.「お母様、なぜ・・・なにゆえに・・・」私の息子を謀略に陥れたのですか。
.後半は声が枯れて言葉にならない。ぬぐわないままの涙は頬を伝い、衣を濡らしていく。
.「どうして・・・」
.知っていたはずです、あなたは。これが謀略だということを。
.承和九年(842)、当代の帝の御母にして太皇太后、嘉智子の宮。座する嘉智子の前には、長女にして先の帝の后、今は皇太后となった正子内親王がいる。しかし今、二人の間には、母娘の和やかな空気はなかった。
.「落ち着きなされ、皇太后ともあろうお方が」嘉智子は表情を変えず、娘に言った。
.落ち着いていられようか。これが・・・我が息子を、あなたの孫を・・・。
.「恒貞は・・・出家する気です・・・」
.「仕方ございますまい。」嘉智子は相変わらず表情を崩さない。「東宮を廃された身。罪を逃れるためには、御仏門に入られるしか。」
.罪? 誰の・・・?
.息子に罪が無かったことなど、母だとて良く知っているはずだ。
.なぜなら、息子を陥れる密告の重要な役を担ったのは、他ならぬ母・嘉智子だからだ。
.承和九年(842)七月十七日、春宮坊帯刀舎人伴建岑・但馬権守橘逸勢が逮捕された。皇太子恒貞親王連れてを東国に赴き謀反を起こす計画を立てた、という罪によってである。二十三日には皇太子にも責ありとして廃太子、さらに近習の官吏六十名あまりが罪に問われた。「承和の変」である。
.この事件が発覚したのは、密告によってであった。
.まず、平城天皇の皇子・阿保親王が太皇太后・橘嘉智子のもとに密書を送り、その策謀のあらましを訴えた。嘉智子はすぐに中納言・藤原良房を呼び出して密告の内容を告げ、良房は参内して仁明天皇に奏上し、ただちに伴健岑・橘逸勢ら首謀者が逮捕されたのである。
.そして、恒貞親王が廃されてから10日あまりの八月四日、仁明天皇の第一皇子、道康親王が立太子した。藤原良房の実の甥である。
.この事件が道康親王を押し立てるための、良房側の陰謀であった可能性は高い。事件が七月十五日の、嵯峨上皇の崩御の直後に発覚していること、事件発覚から逮捕までが早すぎること、待ってさえいれば皇位に就けるはずの皇太子がわざわざ謀反に荷担したとされること、伴健岑・橘逸勢は反乱の首謀者となるほどの上級官吏ではなく、また動機もあいまいであることなど、謎が多いためである。良房と嘉智子、阿保親王、仁明天皇らが事前に示し合わせての謀略だった可能性が高い。
.阿保親王はかつて薬子の変に連座し、太宰帥に左遷されたことがある不安定な身分であった。良房はもちろん実の甥の立太子が待っている。仁明天皇にとっても自分の子孫の皇位が確保される。
.では、恒貞親王と道康親王、二人ともの祖母、正子と正良、二人の母である嘉智子は、どうしてこの策謀に荷担したのか。
.正子は涙を流しながらも、母の表情の変わらぬ顔を見続けた。言葉を発さなくとも、その目は詰問を止めない。
.美しかった母。50を越えた今でも、その片鱗が残っている。良き帝と言われた父の后として、当代の帝の母として、気高く生き、様々な慈善事業を行ってきた母。その姿は正子にとっても憧れであった。その母が・・・今は表情を崩さない・・・。
.いや、崩さないのだ。堅い意思を込めて。
.「この京に戦を起こさないためにです。」嘉智子が静かに言う。自分に語りかけるように。
.「薬子の変のような争いを・・・兵乱を・・・二度と起こさぬために。」 わずかに嘉智子の表情が動いた。決意を込めた口調であった。
.「そのために・・・」
.そのために、「恒貞を・・・私を・・・捨てられるのですね。」
.正子は泣き腫らした目を大きく見開いて、母を見詰めることを止めなかった。
.承和の変の際、廃された皇太子の母・皇太后正子内親王の、激しく怒り悲しむ姿が伝えられている。「太后震怒、悲号怨母后」。怒りに震え、母后・嘉智子を悲号して怨んだ、と。
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