| 父 | 備考 | |||||
| 孝霊 | 倭国香媛 | 三輪山の神。 | ||||
| 垂仁 | 弟苅羽田刀弁 | 仲哀天皇,稲依別王,
布忍入姫命,稚武王 |
皇太后 | |||
| 応神 | 和珥 宮主宅媛 | 皇后 | ||||
| 応神 | 和珥 小"扁瓦"媛 | |||||
| 応神 | 弟姫 | |||||
| 応神 | 和珥 宮主宅媛 | |||||
| 応神 | 日向 泉長媛 | 中蒂姫皇女 | 皇后 | |||
| 仁徳 | 日向 髪長媛 | 皇后 | ||||
| 履仲 | 幡梭皇女 | 安康天皇 |
従兄弟 |
眉輪王
|
皇后 |
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| 雄略 | 和珥 童女君 | 武烈天皇,高橋大娘皇女, 朝嬬皇女,手白香皇女, 樟氷皇女,橘皇女,真稚皇女 |
皇后 | |||
| 仁賢 | 春日大娘皇女 | 欽明天皇 | 皇后 | |||
| 仁賢 | 和珥 糠君娘 | 皇后 | ||||
| 仁賢 | 春日大娘皇女 | 石姫皇女,小石姫皇女, 倉稚綾姫皇女,上殖葉皇子 |
皇后 | |||
| 宣化 | 橘仲皇女 | 敏達天皇,箭田珠勝大兄皇子, 笠縫皇女 |
皇后 | |||
| 宣化 | 橘仲皇女 | 石上皇子 | ||||
| 宣化 | (不詳) | 倉皇子 |
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.古代の伝承時代の皇女の嫁ぎ先。
古代、皇女の結婚は取り立てて正史に残されず、天皇に嫁した場合を除いてはあまり記述されないので、結構少ないです。 .では天皇の妃となった人が多いかというと、これもそうでもなく、皇女の皇后・妃は応神天皇から始まるいわゆる河内王朝の以前ではいません。 .河内王朝以前、結婚したことが伝わっているのは、倭迹迹日百襲姫命と両道入姫命の二人。 .神話入り交じる欠史八代(特に事蹟の記録されていない初期の天皇8代、綏靖〜開化)の皇女で唯一、結婚の伝承の伝わっている倭迹迹日百襲姫命は、三輪山の神・大物主神と結婚しました。 夜のみ通ってきて夜明け前には帰る神に、どうか姿を見せて欲しいと願い、神の本性である蛇を見て驚いたため、夫神に去られ、箸に突かれて没しました。昼は人造り、夜は神造るという箸墓に葬られたとの伝承が残ります。 大物主神は、崇神天皇の時、大和の神々を皇女・渟名城入姫命に付けて祭ろうとしたところ、痩せ細り髪が抜け祭ることかなわず、大物主神の子を召し出して祭らせたとの伝承も残る大和の代表的な神です。この神と崇神天皇の大叔母・倭迹迹日百襲姫命が結婚したのは、何らかの反映でしょう。 .(なお、開化天皇までの系譜では、皇女自体数が少ないです(^_^;)) .両道入姫命は甥・日本武尊命と結婚して仲哀天皇を生みました。特に事蹟は伝わっていませんが、日本武尊の正妻格だったのでしょう。 もっとも両道入姫命の生んだ仲哀天皇は実在性の疑われる天皇の一人であり、英雄を父とし皇女を母とするその家系も、後に嫡流とするために付けられたとも考えられます。 .河内王朝(応神〜武烈天皇)に入ると、皇女の結婚がいくつか記述されます。 .天皇の皇后・妃となるのもこの時代からです。 .これはおそらく、河内王朝より近しい皇族間の皇位を巡る抗争が激しくなっていることと関係していると思われます。 それ以前でも謀反等がないことはないのですが、河内王朝に入ってより、同母兄弟間での抗争や即位前の抗争が激しくなっています。 .同族内が結束して政権に当たっていれば、婚姻関係は同族より外向きに、他の地域・豪族を意識して行なわれるでしょうが、内部の抗争が激しくなると、事態の融和・和解・また略奪した財産分与の正当性やらの見地から内部の婚姻が行なわれたと考えられます。 .ちなみに、河内王朝での抗争がどのくらいあったのかというと
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.ちなみに、古代ではほとんどの皇后が皇族出身者なのですが、記紀の記述から畿内の出身ではなく地方出身であることが類推される皇后もいます。
地方豪族との濃い血縁関係を持つと推察される皇后もいます。 .参考に、神武〜武烈までの皇后のうち、皇族出身者で皇女でない場合を列挙していました。 |
| 父 | 備考 (推定出身地) |
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| 息石耳命 | 安寧天皇の孫 | − | |||
| 天足彦国押人命 | 孝昭天皇の孫 | − | |||
| 大彦命 | 孝昭天皇の孫 | − | |||
| 彦坐王 | 開化天皇の孫 | 佐保 | |||
| 丹波道主王 | 開化天皇の曾孫 | 丹波 | |||
| 八坂入彦皇子 | 崇神天皇の孫 | 美濃 | |||
| 気長宿禰王 | 開化天皇の五世孫 | 近江(息長) | |||
| 品陀真若王 | 景行天皇の曾孫 | 河内? | |||
| 稚渟毛二岐皇子 | 応神天皇の孫 | 近江(息長) | |||
| 丘稚子王 | 允恭天皇の曾孫 | 難波? |
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.ついでながら、このころの伝承には、天皇の妻問いの伝承があったりします。
景行天皇は、天皇自身の遠征、皇子・日本武尊の遠征が長々と記される外征の天皇でしたが、妻問いも長距離で、播磨風土記にはるばる播磨までいって吉備氏の播磨稲日大郎姫を娶った伝承が載り、次は日本書紀に美濃まで行幸して八坂入彦皇子の娘を妻問いした(はじめは八坂入媛の妹が目当てだった)伝承が伝わっています。
その他、雄略天皇は草香幡梭姫皇女の宮、日下に出掛けて結納の品を届け、安閑天皇も春日に出掛けて春日山田皇女を妻問いしています。
天皇や皇子が簡単に外出していいのか? 古代伝承だからそこらへんは気にせずに。自分で行かないで仲人立てるとろくなことの無いのが記紀の伝承の定番なので(仲人にお目当ての媛を寝取られたり、結納の品懐に入れられたり)直接行きたくなるでしょうな(^_^;)。 .とはいえ、妻問いをしない場合もあったようで、丹波からともに天皇の宮まで送られてきた日葉酢媛命と妹たちは、後宮に入るまで天皇に顔も見せなかったようで、妹の一人もしくは二人が醜かったため、生国に送り返されたとの伝承が残ります。 |