• イタリア旅行記(1)

      早期退職/転職して心配をかけた、妻へのこれまでの面倒へのお礼を退職後4年目にしてやっとかなえた。イタリアへフライト込みで10日間の旅に出かけた。学生の娘も同行した。イタリアの景観は、予想以上にすばらしく、感動するものであった。JL421便(日本航空)のロンドン経由、AZ243便(アルタリア航空)でミラノに向かった。関西空港を出発し乗り継ぎ時間を含めミラノ空港到着に16時間程かかった。朝11:45発で日本時間の翌日の朝の5時前に到着したが、現地時間では同日の21:45。ホテルに着くと現地の夜11時前、これには疲れた。この旅では、ミラノ、ヴェローナ、ベニス(ヴェネツイア)、フィレンツエ、ピサ、シエナ、ポンペイ、カプリ島、ローマと訪ねた。訪ねた各地の様子や感想を綴っていくことにする。
      ミラノ Milano
      135本の天空を突き刺す尖塔がある、イタリア最大のゴシック建築の大聖堂Duomoドウオモはミラノのシンボル的存在であった。1368年に工事が始まり、その後ナポレオンの指揮によってファサードが作られるなど完成までに実に500年間の月日がかかったと言う。白の大理石で築かれた荘厳な建物であった。ステンドグラスから差し込む陽の光が薄暗い堂内に不思議な世界をその内部に作っていた。エレベーター(料金6ユーロ)に乗って屋上へ登った。屋上から見る大理石の尖塔。彫像のあまりの多さに驚いた。無数に近い彫像がある。一つ一つにストーリーがあるのだろう。ただ、感動するばかりであった。
      その後、サンタ・マリア・デッレ・グラッツイエ教会へ向かい、かの有名な「最後の晩餐」をこの眼で見た。43歳のダビンチが1945年から3年をかけて描いた傑作である。フレスコ画でなく油絵であったこの絵は修復が難しいものであった。キリストのテーブルの下は、のちにドアとして穴があけられ欠損している。また、第二次世界大戦中爆撃を受け、この絵が描かれた食堂はほとんど崩壊した。この絵の前には土のうが積み上げられていたので奇跡的に難を逃れた。今では、食堂の建物が修復され、3段階に仕切られた部屋に入るほど、湿度、温度管理をしている。絵は20年程かけて洗浄修復された。少し離れて見ていると分からないが、持っていった双眼鏡で見たところ、かなりヒビが入っていることが分かった。ヨハネをマクダマのマリアと解釈した「ダビンチコード」には案内してくれたイタリア人はとんでもないと怒っていた。しかしながら、ヨハネは優しい顔をしていた。

        

      屋上手前からの尖塔(エレベーター料金6ユーロに乗って屋上へ登る)

          

      入り口の大扉「聖母マリアの生涯」      概観         内部        

      外部の彫像のあまりの多さに驚いた。無数に近い彫像がある。

      Santa Maria delle Grazie教会 左のベージュの建物から絵を見学する

      絵葉書より

      イタリア旅行記(2)

