無から有を生む

虫がいるで

ある日の子供同士の会話;
小学2年生の娘が高校1年の姉にこわがりながら
「おねえちゃん、服に虫いるで」
「うるさいな。ほっといたら飛んでいく」
「でも肩のとこにいよんねで」
「別に噛むような虫でないし、しばらくしたら飛んでいくの。さわがんでもいいの」
「でも、うんこするかもしれんで」

 5年ほど前、京都国立博物館へ二女(当時小学一年生)と円山応挙展を見に行った。子どもでも絵なら分かるのではないかと思って連れていったが、娘は余り興味を示さなかった。
 カメラを持っていたので、「どこかで写真を撮ろう」と言ったところ、「困っている人の所で撮ろう」という返事が返ってきた。「困っている人とは誰のこと、どこにいる人のこと?」娘の言っていることが私には分からなかった。私の怪訝な顔を見上げながら、娘が「あそこやんか」と言って、その場所へ連れていってくれた。
そこには、ロダンの「考える人」のブロンズ像があった。なるほど、そう思ってみると「困っている人」に見える。子どもにとっては、「考える人」というよりも、「困っている人」に見えるのか。「考える人」は必ずしも「困っている人」ではないが、「困っている人」は確かに「考えている人」かもしれない。
 ベートーベンの第九交響曲「合唱」の最高の演奏は、フルトベングラーがバイロイト音楽祭で演奏したものがモノラル録音ではあるが、レコードに収録された演奏で一番いいものだと言われている。フルトベングラーは、その演奏を始める前に、楽員に「無から有を生み出すように」と言って指揮を始めたらしい。
「無から有を生む」ということばは、何か白いカンバスに自分の思いや感覚を思うままに描いていくようである。子どもの感性はまさしく「無から有を生む」ようなものである。何も描かれていない白いカンバスにこれまでの常識のようなものにとらわれないで自分の思いをさっと描いていく。まさに豊かな創造性である。