父のこと 2001年2月 大野和子
栃木県足尾町はわたしが中学時代を過ごしたところです。 昨年の秋の婦人会の一泊旅行で思いがけず故郷の町を訪れることが出来ました。 計画には無かったのに、同行してくださった皆さんに心から感謝しています。
足尾銅山鉱毒事件は公害の原点といわれていますが、父はこの町の教会に2回赴任し、 合わせて30年働きました。
そのころを思い出します。お酒を飲んでは教会にやってくる人がいました。 仕事がなくて昼間からぶらぶらしている人もいました。 食事どきになると、両親は一緒に食事をするようすすめます。
中学生のわたしの下に三人の弟妹がいましたが、 わたしはこういう人たちと一緒にこたつに入ったり、 食事をするのが大きらいでした。 親はキリスト教に出会って生涯をイエスさまにささげる決意をしたのでしょうが、
子どもたちはそのとばっちりを受けていやな思いをさせられている、と思ったりしました。 アーメン、ソーメンとからかわれたり、石を投げられたりしたこともありました。
父の入信の証しを読みました。京都の郵便局に勤めていたある日のこと、 ふとしたきっかけでキリスト教会に足を踏みいれたそうです。 こんな人々を今まで見たことがない、と父は思いました。
集まっている人たちの顔が輝いていたといいます。 イエス・キリストという方が自分の罪のために死なれた、そしてよみがえられた、 今も生きて働いておられる、というメッセージ。
とくに今も生きておられるというところに心を動かされ、この方を信じたそうです。 父の妹たちの証言によると、教会から帰って来た父はすっかり人が変わり、
まず両親にていねいにお詫びをし、持ち物を惜しみなく兄たちに譲ってしまいました。
[瀬尾要造先生のお話]「わたしと岩槻青年(父のこと)はふたりして京都の平野神社の近くに、 家賃16円の小さな家を借り、そこで勤務以外の時間をささげて、
日曜学校、伝道会、祈祷会をしておりました。 (父はもっぱら賄い役だったと聞いています。) その当時の燃えて伝道し、また、時には徹夜して祈った思い出は懐かしいものです。」
父は晩年、教会の信徒の方達に言っていたそうです。 父の記念会には「わたしの良かった点も悪かった点も皆さんに出してもらって、 その一つ一つによって主の御名があがめられるならば良いと思います」。
わたしは父のことを嫌いではありませんでしたが、信仰ひとすじの窮屈で、 貧しい牧師の家に生まれたことを恨む気持ちがあったのは確かです。 けれども、いろいろな人々との出会いを通し、長い時間ののち、
わたしも心からイエスさまに従っていこうと思えるようになりました。
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