石叫再録タイトル 石叫再録イメージ
イエスは答えて言われた。
「わたしはあなたがたに言います。
もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」
(ルカによる福音書19:40)
ここでは、礼拝で語られたメッセージを要約して再録してあります。石叫と書いて説教(せっきょう)と読んでほしいと思っています。今月のメッセージの下に今までのバックナンバー一覧がありますので、タイトルをクリックしていただきますと、内容をご覧になることが出来ます。

 断食するときには  山上の説教(13)

《断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。・・・あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい・・・》
マタイ 6章16〜18節


☆「断食するときには・・・」とあって、特別に断食しなさいと命令されているわけではありません。「施しのときは・・・」(2節)、「祈りのときは・・・」(5節)と続く3つ目の教えなのです。断食はその当時、イエスの話を聞いている人たちの間では、当然のこととして行われていたということです。

☆いったい断食とは何だったのだろう、と考えます。どういう意味があったのだろう。ひとつは悲しみのしるしでしょう。深い悲しみに沈んでいると、食事はのどを通りません。飽食のこの時代、世界の各地で飢えている人がいることを思い、争いで傷ついている人たちを思って、ご飯がのどを通らないという経験を、もっとわたしたちはしたほうがいいかもしれません。断食はそういうつらい思い、悲しみのしるしといえます。

☆では何を悲しむのか。たとえば自分の罪を悲しむということがありましょう。つまり悔い改めの断食です (旧約聖書ではサムエル記上の7章6節以下にそういう例が出ています)。ある学者の指摘によると、この箇所の直前に主の祈りの注釈があり、もし人の罪を赦さないなら、神もあなたがたの過ちをお赦しにならないとある・・・それとつながるのだと言います。赦しがそのようなものであるならば、人は自分の頑なさを悲しみ、悔い改めないわけにはいかなくなってきます。そしてそれは断食として表現されることでしょう。

☆断食をし、ひたすらな思いを神に向ける・・・それはつまり、真剣な祈りです。「祈りと断食」の必要を、イエスはよく説いておられます。アンティオキアの教会がパウロを宣教の旅行に派遣するという記事があります。それは、祈りと断食ののちの決断でした(使徒13章3節)。通りいっぺんの願い事ではなく、神の御旨に肉薄し、切ない思いを聞き届けていただこうとする祈りは、断食を伴うということでしょう。

☆けれども、あくまでもここでのポイントは、その重要な断食が、人に見せるためのものであってはならないということです。わざと沈んだ顔つきをして、あっ、あの人は断食しているんだ、信心深い人なんだ、とまわりの人たちに言われたがる・・・そういう偽善をイエスは戒めておられるのです。

☆太宰治の長編『正義と微笑』の主人公は、マタイのこの箇所にひどく心を打たれます。周囲の人の目をたえず気にしている自分を反省し、大切なことは、穏やかな微笑を浮かべつつ、静かに正義を行うことだと、彼は考えます。「微笑もて正義を為せ」、ああ、いいモットーが出来た。紙に書いて壁に張ろうとし、いや、それこそ偽善の行為ではないかと思い返します。イエスは、髪に油をつけ、顔を洗うことを語ります。自然体ということでしょう。人がどう思うかは問題ではありません。イエスがどう生きられたかをひたすら思い、わたし自身がどんなに弱いかを真剣に省み、心をまっすぐ神に向けて祈るなら、断食したく、なります。

TT


◎マタイによる福音書からの石叫バックナンバーはこちらです。
山上の説教(12) パンをください マタイ6:11〜13
山上の説教(11) 天の父よ マタイ6:9〜10
山上の説教(10) 祈るときは マタイ6:5〜8
山上の説教(9) ラッパを吹き鳴らすな マタイ6:1〜4
山上の説教(8) 敵を愛する マタイ5:43〜48
山上の説教(7) 悪に抵抗してはならない? マタイ 5:38〜42
山上の説教(6) 怒るな? マタイ 5:21〜26
山上の説教(5) 律法を完成するため マタイ 5:17〜20
山上の説教(4) 塩と光 マタイ 5:13〜16
山上の説教(3) 心の清い人の幸い マタイ 5:8〜12
山上の説教(2) 「義」を求める人の幸い マタイ 5:3〜12
山上の説教(1) 貧しい人は幸せ マタイ 5:1〜3

◎ペトロ第一の手紙からの石叫バックナンバーはこちらです。
2003年 11月 思い煩うな ペトロ第一 5:7〜11
2003年 10月 謙遜を着る ペトロ第一 5:1〜6
2003年 9月 非難されるなら幸い? ペトロ第一4:12〜19
2003年 8月 心を込めて愛し合う ペトロ第一4:1〜11
2003年 7月 説明を求める人に ペトロ第一3:8〜17
2003年 6月 夫に従え、と命じる必要 ペトロ第一3:1〜7
2003年 5月 キリストの模範に従う ペトロ第一2:18〜25
2003年 4月 国家に従わないクリスチャン? ペトロ第一2:13〜17
2003年 3月 光を伝える民 ペトロ第一2:9〜12
2003年 2月 霊の乳を飲んで成長する ペトロ一2:1〜10
2003年 1月 新しい誕生 ペトロ一1:22〜25
2002年12月 聖なる者 ペトロ一1:14〜19
2002年11月 迫害の中で神を賛美 ペトロ一1:1〜7

◎2001年10月からはじまったフィリピ人への手紙からの石叫バックナンバーはこちらです。
2002年10月 愛という供え物 フィリピ4章14〜18節
2002年9月 貧しく暮らし、豊かに暮らす フィリピ4章10〜13節
2002年8月 平和の神はあなたがたと共に フィリピ4章8〜9節
2002年7月 思い煩うな フィリピ4章6〜7節
2002年6月 同じ思いを抱く フィリピ4章2〜3節
2002年5月 イエスに倣う寄留者たち フィリピ3章17〜20節
2002年4月 走る人 フィリピ3章10〜15節
2002年3月 すべてを失ったが、それらは塵あくた フィリピ3章4〜11節
2002年2月 教会という家族 フィリピ2章19〜30節
2002年1月 神の愛が示された、だから・・・ フィリピ2章12〜18節
2001年12月 神が人となる フィリピ2章1〜11節
2001年11月 パウロの板挟み フィリピ1章20〜26節
2001年10月 苦難の中の喜び フィリピ1章1〜19節

◎2001年9月までのヨハネ福音書からの石叫バックナンバーはこちらです。
2001年9月 あなたは、主に従いなさい ヨハネ21章20〜24節
2001年8月 主よ。・・・・あなたがご存じです。 ヨハネ21章15〜19節
2001年7月 みんな違って、みんないい ヨハネ21章1〜21節
2001年6月 わたしに呼びかけてくれる神さま ヨハネ20章21〜23節
2001年5月 納得するまで信じないぞ ヨハネ20章19〜29節
2001年イースター 死のかなたの道 ヨハネ20章1〜18節
2001年3月 イエスを十字架につけた人 ヨハネ18および19章
2001年2月 永遠のいのち ヨハネ17章1〜37節
2001年1月 世にある艱難 ヨハネ16章20〜33節
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