大津皇子 伝記

大津皇子

皇子は、 浄御原帝の長子なり。 状貌魁梧、 器宇峻遠。 幼年にして学を好み、 博覧にして能く文を屬る。 壮に及びて武を好み、 多力にして能く剣を撃つ。 性頗る放蕩にして、 法度に拘れず、 節を降して士を礼(いや)びたまふ。 是れに由(よ)りて人多く附託す。 時に新羅僧行心といふもの有り。 天文卜筮を解(し)る。 皇子に詔げて曰はく、「太子の骨法、 是れ人臣の相にあらず、 此れを以ちて久しく下位に在らば、 恐るらくは身を全くせざらむ」といふ。 よりて逆謀を進む。 此の"言圭"誤に迷い、 遂に不軌を図らす。 嗚呼惜しき哉。 その良才を蘊(つつ)みて、 忠孝を以ちて身を保たず、 此の奸豎に近づきて、 卒(つい)に戮辱を以ちて自らを終ふ。 古人の交遊を慎みし意(こころ)、 よりて以(おもい)みれば深き哉。 時に年二十四。

..《訳》
皇子は、浄御原帝(天武天皇)の長子である。身体容貌は大きくたくましく、度量が高く奥深かった。
幼少の頃より学を好み、広く読書し豊富な知識を持っていて、巧みに文章を書いた。 成長して武芸を愛好し、力が強く、剣を使うのが上手かった。
性質はかなり放逸であって、規則に拘束されず、(高貴な身であるのを)へりくだって人士を厚く礼遇した。 このことから、人々が多く付き従った。
時に新羅人の僧侶、行心という者がいて、天文や卜占に通じていた。
行心は皇子に告げた。「太子の骨相は、人臣の相ではありません。 このような相をしていながら長らく下位(人臣の位)にあったならば、おそらく身を全うできないでしょう。」
この言葉によって皇子は謀反に進んだ。この行心の欺き惑わす言葉に皇子は迷い、ついに謀反を計画するにいたった。
ああ、惜しいことだ。 その恵まれた才能を包み持って、忠孝の道を行うことによって自分の身を全うしようとせず、この悪僧に近づいて、ついに死罪を賜るというような辱めを受けて、自決した。
古人が交際を慎んだという理由は、これによって考えてみれば深い意味があることよ。
時に年は二十四才。

大津皇子は『懐風藻』の中で3番目に登場。この伝記の後に詩四首を載せます。
伝記中「浄御原帝の長子」とあるが、『日本書紀』では第三子。享年の24才は『日本書紀』と一致するところ。僧行心も『日本書紀』に大津皇子の謀反にくみして左遷された記載があります。
『懐風藻』撰者は、大津皇子の秀でた才能と放逸な性質を挙げ、謀反に進んだ事を惜しむ内容でまとめられています。

                


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