      ヴェローナ Verona/ヴェネツィア Venezia

      翌朝 、ベニス向かう前に、ヴェローナに寄った。ロミオとジュリエットの舞台になった街である。ジュリエットのバルコニーには観光客がいっぱい。ジュリエット像の右胸に触ると幸運がやってくるということらしく、像の右胸は光っていた。街の広場(シニヨーリ広場)にメルカートという屋台の市場があった。市庁舎の横の建物の壁にフレスコ画が描かれている。裕福な人はこうやって外壁をフレスコ画でいっぱいにしたらしい。華やかであったことだろう。黄土色、緑、オレンジ色の三色が街の景観の色である。かわいらしく、趣がある。犬もひなたぼっこしていた。
      午後ベニス(ヴェネツィア)に到着。ローマ広場からタクシーボートに乗ってサンマルコ広場へ向かう。まるでお伽の国へ来たようである。水辺にたち並ぶ家々。狭い通路、運河、ベニスに来たという思いが湧いてくる。サンマルコ広場前で下船、目の前にはドゥカーレ宮殿、サンマルコ大聖堂、鐘楼が広がる。各国からの観光客!いつもこんなに賑わっているそうだ。これがベニスだ。昔とは異なる栄華だが、大勢の人々でうめつくされている。圧倒される光景である。ゴシック様式の荘厳なドゥカーレ宮殿に入る。9世紀の城塞を1309〜1442年に改修して建てられた。中での写真は撮影禁止。数多くの部屋があり一つの部屋が広い。市民が会議をした部屋もある。黄金の輝きである。天正の少年使節もここを訪れたらしい。どんな気持ちであったことだろう。思いが時間を越えて巡る。圧倒される美の中で、彼等も感激したに違いない。この世にこのようなものがあるなんて。この建物には、裁判所もあり、有罪を受けたものは外に出ず、溜め息橋という石の壁、天井でおおわれた橋を渡り、隣の牢獄につれていかれたらしい。この橋を溜め息橋と言う。死刑になるか、無罪になるか。橋の小さな窓から眺める光景が現世の見納めとなったものも多いらしい。プレイボーイで有名なカサノヴァはうまく脱獄したということだ。
      サンマルコ大聖堂は黄金のモザイクが鏤められていた。相当の財力があったのだろう。石の床がすり減ったりしている。いやあ、ほんとに美しい!唖然とするばかりである。
      向いに建つ鐘楼にエレベーターを使って(6ユーロ)登り、てっぺんからベニスの街を見下ろした。すばらしい!眼下にお伽の国が広がる。ベネチア国際映画祭が行われているリド島も見える。ベニスの街を見渡した後、ゴンドラに乗った。溜め息橋の下をくぐるルートであった。水路は入り組んでいて迷路のようである。ディズニーシーで乗ったゴンドラでない。本物のゴンドラだ。ただ、ディズニーシーのゴンドリエのほうがサービス旺盛である。ベニス、水の都である。日本の堺はすっかりその姿をかえたが、このベニスはそのままである。歴史の中に自分がいると感じずにいられなかった。

       

      ジュリエットのバルコニー   ベローナの広場 

       

      フレスコ画の家の壁 イタリアの色らしい町並み

      ブルドックもひなたぼっこ

       

      ベニスの運河         右ドゥカーレ宮殿、正面サンマルコ寺院、左鐘楼

      サンタルチア駅前の運河

       

      サンマルコ寺院   モザイク画

       

      鐘楼  鐘楼からサンマルコ寺院を見下ろす


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    • イタリア旅行記(3)
    • フィレンツェ Firenze
