バルト三国の旅
2005年9月
今年の夏、夫婦でバルト三国を旅行するという話をすると、「それってどこにあるの?」「何をしにいくの?」とたいていの人に聞かれました。旅行パンフレットで「十字架の丘」を見て、それで興味を持ったのが最初でした。それから調べるいくといろいろなことが分かりました:大国に囲まれてもそれぞれの国の誇りをもち、言語も独自のものを今も使っていること、91年に独立してそれがソ連崩壊のきっかけともなったこと、2004年にEUに加盟したこと、第2次大戦中にユダヤ人を逃がすためにビザを発行した日本領事館の方がいたこと、などです。それで、俄然興味が増しました。
バルト三国とは北から「エストニア」「ラトヴィア」「リトアニア」の3国のことです。エストニアは北欧にも近く、物価も日本並みで、旧市街であっても、町中で無線LANでインターネットに接続できました。リトアニアは一番観光地化されておらず、静かな町並みで東洋人も全くといっていいほど見かけず、静かに観光することができる国でした。ラトヴィアはその中間といったところでしょうか。
リトアニアでは、朝の静かな教会で一心に祈っている人々がいて、信仰が普段の生活に根付いているなあと感じました。ローマ・カトリックの信者が多いようで、階段を膝のすり足で上るために、階段の各段の真ん中がすり減って凹んでいました。

リトアニア・夜明けの門 首都ビュリニスの市街を取り囲んでいた城壁の残存する唯一の門 2階が礼拝所となっている
リトアニアからラトヴィアまでの移動中、ツアー会社の手配では、自力では行きにくい「十字架の丘」に、途中寄ってくれることになっていたのですが、ドライバーはそれを知らされておらず、車に乗って数時間走り、国境を越えてから(丘はリトアニア内にある)気づいて、あわてて2人で必死に説明し、何とか100キロ(!)ほど戻ってもらって、ようやく丘を見ることができました。

リトアニア・十字架の丘 今なお増え続ける十字架、リトアニア人の愛国心の象徴とされる
行きのロシアでの乗り継ぎはもっと苦労しました。従業員用のバンに乗せられて、通常とは違うような、入口から7キロ離れた別のターミナルの乗り換えゲート前まで連れて行ってくれたのですが、従業員がチケットの引き替えを持っていったまま、乗り換え時間ぎりぎりまで待たされました。日本は夜中なので、ツアー会社にも連絡できず、保険会社の24時間サービスに電話しようとクレジットカードで電話を試みてもうまくいかず、不覚にも手が震える程うろたえた時、「ミスター・オシキリ?」とチケットを持った係の人が来てくれて、無事リトアニア行きの飛行機に乗ることができました。「このままロシアに泊まることになったらどうしよう?」と、かなり心細い思いでした。[夫]リトアニアのホテルに着いた時、夫婦で自然と感謝の祈りをしていた。[妻]最終的には神様にゆだねれば何とかなると体験することができた(教会に行く前ならもっとうろたえていたと思う)。

エストニア・聖オレフ教会 巨人オレフが建築したという伝説のある教会の塔にて
押切 眞人・あや
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