー、地図のギャラリーと回り、それからシスティーナ礼拝堂へ向かった。今は棟続きになる入り口出口がある。美術館はもっと広くラファエロの間などがあるが、今回は、「最後の晩餐」が観光の主目的なので、そちらへ向かった。もちろん、No Photoである。”Quiet. Please”と時折、英語でアナウンスがある。「最後の晩餐」はフレスコ画であるから、修復され非常にキレイであった。イタリア人のガイドさんは、館内での説明が回りに迷惑になるので、最初に詳しく説明をしてくれていた。ミケランジェロの彫刻の特徴か、キリストは筋肉隆々の肉体美である。絵の中のパウロが手に持つ脱皮した肉体の皮にはミケランジェロの自画像が描かれている。天井画の天地創造の神がアダムに指先を通して命を吹き込もうとする姿は、映画ETの指を合わせる交流シーンの参考になったそうだ。一時、教会は肌などをさらしている人物像を嫌い、黒く部分的に上塗りしていた。今では、それらがキレイに削り取られているが、その状況を知らせるために一部黒く塗られたままの所もある。この「最後の審判」の場所は観光客でいっぱいであった。撮影禁止なのに、写真を撮っている外国人もいた。 |

















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朋へ
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あなたへ 小泉 周二
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Youth is not a time of life; it is a state of mind;
it is not a matter of rosy cheeks, red lips and supple knees;
it is a matter of the will, a quality of the imagination,
a vigor of the emotions;
it is the freshness of the deep springs of life.
Youth means a temperamental predominance of courage
over timidity of the appetite, for adventure over love of ease.
This often exists in a man of sixty more than a boy of twenty.
Nobody grows old merely by a number of years.
We grow old by deserting our ideals.
Years may wrinkle the skin,
but to give up enthusiasm wrinkles the soul.
とある。
生きる情熱を大切にしたいと思う。

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《伊藤 守》
宇宙から地球を見た宇宙飛行士は
「国境線がない」
「ひとつの生き物のようだ」と言う
あなたが、今の自分自身を
少しでも離れて見ることができたら
性格がいい 悪い
頭がいい 悪い
運がいい 悪いの区別なく
自分が全体として
存在していることに
気づくだろう
雑誌のコメントに
「以前の私は、頂上までの道を
1本しか知らなくて、やたら厳しい道を登っていた。
だけど、今は穏やかな別の道があることも知ったし、
登りながら景色を見て楽しむことも覚えた。」
とあった。

いっぱい走ったよ
《鳥取県小学校1年 山下大介》せんせい
はんかち さばってみて
ぬれとるでしょ
これ、
みんなぼくのあせ
まらそんで
十六しゅうしたあせですよ
これまでにないことばかりで、
とまどうこともあるだろうが、
しっかり汗をかいて、
「やった」という気持ちを持ってみませんか。
春学期の終わりにそう思えるように。


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人にはそれぞれ夢がある。
今、辛く思えても
やがて、幸がやってくると信じて
自分の夢にかけてみたい
それが今の自分を感じる一番の方法だと思う。






とうとうこの日が来た。朋がお父さんとお母さんから離れて暮らす日が。
朋は、お父さんにとって元気の源でした。お父さんと似ていて、多少思いこみが強いところがあるけど、どんなことにも自分を信じて一生懸命頑張る姿は、周りの人にも微笑ましく、また勇気を与えるものでした。朋のとってもすばらしいところです。
朋、小さい頃、よくお父さんの背中に乗っていたこと覚えているか。
小学校一年生になる前、「一年生になったら…」とよく口ずさんでいたこと、お父さんはよく覚えている。朋をよく担いで、どれくらいの重さになったと計っていたことも。
俳句一緒に書いていたことも、とっても楽しい想い出。朋の感性は、お父さんにはいつも新鮮やった。そやから、いつもそんな出来事を新聞の記事にしてもらったり、挨拶の時に使ったり、授業中に話したり、ホームページに書いたりした。朋はお父さんの宝物のおもちゃ箱みたいやった。一番うれしかったことは、お父さんが早期退職して今の職場に異動したときのこと。30年近く勤めた公務員を辞した3月31日に、朋が「お父さんご苦労さん」といってくれたあのネクタイ。あのとき、朋は「ちょっと見せて」といって、お父さんが取り出したネクタイをもう一度大事そうにとって、「やっぱりこの柄がよかった。友達は水玉がいいというたけど、やっぱり朋が選んだこっちの柄にして良かった」とそのネクタイに話しかける姿を見て、お父さんはもう涙がとまらなかって、恥ずかしいくらいおいおいと泣いたなあ。今でも思い出すと涙が浮かぶ。とってもうれしかった。
朋はお母さん子で、何でも「お母さん、頼むで」と言っていたなあ。お母さんも、朋のこととなると、とってもやさしかった。お姉ちゃんやお兄ちゃんにはそれなり厳しく育てていたけど。
お父さんは、朋が一生懸命頑張って、自分が望んでいたこと(ディズニーランドでアルバイトをすること)を実現しようとしている気持ちを大切にしたいと思う。朋が離れて、お父さんもお母さんもとっても寂しくなるけど、二人で楽しく過ごしていくわ。でも、二人で、朋の所に絶対に遊びに行くからな。
大学へ行っても、お母さんにはいつものようにメールしてあげてな。お母さんは強がっているけど、本当は寂しく思っているから。
お父さんの、パソコンのメールアドレスは、。。。。です。ここに写真やいろんなことを添付し送ってな。
お父さんの、ホームページのアドレスは、・・・
これまで、朋のこといっぱい書いてきた。これから、一人暮らしで寂しくなったら、お父さんのホームページを開いて、読んでみて。きっと元気が出ると思うから。必見!お父さんとお母さんは、いつも朋のことを思っている。辛いことがあったら、遠くても駆けつけるから。連絡するんやで。いつも朋のこと心配しているから。
一人暮らしで、守って欲しいこと
・遅く帰らないこと。
・用心に用心を重ねること、(変な人がいるから)
・鍵はいつも二重にしておくこと
・こちらが荷物を送らない限り、知らない人が訪ねることはないので、ドアをうかつに開けないように。後は健康で、元気いっぱい暮らしてくれればいい。
勉強も頑張って、本当に学んでみたいものを見つけて。お父さんとお母さんは、優しい気持ちや人のために頑張ること、こう生きて欲しいという思いは朋に伝えてきたと思う。背伸びしないでいいから、しっかり自分の道を歩いていってほしい。
今、朋へ贈くるCDを聴きながら、これを打っている。
ああ、頭がごちゃごちゃしてきて、もう何を書いていいのか分からない。
朋!元気で。しっかり頑張れ! お父さんより
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新幹線で出発 家に残された定期


