    • トスカーナ平野の中央に位置し、かってエルトリア人が住んでいたこの土地をローマ人は「花の女神」フロレンティアと名付けた。ルネッサンスが開花した都市である。高校の世界史で習ったメディチ家が莫大な富を投じて一流の芸術家をこのフィレンツエに集めたのだ。何よりもドゥオモはこの街の象徴であろう。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、白、ピンク、深緑の大理石を幾何学的に装飾した外壁は見る人を圧倒する。その上に赤褐色の巨大なクーポラ(丸屋根)がそそり立っている。ドゥオモは「ドーム」と同じ意味である。内部はやや暗く、ところどころにステンドグラスから光がもれる。丸屋根の天井には「最後の審判」をテーマにしたフレスコ画が描かれている。フレスコ画とは壁の石膏(しっくい)に直接描いたもので、壁の内部にまで顔料が染み込んでいる。少し削るように磨くときれいな色が表れる。英語で言うフレッシュFreshである。ドゥオモの隣に建つサンジョバンニ洗礼堂の東門は彫金が施されミケランジェロが「天国の門」と賞賛した程のものである。
      フィレンツエの定番はなんと言ってもウフィツィ美術館であろう。ボッティチェリ、ダヴィンチ、ミケランジェロの名立たる巨匠の傑作がある。わたしたちのガイドをしてくれた方は、美術の勉強に来ている人であろう。かなり細かく、大学の美術史の授業を受けているように絵の見方の説明を受けた。頭がはち切れる程の情報であった。「ヴィーナスの誕生」や「春」、「聖家族」「受胎告知」を前にして相当詳しい説明を聞いた。三角形になっている構図(三位一体を示す)、遠近法、筋肉質など興味深かった。私達は特別にヴェッキオ橋にかかる建物のヴァザーリの回廊も見学した。肖像画が主にある。メディチ家の人間が街を上から見下ろしていたところで、窓には格子がある庶民にとっては監視されている気分であったことだろう。その回廊の終わりにサンタ・フェリチア教会があるが、何とその回廊からキリスト像が見える。それも眼下にある。メディチ家は神より偉かったのだろう。
      見学後ショニリーア広場に戻った。ウフィツイ美術館前にはパーフォーマンスをする人もいる。自由時間にジェラートを食べた。ダブルのスモールサイズコーンで2ユーロであった。娘は伝統の薬草を使った基礎化粧品をガイド誌に載っていたスペツェリエ・エルポリステリエ・パラティオ・ヴェッキオで買った。
      それから、ミケランジェロ広場に向かった。「ダヴィデ像」のレプリカがフィレンツエの街を眺める小高い対岸の丘にある。夕陽に染まるフィレンツエの街を見てうっとりとした気分になった。出てくる言葉はいつも同じ、「美しい!」近くのレストランで夕食を食べこの日の一日が終わった。
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    • ドゥオーモ/鐘楼       「天国の門」        丸天井の絵画
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    • ヴェッキオ橋、ウイフィツイ美術館より
    • 右側の屋根の建物の2階部分をヴァサーリの回廊がヴェッキオ橋の2階部分へずっと繋がっていく。
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    • ヴェッキオ橋 右側2階が格子窓のあるヴァサーリの回廊   柱の一つの芸術
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    • ミケランジェロ広場からフィレンツエを眺める  夕陽のダヴィデ像 フィレンツエの街を見守る


