*今川氏親子女

義忠
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−−−−−−−−−−−−−女━━━━正親町三条実望
氏親━━━━寿桂尼

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氏輝−−−彦五郎−−−玄広恵探−−−泉奘−−−−義元−−−−氏豊−−
(母:寿桂尼)(母:寿桂尼)(母:側室福島氏)(母:側室)(母:寿桂尼)(母:寿桂尼)│
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−(妻:武田信虎女)-−−−−
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−−−−−−女〔瑞渓院〕−−−−−−−−−−−−−−
(中御門宣綱室)(北条氏康室)(関口氏広室)(瀬名氏俊室)(牟礼郷右衛門室)

今川氏親の子女は、男子が6人、女子が4・5人いたようです。
男子6人のうち、長男・氏輝、次男・彦五郎、五男・義元、六男・氏豊に関しては、正室寿桂尼の所生です。
女子は母親が分かりにくいものですが、このうち、北条氏康の室となった女子〔瑞渓院〕は寿桂尼の所生と伝わります。
寿桂尼の甥、中御門宣綱の室となった女子も、嫁ぎ先からいって寿桂尼の所生であるか、もしくは養女格であった可能性があります。
また、関口氏、瀬名氏に嫁いだ女子も、関口・瀬名はそれぞれ今川の一門衆であり、重臣ですから、正室腹の姫の嫁ぎ先としてもおかしくないといえます。牟礼郷右衛門に嫁いだという女子は、嫁ぎ先からすると、側室の所生でしょうか。
といういわけで、寿桂尼の子女は男子4人、女子数人というところでしょう。

しかし所生の子女ではなくとも、氏親の没後、若年の氏輝を補佐して一時実質的な戦国大名だったといわれる寿桂尼ですから、当然、まだ同様に若年だった氏親の子女の処遇にも采配を振るっていたと思われます。
氏輝の姉妹として嫁ぐ女子の行き先も、寿桂尼の判断が少なからず含まれたでしょう。


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