日野富子〜略歴〜

日野 富子【とみこ】 1440〜1496.5.20
 <法号:妙善院従一位慶山大禅定尼>
父:蔵人右少弁 日野政光(のち重政)
母:従三位 苗子(北小路禅尼)
(同母兄)左大臣日野勝光・(妹)足利義視室
    1440(1才) 誕生
    1443(4才) 足利三寅(義政・8才)、足利氏の家督を相続する(7月)、日野有光の乱(9月)
    1449(10才) 足利義成(義政・14才)、征夷大将軍に就任する
    1451(12才) 義成母・重子と義成乳母・今参局、尾張守護代の人選を巡り対立
    1453(14才) 義成(18才)、義政と改名
    1455(16才) 義政乳母・今参局、義政の女子を生む(1月)
    .........(もしくは今参局の従兄弟大館持房の娘、佐子、女子を生む)
    ........ 義政(20才)の正室となる(8月27日)
    1459(20才) 一子を生むが死産(または即日夭折)(1月9日)
    ........ 今参局、呪詛の罪により、琵琶湖沖の島に流罪、配流の途中自刃(19日)
    ........ 義政の側室四人を室町御所より追放する(2月8日)
    1462(23才) 女子を生む(7月14日)
    1463(24才) 女子を生む(7月20日)
    ........ 義政母・重子(53才)没(8月8日)
    1464(25才) 義政の異母弟・浄土寺義尋(27才)、継嗣として還俗、義視と改名(11月)
    1465(26才) 義視(28才)元服の儀を行う(11月20日)
    ........義尚を生む(23日)
    1466(27才) 義視に男子(のちの義材)誕生(生母は富子の妹)(7月29日)
    1467(28才) 兄・日野勝光、内大臣に就任
    ........ 畠山義就、家督争いにより畠山政長邸を攻める(1月)
    .........(応仁の乱の始まり)
    ........ 土御門天皇・後花園上皇、室町御所に移る(5月)
    1468(29才) 義視、京を出奔し、山名宗全を頼ったことにより、官位を剥奪される(12月)
    1469(30才) 義尚(5才)、将軍継嗣に定められる(1月)
    1471(32才) 室町御所に同殿する土御門天皇(30才)との関係について噂がたつ
    1473(34才) 山名宗全没(3月)、細川勝元没(5月)
    ........ 義尚(9才)、征夷大将軍に任官(12月)
    1474(35才) 夫・義政、小川御所に移る(富子・義尚とは別居)
    1476(37才) 兄・日野勝光(48才)、左大臣昇進ののち没(6月)
    ........ 室町御所焼亡、義尚と伴に小川御所に、天皇方は北小路殿に移る(11月)
    1477(38才) 応仁の乱終結
    ........敵方の将であった畠山義就に千貫文を融資
    1480(41才) この年より翌年にかけて、京の七口に関所を設置
    ........ 朝廷での県召除目に際し、官人の俸給の半額を立替える(3月)
    ........ 義尚(16才)、富子の兄・日野勝光の娘を正室とする(4月)
    ........ 末子・三宝院義覚、片目を失明、京の御霊社に末社を造り今参局を祭る
    1481(42才) 義尚(17才)、義政の愛妾・大徳寺公有の娘を愛し、父子不和となる(1月)
    1482(43才) 夫・義政、東山山荘の造営を開始
    ........ 義尚(18才)、万里小路冬房女・命子を寵愛し、正室が御所を退出する
    1483(44才) 夫・義政、東山山荘の常御所が完成し、移り住む
    1486(48才) 義尚を伴い東山の夫・義政を訪問(4月)、義尚とともに葛川参籠(6月)
    1487(49才) 義尚(23才)、近江の六角高頼の横暴を鎮圧するため、出兵
    1488(50才) 義尚(24才)、輝く意味を込めて義熈と改名
    1489(51才) 義尚(25才)、陣中にて没
    1490(52才) 夫・義政(55才)没(1月7日)、出家
    ........ 義視の子・義材(25才)、征夷大将軍に任官(7月)
    1491(53才) 義視(54才)没(1月)
    1493(54才) 細川政元と謀って義材を退け、堀越公方政知の子・義澄を立てる(4月)
    1494(55才) 義澄(26才)、征夷大将軍に任官
    1496(57才) 死去(5月20日)
  • 所生の子女
    1459 ... 子(性別不詳)
    1462〜 ? ...女子(宝鏡寺に入室、遥山禅師)
    1463〜 ? ...女子
    1465〜1489 ..義尚(足利9代将軍)
    ? 〜 ? ...義覚(醍醐寺三宝院に入室)
*日野政光(のち重政)の娘。母は苗子〈みつこ〉。勝光とは11才違いの同母の兄妹。
16才にて、足利8代将軍義政の生母・重子と兄・勝光の計らいにより、義政の正室となる。9代将軍義尚の母。
将軍継嗣に義政の弟・義視が定まっていたのに対し義尚を擁立し、応仁の乱勃発の一翼を担ったとされること、また、 京の入口に関所を設けて関銭をとったり、高利貸しを営んで蓄財したこと等から悪評を呈されます。
夫義政との間に、5人の子供を出産しました。が、政治に関心を失い、東山文化を完成させた風雅人の夫とはあまり仲が良くなかったらしく、後年はほぼ別居状態になりました。
「尊顔はなはだ美なり」と言われる美貌であったといいます。
長女の入室した宝鏡寺に、同敷地内にあった大慈院より伝わったという富子の木像があり、出家後ながらに品のある顔立ちをしのばせます。