神々の座する山で 2004年11月

世界の屋根ヒマラヤ……8,000メートル級の山々……神々の座(ざ)する頂(いただき)。 何という美しい響きだろう。一度は訪れてみたいとわたしは思っていた。そしてその夢がかなった。まだ独身で、キリストと出会う前のことだ。

だがネパールでのトレッキング中、目的の山頂を目前にして、わたしは高山病にかかり、涙と共に下山しなければならなくなった。その時、下から登ってきた一行があった。女性三人、男性一人のそのグループはガイド一人、ポーター二人を雇っていた。リュック一個を背負っただけのわたしには、大名行列のように見えた。彼らには独りぼっちのわたしがよほど哀れに見えたのだろう。食料を分けてくれた。そして一緒に歩くことになった。

シンガポールの人たちだった。雄大な自然に囲まれて、話は弾んだ。英語だったが何とか通じた。それぞれの国の文化のこと、仕事のことなど話した。一人が、戦争中の日本軍がどんなにひどいことをしたかを話した。赤ん坊を刺殺した日本兵の話。信じられないけど、とわたしは言った。けれども戦争は人を鬼にする。大切なのは平和だよねと言うと、意見が一致した。

若者同士のグループだ。自然に結婚の話になった。結婚相手としていちばん大事なのは何かが話題になった。その頃日本では3高ということが言われていた−背が高く、高学歴、高収入が望ましい。そのことを紹介すると、いいえ、なんといっても一番のカギはフェイスよね、と言う女の子がいた。おやまあ、イケメンか、あきれてものも言えない、とわたしは思った。

君ね、もっと大事なものがあるだろう、とわたしは反論しようとしたが、どうも話が噛みあわない。よく聞いてみると、彼女が言うのは「faith」−信仰のことだった。ショックだった。英語をよく理解できなかったからではなく(いや、それも少しはショックだったが)、なんで信仰がそんなに大切なのか、わたしの理解を超えていたのだ。信じられな〜い。心の中でそう呟いた。

ヒマラヤ登頂

左端が筆者、その手前が文中の『女の子』

日本に帰ってからも、その女の子が気になった。フェイスのことが頭から離れなかった。近所の教会に行った。驚いたことにそこの牧師は、よく分からないというわたしのことを分かるよと言った。教会に通い始めた。

あれから14年。かつての女の子は今でもわたしの横にいる。神々の座する山々と言われる所で、唯一、絶対の神、本当の神に出会うようにと、わたしは導かれたのだった。今では家族5人、これからも神と共に歩んで行こうと思う。

舘野サイン
舘野 直也



舘野一家

舘野一家の写真です


 
   
 
         
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