中井 弘一
1 はじめに
俳句が英語で書かれるようになって久しく、今では世界各地で俳句コンテストが開かれている。外国に行って日本文化を簡単に紹介し、味わってもらうとするなら、俳句は紹介しやすい日本文化の一つであろう。
俳句の短い文には作者の国の文化や文化背景が表されるのではないだろうか。俳句の季語又はそれに類する言葉の使われ方の中には、その国の人々の文化の土台とも考えられる自然感が表れるのではないだろうか。
そこで俳句によく使われる言葉のConnotationを日本人の大人、高校生、外国人を対象に調べてみることにした。
2 研究材料とその調査方法
^研究材料
@俳句歳時記から選んだ80個の言葉
A俳句とその英語訳
_研究方法
@抽出した言葉のイメージ分析をする。それぞれの言葉のイメージがどのように違うのかを日本人・外国人のイメージ差比較を通して目に見える形で提示する。言葉のイメージ分析をする。
A抽出した言葉から連想された動詞、形容詞、名詞を集約する。
B抽出した言葉が使われている俳句、Haiku in Englishを収集しContext上のイメージを探る。昔人の名句だけでなく、小・中学生の新しい感覚の作品も集める。
C俳句とその英語訳haikuそれぞれを日本人、外国人に解釈してもらい、絵または文でそのイメージを表現してもらう。
`調査対象
@日本人生徒(大阪府内の高等学校生徒) 計 104名
A日本人大人(大阪府内高等学校教諭) 計 24名
B外国人生徒およびAET 28名 + 10名(タイ高校生)
White Oaks Secondary School (Canada) 高校生 8名
Liberty Bell High School (America Pensylvania) 高校生 7名
S 高留学生(アメリカ) 1名
タイ高校生(Thailand) 10名(イメージ分析、連想語集計に含まず)
AET 12名(アメリカ人 8名、 イギリス人 3名 ニュージーランド人 1名)
*本調査対象人数が数量的なデータを検証するにはやや少ないことは否めないが、記述回答を含めて自然観の比較考察を進めたい。
3 言葉の持つ意味と自然観
季語は俳句の季節を表すものである。季語にはその語が表す直接の意味だけではなく、その語に包含されるイメージがある。そのイメージを複合的につなぎ合わせ、重ね合わせながら、並べ変えられた単純かつ複雑な表現が俳句である。俳句にある季語は化学にたとえると、日本人の自然観を含む原子のような存在となっている。ある一つの原子が中心となってたくさんの原子を集め、密接な関係を持ち一つの高分子となって有機化合物になるように、俳句も様々なイメージを集合し新しい性質、生命を宿す。
ピーター・ミルワード氏は聖書とシェークスピア抜きに英国文化は語れないという。英語という言葉の中にもそれが持つ直接の意味以上のものがあり、辞書にあるのはその10分の1という直接的な意味であると言う。言語が持つ言葉の響きを産みだしている要因は、社会(人間)文化であり自然観であろう。
もともと俳句は「俳諧」という「座(共同体)」の意識のもとに成立した「滑稽」を歌うものから出発している。江戸時代に松尾芭蕉等によって文学的に高められ、明治時代に正岡子規により俳句(俳諧の句)という言葉が定着するようになった。さて俳句には季語があるように自然を探求する気持ちがある。
それでは自然とは何を意味するのだろう。「自ら存在してこの世界を秩序だてているもの、人間を育み恵みを与える一方、災害をもたらし人間の介入に対し常に立ちはだかるもの」と国語辞典にある。「自然」という言葉の対立語を列挙するほうがわかりやすいかも知れない。「自然と人間」「自然と文化」「自然と人為」「自然と作為」「自然と不自然」「自然と人工」などがある。
英語でNatureの意味と語源は次のとおりである。
語源 (O)Fr. nature - L. natura, f. nat-, pa. ppl. stem of nasci be born
意味 the quality or qualities that make something what it is; essence inborn character, disposition, or tendencies
「自然」はあるがまま、生まれたままということで、「自然観」はその見方になる。「自然」と「人間」という言葉の境界線がどこにあるのか。日本人や外国人によってはその境は違うのではないか。
自然はそのまま存在するが自然観は人為的なものである。自然の読み取り方、対応の仕方に文化の違いがあるのではないか。文化、心理、心情、知識等あらゆる人為的なフィルターを通して自然を見る。従って、同一の自然対象物に対するイメージを探ることで、そのフィルターの実体が探れる。今回調査したものの中でいくつかを比較してみる。
4 自然対象物のイメージ比較
^自然現象
@春風 Spring gale / spring breeze
日本人も外国人もほぼ同じイメージ分解を示しているが、日本人の方が「快」の分布が高い。連想語から見ると日本人には温かいというイメージがあり、外国人には雨、しめっぽいと思うイメージがある。それが日本人の「快」の理由であるのかも知れない。タイ国には春や秋がないのでチェックしにくいようであった。大人の方が「動」とチェックした人が40%を越している。

