"Welcome to Hot Soup for the Soul"
2007

砂時計のように、
過去をひっくり返せば未来になるのだろうか。
時を戻す力なんてあるわけがない。

時に、人は過去に執着するときがある。
過ぎ去ったことは美しく見えるのだろう。
確かに過去があるから、今があり、未来がある。
過去は、今を生きるエネルギーになっている。

動物の素晴らしい能力は本能による行動であるが、
人間の行動は、自らの意識で選択することができるものである。
そして、人間の意識を作り上げているのは、
その人が生まれたときからの体験や知識が作り上げた
「ライフ・ストーリー」である。
つまり、その人の過去がその人の意識である。
過去はその人を作り上げている。
過去は人になくてはならないものである。

それでも、
過去は「引き出し」にしておいた方がいいのかもしれない。
必要なときに、
嬉しい思い出として引き出したり、
反省として引き出したり、
これから頑張るためのバネとして引き出したりすればいいのだろう。

過去という「引き出し」は、
これからの人生の舞台に持っていくことはできても、
舞台の中央に置くことはできない。
クリスマスが過ぎればすぐに新年である。
新たな人生の舞台、未来に思いを馳せて生きていこう。

娘との再会 

 

 

埼玉の娘が招待してくれたDisney Seaへ行った。

案内マップはいらない、歩くマップの朋がいると、

再短距離の案内をしてくれた。

アトラクションも楽しんだ。

娘のマンションに泊まりひさしぶりの会話を楽しんだ。

娘が一番喜んでいたのは、お母さんの作った食事であった。

筑前煮、ひじきのたいたん、かやく御飯

美味しい、美味しいと言いながら食べていた。

母の味は一生の味なんだろう。

みかんを買っていったら、

先に連泊していた妻も同じように買っていた。

同じことを考えるものだ。

冬休みは1月3日までディズニーシーでバイトが入っているとのこと、

帰省するのは正月あけ、

ほんのわずかな日で、

おじいちゃん、おばあちゃん、そして高校の時の友だちに会えば

すぐに埼玉に戻る。

7日から授業が始まるらしい。

それでも、

「ごまめと、龍皮巻き、黒豆、蒲鉾、だし巻だけは残しておいてや」

と言っていた娘が帰ってくることは楽しみだ。

運転免許教習日記

12月2日卒業検定を無事終了、

平日休みをとって京都府運転免許試験場で学科試験を受けパスした。

新しい免許証を交付してもらった。

歳をとってからのチャレンジ、3ヶ月少しと長かったが、

第2段階は一回の補習も再試験もなく無事終了した。

今だからこそ取得できたと思う。

昔の職場環境では無理だったろう。

感謝である。

不思議なことに、目標が達成されると、

何か当たり前のようで、また目標を失って張り合いがなくなったようでもある。

時間があれば、少し遠いところまで出かけたりして、

今までとは違う時間をすごしたり、見て来たりして

少しでも味わいのある人生を送りたいと思う。

がむしゃらの時代から

潤いの時代へと

人生のステップをあげていきたいと思う。

でも、また何かにチャレンジ!



2007年もあとわずかを残し去っていく。
歳をとって、時の経つ速さに驚くばかりである。

最近、昭和30年代の様子を描いた映画などが
街に流行っている。
夢が生きるエネルギーであったころことが
今のことのように思い出される。

先日、「象の背中-旅立つ日-」というDVDに出会った。
流れる音楽に涙が出そうになった。

「ある朝 目覚めたら 神が待ってた 命に終わりが来るとそっと知らされた
 どうして 僕だけが 旅立つのか? 運命のさざ波に 声は届かない

 一番近くの 大事な人よ 幸せだったか? それが気がかり
 もしも僕がいなくなったら 最初の夜だけ泣いてくれ
 君と僕が過ごした歳月(とき)を 思い出しながら 見送って…

 いつかは 誰もみな 迎えが来ると わかっていたはずなのに
 他人事(ひとごと)のようで…
 夕陽がいつもより 美しくて 知らぬ間に溢れ出す 感謝の気持ち

 今まで一緒に 歩いた人よ 残して行くこと 許して欲しい

 君と会えて幸せだった 朝の空見上げ 微笑んで
僕はきっと日差しになって 見守っているよ 君のこと

 もしも僕がいなくなったら 最初の夜だけ泣いてくれ
 君と僕が過ごした歳月(とき)を 思い出しながら 見送って…」

今日生きていることを心から感謝して、
精一杯頑張って、明日を生きていこうと思う。
君たちから夢というエネルギーをもらいながら。
こころ静かに新たな年を迎えようと思う。

冬がもうすぐやってくる。
何となくこれまでのことを振り返ってみたくなる。
すべての始まりは
希望と期待であった。
そしてゴールも
希望と期待である。

きみはこの一年変わっただろうか。
何かを捨てて、
何かを手に入れて、
何かを失い、
何かをもらった一年。
正解というものはないが、
今あることに、
今得たものに幸せを感じられていればいいのだ。

きみの手には今何があるだろう。
さびしさもあろう。
小さな幸せもあろう。
満足感や達成感はあるだろうか。

これまでの見慣れた身の回りを
ちょっと違う見方で見渡せば、
また、新たな発見があるだろう。
どうすればいいのかと
迷ったとき、
手を高く掲げみよう。
手のかざし方によって、
世界の見え方は異なる。
希望と期待を持ち続けていこう。


先日、埼玉で一人暮らしをしている娘から手紙を受け取った。
改まって手紙なんて、何だろうと思いながら読んだ。
中程まで読み進めて、思わず泪があふれ出て止まらなかった。
ディズニーのワンデイ・フリーチケット2枚と五万円が入っていた。

こんなうれしい手紙をもらうとは思ってもいなかった。
すぐに娘に携帯でメールをした。
「とってもうれしい、涙が止まらない」と。

しばらくして、
「びっくりしたやろ、早よ来てや」と返信メール。

この子の親でよかった。
こんなふうに育ってくれていたなんて…

仕事から帰った妻にこの手紙を見せた。
妻もすぐに泣き出した。
ここのところ妻も私も
家族のことでこころが重くなることがあった。
そのことがあってか、妻はおいおい泣き出した。
「うれしいなあ、うれしいなあ」と言いながら。

