浮き浮きした気持ち

運勢のいい日

娘(小学5年生):お父さん、今日はいい日やったで。朝、テレビを見ていたら、今日の運勢はいいことがありますと言わはってん。
父:そらよかったね。なんかええことあったんか。
娘:あんな、今日50メートル、9秒切ってん。はじめてやね、うれしかったわ。
父:それはすごいね。でもそれは朋ががんばったさかいや。自分で一生懸命走ったからや。
娘:そら、がんばったけど。でも、浮き浮きした気持ちで学校に行ったから、出来たんやと思うわ。やっぱり。

 浮き浮きとした気持ちで学校に通うことは、子どもにとってどれほど大切なことなのだろうか。
よく、分かる授業は楽しい授業であるが、楽しい授業が分かる授業であるとは限らないという人がいる。楽しければそれでいいとなると、子どもに迎合しているだけで、本当の学力は付かないことがあるという。確かにそのとおりだと思う。しかし、こんなこと分かるのではないか、これくらいのこと出来るのではないかというレディネス---安心して向き合ったり、やってみようと挑戦したりする気持ちは学習には必要不可欠なものだろう。
学習活動に対するレディネスは発達段階によって変化する。本を読めるようになるには、文字を識別できなければならないし、語彙も獲得されていなければならない。また、ある程度の時間、本を読んでも心的飽和を起こさないことも必要である。個人差もあるだろうが、こうしたレディネスは発達段階に応じてより豊かなものになると考えられている。
さて、楽しくない授業は、学習へのエネルギーを減少させ、こうした学習レディネスを減退させるのではないだろうか。そうなると楽しくなければ分からないという命題はかなり真に近いものになる。明日はまたあの楽しい授業があると思う子どもの心には、その授業に向けての準備が充実しているのではないか。
運勢や他の外的な要因ではなく、授業でもって、分かるという喜びや発見の喜び、学ぶ楽しさのある浮き浮きとした気分を子どもに与えてみたい思う。