A梅雨 Rainy season
うっとしい(gloom, boredom, dull)と思う気持ちが、日本人は不快に強く現われ、外国人(西欧人)には悲しいと出た。一方タイの人は「不快」が70%で、他のイメージ要素と比べると群を抜いていた。これはタイ国の一部(東北部)を除いた季節が次のようになっているからであろう。
夏・・・・・3月、4月、5月 雨季・・・・6月、7月、8月、9月、10月
乾季(冬)・11月、12月、1月、2月 5カ月も雨季が続くと不快だけを感じるかも知れない。

日本人学生:しとしと、傘、紫陽花、うっとしい、蛙、かたつむり
日本人大人:降る、強い、夜、かび、うっとしい、泣く、レインコート、入る、じめじめした、洗濯物、むしあつい、plant, wet, gloomy
AET:warm, rainy, plants, fall, glum, cloud, wet, umrella, sit, cloudy, hide, dull, water, mourning, damp, blow, dark, gloom, boring, annoying, boredom, wet, thunder, clean
雨あがり真じゅで着かざるつゆの花 小6 松田 裕美
梅雨のいり傘の花さく通学路 小5 山本 隆史
Rainy day puddles/ under the rubber of boot/ Splash like ocean waves Karin Beshop U.S.A
B夕焼け Sunset / Twilight
ほぼ同じ傾向が見られる。ただ日本人は連想語の中に秋を入れる。外国人はオールシーズンのものとしてとらえている。タイ国も同様の結果が出ている。日本人の大人の「静」という項目が極端に多いのは、1日が無事終わって静かな思いにふけるからであろうか。高浜虚子の俳句に、「夕焼けの雲の中にも仏陀あり」とある。

夕やけのミットにびしっと父の玉 小4 三浦 徹
夕やけに遊びつかれた三りん車 小6 中島 愛
In the evening sun / over colorful bushes / shadow --- my shdow Nadia Radevici Holland
As the sun sets, / the old fisherman sorts out/ the fish he can sell Sydell Rosenberg USA
_植 物
@たんぽぽ Dandelion
日本の高校生が一番強く示した「自由」というイメージは、タンポポの綿帽子が飛行船のように空を飛ぶということへの憧れを反映したものであろう。日本の大人の場合は春の訪れを意識して「喜び」を一番強く感じているのかも知れない。欧米人も「自由」を一番強く感じているが、その他の項目においては意識が低い。連想語から見るとannoying, ugly, picking, get rid of, work, lawn, stubbornnessと余り好感は抱かれてないようだ。芝生に栄えるタンポポは目障りという感じがする。

タンポポがふわふわとんでパラシュート 小2 二宮 菜朋子
タンポポはふみつけられてもなかないピエロ 中2 小池 真由美
The wind blows a seed of / dandelion / willingly travels Muneyuki Mogi G7 Japan
Dandelion seeds / Drifting like summer snowlakes / unaware of me Monica Wemmer Canada
A桜 Cherry (blossoms)
ほとんど同じような分布を示している。「喜」というイメージが強い。ただ連想する語としては「散る」というイメージが日本人に強いのではないだろうか。俳句の方も落花をうたうものが多い。

`動 物
@蛍 Firefly
日本人では高校生も大人も強く感じるものは「瞬間」であるが、外国人の場合は「自由」である。そして「動」が次に来る。日本人の場合、次に来るのは「快」「静」「永遠」である。これは極めて対象的な結果となっている。日本人は「蛍」に対して特別なイメージがあることがわかる。タイの高校生は「悲」が30%で一番高かった。

ほたるがり放したひとつ星になる 小5 伊藤 忠
手のひらのほたるの光こぼれそう 小6 藤沢 真帆
My family asleep / I worry about money count / fireflies in
Leroy Gorman
In the empty church / at nightfall, a lone firely / deepens the silence Nicholas Virgilio
A蜻蛉(とんぼ) Dragonfly
スペクトル分解ではほぼ同じ傾向を見せる。ただ日本人の大人が「快」が少し多い。連想語の方で日本人は夕焼け・故郷というイメージが出てきやすい。外国ではそういうイメージはないようだ。uglyと思うイメージは日本人にはないだろう。
かみさまのひこうきになるあかとんぼ 小1 わたなべ もとみ
いのる間も背に来てとまる赤とんぼ 小4 芳賀 広幸
red upon red / dragonflies chasing / autumn Jane Reichhold USA
Dragonfly too... / serches / for the rainbow's end Garry Gay USA