上の二人の子どもはすでに社会人。
自分の仕事や自分の周りのことの中に生きている。
もう親離れしている。

それでも、親子は親子だと思う。
家族がいつまでもこころ通わせ、
幸せに生きていきたいと思う。

きみが八十歳まで生きるとして、
人生を一日にたとえると、
二十歳前後のきみは、今、朝の六時くらいである。
起きたところか、
ひょっとして、まだ寝ている時間かもしれない。

一日の朝を迎えるにあたっては、
これから始まる一日が
いい一日であるように、
楽しい一日であるように、
気合いを入れ、笑顔でいたいものだ。

人生の朝に立つきみは、
これから始まる一日に胸を弾ませていることだろう。
いろいろあったこれまでのことは、
暗闇の中での出来事、
オレンジ色に明るくなり出した朝焼けに思いを馳せよう。

太陽がきらきらと輝く未来がきみを待っている。

きみの思いをしっかり持とう。
これから見る景色に感動し、
不思議に思い、
一歩ずつ前へ前へと進んでいこう。

自分が一番心地よく生きられるところに、
自分の思いが一番叶うところに、
自分の落ち着き先を見つけ、
根を張り、緑生い茂る大きな木となって
人生の赤い実をいっぱいつけてみよう。

自分の子どもが一人ひとり大人になって、
手の届かないところにいってしまったと思うときほど、
さびしく、悲しいことはない。
それは太古の昔からの定めだろうか。
「木」の上に「立」って「見」ると書いて「親」という字になる。
しっかり見守ることが親のつとめなのだろう。

時代が変わり、
価値観もすっかり変わった。
それでも、
友は友であり、
親子は親子である。
出会ったことを大切に
生きていきたいと思う。

周りの人が
笑顔でいてくれるとうれしい。
家族が元気で笑っているとうれしい。
いつも隣にいてくれる友の
一生懸命がんばっている姿を見ると
心からうれしく思う。

ただ、周りに期待してはダメだ。
友を求めて旅をしたら、
一人も友が見つからない。
友になろうと旅に出たら、
いっぱい友が見つかるのだ。
笑顔になるのは、
まず自分自身。
今日 出会う人にあなたの笑みを忘れずに。


最近、重松清にはまってしまって、
この夏、数冊読んだ。
『青い鳥』『その日の前に』『カシオペアの丘で・上下』
『口笛番長』『エイジ』『きよしこ』『卒業』
『きみの友だち』『流星ワゴン』『ビタミンF』等
車中で読むべきでなかったものがある。
読んでいて涙があふれ出てしまったからだ。

『青い鳥』はびんびんと心に響いた。
孤独な子ども達の心にそっと寄り添う村内先生、
吃音で言葉は上手くしゃべれない、
だからこそ先生の口から出てくる「言葉」は、
「正しいこと」ではなく、「たいせつなこと」。
心が迷子になった時、
「君は一人じゃないよ」」「まだ間に合うよ」
という気持ちにさせてくれる。

『きみの友だち』の主人公は和泉恵美ちゃん、
変わり者であろうと、
多くの人間に受けなかろうと君は君でいい、
『もこもこ雲』のように生きていこうと。

一生懸命頑張った今日は、
明日の、そして未来の
生きたテキストになる。

正解を追い求めるのでなく、
「大切なこと」を追い求めていきたいと思う。
きみも、「もこもこ雲」を探してみないか。

運転教習日記(1)

8月21日

京都の自動車学校に入校した。

妻に頼っているばかりの自分が情けないように思え、

また、二人で運転しながら日本のあちこちをゆっくり訪ねることができれば

人生新たな愉しみとなるのではないかと考え、

思いきって入校した。

自分の年齢に近いお金がかかると言われている。

最初に30万円弱払ったので、あと25万円以上かかるのかと不安にもなる。

入校説明時、周りには学生のような若者ばかりで、年輩者は私一人。

場違いな思いをした。

「おっちゃん、リストラか。再就職には車の運転が必須やからがんばっているのか」

と言われそうな雰囲気であった。

その週は、学科ばかりを受けた。10学科のうち7学科を2日間で受けた。

いよいよ実技実習である。


自分が遅いと思っている
君の歩みは、
他の誰かから見れば、
もしかして速いかもしれない。

確かに自分のことは

自分で責任を持たなくてはいけない。
だけど、
あらゆることを、自分を基準に判断することはよくない。
もう少しゆったりと考えてみることだ。

焦るように、
いろんなことをしてきた人は、
きっと、何もしないことが耐えられなくなっている。

自分の思いが先に立って、
何かをしていないと、
安心できない感じ…

けれど、
ひとときも落ち着いていられない、
という心の忙しさは、
時に、大切なことを見逃す可能性を含んでいる。

9月に妻と娘を連れてイタリア浪漫旅行に出かけた。
生まれて初めてのヨーロッパへの旅行だった。
目を奪うようなイタリアの景観に圧倒されながら、
建物の色遣いや遺跡に見られる昔人の工夫に
持続性や未来への可能性を感じた。
ゆったりと観察することから、
美しいものをこの目で間近に見ることから
世界には自分の知らないことがいっぱいあることを痛感した。
物事の本質を見つめられるようにしたいと思った。

秋学期(後期)がしばらくすると始まる。
楽しい夏休みをすごしましたか。

私はこれから少し夏休みを楽しむ予定である。

ところで、亡くなったZARDの坂井泉水さんが
ファンクラブ向けの会報で 最後に語った言葉は、
「皆さんお元気ですか?
 味わい深い日々を
送ってくださいね。」
だったそうである。

人生いいことばかりでない。
楽しいこと、悲しいこと、
うれしいこと、つらいこと、
勝つこと、負けること、
結ばれること、別れること、
それぞれに味わいがある。
味わい深い日々とはそうした日々のことである。

この夏の想い出の味わいを大切に
新しい日々を迎えよう。
「今日からはじまる」って、
なんと言い響きの言葉だろう。
これから先、何が待っているだろう。
何を切り開いていくのだろう。
きっと、いろんな味わいがあることだろう。
これまでの味を忘れるのでなく、
新しいフレーバーを君の人生に加えていこう。
坂井さんの歌に、「きっと忘れない」「負けないで」がある。
君の人生に乾杯!