      イタリア旅行記(4)

      ピサ Pisa/シエナSiena
    • 4日目はピサとシエナを訪ねた。ピサは古代ローマの軍港として発展し、中世にはヴェネツイア、ジェノバと肩を並べるほど海運都市として繁栄を謳歌したらしい。その繁栄時の建物がドウオモ広場に並んでいる。洗礼堂、ドウオモ、斜塔と並ぶ。案内のイタリア人はとても愉快な人だった。癖はあったが流暢な日本語であった。人を笑わせるのが上手である。洗礼堂は大きな丸屋根の空間のような場所であった。イタリア人のガイドさんが、マイケルジャクソンと声をかけると、堂内を閉め、係りの人が中程の円陣を歩き出し、調音するかのように声を出し始めた。すると、その声が天井にこだまし、見事なハーモニーで返ってくる。少し節を付けて発生されたメロディは、厳かに、神秘的に堂内全体に響いた。感動した。
      石の文化を改めて感じた。ヨーロッパは石の文化である。跳ね返る声を意識している。グレゴリー賛歌もそうして生まれたと聞いている。ハーモニーが発達したのも納得できる。
      次にドウオモに入った。天井は金の塗り、振り子の法則をガリレオが発見したと言われるランプが天井から吊られていた。今は燭台でなく、小さな電燈が並んでいる。
      それから、ピサの斜塔に登った。予約チケットである。白大理石の斜塔は直径17mの8層階からなっていて、
      高さは55.2m、傾斜角度5.5度で南に傾いている。1993年に最上階は5.4m傾いていたらしい。今はクレーンなどで引き戻され4.1mの傾きである。1274 年3層目の建築が始まってから傾き出し、かなりの年月をかけて築き上げられた。バナナのように実際は上へ行く程ずれるように築かれている。それでも傾いている。頂上へ行くには、一人くらいしか通れない大理石の階段を登っていく。クルクル回って登っていく時、傾きを体に感じる。ずいぶんたくさんの人が昇り降りしたのだろう。足の踏み場となる部分がすり減っている。もちろん人数制限で、持ち物もカメラに限って登れるきびしさ。てっぺんに辿り着いて、ピサの街を見渡す。絶景である。眼下の人は小さい。風が強ければ恐いような場所である。気持ちがよい。
      斜塔をおりて、近くで昼食をとった。びっくりすることに、同僚の先生が奥さんと妹さんとのツアーで来ておられ、驚くべき確率の偶然で同じ部屋で食事をすることになった。いや、驚いた。次にフランスに向かわれるらしい。こんな偶然が世の中にあるなんて。遠く日本を離れて、イタリアのピサで昼時に同じリストランテで会うことがあるのだろうか。イタリアは神の国である。
      びっくりすることはもう一つあった。嫌と言うほど注意を読んだり、聞いたりしていたのに、スリにあった。この観光地は、シャトルバスに乗らないといけない。それが凄く満員になる。超満員で90度曲がるカーブが何ケ所かある。どこかにしがみついていないと倒れてしまう。その時、ピサの斜塔の陶器の置き物などのお土産を買い、少し重く、もう片方の手でしっかりと持たなければダメだった。バスは揺れる。目の前には若い外国人女性とその向いにジプシー的なスカーフをしたおばさんがいた。変なおばさんとは思っていたのだが、目の前の女性が取っ手を掴むようで掴まずふらふらする感じであった。自分が握っているバーに手をやるようでやらない。カーブが何度かありよろめく。すぐに到着するのだがその寸前、おばあさんが、やにわにバスの奥の方へどんどん入っていく。おかしいなと思いながら、下車して前にしていたバッグを見るとマジックテープの部分が片方あけられ、前部のファスナーが開けられ、広げてはいたが、そこに入れていた取り出しにくい財布から日本円が3枚程抜き取られていた。日本円より多く持っていたユーロ紙幣は無事、カードも出しにくい内側に入れていたので大丈夫であった。あざやかな2人組みであった。授業料は高かったが驚く経験をした。イタリアは貧富の差が激しく、スリやひったくり、置き引きが多いと聞く。同時にカトリックの国なので寄付の意識がある。イタリアに寄付したと思うことにした。
      そこから、シエナに向かった。この街は、城壁に囲まれ、12〜14世紀当時の面影をそのまま残している。サン・ドメニコ教会を少し下ったところから、左に現市庁舎の塔と右にドウオモの上の部分が見える。街並が赤褐色の階段状に180度拡がる。「うーん」とうなってしまう美しさだ。これがシエナ色というものか。街を歩きながらドウオモの裏側から正面に出る。フィレンツエのドウオモのように巨大なクーポラに圧倒されることはないが、壮麗である。クレーンがあり、部分的に修理をしていた。石畳の路を進んでいくと、高い建物(市庁舎)が見え、視野が拡がった。有名なカンポ広場である。広くて1枚の写真で撮りきれない。貝殻のようにも扇の形のようにも見える石畳の広場である。この広場で「パリオ祭」が7月2日と8月16日に開かれる。街の人が(観光客も)ひしめくように集まり、広場の周囲を猛スピードで疾走する競馬が行われる。建物で囲まれた石畳の広場の周囲を3周するらしい。今年優勝した地区(コントラーデ)は、地区の旗を巷に飾っていた。カンポ広場はなんとも言えない美しさである。目の前の宮殿は、今は市庁舎として使われている。シエナのお菓子と街の絵のポスターを買った。街全体が世界遺産となっていることには充分納得できた。
    • ピサのドウオモ広場
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    • 洗礼堂        洗礼堂内部
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    • ドウオモ        ドウオモ内部
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    • ピサの斜塔      斜塔頂上の階段
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    • 頂上から眺め       人が小さい
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    • こういうかっこで写真を各国の観光客が撮っている 女子もお父さんに撮ってもらっている
    • シエナの街並 左現市庁舎(宮殿) 右にドウオモ
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    • 細い路の街、洗濯物とパリオ祭優勝地区の旗(緑)   ドウオモ正面
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    • カンポ広場           広場で鳩とかけっこしているこども
    • シエナの街のこどもたち

