お施餓鬼(おせがき)
岐阜市の長良川のたもとに、
『おもうしろうて やがてかなしき 鵜舟かな』
という俳聖・芭蕉の句が刻まれています。
芭蕉は旅の途中、舟に乗り、鵜飼の一夜を楽しんでいました。
我を忘れるような面白さが頂点に達したその時、ふと心の中をすきま風が吹き抜けたのです。
十分に楽しんだはずなのに、なにか満たされず、寂しく虚しい気持ちになったのです。
この句は謡曲の「鵜飼」がもとになっているといわれていますが、中国にも同じ意味の句があります。
漢の武帝が「秋風の辞」に賦した句です。
『歓楽極まって、哀情多し』
自分の欲するものは何でも叶えられた武帝は、遊興の楽しみのその果てには
虚しく悲しい気持ちしか残らないと言われたのです。
芭蕉や武帝以上に何でも願い事がかなう現代人は、高級車に乗り、日常の暮らしにグルメと称して
山海の珍味を食べ、高級な衣服で身を飾り、レジャーや海外旅行に忙しい限りです。
眼前の楽しみや欲望を追い求めてばかりでは、心から満足できません。
施餓鬼会でお唱えする「開甘露門」というお経の最後に
願わくば この功徳をもって 普く一切に及ぼし
我等と 衆生と皆共に 仏道を成ぜんことを
という願いの言葉があります。
このお施餓鬼を通して、亡き人の冥福を祈り、欲望の渦に巻き込まれて苦しんでいる、
生きとし生けるもののためにご供養いたします。
この功徳によって、自分を含め、全てのいのちが心豊かな日々を過ごせますようにと願うのです。
お施餓鬼をしても、心のそこから願い、実践しなければ、単なる儀式に終わってしまいます。
自分だけの快楽や、幸せばかりを求めずに、食事を満足にとることができない人々や、
衣服の1枚が足らずに寒さに震えている子供たちがいることを思い、その人たちと助けあって
共に歩める人間になりたいものです。