忘れもの
高田 敏子

入道雲にのって
夏休みはいってしまった
「サヨナラ」のかわりに
素晴らしい夕立をふりまいて

けさ 空はまっさお
木々の葉の一枚一枚が
あたらしい光とあいさつをかわしている

だがキミ! 夏休みよ
もう一度 もどってこないかな
忘れものをとりにさ

迷子のセミ
さびしそうな麦わら帽子
それから ぼくの耳に
くっついて離れない波の音

先生、お元気ですか!

20年経った今も、

私達の事を気にかけて下さり…本当に有難うございます!!

先生からの変わらない熱いメッセージにとても勇気づけられ

「私も頑張ろう!」と決意新たです!!

『Always三丁目の夕日』の映画も観ましたよ!

昨年頂いた先生からの手紙と共にとても感動しました!

…私はこの通り元気です!!

先生もお体を大切にこれからも益々のご活躍を祈っております!!

また私達に熱いメッセージ聞かせて下さい!!

*****

昨夜はご参加頂き有難うございました。

いつも、先生が居てくださるだけで、場の雰囲気が温かくなり、

つい、純真無垢だった17歳にタイムスリップしてしまいそうになります・・。

それと、先生がずっと撮りだめして下さってたビデオ、

H君のお力を借りて

今回日の目を見れて良かったです。

ただし、当時の自分を観るのはかなり恐ろしく、

恥ずかしいので、直視できませんでしたが・・。

*****

英語は、昨年から会社の英会話を週1回、数年ぶりに再開しました。

最近は、これだけでは向上しないので、DS英語漬けを加えました。

高校生のときは、全くといってよいほど勉強しませんでしたが、

(勉強するのが目的になっていたからでしょうね。

 自分自身への意味づけがなかったかな。大切ですね動機づけは)

大学生の卒業研究から社会人、今に至るまで勉強好きになっています。

将来はいつになるか、いつまでできるかわかりませんが、

独立して生涯現役で中小企業を指導できるようになれたらと思っています。

同窓会にいつも来て頂いていて、ありがとうございます。

自分にとって同窓会は、気持ち若返り、また、がんばっていこうと思う

存在になってきています。また、お会いしましょう。

夏休みがやってくる!
いつ聞いても、いいひびきの言葉だ。
私が小さい頃の夏は、
よく、山に弟と虫取りに行った。
セミ、ぶんぶん、くわがた、カブトムシ、
すべてが宝物であった。
捕まえる瞬間が夏の輝きのように思えた。
ただ、セミは捕まえるとすぐ弱くなるので、
しばらくして逃がすことにしていた。
残りは、自分で作った少し不格好な虫箱に入れて家で育てることにした。
トマトやスイカ、キュウリ、時にはナスをエサとして箱の中に入れた。
でも、幾日か経つと、やっぱり元気がなくなるので、
家の近くの木に逃がした。
するとその虫たちは空へ飛んでいった。
「やっぱり広い空がいいんか」
少年の心に小さな生き物の思いが焼き付いた。
今のように作られたオモチャが少ない頃、
自分の創造力と好奇心がオモチャを作り出す原動力であった。
空に輝く星は
「銀河鉄道の夜」の限りない思いを抱かせた。

大学生の君たちは、
この夏休み、どう過ごすのだろうか。
じっとしていては何も得られない。
出かけてみることだ。
自分の好奇心と感性をいっぱいにして、
山のてっぺんへ行ってみよう。
大きな空と田んぼや川、町を
鳥になったように見てみないか。
私は、絵葉書の中にいる楽しそうな君たちを見てみたい。


「チャレンジすると 新しい自分に出会える」
と朝日新聞の記事にあった。

春学期も残すところわずかになった。
新しい年度は、チャレンジの連続であっただろう。
小さなチャレンジから
大きなチャレンジまで、
その都度、
新しい自分に出会えただろうか。
もしもチャレンジから逃げてしまったら
新しい自分には会えていなかっただろう。
課題、試練、
チャレンジして、
それらを乗り越えてこそ
新しい自分に出会えたことだろう。

これまで君の心臓は
時には緊張で、ドキドキしていたことだろう。
時には心配で、ドキンドキンと音を立てていたことだろう。
時にはうれしくて、ドンドンと太鼓を鳴らすように鼓動していたことだろう。

そして今、君の心臓は
どんなリズムで鼓動しているだろうか。
君の生涯時計(ライフ・クロック)でもある心臓は
明日へ生きるために
チャレンジの脈を打っている。
胸に手を当てて
感謝してみたい。
一歩前に出ることを
君の心臓は願っているはずだ。

 

立ち葵

東京への出張の帰りに
一人暮らしをしている娘を訪ねた。
久しぶりに会う娘は元気で、こぎれいにしていた。
東京ディズニーシーでアルバイトをすることが決まり、
就業規則で頭髪までキチンとしていることが求められている。
そのこともあったようだ。

久しぶりの外食に
「何種類ものおかずをこんなに食べられるなんて幸せや」と
一人食事を作る面倒、後片付けする面倒、
母親のありがたさを十分に感じているようであった。
その娘が父の日のプレゼントを用意していて、当日くれたものは
エプロンと料理のレシピ本であった。
不可解な顔をする私に、
「カレーと焼きめししか作れないでは、お母さんもかわいそうや、
しっかり勉強しておいしいものつくってあげや」と言った。
返す言葉がなかった。

一人で生きることは人を強くする。
買い物から洗濯まで、無駄なく無理なくしようと考える。
親のありがたさがよく分かる。
何より、あらゆることを自分の考えで判断し、
進めていく強い心をつくる。
同時に、友達との交流を大切にする。
人のありがたさがわかるから、人の心のぬくもりに触れたくなる。

「マンションに戻ったとき、
 真っ暗で、話し相手がいないことだけが一番辛いことや」と
言う娘に、心の中で叫んだ。
「がんばれ離れていても いつもおまえのことを想っているぞ