    • イタリア旅行記(5) ポンペイ Pompei
      5日目はフィレンツエから8時53分発のユーロスターに乗って(12号車25・26・27)ナポリに向かった。南イタリアへ大移動である。イタリアの鉄道の駅は、改札がない。だから誰でも構内に入れる。スリや置き引きが多いというのもうなずける。切符は車内で車掌が確認するだけ。また、出発のアナウンスがない。乗り遅れると大変である。ナポリ行きは日本人観光客もいっぱいであった。もちろん他の外国人観光客も多い。満席である。3時間ほどかけてナポリに着いた。座席は4列、新幹線より幅は狭く、向かい合わせ型。また、駅に近くなると途中停車したりした。JRの在来線の特急感覚である。
      駅構内を出ると、ナポリの街は車がいっぱいであった。スキマを縫ってどんどん車が入ってくる。トラムの軌道にもバスだけでなく自動車も入ってくる。街はゴミが放置され、キレイとは言い難い。街の建物の壁にはまた、落書きがいっぱい。これも芸術と考えているのだろう。活気があるといえばそうなのだろう。
      ヴェスヴィオ山が近くに見える。現在の山頂はかなり低い。上部3分の1くらいはポンペイを埋めた例の爆発で無くなってしまったらしい。現在は比較的以前に爆発した部分が少し高くなって、ふたこぶの山となっていた。一路、ポンペイの遺跡へ向かった。
      西暦79年8月24日、ヴェスヴィオ火山の大噴火により一瞬にして灰に飲み込まれた悲劇の街、ポンペイ。ナポリから南20kmくらいに位置する。噴火直前には、1万5千〜2万千の人々が生活しており、2000人が犠牲になったと推測されている。多くの住民は大噴火を前に街を逃げ出したらしいが、溶岩流の噴出などが見られないことから、一部の住民が残っていた。ところが、火砕流よりはるかに大規模な「火砕サージ」が突然発生し、たった1日で街はひと飲みに。3日間灰は降り積もったという。16世紀末に偶然発見されるまで、1500年間灰の下に眠り続けた街である。厚い火山灰の下から現れた遺跡は、神殿やファロの共同浴場、パン屋、食品市場、ポーター屋、居酒屋、売春宿、小劇場、大劇場、住宅などリアルな姿で往時を伝えている。壁に残るフレスコ画も鮮やかである。屋根の部分などがないだけで石の街が遺った。馬車の通る車道、歩道が区別されている。また、水道が巡らされ、区画ごとに牛や人の顔などのレリーフが目印として付いている泉の水くみ場がある。これが住所名の基準になり、牛の印の水飲み場の隣の誰々とよんでいたようだ。
      イタリア人の女性ガイドさんの流暢な日本語の説明はとても分かりやすかった。フォロの公共浴場の構造は、男女別で、大理石製の浴槽や脱衣所、冷水浴場、温水浴場などに分かれていた。壁や床は二重構造で暖房になっていた。いわゆる床暖房システムだ。天井のアーチには少し突起した筋がずっと並んでいる。湯気が冷えて、水滴となって天井から落ちてくるのを防ぐ工夫である。水を飲むための大理石の直径1m以上の水をためておく大きく平たい水槽には、寄贈した人の名前がその縁に彫金されている。日常生活の一端を今も伝えている。
      ポンペイの遺跡はかなり広く、同じような石塀の遺跡がほとんどなので、脇道に入ったりすると迷子になりそうであった。円形劇場などには時間が無くて回れなかった。出口にある土産屋で、ポンペイの今昔がセルロイド版を重ねれば良くわかるようになっている本があり、10ユーロで買った。乾燥気味で喉が非常に乾いていたので、レモンを搾ったジュース(砕いたアイス入り2ユーロ)を飲んだ。非常に美味しかった。
      そのあと、ナポリ市内をバスで巡った。カステル・ヌーヴォを巡り、サンタ・ルチア港の埠頭に突き出した卵城などをバスから見た。「ナポリを見て死ね」という言葉は、ここから見たヴェスヴィオ火山、ソレント半島、そして丘に広がる町並みなどを一望にした景色を指し、絶景であるということだ。夕陽の海の輝き、ソレント半島、ヴエスヴィオ山は美しく見えた。
      多少の自由時間があり、フェスタの会場を見たり、古本屋街を歩いたり、娘は小さな金細工のネックレスを買った。ここは、バイクに乗っていてもヘルメットをせずに飛ばしていく若者が割といた。夕食は、ナポリのピッツア、マルゲリータであった。南イタリアを代表するワイン、ラクリマ・クリスティ(キリストの涙)を飲んだ。


       

      フィレンツエ駅の電光掲示板    8:53発のユーロスターがホームに、ホームは30cmの高さ

       

      ポンペイの入り口になる城壁       中央のフォロ(公共広場)アポロの神殿(左)、ジュピターの神殿(奥)

        

      フォロの浴場 水を飲む円形水槽

         

      店の跡                        邸宅の壁に残る絵

       

      石膏人体遺体、 固まった火山灰の空洞(肉体が朽ちて)に石膏を流し込んでできたもの

      頭蓋骨など骨だけは残っていた

      魚屋を示す絵

       

