.弘仁元年(810)、薬子の変を平定し、その帝位を確固たるものにした帝は、戦勝の礼と、この平安京の安泰を願って、平安京の地に元来鎮座する賀茂社に皇女・有智子内親王を捧げた。時に有智子内親王はたったの4才。賀茂斎王の初めである。
.清めの為、初斎院に入った娘を送り出した夜、帝は嘉智子に向かって言った。
.「この都を、是非とも“平安”なる都としたいのだ。」
.“平安”なる都、それはこの地に都を移した帝の父、桓武天皇の願いでもあった。
.五年後、弘仁六年(815)七月、嘉智子は皇后に冊立された。帝の正妻となったのである。帝の母后はとうに亡くなっており、先の平城の帝には皇后がなかったため、並び立つものなき朝廷第一位の女人であった。
. ・・・“平安”なる都・・・
.嘉智子はかつて帝が言った言葉を思い浮かべていた。
. ・・・確かに、奈良の都は兵乱に満ちていた・・・
.長屋王、藤原広嗣、そして嘉智子の祖父・橘奈良麻呂。
.当時、孝謙女帝と光明皇太后は、お気に入りの藤原仲麻呂を重用していた。祖父・奈良麻呂は、藤原政権に対抗するため、反乱の計画を進めていたといわれる。実行には移れなかった。仲麻呂の権力に押され、密告者が相次いだのである。
.未遂に終わったのにも関わらず、詮議は熾烈を極めた。前皇太子であった道祖王は杖で打ち続けられ拷問死した。黄文王ら五人も無実を訴えながら獄死した。首謀者・奈良麻呂自身も、獄中から出されることなく、その年の内に死んだ。その時、嘉智子の父・清友はまだ母親の胎内にいた。
.藤原仲麻呂の罠にはまったことは公然の秘密であった。しかし、その仲麻呂もその年後には反乱を起こし、敗死した。
.相次ぐ兵乱、憎しみ、嘆き、怨念・・・。
. ・・・先の帝も、奈良の都の怨念に惑わされたのかもしれない・・・
.嘉智子は考え、すぐ思い直した。そんな詮もないこと・・・。
. ・・・でも・・・
.考えなくてはならない。どうすれば“平安”なる都を築けるのか。少なくとも相次ぐ兵乱を途切れさせるには、自分はどうすればいいのかを。
.自分はもう単なる帝の寵妃ではない。“皇后”なのだから。
.謀反人の孫娘である自分を“皇后”に据えてくれた、帝に応えるためにも。
.「お母様、秀姫が泣き止まないの。正良が泣かしたの。」
.庭から幼い姫が飛び出してきた。正子だ。ふっさりとした髪に、少しふくれた顔をして、我が子ながら可愛らしい。
.「違うよ、秀は勝手に泣いてるんだよ。」
.もう一人、庭から飛び出してくる。男女の違いさえなければ正子とそっくりな、正良だ。二人とも今年で6才(数え年)になる。
. ・・・この子達には、平安な世を残せるかしら・・・
.嘉智子は思う。今はまだ幼く純真な子供たち。
.弘仁六年(815)七月。緑と光にあふれる夏だった。
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