かけがえのない自分

おまえ

父:おまえはなんべん言うたらわかるんや。したらあかんて言うてるやろ
娘(小学2年生):(泣きながら)なんで
父:なんでて。おまえなんべん言わなあかんにゃ
娘:(泣きながら)なんでお父さん、おまえて言うの?
  お父さんとお母さんが付けてくれた朋っていう名前があるのに、なんでおまえと言うの。
  (泣きながら)朋はおまえとちがうもん

 
 人は自分の名前の大切さをどれほど意識しているだろうか。相対関係としての自分を客観視するまで発達していない子どもは、自分の名前を通して、ほかに替わりようのないものとしての自分を意識している。自分の名前の固有性をPersonal identityとして、自分の存在として意識している。
 子どもはやがて成長するとともに、「自分」「私」「あなた」「おまえ」のということばを獲得し、それらのことばを使うようになるのだが、それでも心の中に自分の名前の固有性を大切にしているのではないだろうか。
教師と児童生徒との関係で、「おまえ」ということばが使われるとき、両者にどのような感情があるのだろう?教師が児童生徒に「おまえ」と呼ぶ場面は、児童生徒を叱るとき、伝達するとき、個人的な話をするときなどが考えられる。教師に「おまえ」ということばをどうして使うのかと尋ねれば、信頼関係があるから使っているとの回答がきっと返ってくると思われる。信頼関係があるからそう呼ばれるのだと、児童生徒が納得しているとするなら、そう使われるものだという学習効果として慣れてしまっているだけかもしれない。あるとき、児童生徒が教師を「おまえ」と呼び出したら、教師は児童生徒の逆襲にあわてるか、怒りをあらわにするのかもしれない。
 教師は児童生徒を本当は何と呼ぶのがいいのだろうか。「おまえ」「君たち」「あなた」それとも名前で?