子どもの幸せを願わぬ親はいない。
処刑を前にした吉田松陰も
「親思う 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん」
と辞世の句を残し、親心に思いを馳せた。
幸せとは何だろう。

「幸せの青い鳥」は、
本当の幸せとは、遠くに求めるものではなく、
自分たちのすぐ身近な日常生活の中にあるのだという話である。
ところが二人が「幸せの青い鳥は身近にいたのだ」と気づいた瞬間、
二人の手から飛び去ってしまう。
なぜ、飛び去ってしまったのか!
「幸せの青い鳥」、
これさえあれば幸せになれるという思いにとらわれると、
「本当の青い鳥」が見えなくなってしまうからだろう。

読売新聞「編集手帳」(六月十二日)に、
「交かん」
人間てね
イヤなことが
いっぱいたまると
幸運と交かんできるのだよ
という小学三年生の詩が紹介されていた。

幸せは心の持ち方でもある。
幸せと交換できる日が来ると信じることも必要だろう。
要は、幸せの種は身の回りの至る所にあるということだ。
育てるのは私達自身である。
それを一番に願うのは親なのであろう。
遠く離れて暮らす我が子に今日も思いを馳せる。


******

 

地球温暖化の影響なのか、最近の季節の移ろいには戸惑いを覚える。
関西ではやっと梅雨が始まった。

梅雨の季節、
雨に濡れた紫陽花にカタツムリがゆっくりと動く様、
雨粒が葉っぱをたたく音、
静かな思いが広がる時間であった。

君たちはどうだろう。
きっと、
「そんなことを思う暇はない」
「こんなに一週間が早く過ぎるという感覚は今までになかった」
「何で、本学はこんなに忙しいの」
「予想していた大学生活とはまったくちがう。
やらなあかんことがおおすぎる」
と答えが返ってくることだろう。

「忙中閑あり、静観すれば自らを得る」 ということばがある。
こんなに努力しているのにと思う今日の「わたし」、
努力にも限界があると思う明日の「わたし」、
いろんなことを思う「わたし」がいるだろう。
ただ、
やらされていると思ってした学習や練習は
努力とは言えないだろう。
自分で考えて自発的にやってこそ、
努力ということばが本当の意味を持つのだろう。
そうでないと、
「だって、教えてもらってないもの」
と赤ちゃんのような「わたし」のままでいることになる。
ちょっと静かに思いを巡らして



*******

  

   

 不 思 議
           折原みと
 不思議だね、
 ここにいること。
 同じ時間の中に生まれて、
 ここで、
 こうして出会えたこと。
 こんなに広い、
 星の上で、
 こんなに、
 近くに生まれたこと、
 もし、
 この出会いが、
 神様のホンの気まぐれでも。
 教室で、
 机を並べてるみんな、
 帰り道、
 すれちがう人たち。
 隣で笑ってるあの子。
 幼なじみのあいつが、
 とても、
 不思議に、
 トクベツに見えた。

思えば、2ヶ月が過ぎた。
学内ではリトリートという行事がある。
今、君たちの隣りに座っている学生も
十数年前の同じ頃に生まれていた。
そしてこれまで何の交わりもなかったのに、
今こうして、ともに過ごしている。
そういえば、
先日、陣内智則がTV公開披露宴で妻、紀香へ
ピアノで弾き語ったコブクロの歌は、
 共に歩き 共に探し 共に笑い 共に誓い
 共に感じ 共に選び 共に泣き 共に背負い
 共に抱き 共に迷い 共に築き 共に願い
 ささやかな幸せが 木漏れ日のように
 やわらかに降り注ぐ そんな日々を描きながら…
 いつの日も どんなときも
という歌詞であった。

君たちの出会いが
この歌のように共に喜べるものであるように願う。
教員にとっても同じことが言える。
君たちとの出会いは
確率的には偶然に等しいだろう。

「ビミョーな未来」なんて
言葉が使われるこれからの将来、
便利になりすぎて、
ひと言も話すことなく、ものが得られる時代だからこそ、
共に歩き、共に探し、共に感じ、共に築く
友がとても大切だろう。
友情に乾杯!

平山秀幸監督作品の「しゃべれども しゃべれども」が封切られた。
情緒あふれる東京の下町を舞台に、
一人の落語家のもとに集った口下手な美女、
同級生に馴染めない関西弁の少年、
毒舌の元野球選手らの人間模様が描かれている。

映画ポスターのキャッチフレーズには
「みんな、何とかしたいと思っている 
  今のままじゃ、だめだから」
とある。
人と人とのコミュニケーションの大切さや
思いを伝えることの尊さという
現代を生きる人間に欠けがちなものをテーマとしている。
平山監督の演出は、
「夢を追いかける裏側にある苦しみと喜びを、
  地に足のついた視点で丁寧に描いている。」
と評価されている。

この映画の主題歌が
ゆずの「明日天気になぁれ」である。
自称「ゆず吉」の父は発売初日にCDを購入し、
自称「ゆずっ子」の娘に早速ゆうパックで送った。
親子のコミュニケーションを大切に
父は娘への思いを伝えた。

夢を追いかける娘は
埼玉で一人暮らしをしている。
苦しいことや楽しいこともあるだろう。
ゆずの歌にあるようにまっすぐ生きて欲しいと願う。
君たちがまっすぐ生きているように。

竹内 まりやの「DENIM」というアルバムを

発売初日に買った。

竹内まりやのアルバムが

最年長でのヒットアルバムになったとか。

アルバムのなかで、「人生の扉」という曲が一番こころに響いた。

彼女より数歳しか年齢が違わない自分の気持ちを伝えるような歌であったからだ。

英語でタイトルを伝えるなら、

"Opening the Door of Each Life Stage"

となるのだろうか。

デニム姿の竹内まりやのアルバムの歌詞カード開いて

この曲を数回続けて聞いた。

さびの部分が英語の歌詞になっていて、

そこに惹かれた。
                   
*****

出だし省略

I say it's fun to be 20.
You say it's great to be 30.
And they say it's lovely to be 40.
But I feel it's nice to be 50.

満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ

I say it's fine to be 60.
You say it's all right to be 70.
And they say it's still good to be 80.
But I'll maybe live over 90.

