脩子内親王..996〜1049 *数え年です
父:一条天皇
母:藤原定子(関白左大臣 藤原道隆の女)
..996(1才) 誕生〔12月16日〕
..997(2才) 母と伴に入内(6月)、内親王宣下(12月)
..998(3才) 登華殿にて袴着の儀(12月)
..999(4才) 弟・敦康親王誕生
..1000(5才) 妹”女美”子内親王誕生、母・定子(25才)没
..1005(10才) 裳着の儀、三品に叙される
..1006(11才) 二品に叙される
..1007(12才) 一品に昇叙、准三后を宣下される
..1008(13才) 妹”女美”子内親王(9才)没、異母弟・敦成親王(後一条天皇)誕生
..1009(14才) 異母弟・敦良親王(後朱雀天皇)誕生
..1011(16才) 父・一条天皇(32才)没、七七会法要の後、一条里内裏を退出
..1013(18才) 三条宮に移る
..1018(23才) 弟・敦康親王(20才)没
..1020(25才) この頃、延子(藤原頼宗と伊周女の二女)を養女に迎える
..1024(29才) 出家
..1027(32才) 藤原道長没
..1036(41才) 異母弟・後一条天皇(29才)没
..1039(44才) 敦康の遺児”女原”子(24才)没
..1040(45才) 歌合せを催す
..1042(47才) 養女・延子の入内に母代として付き添う
..1045(50才) 異母弟・後朱雀天皇(37才)没、養孫・正子内親王誕生
..1049(54才) 薨去〔2月7日〕
●竹三条宮【たけさんじょうのみや】(「平安時代史辞典より引用」)
.『平安京左京三条四坊二町(押小路南、東洞院大路東)に所在した方一町の第宅。現在の京都市中京区高田町を中心とする地域に該当する。『枕草子』二〇に、「たけ三条」の名で謳われた名邸。何故に「たけ」(竹ないし多気)を冠して呼ばれたかは未詳。十世紀の末葉、平生昌の所有であったが、彼は里邸が炎上した皇后藤原定子の御所としてこれを貸与した。長保二年(一〇〇〇)一二月、皇后はここで崩じた。平生昌は、遺された脩子内親王の御所にこれを献上し、その成功によって、播磨守に任ぜられた。内親王は永くここを御所としていたが、晩年の清少納言は絶えずこの御所に参上していたらしい。寛仁四年(一〇三〇)、上総国より帰洛した菅原孝標が住居となしたのは、竹三条宮の西向かいの第宅(三条三坊十五町、かつては三条上皇の御所)であった。内親王の薨後、養女で後朱雀天皇の女御藤原延子に伝領され、次いで延子が生んだ正子内親王の御所となった。しかし承徳二年(一〇九八)二月二十二日の大火で全焼してしまった。よって関白藤原師通は、内親王に別の御所を呈上し、竹三条宮の故地は自己の所領となして自邸の小二条殿(三条四坊一町)と併合し、南北八四丈に及ぶ二条殿を造り上げたのであった。』
・本文の竹三条宮(=三条宮)の記述は、ほとんど、この解説文によるのです、が・・・「晩年の清少納言は絶えずこの御所に参上していたらしい。」など、ちょ〜と想像入ってませんか、という部分もあって、竹三条宮=脩子内親王の三条宮、ということも想像だったりして・・・、とちょっと不安です。(いや、合っているでしょ、多分)
●参考にした文献&ぺーじ
HP
.. 夢 鏡 撫子さまの運営されている脩子内親王の母・定子に詳しいサイトです。
文献
..「平安時代史辞典」 角川書店
..「日本女性人名辞典」 日本図書センター
..「栄花物語上・下」 岩波書店