寿桂尼〜略歴〜


寿桂尼 【じゅけいに】 ? 〜1568.3.14
<瑞光院寿桂尼, 戒名:竜雲寺殿峰林寿桂大禅定尼>
父:権大納言 中御門宣胤
(誠に勝手ながら結婚時の年齢を15才にしました(^^)。根拠なしです。騙されないで下さい。)
    1508(15才) 今川氏親、駿河に加え,遠江の守護を兼ねることとなる
    ........ この頃、寿桂尼、今川氏親に嫁す
    1512(19才) 氏親、遠江の大河内氏の謀反を討つ
    1513(20才) 長男・氏輝を生む
    1517(24才) 次男・彦五郎を生む
    ........ 氏親、斯波義連を尾張国に駆逐し、遠江の支配権を固める
    1519(26才) 三男・義元を生む
    1526(33才) 「今川かな目録」が制定される(4月)
    ........ 氏親没、氏輝(14才)家督を継ぐ
    1530(37才) 北川殿(氏親母・北条早雲妹)没(5月)
    1535(42才) 氏輝、後奈良天皇即位にあたって費用を献上
    ........ 氏輝、北条と結び甲斐都留郡で武田信虎軍小山田氏を破る、のち武田と和睦
    1536(43才) 武田晴信(信玄)に三条公頼女が入輿(寿桂尼の斡旋といわれる)
    ........ 氏輝(24才)没、次男・彦五郎没(4月)
    ........ 氏親三男・恵探と五男・承芳(義元)、家督を争う〔花倉の乱〕
    ........ 福島氏と恵探、花倉城に敗れる(6月)、 義元(18才)、家督を継ぐ
    1537(44才) 義元、武田信虎の娘を妻に迎える
    1541(48才) 義元、武田晴信(信玄)との合意のもと,武田信虎を駿府に閑居させる
    1542(49才) 義元、尾張の織田信秀を三河の小豆坂に破る
    1549(56才) 義元、織田信広を三河の安祥城に破る
    1550(57才) 義元室(武田信玄姉)没
    1552(59才) 義元の娘,武田信玄の嫡子・義信に入輿する(11月)
    1553(60才) 「今川かな目録追加」制定
    ........ 義元、吉良義広を東条城に破る
    1554(61才) 北条氏康、駿河に侵攻,義元、武田信玄の援けを受けこれに対峙
    ........ 今川・武田・北条、三者和睦〔善徳寺の会談〕(3月)
    ........ 義元の嫡子・氏真、北条氏康の娘を娶る(7月)
    1555(62才) 義元の老臣・太原崇孚没
    1560(65才) 義元、西上のため発向(5月10日)、義元、桶狭間で敗死(19日)
    ........ 氏真(21才)、家督を継ぐ
    1562(67才) 三河の松平(徳川)家康、織田信長と同盟
    1564(69才) 徳川家康領国に侵攻、氏真、三河の支配を失う
    1565(70才) 織田信長、武田信玄と結び、四男・勝頼に信長養女が嫁す
    1567(72才) 武田信玄嫡子・義信自刃、義信室(氏真妹)駿府に返される
    1568(73才) 死去〔3月14日〕
    (駿府沓台の竜雲寺に葬られる)

    1568..... 武田信玄駿河に侵攻、徳川家康遠江に侵攻
    ........ 信玄により、今川氏真ら、駿府を追われる(12月)

  • 所生の子女
    1513〜1536... 氏輝(竜王丸)
    1517〜1536... 彦五郎
    1519〜1560... 義元(方菊丸・梅岳承芳)
    等々
*寿桂尼が結婚したのは永正二年(1505)から同五年(1508)の間といわれており、没年の永禄十一年(1568)と合わせて考えると、70・80歳代の高齢で亡くなったようです。 その間、今川氏は氏親・氏輝・義元・氏真の四代に渡り、寿桂尼の駿河で過ごした年月も約六十年、京でのものの3倍以上となりました。
守護大名から戦国大名に転身を遂げたいわれる今川氏親に嫁ぎ、その路線を継承し、義元の治世で領国の最盛期を迎え、支配力の崩れる氏真の代まで。寿桂尼の歩みはそのまま、戦国大名今川氏とともにあったといっても過言ではないでしょう。
しかし、こうして略年譜を作ってみると、当たり前ですけれど、軍事・政略上の変動が激しいです。去年の敵は、今年は味方。 いかに小京都と呼ばれた駿府でも、なまじ一時領国経営に携わっただけに、寿桂尼も安心して館の奥でのんびりすることはできなかったでしょうな〜、と思ったりします。


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