君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わいますように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ

I say it's sad to get weak.
You say it's hard to get older.
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living.
But I still believe it's worth living.

*******

サミュエル=ウルマンの「青春」ということばに

青春とは人生のある時期ではなく、

心の持ち方をいう。

薔薇の面差し、

紅の唇しなやかな肢体ではなく、

たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。

青春とは人生の深い泉の清新さをいう。


青春とは怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。

ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。

年を重ねただけど人は老はしない。

理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増やすが、情熱を失えば心はしぼむ。

Youth is not a time of life; it is a state of mind;

it is not a matter of rosy cheeks, red lips and supple knees;

it is a matter of the will, a quality of the imagination,

a vigor of the emotions;

it is the freshness of the deep springs of life.


Youth means a temperamental predominance of courage

over timidity of the appetite, for adventure over love of ease.

This often exists in a man of sixty more than a boy of twenty.

Nobody grows old merely by a number of years.

We grow old by deserting our ideals.


Years may wrinkle the skin,

but to give up enthusiasm wrinkles the soul.

とある。

生きる情熱を大切にしたいと思う。

任天堂DSライトを買った。
不注意で自宅の柱に足をぶつけ、足の指を骨折し、
自宅療養という状況に陥った妻の暇つぶしにと考えてのことだ。
そのDSの人気ソフトに脳年齢を測るものがある。
脳のトレーニングをするそうだ。
最初は、脳年齢が八十歳と判定が出た。
その後、歳相応に五十歳代に落ち着いているらしい。
決して、若くは、なっていないようである。
そういえば、
最近、脳のしくみやはたらきなどを扱った書籍が多く出版されている。
脳のふしぎである。

その脳の前頭葉は「生きる意欲」も受け持っている。
そう聞くと、
自分の額をそっと撫でてみたい気になる。
妻の前頭葉も発達し続けているのだろう。
脳トレーニングに夢中になっている。
若い君たちの前頭葉は、
新緑のようにみずみずしく萌えていることだろう。
少しくらいうまくいかないことがあったって、
多少、宿題や課題が多かったとしても、
「頑張る意欲」を
君たちの前頭葉が豊かに生み出し続けてくれているだろう。
豊かなエネルギーが泉のように湧いているのだ。

脳は知能だけを司っているのではない。
豊かな創造性や実践力も脳のはたらきだ。
心の知能(EQ)も脳のはたらきだ。
ねえ、君たち、
脳は空よりも広いと思わないか。

 空への質問
        高階 杞一

ここへ ぼくを呼んだのは
なぜですか

ここに今 ぼくのいるのは
なぜですか

ここに今 ぼくのいる意味は
なんですか

この広い宇宙の中で
ぼくは
なんですか

山が新緑で萌えている。
何百歳を超える樹木に
鮮やかな緑の小さな葉が吹いている。
生まれたところが生涯の地である木は、
何を思って生きているのだろう。
岩と岩の割れ目であろうが、
寒かろうが、暑かろうが、
その場所が気に入っていようがいまいが、
そこに何百年と命をはぐくむ。

人の平均寿命は八十数歳、
木とは比べればはるかに短い。
しかしながら、
人は、自分の思いで移動することができる。
寒ければ服を着ることができる。
暖をとることができる。
動くことができない樹木は、
葉をすべて落とし、じっと耐えるだけである。

それでも、
人は時に不自由だという。
楽しくないという。
人生が短いと嘆く。
思いは、大きな宇宙を巡ることもできるのに。

今の状況に辛いと思うことがあるなら、
キャンパスにじっと立っている木を見てみないか。
通り過ぎる五月の風に
さわさわと若葉を鳴らして、
君の心にさわやかな答えをくれるだろう。

工藤直子という詩人は、
昭和十年(1935)生まれで、現在七十二歳。
少年詩集『てつがくのライオン?』で日本児童文学者協会新人賞、
『ともだちは海のにおい』でサンケイ児童出版文化賞を受賞している。
中でも、「のはらうた」シリーズの詩集は、
みずみずしい感覚のいきものの詩でいっぱいである。

詩人は歳をとることはないのだろう。
歳を重ねることで老いがくるのでなく、
感受性や夢をなくした時に、
こころに皺(しわ)ができ老いるのだろう。

年齢的にも青春真っ直中の君たちは、
やってみたいと思うことに
ひたすらまっすぐ
向かうだけだ。

いのししぶんた君のように、
「うんと」、
「とにかく」、
「だんぜん」、
「とても」、
「しっかり」、
「じつに」、
「きっちり」、
まっすぐ走っていこうじゃないか。
みずみずしいとは、(Oldに対する)New(新しい)でなく、
FRESH(フレッシュ)である。
フレッシュな気持ちを忘れることなく走り続けようではないか。

          《伊藤 守》



宇宙から地球を見た宇宙飛行士は
「国境線がない」
「ひとつの生き物のようだ」と言う
あなたが、今の自分自身を
少しでも離れて見ることができたら
性格がいい 悪い
頭がいい 悪い
運がいい 悪いの区別なく
自分が全体として
存在していることに 
気づくだろう



雑誌のコメントに
「以前の私は、頂上までの道を
1本しか知らなくて、やたら厳しい道を登っていた。
だけど、今は穏やかな別の道があることも知ったし、
登りながら景色を見て楽しむことも覚えた。」
とあった。

ハイキングしているとき、
確かに目の前の山道の段差や瓦礫に目をとられ、
周りの景色に目をやることがないときがある。
登りながらも時々振り返り、
ここまで登ったのかと確認することも必要だ。
登り切った頂上からの景色を楽しみにすることも大切だ。
ルートが異なれば、受ける印象も異なる。

人の歩むべき道は
代数と異なり、正解というものはない。
また、一人で生きているのではない。
社会との関わりの中で、
自分で納得することが大切だ。
それには、自分を信じて自分の力を出し切ることだろう。
物の見方はいろいろとある。
しかし、自分を信じたことは、
やがて得心という気持ちで答えを得ることができるだろう。