      パン屋の跡(かまど、石うす)              小劇場

      出口で飲んだレモンアイスジュース

        

      キャッスルヌーボー            卵城

       

      卵城付近からヴェスヴィオ山を望む   ナポリの通りにあった装飾品店


      イタリア旅行記(6)

      カプリ島・青の洞窟Isola di Capri, Grotta Azzurra

      6日目はカプリ島観光と青の洞窟である。洞窟への入り口(開口部)が狭く(高さ1mくらい)、波が高いと入れないので船が出ない。何度ここを訪れても入れない人もいると聞き、祈るような気持ちであった。朝、ナポリ湾には「靄(もや)」がソレント半島一面に立ちこめていた。添乗員さんは、それを見て、「今日はたぶんOKです。靄があるということは、風が弱いか無いということ、つまり波は高くない」と明言。なるほどと思った。ナポリから高速船でカプリ島のマリーナ・グランデまで行って、モーターボートに乗り換え青の洞窟前へ行った。洞窟入り口付近で小舟に乗り換えて洞窟に入る。普段はこの待ち時間が一定せず、混んでいると入り口付近で3時間も待つそうだ。ディズニーランドのアトラクションの待ち時間より長い。そこで船酔いする人も多いそうだ。添乗員さんは前日、「朝の食事は控えめに」と何度も言っていた。私たちは、一時間30分ほどでマリーナ・グランデ二到着し、高速船から下りるとグループの10名は一目散にモーターボート乗り場に駆け込む。おかげで、すぐに発進することができた。25分間ほどで到着すると、何と、ほとんど待ち時間なし。中に入るのに5分くらいしかかからなかった。小舟の中で足を伸ばすように座り、ほとんど寝ころんだようにして入り口をくぐり抜ける。世界遺産にも指定されている青の洞窟は、白い石灰岩に、透明度の高い海、南イタリアの強烈な太陽が創り出す偶然の産物と言われる。太陽光線が入り込む海面が青い宝石のようにきらめく。中では、ボートの操縦兼漕ぎ手のイタリア人がナポリ民謡を歌う。歌が洞窟内でこだまする。感激!4分間ほど洞窟内にいて、さっと開口部からまた大きな海へ出た。添乗員さんは、このラッキーさに親指を立てて喜んでいた。
      港に戻り、ケーブルカーに乗ってウンベルト一世広場へ、予定時間を短縮できたので、大砲の展望台へ向かう。徒歩で15分くらいの所である。岬の断崖に青い海、太陽光線が海面をキラキラと輝かせる。素晴らしい景色だ。旅行の終盤にクルーズや海辺があると、旅人は安らぎを覚えるそうだ。街の道路を走る急いだ時間でなく、ゆったりとした時間に旅を振り返り、心までゆったりすると言う。そのとおりである。
      午後3時前くらいに再び高速船に乗りナポリへ、そしてバスでローマに向かった。イタリアは夏時間であっても、7時半でも明るい。ローマのシェラトン系のホテルに着き、少し休憩して、カンツオーネディナーへとローマ市内に向かった。3人の歌手がナポリ民謡を歌い、大いに盛り上がっていた。CDを買った。するとサービスですぐ側に来て、ベサメムーチョを横で歌ってくれた。テーブルは大いに盛り上がった。この旅行で一番盛り上がった夕食であった。旅をあと一日残すだけになった夜、ワインもたくさんあって、いつもより飲んだ。取ってもいい気分であった。が、妻や娘からは飲み過ぎと注意される始末。こんな楽しい夕食時くらい、大目に見て欲しいと願った。そしてこの日も終わった。

       

      ナポリ湾のもや       マリーナグランテ

       