5 自然観再考
「自然」に対する日本古来の考え方を考察する。「翻訳語成立事情」(岩波新書)で柳父氏は次のように述べている。
「第一に、伝来の「自然」は人為と対立し、両立しない。「自然」であるとは、人為的ではないということである。一方、nature は人為art,Kunstと対立するが両立する。というよりも互いに補い合っている。・・・このことから、また。natureは客体の側に属し、人為のような主体の側と対立するが、伝来の意味の「自然」とは、主体、客体という対立を消し去ったような、いわば主客未分、主客合一の世界である、といえる」
日本人にとっては「自然」を見るときは自分も「自然」の一部になって見るということである。これは自分を人間、自然と対立するものと思わないということである。つまり自分自身も有機的に自然に結びついていると考える。日本人が好む言葉は季節感のあるものである。それは自分自身も自然と一体になっているということを確認したいという気持ちが働くのかも知れない。主観的なイメージは結局これまでの生活の中での「学習の効果・影響」によって生まれたものである。長い間の経験、体験、伝統によって築きあげられたものである。この季節感に平行して付随するものは時間の概念である。時間はそれ自体目に見えるものではない。「物の変化」を通して見るものである。時間は空間に還元されて初めて目に見えるものになる。新しいビルディングを見ると、日本人はまず「自然」とは思わない。かなり「人為的」な物であって自然と対立するものととらえる傾向がある。欧米人の場合、単純には日本人と同じ考えに至らないかもしれない。建立当時の極彩色より色のはげた仏像の方を日本人が好むのは、その仏像という空間に流れた「時」を感じるものをそのあせた色の中に見るからであろう。そしてたとえ色がはげていても、その色がはげているからこそ、その長い流れの中に「不変」=「永遠」を感じるのである。古い民家を見るとなつかしく思うと同時に、ほっとし、自然な感じを受けるのも同じ心理状態と言えるだろう。
鴨長明の「方丈記」の冒頭は次のように始まる。
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。・・・」これは代表的な日本的な発想の一つである。空間の見方によって「永遠」としても「瞬間」としてもとらえる。川の水に何かを浮かべて、その流れを追うと、もう二度と帰ってこない「瞬間的」なものと感じるが、川の水の流量が一定で絶えず流れている様子を見れば「悠久」「永遠」のものと感じる。「ゆく川の流れは絶えずして」は悠久・永遠を表し、「しかも、もとの水にあらず」は瞬間を指している。相反するものの見方が同時に存在する。このものの見方を互いに絡ませて一つ大きな世界を見せているように思われる。「花火」の調査項目見ると「瞬間」を感じながらも「永遠」を感じるとある。日本人の「自然感」はこのような「空間」の読み取り方によって形成されているのだろうか。
俳句の表現は混じり合っているだけの「混合物」ではなく、2種類以上の元素が化学反応を起こしてひとつの別の物質になった「化合物」のようなものと考えられる。中心となる人間の心眼・視点に各語のイメージが結びついてゆく。そのうえでもう一つの視点を持つとまた他のイメージがそのうえに結びついて最後に一つの新しい大きなイメージを描く。その一般的な繋がり方、構造式がそれぞれ国の人によって違う。言葉のイメージ(Connotation)はかなり似ていてもその繋がり方、心眼(視点)の在り方、個数で全体としては違うイメージを持つことになるのだろう。
次の芭蕉の俳句から日本人、日本人大人、欧米人、タイ国人がどんなイメージを持つか、絵で見比べてみる。
「古池や蛙とびこむ水の音」
An old pond/a frog jumps into the pond/ splash! silence again.
「古池や...」の方の英語訳は内容を多少解釈して訳しているものを利用した。
日本人が描く絵には山寺があったり庵があったり、月が出ていたりする。欧米人の方は蛙を中心に描いたり、葉の水滴の絵で同じ内容を表したりしている。日本人の絵の方がどちらかと言えば、蛙が主体になっていない。タイの高校生の場合は、集まった絵が少ないので全体的な判断は下せないが、周りの自然を描こうとしている。ただ飛び込んだときの音がかなり大きく聞こえるような感じがする。欧米人の英語の説明では、日本人のとらえ方に近いものもあるが、蛙の飛び込みの目的を考える人もいる。自然の静けさが自然自身によって一瞬かき消されたという解釈は日本的な発想ではないだろうか。


このようにして比べてみると、違いがよくわかる。有機化合物としてイメージが手をつなぎあっているのだが、その結合の仕方で全く違うものになる。これは日本人と欧米人の発想の違い、論理構成の違いとも考えられる。西洋の論理は直線型(Linear Logic)で、日本の場合は螺旋型(Spiral Logic)とよく言われる。複合的視点を持っているのか、語をそのまま並べて理解するのではなく、その語が持つイメージをつなぎ合わせて理解する。そしてそれらのイメージには有機的に結びついた環境のような「自然」がある。
それがどういったものと結びついたイメージなのか考えていく必要がある。文学的なものか、宗教的なものか、また別の要素からなるものか。このあたりのことを日本語の場合ともっと突き合わせることが今後の課題である。
参考文献
1『俳句からHaikuへ』 佐藤 和夫 南雲堂
2『俳句とHaiku』 松山子規記念博物館
3『俳句 小歳時記』 水原 秋桜子 大泉書店
4The Mainichi Daily News Monday issue
5The Haiku Anthology Simon & Schuster Inc
6The Haiku Handbook William J. Higginson Kodannsha International
7『英語でHaiku』 Newsweek Japan
8『俳句の国の天使立ち』 日本航空広報部
9『ハイク・ブック』 日本航空広報部
10『俳句と自然』 和田 悟朗 裳華房