いっぱい走ったよ
  
《鳥取県小学校1年 山下大介》

せんせい
はんかち さばってみて
ぬれとるでしょ
これ、
みんなぼくのあせ
まらそんで
十六しゅうしたあせですよ

力一杯頑張っている人
自分の限界に挑もうとしている人、
すべてにうまくいくことはないであろうが、
やり終えた後、
その人の心は
きっと達成感・充実感でいっぱいであろう。

この詩の十六周走った小学生は、
汗で濡れたシャツに
自分の努力の結果を確かめ、
やりとげた喜びでいっぱいなのだ。

こうした、やり遂げた喜びこそ
次への出発点になる。
また頑張ろうと思う。
今日から明日へ。

しかしながら、
順調に進むことができないこともあろう。
どう進んでいったらよいか分からないことあるだろう。
確かによく考えることは大切だ。
それでも、
頑張ろうとするエネルギーがないと
進めない。

これまでにないことばかりで、
とまどうこともあるだろうが、
しっかり汗をかいて、
「やった」という気持ちを持ってみませんか。
春学期の終わりにそう思えるように。

新生活が始まった。
希望と期待でいっぱいのことと思う。
希望の実現に向けて、
今、どのような自分でありたいか

幼い頃の自分と
もしも出会ったときに、
しゃんと胸を張れる自分でいられること、
いつの時代の「自分」にも誇れること、
十年、二十年、三十年後に
「今」の自分と出会ったとき、
しっかりと胸を張れるような「自分」であること、
きっとそれが正解だろう。

私の末娘も大学生となり、
一人暮らしを始めた。
生まれ育った京都から
遠く離れての一人暮らしには大きな不安がある。
それでも、
幼い頃から夢見てきたこと、
ディズニーランドで働くということに
一歩、自分で近づいたことを
一番の喜びとして頑張ると言って
実家を去っていった。

人にはそれぞれ夢がある。
今、辛く思えても
やがて、幸がやってくると信じて
自分の夢にかけてみたい
それが今の自分を感じる一番の方法だと思う。


とうとうこの日が来た。朋がお父さんとお母さんから離れて暮らす日が。

朋は、お父さんにとって元気の源でした。お父さんと似ていて、多少思いこみが強いところがあるけど、どんなことにも自分を信じて一生懸命頑張る姿は、周りの人にも微笑ましく、また勇気を与えるものでした。朋のとってもすばらしいところです。

朋、小さい頃、よくお父さんの背中に乗っていたこと覚えているか。
小学校一年生になる前、「一年生になったら…」とよく口ずさんでいたこと、お父さんはよく覚えている。朋をよく担いで、どれくらいの重さになったと計っていたことも。
俳句一緒に書いていたことも、とっても楽しい想い出。朋の感性は、お父さんにはいつも新鮮やった。そやから、いつもそんな出来事を新聞の記事にしてもらったり、挨拶の時に使ったり、授業中に話したり、ホームページに書いたりした。朋はお父さんの宝物のおもちゃ箱みたいやった。

一番うれしかったことは、お父さんが早期退職して今の職場に異動したときのこと。30年近く勤めた公務員を辞した3月31日に、朋が「お父さんご苦労さん」といってくれたあのネクタイ。あのとき、朋は「ちょっと見せて」といって、お父さんが取り出したネクタイをもう一度大事そうにとって、「やっぱりこの柄がよかった。友達は水玉がいいというたけど、やっぱり朋が選んだこっちの柄にして良かった」とそのネクタイに話しかける姿を見て、お父さんはもう涙がとまらなかって、恥ずかしいくらいおいおいと泣いたなあ。今でも思い出すと涙が浮かぶ。とってもうれしかった。

朋はお母さん子で、何でも「お母さん、頼むで」と言っていたなあ。お母さんも、朋のこととなると、とってもやさしかった。お姉ちゃんやお兄ちゃんにはそれなり厳しく育てていたけど。

お父さんは、朋が一生懸命頑張って、自分が望んでいたこと(ディズニーランドでアルバイトをすること)を実現しようとしている気持ちを大切にしたいと思う。朋が離れて、お父さんもお母さんもとっても寂しくなるけど、二人で楽しく過ごしていくわ。でも、二人で、朋の所に絶対に遊びに行くからな。

大学へ行っても、お母さんにはいつものようにメールしてあげてな。お母さんは強がっているけど、本当は寂しく思っているから。

お父さんの、パソコンのメールアドレスは、。。。。です。ここに写真やいろんなことを添付し送ってな。
お父さんの、ホームページのアドレスは、・・・
これまで、朋のこといっぱい書いてきた。これから、一人暮らしで寂しくなったら、お父さんのホームページを開いて、読んでみて。きっと元気が出ると思うから。必見!

お父さんとお母さんは、いつも朋のことを思っている。辛いことがあったら、遠くても駆けつけるから。連絡するんやで。いつも朋のこと心配しているから。

一人暮らしで、守って欲しいこと
・遅く帰らないこと。
・用心に用心を重ねること、(変な人がいるから)
・鍵はいつも二重にしておくこと
・こちらが荷物を送らない限り、知らない人が訪ねることはないので、ドアをうかつに開けないように。

後は健康で、元気いっぱい暮らしてくれればいい。
勉強も頑張って、本当に学んでみたいものを見つけて。

お父さんとお母さんは、優しい気持ちや人のために頑張ること、こう生きて欲しいという思いは朋に伝えてきたと思う。背伸びしないでいいから、しっかり自分の道を歩いていってほしい。

今、朋へ贈くるCDを聴きながら、これを打っている。

ああ、頭がごちゃごちゃしてきて、もう何を書いていいのか分からない。


朋!元気で。しっかり頑張れ!                 お父さんより


  

