子どものエネルギー

リコーダー

父:このあいだの授業参観は音楽の時間やったね。
娘(小学4年生):そうや。
父:先生が「縦笛を置いて。今は吹いてはいけません。先生のお話を聞きなさい。」と言っても、吹いている子がいたなあ。少しにぎやかやったね。何んでや。先生のお話を聞かないで、縦笛を吹くのは?
娘:そんなん決まってるやん。音楽が好きやから、縦笛が好きやからや。
父:朋は吹いていなかったから、音楽嫌いなの?
娘:ううん。朋は音楽も好きやし、先生も好きやもん。

 マスコミなどで使われ出した学級崩壊ということばが、教育の現場でもいわゆる「学級崩壊」とかっこ付きで使われるようになってきた昨今、文部省では、その言葉を「秩序が壊れたかのような印象を与える」として避け、「学級がうまく機能しない状況」と呼んで、調査を続けている。文部省委嘱の「学級経営研究会」の中間報告では、担任の指導が柔軟さを欠いていることに加えて、複合的な要因もあるのではないかという分析が出されている。同省ではベテラン教師を活用するなどの「学級崩壊」の対策も検討している。
 自分の経験を振り返って考えてみると、教師は、子どもが持っているエネルギーを誤解して判断したり、理解できずに既成の価値判断によって思いこんだりしていることがあるのではないかと思う。教育には、社会の共同体に生きる人間として一定の価値観を知らせる使命がある。場合によっては教えることが必要になるだろうし、場合によっては自分で学ばせる方がよいこともあるだろう。
 要は、子どもが持っているエネルギーを否定しないようにすることだろう。やっていいこととやっていけないこととの区別はつけなければならないが、子どものエネルギーを共同社会のなかでどう変換したり、方向づけたりして、そのエネルギーをどう生かすが大切なことだ。教育はそのためにある。
 子どものエネルギーをうまく方向付けることができる先生は子どもに好かれる。そして、そのような先生の思いの先には、きっと未来がきらきらと輝いているのだろう。というのも、子どもの目も生き生きと輝いているから。