いなといへど 強うる志斐のが 強語(しいがたり) この頃聞かずて 朕(われ)恋いにけり(天皇)
いなといへど 語れ語れと詔(の)らせこそ 志斐いは奏せ 強語(しいがたり)とのる(志斐嫗)
.『万葉集』巻三に収められたこの二つ歌は、前後の歌から天皇は持統天皇を指し、おそらく近侍の女官・志斐嫗とに交わされたものとされています。女帝の宮廷の、平和なひとときが垣間見えます。
≪訳≫
・・・嫌だといっても、強いて言う志斐嫗のその語りを、この頃聞かないので私は恋しく思っていますよ・・・
・・・嫌だといっても、天皇が語れ語れと仰せられるから、志斐は申し上げたのですよ、強語おっしゃられるなんて・・・
.女官と戯れる、とってもプライベートな場所で詠われたのだろうと思われます。天皇が「最近、志斐は私に強語してこないですね。いつも語りまくられていたから、恋しいくらいですよ。」と、じゃれて言えば、志斐嫗は、畏まって平伏するわけでもなく、「まあ、ひどい。天皇が言え言えって言うからじゃないですか。」と強気の反撃。おそらく嫗と言うぐらいですから、身分は低くても古参の女官で、女帝に近しい年齢の(持統天皇自身、在位中は「嫗」と呼べる年齢でした)女性であったと思われます。
.もしかすると、天皇の乳母子やご学友に当たるような存在であったのかも知れません。
.志斐嫗の出身は不明ですが、おそらく志斐氏だろうと推測されています(志斐が氏族名でなく、名前であった可能性もあります)。はっきり言って、勢力のある氏族ではありません。
.しかし、持統女帝も元々は、皇太子中大兄皇子の次女に過ぎず、母を幼くしてなくした心もとない身分でした。やがて皇女となり、皇后となり、そして天皇となりましたが、少女時代には、父が有力者であっても、数多くの王族女性の一人でした。ご学友に弱小氏族出身の女儒がいても、何らおかしくはありません。
.いまや天皇、表面上は誰もが平伏する、第一の位。格式張った宮廷生活の中で、自然と(いささか強引に)語ってくる嫗は、女帝の貴重な存在だったように思えます。
.嫗の強語(しいがたり)の実態が、果たしてどんなものだったのかは、詳しく分かりませんが、勝手に推測すれば、政治の関係ではないでしょう。おそらく、女帝の最近の生活態度とか、宮廷の噂ばなしとか、どうでもいい話だったと思うのです。
.しかし天皇の前でどうでもいい話を遠慮なしに語れる事は、かなりすごいことです。
.持統天皇は、自ら政務をとった精力的な女帝であったといわれています。そのせいか、いささか、強い女として描かれることが多いようです。
.しかし持統天皇は、強いながらもおおらかな性格だったと思います。
.小倉百人一首にも採用された、最も有名な女帝の和歌、
...春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣乾したり 天の香久山
.衣の白と山の緑のコントラストに夏の情景のさわやかさを感じつつ、衣を乾しているだろう都の女性たちにも向けられた視線。 ただ自然を眺めて夏が来た、というだけでなく、白い衣を乾すという人々の営みから、夏の訪れを感じているこの一首。
.実は結構、気配りの行き届く、世話好きタイプの女性ではなかったかと思うのです。
.そんな女帝と、やっぱり世話好きだろう嫗のお遊びでの和歌の贈答。なかなか楽しい宮廷生活であったのかもしれません。
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