神の国はあなた方の中に  2003年1月

   聖書にはイエスの生涯を描く福音書というものがあります。そのうちのマルコの福音書には、他の福音書のようなイエスの誕生物語がなく、いきなりイエスの活動の記事から始まります。クリスマスの話はここにはありません。けれどもその簡潔さ/素朴さゆえに、わたしはこの福音書にひかれます。

 北部のガリラヤ地方で宣教を開始されたイエスは「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と宣言されました(1章15節)。「神の国は近づいた」。イエスのお話を聞いていたイスラエルの民は、自分たちが神に統治されている国だと信じていました。「神の国」といえば自分たちの国家とだぶらせて考えたことでしょう。その国がいまはローマ帝国に支配され、宗教的にも政治的にも抑圧されていました。そこで、イスラエルの国を復興してくれる救い主を待ち望んでいたのです。彼らはこのイエスこそイスラエルの国を再興してくれる王に違いないと思いました。

 いや、神の国はそういう政治的なものではない、と教える学者はたくさんいます。教会の歴史の中でも、多くの神学者は、神の国は霊的なもの/精神的なものだと主張しました。けれどもこれはただ心の中だけのことなのでしょうか。イエスのなさったことを見ると、もっと生活に密着したできごとが言われているような気がします。この「神の国」という言葉はほかの福音書(たとえばマタイ)に出てくる「天国」と同義語で、それは神の支配/統治が具体化することだと知ったとき、わたしはとても嬉しかったのを覚えています。それまでは、天国や神の国といえば、ただ漠然と、頭上に広がる天や、死んでからゆく「あの世」のことだろうかと考えていたからです。

 神の国はいつ来るのかと尋ねられたときイエスは答えます。「神の国はあなたがたの間にある」。いまここに神の国があります。神の国はあなたがたの交わりのなかに実現する??なんと力づよい、慰めにみちた言葉でしょう。では神の国に入るために何をしなければならないのでしょうか。「悔い改めて福音を信じなさい」。いままでの自分中心の生き方から神中心の生き方に方向を転換することです。神と人に仕えること、イエスが示された道に従って行くことです。

 イエスの宣教は神から与えられる力によっておし進められました。悪魔のとりことなっていた人は解放され、病人はいやされ、孤独な人は友を得、悲しんでいる人は慰められました。イエスの生涯とその死によって、神の愛と平和が示されました。この働きは、イエスの霊を受けた弟子たちによって引き継がれ、2千年を経た今日、わたしたちも神の国の福音にあずかる者とされています。そしてこの働きはこれからも完成の日をめざして続けられて行きます。

 小グループの話し合いのときに、あと1週間で死ぬとしたらあなたは何をしますか? というテーマが出たことがありました。一人の姉妹が発言しました??家のこまごましたことは夫と娘にまかせて、毎日教会の人たちに来てもらって賛美歌を歌ってほしい。残されたいのちを思えばつらい時には違いないけれども、仲間の愛に包まれて過ごすならば、これも神の国のひとこま、神の祝福につつまれたときになるだろう、そんな予感にうち震えたりいたします。
大野和子

   
 
         
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