      青の洞窟入り口付近               青の洞窟内

      展望台からの景色

      カンツオーネディナー

    • イタリア旅行記(7) ローマRoma
    • 最終日は、ローマ市内一日観光である。まず、ヴァチカン美術館・システィーナ礼拝堂、サンピエトロ大聖堂に入る。いわゆるヴァチカン市国でひとときを過ごす。この美術館は予約者専用のゲートがあったが、それでも長蛇の列、最後尾までかなり歩いて並び、そして中に入った。フィレンツエのウフィツイ美術館と同様、ここも入館に際し、空港並みの持ち物チェックがある。燭台のギャラリー、タペストリーのギャラリー、地図のギャラリーと回り、それからシスティーナ礼拝堂へ向かった。今は棟続きになる入り口出口がある。美術館はもっと広くラファエロの間などがあるが、今回は、「最後の晩餐」が観光の主目的なので、そちらへ向かった。もちろん、No Photoである。”Quiet. Please”と時折、英語でアナウンスがある。「最後の晩餐」はフレスコ画であるから、修復され非常にキレイであった。イタリア人のガイドさんは、館内での説明が回りに迷惑になるので、最初に詳しく説明をしてくれていた。ミケランジェロの彫刻の特徴か、キリストは筋肉隆々の肉体美である。絵の中のパウロが手に持つ脱皮した肉体の皮にはミケランジェロの自画像が描かれている。天井画の天地創造の神がアダムに指先を通して命を吹き込もうとする姿は、映画ETの指を合わせる交流シーンの参考になったそうだ。一時、教会は肌などをさらしている人物像を嫌い、黒く部分的に上塗りしていた。今では、それらがキレイに削り取られているが、その状況を知らせるために一部黒く塗られたままの所もある。この「最後の審判」の場所は観光客でいっぱいであった。撮影禁止なのに、写真を撮っている外国人もいた。
      続いて、カトリックの総本山のサンピエトロ大聖堂に入った。これまでの大聖堂と少し趣が異なっていた。とにかく広い。入ってすぐ右側にミケランジェロのピエタ像がある。本物で、ガラス板で仕切られていた。ペテロの骨があると言われる。
      外に出ると、この広場が大きい。日曜日には何万もの敬虔な人々が集まる。ミサのためのイスが広場にずらりと並べてあった。クーポラに登ってみたかったが、その時間はなかった。
      次に、サンタ・マリア・コスメディン教会へ行って、「真実の口」を観光した。海神トリトーネの顔が彫られた大理石で「嘘つきが手を入れると食べられてしまう」という言い伝えがある。「ローマの休日」のアン王女の可愛らしいシーンが思い出される場所である。シーズンには順番待ちも覚悟なのだが、訪ねたときは空いていて、すぐに、手を口に入れた記念写真を撮ることができた。
      それから、コロッセオに向かった。6万人の観客を収容したという円形競技場、アリーナ上では、拳闘士と猛獣や囚人同士の戦いが繰り広げられたという。記録によると、9000の野獣が100日間に虐殺されたとある。こうした死闘は300年以上も続けられたが、404年一人の修道僧が自らの命を犠牲にして血なまぐさい見世物反対を訴え、彼の殉教を機に、猛獣同士の戦いだけが6世紀まで続けられたそうだ。大理石が敷き詰めてあったそうだが、サンピエトロ大聖堂を築くためや、そのほかのことで持ち出されたらしい。今はその骨組みが残っている。感慨深い場所であった。
      この近くで昼食をゆっくりとり、トレヴィの泉へ向かった。後ろ向きにコインを投げると再びローマを訪れることができるという伝説がある。一枚だと一人で、2枚だと好きな人と、3枚だったら・・・。投げ方もあり、右手で左肩越しに投げ入れるそうである。私は、妻ともう一度来られたらと2枚投げ入れた。ちなみに泉に投げ入れられたコインはチャリティ団体に寄付されるそうである。アン王女散策の場所でもあり、観光客でびっしり賑わっていた。ここの街角にあるジェラートがおいしいのよとイタリア人ガイドから聞き、最後のジェラートを食した。美味しかった。ジェラテリアでは、最初にレジでお金を払い、そのレシートを持って売り場で種類を言って買い求める。
      すぐそばに、「ローマの休日」ではヘアーサロンであった店が、今では鞄屋さんになっていた。歩いてそのまま、スペイン広場・階段へ向かった。ここも世界中からの大勢の観光客が階段に座り込んでいた。もう少し階段が長いイメージがあったが、踊り場があって3つに区切られていた。ここで、3時間ほど自由時間。娘が、一点、グッチの財布が欲しいと来る前から言っていたので、すぐ近くのグッチの店に行った。230ユーロする財布を自分のお金で買った(少し供出したが)。とても満足そうであった。そこから、Di per Diというスーパーに立ち寄り、最後の食品の買い物とバッチチョコやスープ・リゾットなどを買った。プラスティック袋は、レジで事前に、サケット・ペル・ファヴォーレと言わないといけない。4セントするからである。
      時間があったので、文具店やポポロの広場やそのあたりを歩き回り、台所用品店でちょっとした器具を買った。最後にスペイン階段角のネクタイ屋のショーウインドーを眺めていたら、店のご主人が愛想良く中へ入れと言って、いろんなネクタイを上着の色に合わせて、楽しく説明してくれた。家族の者もなるほどと話に引き込まれていった。モダン、クラシカル、ニューデザイン、とても分かりやすい説明で、一本買った。最後のお金を使ったが、おじさんが25ユーロを20ユーロでいいとディスカウントしてくれた。本当に楽しいショッピングだった。ローマ市内最後の買い物であった。
      バスを待っている道の向いに、昔からあるような茶褐色のエデン・ホテルがあり、夕陽に染まっていた。一室の窓が開いていて、女性が外のスペイン広場の方を見下ろしていた。何か映画を見ている気分になった。これがこの旅行の締めくくりのような気がした。
      夕食を近くで食べ、ホテルに戻り、荷物の整理をした。明日は帰国である。
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      最後の審判、天地創造のポスターで説明を受ける。 キリストは筋肉質である。 左が天国、右が地獄をあらわす

