三月−受難節−に想う 2008年3月

 新しい旅立ちの別れがあり、人々にとって何か物悲しさのただよう春3 月は、一方で私にとっても悲しい思い出の月である。

 17歳の誕生日を間近にした昭和40年3月笑顔と優しさが印象的で美人と評判の母は、42歳の若さで胃癌に侵され、洗礼を受ける間もなく、宣教師ポール・ボッシュマン氏に自らの葬儀を託して天に召された(私はそう信じている)。この母は、私に生涯で1度だけ愚痴をこぼし、その後はそのことを恥じてか二度と私の前で他人の悪口を言わなかった。すべての人々ににじみ出るばかりの思いやりを心から捧げ尽くした献身の人であった。

 やがて私は学校を出て社会人となり、26 歳の誕生日を間近にした昭和49年3月、自らに厳しく、子供達をも厳しく躾けた(なかんずく教育に殊の外熱心であった)父は、長く苦しい闘病(心臓病)の末、母親がいなくなった子の成長を確認するかのように末息子の大学入学を見届けた後天に召されたのである。この父は、この世での神からの求めに応え、実に魂と生命をかけて子供達の成長に努力を傾け、召命のままに人生を踏破した信念と真実(まこと)の愛の人であった。
 一方23 年前の同じ3月には諦めていた娘という宝物を授かり、更に4 年前の3月には思いがけないことに孫娘(その後は事情があって会えない関係になる)を与えられるという、新しい「いのち」とのまことに喜ばしい出会いの時にも恵まれたのである。

 そして時は今、私たちの主なるイエス・キリストの受難節である。

 数年前、私は、人生の真理(まこと)の道即ち主なるイエス・キリストへの道を求めて、今一度この道に立ち返る決心をした。嬉しいことに、それからというものは、この真理(まこと)の道を求める心は、日々新たにされ、強められ、私を捕えて離さない。今度こそ私は聖霊の導きに応えて、キリストの弟子の道を真っ直ぐ歩み続けたいと心から願い求める。

 全人類のために、キリストを唯一の仲保者とする「神の人類との新しい契約」=新約)が実現するために、主イエス・キリストの十字架の受難は不可避であった。しかし、神は、そのキリストの復活を通して全人類が罪から解放され、全く新しい永遠のいのちに生きることを得させて下さり、最後の審判のとき御国へと召して下さる。この神の愛に対する確信、希望そして喜びをもって、私は主イエス・キリストの弟子の道を一歩一歩着実に歩み続けたい。

森岡 道久

 
   
 
         
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