早春賦
作詞:吉丸 一昌 作曲:中田 章
1.春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず2.氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空3.春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる(せかるる)
胸の思(おもい)を
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か

巣立ちの季節
昔、I高校の卒業式終了時に列席の保護者に話したことば
平成12年(2000年) 保護者の皆様、本日はおめでとうございます。
17年間がたちました。お子さまの成長をずっとみてこられ、そして今日を迎えられて、おそらく感慨深いものがあると思います。
ちょっと目を閉じてみてください。そして思い出してみてください、これまでのお子さまとのことを。何を思い出されますか。
赤ちゃんの頃、小学校の運動会、・・・
どちらかと言えば、お子さんがいつも保護者の皆様の巣の中にいたような思いがあるのではありませんか。皆様は、親鳥としていつもそばにおられたことでしょう。
でも、ある日、お子さまが自分より背が高くなったように、いつか親を越す日がやってきます。親から離れていくときがやってきます。今日はそんな日の一日かもしれません。
これからは、話をする機会が少なくなるかもしれません。しかしながら、ある日、こんな風に話しかけられるかもしれません。寅さんの映画の一シーンですが;
満 男 「人間は何のために生きてるのかな」
寅次郎 「何ていうかな、ほら、
あー生まれて来てよかったなって思うことが
何べんかあるだろう、
そのために人間生きてんじゃねぇのか」
(第39作『寅次郎物語』)
私が申し上げたいのは、これまで、「こうしたらどう」、「そうしたらいいのよ」と答えてこられたものから、答えが一つでないようなこと、答えが個人よって様々にあるようなことを尋ねられることが多くなると思います。巣立つ若者は、自分一人で考えていくことが大切になるでしょう。もし尋ねられたら、先ほどの寅さんのように気負いも無く、それでいてなるほどと思わせるようなことばで応えてやることが必要じゃないかと思うのです。つまり解答の答という字の答えるから、応じるの応えるになるのではないかと。私も親として自分の娘、息子にそんな風に応えてやりたいなあと思っています。
さて、今日の巣立ちの日、大勢の保護者の方に来ていただいておりますが、本当は出席したかったけれど来られなかった方も何人かおられます。役目がら、私は教務の連絡黒板に訃報を貼ります。52期生の保護者の中に、本当に若くして逝かれた方々がおられます。今日は、ポケットにきっと写真を忍ばせておられることと思います。ご出席の皆様、そしてポケットの写真の中の方に、このことばをお送りしたいと思います。「今日は なんだか いい日だなあ」
本日は、お子さまの卒業、誠にお慶び申し上げます。






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今年の正月はひさしぶりに家族五人が揃った。 成田勤務の息子も31日に帰省。 長女も今年は正月休みにスペインに出かけなかった。 大晦日の食事をひさしぶりに揃って楽しんだ。 何を話すでもないが、 子どもが小さかったころのことを思い出しながら、 何か嬉しい気分であった。 夜は、ひとり、近くの東福寺へいつものように除夜の鐘を突きに出かけた。 年々人気が高まっているのか、開門を待って大勢の人が並んでいた バイクで出かけたので要領よく11番目につくことができた。 学生の付き添いで3週間程、ニュージーランドで過ごしたこと 富山や茨城の高校を訪問したこと 変化に富んだ一年を思い起こした。 元旦のお雑煮を家族揃っていただいた。 みながこの一年も健康でと願った。 末娘はもうすぐセンターテストである。 本人が希望する大学に合格することを 親としては願うばかりである。 この一年もただひたすらに生きるのみである。 |







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