       

      燭台のギャラリー(ヴァチカン美術館)

       

      タペストリーのギャラリー     地図のギャラリー

       

      ピエタ             サンマルコ大聖堂内

      サンマルコ大聖堂

       

        

      トレヴィの泉  スペイン階段


    • イタリア旅行記 帰国
    • 朝は10時くらいの出発でゆっくりできた。
      搭乗券の引き替え、付加税還付の書類申請なども、空港案内のイタリア人ガイドのおかげで、難なく極めてスムーズにいった。空港内で最後の土産物を買い、ゲートへ。しかしジェット機の搭乗ゲートが変わったり、機体の整備に時間がかかったり、13:35発が14:35発に、一時間以上遅れてロンドンに向けて出発した。アリタリア航空はおおらかである。
      機上、イタリアにアルベヂリッチ(さよなら)を告げた。ロンドンに向かう途中、アルプスを越した、氷河の跡らしい筋が見える山々は茶色の土色を見せていた。地球温暖化の影響だろう。やがて機はロンドン・ヒースロー空港に着いた。相変わらずロンドンの空港は、乗り継ぎでも厳しいチェックがある。手荷物は一つ。上着も脱ぎ、靴も脱がねばならない。テロの影響である。3種類の別々の液体を混ぜると爆発物ができることが判明し、そうしたことの未遂があったようだ。ターミナル3でJL422便を待ち、19:45に出発。その前、3時間弱ほど空港内で時間を過ごした。
      日本には翌日の15:46くらいに関空に着いた。付加税の払い戻しをJR改札近くのTax Refundで受け取り、京都へ帰宅した。あっという間の10日間であった。
      帰国後2日間ほどは眠く朝が起きられない状態だった。帰国後一週間やっと時差ぼけから回復してきた。仕事に戻りだし、時間のあるうち、記憶が鮮明なうちにと、がんばってこの旅行記を綴った。
      イタリアは国すべてが世界遺産に登録されていると思えるほどであった。ちなみに今回の観光地は世界遺産登録地。なんといってもスケールがちがった。世界中から観光客がやってくる。平日でも人でいっぱいである。
      すべての場所が感動的であった。

      イタリア語基本会話
      ・おはよう/こんにちは  Buon giorno (ボン・ジョルノ)
      ・こんばんは  Buona sera (ボナ・セーラ)
      ・さようなら  Arrivederci (アリヴェデルチ)
      ・はい/いいえ  Si./No (スィ/ノ)
      ・ありがとう  Grazie (グラッツィエ)
      ・ごめんなさい  Mi scusi (ミ・スクーズィ)
      ・すみません(呼びかけ) Scusi (スクーズィ)
      ・いくらですか? Quanto costa? (クアント・コスタ)
      ・お願いします Per favore (ペル・ファヴォーレ)
      ・うれしい Sono Contento (ソーノ・コンテント)男性言葉
      ・おいしい Buono! (ブオーノ)
      ・水 Acqua Naturale (アクア ナチュラーレ)

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