新幹線で出発                      家に残された定期


川が流れております。

たゆまず流れつづける川をながめますと、

何やら、わたくしの心まで

洗い流される気がしてまいります。

そうして、いつしか思いおこされるのは、

わたくしのガキの頃でございます。

わたくしは川のほとりで生まれ、

川をながめながら育ったのでございます。

祭から祭へのしがない旅の道すがら、

きれいな川の流れに出会いますと、

ふと足をとめ、

柄にもなくもの悲しい気分になって川をながめてしまうのは、

そのせいかもしれません。

今頃、故郷に残したわたくしの肉親たち、

たったひとりの妹さくら、その夫の博、息子の満男、

おいちゃん、おばちゃんたちはどうしているのでございましょうか。

そうです、

わたくしの生まれ故郷ともうしますのは、

東京は葛飾柴又、江戸川のほとりでございます。

第44作寅次郎の告白/冒頭の語り


末娘がこの4月から埼玉で一人暮らしを始める。

大学の近くを鴨川という川が流れる。

鴨川と聞くたびに、

自分が生まれ育った京都の鴨川のせせらぎを思い出すであろうか。

ときには、寅次郎のように

故郷で暮らす父母のことに思いを馳せるのだろうか。

早春賦

作詞:吉丸 一昌 作曲:中田 章


1.春は名のみの 風の寒さや
  谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
  時にあらずと 声も立てず
  時にあらずと 声も立てず

2.氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ
  さては時ぞと 思うあやにく
  今日もきのうも 雪の空
  今日もきのうも 雪の空

3.春と聞かねば 知らでありしを
  聞けば急かるる(せかるる)
  胸の思(おもい)を
  いかにせよとの この頃か
  いかにせよとの この頃か

巣立ちの季節

昔、I高校の卒業式終了時に列席の保護者に話したことば

平成12年(2000年)

保護者の皆様、本日はおめでとうございます。


17年間がたちました。お子さまの成長をずっとみてこられ、そして今日を迎えられて、おそらく感慨深いものがあると思います。


 ちょっと目を閉じてみてください。そして思い出してみてください、これまでのお子さまとのことを。何を思い出されますか。
 赤ちゃんの頃、小学校の運動会、・・・
 どちらかと言えば、お子さんがいつも保護者の皆様の巣の中にいたような思いがあるのではありませんか。皆様は、親鳥としていつもそばにおられたことでしょう。


 でも、ある日、お子さまが自分より背が高くなったように、いつか親を越す日がやってきます。親から離れていくときがやってきます。今日はそんな日の一日かもしれません。
 これからは、話をする機会が少なくなるかもしれません。しかしながら、ある日、こんな風に話しかけられるかもしれません。寅さんの映画の一シーンですが;
満 男 「人間は何のために生きてるのかな」
寅次郎 「何ていうかな、ほら、
     あー生まれて来てよかったなって思うことが
     何べんかあるだろう、
     そのために人間生きてんじゃねぇのか」
              (第39作『寅次郎物語』)


 私が申し上げたいのは、これまで、「こうしたらどう」、「そうしたらいいのよ」と答えてこられたものから、答えが一つでないようなこと、答えが個人よって様々にあるようなことを尋ねられることが多くなると思います。

 巣立つ若者は、自分一人で考えていくことが大切になるでしょう。もし尋ねられたら、先ほどの寅さんのように気負いも無く、それでいてなるほどと思わせるようなことばで応えてやることが必要じゃないかと思うのです。つまり解答の答という字の答えるから、応じるの応えるになるのではないかと。私も親として自分の娘、息子にそんな風に応えてやりたいなあと思っています。


 さて、今日の巣立ちの日、大勢の保護者の方に来ていただいておりますが、本当は出席したかったけれど来られなかった方も何人かおられます。役目がら、私は教務の連絡黒板に訃報を貼ります。52期生の保護者の中に、本当に若くして逝かれた方々がおられます。今日は、ポケットにきっと写真を忍ばせておられることと思います。ご出席の皆様、そしてポケットの写真の中の方に、このことばをお送りしたいと思います。「今日は なんだか いい日だなあ」


 本日は、お子さまの卒業、誠にお慶び申し上げます。


A Japanese apricot in our tiny back garden has bloomed several blossoms

telling a new season is coming nearer.

春は初めに匂いとなって漂うと言う。


谷 宗牧 の句に

梅の花 空に咲き出る 匂ひかな

とある。

春になると卒業の季節である

空に咲きでる匂いのように

凛として巣立ちをしてほしいと願う。

卒業の日に幾度となく

歌い涙した「仰げば尊し」

恩師と思われる自分であり得たか

いつも自分に問いかけ

ベストを尽くしたと思える自分の心の中から

湧き出た

教育への熱い思い

巣立ち行く者への愛しさ

いつまでも大切にしたい。

我が家も末娘が高校を卒業し、

家を離れて勉学するつもりでいる。

親としてわが子に

しっかりと向き合って生きてきただろうか。

親の恩を

いい意味で受け止めてくれただろうか。

一人立ちの日が近付いている。

仰げば尊し


1.仰げば尊し 我が師の恩
教えの庭にも はや幾年(いくとせ)
思えばいと疾し(とし)
この年月(としつき)
今こそ別れめ いざさらば

2.互いに睦(むつみ)し 日頃の恩
別るる後(のち)にも やよ忘るな
身を立て名をあげ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば

3.朝夕なれにし 学(まな)びの窓
  蛍のともしび つむ白雪(しらゆき)
  忘るるまぞなき ゆく年月
  今こそ別れめ いざさらば


Weeping Aka-oni 泣いた赤鬼  (Red Goblin)

Retold in Japanese: Kawasaki Daiji & Takebemoto Ichiro, Doshinsha
Translated by Nakai Hirokazu

(1)

Long long ago, a red goblin, 'Aka-oni' lived at the foot of the mountain. Since he was a red goblin, he had two horns on his head, and his body was red, and looked fearful. This goblin, however, was very warm-hearted, and he wanted to make friends with the villagers.
So he put up a notice board in front of his house.

(2)

"Hey, look at that notice board!" "Hm... What does it say?" "'I'm a warm-hearted goblin. So, everybody, please come into my house. I will serve you good sweets and tea.' What a surprise! Aka-oni wants (expects) us to go into his house and have some tea."
"How terrible! As soon as we go into his house, he's going to catch and eat us!"
"No kidding! The notice says he is a warm-hearted goblin."
"No, no. That's the way they do it. It's a dangerous trick."

(3)

"It's not a dangerous trick. I won't harm anybody," said Aka-oni, putting his head out of the window.
Then the villagers ran away, screaming, "There he comes out!"
"Don't go away. Please come in! Please!"
He called many times in a loud voice, but the villagers got so surprised that they went away.

