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*寿桂尼文人系図
−−−−−−中御門宣俊 |
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.寿桂尼の親戚縁者は、結構文人公卿が多いです。 .調べてたら、一条兼良とも三条西実隆とも縁者なのね〜、と思って作ってしまったのがこの系図・・・。 .一条兼良、三条西実隆、この二人は、高校の教科書に載るぐらいに有名な文化人です(もしくは国語の資料集)。 .吉田兼倶、山科言継も、かなり著名な部類に入る(らしい)です。 .寿桂尼の父・中御門宣胤、宣胤の妻の父・甘露寺親長も、当時名の通った文化人であり、かつ実務官僚であったようです。 .文化人が多いからといって、衰退した公家政権が腐敗して遊興にふけっていたという訳ではなく(だとしたら乱世に悠長なことだが)、公家にとってはそれが存在意義と化していた時代です。 .応仁の乱により荒廃した京の都、凋落した皇室の財政。それは周りを固める公家衆も同様のことで、諸芸学問は、富裕な諸大名・国人・商人層から援助を引き出すための手段に使われたこともあったでしょう。 .また、公家が自らの存在意義を問い直す意味があったんでしょうか。 .世上物騒な時勢ですから、単に遊興なだけで諸芸を学んでいたとは、ちと思いにくいところです。 .(まあ財産に余裕のある武家がどっぷり浸っている場合は、遊興か現実逃避でしょうがね。) .寿桂尼の嫁いだ駿河には、兄弟の中御門宣秀・宣綱父子、姉妹の継子である山科言継、その他、冷泉為和・四条隆重・三条西実澄などが下向し、駿府は京文化華やかだったと伝えられます。 |