おばあさんの手を引く 2002年2月

 今から40年ほど前、わたしはブラジルに着いて間もなくで、いろいろ苦労していました。 そのころポルトガル語を習うために、労働者の小学校(夜学)に入ることにしました。 15歳からの学校ということでしたが、12歳から64歳くらいまでの黒人の生徒がいました。 アルファベットや、小学1年の算数などから教えていました。 自分としては言葉を習うつもりだったので、一桁の算数はばからしいと思ったけれども、みんなと一緒に勉強しました。

 学校の前は公園になっています。算数の時間をさぼって、公園のベンチに座っていると、一人の神父さんがやって来ました。 何をしていると聞かれて、言葉を習っていると答えました。 すると、ポルトガル語を習うにはラテン語をやると早く覚えられる。 よかったら教えてあげよう、とその神父さんが言いました。 そこで彼のところでラテン語の手ほどきを受けることになりました。 ソン・ドミンゴという名前のイタリア人でした。ハンサムな人で、日本にも来たことがあるそうです。

 しばらく経ってから、神父さんにこう言われました。 君はプロテスタントだったね、聖書をよく読んでいるか。 はい、読んでいます。そこで聖書の話になりました。 創世記にはエバがヘビにだまされて禁断の実を食べて、それから人間は罪を犯すようになったという話が書いてあるが、 サタンは人間の中の神に似た性質を完全に消すことができたと君は思うか、と聞かれました。 そんなむずかしい神学の理論は聞いたこともないし、研究したこともありません。 あなたはどう思いますか、とわたしは答えました。 すると神父さんが言うには--自分たちは、人間の中の神に似た性質をサタンは完全にぬぐい去ることはできなかったと信じている。 ああ、それが一つの神学というものなのか、とわたしは思いました。

 義人はひとりもいないと新約聖書には書いてあるし、 わたしも自分を罪深い人間だなあと思います。 けれども罪びとである人にも、神さまからいただいた正義、慈愛、隣人愛というものが残っているのは確かです。 ちょっと隣の人のために手を伸ばすことは、できないことではありません。 最近ある町でひとりのおばあさんが信号を待っていました。 あとで分かったけれども89歳のおばあさんでした。 彼女の手を取って3丁ほど一緒に歩いたら喜んでくれました。 困っている人に手を伸ばすことはそんなにむずかしいことではない。 そういうことが自然にできるチャンスを神様は与えてくださるので、わたしは感謝しています。 そしてそういう行為が自分の喜びになって帰って来ます。

アミーゴウエヒラ聞き書き帳
   
   
 
         
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