(4)

Aka-oni felt sad and broke the notice board.
"Hey, Aka-oni! What's wrong with you? Why did you do such a thing?"
"Hi, Ao-oni! I haven't seen you for ages. Well, I want to make friends with the villagers, but they are afraid of me."
Ao-oni, who came from the other side of the mountain, was also a warm-hearted, and clever goblin.
"I see. I have a good idea! Let's go to the village." The two went to the village.

(5)

"Aka-oni. The villagers believe that a goblin is fearful. They don't know whether you are really tender or not. So they will be relieved and make friends with you, if they find you are a good goblin. Well, I'm going to act very violently. Then you will knock me off, okay?"
"What did you say? You want me to hit you?"
"Yes, hit me many times. "
"I can't .... I can't do such a thing."
"If you do it, things will be better. You'll see, hit me many times."
-------
Bang! Bang!

(6)

Ao-oni suddenly entered a house, and acted violently.
"Wah! A goblin is in my house!" The people in the house were very surprised and they rushed out.
Ao-oni said, "Hey, Aka-oni. Come on in now!"
----
"Hey, you. What are you doing here?"

(7)

Aka-oni rushed into the house and held Ao-oni's arms and legs down firmly, and hit him as Aka-oni was told to do.
"Aka-oni! Hit me with more strength!"
"But it hurts you."
"It will be meaningless, if you don't beat me hard and it doesn't hurt me."
"Like this?"
"Ouch! Ouch! That hurts!" Ao-oni cried loudly.
"Aka-oni, I'm going to run away, so you run after me."
"Ouch! Ouch! I'm sorry. Forgive me."

(8)

"A wild fellow! I will never forgive you, if you do it again," Aka-oni shouted running after Ao-oni.
The village people said unanimously, "Well, there are good goblins and bad ones."
"Aka-oni is a good one."
"Yes, he is a warm-hearted goblin."
"We could make friends with him."

(9)

"Hello, Aka-oni."
"Excuse me, may I come in?"
"Oh, I'm very glad to see you. Welcome."
An old man and a child went into the goblin's house for the first time. Aka-oni was very glad!
"Help yourself to some sweets and tea."
Aka-oni looked after the guests as much as he could.
"Hi, I'm coming."
"Hi, excuse me."

(10)

"Hi, Aka-oni."
"Can I have a cup of tea?"
More and more people in the village streamed into his house in droves.
Aka-oni was very happy and very busy with meeting the guests and serving them some tea.
He was now on good terms with them.

(11)

Some days passed, and Aka-oni recalled his friend, Ao-oni.
"Ah! I want to see him, Ao-oni. You played a role of a scoundrel. Thanks to your friendships; I was able to make friends with the villagers. I must express my hearty thanks."
Aka-oni went to the other side of the mountain where Ao-oni, his kind friend, lived.
-----
There, he found the door closed, and the house was empty. A letter was put on the wall.

(12)

Aka-oni shed tears while reading the letter. He was almost drowned in tears. It said;
".... Hi, Aka-oni! Now you are on good terms with the villagers. If they find we are friends, they will doubt you and feel uneasy and frightened. So I will be away from here for a while, and won't see you. Please get along with the villagers forever.
To Aka-oni, from Ao-oni"
Aka-oni couldn't think of Ao-oni, his dear warm-hearted friend without shedding tears. He could not keep back his tears.

Boyhood

In spring
a boy went to the river.

He raced on the riverbank with his friends.

They built a tiny dam on the riverside.

Some people were picking YOMOGI (spring grass).

He was filled with feelings of liberation.

熊本城 築城400年 天守閣、宇土櫓

Kumamoto Castle

  

最後の授業となった、一年が過ぎるのは早い。
今、あなたには 過ぎていった一年の喜びがあるだろうか。

人生には、
必要なものが3つあるという人がいる。
何かすべきこと、
何か楽しみなこと、
そして愛すべき人。

「何かすべきこと」
英語でプロジェクトというものか。
プロフィット(利益)、見込み(プロスペクト)、プログラム(計画)、
プロダクション(生産)、プログレス(前進)プロシード(進める)など、
関連語にはみな、プロ(前に、先に)が付く。
「何か楽しみなこと」
英語にlook forward to ~ingという表現がある。
これから先のことを待つ気持ちである。
「愛すべき人」
自分の気持ちがその人に向かうこと。

すると、人生は常に前向きの前傾姿勢で
毎日がんばらないといけないのだろうか。

そうではない。
確かに前傾姿勢でないと前へ進めないだろうが、
風が強くて後傾姿勢になるときもある。
休みたいときもあるだろう。
人には力強く前進できない時がある。
そんな時、あなたの周りには
あなたを支えてくれた人がきっといたはずだ。
あなたは一人で生きてきたのではない。

The life seems to be made not to conclude itself alone.
The flower is insufficient if only having its pistil and stamen.
The insect and the wind visit.
The pistil and the stamen are mediated.
And the flower becomes complete.

The life
is always lack of something,
which is filled from others.

---------

A flower is in bloom.
The sun shines,
Others in a horsefly's appearance
are flying very close to the flower.

Once,
I might have been a horsefly for someone.

You, too
might have been a wind for me.

折原みとの「かわっていくこと」という詩に、

 かわっていくことは、こわくない
 ワクワクしたいな。
 明日の自分に。

とある。
新しい一年が始まった。

スタートラインに立つ若者は、
これから走ろうとする道を前にして
ドキドキする思いだろう。
同時に、走る喜びにわくわくしていることであろう。

人生というマラソンにおいて、 
十分な距離を走ってきたと思う私ではあるが、
もう少し先を走ろうと思う。
スタート(start)という英語表現に、
Start on (a new journey)がある。
「(新しい冒険に)取りかかる」という意味だ。
start over「新規まき直しをする」という表現 もある。
スタート(start)は、startle「ぎょっとさせる」の類縁語で、
「ぱっと跳び上がる」が原義、
「動き出す」という躍動感ある表現である。

足の動きが遅くなってはいるが、
感じる力は衰えていない。
精一杯、動き出そうと思う。

あなたも、さあ、スタートしよう。